壱話 別れと出会い
土師剣治、22歳独身。探偵事務所所長である。
探偵事務所といっても、廃屋のようなビルの一室を間借りして事務所を開いているような状態であり、引っ越す予定もなし。故に、儲かっていないという事は容易に想像できるだろう。
「しかし、暇だねぇ〜」
が彼の口癖である。仕事も無く、探偵であっても求人情報誌を広げるような始末、本当に働いているのかを疑いたくなる。
生活費があるのかさえ疑わしいが、そこのところは何とか大丈夫であった。ただし、亞裡沙のおかげで。
―俺って、ヒモか?ヒモなのか?―
そんな事を考えながら、剣治は煙草の吸殻を口に咥えた。
亞裡沙と剣治は恋人でも親戚でも兄妹でも何でもない。赤の他人といった方が当てはまるであろう。
2人の出会いを話す前に、まずは剣治が探偵となった経緯を知る必要がある。
剣治が探偵を志したのは、高校の卒業式が迫ったある日の事だった。その日までは、探偵と言う職業は小説の中だけのものであり、自分には関係ないものだと思っていたのだ。あの日までは……。
「剣ちゃん、大学受かったって本当?」
「あぁ。」
「良かった。今度お祝いしなくちゃね。でもさ、剣ちゃんが受かったんじゃ私も頑張らないとな。同じ大学行こうなんて言い出した手前、受からなかったら格好悪いもの。」
「そうそう。人のことよりまず自分のこと頑張れよ。お前が受かったら、一緒にお祝いしよう。」
「なーによ、自分は受かったからって。わざと落ちちゃおうかな~。」
「頑張れよ、弥生。」
楡口弥生、剣冶の幼馴染でもあり、友人でもあり、義妹でもあり、彼女でもあった少女。明るく、優しく、活発で、誰からでも好かれていた彼女は、決して恨まれるような子ではなかった。
「弥生、今日は合格発表の日だろう?いつまで寝てるんだよ。」
彼女は剣冶の家の近くに一人で暮らしていた。両親は事故で他界し、親戚も居なかったため施設に入れられそうなところを、剣冶の両親が面倒を見ると言う条件で入所は免れたのだ。一緒に暮らそうと言う剣冶の両親の申し出も断り、彼女は13年間一人で暮らしてきたのだ。しかし、幼い頃は剣冶の母がご飯の支度などをしに彼女の家へ行っていたため、一人暮らしというよりは、離れに住んでいると言ったほうが近いのかもしれない。
「ったく、たるんでるぞ。」
何度ノックしても、開く気配の無いドアを一瞥し、剣治は母親の所へ、この家の合鍵を取りに一度帰ることにした。
何か様子がおかしいと、薄々感じながらも否定する自分の方が強く、けれども家のドアが内側から開くのを待ってはいられなかった。
「弥生、入るぞ。」
持ってきた合鍵を使い中へ。
ドアを開けた途端、噎せ返るような甘い匂いが鼻をついた。
「弥生!弥生!や………」
そこに横たわる彼女にもう息は無く、ただ真っ赤に染まった唇だけが目に付いた。
彼女は、合格発表を見に行こうとしていた。私服に着替えている事からそれは一目瞭然だった。
白いセーターの腹部に赤い染みが広がっている。腹部には銀色のナイフが刺さったままだった。
「弥生ぃぃぃぃぃ!!!」
その後、救急車と警察が来た。彼女の息はすでに無かったので、救急車や救急隊員が来ても何の役には立たなかった。
警察は現場検証を始める。
「しっかし、ひどいっすねぇ。どうせ痴話喧嘩からの発展じゃないっすか?」
大して捜査も進めていないのに、そんな無責任な言葉を口に出す警察。剣治は自分が疑われている事を知り、不快な気持ちになった。
剣治も両親に対しても事情聴取が行われたが、完璧なアリバイがあり、容疑は晴れた。
しかし、他に容疑者は上がらず警察は完全に捜査を投げ出してしまった。
「許せない…あいつらなんかに任せておけるものか。」
剣冶は受かった大学を蹴り、探偵を育成するための学校へと入った。警察学校でも良かったのだが、捜査で適当な事を言ったあいつらと一緒になりたくないという気持ちからこの道を選んだのだ。
―弥生、必ず俺が犯人を見つけて、そして……―
学校を卒業し、この探偵事務所を開いた。だが無名の探偵に客など来るはずも無くコンビニのアルバイトなどで生計を立てていた。暫くはそんな日々が続いた。
ある日、土砂降りの雨の中事務所の前に佇む一人の少女に出会った。その姿はあまりにも最愛の人に似ていたため、思わずその人の名前を呼びそうになった。
「弥――」
「貴方が探偵さん?」
けれども少女は、剣冶の思い出の中の人とは違う、か細く消えてしまいそうな声でそう言った。少女には彼女のような明るさが何処にもなかった。ただ、ここの空気とは肌が合わないとでもいうかのように、浮世離れしているように見えた。
「あ、ああ。まぁな。」
動揺を隠し切れず声が上擦る。少女は何もかも分かっているかのような瞳でこちらを見詰め、意外な言葉を紡いだ。
「最初の仕事、もうすぐ来るわ。」
「え?」
それだけ言うと少女は走り去ってしまった。
そして少女と入れ替わるように、30代くらいの女性がこちらへ息を切らせてやってきた。
「あの探偵事務所の方ですか?この子を、娘を探して欲しいんです!」