1月(4)若人の憂鬱
お待たせいたしました。
穂奈美から連絡があったのは、一月も下旬にさしかかる頃だった。
翌日には嗣郎から頼まれたニンジンの収穫もある。スミ江とクリスを含めた三人でするつもりだった。
莞爾はちょうど昼食の後で外に出ていた。
「ずいぶんと遅かったな」
『ちょっと調整に時間がかかったのよ』
受話器の向こうからかすかなため息が聞こえた。
「それで、クリスには何を協力してもらうんだ?」
『まあ、いろいろとね。基本は魔法の実験かしらね』
「ふーん……それで、一緒にいてくれるんだろ?」
『それはもちろん』
であるならば、嗣郎の見舞いに行ったときのようなことにはならないだろう。
莞爾は「わかった」と告げて日時を尋ねた。すると穂奈美は気まずい様子で言う。
『悪いんだけど、一週間ぐらい協力してもらいたいのよね』
「一週間……また長いな」
『これでも詰め詰めのスケジュールなのよ。本当は二、三ヶ月時間をかけたいけど、そういうわけにもいかないからこうして時折頼むことになったんじゃないの』
クリスの意思を無視してよいのならば、研究施設に缶詰めにもできたのだろう。けれど、国側にはそのような思惑はなく、むしろクリスの協力的な姿勢を保つために遠慮している節があった。
実際には持て余しているというところだろうか。未だに益になる結果は得られていない。研究者側にも準備が足りなかったのだ。
『そういうわけで、今度は観測機器も増やして、実験項目も増えたのよ』
「それはわかるけどさ、くれぐれもクリスには無理をさせないでくれよ」
『わかってるわよ。別に急いでいるわけでもないし、予算の出所もあんまり口外できないもの。性急には進められないわ』
関係者を選ぶ時点で、すでに力を使い果たしたのだという。
『口の軽い人間が多すぎて困るわね』
「そんな愚痴は俺に言うなよ。もっとお偉いさんに言って法律でも作ってもらえ」
『しばらくは無理ね。つい最近もメディアが必死になって反対してたのよ?』
それはさておき。穂奈美は諸々の日程や次の定期検査を告げて、莞爾に謝った。
『離ればなれにして悪いとは思っているわよ。ごめんなさい』
どこかからかうような口調だった。莞爾はため息をついて「別に」とぞんざいに答えた。
『結婚式についてだけど』
「おう。そっちにも聞いといた方がいいだろうと思って待ってたんだ」
『別に好きにしていいわよ?』
「はあ?」
何かあるかもしれないと思って待っていたのに、こういうときに限って自由にしろとは勝手なものである。
『だって、結婚は個人の自由だし、そこにこちらがお金をかけるわけにもいかないじゃない』
「いや、金の問題じゃなくてさ」
『莞爾くんのことだから親族だけで挙式して、披露宴は小規模に抑えようってところかしらね』
「まあ、そうだけど……」
『みんな楽しみにしてるって言ってたわよ』
穂奈美は新年早々大学時代の友人に莞爾が結婚することをメールで通知していたようだ。莞爾は聞かされていないと抗議したがどこ吹く風だ。
『ねえねえ、やっぱり挙式はチャペル? でもクリスちゃんって見た目はあれだけどキリスト教じゃないものね。だったら神前式? 最近は人前式ってのもあるから、いざってときにはそれもできるわね』
「落ち着け。まだ何も決めてねえよ。あと、神前式しか考えてないからな」
『えー、クリスちゃんはそれでもいいの?』
「郷には入れば……だそうだ」
しかし、クリスにも信じる神がいる。日本の神様でよいのかと散々尋ねた結果が「私はサエキ家に嫁ぐのだから、貴殿に任せる」という返答だった。結婚式といえば普通は一生に一度しかない。 莞爾はそんなものか、と釈然としない思いもあったが一応は納得した。ただ、莞爾の提案を受け入れたときのクリスの様子を思い出すと、何かひっかかるところがあった。
「まあ、先の話だな。色々俺も忙しくなりそうだし」
『式場と会場は早めにとっておかないと埋まるわよ?』
「式場はともかく、会場は市内のホテルにするつもりだよ。今月は俺も忙しいから、来月になったら色々回るさ。春は忙しくなるだろうし」
『春? ああ、なんかたくさん採れそうだものね』
「いや、収穫って意味じゃなくてさ。今度会社立ち上げるかもしれねえ」
『はあ?』
会社を立ち上げたその年に結婚?――穂奈美は思わず素で尋ねた。
『あんたなんば考えとっと!?』
莞爾は久しぶりに聞く九州の言葉に苦笑する。大学時代に交際していた頃は穂奈美の口から標準語を聞くことの方が少なかったぐらいだ。
『そげん甘かこと抜かしよったら路頭に迷うばい!?』
「頼むから標準語で話してくれ。笑ってしまうから」
受話器からは大きな咳払いが聞こえた。
「とにかく」と強調して言う。
『収入面で困らせるようなことだけはしないでよ』
「そんなことは言われなくてもわかってる。まあ、クリスの場合小遣いさえ欲しがらないから安上がりなんだけどな……」
『ちょっと、お金渡してないの!?』
好きで渡さないわけじゃない。クリスが自分から言い出したのだ。
「もらっても使い道もないからって聞かないんだよ。いずれ欲しいものが見つかるかもしれないから、一応口座は別に作ってそっちに貯金してる」
クリスは体裁としては住み込みのアルバイトということなので、一応は給与もある。所詮はアルバイトの域を出ないが、衣食住は莞爾の財布便りなのでまったく困っておらず、大学生の小遣い程度の給与を毎月貯めている。四ヶ月にもなればそこそこのお金になった。
『そう。そういうことならいいけど。まあ、結婚しちゃえば共同の財布になるからいいのかしら』
個人事業主と会社員とでは、そのあたりのやり方も変わってくる。仮にクリスを外国人技能実習生として受け入れる場合、こんなに簡単にはいかない。あれこれとニュースを騒がせることも多いが、それなりの売り上げがないと実習生を受け入れるのも難しい。別途住居の提供や法令の遵守はもとより多忙な中で「技能実習」を念頭に置かねばならない。雇用側も人手を得る代わりに出費を強いられ、かつ教育しなければならない。
元も子もないことを言えば、言葉の伝わらない人間に仕事を教えるのは非常に難しい。また、外国人という性格上、文化の違いから予想もしていなかった問題を引き起こすこともある。また、国民性の違いによって日本人には理解できない行動も多い。
そのような問題を多く孕みながら、どうして外国人技能実習生を受け入れるのかと言えば、そうせざるを得ない状況ないしそれによって得られるメリットがあるからに他ならない。単純な人件費だけで言えば、日本人を雇った方が安上がりなのだが。
電話を切った後、自宅に帰ってクリスに尋ねると彼女は簡単に穂奈美の提案を了承した。
「私も迷惑をかけておるのは自覚しているのだ」せめてできる限りの協力は惜しまないとクリスは言った。
「まあ、その前に定期検査もあるけど」
「うーむ、あれか」
「やっぱり病院は怖いか」
「……少し、な。だが、すぐに終わる」
穂奈美によれば、莞爾の定期検査は四月で終わる。半年間の観察で済むそうだ。しかし、クリスは一年ほど様子を見るのだという。クリスが病院を怖がることは穂奈美にも伝えてある。なんとかクリスに安心して検査を受けてもらえるように工夫するのだという。
「それに実験の方は案外面白いからな」
思い出したようにくすくすと笑うクリスに、莞爾は首を傾げた。あまり詳しく聞くのも悪いかと思って黙っていたが、少し興味が湧いた。
「どんな実験してるんだ?」
するとクリスは意外そうに目を瞬かせて苦笑する。
「別に大したことではない。的に向かって軽い魔法を放つだけだ。何やら観測器具とやらが大量に並んでいるから、あまり集中はできぬがな」
実は、魔力の正体を未だにつかめていない。観測できる数値はあるが、物理現象としての数値であって、何か特別な力が働いていると断言できる数値ではないのだ。ある程度の仮説を立てて観測をしているものの、そんなにすぐにわかるわけもない。
莞爾は適当に相づちを打って仕事に戻った。
***
瓜生という男は中々気の利く男だった。
嗣郎からは出荷だけ頼まれていたはずなのに、約束の日には朝早くからやってきており、収穫を手伝ってくれた。その上、伝手を頼って収穫機も軽トラに乗せてきていた。都合上二台の軽トラになり、片方には幌がついている。
挨拶をして、瓜生はもう一人連れてきた男を紹介する。瓜生の伯父で、元農協職員なのだという。
「いやあ、助かりますよ。手作業で収穫するところでしたから」
「あはは、さすがに人手が足りませんよ」
収穫機があれば、数日に分けて作業する必要もない。今日の午前だけで全部終わらせて後は出荷を頼めばいい。収穫機自体は瓜生の伯父の所有物だそうだ。ニンジン農家なのだという。
「伊東さんには長らくお世話になってますから」
瓜生はまだ若い。二十代後半に見える。短髪に精悍な顔つきで、黒縁の眼鏡がよく似合っていた。
「うちの伯父がこいつ回すんで、僕らは追随してコンテナだけ入れ替えていく感じですね」
「了解。本当に何から何まで申し訳ないですよ」
「あはは、別にいいですよ。それに佐伯さんは年上でしょう? そんなに畏まった風にされちゃあ僕もやりにくいですし、どうぞもっと砕けてくださいよ」
「それじゃあ、お言葉に甘えようかな」
瓜生は頼りがいのある雰囲気だったが、同時にかわいい後輩のような雰囲気もあった。なるほど嗣郎が頼りかわいがるはずである。
機械があるならば、とスミ江とクリスは収穫に参加させなかった。
老齢な男が慎重な動きで機械を進め、アームに引き抜かれたニンジンがベルトコンベアで機内を流れ、茎葉をカッターで切り落とされる。そうして付着している泥が落とされた状態でコンテナの中に放り込まれていく。
「うわっ、これ欲しい!」
莞爾は思わず言った。収穫機は収穫だけでなく茎を落とし泥まで払ってくれる。これであとは包装するだけで済む。デリケートな野菜は手で収穫するが、そうでない場合は機械化が進んでいる。
「あれ? 初めて見ます?」
「ニンジンのは初めてかな。いくつか見たことあるけど、北海道でジャガイモのやつ見たときはびっくりしたよ」
「あれも大きいですよねえ」
「こっちは大きさはないけど、結構高性能だなあ」
「高いですよ?」
「だよなあ……」
農業機械は総じて高いものである。
嗣郎の畑は管理方法が古い割にかなり整理されている。そうでなければ機械での収穫時にその都度微調整が必要になる。これについては嗣郎もよくよくセミナーなどで語っているのだと瓜生は言う。できる限り均一に成長させるためには均一化された土壌、形状、条件が必須だ。
「伊東さんって結構いいかげんなところあるじゃないですか。でも畑のことはめちゃくちゃ几帳面なんですよね」
「あー、そうだね。四角四面にできてないと気に入らないタイプだし」
そうして作業を進めていくと、案の定形の悪いニンジンがいくつか出る。それらは商品にできないので、捨てるか自家消費するかになる。
一通りの作業を終えて、瓜生の伯父は軽トラに収穫機を載せて帰っていった。口数の少ない男だったが、にこにこと人当たりのよい雰囲気のする男だった。
ちょうど伊東家の納屋にコンテナを運び終えたところで、スミ江が顔を出す。
「もうお昼時だから、お昼ご飯にしましょうかねえ」
瓜生は遠慮したが、せっかくだと莞爾が説得して座敷に通してもらった。
出されたお茶を飲みながら待つ間、二人は適当に仕事の話をする。年は少し離れているがそこは若手農家の範疇である。自然と話は弾んだ。
聞けば、瓜生の方が就農期間は長く、大学卒業からすぐに農家になったらしい。
「農大でずっと勉強ばっかりしてたんですよ。研修とかもちょくちょくあったんで、いざ農家になっても大丈夫だって思ってたんですが、まあ勉強と現実は大いに違いましたね」
「なるほどなあ。俺の場合はいきなり現場で試行錯誤しなきゃならなかったから、そういう感覚はなかったなあ」
「じゃあ、研修センターとか?」
「行った行った。最初の一年は色んなところにお世話になったよ。下手に大規模なところに行くと参考にならないことが多くてね」
機械化が進みすぎた農園などでは、どうしても莞爾の条件に見合うことがなかった。農家も千差万別である。自分と同条件の農家が少ないことを考えれば、つまりは最初からハードモードというわけだ。
それでも中には高単価の作物で成功している小規模農家もいる。しかし、その価値を生み出すための経費を考えると、あまり気が乗らなかった。
湿度や温度を徹底管理する場合、必然的に燃料費や維持費、その他諸々の経費が高くなる。結局フローはそこまで大きくならない。それに、ハウスはハウスで露地栽培にはない問題も多くある。一概にハウス栽培にすればいいということでもない。
「瓜生くんは何育ててるんだ?」
「トマトですよ、トマト」
「へえ、うちも去年シシリアン・ルージュ育ててたよ」
すると瓜生は辟易した視線を向ける。
「あれも手間が多かったでしょう?」
「まあ、ねえ。わき芽が凄かったし、ちょっと放置しただけでぼとぼと落ちるからね」
莞爾は苦笑して瓜生に尋ねる。
「で、どんなトマトを育ててるんだ?」
「メインはフルーツトマトですよ。トマト馬鹿って言われてます」
瓜生は苦笑して自虐気味に答えた。
フルーツトマトは名前の通り、果物のように甘いトマトのことだ。単価は高いがその分管理も大変だ。
「まあ、僕も小規模でやってるんで、単価低いトマトじゃ勝負できないんですよ。数揃えられませんもん」
瓜生の場合、ちょっとした贈答用果物のように、箱詰めして販売している。一箱二千円ほどである。それでももっと高いフルーツトマトもある。
「箱もデザイナーさんにデザインしてもらって、素材も普通じゃないんですよ。それで少量出荷なんで、まあトントンですね。なんとか食っていけるって感じですよ」
今は飲食関連の展示会などで、高級レストランやホテルなどを中心に販売先が着々と広まっているという。他にも都内の高所得者向けスーパーなどでも販売されているようだ。
「まあ、売り上げのほとんどは設備投資に回ってますからね。全然儲かりません」
莞爾は地道に足下を固めていくやり方だが、瓜生は比較的現代的な事業展開をしているようだ。莞爾も少しばかり羨ましいと感じる部分はあるが、条件が違いすぎるので聞き流している。
そうこうしているうちに、スミ江がお盆に料理を載せて持ってきた。後ろにはクリスもいて、彼女を手伝っている。
「はいはい、なーんも美味しいものはないけど、お召しになって」
スミ江は謙遜して言うが、瓜生はそれどころではない。
三山村という辺鄙など田舎に、どうしてクリスのような金髪碧眼の美女がいるのか意味がわからなかった。しかも割烹着を着ているではないか。まさか伊東家に世話になっているのだろうか。
「どうした、瓜生くん?」
「え、あ、いや、その……」
狼狽えている瓜生を見て、莞爾はようやく理解した。手招きでクリスを隣に座らせて言う。
「こっちはクリスティーナ・メルヴィスさん。まあ、なんというか、俺の嫁さん」
瓜生は「あ、そうなんですか」と一度納得したものの、すぐに全力で突っ込んだ。
「いやいやいや、おかしい! おかしいにもほどがあるでしょう!?」
確かに莞爾には馴染みやすさがあった。付き合い難い感じはしない。けれども、だからといって外国人を嫁にするだなんて意味がわからない。
「留学してた、とかですか」
「いや、駅前留学すらしたことないよ」
「じゃ、じゃあ、大学で出会ったとか?」
「いや、うちを訪ねてきたのが彼女」
「……理不尽だ」
瓜生は天井を仰いだ。
「えっと、クリスティーナさん、でしたっけ?」
「うむ。そうだぞ。ウリュウ殿でよかったかな?」
「ふおおおおっ!」
瓜生が驚いたのはクリスの口調であった。まさかこのような口調でしゃべる外国人がいるとは思いもしなかった。関西弁でしゃべる外国人などはまれに聞くが、まさかこんなに漢勝りな口調でしゃべる外国人がいるとは想像もつかなかった。
「な、なんていうか、すごい、ですね」
「あ、うん。なんか、すまん」
莞爾もいきなり奇声をあげる瓜生にドン引きである。
瓜生は思い出したように尋ねた。
「でも、苗字変わってないってことは、結婚はまだなんですか?」
「うん。今年の夏頃に考えてる」
「はー、そうですか。それはそれは、おめでとうございます」
どこか棘のある口調だったが、莞爾は苦笑しつつ素直に受け入れた。
「これはどうも」
それから四人で昼食をとる。昼食はスミ江の手作りで、クリスも手伝っている。
「どれも美味しいです」と瓜生は若い男らしくぱくぱく食べた。肉体労働なので腹が減るし味も濃い方が好きだ。
それまで世間話ばかりしていたが、スミ江が爆弾を放り投げた。
「瓜生くんは結婚は?」
瓜生の箸が止まる。静かに茶碗の上に箸を置いて、小さく頷いた。
「まだです。まだなんです」
悲しみのこもった声である。莞爾に向ける視線にはどこか恨みがこもっているようにも見える。
「僕も来年三十ですから、そろそろ結婚したいんですが、相手がいないんですよ」
「あらまあ」
「婚活もしてるんですけどね。中々難しくて」
どちらかと言えば瓜生はイケメンである。しかしながら、農家というレッテルだけで女性は遠ざかってしまうのだと言う。
五十年も遡れば、田舎では結婚は親の決めるものという色合いが濃かったが、今は違う。そもそも結婚適齢期の若者が少ない上に、その少ない若者がどんどん外に出て行ってしまう。
瓜生は比較的都会に近い場所に住んでいるが、それでもやはり結婚は難しいのだという。もともと農大から直接就農したため、女友達も少ないらしい。いたとしても婿が欲しい女性がほとんどだそうだ。
「瓜生くんは長男なんだ?」
「いや、次男ですよ。でも、僕は僕でやりたい農業があるので、婿に入るとその家の土地を耕さなきゃいけないじゃないですか」
「まあ、そうだよなあ」
しかしながら、配偶者がいないからこそ、瓜生は事業展開に挑戦的でいられるのだともいう。
「個人事業主のつらいところですね。自分一人でなんとかなる分、プレッシャーがないというか」
「最悪自分が食えるだけの金があればってなるもんなあ」
「そこですよねえ。一人だからこそ仕事も好き勝手やれるのはありますよ」
瓜生も一応は交際したことがあった。もっとも高校生のころだったらしい。
「一緒に働いてほしいとか考えたこともないんですけど、やっぱりそういうイメージがあるみたいで、知り合い以上にはなれないですよ」
「紹介できる人がいればいいんだが、俺もろくすっぽ知らないからなあ」
大学時代の女友達は軒並み結婚しているし、残ったのは穂奈美くらいだ。
「婚活サイトもね、両極端ですよ。若い子からいい反応があったと思ったら、食事だけ奢らされて終わりなんてよくありますし」
実際、婚活サイトで二十代前半の女の子はその手の類が多い。仕事一筋で割り勘なんて頭にない男は浮かれてちょっとしたレストランなどで食事を奢るのだが、その後音沙汰なく忘れられる。よくある話である。
そうかと思えば、年上の女性から執拗なまでに猛アタックされる若人もいる。下手に高年収をさらしてしまうと、玉石混淆、望むと望まざるとに関わらず、色んな女性から言い寄られる。まさに婚活サイトは魔境である。
「三十代前半の女性とか多いですね。そんで、農家だって打ち明けると『スローライフって憧れます!』だなんて言い出すんですよ。なんていうか、映画やドラマの世界で生きているとでも思ってるみたいで、ちょっと引きますよね」
「あー、わかる。わかるわ、それ」
莞爾も思い当たる節はあった。
「でしょ? 愛犬と一緒にほのぼの過ごして、仕事がない日は毎日のんびりしてるとでも思ってるんですよ。仕事がない日なんてそもそもないでしょ?」
「うん。わかる。わかるぞ」
「農家を知ってる女性はそもそも近寄ってきませんからね。僕が農家だと知って寄ってくるのはスローライフに夢見てる人ばっかりですよ」
瓜生のため息は深い。
「最近はひどいのも増えてるんですよ」
「ひどいの?」
「ええ、なんか有機栽培に憧れてるみたいで、自給自足、継続可能な農業で子どもたちによりよい未来を、みたいなどこぞの雑誌の謳い文句を言い出す人がいるんですよ」
「それは……ひどいな」
瓜生は大きく頷く。心底疲れ切った表情だ。
「自己啓発セミナーに触発されたような感じですね。もう婚活なんかじゃないですよ。あなたはどんな農法をしていますか、それは未来に向けた云々、とてもじゃないですけど相手にする気になりませんって」
そんなに熱意があるなら一人で勝手にやってくれ、と言いたいところである。
莞爾もその手の人間とは度々会ったことがある。それどころかそういうセミナーに二度ほど顔を出したことがあった。一度目は何かの間違いだろうと思い、二度目は途中で帰り、それ以降見向きもしなくなった。
彼らが言う「有機農法」は単なる手法ではなく思想的な響きを持っている。農家の生産手段ではなく、人間としての生活スタイルにまで及んでいる。莞爾にはまったく理解できないし、するつもりもない。
俯瞰的な視野で農業の在り方を説く人は大勢いるが、そうではなく個人の生き方に落とし込む人もいる。自己完結する在り方がどうして子どもの未来につながるのか、莞爾には疑問でしかない。
気を取り直して瓜生が尋ねた。
「それで、どうして佐伯さんはクリスティーナさんと?」
莞爾は苦笑して言う。
「いや、まあ困ってるところを助けたのが縁でね」
「はー、いいなあ、いいなあ! 僕も道角で女の子とぶつかりたいですわ」
なお、曲がり角でぶつかるほど視界は狭くない田舎である。一時停止の道路標識が税金の無駄遣いにしか思えないぐらいだ。
昼食を終えたあと、総出でニンジンを包装する。午後から始めたが今日中には間に合わないので、ある程度を先に瓜生に託すことになった。
「まあ、機械も一台ですし、仕方ないですよ」
瓜生は明日と明後日も取りに来てくれるという。嗣郎から頼まれたとはいえ、さすがに礼金を渡さねばならないだろう。
軽トラの荷台に箱詰めしたニンジンを載せ、適当に挨拶をしたところで瓜生は帰った。
見送ったあとでクリスは苦笑する。
「中々明るい男だったな」
「嫌いか?」
「まさか。いい男ではないか」
「へえ」
とくに意味はなかったのだが、自宅に帰る道中でクリスは完爾の腕をつかむ。
「まさか妬いているのか?」
莞爾は噴き出すように笑って否定した。
「まさか。そんなことぐらいで嫉妬なんてするかよ」
「む、むぅ……」
クリスは少しだけ残念そうだった。




