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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

無想

作者: 阿僧祇


 不思議だな…そう思った。

 こんな気持ちは、忘れていた…いや、忘れようとしていた。

 そして、こんな感覚がこの世にあることを知らなかった。

 腕の中には、俺を慕ってくれる女。枕元に刀。足元には投げたされた膳と杯。

 情事の後のけだるい風の中で、その頬に唇でそっと触れながら、俺は昔を思い出しはじめる。


 八丈島を出て駿河の三島へ渡ったのは、もうだいぶ前。

 島を出て何をしようとは思っていなかった。ただ、離れたかっただけだ。この戦国の世に一旗あげようとか、そこまでは考えてなかったはずだ。


 …村長の娘。自分のような、素性の知れない男のものになるはずはない、と知っているはずだった。ただ、遠くから見ていて、たまに声を交わすことができれば満足だ、と思っていた。

 そんな気持ちを知ってか知らずか、娘はいつも親しげに話し掛け、戸惑う俺を見て微笑みを浮かべてきた。

 いつしか、あこがれは慕情となり、ついに抑えようのない恋となる。

 それを狙っていたかのように、娘は祝言を挙げた。山向こうの豪農の若者で、人を人とも思わぬ、俺たち地下人にとっては魔ものに感じられていた奴と。

 だいぶ前から奴らは好き合っていて、こっそり逢瀬をかさねていたらしい。

 それまで菩薩さまのように見えていた娘の顔が、突如として汚れたもののように感じるようになった。

 過去の想いといまの心の攻めぎあいに耐えられなくて、俺は村を抜けた。


 最初についたのは、伊豆の三島。

 三島神社の床下で寝起きしていたら、何を思ったのか神官が一振りの刀をくれた。

 刀…その、美しい姿。

 俺はその姿に「惚れ」た。女の替わりに、こいつに一生をかけてみるのもいい、とそう思ったりもした。

 それから、殺した方が良いような奴をみつけては何人か斬り殺してみた。殺してみたが、どうも手にしっくりこず、違和感だけが残った。


 俺は刀の使い方を熟知してる奴を探してあちこち歩いた。ついに北陸で鐘巻自斉という男を見つけた。短い刀を自在に使い、その技は俺を魅了した。「小太刀」と呼ばれていた。

 入門して必死に真似し、習いもした。あんなふうに鮮やかに刀を「生かして」みたいと思った。

 しかしそのうち、「俺には、他のやり方があるんじゃないか?」と考えるようになってくる。あまりに「心」、「心」と強調するので、強さは心だけじゃないだろうという反発もあった。剣をやってれば必ずこんな考えが浮かんでくる、そのときどうするかで大成できるかどうかが変わると聞いていたから、俺は自分の心を無視して稽古を続けていた。


 同門の佐々木小次郎という男は、天才的な剣の素質があったためか、若いながら自斉の稽古相手を務めていた。だが、自斉が小太刀の技を磨くため、対照的に長い刀を使わされていた。

 あいつの剣は、果てしなく「切れる」剣だった。その「切れ」で小太刀を身につけたかったのだろう。だから長剣ばかり使わされることに不満を持ち、ときどき俺にボヤいていた。

 そのうち不満が爆発した。奴はその不満を長剣の稽古にぶつけた。佐々木は長剣使いに熟達し、自斉でさえ互角に遣り合うのがやっとという状態になった。

 ある日佐々木は、自斉の額に一撃を叩き込んだ。油断もあったと思う。歳のせいもあったろう。

 だがそのまま佐々木は、自斉の娘を奪って逃げた。もともと好き合っていたらしい。

 もっとも、いつだったかその女とは別れたという噂も聞いた。こういう生き方もあるのか、と不思議な感心を起こしたものだ。


 佐々木ほど激しい事はしなかったが、俺もやがて自斉のもとから離れた。まあいろいろ教えてもらって恩は感じている。それでも納得できないことも多く、一生をかける気にはならなかったからだ。

 俺には俺のやり方もある。そういう信念で、諸国を回った。

 ことわざに「師匠は三回変えてもよい」というから、他の師匠を探す手もあったが、

野山の立ち木や獣たちを師匠にする生活も悪くない。


 そうこうするうち、武芸者と勝負したり、偉い人の前で剣の話しをしたりさせられて、いつのまにか俺の名前も知られるようになってきた。こうなると、人の恨みも買うようになってくる。

 すると、何か、他人に誇れるような、俺に殺された奴があの世でみやげ話にできるようなワザを一つ、作り上げたくなった。「極意」というやつだ。

 いろいろ工夫はしてみた。「これだ」と思うことも何度かあった。だが、何日かするとそのワザの魅力は色あせていった。


 神仏に頼るとかそういうのは好きじゃなかったが、こうなると藁にでもすがりたい気持ちになってくる。この俺が、なんでそんな発想したのかわからないが、いつのまにか参篭なんてことをしていた。


 今、俺は鎌倉に住んでいる。

 参篭は百日。昨日で満願だったが、まだ何も起きてない。まあ、そんなものだろうと思った。

 参篭を続けるうち、門前の水茶屋で働いている娘と懇意になった。向こうから盛んに話しかけてきて邪険にするわけにもいかず、また女に関心をもたれた経験もあまりないことからつい調子に乗ってしまった。


 気がつくと、仲が深まっていた。俺よりだいぶ若いが、色事には多少慣れてる風だった。草むらの中で抱きあって時を過ごしたり、手弁当を持って砂浜を歩いたりし、いままで知らなかった幸福感を俺は満喫した。参篭の余福か、と思われた。

 ただ、満願の日まで、「それ」はするわけにいかない。俺は欲望に耐えた。夜半まで剣を振っていたこともある。ワザと娘とどちらをとるかで夜っぴき悩んだりもした。


 今日は満願の日。俺は娘の家に上がり込んだ。家人は留守らしい。

 満願を祝って、膳を給してくれた。ひとつの膳をふたりで味わった。いつしか、味わうものは互いの舌になっていた。

 満願とは言っても、今日までだ。今、この娘を自分のものにしてしまうわけにはいかない。ふたりは、手と口とで互いを慰め合い、そしてそれなりに満足した。

 力尽きてその胸に倒れ込んだとき、不覚にも涙が流れてしまった。

「いかがされたのです?」

「すまぬ…もう少しだけ、こうしていてくれ…」

「…よろしうございます」

 娘は微笑んで、俺の頭を抱いた。

 自分が何のために、剣を手に突っ走って来たのかがわからなくなった。

 力…。力の世界は、他人を押しのけ、叩き殺して自分が生きぬく世界だった。

 だが、ここにあるのは力ではない。やわらかく、優しく包まれる香りだ…平和だ。ここには、あの殺伐とした怒りも、戦いの後の虚しさもない。こんな世界があることを、この歳まで知らずにいたことがただ悲しかった。

 明日。明日からは、自分の心に従おう。すべてを捨てて、この娘と暮らそう。そう考えた。

 やがて、心地よい疲れの中で、俺は眠りに落ちていった。


 突然だった。

 何がなんだかわからないうち、俺は床を転がり出た。暗がりの中で、障子が蹴り破られる音と刀が床に突き刺さる音を聞いた。

「何奴っ!?」

「右だ、そっちへいったぞ!」

 答えはなかった。足音は一つではない。

 娘がいなくなっていたことに気がついた。手探りで刀をさがす。

 あったはずの場所に刀はなかった。

 そこへまた、何者かの刃が降ってくる。

 俺は下帯も着けてないままに筵の上をころがり、手だけでなく足もつかってにかく刀を探った。部屋中転がりまわった。どこにもなかった。

「くそっ!」

 部屋から飛び出そうとした。だが、何かに足をひっかけられ、前のめりに倒れた。

 ふたたび刀が降ってくる。身体を廻して、闇の中に一瞬光ったものをかろうじて躱す。

 とっさに足が出た。

「ぐえっ…」

 襲撃者の腹に、俺の足先がめり込んだらしい。

 その機会に、刀を奪い取ることができた。

 後ろから殺気がきた。振り返る。カキッ、と音がし、火花が散った。

 俺はそのまま刀の峰を左手で押さえて、相手の方に押し込んだ。

「ぐわぁっ!」

 手応えがあり、生暖かい液体が降りかかってきた。そのままもう一度ぐいと押し込んだ。

「ぐ…」

 前の奴が倒れる気配がした。

「くそ!」

 別の奴が足音も高く切りかかってくる。同じように受け躱して押し刺してやろうと思った。

 ところが、さっきとは違う手応えがあった。左手を出したところに刀の峰がなかった。右手で握る柄も妙に軽い。

 右の肩に、何かが張りついているような感触がある。と、見る間にそれは灼熱の痛みとなった。

「く…」

 手元にどれくらいの刀が残っているのかわからない。重さからすると、半分もなさそうだ。

 俺は、自分から相手にぶつかった。そしてたたらを踏むそいつに右の拳をたたきつけるように折れた刀を叩き付けた。

「ぎゃあっ!」

 手応えがあった。

 次の瞬間、何も考える前に右手を後ろへやっていた。

「うぐぅ…」

 胴を薙いだらしい。襲撃者の刀は俺の前へ落ちた。その後で肩に痛みを感じた。

(…なんだ、今のは?)

 曇っていた空に月が出てきた。部屋の中に少し明かりが差し込んだ。

 襲撃者は三人だけだった。三人とも、派手に血を吹きながらのた打ち回っている。

 俺は、素裸のまま、折れた刀を手に呆然と立ち尽くしていた。

(なんだ…これはどういう事だ? それに、俺は今、何をしたんだ?)

 ふと、何も考える前に、障子に斬りつけていた。障子の向こうに手応えがあった。斬ってから、そこに人がいたことに気がついた。

 さっきの三人とはちがう手応えだった。嫌な予感がした。

 俺は、音を立てて障子を蹴り破った。そこには、あの娘が、抜き身の俺の刀を持って殺気をおさえる形相で倒れていた。

 俺は、呆然と見おろしながら自分の刀を娘の手から奪い取った。

 後ろで、女の名を呼ぶ声がした。刺客の一人が、血を吐きながら泣いていた。

 殺気はあったが、危険は感じなかった。

「貴様ら…謀ったのか! 女も仲間か!」

「伊藤一刀斉…! かた…き…」

 俺は、自分の刀で、そいつの首を切り落とした。首は床に転がった。

 俺は素裸のまま外へ出て、月明かりに血刀を見つめた。血が乾いて、柄は手に張り付いていた。

(女に気を許して殺されかけた…刀に気を許して殺されかけた…。そして、己に助けられた…己の心にではない、己の体に!)

 月に吠えて、大岩に斬りつけた。岩は二つに分かれた。だが軟らかい地面に触れたとき、刀は三つに折れていた。




 …のちに彼が開いた「一刀流」には、「無想剣」という極意があったという。


 <完>


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― 新着の感想 ―
[良い点] 予想のつかない結末。驚きました。 [一言] 未熟な戦国時代小説家なので、勉強になりました。 読者の予想を上回るストーリーは素晴らしいです。 お互い読者の皆様に喜ばれる小説を書いていきま…
2013/10/31 17:38 退会済み
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