治療
「母さん!」
暗闇の中で、結生は叫ぶ。
「父さん!」
漆黒の暗闇の中、全力で発したその声が虚しく消え去っていく。
彼女は涙を流した。
捨てられたんだ、私は。
そう実感した。
黒服の男達が自宅を訪ねてきた日の事を思い出す。
まるで催眠をかけられたかのようにボンヤリした顔で、父と母が男達と会話している。
その間、結生はまるで監視されているかの如く、男達と共に来た一人の白人女性の近くにいた。
「スリプナーって呼んで。」
彼女はそう結生に告げる。
長めのブロンドヘアをポニーテールにしてまとめたその若い女は、優しそうに接しながらも目はしっかりと結生の表情の微細を伺っていた。
「あの…私の父さんと母さん、もしかして何か悪い事したんですか…?」
ためらいがちに結生はスリプナーに尋ねる。
彼女は灰色のスーツを着たその身を、ゆっくりと結生に寄せて優しく微笑む。
「大丈夫よ。困った時は何でも言って。貴方が危ないところに行っても、私が危険から連れ返してあげるから。」
…暗闇の中で結生はひたすら回想する。
父の顔。
母の顔。
貧しいながらも自分を育ててくれた両親の事を思い返した。
そして何度も、遠い故郷での思い出を頭に廻らせて、泣いた。
記憶は遠く薄れ、そして遠ざかっていく…
「小さな同志よ。目が覚めたかい?」
“枢機卿”の眼鏡をかけた顔が目の前にあった。
結生は医務室のベッドから、バネが弾けた様に飛び起きて、
「……うっぐあ!」
神経を削られるような痛みにあえぐ。
包帯でぐるぐる巻きにされた、自分の右手を凝視する。
“枢機卿”は言った。
「意識も戻った事だし、“赤のシペ・トテック”、治療を頼めるかな?」
「Si,(はい)同志。」
灰色の男にそう答える、浅黒い顔の少女には見覚えがあった。
クラスは違うが何回か廊下ですれ違った事がある。
名前は確か…
「マリーア・ミゲル・デ・ミニョーラ。よろしくね。」
そう言って彼女は黒いスカートのポケットからナイフを取り出して刃を露出させる。
後ろから女性が一人近づいてきて結生の右手の包帯を解き始めた。
その顔を見て結生は驚いた。
「スリプナーさん!」
話そうと思った直後、包帯が皮膚の表面から剥ぎ取られた。
味わったことの無い激痛が彼女の喋りかけた口を塞ぐ。
「っ!!」
えづく様なうめきが漏れる。
「治るって信じてね。そう思わなけりゃダメだよ。」
そう、マリーアは結生に言う。
そして左手に持った小さいナイフの刃を、自身の右手のひらに当てると、一気に皮を削いだ。




