景色と馬車と商人と
草原の真ん中を真っ直ぐに伸びる道を一台の馬車が走っていた。
御者台に座り手網を握っているのは筋肉質な体型の若い男だった。
男の名前はボルガトロー=トニック、公都ストーンバレーに店を構える商会の跡取りである。
彼は二週間ほど前までは王都にある学院に通う学生であった。
王都の学院では商人となるべく日夜勉強をしていたのだがそんな中ある日実家から手紙が届いた。
事業を拡大するため人手が足りない、帰ってこい、と。
長い間の勉強に飽きていた彼は喜んでその知らせを受け取った。
そして同じく薬士になるために王都で修行をしていた妹とともに故郷であるストーンバレーに帰っている最中であった。
牽引する馬の手網を握ったボルガトローは退屈を感じていた。
何せ今馬車が走っている道は王都から国の主要都市を繋ぐ、言わば主要道路である。
整備された道は一直線に伸びており、街を繋ぐ道には衛兵の見回りもしっかりと行われているため盗賊も危険な魔物が出ることはまずない。
とはいえたまにすれ違う馬車や道に転がる石などに気を払わなくては行けないため御者台から離れるわけにも行かなかった。
言ってしまえばとても退屈であったのだ。
この調子で行けば昼前には公都に付けるだろうと算段を付け欠伸を噛み殺したそんな時だった。
視界の端にそれが映ったのをボルガは見逃さなかった。
◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◆◇
「………い。…おーいってば!」
肩が強く揺すられる。
「うーん……もう少しだけ…あと五世紀……。」
「人類が絶滅するわいっ!」
パシャ!
「うえっ!ぶっ…ぺっ。ぺっ。」
せっかく気持ちよく寝ていたのに水をかけられたようだ。
口に入ってしまった水を吐き出す。
「ぺっ…いきなり何すんだ!?」
「おぅ、起きたか?少しも動かないから死んでるのかと思ったわい。」
頭を上げると目の前には知らない男がこちらを見てニイッと笑って手をさしだしている。
まだボーッとする頭を働かせてその手の意味を理解した。
それに掴まると見た目からは想像出来ないほど大きな力で引っ張られ思わず前のめりになる。
かたまった体をほぐそうと伸びをしつつ周りを見ると違和感に気づく。
白い雲がまばらに浮かぶ青い空と黄緑色の草原が視界いっぱいにどこまでも広がっていた。
遠くに小さく見える濃い緑は森だろうか。
今どきの日本では田舎でさえ滅多に見られないでろう、のどかな自然風景。
自分が寝ていたのはそんな平原の中にある一本の低木の木陰であった。
ああ、どうしよう、まったく見覚えがない…。
落ち着こう。落ち着いて昨日のことを思い出そう。
昨日は確か…遅くまでバイトをしていた。
その帰り道にトラックにひかれた…いや、ひかれたのか?
トラックが自分の方に向かってくる光景は思い出せるのだがその後がどうなったのかがあやふやだ。
生きてるってことは助かったのか?
いや、でもあのあとヘンテコな白い空間を漂う夢を見たな。
となるとこれは……
「まだ夢か。」
「くぉら!何起こしたそばから寝てんねん!」
空気も美味しいし二度寝しようと横になったら今度は頭を叩かれた。
夢にしては痛すぎるんな、うん…。
「ったく、いくら天気がいいからといってこんなところで寝たらあかんよ。ここは街道の近くとはいえ魔物もでんねん。日が暮れないうちに街に着きたいならとりあえず馬車に乗りぃ。」
状況がつかめないが近くの町までおくってくれるらしい。
にしても魔物やら馬車やらおかしい単語が聞こえた。
これはもしかして。もしかしたらなのか?
茶色い短髪の青年について行くと草原の真ん中を真っ直ぐに伸びるあぜ道にでた。
そしてそこに置かれていたのは車ではなく馬車である。
馬車はトラックの荷台にかまぼこのような半円型のテントをつけた造りであり、それを一頭の大きな焦げ茶色の馬が牽引していた。
荷台の後ろから乗り込み、積まれた木箱を避けつつ前に進むと横長のベンチがあり、そこには先行していた青年と彼にどこか似ている少女がいた。
茶色い髪を後ろで三つ編みに束ねている少女は本を開いており僕が荷台に乗ると一目見ただけですぐに本に目を戻した。
「シトロ、やっぱり死体じゃなかったぞ。水をかけたら生き返りおったわ。」
「そう、しかし盗賊とかなんかじゃあないでしょうね?」
「はっはっは、こんな細っちい盗賊ならいつ来ても返り討ちじゃわ。」
「ならいいわ、それじゃあ出発するわね。」
どうやら少女の方に盗賊と疑われたようだ。
本人の前で言うかそれ?
そもそも盗賊って…これはもう正解なのか?
そんなことを考えていると馬車が動き出した。
とふいに馬車が跳ね上がり思わず壁に倒れ込む。
「あー、馬車に乗り慣れてないんか?ここいらはあまり良い道じゃないけぇ、車輪が小石なんか踏み飛ばすと揺れるんよ。立ってると危ないから床に座っとれ。」
そう言われて床を這って移動し床に固定されたいる木箱に背を預けた。
よく見ると荷台とテントの間には僅かな隙間があったのでそこから外を覗いた。
自転車より少し遅いくらいの速度でゆっくりと景色が流れていく。
相変わらずはるか遠くまで青い空と緑の絨毯が広がっていて世界の広さを感じさせる。
ビルだらけの都会では見れない景色だな、などと感心していると青年の声が聞こえてくる。
「ほいじゃあ、落ち着いたなら自己紹介と行こうか。わしはトニック商会の会長コアントルー・トニックの息子、ボルガトルー・トニックじゃ。ボルとでも呼んでくれい。見ての通り商人じゃ。」
短髪の青年は人懐っこい笑顔でそう言った。
がっちりした体格からはとても商人には見えない、荒くれ者かと思った。
年は僕より少し上なくらいに見える。
商人ボルか…名前だけみると悪徳感が出ているな。
「私はその妹のシトロン・トリックよ。シトロとでもよんでちょうだい。こう見えて薬師をやっているわ、よろしくね。」
やはり兄妹だったようだ。
少女はこちらに興味がないようで本から目を離さずにそういった。
「シトロ、お前はまだ見習いじゃろうに。」
「街につけば店を持つことになるんだしもう一人前の薬師よ。それに見習いは兄さんもでしょう。」
「わしも王都で仕入れをしたんじゃからもう商人じゃ。」
商人に薬師、やはり普段だとあまり聞かない単語が聞こえてくる。
これはもう確定でいいのではないだろうか。
おそらく僕は異世界転移した。
馬車を使っているあたりを考慮すると中世ほどの発達しかしていない世界なのだろうか。
はたして剣と魔法はあるのだろうか?
異世界転移、こうして自分の身に起きてみると意外と焦りが少ないものだ。
いや違うな、まだ実感が出来ていないだけか?
とりあえずは恩人なのだろう彼らと信頼を築き、不自然にならない程度に情報を引き出そう。
となると自分をどう紹介したものか?
異世界からきました、なんて素直に言っていいものだろうか?
できれば隠しておいた方がいい気がする、なんとなくだけども。
そんなことを考えていると青年から声がかかった。
「ほいじゃあ、兄さんの番じゃあ。」
「あ、ああ……僕の名前は仁科圭太だ。」
「にしのきーた?ユニークな名前じゃの。」
おそらくは僕の名前を言っているのだろうが言えていない。
「違う、に・し・な、け・い・ただ。」
今度はゆっくりと言ってみる
「じゃから、に・し・のぁ・きぃ・たじゃろ。」
「違う…。」
外国人には日本人の名前が発音出来ない、なんてことを思い出す。
しかし会話は通じているのでそれが当てはまるか分からないが。
「なんかすまんの…。もっと呼びやすい略称なんかないんか?」
「略称かぁ…。」
略称、エドワードをエドと呼んだりニコラスをニックと呼んだりする愛称のようなものだ。
日本人だとあだ名なんてのはそれにあたるのではないか。
僕の場合は姓も名も呼びやすいためニシナだのアオイだの呼ばれていた。
しかしそのどちらもボルガは呼べていなかった。
こちらの人でも呼びやすい愛称か…
「…ジンなんてどうだ?」
「ジンか、だいぶ呼びやすくなったわい。さっきまでとは雲泥の差じゃあ。」
単純に仁科から一文字とって仁でジン、
これならボルでも呼びやすいらしい。
親から貰った名前を捨てるようで申し訳ないが緊急事態だ。
とりあえずはジンとして生きていこう。
「改めてよろしくな、ジン!」
「おう!」
手と手を繋いで信頼を築くのはこの世界でも共通らしい。
ボルとしっかりと握手をした。
「ほいで、ジンはなんであんなところに寝とったんだ?」
…名前を考えるのに必死で他のことは何も考えついていなかった。やばい。