講義
「君達は己を知り、克服しなければならない。」
魔術的なシンボルや、ルーン。
北欧風の雑貨や小物が並ぶ室内。
怪しげな物品がところ狭しと置かれているが、不思議と陰気さは感じない。
ここはこの学園の化学教授、フェルディナント・フォン・オーデンセの自室。
“リオ・グランデ”での一戦から一週間。
一応の“停戦協定”を結んだ結生たちは休日を使って、朝早くからこの部屋に集まっていた。
並んで椅子に座る少女達、結生、マリーア、そしてルシーア。
三人の娘を前にして彼は後ろ手に手を組んで立ち、語る。
「己を知り、自らの心がどうやったら満たせるのかを知るべきだ。全知全能になる必要はない。知りすぎてはならない。知らなければ幸せでいられる。賢すぎれば、その心は稀にしか満たされぬ。」
銀色の長い髭を撫で、オーデンセ教授は語る。
結生は彼の年齢不詳気味の、ほんの少しだけ陰がある顔を見つめる。
…50歳くらいだろうか?
しかし、例えば30代半ば等と言われても納得してしまう。
それくらいその、長い銀髪を真後ろでまとめた、オーデンセの容貌はミステリアスな雰囲気を放っていた。
結生はこの教授を内心、苦手に思っていた。
風変わりな偏屈者、というのが学内での主たる評判である。
チェコはプラハの錬金術師の家系の生まれ。
ルーン占い師、果ては本物の魔法使いだと言う噂まであった。
眉唾だと、今まで思ってはいたが…
摩訶不思議な“神影”と言うものに接する日々の中、そういう“魔法”みたいな物事も、あってもおかしくないのかな、と結生は思う。
そしてそのオーデンセが、今や“神影”の扱い方、コントロールの方法を教授する“先生”なのだった。
様々な物品が置かれているせいで、広さの割りに手狭になっている室内。
その壁に掛けられた、化学記号や数式、あるいは意味不明な錬金術的シンボルがチョークで書き連ねられている黒板の前を、オーデンセ教授はつかつかと行ったり来たりしながら話す。
神々の影とは何か。
いつどこで、どのようにして発見されたか。
その本性、本体をめぐる仮説。
能力に応じての分類法、等々。
椅子に並んで座り、聞いていてだんだん、結生は眠くなって来て、まぶたが落ちかけてそして…
「いいい痛ぁたたた…」
口元を押さえ呻く。
細い傷から出血があった。
ジンジンと強みを増す痛みに、結生は思わず涙目になる。
「あららぁ、ゴメンねぇ」
マリーアが立ち上がって結生の方を向く。
「私の“神影”はねぇ、切り傷治すのは下手なんだぁ。」
持て余し気味の長袖を振りながら言う。
ポケットから緋色をしたハンカチを出し、結生に手渡して座る。
「本当にな…。」
舞台女優の様な通りの良い声が聞こえた。
ルシーアが包帯の巻かれた自分の手首をさする。
「だがこの“肉”の詰め物のおかげで、多少は経過が良い。」
「その手で掴む時が来るだろうか?」
唐突にオーデンセは語る。
三人の少女が一斉に彼の方を向く。
「掴む事が出来るだろうか?火に水をかけるが如くに、痛みを鎮める魔法の言葉を。」
そう言うとこの風変わりな紳士は、テーブルに備え付けの引き出しから、一本のペーパーナイフを取り出した。
テーブルの表面を薄く、なぞるように描く。
結生はペーパーナイフの動きを、涙ぐんで霞む眼で追った。
Fの形をやや傾けたような図形。
追っているうちに、何故か痛みが和らいで来た。
「痛みを打ち消すものは何か。それは問いに対する“答え”だ。Aルーン。Aは答え(アンサー)のAと覚えよ。」
浜辺の熱い砂浜に、冷たく青い潮水がかかった様な…
引いていく痛みの名残を噛み締めながら結生は、真っ直ぐ前を向いてオーデンセの顔を見る。
これは魔法だ。
小さい頃、母親に読んで貰った絵本。
女の子に、カボチャの馬車を出した魔法使い。
幼き頃の思い出との邂逅に、結生は痛みからの物ではない涙を流した。
彼女は言った。
「あなたの言う魔法を教えて下さい。お願いします。」
「良いとも。」
彼は言った。
「私は歩く呪いで、世界樹に吊るされた魔術師さ。小さな魔女よ。君の長い長い散歩道は、これより始まるのだ。」




