■伍章『ウツケモノと優しさへの疑心』
第二地獄の太陽が消灯し、代わりに細い月が灯された頃。泉は伸びに伸びた黒髪を簪で留めて、結われたように固定し、ぼろきれから流行りの和服に着替え、刀も最もらしい鞘を纏い。さっきまで危険視されていた「辻斬りの泉」などとは雰囲気の違う、如何にも正しき武士らしい風貌になっていた。
タカは満足そうに泉の姿を横目に微笑んだ。あれからタカは、休みが惜しい風に掃除を進めていた。泉をこのままにしておいては、いずれ自警団の手によって本地獄へと戻されてしまう。そうなればタカだってそれなりの扱いになってしまうだろうし、一度助けてしまった以上、責任を持って最後まで助ける―――それこそ、第二地獄での泉の居場所を作るだとか、自身の明日の食費を稼ぐだとか。
幸いなことに、廃屋にはかつての便利屋二人が残したあれやこれやが残されている。何気ない話の中、この廃屋が隠れるのに適している上、便利屋を始めるに困らない遺物らが後押しして、すっかり二人で便利屋を始める、という流れになっていたのだ。
新たな生活、新たな関係。それに胸を躍らせていたタカとは対照的に、泉は不服そうな顔をしていた。ため息も多く、どこか困り果てているような。泉は自分なりに言葉を選んだ後、タカをひとつ「試してやろう」と思い立ち、吉日と顔を見て問いかけたのだ。
「……タカ、だったか。何故某を助け、ここまでしてくれる」
「んお? なんや、そんなことかいな」
タカの顔には、「自信がある」とも「当然のこと」とも書かれているようで、笑みを崩さずに答えてみせる。
「ワイが好きでやっとることや。助けたい思うんは、ワイにとっちゃ当然のこったな」
「……そういうもの、なのか?」
「そそ、そういうもん」
―――本当に、そうなのだろうか? 泉は一抹の不安を拭えないでいた。タカがどれだけ「人を助けるのが当然」だと言おうが、その実欲望が透けて見えてしょうがないからだ。その自信満々で、どこか強がって主張を続けるタカに邪推してしまい、それが止まらない。便利屋云々の話だって、もしかしたらタカの欲望の上で踊っているだけなのかもしれない。そう考えているうち、泉は肥大した疑心を制御できなくなっていた。
それは、今までの戦いの中で感じていた「凪いだ空気感」。泉は今、「特別な力」に必要な「強き感情」が抑えきれなくなっているのだ。
泉は警戒心を隠すこともなく、吞気に掃除を再開したタカに、より声のトーンを低くして問うた。
「……某を、どうするつもりだ」
「へ?」
「答えろ、某をどうするつもりだ……‼」
「いや、いやいや、なんも―――」
「なんもしようとはせん」そう返そうとした時、タカが目をやっていたソファから、泉の姿はなくなっていた。直後、タカは強い力で押し倒され、背中が打ち付けられる。首には今にも絞め殺そうとする泉の、骨ばった手がかかっていた。
「どうするつもりだと、訊いている―――‼」
「は、ぁ……ッ⁈」
泉は一層指に力を込めてタカの首を絞める。仮初めの動脈が跳ねていることすら、まるでタカが人間だとでも言っているようだ。呼吸が段々と細くなり、息が荒くなる。しかし泉が想定していた反撃も、暴れることも、タカは一向にする気配がない。それどころか、余裕すら垣間見えるよう。
それは単に、タカが優しいだけではない。タカは震える喉から、薄い声を紡いだ。
「……殺さへんの、よな……ッ?」
「……‼」
「そんな、力じゃぁ……ッ、人間は死なん、やろしなぁ……、それに―――アンタ、泣いとるやんけ……‼」
そう、タカには泉が殺意など持たず、むしろ涙ながらに怯えているだけにしか見えなかったのだ。泉は確かに、タカを殺すことで閻魔庁にも、自警団にも売り払われるリスクを取り除こう、保険をかけるべきだ、ということを考えていた……ハズだ。だがそれなら、あの自警団との戦いのように切り殺せばいいだけ―――それに、人間の体ではちょっとした斬撃ひとつでも死に至らしめることも容易だった。
……だが泉は、何故確実に殺すことのできない「首を絞める」という行為に走ったのか。そしてこれほどまでに容赦のある力しか籠められないのだろう―――そういった自問自答の末、泉はタカの首から手を放してしまったのだ。
ソファに戻り、悶々と寝転がる泉に、起き上がったタカは何も無かった風に声をかけた。
「……少し待ってな、酒、買うてくる」
タカがそう言って廃屋を出ていった後も、泉は自覚してしまった己の弱さに苛まれていた。以前の―――弟を殺し、反感を買うばかりの―――「ウツケモノの霧波泉」は、もういないのだと。
飛んできた茶器が弾け、頭から汚れた血が滴り落ちる。喪に服する葬式の場だというのに、非情に騒がしく収集のつかない怒りが、罵声が止まない。先程まで静かさを保っていた焼香は、泉の手によって床にばらまかれてしまった。
「この―――ウツケモノが‼」
飛び交う罵声を聞き取ることは、どこぞの太子でも難しいだろう。非難に、暴言に、暴論に晒された泉は、それでもけほどの罪悪感すら持つことはなかった。思い出すとこの時から、全うな優しさを忘れてしまったように思えた。
時に、上の弟をわざわざ呼びつけたことがあった。その時は流行り病に伝染ったと嘯いて、二人きりの時に容赦なく、突き刺して殺してやった。つぅっと流れる血液は、刀が求めて吸い取っているような「上物」であったのだ。
その行為は引き金となり、やがて裁きの時が訪れる。罰するは最後の弟―――業火が二人を取り囲み、弟は心中覚悟で刃を向けた。その弟は泉の中で、いつまでも子供のように愛していたハズだ。それが裏切るように今、目の前で刀を握り涙を流していた。
「何故―――何故、兄様をッ‼ 兄様が、何をしたというのですか―――‼」
怒気を含んだ声に、泉は何一つとして正しいことを言った記憶がない。噓ばかり、馬鹿ばかりの「ウツケモノ」として殺されたい―――そう覚悟していた故の遺言であった。
次第に体が熱くなる。熱が、泉の体を蝕んでいく。弟は刀を落とし、顔を青くして後退る。パキッと、火花の散れる音。それから、泉は―――。
「―――い、おーい?」
目が覚めると、タカが帰って早々に泉を揺り起こしていた。そうか、眠っていたのかと泉が思い返す。嫌な夢、忘れたくない過去のような気がしていたのに、思い出そうとすると霞がかって仔細がぼやけて消えていく。体が熱かったのは、春先だというのにタカが分厚い布団をかけていたからだろう。起き上がった時、古びた時計は丑三つ時―――既に二時間以上経っていたと告げていた。
その時、泉はタカが一升瓶に詰められた酒を持っていると気が付いた。ラベルには堂々と「焼酎」の文字が見え、つい素直な疑問が飛び出した。
「……いいのか? 地獄で酒は罪となるのだろう?」
「別に、ここじゃ合法やし」
「そうか」とおちょこを受け取って、泉は目覚ましに酒を煽った。その酒はらしくない塩辛さを含んでいて、奇妙な味が癖になる。その後、東の空から太陽が登る機械が鳴り響くまでに、何を話したのか、どういうことをしたのか。疲れ過ぎた一日に流されて、双方とうに忘れてしまったのさ。
その朝焼けに照らされて、閻魔庁の斜塔から一人の少女がふんわりと降り立った。傍には何匹もの猫の妖怪―――「すねこすり」が守るように群れていて、それぞれがグルグルと喉を鳴らしていた。
少女は一匹一匹に、そうか、そうかと頷いている。伸びた影は少女とすねこすりの他に、もう一人いるのだと示したのだ。
「……流石に強引が過ぎたかなぁ。でも、結果が全てだよね。光の君?」
少女が話しかけていたのは、そのもう一つの影。タカを追放した元上司の、ヒカルであった。
※本エピソードは「小説家になろう」への投稿として公開されており、後にエピソードの内容が変更される可能性がありますことを、ご留意ください。




