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零話「復讐心は少女をも殺す」

※本エピソードは、『先行公開』という扱いになります。後に、エピソードの内容が変更される可能性がありますことを、ご留意ください。


 ――霧雨の降る夕刻。誰もいない高校の屋上。雲間から覗く夕焼けが、フェンスに手をかけた私の影を作り出す。

 

 私の人生は、実に凄惨で悲劇的な道を歩んできた。

 母親は私を身ごもっていると分かった時から、泣き叫んで産まれて来ないように祈っていたそうだ。

 その為か、母親は私をストレスの捌け口にしていた。殴られ、蹴り飛ばされ、止める人はいない。

 

 小学生の時、クラスメイトは皆、いつも傷だらけの私を奇異の目で見て、遠ざけていた。

 「関わると怖い人に殴られる」「話しかけると不幸がうつる」。陰口を叩かれ、恐れられ、友達なんて出来なかった。


 中学校に上がると、いよいよ嫌がらせを受けるようになった。

 下駄箱の上履きに泥を入れられ、他の生徒の持ち物を仕込まれ泥棒扱いをされた挙句、机に罵詈雑言を残していく。

 

 そして高校一年生の今に至るまで、嫌がらせは無くなることはなかった。

 それどころか悪化し、唯一の友達にまで手を出された。


 「……いつも思うよ。本当に酷い人生だよね」


 そんな私の人生は、今日この時、夕日が落ちると同時に終わりを告げる。

 フェンスに足を掛けた時、僅かに残っていた恐怖の感情が湧き上がってくる。

 ここから飛び降りたら、どれだけ痛いのだろうか。本当に死に切れるのだろうか。


 「……怖い、けどさ。これ以上生きても、何の意味もない。死んだ方が、きっとマシ」


 死んだら、何処へ行くのだろう。

 たった一人の神様が、次の人生を歩ませてくれるのか。それとも、罪を償う為に責め苦を受け続けるのか。

 はたまた、夢を見ることも、何かを考えることもできない、永遠の暗闇か。


 「……考えても、仕方ない」


 どこに行こうが、今こうして生きている方が辛いのだから。抱くべきではない勇気を振り絞り、フェンスをよじ登る。

 フェンスの向こう側に辿り着くと、私の影は消えてしまった。ここから一歩踏み出すだけで、今の人生をリタイアすることができる。

 霧雨は私の感情を有耶無耶にする。私は今、泣いているのかすら分からない。

 足を宙に浮かせた瞬間、思い出してはいけない、あの子の笑顔がフラッシュバックする。


 「……『(さき)』、ごめんね。私、もう疲れちゃった。だから――お願い、私を止めないで」


 屋上の扉の向こうから、咲の呼ぶ声が聞こえる。顔を見てしまったら、また戻ってしまうかもしれない。

 飛び降りるという恐怖を押し殺すように、フェンスの方に向き直る。

 咲の声は、どんどん近づいてきていた。


 「――子、『百合子(ゆりこ)』――!」

 

 「――さようなら。死後の世界があったら、そこで再開しようね(また会おうね)


 最後に聞こえたのは、扉が開け放たれる音と、咲の悲鳴だった。

 まるで、今までの人生がの夢であったかのような、現実から浮いた感覚。

 本当の悪夢だったら、よかったのに。



  * * * * *

 


 大雨の音で、目が覚める。

 時刻は夜の十一時。誰もいない体育館。どうやら疲れて眠っていたようだ。

 何か夢を見ていた気がするけれど、思い出すことができない。……そういうものか。


 「……ラケット、片付けないと」


 同じバトミントン部の部員が散らかした用具を拾い上げ、倉庫に押し込んでいく。

 

 「私、何やってるんだろ」


 呆れたように溜息をついた。

 部活の後片付けは、いつも私だ。断ればいいのに、と思うかもしれないが、私以外の部員が片付けなんてした日には、シャトルやらラケットが散乱し、体育館は使い物にならない状態のままだ。


 「誰も片付けないし、誰もやりたがらない。やる気ないんだろうな、きっと」


 体育館には私一人だけ。幾ら独り言を呟いてもいいのだから、と思いながら、モップ片手に床を掃除する。

 掃除するのは楽じゃないが、こういった状況は毎度のことで、私はもうなんとも思わなくなっていた。


 体感で数十分経った頃だろうか。やっと床の掃除が終わった。

 モップを体育館の倉庫に立てかけ時計を見ると、針は十二時を指す直前だった。


 「……帰ったらご飯食べて、お風呂入って、さっさと寝よう。……夕飯、多分食べられないけど」

 

 お母さんは今頃カンカンに怒っているだろう。門限を破ったのだから、当然だ。

 私は重い足取りで、体育館を後にした。



  * * * * *



 「何度言ったら分かるの? この、穀潰しが!」

 

 何度も聞いたお母さんの罵声。この状況も幾度となく経験してきたせいで、今更別に何とも思わない。


 「本当にどうしようもないゴミが、『悠希(ゆうき)』の代わりに死ねばよかったのに!」

 「……ごめんなさい」

 「謝りなさい!! 土下座して、悠希に謝りなさい!!」

 

 ――『悠希』。

 それは、赤ん坊の頃に亡くなった、私の弟の名前だ。

 お母さんは私みたいな女なんかより、男の子が産まれてきて欲しかったという。

 最初から、私は望まれてなどいなかったのだ。

 

 お母さんは一通りの罵詈雑言を浴びせた後、何時(いつ)ものように殴ってきた。

 何時からだろう。頭を殴られた時、締め付けるような、酷い頭痛が襲ってくるようになった。


 私はお母さんの前で土下座をし、わざと震わせた声でこう言った。

 

 「……『ごめんなさい。私は居候のくせに、我儘で反抗した愚か者です』」

 「――もう一度言いなさい」

 「『ごめんなさい。私は居候のくせに、我儘で反抗した愚か者です』」

 

 これは、お母さんが決めた“心からの謝罪の言葉”である。

 しっかりとした態度で、反省したような顔でこの言葉を言えば、お母さんはそれで満足する。


 「――夕飯はなし。風呂にだけ入って、私の視界に映らないように寝なさい」

 「……はい」


 これが我が家。これが日常。

 中学時代までは、ベッドで泣くほど辛かったはずなのに、今では涙も、苦痛さえ感じなかった。


 風呂の鏡に私の顔が映る。

 傷だらけで、あざだらけ。可愛くもないし、格好良くもない。

 これが私――『鹿島(かしま) 百合子(ゆりこ)』だ。


 支度を済ませ、ベッドに横たわる。明日もきっと、良いことなどないのだろう。

 僅かに残る頭痛で頭を抑え、目を閉じる。


 「……明日、行きたくないな」



  * * * * *

  

 

 次の日、クラスメイトは私の机をちらちらと見ては、ひそひそ何かを話していた。

 ――あぁそうだ、机の落書きを消すのをすっかり忘れていた。

 廊下に下がった黒ずんだ雑巾を手にし、自分の机に向かう。


 「――あっれぇ? 消してなかったのぉ? ようやく、自分の立場が分かったって感じぃ?」


 ケラケラと小馬鹿にする笑い声。

 私の机に腰かけているのは、いつも私を虐めてくるグループのリーダー格――『樋口(ひぐち) (ともえ)』だ。


 「あ、鹿島さん? なぁんだ。てっきり、もう学校に来ないと思ったのになぁ。まだ死んでくれないワケ?」

 「……」

 「……何黙ってんの? 反抗してるみたいで、超ウザイんだけど」


 樋口は立ち上がり、私の胸倉を掴む。


 「学校来んな、さっさと死ね。――ああ、その前に謝ってくんない?」

 「――謝る?」

 「あたしの機嫌を損ねたんだし、泣いて謝れよ」


 取り巻きは笑い、樋口は私を突き放した。

 運が悪かったのか、はたまた故意だったのか。私の頭が机の角にぶつかり、激しい痛みに耐えきれなくなって泣いてしまう。


 「ぁぁああっ――ぐぁあぁあ……!」

 「アハハッ、ホントに泣いたよコイツ! じゃあ謝ってよ、鹿島さん?」

 「っはぁ、あぅ、くぁっ……っ!」

 

 樋口の声が掻き消える耳鳴り、頭が真っ二つに裂けたような激痛に、まともに立てない程の眩暈。

 樋口は本気で痛がる私を見下し、一言「キモい」と吐き捨て、取り巻きと共に教室を去っていった。




 ――今日は何時(いつ)にも増して、痛みが酷かった。心臓が動くたび、頭の中に電流が走っているようで。

 こんなことされるくらいならば、机に落書きされて馬鹿にされる方が何倍もマシだ。

 手に持った雑巾で落書きを消していく。「死ね」「馬鹿」といった文字の一部は、油性ペンで書いたのか、幾らこすっても消えることはなかった。

 周りからは依然として、ひそひそ話が聞こえる。

 

 「――鹿島さん、可哀想だよね」

 「あんなに嫌がらせされて――しかもあの“樋口”だよ?」

 「関わりたくないよね。下手なことして、樋口に目をつけられたら……」


 クラス中からの冷たい視線、冷酷な傍観者の言葉。言い返す気力も無いし、もう慣れっこだ。

 ホームルームの時間を告げる鐘が鳴る頃には、ある程度落書きを消し終えていた。


 

 国語の授業が終わり、五分間の休憩時間がやってくる。

 私を敬遠する張りつめた空気を破るように、教室の扉が開け放たれた。


 「――百合子、いるー?」

 「あっ……『咲』……」

 「いたいた! おはよ、百合子!」


 この子は私の唯一の友達、『周防(すおう) (さき)』。

 中学時代、嫌がらせが始まる少し前に、咲と出会った。咲は虐められている私を我先に助けてくれて、高校生になっても、隣のクラスからわざわざ会いに来てくれるのだ。

 

 「ごめんね、今日寝坊しちゃてさ……アイツら、また何かしてきたでしょ?」

 「……ううん、大したことないよ」

 「はい、痩せ我慢禁止! 後頭部、赤くなってるよ」

 「あ……ごめん」

 「百合子は謝らなくていいの! 悪いのは、全部樋口たちなんだから!」


 咲は私を元気づけようとしてくれている。

 いつも元気をくれる明るい声が、今日は頭痛を引き起こしそうだ。


 「そうだ、前に百合子が『頭が痛い』って言ってたよね。あれから、ちゃんと病院に行けた?」

 「……ダメだって、お母さんが」

 「あ、そっか……で、でも、本っ当に辛くなったら、そんなの無視して診断してもらうこと! 手遅れになる前に、ね!」

 「――分かった、ありがと」


 咲はニコッと笑う。私が不登校にならず高校に通えているのは、お母さんが強制するのもあるけれど……一番は、咲がいるからだ。



 

 ――昼休み。無理矢理登録された電話番号から、樋口の声が聞こえてきた。


 「――ああ、鹿島さ~ん? 今すぐ、三階西の女子トイレに来てほしいな~って」

 「……何で」

 「理由なんて、要らないでしょ? 来なかったら、どうなるか分かってるよねぇ?」

 

 仕方がない、とやや急ぎ足で女子トイレへ向かう。

 ――逆らえば、嫌がらせは度を超すだろう。


 そこで待っていたのは何時(いつ)もの取り巻きと、電話をかけてきた樋口だった。


 「やっと来た。ねぇ、鹿島さん。ちょっと頼みごとがあるんだけどぉ……」

 「……何?」


 樋口はニヤリと笑う。


 「――タバコ、買ってきてよ。先輩が欲しいんだって」

 「……タバコなんて、自分で買えばいい。銘柄とか、私はよくわからないし」

 「大丈夫だってぇ! 今日の夕方、校舎裏で売ってるはずだしさぁ? その人に会って買うだけ――勿論、鹿島さんのお金で」

 「――そんなの、犯罪とかじゃ――!」

 

 反論しようとした時、取り巻きのひとりが、持っていたバケツの水を浴びせてきた。 

 夏用の制服はあっという間に濡れて、下着が透けて見える。樋口は何のためらいも無く、携帯のカメラで私を撮影した。


 「――やれって。やんなきゃコレ(写真)、ネットで売るから」


 樋口の目は本気だった。

 ――バレなければ、そう、バレなければ、何も問題ないはずだ。


 「……分かった、時間は――」


 「――やめなよ、()()()()()()


 女子トイレの入り口から声がする。振り向くと、そこには携帯のカメラを構えた咲の姿があった。

 咲は携帯を構えたまま、樋口に近づいた。


 「これ、分かるよね。“動画”。一部始終は撮影済み、――脅迫ってことで、明日警察に持っていこうかな」

 「なっ――今すぐ、今すぐ消して!」

 「消さないよ。今すぐ百合子から離れて!」


 「――! ……興ざめした。帰る」


 樋口は恨めしそうに咲を見て、取り巻きと共に女子トイレから出て行った。


 「百合子、ごめん。もっと早く止めてたら――」

 「……謝らないで、咲。もう慣れっこだから」

 「あんなの、慣れっこで済ませちゃダメだよ! この動画、証拠として警察に持って行って――」


 「……やめてよ、咲」

 「……悪いのはアイツらだよ。わたし、百合子がこれ以上酷い目に遭うの、耐えられないよ……!」

 「それで、咲が虐められたら? ……私は、助けられないんだよ?」

 「そんなの、わたしがボコボコにして――!」


 「咲。お願い――もう、私に関わらないで」

 「――百合子っ!」


 ――本当はこんなこと、言いたくなかった。

 咲が私の友達なら、私も咲の友達だ。私だって、咲が虐められているところなんか、見たくない。

 咲が幸せに過ごせるなら、私は幾ら悪く思われたっていい。絶交されても構わないと思っていた。

 でも、女子トイレを出た後、これが取り返しのつかないことだって気が付いた。



 濡れた制服を着替えようと、別の女子トイレへ向かう途中だった。

 すれ違いざま、聞き覚えのある名前を耳にした。


 「――周防さんって、なんかムカつくよね」

 「そうそう、正義の味方気取りっていうかさ? 鹿島さんとベタベタくっついて、鬱陶(うっとう)しいんだよね」

 「じゃあさ、こうしない? ほら、巴に頼んで、さ」

 「あははっ、そういうことするぅ? サイテーだけどぉ……異議なーし!」


 「「あははははっ!!」」


 ――巴、『樋口 巴』のこと? 樋口に咲の何を伝える?

 もしかして、嫌だ、そんなこと――!


 「……咲っ!」


 着替えるのも忘れ、咲のいる隣のクラスへと駆け込む。

 しかし、教室中どこを見渡しても、咲の姿はない。

 授業が始まるまで、あと1分もない。 ――どうしよう、このままじゃ咲が――!


 無情にも、鐘の音が校内に響いた。

 その日の放課後、私は咲を探すことすら出来ずに帰ることになった。

 二日連続で門限を破れば、お母さんが何かしら罰を与えるだろう。殴られでもしたら、酷い頭痛がまた私を襲う。

 それが恐ろしくて、私は逃げ出した。

 ――咲を、()()()()んだ。



  * * * * *



 翌日、咲は遅れて登校してきた。

 何時(いつ)もの明るい咲ではない。休憩時間、廊下を歩く咲は(うつむ)き、(つぶや)くように挨拶をしてきた。

 咲の体には、私と同じような無数のあざが出来ていた。


 「……おはよ、百合子」

 「咲……! その怪我って――!」

 「あ、はは……大丈夫、大丈夫だよ。百合子が元気で良かった」


 そういえば、今日は珍しく嫌がらせが無かった。

 下駄箱にも、私の机にも、体操服も私物にも。

 ――悪い予感は、的中してしまったのだ。


 「……百合子、なんで……泣いているの?」

 「――え」


 気がつけば、枯れたはずの涙が頬を伝っていた。


 「……百合子は、泣かなくていいんだよ。わたしが代わりに泣くから、さ」

 「咲――ごめんね……! 本当に、ごめんね……っ!」


 ――私のせいだ。私が、咲を巻き込んだから、咲を見捨てたりなんかしたから。

 私は咲を傷つけた。人生で、最初で最後の友達を傷つけてしまった。

 ……もう、こんなことうんざりだ。咲を傷つけている原因が、私そのものなら。私は――!


 「――ねえ、噂は本当だったんだよ」


 また、ひそひそ話が聞こえてきた。


 「あれでしょ。鹿島さんに関わると、樋口が虐めてくるって」

 「周防さん可哀想。無理して、鹿島さんに関わったりなんかしなくていいのに」

 「……私たち、関わらなくて正解だよね。痛い目、見なくてよかったー……」


 ――そんな憐れみの目で、咲を視界に入れるな……!

 (いきどお)りのままに睨みつけると、生徒たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。


 「……気にしなくていいよ、百合子みたいに、その内慣れるから――」

 「そんなこと言わないでよ……っ、“禁止”なんでしょ……っ!」


 ダムが決壊したように、廊下で泣き崩れる私。咲は私の頭を撫でてくれた。

 ――ごめんね、咲。もう、私を守らなくてもよくなるから。



  * * * * *



 昼休み。何時ものように屋上に向かい、弁当箱を開く。

 また嫌がらせのつもりなのか、中身はぐちゃぐちゃで(ほこり)にまみれていた。


 「……こんなもの、いつ仕込んだんだろ」


 学校に購買部は無い。――今日は昼食抜き、かな。

 すると、屋上の扉が開き、咲がやってきた。咲はたった一人でお弁当を持って、屋上の一角にしゃがみこんだ。

 今日も嫌がらせをされたのか、咲の髪の毛から水滴が滴っていた。

 私は咲の隣に座って、咲が(かつ)てしてくれたように、明るい声で話しかけた。

 

 「咲、どうしたの?」

 「……」


 咲は、返事をしない。


 「咲、また虐められたの? こんなに傷、増えちゃって」

 「……」

 「――見てよ、私のお弁当。今度は埃まみれになっちゃってさ。お陰で私、昼食抜きだよ」

 「……」


 「咲」

 「……」

 「聞いてるの」

 「――え?」


 咲は辺りを見渡すと、首を(かし)げて弁当箱を開いた。

 咲の弁当箱には樋口が仕込んだであろう、くしゃくしゃのティッシュが入っていた。

 

 「――無視しないでよ、咲。あの時のこと、もう怒ってないから」

 「……」

 「もしかして、樋口たちが『私と関わるな』って言ってきたの?」

 「……」

 「大丈夫だよ、咲。もう私を守らなくてもいいんだよ」


 ――そう、今度は私が、咲を守るから。

 咲は返事をするどころか、目を合わせてくれることもなく、屋上を出て行った。

 


 

 教室に戻ると、私の机には、校内の花壇から引っこ抜いてきたのか、百合の花が土ごと机に散乱していた。

 やれやれと片付けをしていると、隣のクラスから笑い声が聞こえてきた。

 ――あの、腹の立つ笑い声は。


 隣のクラスへ駆けつけると、咲は樋口たちに囲まれ、机にうずくまっていた。

 樋口の手には黒板消し、咲の頭には、チョークの粉がかかっていた。


 「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 「あはっ、イイ感じに泣くじぁゃん! アイツよりイジメがいがあるっつうか、なんかおもしろ~!」

 「ぅ、ひぐっ……ぅっ、ごめんなさい、許して……っ」

 「――やぁに決まってんじゃん!」

 

 樋口はカッターを取り出し、刃先を咲に向ける。


 「――ぁ、ぃゃ……!」

 「あははっ! その顔、さいっこ~!」

 

 ――咲を傷つけるなら、絶対に許さない。

 私は樋口たちに近づき、カッターを持った樋口の腕を掴んだ。


 「ねえ、やめてくれる?」

 「はぁ? 何様のつも――」


 「咲を傷つけるな」


 「かし、ま……?! 何で、嘘っ、どうして、鹿島がっ――」


 「――え、百合子……?」


 樋口は動揺し、咲は教室を見渡した。


 「咲を傷つけるな」


 「わっ、わかった、今日は、今日はもうやめる――だっ、だからソレ――!」


 すると、ホームルームを告げるチャイムが鳴る。

 樋口たちは、ここが自分のクラスだというのに、教室の外へと逃げていった。

 ――もう大丈夫。

 そう声をかけようと咲の席を見ると、さっきまでここにいた咲はいなくなっていた。


 


 深夜の校内を歩く。今日もまた、帰るのが遅くなってしまった。

 こんな時間に家に帰ったら、またお母さんが怒るだろう。

 ――帰りたくないな。

 そう思い、下駄箱から靴を取り出し、上履きを脱ぐ。私の下駄箱には、嫌がらせのつもりか、一枚の御札が貼られていた。


 「……私、悪霊なんかじゃないっての」

 「――確かに、嬢ちゃんは悪霊とちゃうなぁ」

 「え――誰っ?!」


 声がする方を見ると、そこには茶髪を結い和装を身につけた少女がいた。背の低さを見るに、中学生だろうか。


 「えっと――女の子、だよね。……夜はあんまり出歩かない方がいいよ」

 「そんなん、嬢ちゃんも同じ――って、ちょい待ちぃ! ワイは女子ちゃう、男や、男!」

 「ええっ?! あ、そう言われると、そうなのかな……?」

 「たくっ……失礼なやっちゃな」

 

 和装の女――いや、男の子は話題を切り替えようと、ぎこちない咳払いをした。


 「嬢ちゃん――百合子ちゃんやったか。ひとつ、これだけは伝えといた方がええ思て来た」

 「……私、に?」

 「――船の上からでは、陸の人間は見えへん。じっくり目ぇ凝らして見失わんよう、“大事なモン”を捉え続けるんや」


 ――意味が分からない。

 男の子は一瞬視線を逸らすと、本物の幽霊かのように消えてしまった。


 「――なんだったんだろ」


 


 「“百合子?”」


 「……え」



 ――咲の声。

 振り返ると、そこには咲の姿があった。


 「咲、どうしたの? こんな遅くまで……」

 「“なんでもないよ、大丈夫だから”」


 ふと、咲の姿が変わる。

 傷だらけで、あざだらけ――そう、私みたいに。


 「咲、その傷――!」

 「“百合子が、悪いんだよ”」


 すると、咲の口角が上がり、ざっくり裂けた口が露わになる。

 気がつけば、咲が私を取り囲んでいた。


 「“百合子のせい、百合子のせい”」

 「“見捨てて、逃げた、百合子のせい”」



 「ちがっ――違うっ、嘘、あぁ」


 眩暈、罪悪感、強い後悔と涙。


 「“何も変わらない、アイツらと一緒”」

 「“見て見ぬふりした、樋口たちと一緒”」


 「ひぁ、ぁ、ごめっ――」

 

 

 「“絶交だよ、絶交だよ”」

 「“もう話しかけないで”」


 「“嫌い、嫌い、大嫌い”」

 「“前から嫌い、今も嫌い、これからもずっと嫌い”」


 「“嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い――”」

 


 ――そんなことない、咲は、私の友達で、親友で、なのに、なのに、咲は、咲は、私、私を、私が。



 「“嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い、嫌い――”」



 ――私が嫌だったの? 私が嫌いだったの? 鬱陶しい? 面倒? 知らない、私の知っている咲は、そんなこと言わない。



 「“嫌イ、嫌イ、嫌イ、嫌イ、嫌イ、嫌イ、嫌イ、嫌イ、嫌イ、嫌イ、嫌イ、嫌イ、嫌イ、嫌イ、嫌イ――”」



 ――私が悪いの? 私が見捨てたのを恨んでる? 私が弱かったから? 私を見捨てるの? 私は、咲に嫌われたの……?



 「“復讐、天罰、仕返し、因果応報。”」

 「“聞こえるデショ? 憎たらシイ声、おぞまシイ声、反吐(ヘド)ガ出るよウナ声――!!”」



 ――天罰、仕返し、因果応報……?


 

 「“ワタシ、百合子ガ大嫌イ。デモデモ、百合子はワタシがダァイスキ”」

 「“許シテあゲル、百合子ハ特別”」



 「……さ、き」

 ――咲、ありがとう。許してくれたんだね。



 「“助ケテ百合子、ワタシを助けテ!!”」

 「“コレで奴ラを真っ二ツ!! 貸シテあげルネ、キャハハハハッ!!”」


 ――(なた)


 「うん、いいね。ありがとう、サキ」



 「“早く、早く、急いデ百合子!!”」

 「“アイツらがイジメル!! 苦シイ、痛イ、痛い痛い痛いイタイイタイイタイイタイ!!!”」


 気がつけば、そこは教室だった。


 「――周防さぁん、どんな気持ちぃ? 苦しいよねぇ、辛いんだよねぇ!」

 「……や、ぅ、百合、子……」

 「アハハハハハハハッ! みっともなぁ!!」


 「――」

 「あはっ――ぁ……? えっ――ぁっ……?」


 取り巻きの首がどさりと転がる。

 

 「――アハッ……!」

 「ひぃぅっ、あぁっ、かしっ、そ、んな――!」


 ――また一人。愉快、痛快、滑稽……! 人って、こんな簡単に(こわ)せるんだ。


 「鹿島、さん……? 待って、お願い、止めて……ごめ、許し――!」


 教室を震撼する、樋口の苦痛の叫び。

 私の手元にある鉈は、樋口の汚らわしい鮮血を垂らしていた。


 「ァっ……ぁああ、あああぁぁぁアアアアアアアアアァッ――!!!」


 「……なんだ、殺し損ねちゃったァ!」


 「ぎぃっ、うぅぅっぁ、ヵああぁぅぁああっ……!!」


 再び鉈を振り下ろす。樋口の悲鳴は途切れ、ようやく状況を理解した同級生が、輪唱するように叫び逃げ出そうとする。


 「――ぁはっ、ハハハ、アハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ――ヒィーッァアハハハハハハハハハハハハァアァァアァァ、キャハハハハハハハハハ――!!!!!!!!」 


 阿鼻叫喚は学校全体を包み、生徒は怪物でも見たかのように逃げ出した。

 逃げ出そうとする奴の襟を鷲掴み、背中から貫き、首を切り落とし。気がつけば、教室に残されたのはたった一人だけになった。


 「――百合子、やめ、百合子聞いて、こんな、嘘、やめて――!」


 「……あなた、だれ?」

 「百合子、わたしだよっ、咲! 周防咲!」


 「“だァれ、ダぁレぇ? アノ子はダぁれ? ワタシがサキ、スオウサキ!”」

 「そうだよね。あなたはサキ。あなた、ほんとうにだれなの?」


 「なんで――百合子、隣にいるのは、わたしなんかじゃ――」


 「“オカシなコ! ワタシがサキ! 勝手に名乗らナイでよネ!!”」

 「そうだね、サキ。コロしちゃおっか」


 ――友達を名乗る誰かさんに、鉈を振り下ろす。


 「――ぁ」




 その時、百合子の振り下ろした鉈は、一本の太刀に弾き返された。

 百合子と咲の間に割って入ったのは、風変わりな服を着た男だった。


 「――そこまでだ、悪霊と化した女子(おなご)よ」

 「なッ……?!」


 すると、男の背後から鎖が伸び、咲を百合子から引き離した。


 「――嬢ちゃん、さっきぶりやな。追っかけて正解や――やっぱ、“悪意(あくい)”に飲まれてたんやな!」

 「“なにヨ、あなたたチ……あと少しだったのニ!!”」


 「一先(ひとま)ず名乗らせて貰おう――(それがし)は『(いずみ)』。そこの『タカ』と共に、貴様を地獄へと導きに来た」

 「“そこの”て……ま、ええ。悪く思わんといてな、百合子ちゃん。悪意のせいやっても、“現世にちょっかいかけた魂”っちゅうだけで重罪やさかい――ちと痛い目ぇ見てもらうわ!!」

 

 百合子――百合子の霊はカカカッと笑い、手に持った鉈で泉たちを指す。


 「私を地獄ニ? ――笑わせないデ! サキ以外はみぃんな死んでもらうノ、コイツもそウ! 邪魔するなラ――あなたたちも殺してあげル!!」


 「――最早(もはや)、まともに話すら出来ぬようだな……!」


 泉は刀を構え、タカは懐から御札を取り出し扇状に広げ、それぞれ戦闘態勢になる。

 霊をそそのかした“悪意”は霊に宿り、百合子なる少女は『悪霊』となる。


 「行くで、泉はん! 暴れまくって、ワイの自慢の術に巻き込まんようにな!!」

 「(おう)!!」



  * * * * *



 悪霊は鉈を手にし、八つ当たりするかのように、泉の方へ突っ込んでくる。

 自身が人間でなくなったことを知った悪霊の身体能力は、並の人間では捉えることができない程素早い。


 「“キャッハハハハハハ!!”」

 

 しかし、泉も既に人間ではない――悪霊が接近し刃を振り下ろすも、泉はそれを易々(やすやす)(かわ)した。泉は“悪意”の少女と間合いを詰め、胸元へ刃を振り下ろす。


 「ギャッ――!」 

 「挨拶代わりだ、くれてやる!!」


 胸元を抑える悪霊。きっと想像も出来ない程の苦痛が、悪霊を(むしば)んだことだろう。

 泉は悪霊から距離を離そうと飛び上がり、おまけに追撃せんと鉛玉を打ち込んだ。


 「痛イ、痛ぃ、イたイぃ……!!!」


 タカは扇状に広げた御札を投げ、悪霊の体に傷を負わせる。

 悪霊の傷口から血は出ない。代わりに、傷跡が白く濁って浮かび上がっていた。

 タカの攻撃が止まると同時に、泉は悪霊に近づき飛び上がる。振り下ろした刃は、悪霊の鉈で受け止められた。


 「中々の根性、いや――執念か。ここまで傷ついても(なお)、某の太刀を受け止めるとはな」

 「こんなノ、もう、馴れっこだかラ……!!」


 泉は一度後方に離れ、体制を立て直す。

 悪霊はその隙を狙い、再び泉に接近する。横に()いだ刃を、泉は寸前で受け止める。

 

 「このッ……!! 行けると思ったのニ……!」

 「ええんか嬢ちゃん! 泉はんばっかし相手しとって、なぁ!!」


 タカは悪霊の足元に御札を投げ、丁度四方で囲むように突き刺す。

 タカが指を鳴らすと、泉は鉈を振り払い一歩後退する。

 すると、御札は赤く炎を纏い、次の瞬間、突き刺した御札から鎖が伸び、悪霊を捕らえようと動き出す。


 「なにこレッ――もウ、邪魔!!」

 「泉はん、今の内に息整えとき!」

 「言われなくとも!」


 悪霊は鎖を断ち切ろうと鉈を振り回すも、一本の鎖が鉈を握っている腕に纏わりつくと、そのまま残りの鎖が絡み、悪霊の動きを止めてみせた。

 

 「グッ……こノッ……!」

 「無理に動かん方がええで、ソイツはワイの特別製――悪霊が抵抗する程、締め付けが強くなるっちゅう代物や!」


 タカは泉に目で合図を送る。


 「――これで、どうだっ!!」


 泉は刀を横に凪いで、悪霊を真っ二つに切り裂いた。 悪霊は痛みの余り、自身の妖力を制御できなくなっていた。

 すると、タカの頬に一本の傷が走る。泉の足に切り傷が浮かび上がる。悪霊の周りにある物体の何もかもが、雨に撃たれるように傷ついていく。

 

 「ッぅ……成程(なるほど)なぁ。ウチのと似た力を持っとる訳か」

 「一体誰のことだ。某の力は、此処(ここ)まで乱暴なモノではない」

 「制御できんヤツがなんか言うとるわ。ま、(むし)ろ丁度ええ練習台やなぁ……!」


 悪霊から発せられる妖気は、文字通り全てを無差別に傷つける。それはまるで、悪霊と関わった誰もが傷ついていく様を体現しているようだった。


 「泉ぃ! ワイの攻撃に合わせて、()()出せっか!」

 「可能だ、相分(あいわ)かった――!」

 「しゃぁ! ンじゃいくでぇ!」


 二人は一斉に悪霊へと特攻していく。悪霊が捉えたのは、真っ直ぐに向かってくるタカの姿であった。タカが伸ばした鎖は、悪霊を縛り付けようと真っ直ぐに飛んでいく。

 しかし既所(すんでのところ)で、鎖は悪霊の鉈に切り裂けられる。攻撃が外れた――だというのに、タカは余裕の表情を浮かべていた。


 「へへっ、残念やったなぁ、嬢ちゃん!!」

 「何ッ……?」

 「いけぇ、泉はん!」

 

 すると、その背後に回り込んでいた泉は、悪霊の腹をその刀で貫いた。


 「カはぁッ……!!」

 「――すまんな、一騎打ちでなかったことを恨め」


 タカが一瞬でも注意を逸らしていた。それだけで敵の背後を取ることなど、泉にとって赤子の手をひねるようなものだ。


 「ハァッ……ガッぁ……マダ、マダまダマだ!!!」


 その直後のこと。ふと、付近に漂う妖気が濃くなっていく。悪霊はみるみるうちに髪を伸ばし、肌は鱗で覆われていき、異形の怪物へと変化していく。

 泉は突き刺した刀を抜いて逃げる暇など無く、無尽蔵に伸びる髪の中へと飲まれていく。

 その姿は大蛇(だいじゃ)のようで、しかし手足のある蜥蜴(とかげ)のようにも見えた。妖力は更に強まり、呼吸する度に肺が苦しくなる程だ。


 「“キャッハハハハハハ!!! 殺セ殺セ殺セ!!”」

 「ッ……! 絡まっ……て……! 首がぁッ……!」

 

 泉の首に巻き付いた悪霊の髪が、じわじわと呼吸を阻害していく。


 「チィッ……! 行くっきゃぁないか……!」


 泉を締め付ける髪を切ろうと、タカが鎌を振るう。だが、まるで髪の一本一本が意思を持っているかのように、器用に避けられてしまう。

 このままでは泉が危険だ。少しでも隙があれば、とタカは考えるも、そんな都合のいいことはないと自答した。

 その後も攻撃を繰り返すも、逆に掴まれそうになるわで、徐々に敗北が見え隠れしていた。


 「クソッ、舐め過ぎたかっ……!」


 ――その時。今までへたり込んでいた少女がゆっくりと立ち上がった。手には悪霊が手放した鉈、それを少女は重たそうに引き摺っていた。


 「百合子――こんなことっ……私は許さないっ!!!」

 「“――サキッ……?!”」


 「嬢ちゃん……っ! 何しとん、サッサと逃げ――」

 「すみません! でも、今逃げちゃ駄目なんです!」

 「――嬢ちゃん、まさか()()()――!」


 タカの忠告を無視して、その少女は悪霊に生前の名と、独白を叫ぶ。


 「私も謝る! 一人で抱え込まないでって言っといて、結局は私も抱え込んでたっ! 百合子の気持ちも考えずに、一人で何とかしようとなんてしてっ!」

 

 「“違ゥ、サキ、咲は、咲はァ――”」

 「でも、だからとはならない! 百合子が、誰かを殺していい理由にはならない! 百合子が……罪を犯すのは、友達として見たくないんだよ!!!」

 

 気がつけば、悪霊は彼女を『周防咲』と認識していた。


 「私はもう――一人で抱え込まない!! 一人だけど、一人じゃないから!!」


 「“――咲、咲、咲ィ!!!”」

 

 「わぁあああああああっ!!!!」

 涙交じりの叫声は、咲なる少女が悪霊の髪を断ち切る力としては十分であった。

 ――そして、その一瞬の隙は、タカにとって好機到来のチャンスでもあったのだ。

 

 「――ありがとな、咲ちゃん!」


  直後、空気が一変し、重力があやふやになるのをこの場の全員が感じていた。それは、タカが“結界”を使った証拠――タカの右眼は紅く輝いていた。

 

 「自分、これでも地獄じゃぁ一二を争う力を持っとる“元人間”やってなぁ。見せたるわ――ワイの力は、『()()()()()()()()()()()()』!!」


 その“結界”はそのままの意味で、あらゆるモノを引き寄せる。これ程の妖気があれば、タカが少しの勝機と幸運を引き寄せる――なんてのもできる。

 タカが鎌を振りかぶったかと思うと、一瞬にして悪霊の身体にヒビが入る。


 「――ッ……!! クソゥッ!!」

 

  悪霊は強大な力を前に、必死の抵抗を試みる。髪を操り、捕らえていた泉を盾にしたのだ。動揺したタカは攻撃を外すも、()ぐに調子を取り戻す。


 「――っと、忘れとったわ」


 身を(ひるがえ)し、鎌は閃光を描く。巻き付いた髪はぱさりと切れ落ち、捕らえられていた泉は解放され、()ぐに刀を握りなおした。


 「はぁ……助けられたな」

 「いやぁすまんな! ついうっかり……」

 「全く……後で覚えていろ」


 「“ッゥゥゥッ……!!!”」

 「――そう急くな。今生(こんじょう)楽にしてやる……!」


 泉は妖気を物とも臆せず、抜刀し刃を突き付けた。

 悪霊は泉の一撃を、髪の束で弾き返す。泉の体は切り傷だらけであったが、その瞳には自信が満ち、紅く輝いていた。それはタカ程のモノではないが、タカと同じように“結界”を展開した証――。


 「まだ制御は難しいが――それでも、貴様に仕返し出来る程には仕上がってはいるのでな!!」


 泉の刃は、悪霊の身体に次々と亀裂を生んでいく。悪霊の身体からは、ぽろぽろと硝子の破片が崩れては剝がれていく。化けの皮は今、悪霊の本性ごと剝き出しになっていた。


 「“ッハァッ……!! ッァアッ……!!”」

 「さて――これにて終いと行こうではないか」


 「――『穢れた魂よ。現世の外なる地獄より、再び彼岸へと導かん』」


 泉の刀が、熱を帯びたように紅へと染まる。

 柄に手をかけ、意識を集中させ。周りの大気が変わるのを感じて、泉は抜刀する――!



 「(しま)いだ――『彼岸葬送(ひがんそうそう)』!!!!」



 「“アアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!”」



 悪霊は砕け散っていく。周辺を覆っていた妖力は消失し、百合子少女に憑いていた“悪意”は何処かへと霧散していく。

 その場に残されたのは、タカと泉の二人と、百合子少女の魂と、それに駆け寄る親友だけであった。



  * * * * *



 タカは百合子少女の魂に近づき、文字の書かれた木の板を持たせ、御札を並べ術を唱える。

 御札は力を使い果たし風化する。それと同時に、百合子少女の魂は淡い光となって消えていった。


 「……一件落着、次は油断せんように気を付けなあかんな」

 「そうだな――さて、地獄に戻って、報酬を受け取りに行こうか」

 「せやな、サッサと帰って――銭湯にでも行こか?」


 雑談をする二人に、咲はおどおどしく話しかける。


 「……あの」

 「ん? 咲ちゃん、まだなんか用か?」

 「ええっと――その」

 「その……百合子は、百合子はこれからどうなるんでしょうか。“地獄”って聞こえたから、もしかして、と思ったんですけど……」

 

 泉は腰に手を当てる。


 「そうだな……現世に干渉、しかも生きている人間を殺したとなれば、地獄で罪を償うことになるだろうな」

 「そんな――お願いします! できないかもしれないですけど、百合子はいい子なんです! どうか、罰を軽くして――」

 「……落ち着け、何か勘違いしているようだが――」


 二人が話している間、タカは樋口やその取り巻きの魂も地獄へと送り届けていた。


 「――泉はん、もう帰るで。地獄のモンがこれ以上現世に長居なんかしとったら、どんな悪影響があるか分からんしな」

 「ああ、分かった。そなた、『咲』と言ったな。ひとつ訂正するならば――」


 タカが教室の扉を開くと、そこに広がっていたのは廊下ではなく、煌びやかな地獄の景色だった。


 「――某達の地獄とは、そなたが考えるように、苦痛を強いるなんてことはない。罪を時間と共に洗い流し、転生を待つ間、それなりの自由を謳歌する。現世の窮屈さを忘れるくらい、お気楽な世界だ」



  * * * * *



 『地獄』。現世で肉体を失った魂が罰を受ける、贖罪の世界。魂の終着点。

 誰しもが抱えている罪を、長い時間の中でゆっくりと浄化するその世界は今、魂であふれかえっていた。この浮世では、余りにも罰を与えなければならない人間が多すぎる。

 そこで、かの『閻魔王(ヤマ)』はこう提案した。「もう一つの地獄を創造するのであれば、時間は掛かるが、いずれ余すことなく罰を与えられるだろう」と。


 そうして生まれた二つ目の地獄、名を『第二地獄』と言った。

 転生を待つまでの“仮初の居場所”――その中でも、ありとあらゆる魂を受け入れる、最も自由で、最も賑やかな町がある。

 

 浮世が“一刹那の未来”を描く場所なれば、ここは“悠久の自由”を謳歌する場所。

 そこは、『幽鬼神道町(ゆうきじんどうちょう)』。この物語は、そんな幽鬼神道町に存在する、二人の便利屋の物語である。


 さぁさ、よってらっしゃい見てらっしゃい。浮世はまるで、(かつ)ての夢のような場所だろう。

 化学(かがく)と書いて“化学(ばけがく)”と読むのに、女は化けども(あやかし)化けず。夢から醒めて、みんな忘れてしまったのさ。夜の恐れと、あの世の情景を――。

 私はそれを伝えに来たんだ。っても、説教するつもりはない。それよりも、愉快な物語を説く方が得意なモンでね。


 ――私がたった一人の客に語るのは、地獄の喜劇だということを約束しよう。


■用語解説(零話)


『鹿島 百合子』

 八咫橋女子学院の生徒であったが、屋上から飛び降り地縛霊となった。その後、悪霊となり見境なく人間を襲う。


『周防 咲』

 八咫橋女子学院の生徒で、生前鹿島百合子の友達であった。


『樋口巴』

 八咫橋女子学院の生徒で、虐めグループのリーダー格。中学の時も問題行動が絶えなかったという。


『“悪意”』

 作中で百合子の魂をそそのかし、悪霊へと変えた元凶。正体、目的共に不明。


『泉』

 第二地獄にある便利屋を経営する二人のうち一人。刀の扱いに長けている。


『タカ』

 第二地獄にある便利屋を経営する二人のうち一人。退魔の札や鎖鎌を駆使して戦う。


『気質』

 人ならざる存在が手にする、制御の難しい能力のこと。敵の妖気が強いほど気質も力を増す。


『結界』

 前述の気質を完璧に制御できた状態のこと。自在に展開したりひっこめたりできる。


『彼岸葬送』

 泉が使用する奥義。刀に力を溜め、一気に放出することで攻撃を行う。泉本人が命名した。


『地獄』

 ご存知の通り、死者が生前の罰を受ける世界のこと。それとは別に、裁判を行う『冥界』も存在する。


『第二地獄』

 物語の舞台にして、二つ目の地獄。現状、統治者による理の改革が行われている。


『幽鬼神道町』

 第二地獄の最上部にして、一番栄えている町の名前。泉とタカが経営する便利屋もここにある。


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