11月(2)例の件
日付変更に間に合いませんでした……
今回は難産でした。専門系は裏どりが大変ですね。間違ってないか不安です。改稿するかもしれません。
莞爾の持つ畑は三山村内に点在している。
そうというのも、元が山間の谷間に作られた集落であるから、平地がかなり少ないのである。
しかし、先人たちの努力もあり、小規模ではあるが棚田もあるし、斜面を削って段々畑を作っているところもある。
莞爾の畑はと言えば、そのような段々畑もあるが、それとは別に先祖が残した山の畑もある。段々畑や傾斜畑は南側にあるので日当たりも良いが土地は狭く、何かにつけて使いにくい。
それに比べると、山の林を切り開いて作られた畑は日当たりには少々劣るものの問題になるほどではなく、広さもあり、若干距離はあるが使い勝手は良い。
問題は他の畑に比べて獣害の頻度が高いということだ。
主に猪だ。当然、電気柵を設置している。けれども、まあそんなものは野生動物にとって大した障害ではないらしく、作物によっては頻繁に被害を受けるので、作付けする野菜を選ぶのも一苦労だ。
初年度にはさつまいもで痛い目に遭っていたりする。一度はフェンスで囲もうともしたが、少々高い程度のフェンスならば猪は平気で飛び越えるので予算上の都合で諦めた。
さて、そんな畑に莞爾の姿があった。隣にはもちろんクリスがいる。莞爾はいつもの作業服だったが、クリスはスキニージーンズに長靴という風貌で、パーカーを羽織っていた。
この二人、すっかり打ち解けてすでにラブラブモード——なんて夢物語は当然なかった。
むしろ距離が開いてしまったようである。クリスも莞爾の半径五十センチ内に近づこうとしない。だが、それでも付かず離れずの距離にいるのだから、何かしらの葛藤があるのだろう。
クリスは畑に着くなり辺りを見回しながら尋ねた。
「おー、綺麗に一列だな。これはなんだ?」
「玉ねぎだ」
「むぅ、あの悪魔の野菜か……」
畑に植えられている玉ねぎを見て、クリスは苦い顔をした。皮をどこまで剥けばいいのかもわからず、みじん切りにして目をやられてしまったのは嫌な思い出だ。
「いや、悪魔ってなんだよ。野菜は魔法なんて使えねえから」
「ふうむ。こちらではそうなのか……しかしだな、故郷のエウリーデ王国では似たような食虫植物が——」
「玉ねぎの形した食虫植物なんて想像つかねえよ」
玉ねぎという野菜は、品種にもよるが栽培に時間がかかる。最近では家庭菜園でも玉ねぎを育てる人が増えているが、苗から育てる方がかなり楽だ。
当然である。玉ねぎは苗を育てるのに時間がかかるのだ。播種から植え付けまで大凡二ヶ月もかかる。
「ほうほう。ではこれも苗を作ってから育てているのか?」
「いいや、違う。これは春に作ったセット球を植えてる」
簡単に言えば小さな玉ねぎである。クリスは首を傾げた。
「どこが違うのだ?」
「まあ、途中まで育ててるから、似たようなもんなんだけどな。でも育苗なら9月ぐらいに種を播く。土地によるけどな」
「ふむ。種から育てるわけではないのだな」
「今回が違うってだけだぞ」
昨今、ホームタマネギという球根栽培のようなものが流行っている。プランターなどを使い素人でも簡単に育てることができる。
「けど、元が大きいと分球っていって一つの球じゃなくていくつも分裂するんだ。だから、基本的には2,5から3センチだな」
「さんせんち?」
尋ねられ、莞爾は指先を使って「これぐらいだ」と教えた。クリスは納得したのか頷いて、うねの傍に腰を下ろして玉ねぎを観察した。興味があるようだ。莞爾は少し得意げになった。
「芽が何本も出ているな。六……いや、七。あっちは八以上だ。それに……わちゃわちゃしているな!」
「わちゃわちゃって……まあ、本来ならようやく球の肥大が始まる頃合いだからな。本当は9月上旬には植えたかった。まあ、収穫は1月末からの予定だし、間に合うのは間に合うけど……天候にもよるしな」
「ふむふむ」
「今回はわざと分球させて、結球しないようにして青立ちさせる。玉ねぎというか、白ネギだな、見た目は」
「ほー。シロネギか……わからん」
「今度食わせてやるよ。たしか嗣郎さんが作ってたし、言えばくれるだろ。関東は白ネギ、関西は青ネギって具合で、日常的な野菜だよ。で、さっきから言ってるけど、普通はこんな栽培の仕方はしない」
青い部分と白い部分が一緒に楽しめるネギもある。どのネギもそれぞれで使い方が違う。クリスは首を傾げた。意味がわからないと「むぅむぅ」唸っていた。
「普通のタマネギではないのか?」
「品種は日本の最近出た品種だけど、栽培方法が違う。いや、今回俺がしてる栽培方法が、というべきか」
タマネギの早いものは秋に種を播き春に収穫できる。一般的には新タマネギとして知られている。生でも美味しい玉ねぎだが、残念なことに保存期間が短い。
「こいつらは10月上旬に戻ってすぐに植え付けたやつだ。元は春に育てた子球だな。サイズは三センチ以上のやつだ」
冬にも新タマネギが出ることがある。これは莞爾のように子球をつくっておき、秋に植えつけているものだ。けれども、彼のようにわざと分球させるなんて真似はしない。
けれども、莞爾の場合は違った。
うねが一列、玉ねぎは単縦に列を作って植えられている。おまけにビニールマルチを張っているわけでもない。
「私にはよくわからぬが、カンジ殿は普通とは違うタマネギを作っているのだな……むぅ。これは素人の意見なのだが、それは売れるのか? こう言っては悪いかもしれないが、変わり映えするものはあまり手に取りたくならないぞ」
クリスの意見ももっともである。けれども、売れないなら作らない。
日本では玉ねぎをわざわざ白ネギのように育てようなんてしない。なぜなら白ネギという野菜があって、そちらの方が品種も豊富で、その上人気も高いのだから。
ではなぜわざわざ作るのかと言えば、買い手がいるからに他ならない。
「去年だったかな。八尾さんからこの話をもらってさ。日本でもカルソッツ作らないかって」
「かるそっつ?」
「スペインって国のタラゴナ県ってところで育てられてる玉ねぎだ。見た目は白ネギだけどな。品種的には玉ねぎなんだ」
「すぺいん? たらごな? むぅ、知らぬ」
クリスは腕を組んでちんぷんかんぷんと言わんばかりに視線を上向けた。莞爾は苦笑して彼女の肩を小突いたが、クリスはそのせいで飛び上がりそうになって体を震わせた。
「そういう国の地域があるん……なんでそんなに驚いてるんだよ」
「いっ、いきなりでびっきゅっ、びっ……驚いただけだ!」
驚いただけの割には顔が赤いのはなぜだろう。目が泳いでいるのはなぜだろう。まあ、そういうことだろう。
カルソッツとは長ネギのように育てたスペインの玉ねぎのことだ。バイスのカルソッツ祭りが有名である。
剪定したブドウの枝を薪にして、豪快に外側が真っ黒になるまで焼き、中のとろとろになった甘い部分に、ロメスコソースというカタルーニャ地方のソースをつけて食べる。
カルソッツ大食い大会なんてものもあるし、地方の農村のくせにあんまりかわいくないゆるキャラまで出てきてお祭り騒ぎをするのだ。
「日本でも似たようなお祭りはあるけどな。なんていうか、やっぱり雰囲気は本場とは大違いだな」
埼玉県深谷市である深谷ねぎまつり。雰囲気は縁日そのものだ。この祭りの中で深谷カルソッツ——通称泥焼きを食べることができる。結構安いし、丸々一本ぺろりと食べられる。
けれどまあ、「ネギ」だ。まごうことなき食べ慣れた日本の「ネギ」なのである。おまけに雰囲気も日本の縁日であるから、本場のカルソッツ祭りとはずいぶん違う。
そもそも泥焼き自体は白ネギを作る農家にとっては昔から普通の食べ方だ。ちょっと横文字つけて、洒落込んでいるのだ。
「だいたい、太さも長さも違う。いや、もちろん日本のネギも美味いけどな」
クリスは気を取り直したのか「むふふ」と含むように笑った。
「まあ、細かいことはどうでもいいではないか。美味しければどちらが太いか、長いか、本物かなんてどうでもよいのだ」
「……食いしん坊キャラが板についてきたな。一理あるけども」
日本のスペイン料理店でも「カルソッツ風」として日本の白ネギを焼いて出しているところがある。それはそれで美味しいのだけれど、料理店の中にはやはり「本場の味に近づけたい」という店もあるわけで、八尾が企画して去年は実験的な作付けを行い、今年は少量だがカルソッツとして出荷することになったわけだ。
縦に長い葉玉ねぎみたいなものである。結球させずに上に伸ばすだけだ。けれど、どれだけ見た目や味が似ていても、やっぱり「これは別物だな」と思ってしまう。実際、歯触りというか食感が若干異なる。白ネギに慣れていると苦手に感じる人もいるかもしれない。
八尾が莞爾に助けられている点があるとすれば、そんな企画や新しい試みに賛同して、その前段階から協力してくれるからでもある。よくもまあそんな余裕があったものである。
今のところは都内の10店舗ほどが八尾の企画に賛同しているが、莞爾のカルソッツの出来次第で来年度から増えもするし減りもするのだ。
「まあ、適当に育てればそれぐらいできるだろって言う人もいるんだろうけど、実際、適当にしてできたのと、狙って作ったのとでは全然違うしな。分球させて青立ちさせるだけなら簡単だけど、それを美味しく育てるんだし」
7月の段階からこのカルソッツのためだけに、この畑の状態を調整していたのだから、気合の入り方が違う。
9月を丸々無駄にしてしまったために植え付けができなかったのは、今更言っても仕方がない。おかげで保存していた子球は使えないものも増えたが、なんとか数を揃えることはできている。
「ふむふむ。農家も色々と大変なのだな。畑に種を播けばいいのとは違うのか」
「当たり前だ」
「ひとつ気になるのだが」
「なんだ?」
クリスはうねの土を軽く握って尋ねた。
「なんというか、畑の土というものはこんなに柔らかいものなのか?」
「場所によるとしか言いようがないな、そりゃ」
「むぅ?」
「この辺りは元が山ん中だから、腐葉土が分解した土壌で、本当は玉ねぎの栽培には向いてないんだ」
日本の土壌は基本的に酸性だ。とくに腐葉土など、発酵過程で酸性に傾いている土壌なので、アルカリ性の苦土石灰をやや多めに撒いて中和し、よく混ぜ込んだ上でpH値を計測し、微調整を繰り返して適正範囲に修正するのだ。
「腐葉土……」
「枯葉とか、枯れ枝が積もって腐った土のことだよ」
「ああ、なるほど。なんというか栄養がありそうではないか」
「って思うけど、養分のために腐葉土入れたことはないな」
腐葉土は確かに栄養がある。あるにはあるがほぼチッ素成分だ。植え付け前の元肥の段階で畑に入れるのだが、追肥で後からというのは、あまり見ない。
腐葉土をマルチの代替手段に使う例も花壇など特殊な状況であるにはあるのだが、そういう場合には専用のものを使うし、成分が偏り過ぎると病気の元だ。そもそも遅効性ーーあとからゆっくりと効き始める肥料にあたる有機物なので、即効性がない。質が悪いものを使えばとんでもないことになったりする。
クリスは握った土を団子のように丸めてみたが、ややあってほろりと割れて手のひらから崩れ落ちた。ダマが少なくてふかふかしているが、乾燥しているわけでもない。しっとりとしていて手に馴染む感じがする。
「むっはぁーっ! なんだこれは! 気持ちいいぞ!」
良い土は触ると本当に手触りが違う。クリスは次々に土団子を作って並べ、崩れていく様子を面白そうに観察した。莞爾は苦笑してその様子を微笑ましげに見ていた。
「今だけだぞ、今だけ」
「むっ、そうなのか?」
「ああ。野菜に養分吸われ切ったら硬くなる」
土中の養分がなくなると、微生物も死に絶えて土が硬くなるのだ。そのため、堆肥を混ぜて養分を補う。また、腐葉土も完全分解されると水はけも悪くなり、土のダマが大きくなってくる。
「なるほど。なんとなくわからないでもないな。食べ物を食べなければ骨と皮だけになるのと一緒だな」
「まあ、固い土がイコール養分ゼロってわけじゃないし、土によっては固いけど養分たっぷりってのもあるぞ。ほとんど砂の固まりみたいなのとか、砂利石みたいにガリガリしたやつとか」
「……なんというか、そんな土では根が張らないのではないか? 根っこが痛そうではないか」
「そこは工夫次第だろ。試行錯誤でなんとかなることもあるし、ならないこともあるさ」
堆肥で補うとか、わざと雑草を生やすとか、まあやり方は色々ある。
クリスはしばらく思案して、何事かを思いついて少し笑った。
「ふふっ、なんだか魔法の勉強に似ているな」
「魔法に? 嘘だろ?」
莞爾はサブカルチャーに詳しくない上にそこそこに信仰心が篤かったので、彼の脳内では「魔法=なんかお祈りしてそう」という構図ができあがっていた。
訝しげに見下ろす莞爾にクリスは鼻を鳴らして言った。
「嘘ではないぞ。魔法とはすなわち意志を自身の外側に顕現させる行為なのだ。きちんと理屈があるのだ。もちろん、そこに精霊や神々の叡智が——」
「いや、ごめん。なんか難しそう」
こういうところが独身の由縁であることにそろそろ彼は気づくべきだろう。案の定クリスは頬を膨らませた。さんざん自分の話をしておいて人の話は聞かないとはひどい男だ。
「むぅーっ! 私の話も聞いてくれ!」
「だって俺魔法使えないしなあ……」
使いたいとも思っていなかった。
「むぅ、そんなことはないぞ。誰でも使えるはずだ」
「別に使わなくても生きていけるしな……」
「むっ、べ、便利だぞ?」
「例えば?」
「例えば……ふむ。水に困ったらいつでも綺麗な水が飲めるぞ!」
「——蛇口ひねればいいじゃん」
忌まわしきは現代の科学力であった。クリスは地球の科学力の前に打ちひしがれたのであった。
蹲って畑の土を握っては投げを繰り返すクリスに、さすがに悪いことをしたと思ったのか、それともいたずらするなと思ったのか、彼はため息をついて尋ねた。
「あー、どうすれば魔法が使えるようになるんだ?」
「……聞きたくないのだろう?」
「聞きたい聞きたい」
「……本当か?」
「ホントウホントウ」
「むっふふぅんっ! そうまで言われては話さずにはいられまい!」
すっかり機嫌がよくなり、クリスは手をはたいて立ち上がった。莞爾はため息を飲み込んだ。呆れた顔をしていてもクリスは上機嫌で全く気づきもしない。
「まずは三日三晩断食するのだ!」
「は?」
莞爾は思わず声を漏らした。けれどもクリスは得意げに人差し指を立てていた。
「その後、水だけ口にすることが許され、聖堂で一週間瞑想に耽る」
「はあ?」
人差し指に中指が加わった。
「だんだん頭がおかしくなってくるが、それと同時に魔力というものがわかってくるようになる」
「……それ大丈夫なのか?」
薬指は加わらず、握りこぶしが作られ、彼女は自身の胸をたゆんと打った。
「当然大丈夫だとも! これぐらいで死ぬようでは騎士などできんのだ! むふんっ!」
「あ、そう」
とりあえず、死ぬぐらいにきついということはわかったので、莞爾はもう聞きたくなくなった。
「まあ、いいや。とりあえず仕事すっか」
「むっ、“まあいいや”とはなんだ」
「いや、時間は有限なんだ、クリス」
「……それはそうだが」
納得してしまうあたりチョロい女である。クリスはひとつ頷いて尋ねる。
「それで、何をするのだ?」
莞爾は何も説明してなかった。本人は説明したつもりでいたのである。困った男だ。彼は「言ってなかったか」と頭をかいて答えた。
「追肥、土寄せ、その他諸々」
「そんな専門用語を言われても私はわからぬぞ」
「……言うほど専門的か?」
「ああ。私はカンジ殿が言うように“都会”育ちなのでな」
クリスはくすりと笑って彼の肩を小突いた。その顔はちょっぴり恥ずかしそうだ。
そんなものだろうか——莞爾は首を傾げて苦笑した。
カルソッツこんなに都合よくいかないです。
本場では甘くて柔らかい品種だそうです。たぶん早生種だと思うんですけれど……同じ品種が取り寄せられないのか調べたんですが、ちょっと見つかりませんでした……。今回の品種のモデルはご想像にお任せします。最近出たって書いてますけど、十年以上前からあります。農業的にはほぼほぼファンタジーな感じになってますね。
(美味しいけど、なんか違う、絶対本場の味じゃない……ってなる)
今回は農業要素強すぎたかもしれないですね。次からはもうちょっと工夫します。敬遠する方も多そうなので。
10/30、修正。