■参章『薄桜の辻斬り逃走劇』
閻魔庁は円形の幽鬼神道町の大通り、その一番奥に聳え立っている。閻魔庁の門の先に広がるのは、焔摩の意向で再建され、多くの罪人によって飾り付けられた、レトロで道楽に満ちた家々。長い石階段を降りた時鼻に届くのは、繫華街から漂うヤツメウナギの、香ばしくねっとりとしたタレの香り。それから飲用銅の苦い匂い、酒臭さといったフレーバーが飛び込んできた。
タカが大通りをとぼとぼと歩いていると、すれ違うのは和洋折衷に身を包んだ妖怪や鬼、時折オーラを隠せていない神をも見受けられた。幽鬼神道町にやってきて―――地獄基準では―――日の浅いタカであったが、通りすがる店の人々は気さくに声をかけてくれる。「そんな大荷物抱えてどうした?」「大掃除や、大掃除」、「なにか嫌なことでもあったのか?」「ただの荷物運びやって、心配せんと」……その暖かさったらない、タカは居たたまれない気持ちで、出会う人らに愛想笑いを返した。
ふと、閻魔庁にいた時も贔屓にしていた米屋の前を通り過ぎようとした時、これまた店主がタカを呼び止めた。店主は老い耄れ天寿を全うしたからか、腰が曲がり白髪が頭を覆っていた。
「タカさんや、ちょっとええかね?」
「ん? どったんや、じぃちゃん」
「いやなに、今朝は珍しいモンが仕入れられてねぇ。今度閻魔庁さ行って、タカさんさ分けてやろうと思ったのさ」
米屋のじぃちゃんは、閻魔庁を時々訪れては、白米に合うような珍味を見つけてはお裾分けに来る程の、親密な関係であった。感覚を伝えるならば、休日になってタッパーを担いで、嫁の家にやってくるお人好しの義母、だろうか。
この間の珍味は、確か三途の川に戻ってきた鮭の塩辛だろうか。少し乗せるだけでもしょっぱくて、ちょびちょび使ってもまだ、風呂敷の中にビンが残っているのだ。
「……そうかい。ほなら、ここでもらっとくか?」
「そりゃぁいい、手間が省けるわい」
「閻魔庁」という単語に少し怯えたタカだったが、結局は自分が蒔いた種、もう関係のないことだと割り切って、タカは崩れかけた笑顔を取り繕った。じぃちゃんはタカの様子を気にすることなく、「最近腰の痛みがようやく引いてきてなぁ」と世間話の態度で商品棚を物色していた。
「ほれ」と手渡された小袋の中には、幾つかの赤い実が入っていた。実はカラカラに乾いていて、大豆程の大きさ、一口かじってみると、甘酸っぱさが口の中を駆け巡った。
「んー? じぃちゃん、コレ『クコの実』やよな?」
「知っとったかい。流石、ワシよりも長生きしてんなぁ」
「いやいや……地獄で数えちゃそうやけどな、じぃちゃん八十まで生きとったやろ? ワイはもっと早く死んでもうてるわ、長『生き』とは言えんなぁ」
「調子が戻ったかい?」「なんや、気づいとらんモンかと」と、タカはじぃちゃんが自分を心配していたことを知った。それだけタカはパッと見でも、酷い顔をしていたのだろう。
タカがクコの実の流通経路を聞くと、じぃちゃんは「企業秘密だ」と一丁前に言って見せた。太陽はやや高めに位置し、遠くにあったタカの影は距離を縮めていた。
「あんがとな、じぃちゃん。んじゃ」
「おう、『辻斬り』にきぃつけてなぁ」
「……辻斬り?」
タカは去ろうと動かしていた足を、巻き戻すように後ろへ運んだ。じぃちゃんは店の柱に貼り付けてあった手配書を指さして、
「なんでも、本地獄から逃げてきたそうやのぉ。―――『泉』とかいう男らしい」
「辻斬り……『泉』、なぁ」
町の桜並木を通れば、落ちた花びらが蹴られ舞い飛んでいく。泉の後ろには「此処で会ったが百年目ぇ‼」と、自警団の鬼共がしつこく後をつけてきている。既に身につけた衣服はぼろきれ同然に、足は悪路で傷ついて、頼りになるのは不思議と切れる刀だけであった。
幽鬼神道町は裏路地に事欠かない、狭い方へと逃げ込んで、すぐに住宅街へと飛び出した。そのまま橋へ向かおうとした時、丁度対岸にも鬼が回り込んでいて、泉の退路をことごとくつぶそうとしている。
―――ここで万事休す、とはいくまい。泉は刀を握り、対岸の鬼から直下の川を睨んでから刃を引き抜いた。すると、辺りの空気が一変した。途端に凪いだように一帯が澄み渡り、直後、泉が睨んだ川が直角一直線に割れて、大きく飛沫を上げた。対岸の鬼が襲い来る水に身構えている隙に、泉は割れた川の底に足をつけて、再び水が押し寄せる前にひょいっと飛び上がり、その横を通り過ぎていった。
「くそっ……‼ これだから『結界持ち』は……ッ‼」
背後で聞こえた『結界持ち』なる意味は分からない。ただ泉自身が、おおよそ『なんでも断ち切ることができる』ことは知っていた。いつからか、割と対象を狙って行使できるようになっていたが、それと『結界持ち』がイコールかどうか、それは今凡庸な予測でしかない。
泉はそのまま大通りを抜けてしまおうと、住宅街の路地を曲がった……その瞬間であった。
「なっ―――ッ⁈」
「ちょ、まっ……⁈」
互いがぶつかった衝撃でどさっ、と荷物が崩れ、風呂敷から物々がはみ出る。泉はたまたま、その辺りにいた住民にぶつかってしまったようなのだ。痛そうに体をさする男は、身長は大して高くなく、茶髪の結い髪を長く垂らし、頭には無作為な毛が一本生えていた。少年らしくはあるのだが、とてもおとなしくはみえなかった。
泉は追われていることよりも先に、義理堅く「謝らねば」と少年に手を差し伸べる。
「……すまない、立てるか?」
「ったた……いやまぁ、普通に立てっけどよぉ」
「なら、いいのだが……」
泉は差し出した手を握られる瞬間、意図せず手を引っ込めてしまった。立てるのなら別に、わざわざ手を取る理由はないだろうと。……まぁ、そのせいで少年はまた、型崩れした風呂敷の影響でバランスを崩してしまったのだが。
「……むぅ」
「……すまない、重ね重ね」
「はぁ……ええわ。次からちゃんと、周りに注意しとくれな」
少年は立ち上がり、パッパと服の砂を払う。その時、遠くから足音が聞こえてようやく、泉は自分が逃げている最中なのだと思い出した。急いでその場を去ろうとしたが……遅く。気が付けば二人を取り囲んで、自警団の鬼共がずらりと立ちふさがったのだ。
「追い詰めたぞ、罪人‼ 一般人にも絡むとは―――程度を知れ‼」
「……‼」
もし、謝る前に逃げてさえいれば、果たしてどうなっていただろう。この円形の町では、どこまで行っても完璧には逃れられない。泉がとうとう覚悟を決めたとき、ぶつかっただけの一般人が庇うように立っていたのに気が付いたのさ。
「……アンタら、自警団のヤツよな。ここじゃぁ罪人は守られるべきやって、知らんのか?」
「だ、だがソイツは……‼」
「言い訳は良いわけない、良かったなぁ、ワイが閻魔庁抜けた後でな?」
泉は何が何だか分かっていない様子だったが、自警団の恐れの目は、その少年がただの一般人ではないことを訴えているように感じた。
少年は泉の方を振り返る。その姿はやぶれかぶれだが、確かな実力や頼もしさを醸し出していた。
「……アンタ、名前は?」
「……口走ったが最後だ。名乗れないことを容赦してくれ」
「そうか、ワイは『タカ』っちゅうモンや」
「閻魔庁の者でないのなら……‼」と、自警団はタカに銃口を向けた。タカが背負っていた荷物に手をかざすと、人差し指の指輪が光り、そこから吸い寄せられるように、鎖鎌がタカの手中に収まった。泉も立ち上がり、すぐに刀を構える。
「……後で話は聞いちゃる、今は切り抜けるで‼」
「相分かった‼」
※本エピソードは「小説家になろう」への投稿として公開されており、後にエピソードの内容が変更される可能性がありますことを、ご留意ください。




