慈悲
「…この…!」
ルシーアは断末魔の悲鳴をあげながら燃える妹を振り払った。
「“断て”!」
…聞き覚えのある声がした。
浅野結生が流血する傷を手で押さえつつ、立ち上がってはっきりとこちらを睨んでいた。
…完全に虚を突かれた。
両手首、両足首に限定してエネルギーの紐が巻かれる。
彼女は後ろ手に縛られ、拘束された。
「くっ…!」
がっくりと膝をつく。
完全に四肢の自由を奪われた。
しかし、彼女の能力は身体的な自由度に依存するものではない。
“神の影”としての自意識。
流れ込む超自我と闘争への欲求は留まる事を知らなかった。
再び火の勢いが巻き返す中で、ルシーア・ミゲル・デ・ミニョーラは叫ぶ。
「舞い散れ!塵となれ!飛散せよ!渦中に消えよ!」
台風の只中に等しい猛烈な豪風が、その場にいる全員を包む…
「断ち切れぇっ!」
結生の声が合わせて響く。
「!!」
ルシーアを締め上げる“紐”の強さが変わった。
まるで細い糸をジャガイモに巻き付けて、切断するが如くに。
彼女の細い四肢をねじり切らんと強烈に締め上げた。
手首、足首の血流が止まり、青い力線が食い込んで、ミチミチと音をたてて肉を裂いていくのを、心臓を突き上げる激痛の衝撃でもって感じた。
「ううう、ああああっ!」
壮絶な悲鳴をあげるルシーア。
結生は自分の心に、自分ではない何かが染み込んで来るのをはっきり感じていた。
「軍神テュール…!」
目を瞑り想起する。
屈強な、片腕の戦士。
魔狼を捕縛した勇敢な神。
今やそのイメージが、彼女の頭の中を支配していた。
結生は左手を伸ばし、叫ぶ。
「“断て”!」
ルシーアの両手首が裂け、両足首が裂け、血が噴水の様に噴き出し、断末魔の彼女の雄叫びが轟いた。
「やめて!」
マリーアの悲嘆の声が響いた。
結生は目をあける。
再生しかけの継ぎ接ぎじみた皮膚に、まだらに焼け焦げた服。
褐色の、ピンク色が露出する顔が、結生の前に立ちはだかっていた。
「…やめて。それまでにして。」
震える声が懇願する。
姉を背後にして、マリーアは結生に訴えかける。
「闘わねばならない。さもなければ皆死ぬ。」
結生の、血塗れの口から囁きが漏れる。
それは彼女のモノではもうない。
彼女の主である神のモノだった。
「敵の息の根を止めよ。一族郎党皆殺しにすべし。我らは生きる。」
「…お願い。姉さんを殺さないで。」
呻くルシーアの前を塞ぐマリーア。
…褐色のまぶたが完全に見開かれ、結生を見つめる。
その時。
「助けに来たわ。」
結生の耳に、スリプナーの声が背後から聞こえ、目の前が真っ暗になって、そして不思議な落下感に包まれて、意識が遠のいて行った…
…意識を失い、崩れ落ちた結生。
うずくまり、血の海に伏せるファラフナーズ。
そして血に塗れ、煙を上げる制服を必死にもがき消火するミニョーラ姉妹。
目茶苦茶になった店内。
厨房の出口に、料理の盛られた皿を持って立ち尽くす一人の姿があった。
店主ホセ・ミゲル・デ・ミニョーラは叫ぶ。
「俺の店が!!」




