第24杯 ②
あたしはお風呂を借りた日を思い出しながら話す。
「直後は少し様子がおかしかったけど、でも――その後ハイツに帰ってお風呂借りた時はいつもの洋輔だったから、気に掛けてなかったな」
「そう、もしかしたら一人になった時に何かまたあったのかもしれないね」
藤井くんがそれで言葉を終わられるのだった。
後はあたしたちには考えの及ばない何かがあったのかもしれない。そう思うと少しずつ洋輔が心配になってきた。その後は特別な会話もせず、無難な会話を選んで話を終わらせた。
「それじゃ、藤井くんお風呂ありがとうね」
「ああ。困った時はお互い様だよ。おやすみ」
「おやすみなさい」
「あっ」
戸惑う顔とは裏腹に藤井くんはあたしの腕をしっかり掴んだ。
大きな手はあたしの腕を掴んだまま放さない。それが持ち主の心を現しているかのように意志が伝わる気がした。
振り返ったあたしに藤井くんは何か言いたい感じで、言葉を詰まらせる。
「えっ……と、その」
あたしは何も言わずに藤井くんが話すのを腕を掴まれた状態で待つ。
「あ~その……いつも俺の事だけ――――名字で呼ぶなって」
「確かにそうだね」
「ほら、洋輔の事は名前で呼ぶから……」
「洋輔が名前で呼んでって言ったからかな」
「なんだ、そうだったの?」
あたしにはガラッと藤井くんの様子が変わった感じがした。
それはあたしの言葉を聞いた途端、気のせいかワントーン声が上がったような―――――気のせいかな、と思い直して話をする。
「うん、ほら初めて会った日、藤井くんはバイト行ったでしょ。それからどう呼ぶかキッカケがなくて……それで藤井くんって――――それに藤井くんもあたしの事……」
何が言いたいのか伝わった様で、藤井くんはフッと笑みを浮かべた。
「確かにね」
「……お互いどう呼ぶか決める、それとも……」
「ううん、この呼び方でしっくり今はきてるよ」
「実はあたしも」
お互い顔を見てから、可笑しくてクスッと笑い合うのだった。
いつの間にかあたしの腕を掴んでいた手の温もりがなくなっている事に気がつく。
あたしはその腕が寂しくて、自分の手でなんとなく軽く触れるのだった。
「その引き止めてごめんね」
「ううん、大丈夫」
あたしの言葉に胸を撫で下ろした様子の藤井くん。
これで話が終わってしまうのかも、と感じたあたしはもっと話していたい、と急にそんな想いが自分の中にあるのを感じずにはいられなかった。
「……あ、あの―――今度よかったら食事に」
あたしの申し出にビックリしたような表情を浮かべる藤井くん。
その顔であたしは動揺して、プチパニックを起こした。アタフタとひとり彼の前でもだえる。
「そっそう! お風呂貸してもらったお礼に……」
「あっああ――――お礼に? もちろんだよ、是非行こう」
「よ、良かった……」
「そんなにホッとしなくても、俺そんなに変な顔してたのかな。全然楽しみだよ」
「あたしもっ」
あたしの力強い言葉に藤井くんは目を細めて笑みを浮かべる。
「そう、それじゃ今度こそ――おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
藤井くんの玄関の前で彼に見送られたあたしは自分の部屋に帰る。
部屋に帰る途中少しくすぐったい気持ちが芽生えていた。
藤井くんに言われるとおやすみという言葉が、あたしには不思議と特別な気がするのだった。