第3話:土塊の城塞
メイプル、ケン、そしてカナデ。聖騎士、魔術師、地形師という異色の三人組は、意気揚々と始まりの街アークライトを後にした。目指すは、街の南西に位置する初心者向けダンジョン『ゴブリンの洞窟』。道中、出現するスライムや巨大な蜂といったモンスターは、メイプルが分厚い盾で攻撃を受け止め、その隙にケンの放つ『ファイアボール』が正確に敵を焼き尽くしていく。
見事な連携だった。メイプルは敵の攻撃パターンを即座に見抜き、的確な位置取りでケンの射線を確保する。ケンは無駄な動き一つなく、最小限のMP消費で最大火力を叩き出す。βテストにも参加していたという二人の練度は高く、安定感は抜群だった。
その間、カナデに出来ることは何もない。ただ二人の後ろをついていくだけだ。戦闘能力ゼロの『地形師』は、開けた平原での戦闘においては、文字通りお荷物でしかなかった。
「ごめん、何もできなくて」
一体のモンスターを仕留めた後、カナデが申し訳なさそうに言うと、メイプルは笑顔で振り返った。
「何言ってるのよ! カナデはダンジョンで活躍してもらうんだから、今はMP温存しとかないと! ね、ケン?」
「ああ。適材適所だ。問題ない」
フードの奥から聞こえるケンの声も、平坦ではあるが責めるような響きは一切ない。二人の気遣いが、カナデの心を少しだけ軽くした。それでも、パーティの一員として貢献できていないという事実は、彼の肩に重くのしかかっていた。早く自分の価値を証明したい。その思いが、彼の胸中で静かに燻っていた。
やがて、一行の前に岩肌をくり抜いたような、不気味な洞窟の入り口が見えてきた。入り口周辺では、すでにいくつかのパーティが、警備役のゴブリンたちと激しい戦闘を繰り広げている。剣戟の音、魔法の爆発音、プレイヤーたちの雄叫び。まさに、VRMMOのダンジョン攻略らしい光景だ。
「よし、私たちも行くわよ!」
メイプルが盾を構え、先陣を切って突入しようとする。だが、その腕をカナデがそっと掴んで止めた。
「メイプルさん、待って」
「ん? どうしたの、カナデ?」
「正面から行く必要は、ないかもしれません」
カナデの視線は、入り口の真上、高さ五メートルほどの岩壁に向けられていた。そこには、換気口か何かのように、もう一つ小さな穴が開いている。大人一人がやっと通れるくらいの大きさだ。
「あそこから入れませんか? 警備のゴブリンをスルーできるはずです」
「え、でもあんな所、どうやって……あ!」
メイプルはそこまで言って、カナデの腰にあるスコップに目をやり、ニヤリと笑った。ケンも心得たように頷いている。
カナデは洞窟入り口の喧騒から少し離れた岩壁に移動すると、慣れた手つきでスコップを振るい始めた。『ディグ』と『モウルディング』をリズミカルに繰り返し、あっという間に岩壁に足場をいくつも作り出していく。それはもはや階段と呼べるものではなく、ロッククライミングのホールドに近い、簡易的な足場だった。
「すごい……もう手慣れたものね」
「彼のスキルは、発想次第で無限の可能性があるな」
感心する二人を尻目に、カナデはひょいひょいと自作の足場を登っていく。高所の穴にたどり着くと、下で待つ二人に合図を送った。
「どうぞ。気をつけて」
運動神経のいいメイプルは軽々と、ケンも見た目によらず安定した動きで登ってくる。三人は、他のパーティが苦戦している警備ゴブリンを尻目に、労せずして洞窟内部への侵入に成功した。
内部は、ひんやりとした湿った空気に満ちていた。松明の明かりが壁をぼんやりと照らし、複雑な通路が奥へと続いている。典型的な洞窟ダンジョンだ。
「よし、ここからは私たちの出番ね!」
メイプルが先頭に立ち、盾を構える。その後ろにケンが控え、カナデはさらにその後方、最後尾に位置取った。
すぐに、通路の角から棍棒を持ったゴブリンが二体、奇声を上げて飛び出してきた。
「来たわね! 《シールドバッシュ》!」
メイプルが盾で一体を殴りつけ、怯ませる。もう一体が振り下ろした棍棒を、盾で的確に受け流した。そのわずかな隙間を縫うように、後方から炎の塊が飛来する。
「《ファイアボール》」
ケンの放った魔法が、一体のゴブリンに直撃し、断末魔と共にポリゴンへと変わる。残った一体も、メイプルが危なげなくヘイトを引きつけている間に、ケンの追撃の魔法で沈黙した。
完璧な連携だ。しかし、カナデはやはり何もすることがない。ただ、戦闘が終わるのを待つだけ。先ほどの入り口での活躍で少しだけ軽くなったはずの気持ちが、また重くなっていく。
「この調子でどんどん進むわよ!」
メイプルの明るい声に促され、一行は洞窟の奥へと進んでいった。いくつかのゴブリンの集団を難なく退け、順調に攻略を進めていく。やがて、彼らは少し開けた場所に出た。しかし、その先は一本の細い通路になっており、その奥、二十メートルほど離れた高台には、弓を構えたゴブリンアーチャーが三体、陣取っていた。
「うわ、厄介なのがいるわね……」
メイプルが顔をしかめた。こちらの姿を認めたゴブリンアーチャーたちが、早速矢を放ってくる。ヒュン、と風を切る音を立てて飛来する矢を、メイプルが盾で弾いた。
「私が前に出てヘイトを取るから、ケンはその隙に魔法を!」
「射線が通らない。あの通路は狭すぎる。それに、高低差もある。こちらの魔法は届きにくいが、向こうの矢は一方的に届く」
ケンの冷静な分析通り、状況は極めて不利だった。メイプルが盾で防ぎ続けても、いずれはじり貧になる。ダメージは受けなくとも、盾の耐久度が削られていくだろう。
他のパーティなら、一人が決死の覚悟で突撃し、その隙にもう一人が攻撃、といった力押しの戦法を取るしかない場面だ。当然、被害は免れない。
「……なるほど。こういうことか」
その時、後方で静かに状況を見ていたカナデが、ぽつりと呟いた。彼の目には、焦りの色はない。むしろ、ようやく出番が回ってきた、とでも言いたげな好奇の光が宿っていた。
「メイプルさん、ケンさん。少しだけ時間をください」
カナデはそう言うと、二人の足元でスコップを構えた。
「スキル、『ディグ』」
ザクッ。メイプルとケンが立っている、まさにその地面を掘り始めたのだ。
「ちょ、カナデ!? 何して――」
驚くメイプルだったが、すぐに彼の意図を察した。カナデは驚異的な速度で地面を掘り進め、あっという間に深さ一メートルほどの塹壕を掘り上げた。
「中に! 早く!」
カナデの声に、二人は塹壕に飛び込む。直後、頭上を数本の矢が通り過ぎていった。ゴブリンアーチャーの攻撃は、塹壕の中にいる彼らには届かない。
「す、すごい! まるで要塞じゃない!」
「敵の攻撃を完全に無効化したか。シンプルだが、効果は絶大だ」
塹壕の中で、メイプルとケンが感嘆の声を上げる。しかし、カナデの仕事はまだ終わらない。
「これだけじゃ、向こうも撃ってこない。おびき出す必要があります」
彼は塹壕の中から、掘り出した土を前方に積み上げていく。『モウルディング』のスキルで土を固め、胸の高さほどの壁を瞬く間に作り上げた。それは、ゴブリンたちの射線を完全に遮る、即席の土塁だった。
矢が飛んでこなくなったことで、高台のゴブリンアーチャーたちは痺れを切らしたらしい。数体が弓を捨て、短剣を手に高台から飛び降り、こちらへ向かってくるのが気配で分かった。
「来ます! メイプルさん、お願い!」
「任せなさい!」
メイプルが塹壕から飛び出し、土塁の脇で盾を構える。そこへ突進してきたゴブリンたちを、見事に受け止めた。敵は三体。しかし、狭い通路で横一列に並ぶことはできず、縦に連なっている。メイプルが相手にするのは、実質一体だけだ。
「今だ、ケン!」
「《ウィンドカッター》!」
メイプルの肩越しに、ケンの放った風の刃がゴブリンたちを切り裂く。一体、また一体と敵が倒れていき、あっという間に殲滅してしまった。
「やったわね! カナデ、あんた最高よ!」
メイプルが満面の笑みでカナデの肩を叩く。
「ああ。君がいなければ、回復薬をかなり消費していただろうな」
ケンも、フードの下で満足げに頷いているのが分かった。ようやく、パーティに貢献できた。その実感が、カナデの胸を温かいもので満たした。自分の力が、仲間を守り、勝利に繋がったのだ。
この難所を抜けた先、洞窟の最奥部は広大な空間になっていた。そして、その中央には玉座のような岩にふんぞり返る、一回りも二回りも大きなゴブリンがいた。手には巨大な鉄の棍棒。ゴブリンリーダーだ。周囲には、エリートと思しきゴブリンが数体控えている。このダンジョンのボスに違いなかった。
「ラスボスのお出ましね! 気合入れていくわよ!」
メイプルが雄叫びを上げて突進する。ボス戦の火蓋が切って落とされた。
ゴブリンリーダーの攻撃は、雑魚とは比べ物にならないほど重い。メイプルが盾で受けるたびに、派手な音と共に彼女の身体が大きく後退する。ケンが魔法で援護しようにも、取り巻きのゴブリンたちが巧みに間に入り込み、なかなか決定打を与えられない。
「くっ、こいつら邪魔ね!」
メイプルが苦戦している。このままではジリ貧だ。
カナデは戦況を冷静に観察しながら、再びスコップを握りしめた。ボス部屋の床は、幸いにも土と岩で構成されている。“編集可能”な領域だ。
(リーダーの動きを直接止めるのは難しい。なら、まずは周りから……!)
カナデは、取り巻きのゴブリンたちが動き回るルートを予測し、その進路上で『ディグ』を発動した。狙うのは、敵の足元。深さは必要ない。足を軽く取られる程度の、小さな落とし穴で十分だ。
一体のゴブリンが、ケンの魔法を妨害しようと回り込んできた。その足が、カナデの作った窪みにはまる。
「グギャッ!?」
ゴブリンが体勢を崩し、無防備な隙を晒した。ケンはそのチャンスを逃さない。
「《ファイアボール》」
放たれた火球が、見事にゴブリンを捉えた。
カナデは次々と、戦場に小さな罠を設置していく。彼の空間把握能力が、敵の動きを正確に読み取り、最適な場所にトラップを仕掛けていく。取り巻きゴブリンたちは、次々と足を取られて動きが鈍り、メイプルとケンの的確な連携の前に数を減らしていった。
「ナイスよ、カナデ! 動きやすいわ!」
「援護に感謝する」
やがて、残るはゴブリンリーダー一体となった。だが、その巨体から繰り出される一撃は、依然として脅威だ。メイプルのHPも徐々に削られている。
「ケン! あれ、いける!?」
「詠唱に五秒かかる。隙を作れるか?」
ケンが言っているのは、おそらく彼の持つ最大火力のスキルだろう。五秒。戦闘の真っ只中では、永遠とも思える時間だ。
「五秒……。カナデ、お願いできる!?」
「やってみます!」
カナデはゴブリンリーダーに狙いを定めた。リーダーが巨大な棍棒を振り上げた、その瞬間。
「今です! 『ディグ』!」
カナデのスキルが、リーダーの軸足となっている地面を抉った。強固なはずの地面が、突如としてその支持力を失う。
「ゴ、ゴアア!?」
ゴブリンリーダーの巨体が、ぐらりと大きく傾いた。振り上げた棍棒は目標を逸れ、空を切る。致命的な隙が生まれた。
「――燃え盛る嵐よ、敵を喰らえ! 《ファイアストーム》!」
その五秒間、完璧に詠唱を終えていたケンの杖から、渦巻く炎の嵐が解き放たれた。ゴブリンリーダーの巨体を完全に飲み込み、凄まじい轟音と共に燃え上がらせる。
断末魔の叫びを上げる間もなく、ゴブリンリーダーは光の粒子となって消滅した。後には、いくつかのドロップアイテムと、小さな宝箱が残されている。
《ダンジョン『ゴブリンの洞窟』をクリアしました!》
システムメッセージが、三人の勝利を告げた。
「……やった……やったわー!」
静寂が戻った洞窟に、メイプルの歓声が響き渡った。彼女はヘルメットを脱ぎ、汗で濡れた髪をかき上げながら、満面の笑みでカナデに駆け寄った。
「カナデ! あなた、本当にすごい! 天才軍師よ! あなたがいなかったら、絶対にこんなに楽には勝てなかった!」
「ケンもナイスタイミングだったな。最後の魔法、すごかったぞ」フード越しにケンの肩をぽん、と叩くメイプル。
「……君の作った隙が完璧だったからだ」
ケンも、静かだが確かな賞賛の言葉を口にした。
戦闘力ゼロの地形師。しかし、彼は戦場のルールそのものを支配できる。仲間と連携すれば、どんな強敵とも渡り合える。カナデは、スコップを握る手に力を込めた。これは、ただの土木作業員ではない。戦場を創造し、勝利への道を切り拓く、唯一無二のクラスなのだと。
「さ、お宝お宝!」
メイプルが鼻歌交じりに宝箱を開ける。中からは、そこそこ性能の良い武器や防具、そしてこのダンジョン固有の素材アイテムが出てきた。
「どうする? この剣、STR補正がつくから私がもらってもいいかしら?」
「構わない。俺は魔力系の装備が欲しい」
「カナデは? 何か欲しいものある?」
三人は、戦利品を囲んで和気あいあいと相談を始める。そこにはもう、カナデの感じていた疎外感など微塵もなかった。彼は、紛れもなくこのパーティに必要な一員だった。
「じゃあ、街に戻って装備を整えたら、次はどこに行きましょうか?」
カナデがそう尋ねると、メイプルの目がキラキラと輝いた。
「決まってるじゃない! もっと難しくて、もっと面白いダンジョンよ! カナデのすごい地形作り、また見せてちょうだい!」
その言葉に、カナデは力強く頷いた。スコップ一つで始まった彼の冒険は、最高の仲間を得て、今、本当の意味でその幕を開けたのだった。
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本作は、現在カクヨムにて約30話先行公開中です。
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