スレイプニル
…気がつくと結生は窓の無い、地下駐車場の様な場所にいた。
キョトンとして周囲を見回す。
誰もいない。
寒々しい蛍光灯の明かりが照らす、広くて何もないコンクリートで構築された空間。
そこには何も無く、そして誰もいなかった。
結生と、彼女に並んで立つスリプナー以外は…
灰色のスーツ姿の彼女は大人びた表情で微笑んで、結生に尋ねる。
「落ち着いたかしら?」
「スリプナーさん、ここは一体…?」
「『生存圏』よ。」
「?」
結生は首を傾げる。
「…危なかったわね。」
「……!」
結生の口から悲鳴が漏れてコンクリートの床に反響した。
「タパは?マリーアは!?」
スリプナーはまた振り返り、結生の方を向く。
「心配しないで。ここは時間の流れも、空間の遠近もない場所。焦る必要はないわ。全員病院に運ぶから。私は危険な場所から、皆を救い出す。」
結生は彼女の言葉を一つ一つ、受け取る様にしながら聞いて頷く。
「あの、私…」
へこんだ腹の前で、左手をギュッと強く握りしめる。
青白い蛍光灯の明かりの下、細い筋肉の筋が、病的に明るく浮いて見えた。
スリプナーは彼女に近づいて来て、優しく抱きしめる。
「次やったら、もう許しません。」
彼女は言った。
「“縛りあげる”という性質から、さほど危険なチカラではないと、私達も見誤っていたのかも知れない。あなたは自分の能力をコントロールする力を身につける必要があるわ。その手助けが、私達には出来る。」
「スリプナーさん。あなた、は…?」
途切れ途切れに結生は問いかけるように言葉を発する。
「……。」
沈黙が何もない無の領域を駆けた。
音もなく、気配もなく、それはいつの間にか“いた”。
真正面から向き合う形になったので結生は再び、軽く悲鳴をあげた。
空中に浮かび上がる八本足の馬。
その毛皮は曇り空のような灰色。
そのたてがみは月のような白色。
美しい馬が宙を浮いて顕現していた。
スリプナーは結生を見つめて言った。
「私は虚空を駆け抜け、海も空も飛び越え、生と死の境界すらも超えていく。」
凛と伸びた声が、空間にこだまする。
「助けが必要なら呼んで頂戴。海の底だろうが、空の果てだろうが、例えそこが戦場でも、生死の境、忘却の水が湧く場所でも、私は駆けつけてあなたを救うから。」
そう語るスリプナーの荘厳な声の響きと、幻馬の放つ威厳ある覇気に圧されて、結生はひたすら立ち尽くしている。
スリプナーは続けた。
「…録音機は没収しておくわ。彼女には話をつけておく。何も心配しないで。」
…聞いているうちに意識が遠くなる。
とろりとしたゼリーに包まれた様な感覚がして、結生は強烈な眠気に襲われた。
「軍神テュール。あなたのチカラを、助けを求める者達の為に振るうのよ…」
意識がぷっつりと途切れ、結生は再びあの、奇妙な落下感に包まれて行った…




