2月(1)進展
お待たせしました。
仕事はいい。
余計なことを考えずに済む。
「おーい、クリス。その一輪車こっちに回してくれ」
莞爾は牛糞堆肥を一輪車に積み上げるクリスに声をかける。いっそのことトラック一杯分畑にばらまいてもいいかと思ったが、結果として袋で購入して撒いた方がわずかに安上がりだったこともあり、余計な手間を増やすことになった。
もともとそんなに広い畑ではないし、土壌改善のためにすき込みを行うのだから大量の土砂を置いておく場所も限られて、数袋を一輪車に載せてその都度撒いていく。
トラクターでも使えばすぐに終わるのかもしれないが、わざわざ重量の重たいトラクターで踏み固めるのも気が引けた。というか、耕耘機一台あれば深耕もなんとかなる。
耕耘機のロータリを反転にしてうね上げの要領で均等に溝を掘り、そこに牛糞堆肥を入れて一度耕耘機で混ぜ、それから土を被せてさらに整地もかねてまた耕す。
大がかりな機材があれば一時間で終わるような内容も、小さな耕耘機一台に人員二名ではどうしたって時間がかかる。
救いがあるとすればクリスが見た目に反して力持ちであることくらいだ。
土壌の表層は比較的容易に改善できるが、深層は難しい。
プラウ耕などによる深耕もあるが、これについては専門家の意見も真っ二つだ。
曰く、プラウは機材自重によって土壌が踏み固められてよろしくないとする人もいれば、積極的に行うべきだと言う人もいる。
とどのつまり状況によるとしか言いようがない。
この山の中の畑に関して言えば、莞爾は必要だと思っている。とはいえ、トラクターを使うのにも金がかかるし、安上がりなのは個人事業主当人の労働力ぐらいなもの。
結果として時間をかけて作業をするしかない。
これが水田であったならば、深耕の意味合いも少し変わってくる。
だがここは畑だ。
クリスの魔法によって成長したタマネギが根こそぎ養分を枯渇させた状態であり、表層の養分が時間をかけて深層に蓄積されていくのを待てるほど、莞爾は悠長ではいられない。
それこそ二年から三年のスパンで輪圃式で休閑を得られるならばよいが、零細農家はそもそも農地が狭いから零細なのだ。
輪栽農法というか、作物を植えて収穫して次の作物を植え、と中々忙しいのが実態だ。実際、そうでもしないとまともな収入にならないのだから仕方がない。ただし、狭い土地で繰り返し作物を植えていればもちろん連作障害のリスクも高まってしまう。そのために作物の種類を連作障害が起きにくいように選ぶのだが、大規模農家に比べればそのリスクは必然的に高い。
対処法はいくつかあるものの、抜本的かつ劇的な改善方法はそもそもない。何年もかけてようやく効果が現れる、といった事例が多い。もちろん速効性の高い肥料を使えばある程度収量を維持できるが、それが長期的に有効かと言えばあくまでも対処療法の類だろう。
一株ずつ丹精込めて作る時間と余裕があるのならば、つまり家庭菜園ならば連作しても地力に余裕を持てるかもしれないが、収量を確保したい農家にとってはその限りではない。
自然のサイクルに合わせて恒久的な――聞こえのいい未来志向の農業を実践していくためには、現実的な問題としていくつもハードルが残されている。
それはさておき。
二月も半ばに入り、ようやく腐葉土が畑の土に馴染んだ頃合いで今度は牛糞堆肥を混ぜている。
一輪車を押すクリスも額にうっすらと汗が滲んでいる。
「疲れたなら少し休憩するか?」
「いや、まだ大丈夫だ」
いくら体力はある方だと言っても、男女の違いと言うべきか、それとも農作業への慣れの違いと言うべきか、莞爾の方が余力はあった。
そもそも莞爾は耕耘機を使っている時間の方が長いのでそこまで疲れないというのが正解だが、クリスに耕耘機の動かし方を教えようとしても断られるのだから仕方がない。それでいて「手伝いたい」と言われればできることは自然と力仕事しか残っていない。
莞爾は耕耘機を止めてレーキを手に取る。そうしてクリスが一輪車を傾けて落とした堆肥を溝に落とし込み、さらに広げていく。一輪車一台で約百キロほどだろうか。
あまり入れすぎても深層では有機物の分解が表層に比べて遅いので、ある程度量は抑えている。
「ようやく半分だな」
「ここが終わったら少し休憩にしよう」
「だからまだ大丈夫だ」
「配分の問題だって。疲れ切るまでやってたんじゃかえって効率が悪いだろ」
莞爾は呆れ気味にため息をついた。
最近はずっとこの調子だ。
変わったところがあるかと言えばそうでもない。けれど、やはり素っ気ない印象が強まった。よほどクリスの誘いを断ったことが尾を引いているのかと言えば、実際のところそうでもない。原因も結果もいまいち明瞭でない。
何が問題なのかと自問するまでもなく、この曖昧な違和感こそが問題なのだ。
自分が体を動かして頭を空っぽにしているように、クリスもそうなのかもしれないとまでは考えも至らない。
キリのいいところで耕耘機を止めて休憩にする。
クリスは莞爾の分のお茶をいつものように水筒から注いで用意して、莞爾は耕耘機に燃料を補給してから軽トラの荷台に腰を下ろした。
畑に視線を向けて、クリスは自分のコップに注いだお茶を飲んでいる。莞爾はぐいっと飲み干して大きく息を吐いた。
いっそあの夜にクリスの思いを受け止めてやるべきだったかと考えて、今更考えても仕方のないことだと思い直した。どのみちあの場で彼女を抱くこと自体、自分には許容できることではなかったのだ。
夢見がちな純粋さとは違った。
しかし、そう考えると以前の自分ならばきっと首を縦に振っていたはずだと気づく。実際、一昨年の夏には穂奈美とそういう経緯があったのだ。同情と言えばそれまでかもしれない。下心がまったくなかったと言えるほど聖人君子ではないが、学生時代の思いがぶり返したこともあって流されたのだ。
決定的に違うのは、穂奈美とクリスとでは立場が違うということだ。
あくまでも自立してなお周りと自分とのギャップに寂しさを抱いた穂奈美と、他に頼る縁のないクリスとでは明らかに違う。その上、心底惚れている。
「なあ、クリス」
「なんだ?」
素っ気ない返事に莞爾は頭をかいた。不機嫌にも聞こえるが、彼女の表情は別段不機嫌には見えない。むしろ笑みを浮かべているようにさえ見えた。
「……きちんと話さないとわからないこともある」
クリスは無言だった。莞爾は視線を背けたクリスを見つめて言った。
「今はまあ仕事があるから後にしよう。寝る前に、一度ちゃんと話しておきたいんだ」
「何か特別なことでもあったか?」
「そうじゃなくて――」
「ならば何も話すことはないではないか」
「クリス」
咎めるような口調になってしまったのは仕方がなかった。けれど、莞爾は一瞬後悔してすぐに取り繕う。
「俺がもっとクリスの気持ちを聞きたいし、俺の気持ちを聞いてほしいんだ」
「私は……別に話すことなどないぞ」
本当に奇妙なほど曖昧で、明瞭さとは無縁なわだかまりだ。
事実として何かしらの変化が見つかったわけでもないのに、可能性が否定されたことだけでこうも変わる。
もしクリスの自棄を受け入れていたなら、今頃どうなっていただろうか。あまりいい予感はしない。けれど、今よりはずっと良かったような気がしないでもない。
けれど、その「良かった」というのもずいぶんと自分本位だ。
「じゃあ、俺が話したいんだ」
「カンジ殿、私は――」
「大事な話なんだ」
無理やりクリスの顔を自分の方に向けさせて莞爾は鋭い視線で念を押した。するとクリスは渋々といった態でわずかに頷いた。
莞爾は「よし」と頷いて内心ではホッと胸をなで下ろしていた。もう二週間近くずっとこの調子だったのだ。時には苛立ちに近い感情を抱くこともあったがずっと我慢し続けてようやくだった。もっと早く行動に移せればと思わなくもないが、事情が事情なだけに自分から切り出すのはどうしても気が進まなかった。
「さっ、残りをさっさと終わらせよう」
莞爾はクリスの肩を叩く。
クリスは少しだけ決まりが悪そうだった。
***
タイミングというのはいつだって都合よくないものらしい。
夕刻になって家に戻ったのを見計らったかのように、孝一から電話があった。
曰く、伊東家で少し話し合いをしようということらしい。そういえばそんな連絡がメールで届いていたと思い出す。
莞爾は断れないかと考えたものの、孝一とてそう時間が有り余っているわけがなく、断るに断れなかった。
「……孝一兄さんに呼ばれた。二時間もしたら帰る」
莞爾はちらりと柱時計を見て言った。時間はちょうど午後五時を過ぎたあたりだった。
「わかった。夕飯は何がいい?」
「なんでもって言いたいところだけど、冷凍庫に挽肉があるからそれで適当に作れるか?」
「任せておけ。スミエ殿から色々と教わっているからな」
得意げに頷いてみせるクリスにわずかなもどかしさを感じつつ、莞爾は渋々家を出た。
伊東家を訪ねると相も変わらず駄犬が莞爾を一瞥しただけで無視を決め込む。玄関を開けて声をあげる。
「こんにちはー」
すぐにスミ江が出てきて座敷に案内された。数日前に退院したばかりの嗣郎が奥に座り、手前には孝一がいる。間にいる人物を見て、莞爾は思わず声をあげそうになって寸前で堪えた。
「……孝介おじさん、お久しぶりです」
一瞬の驚きを逡巡とでも勘違いされたのか、孝一の父親の孝介は決まりが悪そうに苦笑いを浮かべた。
「ご無沙汰してます」
「いやいや、こちらこそ」
気を取り直して頭を下げる莞爾に孝介は白髪頭をかきながら応対した。
挨拶もそこそこに莞爾は末席に座った。すかさずスミ江が莞爾のお茶を持ってきた。
嗣郎は退院したばかりで酒は飲めないので湯飲みを前に少々不機嫌そうだった。一番の年長者が酒を飲まないのだからそれ以下も同様だ。もっとも真面目な話だろうから酒を飲むわけにもいかない。
いくつかの近況報告をさらりと流し、時間のない孝一が乗り出すように切り出した。
「それで、会社の件だが」
久しぶりに会う面子ということもあって年寄り二人は少しばかり残念そうに眉根を寄せるが、孝一が忙しいのも重々承知しているので真面目な顔を取り繕った。
「まずは莞爾を社長に据える。これは私もみんなも異論はないはずだ」
頷く嗣郎と孝介を見て莞爾は釈然としない思いを抱きつつかろうじて頷いた。
「経理と事務は私がすべて請け負う。嗣郎さんと父さんは農作業だけ。基本的には今までの仕事と変わらない。ただ自分の畑だけじゃなくて広く働かなきゃいけない。時期に合わせて働く場所が変わるようなイメージでいい」
それはかねてから莞爾と相談していた内容だった。
由井家はもっぱら果樹に集中しており季節労働に似た部分もある。
嗣郎と莞爾は通年で細々と野菜を育てている状況だが、農地をまとめればある程度ローテーションを組んで効率的に栽培計画を立てることができる。
「あとはまあ莞爾のところのクリスさんとうちの智恵。それからまあもしかしたら嗣郎さんところの平太くん。今のところはパートってことで考えてる。平太くんは確か――」
「社員にしてやってくれ。試験次第じゃが」
嗣郎が答えると孝一は頷いた。莞爾が突きつけた条件だ。もし平太が目標を達成できなかった場合、彼自身がどういう思いを抱くかもわからないので保留している。
「ひとまず人員についてはこんなところか。細かい業務については追々詰めていくとして、資本金について話そう」
起業するにあたって株は誰がどれだけ持つのかといった内容も細かく話す。
細かい配分に関しては筆頭に莞爾、次に孝一、最後に嗣郎となった。孝介は孝一が戻ってくるのであれば後は任せるとして一社員に収まるつもりのようだ。嗣郎も元々土地の管理に困っていたので株式については多くを求めていない。むしろ若手で意欲のある莞爾を社長に据えて、実務能力に長けた孝一がバックアップするという体制は嗣郎も孝介も望むところだったようだ。
各家で利害は対立していないので比較的すんなりと決まった。
「それで、土地についてなんだけど」
孝一が言うには、孝介経由で調べてもらったところ大谷木町に耕作放棄地を見つけたらしく、ちょうど農家を募っている状況だそうだ。
「ざっくり2町ある」
そこで孝介が引き継いだ。
「大谷木町が推し進めてる取り組みが頓挫してる。三年ぐらい前から新規就農を探して農協のバックアップで人を呼び込んでいたんだが……唯一の成果は土地の整理ができたぐらいだよ」
聞けば、一人か二人は成功している新規農家もいるらしい。だが、単純に黒字化できているというだけで、土地を広げてさらなる事業展開に投資ができるだけの余裕がない。もっとも黒字化できているというだけで拍手したくなるぐらいだ。
「それで……ああ、行政上は大谷木町三山村か」
三山村は二〇一五年までは合併特例区であり、それ以降は大谷木町に吸収されている。村民感覚で自立した感覚が残っているだけで、実際には大谷木町の一部に違いない。莞爾だって未だに住所で「大谷木町」の文字を抜いて書くことがままあるくらいだ。
「今のところ自由にできるのが4町……さすがにハウス建てるまとまった広さがないのが難点だな。その2町は平地ですか?」
莞爾が尋ねると孝介は頷く。
「立地と条件からして水田向きじゃないし、前から畑作だったらしい。土は悪くない。というかむしろいい」
とはいえ難しいところだ。単純な数字だけを見れば別にこれ以上の土地を得る必要はあまりない。設備さえ整えられれば4町でもなんとかできる自信はあった。
けれども現実問題として4町の畑は合計4町というだけで実際には小さな畑の寄せ集めだ。平地に比べれば日照時間で劣るし、灌漑も手間がかかり、懸念はそれだけに留まらない。
まとまった収量を確保するためには多少低単価の作物でもないよりはいい。というか、むしろ欲しい。三世帯の収入源なのだ。大谷木町ともなれば臨時で人を雇うのも三山村より比較的気楽だ。まとまった土地があればこそ必要な設備投資や人材コストも払えるし、払う価値がある。
「ハウス建てるなら町が助成金出してくれるはずだよ。野菜なら五割。育苗なら三割ぐらいだったかな」
孝介は気楽に言うが、ビニールハウスは高価だ。おまけに台風や積雪による被害も無視できない。投資した設備が減価償却される前に損失するのは明らかにリスクだ。
さらに言えば、莞爾は今まで通りの「種を播いて育てて収穫する」という農業では成功は見込めないような気がしている。大規模化してしまえばそれだけで十分利益を得られるのだが、現状零細の域を出ていない。やはり六次産業化まで見据えた事業展開を考えなくては、と思わざるを得なかった。
しかし、いきなりあちこちに手を伸ばしても成功できるはずがない。やはり小さな成功を積み重ねていくのが鉄則だ。
そんな堅実な意識はあっても、やはり自分のハウスさえあれば自分の育てたい野菜の幅が広がる、という魅力も捨てがたい。
ある意味では莞爾もまだまだ農家としてはひよっこの部類だ。ひよっこ故に嗣郎や孝介に比べて視野が広い。
絶対の自信はないが、一方でやってできないことはないだろうと漠然とした思いはある。
「ハウス建てるならどこかから融資してもらうしかないけど」
2町全体をハウスにするならば、とてもじゃないが目先の金が全く足りない。おおよそ三家の資金を足しても届かない。もちろん資材の質にもよるが、ざっと計算しても足りる見込みはなかった。
孝一は軽く頷いて言う。
「大手小売業でも今はプライベートブランドが進んでいるし、飲食だったら自社生産とか提携してる農園とかもある。今後の展開も見据えれば融資してくれるところは悩まずに済むだろう」
「農協は?」
「もちろん農協でもいい」
「俺たちにはまだ会社としての実績が皆無だ。むしろ農協以外がバックアップしてくれるとは思えないんだけど……」
「伝手はないことはない、な」
莞爾の感覚と孝一の感覚は当然違う。孝一は金を貸す側の人間だったのだ。実績については承知しているが、ある意味貸す側の感覚が抜けきっていない。
しかし、莞爾からすれば現段階での後ろ盾は農協一択なのだ。孝一の提案は会社が軌道に乗ってからだ。
孝介が口を挟む。
「農協だったら出す分は出してくれるはずだよ。ある意味我々にとって農協は一番信頼できる」
ある意味、というのは皮肉だったのかもしれないが莞爾としても頷ける。
そもそも農協の収入源のほとんどは農業以外だ。信用事業と共済事業。この二つが収入源のほとんどを占めている。農業関連の収入は微々たるものだ。
そもそもの母体の関係でもあるが、農協は比較的農家に優しい。
農業における資金の流れや経営的問題は農協が一番熟知しているのだ。多少の懸念は中長期的な視野で無視したり、あるいは補助事業などを提案したりと(場所によるが)かなり親身になってくれる。ある意味ではそれ故に厳しい。
「まあ、専業ほど農協から遠ざかるってのも道理ではあるけど……」
莞爾はひとつぼやいて嗣郎に視線を向ける。農協と縁が深いのは嗣郎と孝介だ。莞爾も当初は世話になったが、今となっては預金と保険ぐらいしか世話になっていない。
嗣郎は重たい口を開く。
「農協じゃろうて。わしらの知己も多い。委員会にも話が通りやすい。何かと恩は売ってあるんじゃ。むしろあれこれ手を焼いてくれるんじゃなかろうか」
あくまでも希望的観測ではあったが、長年農協と取引を続けてきた老百姓には確信がある。
孝介も頷けるし、莞爾もまんざらではなかった。問題があるとすれば農協に今まで全く縁がなかった孝一ぐらいだ。
そのあたりは感覚がやはり違うのだろう。
「ひとまずは会社を立ち上げて、その後に農協から融資してもらうって流れかな。ああ、先に2町確保して、だけど」
嗣郎も孝介も異論はない。孝一も少し考えたものの自分の方が焦っていたのだと理解して納得する。
「いやはや、こうなると平太には頑張ってもらわんとなあ」
嗣郎ももう先月の二の舞を踏めないし、孝介も心臓が悪いので医者から小言を仰せつかっている。若手は莞爾と孝一で、孝一は経理と事務があるし時期によっては人手の数に入れられないこともあるだろう。そうなればやはり十代の若々しい男手は確かにありがたい存在だった。
問題は、平太が本当に莞爾に課せられた試練を乗り越えられるかどうかだ。
***
帰宅した莞爾をクリスは笑顔で出迎えた。
盛り上がってしまいつい話し込んでしまったが、午後七時半でありそこまで遅れてはいない。
「悪いな。予想よりも長くかかった」
「別によいぞ。私も時間をかけてゆっくり用意できたからな」
食卓に並べられたのはスミ江仕込みのハンバーグだ。どちらかといえばつくねのような代物だが、刻んだレンコンが混ざっており食感も面白い。レンコンのすりおろしも少量加えられているおかげで少しふわふわとした柔らかさもある。
二人で手を合わせて食事にありつく。
クリスはいつも通りで、昼間のような違和感はどこかへ消えている。
莞爾は首を傾げそうになりながら味噌汁を啜った。
副菜には白菜と油揚げのさっと煮、それからスミ江からもらったひじきの煮物がある。
どれも美味しく食べられるのだが、クリスの顔を見るとどうしてかもどかしく感じる。
自分の感覚がおかしいのだろうか、と莞爾は咀嚼しながら考える。
いつも通りの笑顔で食事を楽しんでいるクリスを見てホッとする反面、何かを隠されているような、あるいは自分とは隔絶した何かを抱え込んでいるような、そんな気分になる。
食事を済ませた後で、莞爾はクリスの淹れたお茶を飲んで外に出た。
タバコを吸いながら風呂を沸かす。
久しぶりに土間からクリスの鼻歌が聞こえてきて、いよいよもって莞爾は我が身の不甲斐なさを痛感した。
「まさか俺の思い込みってわけじゃないよな……」
本当はクリスもとくに思うことはなかったのか、それともすでに精神的整理がついた後なのか、と思考が巡る。考えたって聞かなければわかることではない。
「男なら裸の付き合いってのもあるけど……裸の付き合いねえ」
好意を寄せ合う男女の裸の付き合いといえば想像できるのはひとつしかない。
むしろ熱情に足下をすくわれるような行為こそ莞爾は避けたかったのだが、もしかしたら劣情に身を任せてしまった方がずっと楽なのではないかとも思える。
けれど、それではいけないのだ。
莞爾は大人で、クリスは十八歳なのだ。おまけに日本どころか地球の人間ではない。そもそも共有できる文明・文化という前提がない。
本当に二人を繋いでいるのは、ただただ「情」でしかないのだ。いっそ明確な関係を模索した方が建設的だと考えるのも仕方がないことなのかもしれない。
「……迷惑かな。まあ、周りに迷惑かけるのは今に始まったことじゃないか」
莞爾は何か覚悟を決めた表情で立ち上がった。




