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茄子と自家製ベーコンのトマトパスタ

 収穫した野菜の入ったコンテナを荷台に乗せて、莞爾はそのまま家とは反対方向へと軽トラを走らせた。


 クリスは首を傾げた尋ねた。


「家は反対側ではなかったか?」

「ああ。すぐに出荷しとこうと思ってな。八尾さんって人が仲買してるんだけど、自前の倉庫持ってるんだ。小さいけどな。で、時間的には遅いんだけど、今から出荷して、レストランのランチ後の仕込みには間に合うって寸法だな」

「そんなに急がなくても、今日明日で傷むわけでもないだろうに」

「そりゃあ傷みはしないけどな。野菜は基本的に収穫した瞬間から如実(にょじつ)に鮮度が落ちていくんだ。まあ根菜の一部はそうでもないし、早めに収穫して追熟(ついじゅく)させるのもあるけど、基本はそんな感じだ」

「なるほど。できるだけ採れたてを届けたいと」

「そういうこと」


 数日毎に一回、まとめて収穫して納品してもいいが、仲買が少量でもいいから採れたてを届けたいと言うのだ。莞爾としてはその心意気に賛同している。


 本当は朝一で収穫したものをランチに間に合わせたい気持ちもある。けれども、さすがに仲買の八尾はそこまで手が回らないようだ。


「こっちの方は民家も多いな」

「まあな。とはいえまだここも三山村だぞ」

「三山村?」

「ああ、この辺りの地名が三山だ。三つの山に囲まれてるから三山。安易だろ」

「地名とはそんなものだろう」

「それもそうだな」


 確かに田舎の地名というのは総じてそういうものだ。


 さらに山を降りていくと二十分ほどしてようやく平地に出た。


「大地が青々としているな! 小麦か!?」

「いいや、米だよ。朝に食った白飯、あれだ」

「なるほど……ん?」

「どうかしたか?」


 農道の左側に寄せて軽トラを停めて尋ねると彼女は田を指差して不思議そうに尋ねた。


「どうしてコメが生えているところだけ(くぼ)んでいるんだ?」

「ああ、なるほど。小麦とは違うから気になったのか」

「うむ。小麦は水はけがよくないとダメだと聞いたことがある」

「そうだな。でも、米の場合は違う。陸稲(りくとう)栽培なんかもあるが、基本的に水田って言って水を張った田に苗を植えるんだ」


 クリスは想像がつかないようだ。田からはすでに水が抜けているので余計にイメージしにくいのだろう。


「……変わった栽培方法だな」

「まあ、小麦と比べるとそうかもな。でも水田は地力も減りにくいから、連作障害が起きないんだ。まあ、厳密に言うとキリがないんだけどな」

「ほうほう」


 また軽トラを走らせていく。今度は建物が増えて目を輝かせていた。


「すごいな。異世界などと馬鹿げた話だと思っていたが、建物を見ると納得できる」

「だから言っただろ。ここはエウリーデ王国なんかじゃないって」

「……そのようだな」


 一瞬暗い表情をしたクリスだったが、鉄筋コンクリートの建物が増え始めてまた興味深そうに視線を彷徨(さまよ)わせていた。また失言をしたと莞爾は後悔したが、クリスはあまり気にしていないようなので次からは気をつけようと思った。大して役に立たない気配りである。


「よし、ここだ。すぐに終わるから車の中でおとなしく待っていろよ」

「むぅ……私も異世界をもっと知りたいのだが」

「質問されたら面倒じゃねえか。クリスさんのことを何て言うんだよ」

「友人とでも言っておけばいいではないか」

「……ど田舎の独身農家に欧米人の友達なんて普通いねえよ」


 結局、クリスの願いは聞き届けられなかった。


 大人しく助手席から莞爾がコンテナを台車に乗せて運んでいるところを傍観(ぼうかん)した。

 見たこともない建物だ。

 配送用の軽トラが二台停まっているが、冷蔵庫のついた車両で、クリスは同じものか違うものなのかよくわからなくなった。


 倉庫と思しきところに消えていった莞爾だったが、ほどなくして中年男性と一緒に戻ってきた。


 何か仕事の話をしているのだろう。莞爾は胸ポケットからメモ帳を取り出してさらさらとペンを走らせていた。


「むぅ。高価な紙をあんな風に使うとは……家計は大丈夫なのか?」


 クリスはメモ帳が百円もあれば買えることを知らない。


「あの男がヤオ殿だろうか。ふむ……色々と苦労しているのだな」


 確かに莞爾と喋っているのは八尾で間違いなかったが、頭頂部に髪がなかったのでクリスは苦労性の男なのだと勝手に決めつけた。


「むっ、見られているな……挨拶に行った方がいいのだろうか。いや、しかしカンジ殿からは大人しくしていろと言われたし……」


 どうするべきかと悩んでいると、二人の会話の方が終わったようだ。


 すぐに軽トラに戻ってきた莞爾を出迎えて、クリスは「どうだった?」と尋ねた。


「どうだもなにも、いつも通りだよ」

「むぅ、そのいつも通りというのがわからないのだがな。ところで、さっきのがヤオ殿か?」

「そうだけど?」

「こっちを見ていたので気になったのだ」

「聞かれたから大学時代の友人だって言ったよ」

「大学? カンジ殿は大学を出たのか!?」


 食いつくところはそこなのか、と莞爾は意外に思った。異世界に大学があること自体不思議だった。


「まあ、今時猫も杓子(しゃくし)も大学行ってるからな」

「しゃ、杓子はさすがに在籍できないと思うが、猫もいけるのか……すごいな、ニホンの大学は」


 慣用句を使っただけなのに理解してもらえないのは中々辛いものがある。


「いや、猫も杓子もってのは誰でもって意味だよ」

「あ、ああ、そうなのか。ならばそう言ってくれ。異言語翻訳は基本的に慣用句まではあまり意訳してくれないのだ」


 そこまで優れた代物ではないらしい。それでも十分に実用的だが。


 莞爾はキーを挿し込み小さく息を吐いて言った。


「さて。ちょうど帰ったら十二時前だな。昼飯にしよう」

「うむ。私も手伝うぞ」

「腕に覚えが?」

「十二歳で騎士学校に入ったが、それまでは母上にみっちりと仕込まれたからな。伯爵家といえども女である以上は家事炊事洗濯はお手の物だ」

「へえ、騎士だっていうからてっきり料理はできないのかと思った」

「むっ、し、失礼だな。まあ、確かにしばらく料理はしていないが、(かまど)の火の調整ぐらいならば心配はないだろう?」

「……竃か。そうか。竃か」


 莞爾は異世界と日本の文明の格差を嫌という程に思い知った。



***



「カンジ殿。竃はどこだ。そういえば今朝に覗いたときも竃の火が見えなかった」


 古い家なので台所は土間である。


 昔は竃もあった。しかし、莞爾が生まれたころにはすでにプロパンのガスコンロがあった。


「これが竃の代わりだ」


 莞爾はガスコンロに火をつけて見せた。


「おおっ! これは魔導バーナーではないか! ニホンにもこれがあるとは!」

「いや、魔導バーナーってなんだよ。これはガスコンロだ」


 使い古した二口コンロである。


「言っておくけど、こっちの世界には魔法で動く機械や道具なんてないぞ。全部科学で制御されてるんだからな」

「カガク?」


 クリスが首を傾げて、莞爾はため息を漏らした。


「そこからか……まあ、なんだ。物を落とせば地面に落ちるだろ。火に油を注いだら燃えるだろ。そういう森羅万象(しんらばんしょう)の道理を研究する学問のことを科学って言うんだ」

「森羅万象にも魔法があるのだが……意図するところは、魔法の介在しない学問のことだな」

「まあ、それでいいんじゃねえか?」


 莞爾にはよくわからないが、クリスからしてみれば自然界も魔法の溢れた世界である。科学という学問がよくわからなかった。


「そういうわけだから、薪を()べる必要がない」

「むぅ、残念だ」

「拗ねるなよ。野菜を切るぐらいならできるだろ?」


 まな板を出して包丁を持たせてみると、クリスは包丁に驚いた。


「これは良い包丁だな……」

「和包丁だな。日本で古くから使われているやつだ。高かったんだぞ」

「そうだろうな。見ればわかる」


 騎士は刃物の目利きもできるようだ。莞爾は自分が気に入っているものを褒められて少し嬉しかった。


 寸胴鍋と小さなホーロー鍋に水を張ってコンロにかける。


「……カンジ殿」

「今度はなんだ」

「今どこから水を出したのだ?」

「どこって蛇口からだ。ほれ」


 蛇口をひねって水を出すと、クリスはまたもや驚いた。


「ほおー、もしやこの先端部分に水魔法の魔法陣が——」

「だから魔法は使われてないんだって」

「あ、そうだったな。失礼……だが、すごいな。魔法を使わずにこうして水が出てくるとは、私にはとても信じられない」

「まあ、色々仕組みがあるんだよ。俺も詳しくはないけどな」

「大学を出たのに、か?」

「大学は経済学部だったんでね」


 クリスは首を傾げたが、莞爾は面倒なので説明しなかった。クリスにとって大学に在籍するということは様々な学問に精通した研究者であることを指していた。そもそもの大学という定義が異なっていた。


 結局クリスは莞爾の後ろで作業を見守ることにしたようだ。


 まずは収穫したシシリアンルージュとサンマルツァーノを湯剥きして、水気を切っておく。寸胴の水が沸いたら塩とオリーブオイルとパスタの乾麺を入れ、湯剥き用のホーロー鍋の代わりにアルミパンを出し、オリーブオイルをたっぷりと注いで弱火で熱する。


 にんにく一欠片をみじん切りにしてアルミパンに放り込み、鷹の爪をふたつ砕いて種ごと入れた。


 香りを出す間に近くの養豚場から貰った自家製ベーコンを角切りにしてアルミパンに入れる。


 軽く焼き色をつけ、水に晒しておいた乱切りの茄子を入れ、皮の色が変わるくらいに火を通したらすぐに湯剥きしたトマトを入れる。


 中火で煮立たせながらヘラでトマトの果肉を崩し、塩を加えて味を調える。


 時間通りに茹で上がったパスタをザルにあげて皿に盛り付け、その上からアルミパンの中身をかけて完成だ。フライパンでさらに調理するなんて真似は莞爾にはできない。


「うっし、出来上がりっと」

「……良い匂いがするな」

「だろだろ! 素材がいいから……どうしたんだ。そんなに暗い顔をして」

「なんでもない」


 まさか自分よりも手際が良かったなどとは絶対に言えない。


 食卓にフォークと一緒に運んで二人とも座るや、莞爾は「いただきます」と言った。よほどお腹が空いていたようだ。


 フォークで器用にくるりと巻きつけて口に運ぶ。


「うん。間違いない」


 クリスは日本にも麺料理があることに少しだけ喜んで、同じように「いただきます」と言ってフォークを手に取った。


 焦げ目のついた角切りのベーコンも気になるが、それ以上に油を吸った茄子が美味しそうだ。


 フォークで刺せば驚くほどするりと刺さった。皮はひっかかりを覚えるが、果肉はとろりとしている。


 おそるおそる口に運んで、口元を押さえて声にならない叫びをあげる羽目になった。


「んーっ! んんーんっ!」

「きゃーっ、うまーいってか?」


 莞爾が得意げにアテレコするとクリスは必死に何度も頷いた。


 何と言っても格別なのはトマトの味だ。生で食べたときはわずかに青臭さがしたのに、火を通したことで純粋に旨味が増している。程よい甘みと酸味がにんにくと唐辛子のパンチをやわらかくまとめあげている。


 それに加えてこのベーコンだ。豚の旨味が凝縮していて、トマトソースにベーコンの塩味と旨味が移っている。そのベーコンの脂とトマトの旨味が茄子に沁み込んでおり、噛むとじゅわりと溢れてくる。


 はっきり言って不味いわけがない。


「……はあ。こんなに美味しいものを食べたのは久しぶりだ。朝餉も美味だったが、これはそれ以上だな」


 莞爾は「そうかあ?」と少々悔しい思いをした。どちらかといえば和食の方が好きなのだ。手間をかけたのは朝食の方である。しかし、自分の育てた野菜を美味しいと言って食べてくれるのは嬉しくて仕方ない。


 クリスはパスタをくるりと巻いてパクパクと食べた。茹で加減はあまり気にならないらしい。異世界にも似たような料理があるようだ。フォークの使い方は莞爾よりも断然上手い。


「このベーコンも美味しいな」

「それ美味いよな。今日通った道の途中に養豚場があってさ。そこから貰ったんだ。自家製ベーコンってやつだな」


 ベーコンは脂身が多いが、豚特有のしつこい感じがしない。さっぱりとしていて甘い脂だ。


 だが、クリスも高級な食事は幾度(いくど)となく経験しているからこそわかるというものだ。このパスタの主役はベーコンでも茄子でもなく、やはりトマトなのだ。


 ふとした拍子に暗くなる表情も、今ばかりは笑顔を崩せない。


 莞爾は少しだけホッとした。美味いものを食えば嫌なことや悲しいこと、辛いことも食べている間は忘れられるものだ。


 そうして一度忘れてから考えてみれば、ほんの少し前向きに考えることもできる。彼なりの人生訓だ。


「美味しかった……えっと、ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでした」


 二人ともぺろりと平らげて、一息ついた。

 莞爾はすぐに流しに皿を持って行き、それから食後のお茶を入れた。


「あっ……言ってくれれば私も手伝うぞ」

「気持ちは嬉しいけど、使い勝手もわかんないだろ?」

「それはそうだが……」

「クリスさんは今はお客さんなんだから変に気を回さなくていいんだよ。どうせもうすぐ呼んだやつも来るしな」

「そういえばご友人がいらっしゃるんだったな」


 莞爾の旧友である。外務省に勤めるサブカルチャーに詳しい人物だ。

 彼はお茶を(すす)りながら少し不安に思って前もってクリスに知らせておくことにした。


「えっと、その友人のことなんだけど、ちょっと変な奴なんだ。たぶん根掘り葉掘り色々質問されると思うけど、根は悪い奴じゃないから、あまり(とが)めないでやってくれ」

「うん? よくわからないが、カンジ殿のご友人に無礼な態度をとるつもりはないぞ」

「うん、まあ……頼むよ」


 正直、どう言ったものか莞爾にもわからない。


 オタクといえばオタクなのだが、本人にはオタクの気配がほとんどないのである。明るく無邪気な性格をしているのだが、莞爾の前でオタクな要素を見せたことは一度もない。


 “彼女”曰く、世間から隠れてこそ「真のオタク」なのである。


「っと、来たようだな」


 外から車の音が聞こえて莞爾は徐に立ち上がった。


 続けざまに車のドアが閉まる音がした。


「莞爾くーん! いるー?」

「おー、いるいる!」


 土間でサンダルを履いて玄関を開けようとしたが、それよりも早く声の主が飛び込んで来た。


「早く女騎士に会わせて! くっころよ、くっころ! 生のくっころが見たいのよ!」


 莞爾は頭を抱えた。


 大学時代の旧友で、外務省の役人で、オタクで、ちょっと頭のねじがひん曲がった女である。


「あー、まずは久しぶりだな」

「そうね。久しぶりね。で、女騎士は?」

「……物事には順序ってもんがあるだろうが。っていうか、そのハイテンションをどうにかしろ」


 莞爾はクリスには聞こえないように彼女に耳打ちした。


「あれから色々聞いたんだ。どうもあっちの世界に帰る手段がないみたいで気を病んでる。そこんところちゃんと理解してくれ。できれば仕事モードで頼む」


 それを聞いて、彼女は「なるほどね」と先ほどまでの興奮はどこかへ消え失せたように平静を装った。


 伊沢穂奈美(いざわほなみ)。実は莞爾の元カノだったりする。

独身農家が主人公なので、料理の手順ややり方などは結構適当です。美味けりゃ細かいことはいいんです。ご了承ください。



16.11/19、修正。

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