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四章水節 保全の眼

 

 今日も今日とて日差が降り注ぐ。屋外で活動している部員はよく無事に生きているものだと感心したり、体に鞭打って馬鹿馬鹿しいと嘲笑ってしまうのが普通の文化部部員だろうか。

 ……今日は隣家(りんか)の植木でも観に行こうかしら。

 運動部の活動は学園内外から見えやすい。が、文化部の活動はやたらと時間が費やされて成果が挙がらなければ何もしていないようにすら観える。背景になりがちな風景であればなおさらだ。そんな他者の評価を気に留めず他部の活動も気に留めることなくマイペースに活動している。それが園芸部部長此方(このかた)(つばさ)である。マイジョウロとマイシャベルまたはマイスコップを持って部室を出ると帽子も被らず日傘も差さず学園の外へ向かい、思い立った通り隣家の植木に水を注ぎ、マイシャベルで雑草の根を掘って煉瓦に載せて枯らしておく。植木は常緑樹で、此方翼が世話を始めた二年前からぐんぐん背が伸びている。

 ……いい子、いい子。

 幹を撫でてやると、

「頑張って大きくなって酸素を作るよ〜」

 と、のんきな声。無論、植木が答えたのではなく此方翼が独り言を言っているだけだが、此方翼は植木の言葉が聞こえてくるような気はしている。

「ふぅふぅ」

 と、耳許で囁くのはハグマノキの花序のような綿毛で、こちらは本当に声を発している。綿毛としては大きな直径一〇センチメートル、口があるわけではないが、「そこから声が聞こえるのだから声を発している」と、受け入れて〈ワタボウ〉と称して飼っている此方翼である。

 そんなワタボウを伴って此方翼は行く。隣の木の全体や根元を観て必要なら雑草を抜いたり水を注いだりして、撫でて、独り言を言う。ワタボウが「ふぅふぅ」と言ったら次へ向かう。これが、この頃の部活風景。活動内容としてはやや怪しげであるが、それも気に留めないおおらかな此方翼である。

 そんなこんなで、第三田創魔法学園高等部にあって園芸部は特異な部であるといえる。文化部に類するから、と、いう括りでは(めずら)しいといえば済む。活動が少し怪しいからというのでも甘い。ワタボウは謎であるが部の特異さはワタボウ出現前からである。この園芸部、此方翼と顧問しか部員の総数を知らず、しかも部員は何回も入れ代わるのである。そんなことも全く気に留めない此方翼であるから部長が務まっており、だからこそ、園芸部は園芸部たり得、特異であるといえる──。

 そんな部であると知ってか知らずか、部員の入れ代りが激しい園芸部において最も部員が入れ代わらない四月の頭に新入部員がやってきた。

 竹神納月。

 細かいことも大きなこともほとんど気に留めないマイペースかつおおらかな此方翼だが、その苗字に、心が動いた。

 その理由を語るには、此方翼が初等部一学年の頃に遡る(さかのぼ   )必要がある。一学年先輩に、言葉真(ことはま)(おと)という天才がいた。当時彼は学園のヒーロ。新聞にたびたび名が挙がり、テレビ番組が彼をレギュラ出演させているほどであった。学園生活が初めてで北も南も判らなかった此方翼に取って、テレビ画面の中の人物だった彼が怪我を治してくれて、教室まで手を引いてくれたのは、夢のような時間だった。

 彼は、今もって此方翼の憧れである。

 彼が、一〇歳で犯した罪の数数は伝え聞いていた。同じ初等部に通っていたから学園の雰囲気が沈んでいったことも肌で感じていた。此方翼はそれを気に留めず、憧れの存在の豹変をただ眺めていた。彼は、やがて学園から姿を消した。此方翼の同級生は「捕まったからいなくなったんだ」と興味本位に言って、いつしか彼から目を逸らし、存在を忘れていった。此方翼は彼を追い続けた。物理的には遠くから、人伝(ひとづて)の情報を精査してどんな生活をしているか憶測して追っていた。親が離婚した直後、一四歳の彼は一度行方知れずとなった。人伝の情報を精査して今度は物理的に捜した。すると、彼は苗字が変わっていた。言葉真から竹神に。それからは、竹神音という憧れの存在を追い続けている。会うことは決してせず。

 此方翼は、彼の全てを知っているとはいいきれない。多くは、情報を重ね合わせて確度を高めた推測でしかない。結婚したことや子ができたことなどは、噂に聞く罪の数数のように降って湧いた話と信じてもいなかった。

 現れた竹神納月。顧問がいうには、まだ一歳に満たない。

 竹神音の子ではないか。竹神音が天才と(うた)われた理由の一つが創作魔法。既存の魔法に頼らず、奇想天外で繊細な魔法を次次に開発していた。そんな彼ならばヒトの成長を促す魔法を開発していたとしても何も驚かない。彼ならできる。此方翼はそう思った。

 見返りを求めず他者に手を差し伸べることができる存在に此方翼は憧れ、目指している。

 ──どんな子だろう。

 そんな思いで、竹神納月と昨日初めて顔を合わせた。大きな衝撃はなかったが、どことなく初等部時代の彼を彷彿とする愛らしい顔。それだけでじわりと胸が熱くなったのは、彼の娘と面したゆえといって相違なかった。

「此方しゃ〜ん、待ってくだしゃ〜いっ!」

 走りながらでは舌を嚙みそうな舌足らずである。

「竹神納月さん。わたしを追ってきたの」

「追ってきたの、じゃないでしゅ。なんで一人で行っちゃうんでしか」

「園芸部は基本自由参加なのよ」

 朝の活動に姿を現わす部員が少なく、それらが活動しているかどうか部長や顧問ですらほぼ把握していない。それだから部員の入れ代りを部員が把握できない。

「朝練に来なくてもいい部、来てもいい部、悪いことをしなければ授業にすら参加しなくても許されて放課後に顔を見せれば単位までもらえる部、それが園芸部」

「ど、どこからが冗談なんでしゅか」

「全部本当のことよ」

 園芸部はこの学園の()()()を担っているがゆえに、一定の特殊な行動が認められているのである。

「授業に参加しないのは悪いことなんじゃないでしゅか」

「疑問は解る。でも、それは授業参加を是としている者の見方でしかない。あなたならきっと解る。ひとには意志がある、立場もある。それらが変われば、許されることと許されないことも変わる」

「わたしにはまだ難しい話のように感じましゅ」

「素直に心を伝えるのはとても大事よ。ありのままの園芸部を受け入れて体験していくといいわ」

 出会って間もない者同士。けれど、此方翼と竹神納月は、相性がいい。互いの意志や立場がどこにあるかも見定められていない中、思うことをそのまま伝えることができたのだから。

「解りました。そのように向かうことにしましゅ」

 竹神納月が此方翼の道具を指した。「持ちましゅよ。手ぶらじゃ部員っぽくないでしゅ」

「部員に見えても得がないから大丈夫」

「しょれを大丈夫とゆうのは不安を煽ってるんでしゅかね。わたしとしては部長の荷物を持つくらいしかまだやることがないということなんでしゅが」

「その着眼はなかったわ。ありがとう、持ってくれるかしら」

「むしろありがたいでしゅ。木偶の坊はつらいでしゅ」

「そうね」

 各各の思うところがあったか、ふふっと笑い合って、此方翼と竹神納月は歩く。

「さっきからついてきてるその綿毛はなんでしゅか」

「魔物よ」

「魔物っ」

「冗談。謎の生命体よ」

「作り物ってことでしゅね」

「ふぅふぅ〜」

「声まで仕込んで、しゅごいでしゅねぇ」

「ふぅふぅ〜ふふぅふぅぅ〜ふぅ、ふぅ、ふぅふふふぁぅぅぅ〜ぅうふぅ〜〜〜──」

「ボイスが変化に富んでて長いでしゅね……。もしかして本当にマジで生きましゅか」

「生きているわ」

「魔物でしゅっ!」

「あらよっと、謎の生命体よ」

 竹神納月が叩き落そうとしたワタボウを庇って、此方翼は語る。「ある日突然現れた我らがワタボウ、その正体は惑星アースの意志そのものなのである──」

「無駄にカッコイイ声でしゅが、噓でしゅね」

「個性よ」

「変身ヒーロ物な個性は似合わない外見でしゅが。……突然現れたというのは本当でしゅか」

「ええ、それは本当よ」

「精霊かなんかでしゅかね……、って、そんなことどうでもいいでしゅ。此方しゃん、これ、どこに向かってるんでしゅ」

「学園裏の花壇に行くわ」

「えっ。それならサクラジュアーチから入って学園の敷地を縦断したほうが早いでしゅよ」

 此方翼ははっとした。

 ……そんなことを思いつくなんて。この子、天才なの。

「いま気づいた、みたいな顔はやめてほしいでし。先輩が知らないはじゅがないでしから」

「ううん、これまでずっと考えもしなかったわ。そうね、縦断したほうが早いわね、たぶん」

「たぶんでは……。此方しゃん、もしかして方向音痴でしゅか」

「目的地に着けるから方向音痴ではないわ」

「表情が変わらない割に自信満満な顔に観えるのが恐いでしゅ。じゃあ、学園内を縦断しようとゆってから向かっているこの方角はどちらでしゅ」

「南よ」

「そう、南でしゅ。後ろが学園方面でしゅよ。右手後方に学園があったのに、左手の道を直進して、なんで学園に戻れるんでしゅか」

 ……この子、やっぱり天才だわ。

「ゆっておきましゅが、この状況ではほとんどのひとがわたしと同じことをいいましゅよ」

「安心して。もう二回左に曲がれば学園に戻れるわ。西を向けば左は南、南を向けば左は東。これは世界の摂理で不変よ」

「アホでしゅか。なぜ最初に右を向こうとしなかったんでしゅ。そっちには曲り道(まが  みち)がないから此方しゃんの残念な方向感覚でも、右を向けば自然と早く学園に戻れたんでしゅ」

「右を向いたらお宅訪問してしまって出られなくなっていたんじゃないかしら」

「待ち網じゃないんでしから出れましゅし、家を無視して道なりに戻ればいいんでしよ」

「あなたは天才なのね。案内を頼んでいいかしら」

「天才のハードルが低い!最初から頼ってほしかったでしゅ……、うぐ……」

 竹神納月の顔が青ざめている。

「初の部活で疲れたの」

「い、いいえ、そっちはそっちでドッと疲れましゅが、ひ、人込みが──」

「人込み……」

 ラッシュアワ目前とあって、民家の多い学園周辺は多くの社会人が流れている。

「竹神納月さんは人込みが苦手なの。大変ね」

「うぅ、そういいつつ人込みの流れに乗ってあらぬ方向へ向かうのはやめてくらしゃいぃ」

 此方翼の手を握って竹神納月が前へ。ひとの少ない小路を歩く。

 ……あ──。

 別の者に道を委ねるその感覚。彼に引っ張ってもらったときのようだ。……懐かしいわね、この感じ。

 思わず恋してしまいそうな胸のときめき。路地裏の景色が流れる灰色から煌めく虹色に染まって、美しさに目が眩んで、足が縺れ(もつ  )そうになった。

「ふぅふぅ」

 学園内に戻ることができた此方翼は、サクラジュアーチの下で竹神納月を休ませた。

「ありがとう、竹神納月さん。早く戻ってこられたから裏の花壇以外も観て回れそうよ」

「しょ、しょれは、よかったでしゅ……」

 今にも卒倒しそうな声で安堵を示す竹神納月。此方翼は彼女の隣に座った。

 陽光に強いサクラジュが日差を遮っている。マイナスイオンの効果もあるか、アーチの下は涼しく、常夏のダゼダダにあって春を満喫できた。

 竹神納月の顔色がよくなると、彼女の先導で学園北の花壇へ向かう。道具がなければ、花壇の世話はできない。彼女が最初に此方翼の道具を持つと言ったのはもしや先導を買うためではないかと思うほど、自然に彼女が前に立っていた。勿論、経緯が逆転してしまうからそんな考えはなく、()()()()()()()()だけだったのだろうが、此方翼はそんなふうに考えてしまった。

 ……彼も、もしかそうだったのか。

 何もできず、無力や非力を感ずることがつらくて、他者を助け回っていたのだろうか。テレビ画面の中でそうしていたように。此方翼にそうしたように。

「此方しゃん、行きすぎでし」

「あぁ、ごめんなさいね、考え事をしていたわ、いろいろ」

「やれることをまずやるんでしゅ。目の前のことからでしゅよ、何事も」

「──そうね」

 つらいから。それもあるだろうが。竹神納月、彼女が言うように目の前のことからやるのが一番だと、彼も考えていたのかも知れない。

 ……考え事ばかりだわ。

 竹神納月を介して彼への推察が捗って仕方ない。

 花壇の世話を浮ついた心のままではできない。

「しっかり者なのね、竹神納月さん」

「フルネーム呼びをそろそろやめてほしいでしゅ」

「花壇の世話をしたことがある、竹神納月さん」

「話を聞いてましぇんね。……経験はないでしゅ」

「初・中等部の家庭科か理科でアサガオや食用菊に触れることがある。一歳に満たないって話は本当なのね」

「個人情報が簡単に広まる恐い世の中でしゅね」

「中身は赤ちゃんじゃないわね。来年は部長確定かしら。案内のことも頼もしいわ」

「部長云云は判りましぇんが、方向音痴はなんとか治らないもんなんでしゅかね」

「生きるに不便はないわよ」

「周りのひとが不憫でしゅよ」

 そんな眼は持っていない此方翼である。

「この花はなんだったかしら」

「ふぅふぅ」

 ワタボウが教えてくれている。のだろうが、言葉が解らないので、「なんとなく」で受け取っておく。

「ま、とにかく草を抜いておけば元気元気よね」

「話を聞いてくだしゃいよ。世話がアバウトじゃないでしゅか」

「今年で園芸三年目。何事も気持よ。形はそのうち伴うわ」

「あ、アバウト。三年目の此方しゃんに形が伴ってるように観えましぇんが」

「そう」

 竹神納月からマイシャベルを受け取って花壇に向かうと、此方翼は草取りを始めた。日陰なのに雑草の強いこと。ちゃんと根を張って花のほしがる養分を横取りするので、根から堀り起こしてゴミ袋に入れてゆく。日向で干して枯らしたら顧問に燃してもらってダゼダダ特有の砂の多い土壌を改良する資材にする。

「手際がいいでしゅね」

「三年目を舐めては駄目よ」

「説明がアバウトでしたけどね」

「気持があって形が伴えばいいのよ」

「なるほど」

 香る三輪の周囲から草を取り除いた此方翼は、マイシャベルを竹神納月に渡して、横の花を示す。草が取り除かれていない箇所。細かい指示をしない此方翼の意図を理解して、竹神納月が草取りを始めた。

 ……やっぱり彼の子に違いないわ。

 一歳に満たないのに他者の言わんとしていることを察して己の行動に反映することができるのだから一年後にはどうなっているか。とは、さすがに期待しすぎだが、過度の期待をしてしまうくらいには感心した。

 竹神納月は、竹神音の子。確信を得てもそれを訊けないのは、彼への感情が憧れなどではなく恋愛に絡んでいる。彼は初等部時代から恋人の噂が尽きなかった。恋人は、所詮公的にはなんの保障もなく軽い存在と位置づけることができる。対して、妻は、公的に彼の伴侶と認められて保障も発生する存在、籍も同じになって、己の全てを彼に預けることができる。妻は、此方翼に取って雲の上の人といってもよく、だからこそ羨ましく、子である竹神納月に系譜を訊くのがことさら難しく思える。

「此方しゃん、袋、袋」

「あ。はい、どうぞ」

「また上の空でしたね。どうしたんでしゅか。それがデフォルトでしゅか」

「どうかしら」

 此方翼は、独りでいてもみんなといても自分のことなど考えない。自身を客観視していないから上の空でないときがあるかどうかも判らなかった。

 雑草を入れるレジ袋を竹神納月に渡して、此方翼は彼女の隣に屈んだ。

「ご両親はどんな方。試験管やビーカだったりする」

「話が不躾にぶっ飛んでましゅよっ」

「そう、試験管やビーカなのね、忘れるわね、変なことを訊いてごめんなさい」

「察したふうで誤認を。ちゃんと人型有機体でしゅよ」

「よもや宇宙人とは」

「お願いでしゅから普通の人間と思ってくだしゃい」

「ジョークよ。あなたの親だから天才なのでしょうね、絶対そうだわ」

「マイペースしゅぎでし。しょれにわたしは普通で、天才とゆうのは、……」

 口籠もる竹神納月。ほかのひとといるときは不明だが、此方翼といるときの竹神納月は舌鋒鋭く、いうなれば、ツッコミ役である。此方翼は短い付合いであるが、人込みに酔ったとき以外に竹神納月の口数が減ったことはない。

 竹神納月の手が止まっている。

「顧問から姉妹がいると聞いているけれど劣等感でもあるのかしら。同性だと難しいわね、感情の折合(おりあい)をつけるのは」

「……意外に鋭いでしゅね」

「園芸部の部長に選ばれているのはそれゆえね」

「──じゃあ、少し話しましゅ」

 竹神納月がややスローペースで手を動かして語る。

「妹は妹なのになんでもしゅぐに吞み込んでしょちゅなくできてしまうんでしゅ。髪を洗うのも背中を洗うのもしゅぐに独りでできるようになりましたし、箸の持ち方や包丁の使い方、洗濯機の使い方もしゅぐに覚えました。弓術科を選んだようでしゅが、きっとしょっちも簡単にマシュタしちゃうでしょう」

「天才なのね」

「姉もしゅごいんでしゅよ。お馬鹿なはじゅなのに察しがいいでしゅし、機転が利きましゅ。何より、正義感でしゅか、意志でしゅかね、と、ゆうか、何か得体の知れない経験値を感じるときがあるんでしゅよ。アレでしゅね、『人生何回目かのひと』ってああいうひとのことをゆうんでしゅよ」

「天才なのね」

「比べてわたしなんて……、未だに髪も独りで洗えないし、背中に手が届かないし、『箸の持ち方が悪い』と、お父しゃまに睨まれましゅしっ、野菜嫌いは治ってきましたけど生じゃまだ無理でしゅ……。どんくさいんでし。天才なんて過大な呼び方をされては困りましゅ」

 それなりに理由があってのこと。

「解ったわ、天才と呼ぶのはやめることにしましょう」

 此方翼はそう言ったが、「それでもわたしはあなたがどんくさいとは捉えないし、天才と思う」

「どうしたらそんなふうに……」

 悩みを深めて俯く竹神納月に、此方翼はなんの疑いもなくマイペースに言う。

「あなたはわたしにないものを持っているわ。それだけであなたは天の与えたる才を有しているといえるんじゃないかしら。生まれながらに、ひとは何かの天才だと思うわ」

「しょれは、問題の本質をごまかしてましぇんか」

 竹神納月は自分が姉妹と比べて劣っていると感じている。それは、目立った技能や資格がなく、自慢できるような才能を持っていないと思っているからである。ゆえに、竹神納月の指摘に此方翼は相槌を打った。

「ごまかしね。けれどごまかしじゃなくてもわたしはあなたを天才だと捉えている。わたしと話していても腐らず、()()()()()()()()()

「……こんなの、普通じゃないでしゅかね」

「竹神納月さん、あなたは水属性魔力を宿しているわね。水属性は回復と破壊を両立しているけど使い手の裁量でどっちかに偏ったり迷ったりして台無しになる力だわ。でも、あなたには物事を適切に処理するために必要な眼力がある。その力を使いこなすだけの素養があるのよ。それを天才といわずなんというのかしら」

 ごまかしなどではなく、此方翼は本気の見方を伝えた。「ひとは自分の持つ素地を活かして生きていくわ。わたしはわたしの、あなたはあなたの、それぞれの素地を知れば誰もが天才になれる。ゆえに、わたしはあなたを天才と捉えるわ」

「──しょういうことでしゅか。此方しゃんから観たら、でしゅね。わたしが素地を認識しないとどんなに素養があっても磨けないってことでしゅ」

「そう。あなたはもう気づいたわね。だから大丈夫。姉や妹がいかに優れていても、あなたにはあなたの優れた素地があるのだから」

 竹神納月が、顔を上げて、シャベルを掲げて見せた。

「続きをしましゅ」

 

 

「そっちはよろしく。わたしはこっちの木を観るわ」

 と、一本の灌木(かんぼく)に向かう此方翼と謎の浮遊生物ワタボウ。

 ……なんとゆうか、独特の雰囲気のひとですね。

 初見でも解っていたことだが、ほかの話題が挟まれても自分の話の流れを変えないのが此方翼である。とてもマイペース。と、いえば間違っていないが、時折耳が利かなくなっているのではないかというほど話が通じないところがあるのは否めない。

 彼女にいわせれば、彼女だからこそできることがある。そんな彼女がいう通り、納月は自分のよさに気づいた。

 思えば、家族以外のひととあれだけ話したのは初めてではないか。納月は此方翼の独特の雰囲気と相性がよいか、あるいは独特の雰囲気に毒されているか。花壇の雑草を抜き、レジ袋を満杯にしてしまったのも彼女の影響かも。

 レジ袋の替えがないか訊くため納月は此方翼を振り向いた。

「おぉ、わしゃ力がないんかのぉ、葉が落ちていくばかりじゃぁ」

 幹を撫でながら独り言を呟いている此方翼。

 ……ネタみたいなひとですね。み、見なかったことにします。

 あんなところは影響を受けないようにしなければ。納月はレジ袋の口を力いっぱい結んだ。

「ふぅふぅ〜」

「ひぃっ!」

「竹神納月さん」

「はひィっ」

 正面に現れて空中を弾むワタボウにびっくりし、背後からの声にもびっくりして、納月は声が裏返ってしまった。取り繕うのもかねて此方翼を振り返る。

「にゃんでしかっ」

「ここの土、変じゃないかしら」

「へ」

 此方翼の指す箇所。木の根元を覆う雑草だらけの土。此方翼に手招きされた納月はこれを近くで観てみた。

 ……なんですか、これ。

 雑草の葉で隠れた土に、普通にはない濃厚な魔力が感ぜられた。肉眼ではただの土とほとんど変わらないが。

「ふぅぅ……」

「ワタボウでしたっけ……、なんか、ここを避けてましゅね」

「ええ、避けているわね」

 普通とは異なる土。そこへは近づこうとしないワタボウ。

「──闇属性、でしゅね。日陰でしゅから闇属性が溜まることは多少ありましゅが……」

「濃度が高すぎる。いつの間にか魔力環境が変わったのかしら」

 自然魔力の分布を示す〈魔力環境(まりょくかんきょう)〉を把握する魔法技術は通常なら頂等部四学年生が習得する高度なもの。魔力探知ともいわれるそれを、此方翼は習得しているようだ。

 気温や風のように、また、気温や風より緩やかに、魔力環境は年月を掛けて少しずつ変化してゆく。従って、特定の属性魔力が突然に溜まることはまずない。闇属性が溜まった土は、正常な花壇の土と違って不自然に黒く淀んでいる。

「此方しゃん。ここを最後に観たのはいつでしゅか」

「そうね、ちゃんと観たのは春の休校期間の前だったから先月末。環境が変わるにも、木への影響が表面化するにも、数箇月は掛かるでしょうから早すぎるかしら」

「はい、明らかに早いでしゅ。闇属性が急速に集まった証拠でしょうね……」

 この土に根差している木は新芽が観られず、日陰であることを踏まえても葉が落ちすぎている。それらは闇属性の影響と考えられた。

「自然とは異なる要素が働いてる。ほかに溜り(たま  )()がないか探してみましゅから待ってほしいでしゅ」

「広範囲の魔力探知ができるのね。解った。お願いするわ」

 納月は両親ほど広く探知できないが、学園内の魔力反応を探るくらいはできる。瞼を閉じて肌を空気に溶け込ませるように、

 ……集中、集中。

 自身に宿る魔力を肌全体から放射して周囲の自然魔力と接触させることで自然魔力の濃度や流れを感じ取る。これが〈魔力探知〉である。自身の宿す魔力によって感度が変わるが、今回は納月の宿す水属性と相性がいい闇属性だったので、感度も良好である。

 ……ありますね、たくさん。

 闇属性が不自然に溜まっている場所が本館付近に二箇所、別館付近に一三箇所、先程見つけたものも含めて計一六箇所。それを此方翼に伝えた納月は、此方翼とともに闇属性の溜り場を一つ一つ観てゆくことにした。

 そもそも「闇属性」がなんなのかといえば、暗さや影を作り出す「闇」を司る自然魔力である。闇属性は暗い場所に集まる傾向があり、日向にはほとんど存在しない。闇属性の性質として、植物の成長を妨げたり、人間の気持をマイナスに導くことがあり、魔力の溜り場ではその性質が強まる。そのため、先程の木は弱って、常夏のダゼダダにありながら新芽がなく、葉がほとんど落ちていた。

 本館付近でほかに見つけた闇属性の溜り場でも草木が弱っていたが、そちらは日陰であるからまだ納得がいった。

 別館のほうが、異常だった。

「……これは」

「此方しゃん。前はこんなだったんでしゅか」

「いいえ、こっちは二月中旬に観に来たけれど、こんなふうにはなっていなかった──」

 納月と此方翼の眼前には空洞化してしまった樹木。その根元の雑草ですら枯れ果てていた。土壌を調べると、本館付近と比べて三倍もの濃度で闇属性が溜まっていた。しかも、ここは日向だ。闇属性が溜まる速度が速く、溜り場の発生期間が本館付近のものより長いことが推測できる。

「ふぅぅぅ……」

 ワタボウが此方翼の肩に下りて、ぽふっと綿毛を散らして消えてしまった。

「あら、消えたわね、眠くなったのかしら」

「そう捉えましゅか」

「ワタボウが消えるのは希しいわ」

「それだけ異常ってことでしゅよ、たぶん」

「そうね、実際おかしい。本来なら光があってしかるべき場にこれほどの闇」

「本来なら光属性や闇属性と同調する水属性をあまり感じましぇんね」

「飽和状態の闇が光や水を押しやっている。科学的に述べるなら、光合成を邪魔された植物が水を吸えないまま枯れて、土壌のわずかな水分も日差で蒸発してしまったのね」

「魔法学的見地に戻しゅなら、光属性が植物の光合成を促せないから、闇属性に追いやられた水属性が、降り注いだ陽属性でさらに押し出されてしまったとゆうことでしゅね」

 通常の環境であれば、陽属性は温かい空気として捉えることができる。赤道直下のダゼダダでは陽属性が豊富で気温が高くなりやすい。その陽属性を始め、水属性・光属性がバランスよく存在することで植物が育ちやすくなるが、闇属性が飽和状態の溜り場では魔力のバランスが大きく崩れて植物の生育環境が崩壊してしまっているのである。

「補足するなら、夜間、飽和状態の闇が水を追いやり、さらに闇を呼び込んで、溜り場がなおのこと強まっていったんだわ」

 一帯の地面は深深(ふかぶか)(ひび)()れてしまっている。ダゼダダの熱帯気候でもこれほど乾燥した環境は砂漠県とその付近だけだろう。そんな場所が、納月の調べではまだ一二箇所もある。

「人為的としか思えましぇん。この付近に闇属性魔力を用いて何かをしている術者(じゅつしゃ)導者(どうしゃ)が潜んでる可能性がありましゅ」

 身一つで超自然的な現象である魔法を発生させる者を広く〈術者〉という。対して、精霊結晶を搭載した道具を使って超自然的な現象である魔導を発生させる者を広く〈導者〉という。それら人間が使う魔法・魔導によって起こり得るのが魔力環境の乱れであり、極端なケースが魔力の溜り場である。犯罪には当たらないものの、魔力環境を乱す行為を嫌う父や子欄が知ったら怒り出しそうな事象だ。

「此方しゃん、思い当たる場所はないでしゅか」

 納月の問に応えず此方翼がササッと歩き出した。もしか思い当たる原因があって、その場所に向かっているのか。溜まりに溜まった闇属性をもとの割合に戻すことはできるが、原因が取り除かれなければ同じ現象が繰り返される。納月は此方翼についていった。

 方向音痴の此方翼が遠回りで向かったのは別館内部。

「竹神納月さん。魔力溜り(まりょくだま  )は学園内だけだったの」

「学園の外、探知できた狭い範囲ではありましゅが、一つありましたね」

「別館の近くね」

「その通りでしゅ」

 魔力溜りとは、此方翼なりの魔力の溜り場の略称だろう。突然使い出すので納月は戸惑わないでもないが、話を進めることを優先した。

 此方翼の足が階段に向かうが、踊り場で止まる。

「地下一階に、魔法研究部・魔導研究部の部室と魔法科の教室をかねた部屋があるわ」

「しょこにあの溜り場の原因が……」

「魔力溜りの分布を考えたらね」

 今さっき観た通り、別館付近は日向ですら闇属性の溜り場を形成していた。そんな場所が一三箇所も別館付近にあるのだから、此方翼の推測は正しいだろう。しかし疑問がある。人為的でも発生に時間の掛かる魔力の溜り場が、春の休校期間を挟んで発生しているのはなぜか。春の休校期間も部活動に励む生徒はいたが魔力の溜り場を発生させるような怪しげな行動をしにわざわざやってくるか。顧問に見つかったら問題視されるだろうに。

 考え事をしていた納月の後ろから、

「此方じゃないか」

 と、声を掛ける男性。

「三学年三組担任の宇田先生よ。先生、おはようございます」

 此方翼が納月に紹介してから、宇田に会釈した。納月も会釈した。

 宇田が踊り場までやってきて、

「希しいとこに出没したな。ほかの部に用があったか」

「いささか気になることがあります。そうだわ、先生、一緒に来てくれませんか」

「ん。部活中だから長くは構えないが、いったいなんだ」

「同伴してもらえなければ大変なことになるかも知れません」

「……解った。お前がいうなら大事なんだろう」

 宇田の表情に緊張感が滲む。どうやら此方翼は教員に一目置かれているようだ。納月は先導の此方翼が階段を上がりかけたのを止めて地下一階へと下りた。自然、此方翼と宇田が殿。

 地下一階の空気は地上階のそれと違う。

「遠くで銃声が聞こえましゅね」

「結構近くね。専攻人数が少ない科目や部が地下一階にはいくつか纏めて入っている。知っているでしょう、その一つが狙撃科であり狙撃部」

「はい、一度来ましたからね」

「流れ弾が外へ飛び出さないよう、あそこは特別な材質で覆われている。銃声が遠いのは壁材で消音されているからね。魔法科の教室も同様よ」

「そうだったんですね」

 銃の種類によってはサイレンサを装着することもあるようなので、地下に押し込めたことが基本の防音対策なのかと納月は思っていた。

 ……独りで来るのはちょっと躊躇う雰囲気です。

 昨日も感じた、どこか無機質で冷たい印象。悪の組織が悪〜い人体実験でもやっているのでは、と、想像が膨らんでしまうような。

 宇田が口を開く。

「オレが先行しよう。お前達に何かをあったらコトだからな。と、お前は、新入生か」

「あ、紹介が遅れました。竹神納月といいましゅ。一学年五組、狙撃科専攻で園芸部でしゅ」

「例の有魔力新入生か。希しい組合せだな、狙撃科なのに園芸部とは」

「耳に優しい組合せかと」

 とは、此方翼が言った。納月はその考えを伝えた憶えがないが、そのものズバリであったからうなづいた。

「なるほどな。で、どこへ向かうんだ。狙撃科か」

「いいえ。魔法研究部と魔導研究部の共同部室に向かいます」

「オレの手に負えるか……、あ、いや、オレが盾にならないで教師が務まるか。行くぞ」

 無魔力の宇田であるが、有魔力の納月や此方翼とも無魔力の生徒と同様に接している。

 ……教員は、生徒ほど偏見がないんでしょうかね。

 そんなことを思いつつ、納月は此方翼とともに宇田の後ろをついてゆく。

 地下一階の廊下を南へ。斧術科(ふじゅつか)と狙撃科のある北から中央までは明るかったのに、南に行くと照明が消えている。突き当りの壁にぼんやりと浮かび上がった扉が薄汚れて観えた。

 〔魔法科教室〕

 〔魔法研究部〕

 〔魔導研究部〕

 三枚看板は何年も前に手書きされたであろう簡素で慎ましい貼り紙。

 部屋の中から濃密な闇属性魔力が漏れているのが判って、納月は(ふる)えた。

 ……何か、恐いですね。

 魔力の重重しさに足が竦む。照明が消えているのは闇属性が電力供給を阻害している。燈があったとしても、濃密な闇属性の影響で夜のように暗くなってしまうことだろう。

 宇田がノブを握ろうとしたところで、中から声が聞こえてきた。

「──このままじゃどうしようもないぞ」

「でも壊すなんて。せっかくの研究成果なのに!」

「んなこと言ってないで早く壊しなさいよっ」

「そうよ、わたし達まで巻き込まないで」

「お前らだって自分らの道具が台無しでキレてるだろっ。自分のじゃないからって勝手なこと言ってんじゃねぇよッ!」

「あら、そう?そっちの部長は壊す検討もしてるみたいじゃない。わたし達は破壊決定を後押ししてあげてるだけだわ、そうでしょ」

「『そうよ、そうよ!』」

「なんだとぉ!」

 何かを壊すか壊さないかで、紛糾しているよう。

 宇田が扉を開けた。彼に続いて納月と此方翼は入室する。

「邪魔するぞ。お前達、いったい何を──、ぐっ!」

 宇田が膝をついて座り込む。「なんだ、力が抜けて……」

「先生、下がってくだしゃいっ」

「手伝うわ」

 納月と此方翼は宇田を室外に引き摺り出し、扉を一旦閉めた。

 ……迂闊でした。あれは、〈魔導具(まどうぐ)〉かも。

 精霊結晶を搭載した道具を魔導具といい、それで発生させた魔法的作用を魔導という。世界には洗濯機や冷蔵庫など数多の魔導具が溢れているので魔導具を知らない者はまずいないだろう。暗がりの室内を一瞬しか観ることができなかったが、部室隅の机上にあった球状の小型機械、あれは魔導具ではないか。

 知識がある者なら魔導具を製作できる。室内のそれは魔導研究部の製作したものであろうが精霊結晶が暴走して闇属性を無用に垂れ流している。魔力に魔法ほどの攻撃性はないが、環境が受けていたのと宇田の症状は同じものだ。闇属性が持つ本来の効果──マイナス思考に導くなど──に無抵抗な無魔力個体の宇田は、垂れ流された濃密な闇属性にあたって生体活動が停滞、気を失ってしまったのである。

 ……どうしてこんなことになってるんでしょう。

 魔導具に搭載された精霊結晶の暴走で垂れ流された闇属性が呼水(よびみず)になって屋外に闇属性の溜り場を形成したと観て間違いないとして、それをどう止めればよいか。解決策を導き出すためには、精霊結晶の暴走原因を突き止めなければならない。

 精霊結晶は、精霊が宿っている。意志を持っているため、何かしらの影響で激昂したり興奮したりして暴走状態に陥ることがある。暴走状態に至った原因が判明すれば、精霊と対話することで暴走をやめてくれる可能性を見出せる(みいだ   )が、──室内の部員は言争い(いいあらそ  )を続けているようで話を聞けるかどうか。

「此方しゃん」

「ええ、解っているわ。対話し、精霊を解放しましょう」

 納月と此方翼は改めて部室に入る。扉を開けておくと闇属性が室外に溢れ出て宇田が再びダメージを負いかねない。また、環境はおろかほかの生徒にまで悪影響を与えてしまう危険性があるので、入室してすぐに扉を閉め、魔力の漏出を最小限にした。

 闇に目を慣らすこともせず、此方翼が部員に声を掛ける。

「園芸部よ。お話、いいかしら」

「此方──。エリートさんが何用だい」

 エリートなのか。納月は少し気になったが、此方翼が全くの無視。

「魔導研究部部長、主にあなたに話がある」

「なんだい」

 三学年の男子生徒である。「部外者は引っ込んでいてくれないか」

「先生に被害が出た時点で部外者も何もないでしゅよ」

「君は」

「一学年五組、同じく園芸部の竹神納月でしゅ」

「そもそも園芸部が出しゃばることじゃ」

 と、魔導研究部の男子部員が文句を垂れるが、此方翼が気にせず口を開いた。

「──。精霊が苦しがっているのが聞こえないのかしら。あなた達、観たところ魔力が弱いわけじゃないわね」

「んなもん当り前だろ、研究してりゃ自然と魔力は高まるんだぜ」

「なぜ精霊の暴走を放置しているのか、納得のいく説明を五秒以内にして」

 此方翼の問に魔法研究部部長が応えた。

「こいつら自分の研究成果だからって魔導具を壊したがらないのよ。闇属性がこんなに溢れ出して燈も点かない、明らかにヤバイ状態なのに」

「そうよ、観てちょうだい」

 と、魔法研究部部員が南側の壁寄(かべより)にある机上を示す。液体の入った透明の瓶が並んでいる。中身は魔法薬だろう。暗がりで光って観えたそれらを、納月は近くで観察した。

「闇属性の溜り場になってるようでしゅね」

「そう、魔力にあてられて変質したの。ここに置いてた魔法薬はわたし達の研究の基礎薬品なのに全部台無し!」

 納月も魔導研究部部員に目を向けた。「部室内でも、魔導研究部以外に被害が及んでましゅね。学園の外に影響が出てることにも気づいてないんでしゅか」

「学園外に。どういうことだ」

 魔導研究部部長が眼鏡を掛け直す。「事と次第によっては我我の研究を──」

「部長、なに言い出して──」

「君は黙ってくれ」

「承服できっかよ!少ない部費一年分以上費やしてやっと集めた素材を使って、何日掛けて作ったと思ってんだ!壊されてたまっうわっ!」

 男子部員が魔導具に近寄ろうとするのを此方翼が風属性魔法の壁で食い止めた。そこだけ闇属性が晴れてかすかに明るかったが、何かに弾かれるようにして暗さが戻った。

「いい加減、気づきなさい。精霊を解放しなければ、壊れるのは機械だけじゃ済まないわよ」

 此方翼の冷静な言動に、男子部員が怯んだ。

 魔導研究部部長が訊く。

「話の続きを。外への影響とは」

「闇属性の溜り場ができてましゅ。しょのせいで草木が枯れてしまって、園芸部の活動に悪影響が出たから来たんでしゅ。しょれに学園外にも溜り場があるのを確認済みでしゅ。溜り場の件が罪に問われないとしても、精霊の無用な拘束や暴走放置は人間に被害が及んだ時点で罪に成り得ましゅよ」

「先生がダメージを負っている時点で、我我に罪がある、と、いうことだな……」

 魔導研究部部長が、魔力を垂れ流している魔導具を振り返る。「どうしたらいい。情けない話、手のつけようがないんだ」

「精霊との対話を試みて」

 此方翼が促したが、魔導研究部部員の三人は首を横に振った。

 ……そうか、この三人、闇属性を持ってないんですね。

 精霊との対話は基本、精霊と同じ属性魔力を宿した有魔力に限られる。別の属性魔力を宿していても対話できないことはないが、暴走状態の精霊とは心のシンクロ率が低く、精霊と同じ属性魔力を持っていても対話困難といわれている。

 魔法研究部の部員にも闇属性の持主はいない様子。此方翼は風、宇田は無魔力だ。

 ……でも、このまま観ているのでは、状況が悪化してしまいます。

 ガチャッ。扉が少し開いて、息を切らせた宇田の顔が覗いた。

「此方、何が起こっているか解らないが、どうにかならないか」

 魔法化していない魔力を無魔力個体は視認できない。暴風のような魔力の流れ〈魔力流動(まりょくりゅうどう)〉も不可視である。

 此方翼が、納月を視る。

 彼女が言わんとしていることを、納月は察した。

 ……やはり、やるしかないですね。

 観たところ、この場で最も魔力が強いのは納月であった。その上で、闇属性と相性のいい水属性を宿す納月以外に精霊との対話を為し得る(な え )者はいない。

 ……闇属性を持ってる子欄さんがいたら一番ですけど。

 子欄は属性一致で最も相性がよい。おまけに納月以上の魔法の才能がある。だが、呼びに行く時間的余裕はないだろう。

「竹神納月さん。わたしと宇田先生とでここの顧問を呼んでくる。それまでの繫ぎでもいいから場を持たせて」

「はい。任せてくらしゃい」

 此方翼と宇田を見送ると、納月は魔力流動に逆らって精霊結晶に向かう。

「一学年の君になんとかなるものじゃないぞ。先生が来るまで何もしないほうが無難だ」

 と、魔導研究部部長。

 納月は、決然と応ずる。

「なんとかならないから、なんでしゅか」

「え──」

「あなた達は、自分達が招いたこれを見過ごして先生に丸投げして終わらせて、ううん、精霊の苦しみに戸惑うだけで終わらしぇて、本当にいいんでしか!部外者かも知れないでしゅが、わたしはそんなのごめんでしゅ……」

 姉や妹のように優れた何かがあるわけではない。それでも此方翼にいわれた通り、磨けば光る素地があると思った。それは、苦しむ精霊との対話にきっと活かせる。

 部員が見守る中、納月は精神を集中して精霊と心を通わせる。精霊結晶が搭載された魔導具に目を向け、闇属性の漏れ出ている中心点を見極めるように凝視し、意識をそこへ飛ばすような感じだ。

(──なぜこんなところに閉じ込められなければならない!出せ!早くッ!)

 納月はずっとその叫びが聞こえていた。辛苦の叫びを無視することはもうできない。魔導研究部部員にも声は届いただろう。届いていたから激しく戸惑い、閉じ込めたことを理由とする報復を恐れて、解放できずにまごついていたのだろう。

(わたしは竹神納月といいます。精霊さん、名前を教えてください)

(ようやく声を拾ったか。わざわざ波長を合わせてやった意義があったというものだ)

 解放要求を届けるため人間側に波長を合わせていた精霊。名を教えてくれそうになく、一方的なようだが、

(早く解放しろッ!)

 と、怒鳴り散らす。その圧に怯みそうになるが、納月は努めて冷静に対応する。

(無論です。しかしあなたの暴走状態が解けなければ、あなたが宿った結晶を包んでる機械にさわることすらできないんです)

 まごついた間に攻撃的な闇属性魔法が機械を覆っていた。此方翼の風属性魔法を跳ね除けたのはそれ。触れれば手が()()()()()()()

(知ったことか。もとは貴様ら人間の勝手でやったこと。命を削ってこの殻を破壊し、我を帰せ。それが貴様らの責任だ)

(破壊と帰還……、責任。)魔導の部長しゃん、ちょっといいでしゅか」

「なんだろうか」

 魔導具や精霊結晶の性質と、精霊の行動制限について納月は質問し、魔導研究部部長から回答を得た。それによれば、そこの魔導具に精霊を拘束するための機能はない。結晶に宿る精霊は自らの力で動くことができないだけ。

 精霊の怒りは当然のものだ。曰く、精霊は了承なく魔導具に搭載された。誰だって誰かの勝手で振り回されたくはない。人間に置き換えれば、それは拉致・監禁に等しいのだ。

 納月は精霊を向き直る。

(責任はご尤もですが、解放できません)

(何……)

 精霊の怒りが増し、暴風のような魔力流動が強まり、闇魔法が一層厚みを増し、刃物のような破片が納月の腕を掠めて壁に突き刺さった。

(貴様ら人間の身勝手が我ら精霊をどれだけ苦しめているか。よもや知らぬとでも)

 凄まじい圧力だった。厚みを増し続ける攻撃魔法に、部員達が騒ぎ、後退りしてゆく。ここで止められなければ──。

 納月は、精霊の姿勢にツッコむ。

(精霊と人間の関係を、わたしはよく知りませんが、怒って周りに当たり散らすのが怜悧(れいり)とはっ、とてもとても思えませんね)

(貴様、よくもそんなことがいえたな!)

「ひっ!」

 層状だった魔法が(いが)のように突出して壁まで伸びた。納月も部員も間一髪回避したが、壁を揺るがす魔法はまだ攻撃的意志に満ちてゴゴゴゴッと震えている。

(ちょちょちょっ待っっ待った待った!精霊なのに気づいてないなんてことないですよね!)

(なんのことだッ)

 気づいていないのか。

(たた探知、魔力を探知して探知ぃっ!闇属性のせいで魔力環境が崩れてるんですよぉっ!)

(何──)

 闇属性の勢いが弱まった。各部員と交わしたやり取りが精霊には聞こえておらず、魔力の溜り場に関して知ることができなかったらしい。魔力探知を行って状況を理解したか、精霊が毬の魔法を治めてくれたが、身を守るためか層状魔法が機械に残っている。

(ここから出せ。全てはそこからだ)

(いやだから、魔法が邪魔で──)

(貴様らの責任だ。どうにかしろ。手の一本や二本、捧げてでも出せ)

 話にならない。堂堂巡りならまだしも、精霊の語調が激しくなっているではないか。

 ……でも、その割には。

 闇属性魔力の漏出停止とともに魔力流動が完全に止まったため、部屋の燈が点いている。魔力環境へ配慮し、意図して魔力の漏出を抑えられるとしたら、先程までは無意識に漏れ出ていたということか。

 ……じゃあつまり、精霊さんは環境を破壊するつもりはなかったわけですよね……、──。

 納月は一つ閃き、精霊に声を掛ける。

(ガキンチョですね)

(貴さ──)

(黙って聞きなさいよぉ!)

 破れかぶれのようだが、納月は言葉を止めない。(わたしの母は子どものようななりですが決して当たり散らしたりしません。それは、そんなことをしても理解し合うことも納得し合うこともできないと知ってるから。目には目を歯には歯を、なんてことしても、状況が悪化するだけだって知ってるからです、理解できますかっ!)

(……、わたしが愚かだとでもいいたいのか)

 と、精霊が応えた。それでもって、和解の道は繫がっていると納月は感じ取った。

(違うんですか。違うといったところであなたのやってることは愚の骨頂です。生まれたばかりのわたしよりも幼いですよ)

(己──!)

「っ──」

 特殊加工がされているという壁が精霊の気迫だけでグラッと大きく揺れた。かと思うと、数秒の膠着を経て、

 ……層状の魔法が。

 治まってゆく。闇に覆われていた機械が、ツルッとした銀色のボディを(あらわ)にしてゆく。

(──なぜだ。貴様、いやに強気だ)

(……わたしよりずっと長生きのあなたの、知性を信じたいだけです)

 父や母がそうであるように年長者は何かしらの信念がある。生まれたばかりの納月には見定まっていないそれを支えに、年長者は長い道程を歩んできたはずだ。培ってきた知性は納月には想像も及ばないほど深いはずで、幼い自分でも「知っている知性」を精霊が蔑ろにするはずはないと納月は信ずることができた。信ずることのできる部分が精霊になければ時間稼ぎにシフトしていただろうが、この精霊には納月にも通ずるところがあったのである。

(長生き、か……)

 精霊結晶から溢れ出ていた驚異的な量の闇属性が完全に治まり闇魔法も消えたことを改めて確認して、納月は会釈した。

(怒りを鎮めてくれましたね。ありがとうございます)

(貴様に何をいったところで通じそうになかったのでな。別の機会に、別の人間を脅す)

(強気ですね)

(どっちが。貴様のことは、なかなかの器量と思うた。ゆえに一つ願いを聞いてもらおう)

(なんですか)

 しおらしくなった精霊の願いとは。

(わたしを山に戻してくれ)

(山。そこから連れ去られてしまったんですね)

(寝込みにな)

 聞けば、精霊は結晶の中で眠っていることもあるようだ。その間に、魔導研究部の誰かの手でここに持ってこられて、機械に搭載されてしまったということだ。

 納月は魔導研究部部長を振り向く。

「結晶は誰が拾ったんでしゅか」

「ぼくだ。それをこっちの彼が機械に搭載した」

 先程魔導具の破壊を止めようとしていた男子部員が機械に精霊結晶を搭載した。

 落ちついた精霊は任意の他者に自分の声を聞かせることができるようで、この場の皆が精霊の声で状況を把握した。

「ほんっと、魔導研究部なんて迷惑の塊なんだからっ!」

 と、魔法研究部が憤りを顕にすると、納月は指摘する。

「越度は先輩方にもありましゅよね」

「そ、それは……」

 魔法薬の件がある。怒りに我を忘れて冷静な判断ができなくなっていたのだろう。その気持は解らないでもないが、異常を感じた時点で顧問を呼んでいたらもっと早く的確な対処ができたはずである。

 納月は、魔導研究部部長を向いた。

「精霊結晶をもとの場所、山に戻してくだしゃい。それが、あなたの責任でしよ」

「それで許してもらえるのか……」

 肩を落として俯いている魔導研究部部長に、精霊が声を向ける。

(また暴れてやろうか。わたしの気が変わらぬうちに、早く帰せ)

「わ、解った、暴れないでくれ、懲り懲りだ……。そういうわけだ、斎藤、魔導具から精霊結晶を取り出してくれ」

「……壊されるよりはマシだしな」

 魔導具製作担当斎藤が球状小型機械のネジをドライバで外し、上の半球を外すと緩衝材で覆われた内部から精霊結晶を丁寧に取り出した。硝子光沢のある黒い結晶が部長に手渡された。

 納月は素朴な疑問を斎藤に投げた。

「その魔導具はなんだったんでしゅか」

「プラネタリウムだよ。ほら、球体に点点と穴が空いてるだろ」

「あ、なるほど、投影機でしか」

「科学なんかでもよくある手作りピンホール式だ」

 それを魔導具に置き換えた意義は、闇属性を用いて日中でも一帯を暗くできること。星空を再現する、意外にもロマンチックな魔導具だったようである。

「実際の星空を映すためにしゃぞかし細かい作業をしたんでしょうね」

 壊されまいと必死になった斎藤の気が納月は解らないでもなかったが、

「やりすぎたよ」

 と、当の斎藤が改め、魔導研究部部長も精霊結晶に向かって頭を下げた。

「勝手に連れてきてしまったことを謝罪したい。本当に、申し訳ないことをした」

 魔導研究部部長の言葉を納月が精霊に伝えると、

(もうよい。これからは我らに確と配慮せよ)

 と、上から目線ではあるものの寛容な言葉が返ってきた。

 精霊を山に帰せば、精霊と魔導研究部の問題は解決する。反省の色濃い魔導研究部部長なら間違ったことはすまい。

 魔法研究部の魔法薬に目を向けた納月は、精霊に尋ねる。

(魔法薬があなたの魔力で変質してしまったんですが、これはあなたに責任があると思いますよ)

(ぬ。貴様、わたしの気を損ねたいのか)

(あなたは環境を破壊したいわけじゃない。だから、もう怒りません。違いますか)

(ふぅ……。で、何がいいたいのだ)

(元通りに直せませんか)

(知らん。意地悪をしたいのではなく、変質した魔法薬の回復など専門ではないのでな)

(責任を果たせませんね)

(怒っていいか)

(駄目ですよ。しかしどうしたもんでしょう)

(何を悩んでいる)

 精霊が首を傾げたように示したのは、(貴様の水魔法で治癒してやればいいだろう)

(え)

(知らぬのか。水の治癒魔法ならばどうにかなるやも知れぬぞ。曰く責任をなすりつける形のようだが、貴様は魔法薬をもとに戻したいのだろう)

(はい。効くんでしょうか)

(可能性は失敗を含む未知。貴様の選択だ。試さぬならそれもよい)

(……)

 治癒魔法は怪我を治癒させるものであるから薬品などの無機物には無効になりそうなもの。

 元来魔法について人間より深い知恵を持つのが精霊だ。さらにこの精霊に関しては納月にも通ずる知性がある。自分の浅い知識に固執して、その言葉を疑うのはもったいないのでは。

 働きかけることができても、さらに変質させてしまう可能性もあるので、魔法研究部に許可を得た。

「どの道このままじゃ棄てるしかないよ。可能性があるなら試してみてほしい……」

 魔導研究部に取っての魔導具。魔法研究部に取っては魔法薬が大事な研究素材であり成果。それを取り戻したい・守りたいという願いは、切実だ。

 迷いはない。納月は変質した魔法薬に向かって治癒魔法を使った。瓶に手を翳して薬液に魔力を集中させる。黒ずんだ液体が青白く発光、魔力を集束して治癒魔法に変化させると、薬液の黒ずみが瓶の外へ霧のようにして浮き出て消えていった。

 ……すごい。薬液が──。

 納月も驚いたが、魔法研究部のほうが数段大きく驚いた。

「う、噓、すごいわ!元通りよっ!」

「もうダメかと思ってた……。これでまた研究の続きができるっ!」

「やりましたね、先輩!」

 瓶を眺めて泣きながら悦ぶ先輩二人に、後輩が嬉しそうに声を掛けた。

(できるではないか)

(あなたの知恵のお蔭です)

(正確には知識だ。技術は貴様のもの。貴様あってこそだ)

 怒りの鎮まった精霊は平等で非常に優しかった。間接的ではあるが、これで精霊も責任を果たしたといえよう。

「精霊しゃんの暴走で魔法薬がダメになってしまいましたが、精霊しゃんの知識を借りてもとに戻しゅことができました。これで許してもらえましゅか」

 と、納月は魔法研究部に尋ねた。

 魔法研究部が顔を見合せ、部長が口を開く。

「文句なんかないよ。もともと魔導研究部が勝手に連れてきたことで精霊が怒ってただけで精霊に悪意があったわけじゃないんでしょ。わたしらとしては魔法薬が元通りになったからそれでいい。……あなた、園芸部だったわね。これ、先輩方から受け継いできた大事なものなの。あなたには、感謝の言葉しかないよ。ほんと、本当に、ありがとう……」

 部長がするように、部員も頭を下げた。床に零れた光るものを観て、納月はその場の皆に会釈した。

 できることが確かにあって、それが、みんなの悦びに繫がった。

「役に立ててよかったでしゅ」

 間もなく駆けつけた顧問と宇田、それから此方翼に納月は経緯を説明した。よもやの大惨事を回避できて顧問や宇田が納月に感謝。他方、原因を作った魔導研究部はこっぴどくお叱りを受けた。

 その中で魔導研究部部長がいうには、春の休校期間前に機械が完成し、精霊結晶を搭載、昨日はこの部屋に訪れる者がおらず異常に気づかないまま、魔導研究部はゆっくり試験できる本日の朝練でプラネタリウムを試す予定でいた。ところが部室に訪れると先のありさまだった。

 その話から察するに、春の休校期間──約二週間──に目覚めた精霊は猛り狂って闇属性を撒き散らしてしまった。魔力を吸い上げている大きな木のある場所で、かつ校舎脇など日陰になる時間が長い場所に闇属性が引き寄せられて魔力の溜り場を形成、木が枯れるなどの異常が発生したものと推察された。

 此方翼とともに別館の外に出た納月は、先程も観た闇属性の溜り場を再度訪れた。

「原因を取り除いても、簡単にはもとに戻らなそうね」

「通常、魔力環境の変化は緩やかでしゅからね。溜り場には手を加えないと」

「そうね。竹神納月さん、任せていいかしら」

「はい」

 闇属性の影響で干からびた土、枯れ果てた草、朽ちた樹木。

 ……もしかしたら。

 治癒魔法。魔法薬がもとに戻ったように、土や草や木までも、もとに戻るかも知れない。最初は自然魔力の操作で闇属性魔力を取り除く予定だったが、精霊の知識のお蔭で効率的な方法が判明したのだから使わない手はなかった。

 納月は治癒魔法を使って溜り場の闇属性を取り除くことができた。影のある場所に流れていった闇属性魔力は、適正量で分散した。

 が、草木がもとに戻ることはなく。

 ……万能じゃ、ないんですね。

 なんでもうまくゆくとは思っていなかった。しかし、もしかしたら、と、期待していたから納月は肩を落とさざるを得なかった。

 その肩をぽんっと叩いて、此方翼が持っていたレジ袋を持ち上げた。

「これは……」

「苗よ」

 細長いレジ袋から出てきたのは、小さな葉をたくさんつけた苗木。

「人間の身勝手が精霊を暴走させ、自然を破壊させてしまった。この現実を、受け入れざるを得ない。けれど受け入れれば何をすべきかは自ずと観えてくる。それがこれ」

「植え替えるんでしゅね」

「学園環境の一端を担う園芸部の仕事よ」

「しょうでした」

 園芸部らしくない活動をしたばかりにすっかり忘れていた納月だが、此方翼の手から苗木を受け取り、園芸部部員であることを実感した。

 ……朽ちた木の分まで、長く生けるように、お世話しなくては。

 空洞化した朽木は二人で押すと簡単に倒れた。自分達よりずっと年上の樹木の呆気ない最期に侘しさを感じてやまないが、朽木を焚いて炭を作れば土壌改良資材あるいは脱臭剤などに使うことができる。緑としての役目を新たな苗木に託して、別の仕事が与えられると考えれば終りなき輪廻ではないか。精霊にいわせればこれも人間の身勝手ということになってしまうのかも知れないが、今回に限っては許してくれるだろう。

 朽木を抜いて苗木を植え、朽木を別館脇に運ぶ。これを、闇属性の溜り場となっていた三箇所で繰り返すと朝練の終了時刻が迫った。朝からの重労働に汗をかいたが、納月と此方翼は休む暇もなく本館へ走った。

「竹神納月さんは初授業ね」

「此方しゃん、汗は大丈夫でしゅか」

「わたしは魔法科だからいいけれど、そうでなくても汗を気にしていてはダゼダダで生きていけないわ」

「しょれもしょうでしゅね。初授業、頑張りましゅ」

「余力は残しておいて。処理すべき魔力溜りが残っているわ」

「判ってましゅ。また部室で会いましょう」

「ええ、待っているわ」

 本館下駄箱前で此方翼と別れた納月は、ふと思い出す。

 ……エリートってなんのことだったんでしょう。

 魔導研究部部長が此方翼をそう呼んだのが気になっていながら尋ね忘れた。此方翼は魔法科の中で優秀な成績を収めているということだろうか。と、考えつつ上履きに履き替えていた納月に、あとからやってきた子欄が声を掛けた。

「お姉様、お疲れさまです。すごい汗ですね」

「朝から慣れない重労働だったんでしゅ」

「園芸部はそんなに大変だったんですか」

「一言では纏めようがないでしゅが、大変でした」

 疲れは一入(ひとしお)。体に満ちているのは疲れだけではない。

「お姉様が愉しそうで何よりです」

「顔に出てましたか」

「充実しているように見受けました」

「しょうでしゅか。ふむ──」

 園芸部といいながら別の部活動に口を出すとは思いもしなかったわけで。ふと思い出して腕を観ると、精霊の魔法で負った怪我が塞がりかけていた。怪我を忘れるほど集中していたのは思っていた活動と違っていて緊張感を手放さず真剣に取り組めたからかも知れない。子欄に指摘されたように、納月は一日目にして部活動に充実を感じたのである。

 三年間は長いが、この調子ならきっと自分磨きを存分にできるだろう。

 ……授業も頑張らないとっ!

 

 

 

──四章水節 終──

 

 

 

 

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