■壱章『慟哭の焔と怪物の地獄入り』
火がともった燭台が倒れ、井草に燃え移った炎。それはやがて慟哭寺全体を包み込んで、中にいる人らの呼吸を害していた。炎に閉じ込められ、息を荒くする怪物の逆立つ鱗は、てらてらと反射し鈍く輝いていた。
怪物じぃっと、目の前の青年を見つめる。二十そこいらだろうか、怪物に怯え刀を落とし、腰を抜かして、目にはいっぱいの涙を貯めて、怪物から目を離さないようにしていたのだ。
怪物は狭い一室で身をよじり、ゆっくりと青年に近づいた。そしてこれまたゆっくりと、まるで「この後の選択は好きにするといい」と言っているかの如く、首を垂れ、黒く濁った瞳を閉じた。
「―――あ、あぁ……ッ‼」
青年の目が泳いだ。怪物は一向に呼吸を繰り返すだけで、青年を襲う気が全くないように見えた。天井からは薄い月光の線が、青年の落とした刀を指さしている。刀は青年のものではない―――それは、青年の眼前に佇む、怪物の使っていた打刀だ。
やがて寺は、崩壊を始める。材木が音を立てて崩れ始め、天井がキシッと唸った。……青年はこの怪物をどうするか、選択する時間がないのだと悟る。青年は強く歯を食いしばり、打刀を握り直し、怪物に向き合った。
微動だにしない怪物。青年の心は形容ができないほど呼吸と共に乱れていて―――怪物の首目掛けて、生半可な決意のまま、刃を振るうこととなったのだ。
「ッぅっ……‼ ぁあああああああああアアアアアアアア‼‼」
肉を切り裂く、鈍い音を立てて、怪物の視界がぐるりと回った。広がる血だまりは青年の顔をぼんやりと映していて、怪物の意識が途切れる直前、青年の顔に一筋の白い何かが映り込んだ。それは怪物の実の弟の、滅多に見せない「涙の雫」であった。
怪物が次に目を覚ました―――本人にとって定かではない―――のは、真っ暗闇のだだっ広い空間であった。そこで暫く漂っていると、そのうち暗闇が開け、怪物は自身が地獄にやってきたのだと認識した。
怪物の体は人間へと変わり、やがて生前の罪を読み上げられる順番となる。当然の如く、生き物を殺し、噓をつき、盗み、享楽に溺れ、酒を飲んだとして、地獄で拷問を受けることが決まった。怪物は相応しい衣服を纏わせられ、三途の川に辿り着くと、そこで拷問を管理する「獄卒」の赤鬼へと、身柄を引き渡された。
それから何百年程だろうか、怪物は針の山を素足で登らされるだとか、血を貯めた池のサカナに食い破られるといった、地獄の罪人らしい拷問を受け続けていた。しかし担当した鬼曰く、怪物は拷問をけろっとした顔でこなし続け、どれだけ生き返らせたとて、ちっとも反省しているようには見えなかったのだそうだ。
そんな怪物に苦痛を与えるべく手を挙げた鬼の中で、手始めに拷問を任された赤鬼がいた。赤鬼は「罪人どうしで殺し合う」といったスタイルの地獄の鬼で、その日は怪物を連れて、血に染まった刀や刃物が転がっている地獄へと向かった。もちろん、他の罪人も参加させることで、怪物をとことん痛めつける魂胆であった。
「……はぁ」
「……貴様ぁ‼ 何処を見ているッ‼」
……その魂胆を予想すらしていないだろう怪物は、視線を宙に泳がせていた。怪物がどう思おうが、赤鬼にとってはまともに話を聞く気のない、曰く通りの人物として認識しているのだが。
「……」
「―――聞いているのか‼ き……えっと、い、『泉』ッ‼」
「……ん?」
元は怪物の姿をしていた『泉』なる男はようやく、赤鬼が自身を呼んでいるのだと気が付いた。泉はちらりと赤鬼を横目で見て、赤鬼もその時、うろ覚えだった罪人の名前が合致したことに少し安堵したのだ。
「そう、貴様だ泉ッ‼ さっきからよそを見て、罪人である自覚はないのか‼」
「……自覚?」
とぼけている様子の泉に、赤鬼はキィッと唸り地団駄を踏んだ。
「泉ぃッ……‼ オマエらもだ、オマエらも‼ 罪人たるもの、拷問を受け続け真っ当な魂になることこそ、十王様から与えられた温情だ‼」
そもそも、地獄で拷問を受け続けるということは「生前犯した悪行の反省」「罪の償い」といった意味合いがある。赤鬼はもちろん知っていた―――どころか、獄卒では一般常識なのだ―――が、その傾向が顕著に見られないのが、目に映る泉という男であった。ここにきて赤鬼は、彼を罰することが決して楽でないことを悟ったわけだ。
それを裏付けるかのように、泉は少し考え込んで、
「罪人の自覚―――どう、だろうな?」
と、あっけらかんに笑ったのだ。赤鬼は更に顔を真っ赤にして、とんがった歯をギリギリをすり合わせた。
「泉、貴様ぁ……ッ‼ いちいち名前で呼ぶのもしゃらくさいわッ‼」
―――こんなヤツ、名前で呼ぶような分際ではない。赤鬼はいっそのことと泉を無視するように、他の罪人に向かって後方に広がる荒野を指さした。急勾配な坂の下に広がる荒野は、枯れ木が幾つか点在しているだけでなく、至る所に輝きを失った刃物や鈍器が、地割れに突き刺さっていた。
「いいか、貴様らに科するは『殺し合い』だ‼ 武器で他の罪人を殺せ、生き残ったらすぐに次のヤツと殺しあってもらうからな‼」
以前からこの拷問を受けていた罪人は大人しく聞いていたが、新たにやってきた罪人からは「無意味だ」「そんなことできるものか」と困惑が飛び交った。赤鬼はそれを満足気に聞いて、これこそが罪人らしいとうなずいている。しかしちらりと泉の方を一瞥した時、またもや泉が宙を見上げていたのに気が付いてしまった。
「……」
「貴様ぁ‼ まぁた聞いておらんかったな‼」
「……ん?」
先程と殆ど状況が変わっていないのは偶然なのだろうか。だが赤鬼には分からずとも、泉の瞳はきりっとしていて、確かな闘志を感じられたのだ。
「ああ、すまない。理解はした」
「へ……?」
赤鬼が間抜けに言葉をこぼすと、泉は罪人を大きく飛び越えて、一目散に荒野へ走っていった。呆然としていると、泉は割れ目に突き刺さった、装飾が朽ちて刃が一部欠けていた打刀を抜き取ると、遠ざかった坂の上の赤鬼に「これで構わんのだろうー?」と吞気に呼びかけたのだ。
―――どこまでも気に食わない、舐め腐りおって……。血管がキレそうな程怒り心頭の赤鬼は、最終手段だと言い聞かせて、罪人に荒げた声をかけることになる。
「―――いいかお前らぁ‼ アイツを殺せば、一年は拷問を休ませてやるー‼」
罪人は稀な幸運に巡り合えたと、黄色い声で咆哮する。その目は血走り、飢えた獣を彷彿とさせる。赤鬼の宣言を皮切りに、罪人は雪崩れるように坂を駆け下りていく。
泉は向かってくる罪人を見据え、どこか懐かしさを覚えつつも、呼吸を整え刀を構えた。
罪人は迷うことなく、そこいらの刀を抜き取って特攻を仕掛ける。最初に泉の元へ辿り着いた罪人は、見合わない大太刀を振り上げて、泉を真っ二つにせんとする。だが刃が泉の髪にすら触れることなく、罪人は腹部の感覚を失った。死体は人魂のように変わり、赤鬼の元へととんぼ返りした。
泉はそれからも、刀を軽くいなし、鈍器を払いのける。その一騎当千ぶりは、刃欠けの武器を手にしているとは思えなかった。罪人は次々と突っ込んで、何度も体を断ち切られ、みるみるその数を減らしていった。未だ、泉の肌に傷一つついていなかった。
「ッ……‼ くそっ、群れるだけの人間めッ……‼」
赤鬼の言う「群れるだけの人間」は、趣向を凝らすより先に屠られる。惜しかったのは、長く伸びた爪を身につけてやってきた罪人くらいで、それも真横を掠めた程度で軽く流されてしまった。泉に切られる度に、ギャァギャァ喧しく断末魔が荒野に響く。
―――罪人に拷問を休ませてやる、なんて言った上で、結果を残せなかったとなればどうなるか。恐ろしくなった赤鬼は、処分を受けたくない一心で、金棒一本を携え泉の方へ、自らが仕留めにかかった。駆けつける間にも、泉は罪人を切り続ける。泉も相変わらずけろっとしている―――どころか、微かな笑みを浮かべていたのさ。
赤鬼が罪人の真後ろまで来た時、泉は一度踏ん張ったかと思うと―――直後、突進からの一閃を繰り出し、罪人の山を切り分けた。そのまま赤鬼の目の前まで罪人を吹き飛ばしつつ突き進む。赤鬼はいきなり眼前に現れた泉相手に「金棒で守る」選択をした。
……それが間違いだった。金棒はスパンと真っ二つにされ、そのまま刃は赤鬼の胸元に傷をつけた。
「なっ……⁈」
痛みに尻餅をつく赤鬼。泉はその上を踏んで通り過ぎると、赤鬼を尻目に、帯に刀を差したまま、坂を駆け上がり逃走を図った。もちろん罪人は追いかけようとしたが、我先にと坂を上ろうとしても、その角度では這い上がってでも進めない。鬼が使うこの地獄の性質故に、登ってきた一人を感知して、角度を調整する程度の逃げ道しか用意されていないのだ。
「くそっ……‼ ツラ覚えたからなァッ‼」
赤鬼の負け惜しみも遠く、泉はそのまま本地獄の末端までひた走る。そこはいつか訪れた三途の川の終点であり、停泊している豪勢な渡舟にすっと飛び乗ると、舟はゆっくりと、更なる下流を目指して進み始めた。
泉が身を隠し乗り込んだのは、この先で繋がった「第二地獄」への船であった。みすぼらしい服に付いた血に気が付いた泉は、流れる三途の川水に衣服を漬け軽く流す。舟は緋色にともった提灯で飾られ、何人もを乗せて第二地獄へと向かう。
「―――ようやく、か」
泉は呆然と現状を嚙みしめつつ、遠くに輝く「幽鬼神道町」を見据えるのだった。
※本エピソードは「小説家になろう」への投稿として公開されており、後にエピソードの内容が変更される可能性がありますことを、ご留意ください。




