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11月(1)にわか雨

お待たせしました。最近「む」を見過ぎてゲシュタルト崩壊が……。

 午前中に電器屋が新品の洗濯機を持って来た後、簡単な昼食をとり、莞爾はクリスを連れて庭先の畑に向かった。


 (もっぱ)ら自給のための畑で、実験用としても使う。


 里芋のうねを過ぎ、一番端に茶色くなった(さや)をぶらさげている大豆があった。


 クリスはどこか元気がないが、それでもにわかに笑みを作って興味深そうに大豆の近くに座り込み尋ねた。


「カンジ殿、カンジ殿! これは豆ではないか?」

「まあ、そうだけど……」


 莞爾は首を傾げた。異言語翻訳の機能がいまいちよくわからない。ナスやトマトは翻訳できなかったのに、豆はできるらしい。意味がわからない。


 どうやら色々と制約も多いようだ。莞爾は生半可な科学知識で「もしかして家畜と会話とかできるんじゃ」などと考えていたが、そんなことはないらしい。どうやら家畜は知能が不足しているようだ。


 実際、近々肉にするために屠殺する予定の仔牛が「ボクの夢は種牛になることなんだ!」とかなんとか話していたら、色々と気が散って仕方がない。まあ、中には“察しのいい”家畜もたまにいる。


「むむっ……まだカラカラではないな!」

「ん? カラカラ?」


 クリスは何を当然なことを、とばかりに不満げな顔を見せた。


「豆といえば莢を振ってカラカラと音が鳴るようになったら収穫ではないか。それぐらいは私も知っているのだぞ!」

「そりゃ場合によりけりだろ」

「むぅ……そんなわけはない。豆は保存食だぞ。ちゃんと乾燥させて、食べるときは水で一晩戻して水煮にするのだ」


 確かにそれでも食べることはできる。元々は枝豆として食べようと思っていたが、どたばたして収穫する暇がなかったのだ。ちなみに、種をとるにしても、乾燥するのを待ってから収穫することもあれば、それ以前に収穫して人為的に乾燥させる場合もある。


「まあ種とるだけだから、カラカラ鳴るまで待ってもいいんだけどなあ。俺は途中で……今ぐらいの色合いになったら引っこ抜いて天日干しにする」

「ふむ……色々やり方はあるのだな」

「まあ、農家それぞれだろうなあ」


 莞爾はコンテナを傍に置いて大豆を引き抜き、土をざっと落として中に入れる。あとでシートの上に広げて乾燥させるのだ。失敗すると実が割れることもあるので注意が必要だ。


 クリスも見よう見まねで引き抜くが、莞爾から「莢をいじくり回すな」と怒られてしょんぼりした。


「……むぅ!」

「いや、拗ねるなよ……」


 最近幼児退行が止まらないクリスである。


 さて。そんな調子でつつがなく三十本ほど引き抜いた後、納屋の前にブルーシートを広げ、その上に茶色くなった大豆を広げていく。


「ふう。まあ、こんなもんか。二、三日は晴れみたいだし、夕方に取り込んで、昼間だけ乾燥だな」


 夜は露がひどい季節である。もう十一月の頭。昨今の異常気象のせいか昼間は暑い日もあるが、夜はやはり山間部という土地柄もあいまって冷え込みがひどい。


「しかし、鳥に食われるのではないか?」

「莢が弾ければ食われるかもな。まあ、一応こういうのがある」


 莞爾が納屋の奥から引っ張り出して来たのは薄く透けた布だった。


「なんだ、それは?」

「昔家ん中で使ってた蚊帳(かや)だな」

天蓋(てんがい)のカーテンか」

「……あれって虫除けのためにあったのか」


 さすがに莞爾は天蓋付きのベッドに寝たことはないのでよく知らない。


 納得したように頷くクリスに手伝ってもらい、ブルーシートの四隅に支柱を突き刺し、蚊帳を被せて完了だ。


「こうしてれば鳥は入ってこないだろ」

「むふんっ、上出来だな! よし。次の仕事に移ろうか、カンジ殿」

「……なんかやる気に満ちてるな」

「何を言うか。私は常に全力で生きているのだぞ」

「いや、知らねえけどやっぱりあれか。せんた——」

「カンジ殿! さあ! 次の仕事を早く教えるのだ!」


 クリスのせいで洗濯機を買い換える羽目になったのは言うまでもない。まさかドラムを回転させるモーターが熱でダメになるなんて、一体誰が想像できただろうか。ちなみに衣類はなんとか無事だった。


「なあ、クリス。洗濯機のことなら気にすんなって言っただろ。そりゃあ……高かったけど。あれは俺が注意してなかったのが悪いんだって」

「ち、違うのだ……私は……私はホナミ殿から、その、魔法を使うなと言われていた……のだが、言いつけを破ってしまったのだ。ちょっとぐらいならば良いだろうと思ったのが間違いであった……うん」

「あー……そうだったな、そういえば」


 予想以上に反省の色が濃い。しょんぼりしていた。莞爾はどうしたものかと腕を頭の後ろに回し、どうにも考えがまとまらなくて頭をがしがしとかいた。穂奈美から預かったマニュアルにはクリスに魔法を使わせてはならないときちんと記されていたのに、莞爾の監督不行き届きが招いたことである。


 クリスはきっと莞爾に金を使わせたことを申し訳なく思っているのだろう。それくらいは彼にもわかる。


 だからこそ積極的に彼の手伝いをして贖おうとしている。


「まあ……その、なんだ。確かにびっくりはしたけどな。別に俺はクリスが思ってるほど怒ってねえよ」

「……嘘だ。魔導具だって平民では買えぬぞ。ここがニホンとはいえ、それなりに高価なものであるはずだ」

「そりゃあそれなりの値段だけど……」

「やはり高価なのではないかぁ……むぅー」


 クリスは両手に握りこぶしを作って右左と落ち着きなく体を揺らし、しきりに莞爾の方をチラチラと見ていた。どうしたものかと莞爾は少々面倒になった。つい突き放すような言葉が漏れそうになって、慌てて口を閉じた。


——責任とるって言っただろ。


 危ない。

 そんな言葉は自分には似合わない。これではまるで彼女を口説いているようだ。違うのだ。


 そう考えて、結局いつも通りの言葉しか出てこなかった。


「気にすんなって。誰にだって失敗はあるんだから。一歩ずつって言っただろ?」


 まるで自分に嘘をついたことが恥ずかしいように、莞爾はあえて彼女の額を小突いた。


「ほれ。これでノーカンだ」

「ふだゃっ! あうぅ……のーかん?」

「帳消しって意味だよ、バカ」

「むぅっ! バカとはなんだバカ、とは……はあ。やはり、私の気が済まぬよ」


 クリスはなんとなく莞爾が何かしら装っているように見えて、額をさすりながら視線を向けた。けれど、その時にはすでにいつも通りだった。


 怒ってもらえないことが妙に虚しい。呆れられているのか、最初から諦められているのか。そんな不安しか浮かばない。


 以前、都内にいた頃に穂奈美に尋ねたことがある。どうして莞爾と別れたのかと。その時、彼女はなんと言っていただろうかと思い出して、なるほどこういうことか、とため息をついた。


 デリカシーなんてないくせに、変なところで気をつかう。相手を気遣うようで、その実感情を晒してくれないような錯覚に陥る。けれど、何も気にせず厚顔無恥(こうがんむち)でいられるのならば——受け入れてもらうだけの女でいいのならば、こんなに都合のいい相手はいない。


 そんなクリスの思考に気づいたか気づかなかったか、莞爾は努めて明るい声で言った。


「しっかし、残念だな。枝豆は美味いし、クリスにも食べて欲しかったんだけど……まあ、“来年”もあるしな」

「来年……はは、来年か」


 莞爾は予想と違う返答に頬をかいた。てっきり食べ物の話をすれば多少は元気になると思ったのだ。けれども、余計にクリスは沈痛な面持ちを硬くした。


 それがどうしてかなんて彼にはまだわからない。


「なあ、クリス。言っておくけど、本当に気にしなくていいんだぞ。今回失敗したんだから、次から失敗しないように気をつければいいだろ? 俺は詳しく知らないけど、魔法を使うなってのは人目に触れるかもしれないからだろうし」

「それは、そうだが……カンジ殿」


 急に声色が問い質すような色を帯び、莞爾は小さく息を漏らした。


 経験がある。自分から離れていった女たちが最後に見せた色と似ていた。


 クリスは息を吸い込んで、視線を彼に向けたまま口を開きかけた。けれど、不満を漏らすよりも先に曖昧なため息が漏れて、勢いが消えた。


「私はっ……気遣いの言葉ではなくて、カンジ殿の本心が知りたいのだ」


 穂奈美の言葉を思い出す。本来ならいけ好かない相手かもしれない。けれど、彼女が彼と“失敗”したからこそ、クリスは彼に真意を尋ねることができた。


——莞爾くんはね、一番大事なところで、もう一歩踏み込めないのよ。


 後に続く「好きな女が相手ならね」という言葉は気にしないことにした。憶測かもしれない。けれど、自分に「らしくない」と言ってくれたことを思い出して、彼との関係が幾ばくか進んだような気もする。


「本心、か」


 莞爾は彼女の頬に手を伸ばそうとして、ぎゅっと握りしめて引っ込めた。真面目に向き合ってこなかった“ツケ”は毎回同じ結果を招いた。こんなとき、どうすればいいのか、三十二歳になってもわからない。


 いや、わかってはいる。けれども、そんなに器用にはなれないものだ。


 たかが洗濯機ごときで、ずいぶんと大袈裟なことだ——つい冷めた気分が顔を覗かせる。そもそも洗濯機を買い替える金を使わせたことに反省しているのではなかったのかと。


 きっかけはいつだって些細なことだ。


 すぐに本質をあえて見なかったことにしようとする。それが自分の悪いところだと自覚こそすれ、今までは心情を吐露することなどできなかった。


 感情を晒すことが嫌なのではない。相手に心を打ち明けて、深く相手の中に踏み込むことが怖いのだ。拒絶されるのではないか傷つけてしまうのではないかとつい手をこまねく。それならば、全てを受け入れるだけでいた方がずいぶんと楽だった。


 こんなことを十八歳の少女から教わるのだから、三十二歳だからと大人ぶれない。莞爾は赤面した。急に恥ずかしくなった。保護者ぶっていた自分を殴りたくなった。


 とっくの昔に、彼女は自分に歩み寄る気でいたのに、自分は弄んでいるだけだったと後悔した。


 殻の中に一緒に閉じこもっても、決して密着することはない。殻が弾けて、初めて手が触れる、ぬくもりを感じられる、寄り添うことができる。


 同じ莢の中でも色違いな実が、莢が弾けて初めて寄り添い、だんだんと同じ色に染まっていくように。


「存外に不器用なのだな、カンジ殿は」


 いつだったか。もう二ヶ月も前に聞いた言葉だ。


 顔を上げればクリスが困ったように微笑んでいた。見透かされているのとは違う。

 その微笑みを見て、ようやく彼女も似たような思いを抱いていたのだと気づいた。


 けれども、なんだか恥ずかしくて、口を開いたり閉じたりして、言葉が出てこずに頭をがしがしとかいた。


 ふと、頬に細い指先が触れた。指の細さに似つかわしくない節くれが際立った。クリスがすぐ目の前にいた。不安げに揺れる瞳から目が離せなかった。


「私が知るカンジ殿は……もっとぶっきらぼうで、デリカシーがなくて、平気で人の琴線に触れるような男だったはずだ」


 視線が交錯した。莞爾は喉を鳴らして動けなかった。


「け、けれどそんな貴殿だから私は——」


 言いかけて、クリスはそれがとても気に食わない答えに思えた。


 自分がこの世界で(よすが)を得たい、拠り所を得て安心したいがために、自分の決断ではなく彼の男としての矜持にすがっているように思えた。


 そんなわずかな陰りが、彼を少しだけ素直にさせたのは、場違いな皮肉かもしれない。


 クリスは咄嗟に引っ込めようとした手をぎゅっと掴まれて、思わず言葉にならない声を漏らした。


「あっ……」


 目を逸らせなかった。先ほどまでとは違う強い眼差しに射竦められ、蛇に睨まれた蛙のように動けなくなった。変わらないのは彼の赤面した顔だけだった。


 そっと手が伸びて彼女の柔らかい頬に触れ、包み込むように優しく上を向かされた。同時に、腰に腕を回されて力強く引き寄せられ、密着し、乳房が彼の胸板に押し付けられて形を歪ませる。


 うまく呼吸もできない。苦しいわけじゃない。


 数秒先の未来を予想して頭が回らない。真っ白だった。ただただ心臓が早鐘を打っていた。


 こんなとき、どうすればいいか。クリスにはわからない。

 目を閉じるのは彼を拒んでいるような気がしてできなかった。


 すると彼が微笑んだ。いつか見た笑顔だけれど、「騎士なんだろ」と言ったときとは少し違う。まるで彼女をからかうような、意地悪な瞳だった。胸の奥が弾け、かえって身を委ねようと力が抜けた。


 莞爾の目が細められ、クリスは真似をするように瞳を閉じ——


「雨だ……」


 納屋のトタンを雨粒がぽつりぽつりと打った。

 二人は目を見開いて、急に恥ずかしくなって視線を逸らしたけれど、次に視線が合うと苦笑し合った。


 天気予報は外れだった——名残惜しさと恥ずかしさを押し隠して莞爾はクリスの頬を指先ですっと撫でた。


「濡れないうちに取り込まないとな」

「あ、ああ……」


 二人は急いで乾燥中の大豆を納屋の屋根の下に移した。


「俺は一旦畑の方に行くよ。いろいろしまわないといけないのがあるし」


 一緒にいるのが恥ずかしかっただけだ。けれども、クリスはそれを知らずに頷いた。


「では、私は洗濯物を取り込んでおこう」

「おう。頼んだ」


 莞爾は決まりの悪い顔でそそくさと軽トラに乗り込み発進させた。テールランプが数度点滅するのを見送って、クリスは急いで家に入った。


 台所で手を洗い、縁側に回って洗濯物を取り込み、まだ乾いていないものは浴室の突っ張り棒に掛けていく。


 全て終わって浴室から出て、ふと鏡に映る自分の姿に気づいた。


「あっ……むぅ。ふっ……ふふっ」


 なぜだか笑みが(こぼ)れてしまう。


 鏡に映る彼女の頬には指先でなぞった土色の線が残っていた。

 きっと大豆を収穫したときに彼の手に土がついていたのだろう。


 そうすると自分が触れた彼の頬にも同様に跡が残っているのかもしれない。


 指先で頬の線をなぞり、なぜだか拭うのが惜しくなった。


 けれど、脳裏に先ほどの彼のからかうような瞳が浮かび、クリスは顔を真っ赤にして急いで濡れタオルで頬をごしごしと拭った。


 気を晴らすためにも、彼が戻ってきたら土色の頬を笑ってやろう——クリスは精一杯の強がりで「むふんっ」と鼻を鳴らした。


 彼はしばらく経って衣服を濡らして戻ってきた。それなりに作業があったのだろう。


「むふふんっ、カンジ殿。頬にど、ろ……なんでもない」


 直前で莞爾は首にかけたタオルで顔を拭ってしまった。


「ん? どうかしたのか?」

「な、なんでもないと言った!」


 莞爾は首を傾げ、それから思い出したように言った。


「あ、そうそう。洗濯機のことだけど、ちょっぴり怒ってるからな。スイッチ押すときはそれが何であっても絶対に魔力を込めるんじゃないぞ」

「むぅ……」

「返事は?」

「むぅ! わかった! 同じ失敗などせぬよ!」


 クリスはなんだか悔しくなって口を尖らせた。

 けれど、不意に頭を優しく撫でられて固まった。いつものように乱暴に撫でられれば抵抗もできるのに、こうも優しく撫でられては動けない。


「まっ、あんまり気にすんな。クリスは良かれと思ってしてくれたんだろ?」

「……あたり、まえ……では、ない、か……」


 莞爾は途切れ途切れな言葉を紡ぐクリスに首をかしげ、ふっと笑った。


「ありがと、な」


 思わず顔を上げれば、照れ臭そうに頭をかいて歩き去る莞爾の姿があった。


 聞こえていないかもしれない。クリスは小声で呟いた。


「……まったく。そういうところがずるいのだ」


 むすっとした顔で鼻息を漏らした後で、彼女はくすりと笑った。


農業の話、どこいった。

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