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コスプレ外国人との出会い

 ある日、変な女が訪ねてきた。


 もう山向こうに日が沈む頃合だ。納屋に道具を片付けて、家に上がったばかりで作業服を着たままだった。


 一昨年につけたばかりのインターホンがあるというのに、玄関をノックされ、佐伯莞爾(さえきかんじ)はわずかに警戒して玄関扉を開けた。


「あー、どちら——」

「すまないが、一晩泊めていただけないだろうか……」


 そこには夜の闇に輝く月のような金髪と、目鼻立ちのくっきりした整った顔。そして、なぜか西洋風の甲冑に腰に長剣を携えた女がいた。

 凛とした風貌に意志の強そうな瞳、しかしまだあどけない危うさを残している。


「……はあ?」


 思わず莞爾は思考停止して変な声が出た。

 それもそのはずだ。

 ここは限界集落に限りなく近い山奥の集落で、こんな幕張あたりで見かけそうなコスプレ姿の外人なんているはずもない。


「あ、いや、その……一晩だけで良いのだ。ベッドをお借りしたいなどと厚かましいことは言わない。せめて納屋の藁の中でも構わない。ど、どうだろうか……」


 莞爾は止まっている思考をどうにかフル回転させてみたが、どうやら焼き付けを起こしたらしい。


「えっと、外人さん……だよな。一晩泊めてって、え? あ、いや、それはひとまず置いておこうか。なんでこんなど田舎に外人さんがいるんだ? バスなんてないぞ。街に行くならタクシー呼んでやるけど」

「バス? タクシー? いや、すまないが、何のことかわからない……」


 困った。莞爾は頭をかいた。とりあえず気になることを全て聞いてみることにした。


「あんた、名前は?」

「エウリーデ王国、メルヴィス伯家が長女、クリスティーナ・ブリュンヒルデ・フォン・メルヴィスだ」


 長い。率直な感想を胸のうちにしまったまま考えを巡らせる。エウリーデ王国なんて聞いたことがない。しかも今時伯爵の長女……考えるだけ混乱が増えてしまう。


「女性には失礼な質問だけど、年齢は?」

「むっ、ほ、本当に失礼だな……じゅ、十八だ」


 若い。率直な感想を胸のうちにしまったまま考えを……巡らせることもできなかった。


「そ、そうか。わ、若いな。それで……えっと、どうしてこんなど田舎にいるんだ?」

「そ、それは……は、敗残兵だ。私は……」

「敗残兵?」

「そうだ……モザンゲート砦で戦いがあったことはここにも伝わっているだろう。エウリーデ王国は蛮族の執拗な攻撃に耐え切れなかった。今頃モザンゲート砦は蛮族の手に落ちている頃だろう……ここも危ないが、蛮族どもはあと十日は砦に留まると思う。一日二日は平気だ」


 なるほど。まったく意味がわからない。

 莞爾は聞けば聞くほど意味がわからなくなってきたので、とりあえず聞くのをやめた。


「まあ、いいや。とりあえず……えっと、クリスティーナさんだったっけ?」

「クリス、と呼んで構わない」

「そうか。で、クリスさんは疲れてて、眠る場所が欲しいんだな?」

「そ、そうだ……迷惑だとは思うが……」

「いや、別に構わないさ。ただ、この家には俺一人しかいないし、そうなると俺とクリスさんが一晩一緒に過ごすことになる。クリスさんは年頃なんだし、それはやめておいた方がいい。初めて会った男と二人きりなんて怖いだろ? 車で少し行けば伊東さんちがあるし、あっちは老夫婦だから安心して眠れると思う。二人とも親切だから」


 据え膳食わぬは男の恥、とも言うが、コスプレ姿の外人女性が日本で怖い思いをした、などと祖国で触れ回ってもらったら困る。

 日本男児として莞爾はそこだけは死守せねばと思った。


 きっとコスプレ姿だから“設定”を貫き通したいのだろう。莞爾は詳しくないが、きっと思春期にかかる病気が尾を引いているのだと思った。


「お心遣いありがたい……しかし、すまない。もう一歩も歩けそうにないのだ。それに、助けてもらうのだから、貴殿に夜這いをかけられても……ははっ。抵抗はしないさ。どうせ敗残兵だ。落武者狩りに会って死ぬよりもマシだ」

「いや、何言ってるんだろう、この人」


 思わず口から素直な感想が漏れてしまう。


 クリスはどうあってもすぐに休みたいらしい。


「あー、もうわかったわかった。明日の朝、街まで車出してやるから、今日は泊まってけ」

「あ、ありがたい! この恩は必ず返させてもらうぞ!」

「大袈裟だな……別に気にすんな。あんまり綺麗じゃないから、そこは我慢してくれよ」

「寝床を借りられるだけでもありがたいのに、文句などあるわけがない」


 莞爾はクリスを家に招き入れた。どうやら一歩も歩けないというのは本当だったらしく、足元はおぼつかない様子だ。それによく見れば甲冑も泥や汗に塗れて汚くて仕方ない。


「あー、待った待った。とりあえずその甲冑は脱いでくれ。家の中が汚れる」

「こ、これは失礼をした……」


 いそいそと甲冑を脱ぎ始めたクリスだったが、もう握力も乏しいのかすぐには脱げない様子だ。


「手伝おうか?」

「す、すまない」


 クリスの指示によってなんとか甲冑を脱がせることに成功したが、服はとても質素だった。木綿のズボンとシャツで、下着は……どうやら着ていない。

 近づくと彼女の汗の匂いが気になった。晩夏とはいえまだまだ暑い。


「部屋に案内しようと思ったけど……まずは風呂だな」

「風呂? 風呂があるのか!?」

「いや、あるだろ普通。まあ、うちは古いから五右衛門風呂だけどな」


 仕方がないのでクリスの手を引いて風呂場に直行する。クリスは戸惑い頬をわずかに赤らめながらも、風呂の魅力になされるがままだった。

 風呂はすでに火は入れてあるので、ぬるま湯ぐらいには温まっているはずだ。老いた両親が使っていたので、縁の片方に杉の背もたれがある。


「ちょっと待ってろよ。着替えを持ってくる。あ、使い方わかるか?」

「湯浴みの仕方ぐらいはわかる」

「そうか。じゃあ、これ。こっちがボディーソープ。体を洗うやつだ。で、こっちがシャンプーな。頭を洗うやつだ。リンスなんてもんはうちにはないけど、我慢してくれよ」

「む、初めて見る容器だ……わ、わかった」


 とりあえず女性用の浴衣を持ってきて置いておく。置いてみてクリスがきちんと着れない可能性に気づいた。


「浴衣は着たことあるか?」

「浴衣?」

「これだ。羽織るように着て、左が前。で、帯はこれ」


 実際に見せてみるとクリスはすぐに理解してくれた。


「じゃあ、俺は外で火の番をするから、熱いとかぬるいとか言ってくれたら調整する」

「か、忝い」

「気にすんなって」


 それから莞爾は家の外に出て、裏手に回り、窯の火に薪を焚べた。ひとまずは強火力でお湯を温めるつもりだ。


 それから火を放置して庭先の畑から野菜をいくつか取ってきて水を張った桶で軽く洗っておく。


 窯の前に戻って大きな声で尋ねた。


「湯加減はどうだ?」

「あ、ああ、ちょうどいい!」


 鉄格子のついた磨りガラスの向こうから気持ち良さそうな声がする。疲れた体には人心地ついてたまらないだろう。窓越しのせいか、彼女の声はいくぶんかこもって聞こえた。


 燃えている薪を取り出して窯の火を落とす。あとは余熱で保温ができるはずだ。


「ところで、本当のところはどうなんだ? どこの国から来たんだ?」


 もうそろそろ設定もいいだろう、と思って尋ねたが、クリスから返ってきたのは「さっき言ったはずだ」という答えだった。


「エウリーデ王国、メルヴィス伯爵の娘だ。疑うのか?」


 疑わない方がおかしい。とはいえ、これほどまでに設定をごり押ししてくると、もはやどうでもよくなるのも事実だ。


 とりあえず後でパスポートでも見せてもらおうと、莞爾は燃え残りの熾火(おきび)でタバコに火をつけて質問するのをやめた。


「そういえば、ご主人」


 ご主人、と言われて誰のことかとも思ったが、そういえばこの家の主人は自分だと気づく。ぷかぷかと煙を吐いてすりガラスの向こう側に答えた。


「んー、なんだ?」

「誠に失礼だが、お名前を聞いていなかった。どうか私にお名前を教えていただけないだろうか」

「いちいち大げさな言い方だな。まあ、いいけど。俺は佐伯莞爾(さえきかんじ)だ。莞爾が名前で、佐伯が苗字だ」

「家名があるのか……これは失礼をした。まさか由緒正しき家柄のお方とは露知らず……」

「いや、何を不安に思っているのか知らないが、普通みんな苗字ぐらいあるだろ。由緒正しいってのは、まあ否定しないけど。今のご時世に由緒も何もないだろ」


 果たして落ち延びて隠田(おんでん)集落を作った武士の子孫が由緒正しい家系かどうかは莞爾にもわからないが、日本において苗字がないのは(たっと)いお方の一族だけだ。


 しばらく窯の前でタバコをふかしていたが、昼間の畑作業がたたって舟を漕ぎ始めてしまった。目をこすってタバコの燃えかすを窯の中に放り込み尋ねた。


「……危なかった。クリスさん? 湯加減はどうだ?」


 腕時計を見ると十分ほどしか経っていない。しかし、返事はなかった。


「おーい、クリスさーん!」


 先ほどより大きな声で尋ねるがやはり返事はない。何度か繰り返しても同じだった。


 もう風呂から上がったのだろうかと思って家に上がり、脱衣所に行って扉の向こうにノックと共に尋ねるが返事はない。おそるおそる扉をあけると汚い木綿の上下と、綺麗な畳まれたままの浴衣があった。


「……失礼。クリスさん。起きてるか?」


 浴室の扉をノックするが返事はなかった。


 焦って扉を開けると、案の定クリスは浴槽の中で眠ってしまっていた。

 白い肌にふくよかな乳房が目に入るが、今はそれどころではない。

 莞爾はとっさに彼女を引き起こして息と脈を確認してほっと安堵(あんど)に胸を撫で下ろした。


 濡れるのも構わずに抱き上げ、バスタオルで包み、お姫様だっこの要領で和室に運んだ。


 一度畳の上に寝かせて、押入れからお客用の布団を引っ張り出し、その上に寝かせた。


 体はそこまで熱くもないし、きっと疲れていたのだろう。湯あたりしたわけではなさそうだ。


 どうにかこうにか浴衣を着せて布団の上に寝かせ、薄地の羽毛布団を被せてやった。


 寝顔を見ていると、不思議な気分になる。


 自分は女には縁がないと思っていたし、最後に女性と交際したのはもう数年も前になる。それも都会でサラリーマンをしていたころの話だ。


 自分の家に彼女を連れ込んだことも実を言うとない。まさか外人を初めて自分の家に連れ込むことになろうとは思いもしなかった。


 その上、不可抗力とはいえ裸体を見てしまった。


 女の裸体を見たからといって興奮して寝られないような若さはないが、彼女の白くて美しい肉体が目の奥に焼きついて消えそうにない。莞爾は自嘲気味に苦笑した。


「やれやれ、俺もまだ若いねえ」


 長い睫毛がぴくりと震える。凛とした表情もかわいらしかったが、寝顔は無垢な感じがして違ったかわいらしさだった。


 枕元に水差しとグラスを置いて、莞爾は居間に戻った。クリスはよほど疲れていたのか深い息で無垢な寝顔を晒している。この調子なら明日の朝まで起きないだろう。


 昼間の残り物を適当に食べて、風呂に入り、軽く汗を流した。その後クリスの持ち物を見たが、バッグの類はなく、パスポートは見つけられなかった。


 それから缶ビールを片手に携帯を取り出した。最近になってようやく携帯も繋がるようになった。もちろん旧電電公社の系列キャリアだ。彼はスマホが苦手だった。


「……あー、もしもし。久しぶり」


 電話の相手は旧友だった。莞爾の声色にかすかに気まずさが滲む。


「そうそう、あいつの結婚式以来だな。ああ……ははっ、ああ、元気だって。そうそう……おお。ああ、それでちょっと頼み事なんだけどさ」


 クリスは身元のわからない女性だ。見た目からすると欧米人だが、だからといって密入国していないと言い切ることもできないし、持ち物もないので何か事件性があるかもしれない。そもそも甲冑姿の金髪美女なんて、普通はお目にかかれない。


「そうそう。全身甲冑のコスプレ姿でさ。うん。お前なら詳しいかなって」


 旧友は外務省に勤めていた。おまけにサブカルチャーにも詳しいので、国内のどこかで外国人を目当てにしたエキスポが開かれているかどうかを確認したかったのだ。


「え、ない? そうか。だったらなんだろう。パスポートも持ってなくてさ。俺もどうしようかって悩んでるんだよ」


 旧友も意味がわからないようだった。


「なんかエウリーデ王国のメルヴィス伯爵の長女だとか言っててさ。それからモザンゲート砦の戦いで敗残兵になったとか……え? ああ、言葉は通じてる。そうそう。お前の言う通りだよ。かたっ苦しい感じだ。女騎士? まあ、そうだな。そんな感じだわ」


 莞爾は続く旧友の言葉に口に含んだビールを吐き出した。


「ぶはっ! おいおい、馬鹿なこと言うなよ。異世界人だって!?」


 どうやら一波乱ありそうだ。

16.11/18、修正。

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