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四章炎節 力の源

 

「──俺に何かできることはあるかね」

「素晴らしいお子さんを育てられましたね」

「褒めてもなんも出んよ」

 黒革のソファに座ったオトは正面の老人に目を向けていた。第三田創魔法学園高等部学園長星川英。今年一〇〇歳を迎えるとは想像もつかない若若しい外見と行動力を持つ彼は、知る人ぞ知る元大魔術師(だいまじゅつし)にして奇才または変人あるいは異端と称される。

「音羅君が期首テストに合格しました」

「へぇ、すごいね」

 煩わしい人間関係。オトはそこからドロップアウトした身だが、娘の教育は手抜きをしないつもりであるし、今まで手抜きをしていない。

「よほど環境がよかったのでしょう。一歳に満たないとは思えない成長です。必ずや、世に一石を投ずる存在となるでしょう」

「一人の成せることなんか多くはない。世の中そんなに甘くないよ」

「竹神音さんのお言葉と思うと重みを感じます」

 優しい口調が、畏敬と緊張で震えていた。

 オトは持ち上げられても乗らない。

「意見を聞きに来た」

「お子さん方の学園での様子でしょうか」

「本人から聞きゃいいや」

「ではいったい」

 いつかの旧友とは異なり話を逸らすためではなく、オトはそれを本題として切り出す。

「テラノアの動きをどう思うか」

「政治ですか。魔術師の席から退いた身、為政者に関わることが少なく確たることは申せません」

「雑談レベルでいいよ。いかに認められようと俺のほうが年下やし、第三者のおらん対談で対外的なコメントを望んじゃおらん」

「……では、内心のみを」

 星川英が両膝に手を置いて前屈みで語る。「芳しくないでしょう。一月初めの核弾道ミサイル発射予告、事実上の宣戦布告に続いて、毎週のようにダゼダダ近海にミサイルを撃ち込んでいます。再生の暁なる遺物で食い止められた熱源体の件も警備府、いいえ、世界を騒がせています。最終兵器と目されていた核兵器に加えて、あのような謎の兵器が存在する以上、テラノアが国際的に孤立しようとダゼダダは軍事的劣位に立たされます。レフュラルでさえも、あれを相手にしたくはないはずですから」

 公に知られていないが、この世には創造神アースの創造物と推測される攻撃兵器〈終末(しゅうまつ)咆哮(ほうこう)〉と、同じく創造神アースの創造物と推測できる防衛機構〈再生(さいせい)(あかつき)〉が存在する。二つは順に、テラノアとダゼダダにあり、ついこのあいだ攻防したばかり。それ以降テラノアは核弾道ミサイルを盾にダゼダダへの武力外交を加速化、テラノアの抱える問題を解決するようダゼダダに迫っている。問題とは、先軍主義であるテラノアが慢性的に抱える食糧不足、企業や労働階級の不足による経済発展の低迷である。早い話、テラノアは武力しか取り柄がなく輸出できる文化的な商品がないので経済発展が見込めない。観光地があるにはあるが、赴く人間が少ないので外貨獲得の起爆剤にはならない。

「──ダゼダダやレフュラルを占領するには戦力が不足しているのでしょう。より小さな得物でダゼダダを脅して人材・企業・資金を調達、兵力増強の後、ダゼダダ人を人質にして国を占領する。それがテラノアの当面の方針となるでしょう。そういった意味では、熱源体をしばらく使うまいと予想しますが、レフュラルを落とす布石となりますれば十分にあり()、楽観できません。ダゼダダにできることは、再生の暁なる防衛機構に頼ることのみならず、核弾道ミサイルに対する絶対的対抗手段を早期開発することです」

「対抗ね。ダゼダダも核兵器を持てと」

「過去、核の傘が役に立った実態はありません。あれはときの為政者のおためごかし、政争の具に過ぎなかったためです。使用後の影響は何千何万というひとの死のみならず、生存したひとびとや自然環境に放射能汚染を、さらには悲劇と苦悩、不条理と怨嗟、差別をも……」

「俺もそう思う。究極にして最悪の核という武力が無意味であるなら、いかな武力も等しく核兵器抑止・廃絶に無意味であり、かつ仕掛けるのは言語道断とした上で問おうか」

 オトは星川英の行動を促したい。「退いたとはいったが元〈巡邏(じゅんら)〉。核弾道の一つや二つどうにかできるやろ。盤石でない警備府の采配と未開発の防衛兵器に頼るつもりなん」

 魔術師一〇万人の頂点に君臨するのが巡邏魔術師。星川英はその一人だった。志と技能は、辞して衰えるようなものではない。

「竹神音さん、あなたはいったい何をお考えですか」

「メンドーやから特段深く考えとらんが、力ある者が弱者を守らんようなら国は滅びる」

「あなたも力ある者です」

「魔法的にはそうやね、学力は並以下やけど」

 これもまた公には知られていないが過日終末の咆哮が放った熱源体は再生の暁の作り出した障壁を打ち破っていた。迫った熱源体を打ち消したのは、ほかならぬオト。その真相を知られておらず、能動的ではなかったとは言え行動したことがあったからこそオトは言える。

「英さん。有事には動くべきだ。肩書や環境は衝動を抑止できんはずやしな」

「……考えておきましょう」

 難しい顔であった。

 魔法でひとを救うことができるとして、それが攻撃兵器の無力化である場合はいい。白兵戦となったとき、ひとは武力たるひとの命を奪うことが容易であるべきではないだろう。平和交渉の決裂を前提にしているとしても、ひとを害する一切の行為は人道を外れており己の心や相手の全てを破壊する恐るべき行為であることは揺るがぬ真実だ。オトは、そう思っている。

「俺はこの学園を買っとったんよ。それは、お前さんのような眼を持つ教育者が運営しとるからってのが大きかったが、いざというとき、鉄壁の傘に成り得、改革も成ると考えた」

「身に余るお言葉です」

「もう催促はせんよ。異端も人間だ」

「骨身に沁みます──」

 胸に手を当てて会釈する星川英。謙虚な姿勢は、魔術師の鑑である。

 オトは脇息に手をついて立ち上がり、星川英を見下ろした。焼けつくような日光を冷房が打ち消している。

「じゃ。卒業式、愉しみにしとるよ」

 

 

 翌日。

 納月、子欄に叩き起こされたのも気づかず音羅は寝坊してしまった。含み笑いの父に見送られて朝食を食べず家を飛び出し、通学路を全力疾走する。

「朝練初日に遅刻だなんて!」

「ピィぃ〜……」

 朝食抜きに臍を曲げたのか、納月、子欄とともに音羅を起こしていたプウが玄関を出たところで火の粉になって消えてしまった。プウの態度を気にしている余裕もなければ髪を結い上げる暇もない。先輩雛菊鷹押からいろいろ教えてもらえると決まっていたのになんという体たらく。通学路には生徒の姿がなく、学園に近づくとランニングや基礎作りと思われる掛声が聞こえてきた。

 昨日はゆっくりと鑑賞して歩いたサクラジュのアーチを走り抜けて別館に駆け込むと、三階の格闘部部室まで一気である。

「おはようございますっ!」

 しーんっ。

 部室である格闘道場に、音羅の挨拶が元気に響いた。誰もいないのではない。およそ六〇名の部員が体育座りで顧問の話を聞いていた。遅刻した音羅は視線の的である。

「──、音羅、遅刻。とりあえず鞄を下ろして座れ、話の最中だ」

「はい、ごめんなさい……」

 顧問に叱られて、音羅は一番後ろに座った。音羅を盗み見してひそひそ話をする部員がちらほら現れたが、

「私語を慎め。他人の粗に物言う時間があるならイメトレにでも充てろ」

 と、顧問が平等に叱る。ひそひそ話がぴたりと止まり、部員全体が話を聞く姿勢。

「さっきの続きから話す。──各各鍛錬を怠らぬよう。格闘部部員としてだけでなく、第三田創の生徒として誇りを持って挑むように。解ったか」

「『はいッ!』」

 主に二、三学年の部員が大きく返事。高等部では部活初日とあってやや不慣れな一学年生はどうしても声が小さくなったが、

「一学年、声ッ!」

 顧問がひたすらに厳しい。「解ったらハッキリ返事をしろッ。連帯責任だ、二、三学年も返事。はいッ!」

「『はいッッ!』」

 話の大部分を聞けなかった音羅はほとんどノリであった。

「次からは一回でやれ。連絡はここまで。各自体を温めたらメニュに励め。散会ッ」

 顧問の指示に従って、道場に部員が散る。

 音羅は、帯で括りつけた道着を鞄から外して更衣室に向かおうとする。と、

「寝坊か」

 顧問が鋭く尋ねてきた。走りながら髪を結い上げたので寝癖が目立ったか。音羅は顧問に面と向かった。

「はい、幻のお肉を追いかけていました」

「潔い。お前は見所があるな」

 顧問が微笑し、雑巾を突き出す。「着替えたら廊下を磨いてこい。遅刻の罰だ」

「はいッ!」

「いい返事だ。励め。全ては鍛錬になる」

「はいッ!」

「それから音羅」

「はいっ」

「寝坊しても焦らず制服ぐらい着てこい、それはパジャマだろう」

「はぅっ、はいっ!」

 まさかの恰好に気づいていなかった音羅は、自分の服装を見下ろしてから返事をした。みんなの視線が刺さるのも当然だった。

 顧問から雑巾を受け取ると、音羅は更衣室で制服替りの体操着を用意し、道着に着替えた。初めての道着のパリッとした感触には変身的強化効果こそなかったが、新鮮さに満ちて気持が引き締まった。早速の罰であるし制服を忘れたこともあって浮かれていられない。

 ……でも、こういうの、なんかいいな。

 顧問の厳しさが音羅のやる気を刺激した。自覚はなかったが、叱られて伸びるタイプなのかも知れない。

 廊下脇にある水場で雑巾を絞ると、音羅は早速雑巾掛けを開始。五〇メートルほどの廊下を往復しては雑巾を濯ぎ、往復しては濯いだ。道場内ではウェイトトレーニングを終えた部員がトレーニングメニュの消化に移っており、焦燥感が──。

 ……いや、いや、これも鍛錬だ。焦る必要なんてないな。

 パジャマで登園する破目になったので焦るだけ損だとは理解した。雑巾掛けは腕や脚を使うが、バランスを保つために背筋や腹筋にもかなりの負荷を掛けられる。これらを意識して体を動かしてゆくと、自然と筋肉が鍛えられる。格闘素人の音羅は、知識や技術の前に筋力の強化をしておけばきっと役立つ。顧問曰く、全ては鍛錬になる。鷹押も同じことをいっていた。暑苦しいと敬遠する者も中にはいるだろうが、音羅の性に合う考え方であった。

 三階南には柔道部の部室がある。音羅は柔道部前も含めて廊下全域を雑巾掛けしていた。格闘部前の廊下だけでよかったのだろうが、綺麗になってゆく廊下を観ていたら稽古より雑巾掛けが目的になっていた。掃除なんて誰でもできる、と、納月などにツッコまれそうだが何かをやり遂げると気持がいいことに変りはない。

 胸がすっとするようなぴかぴかの廊下をあとにし、音羅は雑巾の置場(おきば)を探して道場へ戻った。すると、

「あっちだよ。君、すごいね」

 と、声が掛かった。

 振り返ると、道着の似合う笑顔の少女が立っていた。

「初めまして、竹神音羅です。先輩ですか」

「初めまして。三学年一組普通科の菱餅(ひしもち)蓮香(れんか)だよ。よろしくね、音羅さん」

「蓮香さん、よろしくお願いします」

 二人ともお辞儀をした。

「雑巾をしまう場所、案内するよ。話しながら行こう」

「いいんですか。メニュの途中では」

「いいの、いいの。なんか君、気になるんだ。すごくいい眼をしてるから」

「ありがとうございます」

 音羅は蓮香の先導で用具入れに向かう。

「すごい部員が入ったって鷹押から聞いてわくわくしてたんだ」

「わたしのことですか」

「鷹押のこと知ってるでしょ」

「はい。いろいろお世話になりました」

 入部手続きに始まり、窃盗に遭わないよう出入口付近には荷物を置かないようにするとか、暗黙の了解になっている学年ごとの部室スペースとか、先程終えたばかりの廊下の拭き方や畳の拭き方に至るまで、鷹押の言葉はざっくりとしていたが新入生である音羅を迎え入れる心が感ぜられる懇切丁寧なものだった。

「じゃあ間違いないね。不器用な鷹押が希しく女子の話をしたからよほど気に入ったと観えるよ。あ、ここ、ここ」

 用具入れの扉を開けて蓮香が折畳式の物干を広げた。「朝練が終わる頃には乾いてる。それから物干ごと畳んで用具入れにしまっておけばOKだから」

「はい。ご指導ありがとうございます」

「堅苦しいのはいいって。あたしにはタメ口でもいいくらいだよ」

「いいえ、先輩ですから」

「家が厳しかったりするの」

「そうですね」

 つい昨日も相末学に対する態度で父に叱られたばかりの音羅である。目上には礼儀正しくあらねば。

「じゃあ無理にとはいわない。なんか困ったことあったらいって。相談に乗るから」

「ありがとうございます。早速なんですが、いいですか」

「何、何、なんでも訊いて」

「かくかくしかじかです」

 にこにこと嬉しそうな蓮香に、音羅は顧問の話の内容を伺った。

「ああ、あれか。ほとんど聞けていなかったもんね」

「完全に寝坊で、ごめんなさい……」

「あ、いや、責めてるんじゃないから安心して、パジャマで入ってきたのは驚いたけど」

「わたしみたいな生徒はいませんでしたか」

「っはは、……うん、あたしの記憶にはないなぁ」

 ですよねー。みんなの目線を思い出して音羅は冷や汗をかいた。

「話の内容だけど、準備運動しながらしよう。音羅さんもメニュこなさなきゃね」

「はい。そうしてもらえるとありがたいです」

「じゃ、手伝いつつ話すね」

 道場は多くの部員がメニュ消化や試合に使っているので、空いている壁際に寄って音羅の準備運動を開始、蓮香が細かな指導で手伝う。

「何年か前までは本格的に体を動かす前にストレッチするのがいいっていわれてたんだけど、筋肉の柔軟性が失われるからやらないほうがよくて、体を温めるような準備運動をするのがいいってのが常識になったね」

「だから準備運動をするんですね」

「初等部の夏休みなんかでラジオから流れる音楽や指導に合わせてやるヤツなんだよ、これ」

 継承記憶が薄れていなければ、蓮香から教わらずともできたことだろう。蓮香は音羅が一歳に満たないことを鷹押から聞いていたようで、言葉と動作でやり方を教えてくれた。

「体を温めて筋肉がダメージを和らげられるようにしてから筋トレ、それからトレーニングメニュをこなしていくのが効率よく鍛えるコツってことは教科書にも書いてあることだね」

 準備運動のやり方を挟みつつ、蓮香の指導が続いた。

「ダゼダダではほとんど機会がないけど、冷え込んだ日なんかは準備運動をしっかりして体を温めておかないと、筋肉が収縮して怪我しやすくなるから注意だね。──」

 幸い、ダゼダダは今日も暑く、音羅に限っては雑巾掛けをしたあとなので、準備運動の工程が全て終わっていない現段階でも体が温まっていると感ずる。

「──。と、体を酷使したあとに老廃物の排出を助けてくれるからストレッチは運動後にやるのがいいってのも今や常識だね。何にしても、体を動かすのも休めるのも極端だとヤバイって思ってくれればいいんじゃないかと思うよ」

 蓮香の表現はややアバウトだったが、極端だとヤバイ、と、いう言葉が音羅にはちょうどよかった。

「こっからが顧問の宇田(うだ)先生が話してたことね。この学園では専攻科目の授業を全学年合同で受けるのは知ってるよね」

「はい。同じ教室を使うんですよね」

「そう。内容の進捗度が違うから結局は学年ごと別のことを教わっていくんだけど、来月三日はその垣根がなくなるんだよ」

「垣根……」

「要するに、そのときは同級生以外と試合できる。っていうかそれがメインになる。部活なら学年違いと試合することは結構あるけど、先生が同席・指導してないことも多いから強いひとが手加減する必要がある。その日の授業はトーナメント試合で、先生が同席・指導するし、養護教諭も待機することになってるんだ」

「下級生に取っては腕試しのいい機会になるんですね」

「上級生に取っては実力ある下級生との真剣勝負がいい刺激になるし、負ければ自分の鍛錬を省みるいい機会になる。下級生・上級生、勿論同級生同士でも、切磋琢磨できるわけだよ」

 準備運動が一通り終わって腹筋・背筋・腕立て伏せの消化に入る。素早くやると瞬発力の高い筋肉に、ゆっくり動かすことで持続力のある筋肉に仕上がる。二五回ずつを二周させて、全一五〇回を丹念に。音羅の隣で蓮香もこなしてゆく。

「同日にはもう一つのイベントが催される。じつはそっちのほうがあたしは愉しみだなぁ」

「何かのお祭ですか」

「投票をするんだよ」

 投票と聞いて音羅が真先に思いつくのはドラマやアニメで観たものである。

「生徒会選挙ですか」

「ある意味似ているけど、かなり違うかな。題して〈第三田創三大(さんだい)新入生選出投票〉だよ」

 この世界には「三大」とつくものが多数存在している。魔術師、産業、果ては国。二つでは安定しないものが三つになると安定性を齎すことや割りきれない奥深さから数字としても好まれ広がりを見せたのだろう。世の中にはたくさんの名数が存在するが、第三田創の中でもそれがあるということだ。

「新入生の中から三人を選ぶ投票ですか。武芸の優れたひとを選ぶということですね」

「投票対象を新入生に限っているところがこのイベントのミソなんだ。五月の頭に投票するってことで、はっきりいって新入生は実績がない状態。だから、なんとなく外見で選んでもいいってことになってるのね」

「アバウトですね」

「そ。だからイベント。堅苦しいものじゃなくて、学園での生活を盛り上げるための仕組。ほとんどは部や専攻単位の組織票だし深く考えることはないんだ」

「選ばれた新入生は何かしらやることがありそうですね」

「そうだね〜、特にはなかったかな。ただ、みんなの応援を糧に日日努力する、ってことくらいなんじゃないかな」

「あはは……、アバウトですね」

「イベントゆえにね。でも、選出されるのは三人だけ。大きく期待されるから学費の援助をしてくれる大人が現れたりもするらしいよ」

「大人も絡む投票なんですね」

「ほら、この学園って異端でしょ。変わったパトロンも多いみたいで、有望な無魔力個体の援助なら金に糸目をつけないって大人もいるみたいだよ」

 何気にすごい話である。社会的弱者として差別を受けているはずの無魔力が、この学園では目を懸けてもらえることもあれば、成り上がるチャンスを与えられることもあるいう。

「外見で選ばれてしまった新入生は大変ですよね」

「そうかもね。大きな期待を背負っても実力が伴わなかったらつらい。だけど、第三田創に進学したからには日日鍛錬日日修業は覚悟の上だと思うからさ、泣言は言ってられないよ。期待に応えて結果を出さないと。少なくとも、結果を出す努力だけは怠っちゃダメだよね」

「そうですね。……」

 音羅は蓮香のいうような覚悟を持って入学したのではないが、だからこそ、覚悟を持って入学してきたほかの生徒の意気込みを削がぬよう努力を重ねてゆく必要がある。みんながみんな努力している学園で必ず努力が報われると安易に言えないが、報われなくても努力を続けなくては得られる成果も得られない。

「と、腕立て、お〜わりっ」

「お疲れさまです」

「音羅さん、全然疲れてないね」

「蓮香さんも。鍛えているんですね」

「この学園で一年も鍛えればこのくらいどうってこともないよ。宇田先生の話は投票の件で終り。次のメニュに集中しようか」

「お話、教えてくれてありがとうございます。わたしはメニュを考えたことがないんですが何をすればいいんでしょうか」

「今やった筋トレもそうだけど、部員全員に与えられる基本のトレーニングメニュがあるよ。一学年は型の反復練習をやるのがセオリ。どんな武芸も型を覚えることで動きやすくなるし、対人戦では相手の動きを知る手懸りにもなるから一石二鳥。あたしがやるのに合わせて真似してみて」

「はいッ!」

 ようやく本格的に体を動かせると思ったら音羅は自然と気合が入った。

「いい返事だね。じゃ、本気でついてきてね!」

 蓮香の目の色が変わった。優しさ溢れる少女が、峻険なる嶺が如し。発する声は部室を震わせ、足を床につくたび、バシッと、乾いた破裂音が鳴った。まるで、演舞。見入ってしまいそうになるのを怺えて(こら    )、音羅は蓮香の動きをできる限り真似して手足を運ぶ。だが、足運びと両手の振りを併せて行わなければならず、一度観ただけで全部を真似ることは到底無理であった。

「さっきの返事は何。ほら、早くヤルキ出して。次ッ!」

「っ、はいッ!」

 攻撃、守備、派生、応用、いずれの型も音羅の正面で漣のように繰り出されてゆく。動作の鋭さ・数・質、どれを取っても蓮香のそれは真似できるような代物ではなかったが、音羅は体力が尽きるまで食い下がった。

 三学年──。よくよく観察すれば気迫が違う。武芸で生きてゆく将来を見据えた少年少女の部活は護摩行のよう。煩悩を捨て清き心身の完成を目指す祈りと似ている。静動のメリハリがあり、蓮香のそれと等しく演舞を観ているかのような心地になる。観ているだけで実力がつく気さえした。

 ばったり倒れた音羅に蓮香がタオルを差し出した。

「お疲れさま」

「蓮香さん、ありがとうございます」

 お礼を言って起き上がろうとするも音羅は汗だくで倒れたままだ。

「無理しなくていいよ。最初からあたしの動きにここまでついてきたの、君が初めてだ。上出来だよ」

「でも、蓮香さんはまだまだ余裕そうです……」

「これから別のメニュを消化しなきゃだからね」

 そう言って汗を拭ってくれる。柔らかなタオルと仄かな香りが心地いい。「これも先輩だからこそできる稽古、ってね」

「以前から後輩の稽古に付き合っているんですね」

「全員分は手が回らないから目に留まったひとだけよ。頑張ってるひとを応援する。困ってるひとがいたら助ける。そういうこと、あるでしょ」

「──はい」

 蓮香の考えは音羅にすっと馴染んだ。

「音羅さんにつきっきりだと不公平だし、ちょっとほかのひとも観てくるね〜」

 小悪魔スマイルでひらりと去ってゆく蓮香。心身の余裕が、軽い足取りに顕れていた。

 音羅は、やる気こそあるが体が追いついていない。

「やっほー、音羅さーん」

 と、同じような汗だくの顔で隣に座り込んだのは知泉である。

「知泉さん、おはよう」

「おっはよ〜。いや〜〜、きっついー、中等部んときとえっらい違いっ」

「わたしは先輩の動きについていくのがやっとだったよ」

「あたしもそんな感じー。いや、ついてけてる分、音羅さんはいいかも。中等部んときとちょこちょこ型が違うから頭の中こんがらがっちゃってうまく動けなかった〜。流れてるのは冷や汗だったりして。へへっ」

「ふふっ、冗談をいえる余裕があるならきっと大丈夫だよ。まだ初日だもの」

「うん〜。ちょっと休んだら観せてもらった型の反復練習しよ〜っと」

「わたしもそうするよ」

 五分ほど休憩して汗が引くと、音羅はゆっくりと立ち上がった。

 ……うん、体も少し動くようになっている。

 やや力を込められないが、型の反復練習をする分には問題ない。今は力を抜いてゆっくりと動きの確認をするのがいい、とは、蓮香が言っていた。

 格闘道場のあちらこちらで体を休める一学年生の姿がある。

「音羅さん回復早い〜」

「そうかな。ダウンしたのが初めてだから判らないや」

「ゆ、有魔力だからかなー。羨ま〜」

 嫌みではなく、早く動きたいがゆえ。ぐったりと項垂れている知泉である。

「息も上がっているし、体に無理を強いると肉離れを起こすかも。もう少し休んで」

「うん、そうする〜」

 タオルに顔をうづめた知泉と別れ、音羅は自分の鞄脇にタオルを置いた。

 そこで、

「アンタ、ちょっといい」

 と、声が掛かった。

 ……視線──。

 音羅は声の主を振り向いた。

 少女である。

 が、獲物を捉えた鷹のように眼光が鋭い。

「さっき、菱餅先輩と一緒にいたな。なんの(つて)だよ」

 敵意に満ちた眼。言葉も刃物のようだ。「親が知合い(しりあ  )とか」

「ううん。今日初めて会ったんだ」

 と、答えてから音羅は名乗る。「初めまして。一学年三組の格闘科専攻、竹神音羅です。あなたは」

「……野原。一学年四組格闘科」

 先輩達とは雰囲気が違うので音羅は一目で判った。やはり同級生だ。

「昨日は副部長とも話してたな。副部長とも昨日会ったばっかなんていうつもりか」

「うん、昨日会ったばかりだよ」

「……。アンタ、有魔力だろ」

 敵意の正体はそれか。

 音羅は隠さない。野原が無魔力と判ったからではなく、訊かれれば誰にだって答える。訊かれなくても必要と思えば言う。

「うん、有魔力だよ」

「なんでこの学園にまで有魔力なんかが入り込んでんだ……」

 この世の有魔力全員に放ったかのような呟きであった。有魔力に対する無差別の敵意、あるいは憎悪。音羅はそれを感じた──。

 部員の気勢がいくつも響く中、床を視てしばし黙っていた野原が音羅を向き直る。

「試合しようぜ。あたしと」

「えっ。でも、型の練しゅ──」

「観てみろ」

 野原が部室を見やる。

 音羅が準備運動しているときからそうだったように、部室では多くの者が試合をしている。

 音羅が向き直ると、野原が改めて誘う。

「試合も立派な稽古だ。反復練習が終わってないなんて言訳して逃げるなら構わねぇ。有魔力は小心者の腰抜けだって理解してやるよ」

 挑発する野原の目差は嘲笑うようなものではなく、一貫して敵意に満ちていた。

 反発する気持が湧かないでもなかったが、音羅が一番に思ったのは野原の心境であった。

 ……いったい、何があったんだろう。

 知泉や虎押も持っている、有魔力を羨む心、有魔力への劣等感や拒絶する気持。野原の持つそれらは知泉達のものと違って拗れて(こじ    )いるように感じて、音羅は身震いしそうになった。

 それゆえに、音羅は野原に応える。

「格闘を習うのは初めてだから型もまともに身についていないんだ。それでもいいかな」

「負ける前の言訳か。見苦しいけどいい。どんなもんか観てやる」

「うん、お願いするよ」

 一学年同士でも試合をしている者が何組かいる。先走った稽古というわけではないだろう。

 野原がルールを説明した。

「今からやる簡易試合はこの学園のローカルルールだ。長方形に敷いた朱色の畳四枚、つまり四畳の空間を使う」

 野原がとんとんと踏んだ畳を確認して、音羅は聞く。

「行動によって加点・減点が発生、各自加点と減点は相殺方式。加点3か減点3に達した時点で勝敗が決する。減点は、場外に出ると1、減点箇所である髪・頭・顔・首・背中・股・肘・膝・足の甲を狙うとそれぞれ1、目や急所・首絞めを狙ういわゆる禁じ手を使った場合は減点3だ。加点は、脚・胴・胸・肩・手を打って足の裏以外を床につかせることで1、これを連続で決めると2加算で減点がなければ累積点数で勝利。どちらかが気絶した場合は試合無効、次の試合は任意になる。以上。せいぜい気絶しないように頑張りな」

 簡易試合とは言え禁じ手などの設定はあるようで、しっかり吞み込む必要があった。音羅は頭の中でイメージして野原に答える。

「うん、ある程度は解ったよ。道着を摑むのはありかな」

「格闘試合は柔道試合と違うから投げ・締め・寝技の類はなし。物によっちゃ簡易試合なら減点は発生しないけど、公式試合ではルール違反で失格だ」

「そうなんだ、注意するね。一から説明してくれてありがとう。頭に叩き込むよ」

「──じゃ、始めるぞ」

 「朱色の中」で向かい合って一礼する。蓮香から教わった、試合前後の作法だ。

 鋭い目差を崩すことはなく、野原が──拳を握って右脚を半歩前に出して──構えた。

 音羅も野原と同じ構えを取る。蓮香の真似をして覚えたばかりの基本の構えだ。いきなりの試合ではあるが慣れるにはいい機会だろう。

 肩全体を回すようにしながらステップを踏む野原と向かい合いながら、音羅は一つの懸念を思い出した。

 ──音羅の腕力は有魔力でも特別だ。人間相手には手加減を忘れるな。

 ……パパのいいつけだから守らないといけない。

 音羅は自分の腕力がどの程度か自覚していないが、父が言うからには他者を大怪我させるようなものなのだろう。忠告してくれた父のためにも、手加減はせねばならない。

 ……魔法も使っちゃダメだ。

 無魔力個体同士を想定しているであろう格闘試合の中で魔法を使うのは、野原は言っていないがルール違反になるかも知れない。

 簡易試合のルールを把握して、己の腕力や魔法に封をして戦わなければならない。なかなか縛りの利いた試合だが、受けたからには、音羅は正正堂堂やる。

 音羅が動かぬと観るや野原の脚が瞬く間に前進した。

「ハッッ!」

「っ!」

 野原の放った右肘打ち。添えた左手で衝撃を和らげつつ右腕で流したが、骨一本を容易く折りそうな威力があった。続いて間合を詰めてからの左フックと右後ろ蹴りが襲いかかる。音羅は半歩下がってフックを避けると蹴りを左脚で受け、右脚をバネにして右バックハンドブロウを野原の左肩へ当て、距離を取った。互いに足の裏以外が床についておらず減点も加点もないが、野原の素早さと肘打ちは音羅の転倒を誘うに十分な威力だった。

「なかなかやるじゃん。肘打ち受けて怪我しないなんて、有魔力のなせる技だな」

「結構痛かったよ」

 魔力を潜めた状態で〈身体強化(しんたいきょうか)効果(こうか)〉がなくなっている。魔力の有無とは別に生まれつき備わった腕力が有利に働いたのは間違いない。両親の血が守ってくれたといえよう。その血がなかったら、野原の肘打ちを無傷で受け流すことができたか音羅は判らない。

 ……どうしよう。近づいたら肘打ちが来そうだ。

 危機感を植えつける攻撃を最初に仕掛け、攻め込む勇気を音羅から奪った野原は試合慣れしている。一方、格闘試合素人でいろいろと封をした音羅である。

「野原さん、左肩は大丈夫」

「ひとの心配する暇があるなら次の手でも考えてろッ!」

 ……来る!

 野原が左回し蹴りから一気に詰めて再度右肘打ちを繰り出す。それを避けた音羅を、野原が指差した。

「場外」

「あっ」

 音羅の左足が朱色から大きく出ていた。

「ここが崖だったとしたら、アンタ、減点じゃ済まないな」

「そう、だね」

 徒手格闘の優れる点は、体が動く場所であれば立ち合える。畳四枚分のスペースを野原のいう崖と想定するなら、音羅は転落死したことになる。そのような危険可能性や不利な状況を減点として表現しているのが試合といえよう。実戦となれば禁じ手などなく禁じ手が最上の制圧手段と成り得るとは余談だが、試合での空間把握は基本の一つである。場外での減点は空間への配慮が欠けていると言わざるを得ない。野原は場外まで手を伸ばさなかった。強烈な肘打ちを威嚇的に使うことで音羅の集中を格闘戦に向けさせ、空間への配慮を失わせ、場外への追込み(おいこ  )で減点に持ち込めると踏んでいたからである。

 ……こういう戦い方もあるんだ。

 野原の眼は依然として刃物のように鋭く好戦的に観えるが、攻撃一辺倒の戦い方ではない。試合で勝つための作戦を、あらゆる方向でしっかりと練っているのだろう。

 ……一学年でも、こんなに強いんだな。

 雰囲気こそ上級生に及ばぬ未熟さが見受けられた。それでも野原は試合センスが高く、音羅を圧倒している。

「もっと期待してた自分がいる」

 と、もとの位置に戻った野原が言って構えた。「あたしが会ってきた有魔力で、アンタ一番弱いぜ」

「……そうかも知れない」

 ルールを覚えたてだ。立ち回りが覚束ない。次のラウンドでどう動けばいいか思いついてもいない始末だ。どんな有魔力に会ってきたか定かでないが、音羅は彼女の言葉を受け入れた。

「次だ」

「うん」

 音羅が場内に入って野原と向かい合い、互いが構えて、次ラウンドが始まった。

 肘打ちを警戒するにも、場外までの距離を考えて戦うにも、野原と二歩ほどの距離を取るのが一番だろう。畳の目五つぶん先が場外となる位置まで下がって音羅はそんなことを考えていたのだが、野原が一気に詰めて肘打ちのモーションに入った。

 ……まずい、追いやられる!

 音羅がそう思って左へ躱す(かわ  )。と、肘打ちの構えを解いた野原の姿が消え、直後、音羅の体が宙に浮いた。

「ふぇっ!」

 視線は天井。

 バタンッ。

 気づけば、音羅は背中から床に落ちていた。背中に感じた衝撃より応えたのは、脹ら脛(ふく  はぎ)の痛み。

「な、何が起きたの」

「低姿勢から蹴りを入れただけだ」

 だから姿が消えたように見えたのだ。音羅の低身長で見えなくなるほど低い位置へ瞬時に屈んだとなると、間合の件も含めて野原の持味(もちあじ)はスピードであることが窺えた。

 ……次に活かさないと。

 音羅が立ち上がると、

「アンタ、無防備すぎ。ホントに有魔力か」

 鋭い目差がやや呆れを含んでいた。音羅は苦笑ぎみにうなづいた。

「うん、有魔力だよ」

「……もしかして、落ち零れの類」

「初等部や中等部に行っていないから判らないよ」

「まさかのヒキコ」

「ヒキコ」

「……引籠りのこと。でも納得だわ。全然成ってない」

 野原が俯く。「アイツらとは違うか──」

 吐息のようにか細い呟きだったが、両親の影響か耳の利く音羅である。

「あいつらって」

「こっちの話。訊いてくんじゃねーよ、ったく」

「ご、うん、その……」

 距離を作らないように謝らずにおこうと思うが、ここは、「ごめんなさい」と、謝った。野原の眼に明らかな憎悪が滲んで、音羅は萎縮しそうになったが、

「試合、最後までお願いしていいかな」

「いいぜ。コテンパンにしてやるよ」

 鋭い眼はそのままに、野原が構えた。

 音羅も構える。

 野原の素早さや、それを活かした強烈な肘打ちによる牽制や追遣り(おいや  )、それに加えて低姿勢からでも放てる高速の蹴り。どこに対処すべきか、モーションだけで判断するのは危険だろうか。試合慣れした野原の一手はどれもがコンビネーションに繫がり得るだろう。素人が下手に警戒して先のような裏目に出るとしたら──、

「ふぁっ!」

 バタンッ。

 音羅はまた床に倒れていた。見下ろす野原の目差が鋭いのはもはや言うまでもないが、呆れとも怒りともつかない感情が覗いている。

「やる気あんの。構えていながら受身も取らないとか、バカなんじゃねぇの。ここまで来ると赤ん坊を相手にしてるようなもんだわ」

 間違ってもいない。

 音羅は立ち上がって、向かい合った野原と一礼を揃えた。

「試合してくれてありがとう。たくさん勉強になったよ」

「こっちはなんの足しにもならなかった」

 野原ががっかりした顔で露骨に溜息をつく。

 ……もったいないことをさせてしまった。

 野原の稽古の時間を奪ってしまった。そんな気持で、音羅は頭を下げた。

「ごめんなさい。未熟で……」

「……別に。持ちかけたのはあたしのほうだし、観る目がなかったと思うことにするわ」

 そう言って別の部員を探しに掛かった野原に、音羅は尋ねる。

「また今度、手合せしてもらえないかな」

()だね」

 きっぱり。「雑魚に用はない。弱い者イジメしてる暇、あたしにはないんだ」

「だったら、わたしもっと強くなるから、そのときに」

 野原が音羅に目をやる。

「何年後の話。あたし気ぃ短いから忘れてると思う」

「できるだけ早く強くなってみせるよ。だから、お願いします」

 有魔力に対する怒りや怨み。野原にはそれが強くある。けれども、有魔力に対しても平等に接する心があると音羅は感じた。

 ……きっと理解し合える。

 好戦的と観える野原に対しては、試合の中でそれができるのではないか。

 頭を下げて願い出た音羅に、野原が応えた。

「五月三日。学年混合武術交流会で、三学年も相手にすることになる厳しい試合がある。そこで勝ち抜いたら、アンタもそれなりってことだろ」

 音羅は顔を上げた。

「そこで試合してくれるってことだね」

「あたしですら勝ち進めるか判らないトーナメントだ。一回戦でぶち当たるか勝利を捥ぎ取って搗ち合ったら(か あ   )ってことになるけど、そこでならいいぜ」

 野原が未来を観て鋭く微笑む。「試合で勝ち進めば実力を認められる──。そうすればこの手で道を拓くことができる。絶対に負けられねぇ」

 将来の道を見定めているという点で野原も上級生となんら変りない。

 ……わたしも頑張って、パパやママや、みんなを守れるように──。

 そのためには、野原を超えるくらいでなくては。

 見据えている道は違うとしても、懸命に鍛錬することは同じ。この部室・この学園にいるみんなが、努力の同志だ。

「野原さん。わたしも負けないよ。また、勝負しよう」

「素人が。ま、頑張りな」

 鋭い目差が応えてくれた。

 ……ここのひとは、みんないいひとだな。

 知泉や虎押、鷹押に蓮香、そして野原。昨日も感じたが、今日改めて、音羅は学園生活が愉しみになったのである。

 野原と別れた音羅は蓮香に教わった型の反復練習をして稽古を終えた。ほとんど何もできなかった簡易試合だが、そのお蔭でどの型がどんな場面に対応できるか摑めたよう。野原が自然に型を変えて戦っていたことも振り返ることができ、実りが多かった。

 朝練の時間はまだあった。格闘科の授業に道着の替えを使って、午後──放課後──の部活動でも道着を使うので、朝練で使ったものを洗濯しなければならない。部員のほとんどが同じ状況で、廊下脇の洗濯場はごった返しており、音羅はほとんど前に進めない。その横にやってきた鷹押が言うには、以前は顧問が纏めてやっていたという話である。

「──。第三田創は全員武芸者でマネージャがいない。この数を処理するのは手に余ると顧問は生徒に任せたが、こうも効率が悪いと教員方に頼みたい」

「そうですね」

 身長が低い音羅は人波を見渡せないが、廊下に立ち込める熱気や声の多さで相当数が集まっていると判る。

「部活用と授業用、全部で三着用意してくるというのは難しいんでしょうか」

「難しい。そこには、少し背景がある」

「背景……」

「追い追い解るだろう。とにかく、二着を使い回すが、一人一人洗っては時間が足りない。何人分かを纏めて洗っているが、洗濯機を担当しない部員まで溢れ返っている」

「前からこうなんですか」

「ああ。乗り遅れた者は負け。汚れた道着を着回すことになる」

「押しかけてしまうわけです……」

 たださえ朝練の時間を削って洗濯場に押し寄せている。授業に遅れるようなことがあっては稽古に支障が出るが、それは以前洗濯を担当していたという顧問とて同じである。

「何かいい手があればいいが、洗濯機の数を増やそうにもスペースがない。ところで」

 鷹押が音羅を見下ろす。「お前、そこは窮屈じゃないか」

「え、あ、はい、少し……」

 大柄で筋肉質な部員でぎゅうぎゅう詰めの廊下。小柄の音羅はすっかり埋もれている。そんな音羅を鷹押が抱き上げて、肩に乗せた。

「これでどうだ。息はしづらくないか」

「はいっ。肩車っ、見晴し(みはら  )がいいですね!」

 ついはしゃいでしまった音羅は口を押さえて、「ごめんなさい、動かないようにします」

「周りの迷惑にならない程度ならいい」

 鷹押が微笑した。「昔を思い出す。虎押にやったら頭から落ちて泣き(な )(じゃく)っていた」

「虎押さんが。少しかわいそうなことをしましたね」

「反省している。悦ぶあいつを観ているのが愉しくて調子に乗ってしまった」

「今ではそんなことはなさそうです」

 筋肉の分厚いこと。触れている太股や脹ら脛で、音羅は鷹押に贅肉を感じなかった。

「鍛錬が形になったんですね」

「うむ……、頑張った」

 と、自分を不器用に表現する鷹押を音羅が見下ろしていると、

「あ、音羅さんじゃない。背伸びたのっ」

 と、手を振りながら蓮香がやってくる。筋肉質な部員を簡単に搔き分けて真横につけた。

「って、鷹押じゃないの。肩車なんてして、妹でもできた気分」

「妹じゃなく竹神音羅だ」

「知ってるってば」

 蓮香は鷹押と同級生。以前からの顔見知りでもあったよう。

「音羅さん、こいつ年下をほっとけないから構われすぎないように気をつけて、稽古に支障出ちゃうから」

「そこまで構う暇はない」

「またまたー、虎押が入ってくるからいろいろ教えてやんなきゃって二月からメニュ作りしてたくせに。そんで今日早速そのメニュ断られたくせに〜」

 あまりにショックだったのか、鷹押が俯いて口を噤んだ。そんなことはお構いなしで蓮香が音羅を見上げた。

「この列、恒例になっちゃってるんだけど、いい加減なんとかしないと()になっちゃうね」

「何かいいアイデアがありますか」

「ううん、ないっ」

 笑顔で潔し。

「お前はいつもそんなふうだ」

 鷹押がツッコむも、「オレも同じか。こういうのはオレ達の穴だな──」

「音羅さん!」

 蓮香が飛びきり明るい表情で、「なんかない、アイデア」

「えっ。わたしもなんとも……、どうしましょう」

「あははっ、むちゃ振りごめん。あたし達同じタイプなわけね」

 申し訳なく笑顔を向けていた音羅に、また声が掛かる。

「お姉様」

 蒸し上がるような廊下にあって凛とした声。静まり返った廊下を俯瞰すると、階段辺りから部員が両壁側に寄って、音羅達のところまで道ができた。何事か。目を見張った音羅、鷹押、蓮香の前に悠然と歩いてきたのは、靡く黒髪が美しい制服姿の子欄である。音羅は声で判っていたが。

「しーちゃん、どうしたの。帰宅部だから朝練はないんじゃ」

「お姉様方の様子を観に来たに決まっているじゃありませんか。……男性に肩車されて、はしたないです」

「あはは……、これは優しさが形になったんだけれど」

 伝わるわけもなく、子欄が首を傾げた。

「ではこの騒ぎは。何かあったんですか」

「人込みはね、──」

 音羅は経緯を手短に話した。子欄が状況を理解したところで、蓮香が口を開く。

「初めまして、音羅さんと一緒の部活をしてる三学年の菱餅蓮香っていいます。音羅さんを肩車してるデカイのが、はい、自己紹介」

「ああ、雛菊鷹押だ。よろしく頼む」

「姉がお世話になっています」

 子欄が会釈すると、

「早速なんだけど、あたしの勘が訴えるわ」

 と、蓮香が子欄を見つめる。「君、頭いいよね。洗濯場の混乱をなんとかしてくれない」

 むちゃ振りだ。音羅と鷹押が顔を見合せたのだが、

「簡単です」

 と、子欄が言って歩き出す。聖女の歩みを遮らぬよう、とでも言うように、子欄が向かう方向に道ができる。子欄が行きついたのは洗濯機の前。ついていった蓮香、鷹押──鷹押に乗った音羅──は、子欄が洗濯機を観察しているのを見つめた。

「どうするの」

 蓮香が尋ねると、観察を終えた子欄がおもむろに右手を上げた。

 ……しーちゃん、まさか。

 大気に満ちる〈自然魔力(しぜんまりょく)〉が子欄の右手に集まり、青白い光を放つ。

「ま、魔法っ!」

「魔法だ!」

 皆が目を見張った。当然だ。この場に有魔力は音羅と子欄しかいない。無魔力を集めている学園で魔法を見ることはめったにないと考えていたに違いないのだ。

 子欄が集めた魔力は光輝く水となって全五台の洗濯機に流れ込むと空中に溢れ出して部員の頭上で急速旋回を繰り返し、洗濯機の中に戻っていった。光輝く水のみが洗濯機を出て頭上を滞空すると、子欄が洗濯機を掌で示す。

「いかがですか。皆さん、洗濯物を確認してください」

 促されるまま洗濯物を確認する一同。

 間もなく驚きの声が漏れる。

「すっ、すげぇ、汚れがなくなってる……」

「二年の汚れすら落ちてる、だと……」

「まだ洗剤も入れてなかったのに臭いも消えてるわ!」

「アイロンを掛けたみたいに皺もなくなってないかっ?」

「ホントだ!」

 観客と化したぎゅうぎゅう詰めの部員も歓声を上げ、廊下がにわかに騒がしくなった。

「静かに」

 と、蓮香が両手を打って、子欄に向かって話を進める。「いいアイデアだけど魔法。精神力を使うんでしょう。無限には使えないよね」

 精神力は魔法を使う上で欠かせない体内エネルギのこと。時間が経てば回復するものの魔法を使うと消耗しやすい。

 尋ねた蓮香に子欄が首を振った。

「無限とまではいいませんが、この程度ならば一時間は持ちます。それに、そちらの広い部室を借りれば一五〇着前後を一気に洗えます。洗濯機と比べるとどのくらいの効率でしょう」

「洗濯機一台で五着が限度、二〇分で濯ぎまでやるとして五台で捌けるのは二五着だね。三階には柔道部もあるから約一二〇着を洗う必要がある。全部洗うには計算上一時間四〇分を要する。さっきの洗濯は三〇秒も掛けずに終わってたから、効率は三六万秒割る三〇秒で一・二万倍ってことになるかな」

 と、蓮香が微笑。「君の精神力に無理がないなら、全員分頼めるかな」

「構いません。朝練の制限時刻まであと一〇分を切ってますし、放っておくとほとんどの生徒がペナルティの対象です」

「しーちゃん、ペナルティって」

「お姉様……、昨日配られた生徒手帳に書かれていたのであとでしっかり確認してください」

「う、うん、解った」

「お姉様には酷でしたね。あとでわたしが読み上げます」

「あはは、うん、お願いします」

 音羅の会釈を受け、子欄が蓮香に要請する。

「わたしは別の姉の様子も観に行きたいので早いほうが助かります。皆さんへの呼掛け(よびか  )をお願いします」

「お安いご用よ。迷惑を掛けるわね」

「お姉様が頑張ってます。わたしは少しサポートするだけのことです」

 ……しーちゃん──。

 妹の想いに、音羅は密かに涙腺が緩んだ。

「迷惑ついでなんだけど」

 と、蓮香が口にすると、子欄がうなづいた。

「解ってます。明日からも朝練の終りに洗濯を担いましょう」

「助かるよ」

「こちらとしても学園内で魔法を使う機会がなく腕が鈍りそうだったのでウィンウィンです。気にしないでください」

「なるほど。じゃあ、気兼ね(きが )なく用命できるね」

 蓮香が子欄を示して、一同に声を放つ。「こちらの竹神子欄さんが朝練で使った道着約一二〇着分の洗濯を引き受けてくださった。感謝を込めて、一礼ッ!ありがとうございますっ!」

「『ありがとうございますッ!』」

 一糸乱れぬ挨拶。

 子欄の指示に従って頭上の水塊に洗濯物を投げ入れ、格闘部の部室で急速旋回させて三階の全部員の洗濯が済み、三分後には南向きのベランダにずらりと並び干されたのだった。

「では、わたしはこれで失礼します」

 有魔力でありながら他者のために魔法を使って颯爽と去ってゆく美少女である。男子部員のみならず女子部員も階段のほうを見つめていた。

 そんな黒山の中で、道着を絞る影を一つ見つけて、音羅は声を掛ける。

「野原さん」

「なんだよ」

 野原が鋭い目差。ざっと広げた道着の皺を伸ばしている。子欄の魔法に掛けたなら皺を伸ばす必要がないので、彼女は自分で洗ったということか。

「野原さんはしーちゃんの魔法を──」

「洗濯機で十分だ。じゃあな」

「あ……」

 上階へ向かう足取りは速く、背中からは「ついてくるな」と、オーラが出ているようだったから追えもしなかった。

 制服の虎押が音羅の横から顔を出した。

「さっき試合をしていたようだけど、向こうは随分と刺刺しいな」

「時間を無駄遣いさせちゃったからね。今度はそうならないように頑張るよ」

「前向きなのはいいことだぜ。あ、ところで、子欄って、すごいんだな」

 虎押が感心して、「中等部まで魔術士と一緒に勉強していたけど、あんな魔法、見たことなかったよ」

「虎押さん、しーちゃんのこと好きになってくれた」

「す、好きってわけじゃ。ただ、お前もそうだけど、やっぱこれまでの魔術士と違うんだってのを目の当りした感じだ。魔法にあんな使い方があるなんて」

 一般的な学園で学ぶ魔法は、大きく分けて攻撃・防御・治癒の三つ。主に戦闘用である。

 洗濯や掃除などは精霊結晶と電力で稼働する機械〈魔導具(まどうぐ)〉や科学家電によってほとんど行えるため、わざわざ魔法を開発したりしない。

「ああいう創作魔法はパパやママの得意分野なんだよ」

「そういえば、お前達は魔法で成長したんだったよな。それも作った魔法ってことか。お前達の両親は発想豊かな家庭人ってことかな?」

「う〜ん、パパは引籠りだからちょっと違うかも」

「引籠り?」

「未だ日差に慣れないっていっていたよ」

「深刻」

 などと話している間に、「おっと、部活制限時刻一分前っ。みんな教室に急げ!」

「あっ、わたしも行く」

 後程生徒手帳で知ることとなったが、時間までに部室を出ていないと、また、朝練後は本館に入っていないと、「部活動をしていた」と見做されて(みな   )所属する部ともどもペナルティの対象となる。ペナルティは部費の減額や活動停止とシャレにならない。

 別館から本館までどんなに急いでも一五秒は掛かる。虎押の声でみんなが我に返ったように走り出し、廊下はまた騒がしくなった。そんなドタバタの時間が、音羅はたまらなかった。

 

 

 

──四章炎節 終──

 

 

 

 

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