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12月(4)二十日大根と彼女の……

大変お待たせしました。とりあえず序章のチェックが終わりましたので、ひとまず最新話を投稿します。

 たまたま作業中に煙草がないことに気づき、莞爾は家に戻った。


 ちょっとした休憩時にぷかぷかと煙を吐くのは、彼の嗜みであるし、別段周りに人がいるわけでもないので好き勝手なものだ。ただし吸い殻をポイ捨てはしない。


 軽トラでさっと戻ってまた畑に戻るつもりだったのだが、家に戻ると菜摘が来ていた。


 あの“事件”からも彼女は毎日来ているが、両親は現在東京に戻っている。けれど、菜摘は以前より寂しそうではない。今は毎日決まった時間に電話が来ているようだ。


 なにやらその指定時間の取り合いで夫婦喧嘩さえ起きているようで、以前とは違いずいぶん良い方向に変わったものだ。


 菜摘とクリスは楽しそうにプランターの中を覗いていた。指先でちょんちょんと二十日大根の葉先をつついて笑う二人の姿に、莞爾は思わず頬を緩めた。


「菜摘ちゃん、よく来たな」


 莞爾が二人の後ろから声をかけると、菜摘は膝を抱いたまま振り向いてにこやかな笑顔を彼に向けた。


「こんにちは、お兄ちゃん!」

「おう、こんにちは」


 二人のそばに歩み寄って、尋ねる。


「そろそろ収穫じゃないか? というか、あれから間引きとかしたのか?」


 二十日大根は種を筋蒔きにしているので、どうしても種が密集し、株間を取れないため、後から間引きする必要があった。けれども、クリスからは間引きをしたという報告も聞いていない。


 クリスは「うむ」と頷いた。


「間引きは言われた通りにしたのだ。カンジ殿は知らないかもしれないが、二人で洗って食べたのだぞ」

「そうだったのか。それで、美味しかったか?」


 尋ねると、クリスと菜摘は顔を見合わせた。そして、菜摘が言う。


「えへへっ! ひみつーっ!」


 どうやら美味しかったことは間違いないらしい。莞爾はホッと胸を撫で下ろした。

 クリスは菜摘の言葉に苦笑しながら言った。


「ちょうど収穫しようと話をしていたところだ」

「へえ。まあ、そのまま引っこ抜けばいいんじゃねえか? 見た所きちんと育ってるみたいだし」


 日数にして二十二日目と言った頃合だ。株元の赤い部分が収穫のタイミングを知らせている。もう少し待った方がいいかとも思ったが、十分な大きさだったので莞爾は収穫のゴーサインを出したのだ。

 クリスはぱっと顔を明るくして菜摘の肩を叩いた。


「ほら、ナツミ。早く引っこ抜くのだ!」

「えっ、ええ? 菜摘がするの?」

「むふふっ、一番は菜摘に譲ろうではないか」

「う、うん」


 ちらちらとクリスの顔を覗きながら、菜摘は意を決して二十日大根をひとつだけ抜き取った。すぽっと簡単に取れた二十日大根は、真っ赤な丸い形をしており、緑色の葉とのコントラストが鮮やかだった。


「うわあっ! すごいねっ! ちっちゃくてかわいいっ!」


 菜摘は目を凝らして細部までよく観察していた。クリスも見習って引き抜いて、同じように観察する。


「むぅ、これは中々うまい具合に育ったのではないか?」

「ねーっ!」


 莞爾はくすくす笑って小さなカゴを二人の足元に置いてやった。


「ほら、ちゃんと全部引き抜いて、外で一旦水洗いしとけよ。あとで食べるときにたっぷり見ればいいだろ?」

「はーいっ!」

「むっ、それもそうか」


 二人は納得して次々と二十日大根を収穫していく。どうやら莞爾が心配したようなモンスターにはなっていないようだ。少々成長が遅いかと思っていたが、思いの外よく育っている。少しばかり葉の茂りが悪いような気がしないでもないが、根っこの部分は綺麗で大きさも直径三センチ以上はありそうだ。


 まだ成長の余地は残っているが、これでも十分だろう。あんまり待って身が割れても仕方ない。


 莞爾が部屋から煙草を取って戻ると、外の水場でクリスと菜摘が楽しそうにバケツに張った水の中で二十日大根を洗っていた。じゃぶじゃぶと、水が冷たいのも気にしない。


 彼は微笑ましい光景に、「仕事に戻るからな」と声をかけようとしたが、先に気づいた菜摘が二十日大根をひとつ手に持って走り寄ってきた。


「はい、お兄ちゃん!」


 綺麗になった二十日大根を手渡されて、莞爾は「おう」と受け取った。


「ありがとな。どれどれ」


 せっかくの厚意なので、莞爾はそのまま二十日大根にかじりついた。


 ぱりっともシャキッとも言えない、なんとも絶妙な生野菜の瑞々しい音がした。何度か噛むと、大根の甘みと独特な辛味がわずかに鼻に抜ける。そんなに甘みが強い品種ではなかったはずだが、莞爾は絶妙な味のバランスに目を瞬いた。


「これは美味いなっ! ちょっとびっくりだ」

「えへへーっ! クリスお姉ちゃんと菜摘が毎日お水あげてたからだよ!」

「あははっ、そうだな。だからこんなに美味しくなったんだろうな」


 頭を優しくぽんぽんと撫でてやると、菜摘は嬉しそうに歯を見せて笑った。以前は逃げ出したのに、莞爾にも懐いてしまったらしい。そうでなければほっぺにチューなどしなかっただろう。


「うんっ! お姉ちゃんとね、毎日『美味しくなあれ』って呪文唱えてたんだよ!」

「へえ、きっとそれで美味しくなっ——呪文?」

「うんっ! 呪文!」


 莞爾はちらりとクリスの方を見た。彼女は何か悪いことをしたかと言うように首を傾げていた。


 以前は炊飯器と洗濯機にも影響が出た。炊飯器はなんとか無事だったが、洗濯機は買い換える羽目になったのだ。莞爾は嫌な予感がした。けれども、菜摘の手前、クリスを叱ることもできない。


 そこでようやく穂奈美に全く知らせてないことに気づいた。本来ならきちんと知らせておくべきだったことだ。菜摘が帰ったあとでクリスに話を聞こうと決めた莞爾であった。


 以前は彼女の魔法が無意識に働いているのだろうと思っていたが、非生命体と生命体とではまた状況が違う。


 ひょっとすると自分の手には負えないかもしれない。知らず生唾を飲んでいた。



***



 莞爾が軽トラに乗って去った後、クリスと菜摘は収穫して洗った二十日大根を土間の方に運んだ。ちょっとしたおやつの量だけを残して、残りは二つの袋に分けておく。


「こっちはナツミ用だ。家族にも食べさせてあげるといい」

「いいよ。だって菜摘は水をあげただけだもん」

「むふふっ、きっと喜んで食べてくれると思うぞ? そう言わずに持って帰るといい」

「そう、かな?」


 菜摘が不安げに尋ねると、クリスは自信満々の笑みで頷いた。


「もしかしたら、ちょうどよく保存できる調理法があるかもしれぬ。そうすれば、両親が来たときにも食べてもらえるではないか」

「あっ……えへっ、うん! そうだね! ありがとう、クリスお姉ちゃん!」


 二十日大根はピクルスなどにもできる。赤玉の場合、皮の赤い色が芯にも移ってしまうが、腐らせずに保存するにはうってつけだ。


 クリスは早速冷蔵庫からマヨネーズを取り出して、皿にマヨネーズの山を作った。


 二十日大根にマヨネーズをたっぷりとつけてパリリとかじりつく。

 噛めばシャキシャキと瑞々しい歯応えがあり、甘みと辛味の程よいバランス。マヨネーズのねっとりした味にも全く負けていない。


「むっふーっ! これは美味いぞ!」

「ほんと!?」


 以前間引きしたときは、さっと湯通ししたもので、ほとんどが葉っぱばかりだった。菜摘も見よう見まねでマヨネーズをつけて食べると、美味しそうに頬を緩ませた。


 シャキシャキとした食感をいつまでも楽しんでいたくなる。菜摘は相変わらず妙なグルメ気取りで評価を下した。


「普通の大根より美味しいよ! ちょっぴり辛いけど、後味に残ってすっきりするね!」

「むっふっふっ! これはいくらでも食べられるな」


 二人で会話も忘れてばりばりと音を鳴らして食べる。葉っぱの部分もマヨネーズで食べると、これまた美味しかった。全体でちょうどよく味がまとまっている。


 つい次の二十日大根に手が伸びる。二人とも食べ過ぎだった。気づけばもうお土産用の分しか残っていない。


「あっ……もうなくなっちゃった」

「むぅ……残念だが、また今度一緒に育てようではないか」

「うんっ!」


 温かいお茶で口の中をさっぱりとさせて、コタツに足を入れる。じんわりと暖まり、クリスはふうと吐息をついて頬杖をついた。

 菜摘は少し疲れがあったのか、ちょっぴり眠たそうだった。


「ナツミ? 眠いなら家に帰った方がよいぞ?」

「んー、うん」


 菜摘は目を擦って「大丈夫」と言ったが、体は正直なようで(まぶた)が今にも閉じそうだった。今日は収穫よりも先に素振りの練習をしたし、家でもつい素振りをしてしまったせいで疲れが残っている。お腹が膨れたのも一因かもしれない。


 クリスは菜摘の肩をぽんぽんと優しく叩いて立ち上がり、家まで送ろうと言った。


「うーん、一人で帰れるよ?」


 時刻はまだ十五時だったが、もう少しすれば夕刻の冷え込みで帰るのも億劫になる。数日前にはもう初雪が降っていた。あまり寒くなると帰るのも辛い。


「毎日来てくれるのは嬉しいが、それでは祖父母も心配だろう。いくら近い場所とはいえ、あまり心配をかけてはならんよ」

「ちぇっ、わかった。帰るよぅ」


 菜摘はどこか拗ねたように口を尖らせるが、クリスが「また明日来ればいい」と頭を撫でてやると、しかめっ面をしてそっぽを向いた。


 クリスは菜摘に何かを言おうとしたが、自分の口から言うべきかどうか迷った。本当ならば彼女の両親か、あるいは祖父母が言わなければならないことだ。何やら由井の家とは因縁があるようだし、クリスとしては菜摘が親族に気づかされるのを待つしかない。


 いくら友達とは言っても、それぞれ相手の迷惑というものを考えねばならないのだ。まだ十歳とはいえ、それぐらいは知っていて然るべきだ。礼儀を知るのに早いも遅いもない。けれど、菜摘は久しぶりに遊び相手ができて楽しいのだろう。クリスもそれがわかっているから何も言わずにいた。


 一緒に外に出て、ついでに莞爾のいる畑に行くからと菜摘を見送る。


 道中で菜摘は両手を口元にあててはあはあと息を吹いていた。クリスはその片方の手を握って自分の着ているパーカーのポケットに入れた。服が少し伸びてしまうが、クリスはお構いなしだ。


「ナツミ、実際に育てた野菜を食べてみてどうだった?」


 菜摘は嬉しそうに答えた。


「えっとね、買ってきたお野菜より美味しかったよ! おじいちゃんの作った野菜も美味しいけど、自分で育てたからかな。とっても美味しかった」

「それはよかったな。また今度一緒に育てよう。もしかしたら、ナツミが嫌いな野菜も自分で育ててみたら美味しく食べられるかもしれないぞ?」

「そうかな? そうだったらいいなあ」

「むふふっ、何事も挑戦してみなければわからぬがな」


 そうこうしているうちに由井宅の門構えが見えた。門の前には菜摘の祖母が待っていて、遠くに見えた菜摘に手を振っていた。


「あれはナツミの祖母か?」

「うん。おばあちゃんだよ」

「心配して家の前で待っていてくれたのだろうな。ほら、早く行っておやり」

「う、うん……」


 菜摘が握っていた手に一瞬力を入れた。クリスは優しく微笑んで問いかけた。


「どうした? ナツミ」

「……ううん。なんでもない!」


 そう言って、菜摘は満面の笑みを作って手を離し、祖母のもとへと駆けて行った。

 離れた位置からでも、クリスは菜摘の祖母と目があったことに気づいた。


 こういう時に日本ではどうするのかと思い出して迷った挙句、目を伏せて軽く膝を曲げて会釈した。すると目を開いた時、菜摘の祖母はにっこりと笑って会釈を返してくれた。口の動きで何かを伝えようとしているのはわかったが、声が聞こえたわけでもなかったので、クリスは彼女と同じように微笑んだ。


 祖母に抱きついたあとで振り返り、必死に手を振る菜摘に、クリスは手を振り返した。そうして踵を返す。


 人の良さそうな老婆だったな——クリスは歩きながら思い出し笑いをした。いかにも苦労をしてきたような皺くちゃの顔が、またくしゃっと微笑んで、なんとも安心感を抱いてしまう。


 少しだけ、家族がいる菜摘が羨ましく感じられた。


「……私は、どうなるのだろうかな」


 とぼとぼと歩きながら思索に耽った。思えばずいぶんと遠い場所に来たものだ。幾度となく考えを巡らせたものの、未だにどうすればいいのか考えがまとまらない。


 それどころか、余計にわからなくなってくる。唯一の救いは、どんな思いでも莞爾が受け入れてくれるという事実だけ。あの時に発した言葉を彼は全て聞き、その上でクリスに「責任をとる」と言った。


 思い出すたびに、胸が高鳴ってしまう。早く彼の思いに応えたいと思う一方で、家族や祖国のことを忘れることに無意識に反発してしまう。けれども、今の中途半端な関係がなぜだか心地よい気もする。


「せめて、私もカンジ殿のお役に立てればいいのだがなあ……」


 莞爾は何かとクリスを気遣って仕事を振ることがあまりなかった。一応彼女は住み込みのアルバイトということになっているのだが、まともに労働した覚えが彼女にはない。せいぜい藪を拓いたり、収穫を少しだけ手伝ったりした程度だ。


 大事にされているというよりも、彼はクリスの決断を待っているのだ。だから、本当に人手が必要な時にしかクリスに仕事を頼まない。彼女の仕事といえば家事全般で、自分の住む住居の手入れを仕事——労働と言ってよいものかクリスにもよくわからない。


 莞爾に聞けば、きっと「立派な仕事だろ」と言うかもしれないが、クリスは母親から「家の中を綺麗にするのは家人の当然の務め」と教えられていたこともあり、釈然としない。


 頻繁に客人が来るわけでもないが、家主の顔を潰さぬように、客間と玄関、そしてお手洗いには一層注意して掃除をしている。埃一つだって見逃さない。その点で言えば、莞爾はクリスに感心していた。田舎らしいと言えばその通りだが、世間一般の進んだ常識よりも、地域コミュニティーの常識を優先するのはある意味で当たり前のことだった。


「おかしな話だな。母上からは厳しい殿方を選べと言われたものだが……カンジ殿は優しい部類であろうし」


 ところ変われば「優しい」の意味も異なるのだろう。クリスもここが日本だということは熟知しているが、かといって今のクリスの価値観を作り上げたのは祖国の家族だ。やはり違和感の類があって当然だった。


 けれども、莞爾は優しい一面もある一方で、弱音を吐くことに対しては厳しかった。その厳しさがクリスにとっては面映ゆいことでもあった。


 自分を信じてくれている人がいる。それだけでずっと心強かった。


「むっ……カンジ殿はいないのか」


 考え事をしながら歩いて畑をいくつか見て回ったが、どこにも莞爾はいなかった。仕方なく家に戻ったがやはりいない。軽トラもないので畑のどこかにいるはずだ。クリスはもしや山の畑かと思い直して自転車にまたがった。


 颯爽と自転車を走らせて林道を走っていくと、突き当りに軽トラがあった。どうやら予想は当たっていたらしい。


 畑には莞爾がいたが、なにやら作業に没頭しているようだった。


 近づいてクリスが尋ねるまで莞爾は彼女のことに気づかなかった。


「何をしているのだ、カンジ殿」

「うおっ!? クリス? どうしたんだよ」

「いや、手伝いをしようと思ったのだが、どこにもいなかったのでな」

「あー、ちょっとな」


 莞爾は玉ねぎのうねに何かを設置していた。背の低いU字型の支柱を立てている。


「よし。あとはシート被せればいいかな」

「むぅ? これは何をしているのだ?」

「明日ぐらいに寒波が来るって天気予報で見たし、もしかしたら積雪する可能性もあるんでな。玉ねぎが雪を被らないようにしてんだよ」

「なるほど」


 トンネル栽培は、支柱の上から半透明の寒冷紗(かんれいしゃ)を被せ、保温性を高めるとともに防虫の効果もある。さらには霜や雪などの冷害も防ぐことができる。被せるシートの種類によって様々な効果がある。寒冷紗はかなり万能だ。


 また、ビニールハウスは高価で中々手が出ないが、トンネル栽培であれば低コストで済むので、莞爾は冬場には保温用に使い、春先から夏にかけては防虫目的に使っている。


 莞爾はクリスに尋ねた。


「なあ、ちょっとシート被せるの手伝ってもらっていいか?」

「うむ。構わんぞ」


 クリスは莞爾の指示通りに動く。シートを巻き付けてある芯棒を持ってゆっくりと進みつつ、彼の動きに合わせて芯棒をくるくる回してシートを出していく。うね毎に区切り、シートをカットして両端を結び、所々に重石を置く。


「まあ、こんなところだろ」

「ふーむ。中々初めて見る光景だな」

「あー、そうかな。ちょうど季節的な問題もあるんだけどな。べたがけしてるのは見たことあるだろ?」

「べたがけ?」

「支柱を立てずにそのまま被せてあるやつ」

「あー、それならば確かに」


 播種(はしゅ)してから芽吹くまでは寒冷紗やその類のシートをかける場合がある。家庭菜園などでは新聞紙を敷く場合もある。土の表面の乾燥を防ぐ役割を担う。


「さて、まあこんなところだろ」

「最近は冷え込みも厳しくなってきたものな」

「ああ……雪で潰れるってことはないだろうけど、ちょっと心配だな」

「ふむ。確かに軽い素材ではあるし、重みで潰れるかもしれぬな」


 クリスはぺらぺらと寒冷紗を触って頷いた。


「最近は獣害もないし、気をつけるのは冷害だけだな。土寄せしてるし、そんなに影響があるとは思わないけど、まあ用心するに越したことはないか」


 莞爾は独りで頷いて小さく息を吐いた。


「よし、それじゃあ帰るか。もう……」


 時計を見ると十六時を過ぎていた。空も心なしか暗い。

 軽トラのところまで戻り、荷物を荷台に適当に載せる。ついでに自転車もと思ったが、スペースが足りなかった。


 仕方なくクリスは先に自転車で家に戻った。その後ろを莞爾が追う。


 そういえば聞きたいことがあったんだと思い出した莞爾だった。夕飯の時にでも聞こうと思った。



***



 夕飯時。


 莞爾は二十日大根のサラダを箸で摘んだままクリスに尋ねた。


「なあ、クリス」

「ん? なんだ?」


 クリスは口をもぐもぐとさせながら顔をあげる。


「これ、美味しくなあれって言いながら育てたんだよな?」

「そうだぞ?」


 確かに見事なまでに美味しい。莞爾でもここまで美味しく育てるのは難しいかもしれない。たかが二十日大根といえど、この味が出せるとは驚きだった。


 しかし、だからこそ問わねばならない。


「洗濯機の時は綺麗になあれだったよな?」

「……はっ!?」


 クリスもようやく気づいたようだった。あからさまに狼狽している。


「ま、ましゃかっ!」

「魔法は使ってないんだろ?」

「うむっ! 魔力を込めた覚えはないのだっ!」

「ふむ……なんか、そういう前例ってないのか?」

「前例?」


 例えば意思に反して魔法を使ってしまったパターンなど、莞爾は思いつく限りの事例を挙げてみた。そもそもサブカルチャーに詳しくないのでせいぜい三つか四つ程度だったが、クリスは言われて初めて理解したようだ。


「なるほど。そういうことか。それならばありえない話ではないな」

「というと?」

「魔法というのは術者の願いを具現化する行為だ。つまりは自身の内側に向かう意志を体の外に向ける」


 なんとなく言わんとすることはわかる莞爾である。


「そもそも自分自身の感覚が体の末端まで……というのは間違いだ。まあ、これに関しては長くなるので省くが、つまり魔法とは人の願いによって現実に影響を及ぼすこと——それを体系化したものだ」

「なるほどな。難しいけど、なんとなく理解した。それで、つまりは原初的な魔法になっている可能性があるってことか?」

「理解が早くて助かる。その通りだ。本来なら鍛錬によって抑えているのだが……」

「だが?」


 莞爾が聞き返すと、クリスは少し恥ずかしそうに目を泳がせた。


「言いにくいことか?」

「い、いや、そうではなくて……その」


 彼は首を傾げつつも返答を待った。クリスは小さく息を吐いて観念したように言った。


「感情が昂ぶったときや、幸福感を抱いているとき、あるいは関係のある他人に何かを与えたいと強く思っているとき、だな」

「んーっ? 最初の二つはわかったけど、最後のひとつはどういう意味だ?」

「たっ、例えば、誰かを殺したいほどに憎んでいるときとか、誰かに喜んで欲しい……とき、とか」

「あ、はい……」


 鈍い莞爾でもさすがにここまで言われたら気づくというものだ。つまりはクリスは莞爾に美味しい二十日大根を食べてもらいたかったということなのだろう。そうすると、炊飯器や洗濯機の件も同様のことが言えるのかもしれない。


 莞爾は内心で喜びながらも平然を装った。


「な、なるほどなあ。でも、これって穂奈美は知ってるのか?」

「い、いや……意識下での魔法実験は何度もしたが、無意識下での実験はしていない。というか、この手の原初魔法はいつ発生するかがわからないのだ」

「一応、報告だけしとくか。何か注意点とかあるのか?」

「というと?」

「えーっと、例えば物だけじゃなくて、人にも影響するのかどうかとか。前は炊飯器と洗濯機で機械だっただろ? でも、今回は植物だ。植物に意志があるかどうかはさておき、その違いってのはあるんじゃないか?」


 クリスは手を打って頷いた。


「なるほど、そのことか。いや、植物に関してだが、あれにも意志はある」

「植物にも?」

「うむ。そうでなければどうして成長するのだ?」

「あ、確かに」


 果たしてその意志はプログラムかどうか、それは昨今の脳科学でも盛んに議論されていることではあるが、もし仮に全てが神経細胞や遺伝子に刻まれたプログラムによる反応なのだとしたら、それはそれでつまらないものだ。


 古くから哲学者たちを悩ませ続けた問題だが、莞爾はもちろんそんなことはどうでもよかった。


 クリスは言う。


「例えば親が子に“元気に育って欲しい”と思う。親しい友人が病になれば“早く治って欲しい”と思う。要はそういう願いも伝わるということだ」

「なるほど」


 親しい間柄でなくても、自分の好きなチームに優勝して欲しいなどにも適用されるのかもしれない。


「まあ、他人に対しては働くが、自分のためには働かないのだ。この手の魔法は」

「へえ……あ、でもなんとなくわかるかな」


 宝くじよ、当たれ! とどんなに神頼みしても当たらないものである。


「自身の肉体に魔法をかける場合は、やはり体系化された最新の魔法でないと無理だな。かなりの鍛錬が必要だ。私も相当に無理をした覚えがある」

「魔法は便利じゃないって言ってたもんな」

「うむ。そんなに都合の良いものではないぞ、魔法は」


 話を聞きながら夕飯を済ませ、穂奈美に報告することを紙に書いてまとめた。なんとも不思議な話だ。莞爾はため息をついて風呂を沸かすために外に出た。


「あっ……雪だ」


 積りはしないかもしれないが、ふわふわと漂うように雪が降っていた。

 ぶるりと体を震わせて急いで上着を取りに戻った。


「ん、どうしたのだ?」


 洗い物をしているクリスが首を傾げたので、莞爾は手を振りながら「雪だ」と答えた。


「この前も降っていたな」

「今年は積雪がひどくなるかもしれん。注意しないと」


 きっちりと上着のボタンを閉めて、莞爾は外に出た。

 タバコに火をつけて息を吐くと、白い息に煙が混ざって余計に吸ったような気になった。


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