第三章:利権の迷宮
1.
都内の高層ビル。その一室に、世界でも指折りのエネルギー企業「アーカム・エナジー・ジャパン支部」の幹部たちが集っていた。
「監視対象だった斉藤詩織が動き出した。どうやら試作機の再構築に成功したらしい」
スーツ姿の男が無機質に報告する。
「やはり“朝倉タイプ”は、完全に潰し切れていなかったか……。で、装置は?」
「破壊済み。だが記者らしき男が記録を持ち帰ったようです。名は久世陽太。かつて都政の不正を暴いた調査記者」
重役たちは顔を見合わせる。誰もが一つの決断を求められていた。
「公開されれば、我が社の“水素覇権”は一夜にして崩壊する。株価、投資、各国との契約……すべてが瓦解する。対処しろ。あらゆる手段で」
部屋の空気が、一瞬で凍った。
---
2.
一方、久世と詩織は破壊された倉庫を後にし、郊外のネットカフェに潜んでいた。久世が持ち帰った小型カメラの映像には、男たちの顔と車両、そして“AE”ロゴが鮮明に映っている。
「やっぱり動いたな、アーカム・エナジー……。水素で世界を制してきた巨人企業」
久世は調査を進めながら、彼らの過去の“事故”や“発明家の謎の死”に関する情報を集めた。驚くべきことに、過去20年間で水分解技術の発明者とされる人物が少なくとも7人、謎の死を遂げている。
> ・心臓発作
・自殺
・事故死
・研究室の爆発
「これじゃまるで……国家機密か、あるいは宗教戦争だな」
「違う、資本の戦争よ。石油と水素の“神殿”を守るために、神の火を持つ者を消してきたの」
詩織の言葉には、怒りと哀しみが入り混じっていた。
---
3.
その夜、久世は旧知の情報屋・風見に接触した。元公安で、今は裏社会の中継屋だ。
「なるほどな……お前、ずいぶんと深い沼に首突っ込んだな」
風見は一通りの話を聞いた後、懐から封筒を取り出した。中には、ある財団の機密資料のコピーが入っていた。
「見ろ。アーカム・エナジーの背後には、世界水資源管理評議会(WAGRC)ってのがいる。表向きは水資源保全の国際団体だが、実態は水の利権を牛耳る経済諜報機関だ」
「なぜ水がそんなにも?」
「水は、21世紀の“石油”だからさ。今や世界人口の約3分の1が清潔な水を得られていない。そこに“水で走る車”が出れば、エネルギーと水の両市場を同時に崩壊させる。そんなもん、どの多国籍企業も黙っちゃいねぇ」
久世は眩暈を覚えた。これはもう、個人の闘いではない。
---
4.
「逃げようか、久世さん」
帰り道、詩織がポツリと言った。
「私は逃げ慣れてる。でもあなたは違う。巻き込んでしまった」
久世は首を振った。
「あなたが背負ってきたものに比べたら、僕なんて――。けど、真実を見て、黙ってるなんてできない。記者ってのは、そういう生き物なんだよ」
その言葉に、詩織の目にうっすらと涙が浮かんだ。
久世はメモリーカードを掲げた。
「これを、公開する。メディアは信じられなくても、“世界中の目”に触れさせる。今は誰でも発信者になれる時代だ。SNS、動画サイト、リークサイト……どこかが拾う」
詩織は頷いた。
「でも、それをするなら……場所を選ばないと」
彼女は静かにスマホを取り出し、ある連絡先にアクセスした。
「知り合いに、“ノーネーム”って名のハッカー集団がいる。かつて私を助けてくれた人たち。彼らなら、世界中に一斉に真実を拡散する術を持ってる」
---
5.
一週間後、都内某所の廃ビルの地下にある秘密ネットワーク拠点にて。
久世と詩織は“ノーネーム”の中心人物・Re:Kと対面した。
「久世陽太。名前は聞いてる。かつて都知事の不正会計を暴いた“喧嘩記者”。いい目をしてる」
Re:Kは、VRゴーグルをかけたまま笑った。
「記録、渡す。期限は?」
「明日午前5時。日本時間で、各国の市場が開く前。最大のインパクトになる」
詩織は頷いた。
「じゃあ、やるわよ。あの日、朝倉先生が夢見た“自由なエネルギーの解放”を」
---
6.
その夜、久世の携帯が鳴った。発信者不明。
恐る恐る出ると、男の声が低く響いた。
「公開はやめろ。君と彼女の命に関わる」
「……誰だ」
「選べ。真実か、命か。君の正義は、世界を混乱に導く。地獄に道を開くぞ」
久世は言葉を飲み込んだが、すぐに答えた。
「……なら、喜んで地獄へ案内するよ」
通話が切れた。
彼はもう迷っていなかった。
---
7.
翌朝5時。世界中のSNS、ニュース速報、動画サイトに同時にアップロードされたのは、破壊された装置の映像、アーカム・エナジーの関与証拠、詩織の証言動画――そして、朝倉凛一が遺した“燃焼の瞬間”の再現CG。
一斉にネットが炎上した。
世界中で「水で走る車」トレンド入り。
各国の市民団体や科学者が声を上げ、企業と政府が沈黙を続ける中、人々は真実を探し始めた。
詩織はカーテン越しに朝日を見つめ、つぶやいた。
「朝倉先生……ようやく、あなたの火が世界を照らし始めたわ」
久世も、スマホを握りながらつぶやいた。
「始まったな。**神の水戦争**が」