第10杯 ④
「こう見えても、実は……高校の時グレた奴のトップだった。だから、他人や親にでも恐れられる事はあっても、優しくされる事も本当に必要とされる事も、久賀さんと出会うまではなかった。あの人はそんなあたしを無条件に愛してくれた」
「そう……だったんだ」
「――――ああ。それがあたしにとって居心地のいい、居場所になってた」
「居心地のいい、居場所――――」
違和感のある言葉を小さく呟いたあたし。
そんなあたしの方を見てから頷くマス姉。
「出会った頃はあんな嫌味な野郎じゃなかったし、本当にあたしだけを愛してくれてた。上司の娘と結婚しても……あたしから別れを言い出しても……気がつけば、いつもあの人が自分の方にあたしを引き戻してた」
「それで……今まで?」
「いや――――引き戻される内に本当の事をあたし自身が気づいた――――別れられなかったのはあたし……じゃないのかって。あたし自身でかけた呪縛を解く事が、今に至るまで、できなかったのもしれない」
「それ――――もし、かして、あたしの?」
「あくまでキッカケにすぎないよ。ただ、呪縛を解く頃合だった――――どっちにしても限界だったんだよ」
「マス姉――――」
陰気な顔のあたしを見たマス姉が、逆に励ましてくれるのだった。
「ああ、もうっ! 董子ちゃんまで、んな顔するなって。新しい相手ぐらいすぐだよ」
あたしは返す言葉が見つからず、何も言えないでいた。マス姉は自分が辛いのに、どんな時でも人を気づかってくれる。
「ほら、笑いなって」
マス姉がそう言うと、おもむろにあたしの頬をつまんだ。左右にあたしの皮膚が引っ張られる。その上、口も引っ張られて、うまく喋れない。
「ひゃいって、いひゃいひょ」
「ごめん、ごめん」
可笑しそうに笑うマス姉。あたしの頬から、自分の指を放した。
あたしが頬をさすっている間に、マス姉は立ち上がるのだった。
「さてと、重箱でもつつくかな。董子ちゃんも食べな」
「はぁい」
マス姉が座っている横にあたしも移動してから、腰かけた。今だ、哲太さんはマス姉が作った重箱のおかずをむさぼっている。
「このチューリップ揚げ、うまいですよ。ますみさん」
「そうかぁ? ありがとな」
「これもうまいですよ」
「ああ、もうわかったわかった。わかったから、何も言わず食べな」
マス姉が、一生懸命な哲太さんを見て、優しく微笑んだ。
ふたりの会話を聞いて、感じたけど、哲太さんって、こんなにしゃべるんだ。それとも、哲太さんなりにマス姉を励まそうとしてるのかな。そう思ったら、ここはあたしがいると、お邪魔かもしれないから、退散。
あたしはふたりを邪魔しないようにそっと彼らから離れるのだった。