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三章 友と恋と魔導機構

 

 有魔力といえば無魔力を侮るばかりか嘲り笑いさえするどうしようもない連中だ、と、いうのが雛菊虎押の意見だったが。

 ……有魔力も酔うんだな。

 水色の髪と巨乳でやたらと目立つ竹神納月への第一印象は有魔力的外見に対するものもあるが、有魔力にはないはずの身体的な弱弱しさもあった。その印象が間違いでなければだが、知泉ココアに支えられて歩いている竹神納月は有魔力の概念をいい意味で崩している。

 有魔力に劣らない身体能力でいつも雛菊虎押を守った兄。そんな兄にどこか似た頼もしさを感ぜさせるのが、ずんずんと前を行く知泉ココアだ。その知泉ココアと竹神納月の鞄も提げて雛菊虎押はそれなりに重く感じているが、女子である知泉ココアにもう一度声を掛けておく。

「なあ、やっぱり支えようか」

「いいってば〜」

「いや、だって、」

 知泉ココアが少しずつ前のめりになっている。「音羅がいっていたけどちゃんと食べたほうがストレスなくていいぜ。朝ご飯、食べていないんじゃないのか?」

 脚が止まりつつあるので、雛菊虎押はコンビニエンスストアで買ったおにぎりを鞄から取り出して知泉ココアの前に出した。

「ほら、食べろって。腹が減ってはなんとやらだぜ?」

「うーーーー、っあむ」

 おにぎりを銜える腹ペコ女子である。

「睨むなよ。そんなになるなら早く食べればいいだろう」

 口で持ってゆかれたおにぎりを一旦取って、雛菊虎押は包装から出して知泉ココアの口に運び直してやった。それをかぷっと齧って、咀嚼して、知泉ココアが少し落ちついた。

「……ありがとー」

「睨まずにいえよ」

「リバウンドに貢献してくれてありがとー」

「行き倒れるよりマシだろう」

「痴話喧嘩は済みましたか」

 と、げっそりの竹神納月。

「お前はぁ。話をややこしくしようとするんじゃない」

 下駄箱付近で立ち止まっていたので、音羅と子欄が抜き去っていった。ゆっくり歩き始めた知泉ココアについて雛菊虎押は歩く。人波には乗れない。

「──知泉。なんで納月を担いでいくなんて言い出したんだ」

「なんとなくー」

「そうか……」

 有魔力との融和だなんて大袈裟なことはいわないが、音羅達とならそれができると知泉ココアが希望を持っている、と、雛菊虎押は感じた。自分がそんな希望を持っているから自己を投影しているだけかも知れないが、「音羅達は普通の有魔力ではない」と、いう気持を無魔力特有の雰囲気でなんとなく感じ合っていた。

「オレも同じ気持だよ。可能なら、手を取り合いたいさ」

「ふーん……」

「知泉、本当に手伝わなくていいか?」

「……、……納月さん、いい」

「わたしは構いましぇんが、いったいなんの話だったんでしゅか」

「デリケートな話」

 とは、知泉ココアが言った。「ほら、虎押君、手伝って〜」

「ああ、行こう」

 雛菊虎押が手を貸せば、波に乗るくらいには歩行速度が上がった。

 

 

 ……五組が一番奥かな。

 東から順に一組・二組・三組──、と、続いているから、東端の下駄箱脇で立ち止まっていた納月達と一緒に行けばよかった。音羅の教室は三組なので、本館校舎の中央辺り。ほとんど自由な教室移動であるから廊下も教室も賑やかだ。

 三組の教室に到着した音羅は躊躇いなく入っていった。先に到着した生徒は、雑談していたり、物思いに耽っていたり、窓の外を眺めたり、黒板に絵を描いたり、筆記していたり、携帯端末をさわっていたり、さまざまである。

 ……行動だけじゃなくて、いろんなひとがいる。

 顔形・体格・肌色などが違う。元気そうな者がいれば調子の悪そうな者もいる。愉しげな者がいれば不愉快そうな者もいる。賑やかな者がいれば静かな者もいる。制服をそのまま着ている者もいれば着崩している者もいる。本当にさまざまだ。知っていたはずの多様性も、目にするとなんと幅広いことか。

 ……一人一人ちゃんと覚えて話すきっかけを作っていこう。

 クラス分けに記されていた出席番号順の席につくと、音羅は、密かにクラスメイトを観察した。じっと観ていては話す前に敬遠されそうなので、耳を澄まして話を聞くにとどめる。ついてゆけそうな話題を(のぼ)している生徒にでも声を掛けようと思った次第である。自分の席に座っている者とそうでない者がいるだろうことから名前はまだ断定できないが、気になる生徒の顔を覚えておいて損はないだろう。

 男子二人・女子一人のグループが携帯端末を覗き込んで愉しげだ。音羅はそちらに意識を集中する。

「──、それを集めとってね」

「ダブっとるからあげんぜ」

「え、ほんとっ?あんがとーっ!」

「替りにこっち持っとる?」

「うわっごめん、それちょうど切れとる〜」

「あ、ぼくそれ一個余ってるからあげるよ」

「うははっ、助かる〜。そうなるとローテーション交換やな。摺り(す )合せ(あわ  )しよー」

 ……携帯ゲームかな。

 昨今は、家庭用ゲーム機より携帯端末を含む携帯機器の稼働率が高まり、インターネット通信を用いたゲームも流行っているそうである。ハードやキャリアを選ばず誰とでも遊べるインターネット通信依存のゲームは、親密度を深めて対人関係を円滑にするのにも役立つツール。同じゲームをプレイしているだけで初見の相手とさえ話の種ができるのだから、流行るべくして流行ったといえるだろう。が、竹神家で唯一携帯端末を所持している母がゲームをしていないので音羅は話題についてゆけそうにない。

 黒板付近の男女二人ずつのグループに音羅は意識を移す。正面であるから自然と目に入り、観察するにも支障が少なかった。

「──。ですから、構図はこうで」

「仰視。なるほど、面白いぞ」

「被写体の偉大さを強調できるしいいね」

「文字はどこに入れるん?」

「人物のバックから浮き出す感じで入れるつもりなんですが、どうでしょう」

「それならオレのは目立たないほうがいいか?」

「彼の業績と関係が深いですから厚めに。問題は動物をどこに配置するか」

「彼に抱えさせたいんだけど、ダメなん?」

「『それだ!』」

 ……愉しそうだな。

 チョークで下書きしつつ、四人で一つの絵を描こうとしているようだ。音羅も納月や子欄と絵を描いて遊ぶが、一五歳の少年少女も同じようにして絵を通して距離を縮めたり互いを理解し合ったりするのだとは。ただ、音羅達の描く絵と違って、黒板に描かれ始めた絵は美術部が手懸けているかのように本格的だった。議論が白熱して専門用語らしき単語も飛び交っているので、とても口を挟める雰囲気ではない。

 右手後方の席周辺で話すグループに音羅は意識を向ける。

「──それが眠くって眠くって、学園長の声が心地よくて寝ちゃってたかも」

「あっははは、それちょっと解る〜。学園長の声なんか癖になりそうなトーンだったよねー」

「入れ込みキモー、ひゃははっ。朝って眠いよねっはははっ」

「夜も眠いけどねー」

「夜は眠くていいんだって〜っはははっ」

「そっかぁっははふふっ、そうだよねっふふふふっ」

 ワライタケでも食ったか、やたら笑っている女子三人。なんの生産性もない話をしているがどうでもいいことで笑い合えることは存外貴重な体験ではないか。大人社会では碌でもないことを言うと評価が下がることもある。笑える場があることはひとがひとたり得るために必要。気を張り続けていてはいつか糸が切れ、壊れてしまう──。などと、小難しいことをやはり考えないが、愉しそうだと音羅は思った。三人の眠気を邪魔するのも躊躇われたので割り込まなかったが。

 音羅は窓際の二人に意識を移す。

「──。けど、話さないまま別れちゃった。アイツ、なに考えてたんだろ、あのとき」

「いいことは考えてなかったんじゃない。あなた、無意識にその子を振ってるわ」

「そんな気は……、いや、あったのかな。だから察せられて、何も話さなかったのか」

「そう。あなたのいいなりになるのはガキだけよ」

「……だったら、よかったかも。オレ、子どもが好きなわけじゃないから、アイツが大人ってんなら、それでいいや」

「案外大人なのね、あなた」

引き摺って(ひ ず  )はいるけど、子どものままじゃいい出逢いに気づけないからね」

「もう一皮剝け(む )なさい。話はそこから」

「食えないね、お前。面白いじゃないか」

 何やら色っぽい話をしているようである。

 ……遠慮しておこう。

 話が合うタイプでもなければ、精神年齢が違いすぎる気も。音羅は持って回った言い方は得意ではないので、ぱっと理解できる話をするひとのほうが合うだろう。

 あとは独りでいる者がほとんど。その多くが音羅のようにほかの生徒を観察したり、黒板に描かれてゆくチョークアートを鑑賞している。

 ……じっとしているのは、やっぱり慣れないな。

 話しかけたくてもどんな話題で盛り上がれるか判らず音羅は観察にとどまった。会話を愉しめたほうが互いにいい時間を過ごせるし、友人になったらより深い愉しみ方もできるだろう。

 ……パパに叱られるからなぁ。少しは考えて行動しないと。

 とは言え、座りっぱなしも性に合わない。我慢して観察を終えたのでそろそろ行動したい音羅であったが、

「はい、みんな席について」

 出端を挫くように担任教諭がやってきて朝の連絡会を始めたのだった。

 進学・進級後、初めての連絡会がクラスメイトの自己紹介から始まるのも「よくあること」のようでみんな慣れた様子で挨拶を済ませてゆくが、言うまでもなく音羅は初めてである。出席番号順で真ん中より少し前の音羅は順番が近づくにつれて緊張感が増した。回ってきた順番という空気に押されるようにして席を立つと、

「竹神音羅です。頑張ってみんなと仲良くなりたいと思います、よろしくお願いします!」

 音羅が頭を下げると、

「初等部かよ」

 と、ツッコミが入った。ここまで流れ作業のようだった自己紹介が音羅のターンで急停止した。

「見た目はこれだけれど、間違いなく同級生だよ。力仕事が得意だから困り事があったら手伝うね」

「例えばどんな力仕事ができるんだ」

 と、男子生徒が嘲るような物言いだったが、

「そうだなぁ」

 と、音羅は大まじめ。指先で机をひょいと抓み上げた。「こんなのとか」

 ほとんど予備動作なく机を持ち上げたことにわずかなどよめきが起きたが、隣席の女子生徒が、

「あたしのこと持ち上げたりできる?」

 と、尋ねてきたので、音羅は笑顔で抱っこしてあげた。「わぁっ、ホントに力持だっ!ちっちゃいのにすごいね〜」

「ふふっ、ありがとう、唯一の取り柄だよ」

 女子生徒を下ろすと、侮っていた男子生徒もさすがに拍手したのだった。

 担当教諭がぱんっぱんっと短めに手を打った。

「仲がいいのはいいことだが、竹神さん、時間を取りすぎだ」

「すみませんっ」

 冷や汗が流れた音羅は慌てて席についた。

「はい、じゃ次」

 と、担任教諭が順番を回して、流れ作業のような自己紹介の空気に戻った。時間を掛けてしまったことを除けば満足のゆく自己紹介ができたので音羅はよしとした。生徒が自己紹介してゆく間、音羅は自己紹介中の生徒以外とアイコンタクトを取ったり、ジェスチャで話すような状態になっていて、担任教諭に叱られてしまったが──、叱られたのに、愉しかった。

 ……素的だな、こういうの。

 話し相手が笑っていたからか。担任教諭のお叱りを三度食らったが気にならなかったのだった。気にしたほうがよかったか(?)これを両親が知ったらまたも叱られそうであった。

 自己紹介が終わると教科書が配られた。一般的な高等魔法学園が魔法や魔導の授業に特化するのに対して、第三田創は授業が生徒各自の専攻科目のみとなる。武術に特化した学園であるから教科書は専攻科目に従った武術指南書。第三田創魔法学園高等部が独自に制作し、ダゼダダ警備国家の認可を受けたもの。第三田創における奥義書といってもいいだろう。

 教科書を受け取った生徒の目は、明らかに色を変えていた。

 ……みんな、これがほしかったのか。

 第三田創の特色は各武術の専門教員による授業。それは入学希望者の最たる目的であるが、もう一つ、この教科書が目的の一つに数えられるほどの重要性を帯びている。何せ、己が極めんとする武術に最適な教材だ。頁を捲ると、長長と文章説明があって音羅は頭がくらくらしたが、図解もされておりそちらは初心者の音羅にもなんとなく解るようになっている。

 ……このクラスに、有魔力はわたしだけだ。

 無魔力ゆえに将来性を狭められている子どもに取って、未来を切り拓く力と成り得るのは己の体ただ一つ。その体を鍛え上げるためには優れた先達と教材が必須だ。

 ……有魔力に取っても、大事なことだな。

 有魔力は魔力の恩恵によって身体能力が高まる。これは間違いない。だが、鍛えず体が衰えれば身体能力が落ちてゆくという現実は有魔力も変わらないのである。

 教科書を配った担任教諭が解散を告げ、別館へ向かうよう指示を出した。各各が授業を受ける教室は別館にあり、そちらで武具を受け取るためだ。

 指示通り別館へ直行してもよかったが、音羅は教室に残っていた担任教諭に謝った。

「あの、先程はすみませんでした」

「自覚があるなら今後は気をつけるんだよ」

 出席簿を左腋に抱えた担任教諭は、右手に杖を握って歩き出した。入ってくるときも目に入った姿だ。その横を音羅も歩く。

「右脚が不自由なんですね」

「生まれつきだ。左脚でそれなりに動けるが足音が煩くなるからな、学園じゃ杖を使うようにしているよ」

 担任教諭は無魔力の女性だが、逞しい笑みを浮かべている。

「わたしは格闘科なんですが、先生は何を教えるんですか」

「狙撃科を担当している」

 納月が専攻した科目だ。

「事前の調整と現場での判断力が大事な銃なら腕力を問わないからな」

「調整とか判断とか、大変そうですね。狙撃科なら妹がお世話になると思います。わたしみたいに煩くしないと思うので、ご指導よろしくお願いします」

「自分の心配をしろ。また誰かの邪魔にならないように、な」

「うっ」

 音羅はぎくり。担任教諭がくすくすと笑った。「他人の発する毒にも少しずつ慣れていくんだよ。これはわたしのアドバイスだ」

「ありがとうございます」

「何事にも感謝する姿勢はいいね。まじめに頑張りなさい」

「はいっ」

 担任教諭の励ましを受けて気持一新、職員室前まで移動していた音羅は担任教諭と別れて東の下駄箱へ。靴を履き替えると、庇で待っていたクラスメイトと本館南東の別館へ向かう。

 音羅が専攻した格闘科は手・腕・脚などを用いた打撃主体の体術を学ぶ科目で、第三田創では独自のルールを設けた対戦も行うようであるとは教科書の図から読み取れた。格闘科の教室は別館三階の北部屋だ。クラスメイトに囲まれた音羅はみんなをそれぞれの教室に送り出し、別館三階北部屋で自分が送り出されたのだった。そこは、

 ……すごく広い部屋だ。

 一学年三組の教室を優に越えている。風通しがいいからか、畳敷(たたみじき)のお蔭か、熱帯気候のダゼダダにしては非常に涼しく、藺草(いぐさ)の香りが清涼感を高めている。

 ……なんでこっちが別館なんだろう。

 授業を受ける教室があるほうが本館なのではないか。では、こちらが本館で、クラスの教室があるほうが別館になるのではないか。しかしながらこの別館、本館と比べて階層が多く、階層ごとの面積は小さい。

 ……全体の大きさの問題、なのかな。

 などと考えていると、音羅の肩にぽんっと手が載った。

「音羅さん、見〜っけっ」

「あ、知泉さん。それに虎押さんも」

「オレはついでか。別にいいけどさ」

 知泉と虎押が音羅の後ろに立っていた。

「音羅さん、そこに立ってると邪魔になるー」

「あ、ごめんなさい。入口だものね」

 部屋の広さに気を取られていた。担任教諭の指導も虚しく早速注意を受けてしまった。音羅は知泉達と室内の壁際に寄った。

「入学式はどうなるものかと思ったけど、なんとかなってよかったな。心臓バクバクだったし教室じゃ先生に叱責(ドヤ)されるんじゃないかって冷や冷やした」

「虎押君、お咎めなしだったから、よかった、よかった〜」

「気づかれてなかっただけかも知れないけど。期首テストとして意図したものなら何かしらいわれると思うけど、それもなかったし、ハプニングなのか意図なのかよく判らないな。音羅はなんかいわれなかったか」

「ううん、何も。連絡会でもそれらしい話がなかったよ。知泉さんは何か聞いていないかな」

「こっちも全然。虎押君はちょっと残念だったー、目立つことしたのに目立たないって、なんか恥ずかし〜」

「学園の歴史に名前を刻んじゃうかもとか考えて一人勝手に肩透かしだもんな。影薄いみたいでなんか嫌だ、マジでハズイ」

 顔を両手で覆う虎押。

 ……わたしが頼んだから。

 音羅は頭を下げた。

「ごめんなさい。誘導を頼んだからそんな思いをさせて──」

「えっ、いや、いや、マジになって謝んなくてもいいって」

 虎押が苦笑した。

 音羅は顔を上げて、

「なんで……」

「なんで、って、そんな気にすることじゃないぜ。そりゃあ退学とかなったら気にしてほしいけどさ、お咎めなしだったわけだし」

「そ〜、そ〜」

 知泉が虎押の背中を叩いた。「虎押君にしてもあたし達新入生にしても、音羅さんの機転で入学式を無事に終えられたんだから感謝してるよ〜」

「そう、なの。それならよかった」

 ほっとしたのも束の間だった。左手から、

「今の話、本当か」

 と、男性の声が掛かった。

 ……この声──。

 入学式の裏側を知っている三人はぎょっとしたが、その中で虎押だけが声の主を見て肩の力を抜いた。

「お、脅かすなよ、兄貴」

「なんだ」

「なんだ、じゃないよ。無視するなよ」

「……」

 虎押の兄(?)が、虎押の目差を気にせず音羅を正面から見下ろす。

「お前、名前は」

 一九〇センチ近い大柄の男性だ。父より背の高い男性といえば虎押もそうなのだが、この男性は筋肉質のためか虎押と比べても一回り大きい。

「わたしは竹神音羅です」

「音羅さん、敬語使えたんだ」

 と、感心して言った知泉を男性が制する。

「お前は黙ってくれないか」

「なんですかー、年上っぽいですけどそれだけで威張り散らすのってカッコわ──」

「ち、知泉、ストップ」

 虎押が慌てて知泉の口を塞いだ。「兄貴は部活の、格闘部の副部長で、格闘科でもトップクラスの成績だから口だけじゃないんだよ」

「んぐっ。だとしても、こんな上から目線で話さなくてもいいと思うー」

 知泉が虎押の手を退けて文句を言ったところで、男性が名乗る。

「今年、格闘部副部長になる三学年五組格闘科専攻雛菊(ひなぎく)鷹押(たかお)だ。竹神音羅、お前に話がある」

 知泉が前に出た。

「なんですー。三学年だからって女子に喧嘩売るなんて頭おかしいんじゃないですー」

「知泉、それもほとんど難癖……」

 と、虎押がツッコむ。

 屈んだ鷹押が音羅に目線を合わせた。

「すまない。喧嘩を売ったつもりはない」

 その言葉は知泉にも向けられていた。腕組し唇を尖らせて不満そうにした知泉の横で、音羅は鷹押に会釈した。

「気にしないでください。わたしも格闘科なので、お世話になります」

「うむ……、お前は格闘科か。その小さな体で」

「体を動かすのが好きなんです。武器を持って戦うのはなんとなくアレなので格闘科を選んだんですが……、それではいけませんか」

 専攻科目を選んだ理由を伝えて、音羅は鷹押をまっすぐ見た。凝視しすぎたか、鷹押が目を逸らした。

「体格を補い、活かしてこその技術であり鍛錬だ。オレのようなガタイなら小さな相手を撥ね退けられるが、動かれるとやりにくい。お前から観れば逆のことがいえるだろう」

「小ささを活かすんですね」

「うむ」

 ……鷹押さんは、武術にとても熱心なひとなんだろうな。

 やや不器用そうではあるが、相手の個性を見抜いてアドバイスできる。格闘部の副部長になるのもうなづけた。

 話し終えた鷹押が床を瞥て(み )、音羅に目を向ける。

「話を戻す。格闘科は道着を受け取ったら解散だ。そのあとここに来てくれるか。話がある」

「あの」

 と、知泉が小さく手を挙げると、鷹押が応ずる。

「なんだ」

「あたしも同席していいです〜」

「うむ。お前達全員から証言を得るほうがいいだろう」

「兄貴、オレもか」

「無論だ」

 鷹押が立ち上がり、「お前達を責める話はない。妙に緊張する必要はない」

「はい」

 鷹押をそこに残した音羅は、知泉、虎押とともに道着を受け取るため部屋中央へ向かった。格闘科担当教員の一人から、

「これからよろしくお願いします」

 と、渡された道着を、抱くようにして受け取り、

「よろしくお願いします!」

 と、お辞儀、次の生徒と入れ代わった。糊づけがされた道着はアイロンも当てられているようでパリッと仕上がっており、衣類としては初めての感触だった。

 ……これを着たら、いきなり強くなったりしないかな。

 アニメのヒーロやヒロインは普段が弱弱でも変身後に強くなるのが定番である。音羅はもとから力が強いので頭がよくなったり、と、いうのはさすがにないか。

 先に道着を受け取って脇に移動していた知泉、虎押と合流して鷹押のもとへ向かう最中、音羅は気になったことを話した。

「鷹押さんもだけれど、先輩方が来ているみたいだね」

 格闘科の教室には、場の雰囲気に慣れたふうの生徒が多数いる。

 虎押が音羅の疑問に応えた。

「一学年から三学年まで、専攻科目を変更しない限りずっとここで授業を受けるからだ。先輩は高みの見物といわんばかりに新入生を観に来ているんだろうな」

 普段授業を受けている教室だから、二学年生・三学年生ともに慣れているのである。

「全学年で授業をするんだね」

「ああ。実力差があるから部活動以外での試合は同級生でやると思うけど。学年ごとに授業内容が変わるはずだから、教室が全学年共用でも別別の授業を受けるって感じだな」

「本館の教室は使わないのかな」

「兄貴からは聞いたことがないな。たぶんいつか使うんじゃないか、本館だし」

 本館の用途を虎押も知らないようだった。

 鷹押と合流すると、彼の話を聞く前に本館と別館の用途について音羅は尋ねた。嫌な顔一つせず彼が答えてくれた。

「この学園の運営方針はかなり偏っている。言い方を換えると、『尖っている』。だが教育機関であることに変りはない。活動するためにダゼダダ政府の認可を受ける必要がある。その認可条件の中でクラス運営と教室の広さを規定している」

「クラス分けがあることと、ある程度広さのある教室を確保すること。それが、認可条件ということは解りました。でも、実質的な教室があるのは別館(ここ)ですよね」

「それが実態だ。規定は大人の事情。学園長の考えとしては別館(ここ)が本館という位置づけだ。本館は学園運営上必要な体裁的設備だ。それを示すように、本館は綺麗だっただろう」

「……、はい」

 言われてみれば、だ。雨風に曝される外壁はそれなりに汚れていたが、本館の内観は別館の内観に比べて老朽していないようだった。

「鷹押お兄さん」

 と、知泉が手を挙げた。「それなら本館って何に使うんです〜。まさか、クラスの連絡会とかだけですか」

「そうだ」

「即答〜。マジですか」

「別館に荷物を置いて、朝と帰りの連絡会だけのために本館に行く生徒もいるほどだ。あとは昼食と掃除のときくらいしか用がない。掃除は綺麗な本館内部をなおさら綺麗にする。食堂のない三階までは使われないから汚れない。汚れないのに掃除をする。大人の事情に振り回されて時間の無駄と感じる生徒もいるようだ」

「それ同感です〜」

 と、知泉が気楽に笑った。

 引越しを通して普段の母や糸主達の仕事ぶりを体感した音羅には別の見方がある。

「掃除は鍛錬と同じでしょう。一朝一夕で成果が出ない鍛錬を、なんの変化もないような掃除に置き換えて、生徒に考えさせているのではないですか」

「まじめー」

「えへへ、知泉さんに褒められたっ」

「褒めたわけじゃない〜」

「えっ、そうなの」

 母達の微笑みに音羅は安らぎを感ずる。それは積み重ねた強さに支えられているからではないかと考えたのだが。

「考えすぎだろう?」

 虎押が首を捻る。「置き換えとしては正直判りにくくて下手だよ。どうせ考えさせるなら、そう、座学の中でやらせればいいんだからさ」

 鷹押が弟を見やる。

「虎押。お前はこの学園をまだ知らない」

「え?いや、普通に考えたらオレの考えが妥当だよ」

「オレは、竹神音羅の考え方が正しいと考えている。斯くいうオレもその答に辿りつくのに時間を要したが……」

 音羅を一瞥した鷹押が虎押に切切と語りかける。「この学園は、あらゆる場面で己の体と心を磨き上げよ、と、訴える。掃除は一端。変化のない行動を続けることは人間に取って苦しいことでしかない。成果がなく、満たされない。だが掃除を怠ればどうなる。いかに使わないといっても、あの広い本館に蜘蛛の子一匹入り込んでいないわけがない。放っておけば蜘蛛の巣だらけになるだろう。制服から出る繊維片が寄り集まれば埃になる。汗や皮脂が落ちれば次第に油汚れや水垢になるだろう。毎日の掃除を行うことで、見えないうちに消えているだけだ。武芸も同じだ。成長の実感が得られない鍛錬も一度怠れば、筋力が落ち、技術がなまり、試合の感覚と空気に疎くなる。掃除も武芸も、何一つ変わらない。突きつめれば、全てが武芸に通ずるんだ。──勉強しろ、虎押」

 もとから兄を武芸者として尊敬しているからだろう。虎押が真剣な目差で応えた。

「解った。油断したら駄目ってことだな。もっと考えて観察する」

「うむ。さて、関連する話だ」

 鷹押が知泉を見て、入学式の話題に戻す。「竹神音羅が新入生を体育館に誘導することを考えついたのか」

「それ、あたしじゃなくて本人に訊いたほうがいいんじゃ」

「裏取りだ」

「刑事みたいー。じゃー答えますけど、そうです。音羅さんが誘導を考えついたんです」

「それで虎押が教師役を担い、声で誘導した」

 鷹押が見ると、虎押がうなづいた。

「お咎めはないんだよな?」

「ない。最後に、竹神音羅に問う」

「兄貴、オレは音羅じゃないぜ。本人を見て喋ってくれないか。常識だろう」

「……うむ」

 鷹押が音羅を向き直るが、視線がやや合わないのはなぜだろう。

「改めて訊く。思考の経緯・変遷についてだ。お前は、なぜ新入生の誘導を思いつき、それを実行せんとした」

 鷹押の問に、音羅は状況を思い出してゆっくり話していった。

「別館一階の廊下にやってきたとき、先生のものと思われる声で、『体育館に入るまで私語はほどほどにして静かに待つように』と、指示がありました。ですが指示の声は大きかった。体育館に響かないようにするためなら先生がまず率先して声を小さくするでしょう。先生の言動がちぐはぐだったんです。それに、内容が使い古されたような言葉で生徒の雑談を誘うものだと、虎押さん達の話を聞いて後に思いました。先生の発した声の程度なら話してもいい環境、聞き慣れた注意の言葉を聞いたあと、そして先生らしきひとの目がないことが重なってわたしも含めて新入生のほとんどが生徒同士で話して過ごしていました。緊張感や期待でいっぱいの新入生同士が目の前にいることで、余計に話が盛り上がってしまったんです。そうして時間が過ぎ去れば、入学式は始まりません。体育館に入学式の横断幕が揚げられていることを妹が伝えてくれたあとしばらくして、わたしは虎押さんの言葉を思い出しました」

「虎押の言葉。それは」

「『試されているじゃないか』って、ヤツだよな」

 虎押が窺うので、音羅はうなづいた。

「状況は仕組まれたものだと思い、虎押さんにお願いして行動に移りました」

「場合によっては虎押に全ての責を負わせる腹積り(はらづも  )だったか」

「いいえ。虎押さんの責任が問われるようなら主ぼ、あ、えっと、あの行動を考えたひとはわたしだと伝えて、先生役に適した声だと考えて虎押さんを巻き込んだといえば咎められることもないでしょう。期首テストなら咎められることもないとは思いましたが、──」

 音羅はみんなに伝えていなかったことがある。体育館にみんなを誘導しようと踏み出した要素の一つで、そのとき確証はなかったが、あえて虎押達には伝えていなかった。そうすれば、咎められたときに自分が主謀だと理解してもらえるだろうと考えてのことである。その要素とは、最初に聞いた教員らしき大きな声。

「最初に聞いた先生らしき声が本物の先生のものかどうか判りません」

 体育館に響いてしまうだろうし、廊下はめちゃくちゃに広いということもないので、大声で注意喚起する必要はなかった。二階から発せられた虎押の声を聞いて判ったことだが、虎押の声の響き方が、最初に聞いた教員の声と似ていた。響き方だけなら「男性だからだろう」と一括りにすることもできたが、音羅は少しだけ聴覚に自信がある。遠くの物音を聞くこともそうだが、同じ声を聞き分けることも──。

「先生の声は、響き方だけではなく声質も虎押さんに似ていた気がします。注意の声を送ってすぐ体育館に入ったなら時間の都合がつきます。なので、最初の先生の声は──」

「十分だ」

 と、遮ると、鷹押が何度か小さくうなづき、「お前は、すごいな」と、称賛した。

 虎押が目を見開き、

「兄貴が他人を褒めるなんて、希しい(めずら     )な」

「褒めるべき相手が少ないだけだ」

 相変らず目線を合わせないが、鷹押が音羅に言葉を向ける。「オレが一学年のときも、お前のように新入生を誘導したやつがいた。あいつはオレに教師役をやらせた」

「それって、先生役の先代ってことです〜」

 知泉が面白がったが、虎押は老け込んだ顔だ。

「つまりだ、サイレントな期首テストが存在していたんだな。しかも、兄貴はそれを知っていてオレに黙っていたと」

「新入生に対する学園の洗礼だ。が、気づけた者だけへの洗礼でもある。気づけなかった者は期首テストの存在を知らぬまま卒業していき、知る者はむやみに口にしない。それがなぜか、今なら解るだろう」

「鍛錬、か」

 虎押が腕組。「こんな期首テストがあったんだって知らないヤツが聞いても実感が湧かないだろうし、期首テストに気づけたオレ達からしたら貴重な体験を言いふらすのはつまらない。まあ、オレは伝説っぽくて話したくなりそうだけど」

「まだまだだな、虎押」

「悪かったな、自己顕示欲が強くて」

「それもそうだが、それだけじゃない。期首テスト後、入学式で学園長の言葉を聞く。曰く、『誰もが経験豊かに存ることを願う』。体験は自己の認識で完結する。他者の体験談は受けた感触や口伝の良し悪しで少なからず歪んだ情報になってしまう。簡単に表するなら、鮮度が落ち、経験値が減る。経験豊かに存る、と、いう状態は、飽くまで自己の体験で実感を得たものを指している」

「あの短い言葉に、そんな深い意味が……。音羅は、そういうのにも気づいていたのか」

「ううん、全然」

 音羅は素直に応えた。「ただ、学園長の声が不思議と耳に馴染んでいい言葉だなって思ったよ。いろんなひとがいるけれど、みんなに何かしらの影響を与えているんだろうな」

「竹神音羅は直感型なんだな」

 鷹押が仄かに笑む。

「変、ですか」

「直感は経験から成る。武芸に大切なセンスの一つ。大事にすべきものだ」

「アドバイスありがとうございます」

「弟に貴重な体験を。こちらこそ、感謝する」

 音羅と鷹押がお辞儀し合うと、観ていた知泉が口を開いた。

「鷹押お兄さんって、案外いいひとなんですね。上から目線でなんて嫌なひとなんだろうって最初は思いましたー」

「それは、すまん。どう話すべきか考えると、家族相手のように話してしまう」

「悪意がないのは解りました。威圧的に感じたのは身長のせいだったってことです〜」

「それと、兄貴は考え事をしているときが一番恐い顔をしているからだと思うぞ」

「あははっ、そう思うとなんか可愛く思えます〜」

「それはなぜかたまにいわれる」

 鷹押が真顔で頰を掻いた。「自分ではよく判らない。可愛いというのは、竹神音羅のような女性に使うべき言葉のように思う」

「『ん』」

 知泉と虎押の唸りが揃った。次に、二人は鷹押と音羅を何回か見た。

「兄貴、今のはフラグ立てかなんかか」

「オレにプログラミングの技能はない。なんのことだ、虎押」

「鷹押お兄さん、それ、回避がちょっとわざとらしいですよ」

「ふむ。よく判らないが、判り次第、改善しよう」

 にまにまと笑っている知泉と虎押、対して真顔の鷹押。三人を眺めた音羅は、

 ……みんな仲良しみたいでよかった。

 と、にこにこしていたのだった。

 鷹押が教員のもとへ向かうと、虎押が音羅に訊く。

「なあ、音羅。もしかして、っていうか、もしかしなくても、廊下での注意の声って兄貴のものだったのか?」

「えっ、鷹押お兄さんの声だった」

 と、知泉がびっくりした。

「たぶん、そうだと思うよ」

 と、答えた音羅だが感覚的なものだったので鷹押の声と断言できるわけではない。ただ、鷹押の声を聞いたとき、聞いたことのある声だと感じたのは間違いない。

「オレでも気づかなかった声を、よく気づけたな。どうして言わなかったんだ」

「確証がなかったからね。──」

 鷹押に思考の流れを伝えたあとなので伏せる必要もないだろう。主謀として秘密にしておいたほうがいいこともあるかも、と、考えていたことを虎押達に伝えた。すると、虎押が苦笑ぎみに、

「全容を知らされずに手を貸していたってことか。オレはお前の手駒だったってわけだ」

「……ごめんなさ──」

「ちっちゃいなーもう〜」

 とは、知泉の言葉。矛先は虎押である。「虎押君が罰を受けるかも知れないから、音羅さんは自分が主謀者ってことを証明するための材料を隠してたんじゃないー。それでなんで責めるようなことしかいえないー、だっさーい」

「なっ、だって──」

「伝説になりたいんならちっちゃいこと気にしてちゃダメなんじゃないー」

「そ、それは、なんとなく、そうかも……?」

 押しに負けた虎押を横目に、知泉の矛先が音羅に向いた。

「音羅さんもすぐに謝るのよくないー」

「そ、そうかな。悪いと思ったら謝るべきなんじゃ──」

「距離置こうとしてるように感じるー」

「え……」

 そんな気がなかったから、音羅ははっとさせられた。

「音羅さん、案外鈍感〜」

「──うん、そうだね。知泉さん、ありがとう。そんなふうに考えたことはなかったから、勉強になったよ」

「そっか」

 への字の口が綻ぶ。「解ればよし。友達なら多少譲り合うくらいしないと〜」

 知泉が音羅の頭を撫でると、戻ってきた鷹押を加えて四人で話が弾んだ。

 ……譲り合う友達、か。

 学園に来て何時間も経っていないのにいくつも大きなことを学んでいる実感を得て、音羅は感激していた。以前、学園に行かなくてもいいと母に言ったことがあったような気がするが、音羅はそのときの自分を反省した。

 ……学ぶべきことが、きっと、まだたくさんあるんだろうな。

 継承記憶。両親のくれたそれが薄れているからには、余計に経験が必要になるだろう。みんなと話していると知らないことを次次聞けて、時間があっという間に過ぎてゆく。家で家族と話すのは愉しかったが、比較することのできない愉しさがここにもある。それだけで、音羅は学園に来たいと思ったのである。

 

 

 じりじりと照りつける真昼の日差。帰宅した音羅達を出迎えたオトは、学園での様子を聞いた。

「面白そうで何よりだ。部活申請はしたん」

「したよっ。わたしは格闘部。いろいろ教えてくれるっていう鷹押さんが手続きも手伝ってくれたんだよ」

「優しい先輩に逢えてよかったな。納月は」

「園芸部でしゅ。学園内外の花壇や樹木を世話するみたいでしゅよ」

「ツッコミ担当のお前さんにぴったりやな」

「植物にツッコむ自分を想像したくは、って、ノリツッコミなんてしましぇんよっ」

「お見事」

「嵌められましたぁっ」

消音器(サイレンサ)なんかを装着せん場合に銃声で痛めた耳を休ませるにもいいわな。子欄は」

「わたしは帰宅部です」

「ふうん。気になる活動がなかったか」

「園芸部以外で武芸の絡まない部活はないようでした」

 第三田創は白兵学園などと呼ばれるほど武術特化の学園。部活動でも魔法などは不人気で、普通科に属する文系・理系・調理・裁縫など多くの部活は存在すらしない。

「子欄なら魔法研究部とかでエースになれそうなもんやけどな」

「ご冗談を。魔法を極めるなら別の学園へ移ります。武芸は弓術科の授業で充分ですし、お母様はほとんど教えてくれませんが魔法の勉強なら家でするのが効率的です」

「そっか」

 それを効率的とはいわないが、オトは子欄の選択を認めた。尤もらしいことを言って部活動をしない理由を濁した子欄が何を考えているか、読心の魔法を使わずともオトはお見通しである。音羅や納月が武芸に励めば体操着や道着などの洗い物が増える。洗濯はオトかララナの仕事だが、ララナは家庭教師の仕事を始めたため消去法的にオト一人の仕事となる。ところが男一人の世帯だ。対して洗い物は女物ばかり四人分。当然肌着もあるし、子欄は一番遅く生まれた割に精神の成長が早いので自分の洗濯物のにおいなども気にしている。「父親に洗濯させるのは忍びないし恥ずかしい」と、いうのが子欄の気持なのだ。もう一箇月も経てば「さわられたくない!」という嫌悪を含んだ気持に変わるだろう。オトはそれを歓迎したい。

「いつまでも制服を着とるのはいかんな。ハンガに掛けとかんとね」

 と、オトはテーブルに頰杖をついて言った。

「そうだね、ご──、っと」

「ん、どうした音羅」

「ううん、なんでもないよ。なっちゃん、しーちゃん、急ごう」

「あわっ、ちょっお姉しゃままだ早いでしゅっ、襖、襖を閉めないとっ!」

「わたしが閉めます」

 寝室に入っていった三姉妹。殿(しんがり)の子欄が左右から襖を閉じた。

 朝の着替えはなんだったのか、音羅はまだまだ幼い。先輩雛菊鷹押が音羅を気にしているようだが、はて、通ずるかどうか。成長早き娘。数箇月も経てば、状況が変わるか。

 オトは冷蔵庫で冷やしておいた牛乳プリンを取り出し、人数分をダイニングテーブルに置いた。

 音羅達を待つオトは、席に戻って天井を仰いだ。魔力探知レーダならともかく並の人間では探知できまい。上空数百メートル辺りを、魔力を放つ何かが高速で東へ飛んでいった。今年元日、テラノア軍事国が核弾道ミサイル発射を予告した。対象国を明らかにしなかったものの、事実上、ダゼダダに対する宣戦布告であった。防衛のため、ダゼダダ警備国家は相末防衛機構開発所に最新鋭の地対空ミサイル開発を要請、それがただちに製作されて試験発射が幾度となく行われている。先程上空を横切ったのは、魔力の安定性や飛行速度から観て最新鋭の魔導防衛機構、地対空ミサイルだ。

 ぱっと襖を開けて音羅が駆け出ると、納月と子欄が後ろを歩き、それぞれの席についた。

「牛乳プリンっ。食べていいの」

「お母しゃまが作っておいてくれたんでしゅか」

「お母様のとは少し趣が違いますよ」

 三者三様。

「あ、もしかしてパパの手作り」

「お父しゃまのっ」

「お父様──」

 熱心な目差もどこか似て、どこか違うもの。

 オトは頰杖をついたまま応えた。

「俺にそんな意欲があると思うか。市販のやよ」

「そうなの……」

 オトの無気力をララナの次に知っているのが三姉妹。残念そうな空気が立ち込め、音羅ですらスプーンを持とうとしない。

「既製品、舐めとるやろ。焼きそばしか焼かんような俺が作るよりよっぽどたくさんの人間が関わって知恵を絞って作っとるんやからうまいに決まっとる。暑い中、汗と一緒にミネラルが抜けとるはずやから早く食いぃ。蜜柑も忘れたらあかんよ」

 ララナと暮らすようになって財力が安定してからではあるが、竹神家のテーブル中央には蜜柑の山も必ずある。デザートや蜜柑を各人に渡すのはクムの役割である。

「はい、皆様どうぞ、食べてください」

 うんしょ、うんしょ、と、自分の胴より大きな蜜柑やデザートを抱えて運んでくれたクムの手前、娘が手をつけないなんてことはない。

「それじゃあ、いただこうか、なっちゃん、しーちゃん」

「『はい……』」

 葬儀参列者のような顔でスプーンを持って食べ始めた三姉妹であるが、

「ん〜、程良い塩味、おいしいっ」

「斬新でしゅが、確かに」

「おいしいですね……」

 感動して次の一口に進んでゆく。

「だからいったやろ、最近の既製品を舐めんな。蜜柑もうまいよ、味見済みやから保証する」

 言うと立ち上がってオトは玄関へ向かった。狭いホールにやってきたと同時に、

 ピンポーン。

 呼鈴が鳴った。オトは解錠して扉を開けた。立っていたのは、初等部時代の同窓生相末学。相末防衛機構開発所所長の子息で、所に就職はしていないが多少の影響力を持っている人物である。唐突に深深とお辞儀するところが彼らしい。

「こんにちは。すみません、次の日曜はお訪ねできないと思って前倒しで来ました」

「俺が来てっていった憶えはないし勝手にして。で、なんか用なん」

「いつも通りの雑談です。と、いっても今日は少しだけ開発所の状況も持ってきました」

「そうやって済し(な )崩し(くず  )(てき)に防衛機構開発に荷担させるんやね。見え透いとる」

「あ、その、そんな意図はありませんでした。ぼくの意見が少し通って開発の進展に繫がることが嬉しくて、それを伝えたくて……」

 一見すると自信なさげで情けない相末学だが、他者を思いやる心を常に持っている好青年。そんな彼を知っていて、オトは突き放している。

「あ、やっぱり相末さんでした」

 音羅が奥から出てきて、「こんにちは」

「音羅さん、こんにちは」

 相末学が音羅に優しく微笑みかけた。ここ数箇月毎週訪れていた相末学は、音羅がオトの娘であるという信じがたい事実も気味悪がることなく受け入れている。

「音羅さん、何か食べているんですか」

「塩味のある牛乳プリンですっ!」

「塩味の──」

「相末さんも食べますか」

 音羅が牛乳プリンをスプーンで掬って、「パパがいうには汗と一緒にミネラルがなくなっちゃうから食べたほうがいいんです」

 音羅がスプーンの先を相末学に差し出すので、オトはその手を摑んで(つか    )止めた。

「それはお前さんが食べぇよ」

「でも相末さんも、っ──」

 目線で音羅を制して少し下がらせ、

「分け与えるのはいいが、無礼に当たることもある」

 オトは相末学を振り向く。「水分は持っとるよね」

「はい」

 保冷袋に入った飲料を音羅に見えるように掲げて、相末学が笑った。

「ほら。相末君は自分の身を自分で守れる。必要かどうか質問したまではいいが、答を聞いてから行動に移れ。今のお前さんの施しは、相末君を侮った軽率な押しつけだ」

 叱られた音羅がスプーンを容器に戻してしゅんとした。

 相末学が音羅の目線に合わせて口を開く。

「音羅さん、心遣いをいただきます。その牛乳プリンはお父さんの気持ですから、最後まで自分で味わってください。そのほうがぼくは嬉しいですし、お父さんもきっと嬉しいです」

「(──。)音羅、来客の前で立ち食いするのもどうかね」

「あ、……ごめんなさい。相末さん、外で大丈夫ですか」

「音羅さん、ありがとう。大丈夫です、ダゼダダ生まれのダゼダダ育ち、暑いところには慣れています」

「ぬるくなるとまずくなるから、早くダイニングに戻りぃ」

 と、オトはさらに言った。

 音羅が相末学に一礼してダイニングに引っ込むと、オトは相末学の汗だくの顔を見やる。

「よくもまあ見え見えな噓を。暑いのに慣れとるとか、バカなん」

「あはは……、さすが竹神さん、やっぱりバレますよね」

 ダゼダダの暑さに慣れられる人間がいたら、人類はとっくに太陽光を撥ね退けるような遺伝子的進化を遂げているだろう。騙されるのは音羅だけ。とは言え、

「さっきは相末君の機転に助けられたといえなくもない」

「牛乳プリンのことですか」

「最後まで味わえ。心を養うには、心に与える栄養の質を高めるのが一番だ」

「当然のことをしたまでです、と、いいたいんですが、その、思ったことを口にしただけでした。すみません……」

 それがまるで優れた対応ではないとでもいうように羞恥する相末学。初等部時代から彼は変わっていない。

 この手合(てあい)がオトは苦手である。妻ララナもその一人。馬鹿がつくほどにまじめで、ともすれば利用されてしまう廉潔な人種。彼らを貶めることは、オトには難しい。

 玄関扉は開いたまま。室内に蒸し暑い空気が押し寄せては無駄な()()が掛かる。

「上がれとはいわんが中に入って扉を閉めてくれへん」

「入っていいんですか」

 相末学が思わず確認するのは、オトがこれまで一度も入室を許さなかったからである。オトは当然()()で応ずる。

「暑い。早くしなさい」

「あ、は、はいっ」

 慌てて玄関扉を閉めた相末学。「竹神さんの丁寧口調、なんだか懐かしいです」

「んなもん懐かしむな」

 相末学と出逢った初等部進学当初、オトはみんなに敬語で話しており、親しくなったあとは訛りで話した。

 相末学に取ってオトとの出逢いは運命的だったらしい。

「ぼくは当時から竹神さんを尊敬しています」

「一〇歳で犯罪者の俺を。碌な大人になれんな」

「そんなことは決して。だって、竹神さんは今、とてもいい親になっていますから」

「どう観たらそんな好意的意見を」

「音羅さん達の深いところを見守っているって判るからです」

 即答。考えなしの意見などではなく、彼が導き出していた一つの見解だ。廉潔な人間は相手の清き心を容易く見抜く。あるいは悪人の心すら清き心へと引き寄せてゆく。

 オトは動ずることなく切り返した。

「なるほど。今後他人(たにん)を騙す際の参考にしよう。で、成果とやらの話はどうした」

 相末学が音羅の成長に一役買ってくれた。密かにお礼をしようと、オトはホールの壁に寄りかかって防衛機構の話を振ったのである。

「あ」

 と、ぼんやりした相末学が、覚束ない(おぼつか    )所作(しょさ)で鞄から一枚の書類を取り出した。

「これがぼくの提案した防衛機構の草案です。一部が画期的だといわれて採用される運びになりました」

「ふむ」

 防衛に特化した魔導機構の設計図。材質や構造を記した断面図が描かれている書類だ。

「さて、済し崩し的に荷担させたのはしめしめとして、部外者、それも国外への情報漏洩に荷担しとった国賊の甥に当たる俺に、草案とはいえこれを観せていいん」

「う、えっと……、秘密にしてくれませんか」

「秘密の共有による親密度アップ作戦か。なかなかテクニシャンやな」

「えっ!そんな意図なかったですよ」

()()()()。今、その意図が()()()わけだ。邪念やな、相末君」

「す、すみません、少しだけ、昔みたいに仲良くなれているかも、と、思ってしまって……」

「どこからツッコんでいいか判らん」

 どこまでもピュアな彼に調子を崩されそうなので、オトは図について触れることにした。

三竦み(さんすく  )の精霊結晶を用いた駆動機関か。光闇や聖死のような対立属性円環型駆動機関が普通だが、なるほど、これは魔力流動の加速が単純計算で一・五倍、と。起動・発動・再発動までを格段に早める画期的な仕組やな」

 条件次第で無魔力でも起動できる魔導機構は汎用性が高い。一方、起動・発動・再発動までの時間が魔導機構の基本的な仕組に依存しているため、仕組が劣るとどんなに強い有魔力でも効力の発動にもたつくことになる。駆動機関の仕組を改良することは国全体の魔導機構を改良することと同義で、ダゼダダ全体の防衛力増強にも繫がる。駆動機関は対立属性によるものが世界的に用いられているため、この改良が実現すればダゼダダの魔導技術水準は世界最高に押し上げられるだろう。

「手に入りやすい炎・氷・雷属性の精霊結晶を用いることで量産が比較的容易です。警備府からの要請であるダゼダダ全土への配備にも応えられると考えています」

「一・五倍って計算は荒すぎるけどな」

 オトの指摘に、相末学が息を吞む。

「……ぼくは、採用されてから知りました」

 相末学がこのアイデアを思いついたと、オトはそもそも思っていない。アイデアの主には想像がついたのであえてツッコまず話を進めることにした。

「雷、氷、炎、雷って感じで魔力が流れれば円環型駆動機関として成立するし理論上可能。けど、この三属性は完全な三竦みじゃない。対立属性である雷・炎、雷・氷、氷・炎が衝突すると魔力流動の氾濫、謂わば魔導の暴走が起こるし、各対立属性が別属性を経由することで余計な負荷が掛かって衝突・暴走の可能性を高める。この設計図通りの駆動機関は欠陥品になる」

「はい、各属性の精霊結晶が持つ魔力を正確に一対一対一にしなくては。自然の精霊結晶にそのような比率は存在しにくいので、精霊結晶を削ることも考えなければならないんです……」

 希少な精霊結晶をわざわざ削ってしまうことは憂慮すべきだがそれ以前の問題なのだ。円環型駆動機関というのはある程度の負荷が発生することを計算した上でその負荷に耐える設計も必要になる。三属性を用いる駆動機関が実用化しないのは、発生する負荷で駆動機関が壊れてしまうという課題をクリアできていない。ゆえに、二属性の対立属性円環型駆動機関が普及し、それ以上のものが開発されもしない。相末学は魔導についての知識がまだまだ身についていない。

 オトが語るのはここまで。ここは、開発所でも会議室でもなく、竹神家だ。

「所の上のひとがちゃんと計算しとる。その上で設計図を改良して製作方に回すやろう。採用されたのは飽くまでアイデアで草案そのものじゃないことは知っとるんやろ」

「はい。ただ、自分でも理解しておきたいんです」

「俺の知識に頼るな。自分で調べてから来い」

「そう、ですね……、甘えがありました。すみません」

「謝ってばっかやな」

「すみま──、すみません」

「もういぃて」

 オトは相末学の低姿勢を評価している。「ケチだなとか思わず自分の姿勢を省みるは相末君の美点やな。初等部のときも最初に謝りに来たし──」

「なんのことですか」

 相末学の不思議そうな顔を観ることもなく、オトは微笑を作る。

「ああ、あれは相末君のことじゃなかったな。(くだん)の反省を活かすといい」

「はい、頑張ります」

 握り拳を作って気合たっぷりでうなづいた相末学を見送って、オトはダイニングに戻る。

「眩しいね、まったく」

「なんですか、突然」

 と、子欄が牛乳プリンのスプーンを置いて言った。

「ダゼダダの日光は俺の眼にはキツイと思ってね」

「お父しゃま、カーテンを開けておくの、まだ慣れてないんでしゅね」

引籠り(ひきこも  )にはキツイんよ、日光と運動と前向きさは」

「概ねひとに必要なものです。音羅お姉様には全て必要でしょう」

「うん。明るいと元気が出るし、運動すると体が温まるし、前向きだと歩きやすいからね」

「俺の娘とは思えん積極性やな」

「えっ!わたし、パパの娘だよね、違うわけないよねっ」

「焦燥して訊くな。褒めたつもりやよ」

「お父様、伝わっていないと褒め言葉も無意味です。それに、今のはまるで義理の娘に対するかのような発言で聞捨て(ききず  )できませんよ」

 子欄の指摘は適切だ。

「それもそうやな。改めよう。音羅は羅欄納の娘らしく積極的で俺には似とらんだけやよ」

「半分嬉しいけれど半分嬉しくないよ」

 音羅が悲しそうに牛乳プリンを食べた。その様子を観て、オトは席についた。

「三人とも食べんの遅いね。俺がここにおらんくても食やいいのに。本当はまずかったか」

「だって、」

 音羅がぱっと明るくなった。「パパの愉しそうな声が聞こえてきたんだもの」

「ん、愉しそうとは」

「相末さんと話すときの声はいつもと少し違う気がするから、パパ、愉しいのかなって思っていたんだ。違ったかな」

 蜜柑の山でクムがにこにこしている。

「愉しいんかもね。羅欄納以降も迷惑な来客がおるんやから不愉快極まりないわ」

「しょれを愉しいと表現しゅるのはドMっぽいでしゅね」

「隠れドSの納月にはウケがいいか」

「デコピンの構えでいわないでほしいでしっ」

 涙目の納月を脅かすのが、オトは本当に愉しい。

「男というのは暴力的なもんだ。古来より狩りは腕力に優れた男の仕事ゆえな」

「パパはインドア派じゃなかったかな」

「それはそれ。これはこれ」

「よく解らないよ、その切返し(きりかえ  )

「音羅の肌が弱いんよ。精進しろ」

「う〜ん、肌。どういう意味だか解らないよ」

 オトは不合理で理不尽なことを言っているのだから音羅の受け取りこそ普通である。

「ともかく、早く食べて」

 オトは席を立ち、「お風呂沸いとるから、あとで入ってね」

「あれ、お父様どちらか出掛けるんですか」

 子欄の問に、オトは手を振った。

「現代の狩りだ。いってきます」

「『いってらっしゃい』」

 娘の声を背に、オトは外へ出た。

 やることが多い。本当に。

 眩しい世界では動きたくなくなる。動かなければならないから動くしかないが、自分が動かなくてもいいならオトは絶対に動かない。優しい月明りが、待ち遠しい。

 

 

 

──三章 終──

 

 

 

 

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