■弐章『密告者に断たれた安泰』
「要は、キミに辞職してほしいんだよね」
「―――はぁ?」
目の前で偉ぶって、足を組まれることの、大層憎たらしいことか。表情を貼り付けて部下を追い出そうする「ヒカル」に、呼ばれて早々の「タカ」は間抜けな言葉をこぼした。
タカを納得させるべく、ヒカルはパチパチと資料をめくって、ある一ページを堂々と見せつけた。そこには確かに、タカの辞職を促す何某が綴られていて、その言葉の癖、書き手のことを、タカが思い出せないはずがなかった。
「……先の一件、忘れたわけじゃないよね?」
「……なんのこっちゃ分からんな」
タカはとぼけるでもなく、どころか信じられないように応えた。ヒカルはやれやれと―――見ている誰もが怒りを覚える仕草をして―――改まって咳払いをする。
「―――キミは閻魔庁刑部省職員『ツグ』の業務を妨害した。それどころか、報告までに手柄を自分のものにしようとした『貪欲さ』の容疑もかかっている。この意味が分からないわけないだろ?」
「……蜘蛛の、糸」
「そうそう、そういうこと」
第二地獄で危惧されている存在―――『妖魔』。それは強き欲望に起因し現れる『蜘蛛の糸』に魅了され、奇しくも触れてしまった魂が変化した怪物である。怪物は抱いていた欲望の実現のため、自ら地獄を生み出して心を満たす。……周囲がどうなろうが、知ったことではなくなってしまうわけだ。
そんな欲望―――酷い『貪欲さ』を抱いてしまったタカは、第二地獄を引率する『閻魔庁』の人員に相応しくない上、もし妖魔となった場合は閻魔庁の信頼にも影響するだろう。だからこそ、それを理解していたタカは「自分がそうでない」と弁明せざるをえなかった。
「あ、ありゃぁ、ツグのヤツが危険やったから……‼」
「んー。でも、その本人からの密告なんだけどなぁ……」
「え―――」
やはりというべきか。あの紙面を提出したのは、紛れもなく一件で助けたハズの、同僚の「ツグ」であった。簡単に言えば、業務の中でツグが危険に晒され、それをタカが救出し、万事解決の後にツグ自身から手柄を押し付けられた―――そう信じ込んでいたのに、この状況を作り出したのがツグであるのだ。
タカは何処からが善意か策略か、思案を巡らせていた。その度に呼吸が乱れ、アイデンティティがけがされていくよう。ヒカルは自問自答に呆れ、「やれやれ」と肘をついた。
「キミを辞職で済ませようとした、彼の温情に感謝すべきだ。もしキミがこのまま反発すれば。……『これ以上』情けはできないよ」
「ッ……‼」
威圧感に、後悔に。タカは感情を乱しつつも、却って冷静さを取り戻しているのに気が付いた。何を言っても無駄だと悟った時、諦めが全ての感情を隠してしまったようで、うるんだ瞳から涙が引っ込んでいく感覚がしたのだ。
「……どうかな?」
タカは大きく息をついて、ヒカルをキッと睨んだ。ヒカルの机に用意された辞職届に手のひらをかざすと、タカが付けていた紅白の指輪が瞬いた。瞬きの間に、机の辞職届はタカの手中へと移動していた。頷くヒカルを憎たらしい顔のまま横目で見て、タカはサッサと踵を返しドアノブに手をかけた。
部屋を出る前、タカは「最後にひとつ」とヒカルの方を何となくと向いた。
「―――この事に後悔はしとらん。……いつかどっかで、見返したるわ」
「……できるものなら、勝手にどうぞ」
カラカラの喉からの、負け惜しみじみた宣戦布告。タカが出ていったドアには、手のひらから付着したであろう、血の後が残されていた。
窓の外―――第二地獄の太陽は、やけにスッキリとしたタカの社宅を見受けていた。強引に詰め込んだ肩掛けカバンに、埃を被った風呂敷を引っ張り出し、軽く叩いてからピンと伸ばす。大事な武器や手入れ道具を包むと、風呂敷はぱんぱんに膨れていた。
視線をふと机に移すと、先程受け取った辞職届が目に入る。その度にタカは、これからどうしよか、などと思い悩んでしまう。辞めたとてこれといった転職先もなく、一週間金がもつかどうか、という状況だった。
どこかに住み込みでも、声掛けて見るかぁ。そう考えていると、社宅の扉からノックが二回、響いて耳に届いた。この叩き癖、どうせアイツなのだろう。
「……開いとる。あと、ここは便所やないで」
ドア越しにでも聞こえる声量で呆れたように返事をする。開いた扉の先には予想通り、ツグの姿があった。ツグはいつものようにへらへらと笑い、ずけずけと部屋に入ってくる。……コイツに反省の二文字はあるのだろうか。
「いやぁ、わかってますよ。今ノックの回数を思い出しただけですから」
「……そうかい」
「はぁ……張り合いがないですねぇ」
いつもならノック二回にしつこく突っ込んでくるハズなのだが、今日はさらりと受け流されてしまった。むしろその「そうかい」には棘が生えているようで、敵対的な印象を受けてしまう。しかしツグは単に「今日はそれほど疲れているのでしょうね」と解釈し、その後も茶化すことにしたのだ。
「にしても珍しいことですねぇ。部屋の片付け、そこまで大変だったんですか?」
タカは一切手を緩める気配がない。それどころか、やや風呂敷を握る手に力が入っているようだった。タカはとぼけつづけるツグの顔すら見たくないと、ツグの妄言を一蹴する。
「……白々しい、誰のせいやと思っとる」
いっそのこと開き直ってくれた方がいいというのに、ツグはまだ顔に疑問が書いてあるようだった。
「誰、って……誰です?」
「質問を質問で返すんやない。冷やかしやったら出てけっての」
「……何か、言われでもしました?」
「……」
―――いい加減、黙っとくれ。タカは無言で返事をした。ツグのどこか弱々しい声は、自分のしでかしたことの重大さに気が付いていないようで、余計に腹が立つだけであった。
「無言はイエスとしますけど」
「はぁ……あのなぁ……‼」
その言葉を皮切りに、タカはツグの胸倉を掴んでぐっと引き寄せた。憎たらしい顔を敵意剝き出しで睨みつけて、タカは怒り心頭のまま怒鳴りつけた。言葉ひとつに意味を持たせることも、フレンドリーさを醸し出すエセ関西弁も忘れ、感情のままに罵倒を繰り出したのだ。
「お前が……オマエがしでかしたことの結果だ……‼ 今更知らん顔してまで、俺のくっだんないツラを見に来たんだろう……‼」
「……ッ⁈」
「あの時だってそうだ‼ お前さえいなければ、お前さえいなければなぁ……‼」
涙を貯めているのも、罵詈雑言の嵐も、滅多に見せたことのないタカに、ツグは不思議で仕方なく、混乱で震えるしかなかった。ツグは本当に驚いたように、喉から細く声を上げた。
「ほ、本当に、何が……⁈」
……白けた、とタカはツグから手をのけて、再び荷物へと向き直った。しかりつければボロが出るか、逆ギレするかとも思ったが、最後まで知らないフリをしようとする、それがタカの怒りを冷ましてしまったのだ。
「……変わらんか。サッサと出てけ」
「……そう、ですか」
何一つ返そうとしないタカに、ツグは後ろめたさを引きずって、部屋を出ていくことしかできなかった。タカはそれから、粗方大事な物だけを持って、太陽が真上に来る頃には、職場だった閻魔庁から姿を消していたのだ。
※本エピソードは「小説家になろう」への投稿として公開されており、後にエピソードの内容が変更される可能性がありますことを、ご留意ください。




