第二話 穂香は違う
「高柳君と桜木さん、それに安達君ですね?」
坂口先生はそれぞれが背負っているランドセルのネームバッチを確認し、丸い眼鏡の奥で爽やかに笑った。前髪は少し目に掛かるくらいの長さで、靭やかな体付きに甘いマスク、白い歯が印象的だった。
「今日から5年1組の担任になりました坂口です。よろしくね?見ての通りあんまり運動は得意じゃないけど、芸術や文学は得意だから何でも質問してくださいね」
そう言って先生は、俺たちの前にかがみ、視線を合わせ、俺と穂香の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「ぎゃッ!」
「むー」
俺は奇声を発し、穂香はせっかく整えた髪がぐしゃぐしゃにされて少しむくれていた。
「そ・れ・か・ら、安達君!」
「は、はい!」
「桜木さんのことが大好きなのはわかりますが、嫌がることはしたらだめですよ?」
「ば、ばっかじゃねーの?!こんなのろま、好きなわけねぇだろ??」
そういって安達は怒って教室に入っていった。
――分かりやすい奴…。
坂口先生はやれやれと肩を落とし、困った顔で俺たちに微笑んだ。
「桜木さんも、学校にこんな髪の色をしてきたらだめですよ?」
「!?」
突然先生に、その桜色の髪を触られびくりと身を固める穂香。
「あ、こいつは生まれた時からこんな髪色なんです。他の先生に聞いてないんですか?」
「ごめんなさい。それは知りませんでした」
坂口先生は慌てて穂香の髪を手放した。
が、先生とは言え、今までにも散々安達にからかわれ、人に奇異の目で見られてきた部分に土足で踏み込まれたことは、穂香にとってショックだったのだろう。穂香は目に涙を浮かべていた。
「りっちゃん、中入ろう」
「うぇ、穂香??」
俺の腕を掴んだ穂香は、先生にプイとそっぽを向いて、さっきまであんなにためらっていた教室の中に入っていった。
◇◇◇
今日は新学期1日目なので、授業は午前中で終わる。授業も無く、ほとんどが自己紹介とか、クラスでの係決め。その為、教室の中はいつもより浮足立っていた。
係は男女ペアのくじ引きで決めた。
結果、俺はゴミ拾い係だった。完全に外れくじだ。我ながらくじ運の悪さを呪いたくなる。
「おい、ゴミ拾い係~ここにゴミ落ちてるぞ?」
休み時間、先生が居ないのをいいことに、目の前で消しかすをパラパラと床にまく安達。俺にとってのゴミはお前だと内心思ったが、逆らうと調子に乗るので、俺は黙って教室の隅からホウキとチリトリをもってきて掃た。案の定、悔しそうな顔をする安達。いい気味だ。
「あんた、また律に嫌がらせして!先生に言いつけるわよ?」
そういって割って入ってきたのは隣のクラスの日向だった。
栗色のセミロングの髪に、猫のようなアーモンドアイの持主だ。うすいピンク色のブラウスにデニムのショートパンツがよく似合っている。だが、小学生にしてはやや色気のありすぎるファッションに思う。
「てめぇは2組だろ?自分のクラス帰れよ!」
「今は休み時間ですぅ!」
「ぁあ”?」
「なによ!」
教室の中にバチバチと火花が散り、クラスメイトは皆、二人の剣幕にビクビクしている。
もちろん穂香もその一人だ。
「お前らなぁ、いい加減にしろよ」
さっきまで俺のことで怒っていた日向も、怒りに我を忘れている様子だ。
改めて説明しておくと、俺と穂香は生まれたときからの幼馴染みで歳は3ヶ月ほどしか変わらない。日向と安達とも保育園からの付き合いなので、俺にとっては幼馴染みには変わりはない。昔はよく4人で一緒に遊んだり、雑木林を探検したりと今よりずっと仲が良かったはずなのだが、小学校に入って以来、安達が穂香に執拗以上に嫌がらせをするようになり今のような関係になった。
「あ、あの…あっくんもひなちゃんも先生に、怒られるよ?」
「うるせぇ!」
「穂香はだまってて!」
「ひぅ」
恐る恐る仲裁に入った穂香だったが、二人の鬼の形相に一蹴されて終る。
俺は無言でどんまいと目で穂香を励ますことしか出来なかった。
その後、二人の痴話喧嘩は先生が職員会議から帰ってくるまで続いた。
◇◇◇
「ただいまー」
「ぉ、おじゃまします……」
学校が終わって俺の家に着くころには昼の1時を回っていた。
父さんは単身赴任、母さんは夜まで仕事、姉ちゃんは大学に泊まり込み。なので家の中は真っ暗に静まり返っていた。
玄関から直ぐのリビングテーブルの上に母さんが用意してくれた昼ごはんのサンドイッチがあったので、それを持って俺は穂香と2階の自室に向かった。
「りっちゃんの部屋はいつ来ても本がいっぱいあるね」
そう言って俺の部屋の本棚を見渡しながら穂香が言った。
「母さんがよく職場で貰ってくるんだ。それに、半分くらいは姉ちゃんに貰った漫画だけどな」
「そういえば、穂香は何係になったんだっけ?」
自分の係がショック過ぎて、穂香の係にまで意識が行ってなかったんだなと今更気づいた。
「ぉ、お手伝い係……プリントを取りに行ったり、鍵を返したり、先生のお手伝いをいろいろするの……」
「そっか、じゃぁ俺のゴミ拾い係より全然かっこいいな」
俺は心からそう思ったのだが、穂香はどこか浮かない表情だった。
「??」
「じ、実はねあっくんと同じ係なんだ……」
あぁ、なる程と思った。そして少し心臓のあたりがチクリとした。
◇◇◇
昼ご飯を食べて少し経った。
せっかく同じ部屋にいるのだからと言われそうだが、俺達はベットに腰掛け別々の漫画を読んでいた。俺は悪い敵をやっつける少年漫画。穂香は最近学校の女子の間でも流行っているチューリップという少女雑誌に掲載されている少女漫画だ。俺も姉ちゃんが置いていったときにチラリと中を見たのだが、高校生の主人公の恋愛模様を描いた作品だった。
念のためにもう一度言っておくと俺達は小学5年生だ。恋愛なんて、まだまだ先、少なくとも俺はそう思ってる。仮に好きな子がいたとして、仕事もできない、お金も稼げない今の自分に、到底その子が守れるとは思わなかったからだ。
「穂香は違うのか……」
「?」
「どうしたのりっちゃん?」
「ご、めん、独り言!!」
俺は無意識過ぎて気が付かなかった自分の独り言に驚いた。穂香は変なりっちゃんと言わんばかりにキョトンとことらを見つめるも、すぐに漫画の世界に帰っていった。
法律では女性は16歳、男性は18歳で結婚できる。男が18歳で結婚できるとは言え、俺は大学に行きたいし、もしかしたら大学院にもいくかもしれない。それから社会人になって2,3年はバリバリ働いて、それから結婚……。気が遠くなりそうだった。一方、女性の場合はどうだろう?もちろん男と同じくバリバリ働いてキャリアを積み上げる女性もいるが、結婚したら専業主婦になりたと思う女性なら、それこそ16歳で経済力のあるいい男を見つければ、仕事の心配やお金の心配はしなくても済むんじゃないだろうか?あくまでも俺の意見だが……。
あと5年もすれば……。
ふとそんな考えが過り、何とも言えない焦燥感を覚えた。
コトンと、何かが落ちる音がした。かと思うと、右肩に少し重みを感じた。床には先程まで穂香が読んでいた漫画が落ちている。気が付くと穂香はすやすやと心地の良い寝息を立てて眠っていた。
長いまつげ、ぷっくりと膨らんだピンク色の唇、キュロットスカートと靴下の間から除くキズ一つない真っ白な太もも。
――触れたい。
「ッ?!」
自分の中から黒く得体のしれない何かがふつふつと湧いてくるのを感じたとき、幸か不幸か部屋扉が勢いよく開いた。
「!?」
次回作もお楽しみに!