第8杯 ④
「――――お互いわかっていたはずだろ?」
「わかっていた?」
「ああ、大人の付き合いだろ」
「本気で言ってるの、それ?」
「今さら、なんなんだよ」
“久賀さん”の悪態をつく姿を見て、心底マス姉は落胆している。
今までの憤りの限界が達したらしく、いつの間にかふたりのいるテーブル前に哲太さんが立っていた。
「あんたなぁ、ふざけるなよ!」
哲太さんは座っている“久賀さん”の首根っこを勢い良く掴んだ。
突然の事に驚き慌てふためく“久賀さん”の姿は、本当に怯えている様。
「あれ、止めに入った方がいいんじゃないかな?」
「いいじゃなくね」
藤井くんがそう言ったのを、涼しい顔で即答する洋輔。
ふたりのやり取りを見ていたが、あたしは何も言えずにいたのだった。
まだ、視線の先には首根っこ掴んだ哲太さんの姿がある。そんな彼に“久賀さん”は怯えながらも、反論する。
「なっなんだ君は。き、君には、関係ないだろっ」
「関係なくても、ますみさんを悲しませる奴は」
ふたりの男の間にマス姉が割って入る。
「お願い、哲太」
“久賀さん”をかばうマス姉のすがる顏が、哲太さんには切なすぎて、まともに見る事ができない。彼は腰砕けになった“久賀さん”の首から力なく手を放した。
「ったく、この男はお前に気があるんじゃないのか?」
「そんなんじゃ、ない」
「なら――――寝たのか?」
“久賀さん”の言葉に再度頭に血が上って、りんごのように真っ赤な顏の哲太さん。
「こいつっ!」
哲太さんが殴り掛けたのを、マス姉がもう一度止める。
「やめて!」
「こんなすぐ暴力をふるう男、どうせ学もないんだろ」
「今、そういうのは関係ないんじゃない。それに哲太とは寝てなんかない」
「だろうな、君には不似合だ。こんな暴力男」
ネクタイを締めなおした久賀さんが、クズでもみるよな目を哲太さんに向けた。
「君は引っ込んでてくれないか」
哲太さんの肩を手で押しのける。そして、視線をマス姉に移すのだった。
「やっぱり、僕の事を愛しているんだろう。だから、かばってくれたんだろう、ますみ」
そう言って、マス姉の肩を抱き寄せようと、“久賀さん”は腕を伸ばす。ところが、彼女はその腕をスルリとかわした。戸惑いのせいなのか、彼の顔が少し険しくなる。何も言わずただ黙ったままジッと彼女をみるのだった。
マス姉はそんな“久賀さん”を見ずに、荷物を彼に押し付ける。
「はい、コレ。もう――――十分でしょ」
納得できない“久賀さん”は皮肉交じりに鼻を鳴らした。
「フン。よ~く……わかったよ」
「なら、もう用はないでしょ」
マス姉はCafeの出口の方に腕を伸ばして、ココから出て行く事を、“久賀さん”にうながす。今度はしっかり、彼の顔を見据えるのだった。
観念した様子の“久賀さん”は無言で歩く。その後ろにマス姉がついて歩く。ゆっくりと出口に向かうが、急に彼がピタっと歩みを止める、出口の前で。
「ああ、そうだな。こんな気配りのない店員とほとんど客がいなくて、薄汚い店には用はないね。言っちゃなんだが、出されるコーヒーもまずそうだ」
自動ドアが開いて、何かが、自動ドアの向こうにある壁に勢いよく吹っ飛んだ。