第五章:ノイズの中の声
1.
その日、世界は“沈黙”と“騒音”の狭間にあった。
「水で走る車」の設計図が公開されてから48時間。世界中の科学者たちはネットに集まり、検証、複製、解析、応用を行っていた。ガレージのDIY技術者から名門大学の研究者、国家研究機関までが騒然とし、混乱は頂点に達していた。
日本政府は公式に次の声明を発表した。
> 「発表された設計図は未確認のものであり、真偽不明です。
国民の皆様には、不確かな情報に惑わされず、冷静な対応をお願いします」
一方、アメリカでは国家安全保障局(NSA)が“GaiaSpark”の関係者をテロリスト認定。ユーロ圏では設計図のサイトが一時ブロックされ、アジア各国では関連キーワードが次々と検閲対象になった。
だが、止まらなかった。
コピーはあらゆる手段で拡散され、SNSにはハッシュタグ**#WaterRevolt**が急増。中国語、アラビア語、スペイン語、フランス語、日本語──火は、言語を越えて燃えていた。
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2.
詩織と久世は都内の地下シェルターに身を潜めていた。連絡役となっているGaiaSparkの一員・アミール(元MIT物理学者)がオンラインで彼らに状況を報告する。
「もうすぐ、世界中で最初の“水カー”が公道を走るよ。タイの起業家チームが試験走行を予定してる。中継が入る。成功すれば、止めようがなくなる」
久世は不安げに尋ねた。
「……でも、それが“成功”だったとしても、各国のエネルギー企業が黙ってるはずがない。潰しに来るんじゃないか?」
アミールの答えは冷静だった。
「そうだろうな。でも今は情報戦のフェーズだ。誰が“信じるか”が勝敗を分ける。……そしてその鍵を握るのが、君たちだ」
「俺たち……?」
「詩織さん、君は“開発者の娘”で、久世くんは記者。2人がカメラの前に立つだけで、数百万の人間が“声を聞こうとする”。今必要なのは“発信者”なんだ。ノイズの中で、信じられる声を」
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3.
数日後。都内の廃工場で、簡易の撮影セットが組まれた。
詩織と久世は2人きりの録画配信に臨む。Re:Kが残したVPNを経由し、動画は即座に分散型ストリーミングへと拡散される。
詩織の表情は静かで、だが確かな意思に満ちていた。
> 「はじめまして。私は朝倉詩織。
“水で走る車”を発明した科学者・朝倉凛一の娘です。
今、私たちはその技術を、誰の手にも渡るよう公開しました。
これはテロではありません。独占と搾取を終わらせるための、“選択肢”の提示です。
……火を、どう使うかはあなたの自由です」
久世はその後、淡々と事実を語った。政府の追跡、企業の沈黙、暗殺と偽装事故の数々。根拠となる内部文書も公開された。
> 「私たちはもう、信じる力を諦めない。
これは陰謀論じゃない。“構造の告発”だ」
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4.
その夜、再生回数は3千万を超えた。再アップロードされた“ミラー動画”は全世界で1億回以上再生され、彼らの顔は“時代の火付け役”として象徴となった。
翌朝、東京電力、アーカム・エナジー、エクソンモービルなどエネルギー業界の主要株が軒並み急落。国際市場は歴史的な混乱を見せ、**“水ショック”**という新語まで生まれた。
だが、もっとも深刻だったのは、国民の意識変化だった。
SNSでは「水の権利を国家が管理すべきか」「水道法の見直しを」など、インフラを巡る議論が巻き起こり、政治にも波紋が広がる。
一部の若者たちは、“水で走る車”のDIY再現に挑み、成功事例が続出した。ベトナムでは電気バイクの改造版がニュースになり、アルゼンチンの高校生が公開した“水モーターのチュートリアル動画”は、瞬く間に拡散された。
火は、子どもたちの手にも届いていた。
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5.
だが、敵も動いた。
GaiaSparkの欧州拠点がサイバー攻撃を受け、主要メンバーが行方不明に。日本国内では詩織の古い友人が何者かに襲われ、意識不明の重体となった。
「これは、警告だ」
久世は、警察官OBの知人から匿名で告げられた。
「連中は本気で“始末”に来ている。次は、君たちだ」
逃げるか、戦うか。
詩織は久世を見て、静かに言った。
「……逃げない。だってこれは父の意志であり、私の選択でもあるから」
久世は肩をすくめた。
「なら、俺も逃げない。……記者の矜持ってやつを、一度くらい信じてみてもいいか」
2人は再び、ノイズの中で“声”を上げ続けると決意した。
それが希望か、破滅かはわからない。
だが、誰かが叫ばなければ、世界は変わらない。
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6.
その夜、地下掲示板に匿名の投稿が現れた。
> 「朝倉の設計図は、第二段階に進化する。
“水”の次は“空気”。
真のエネルギーは、まだ解き放たれていない。
──R.A.の継承者より」
再び火がともった。
これはまだ、序章に過ぎなかった。