二章 異端の園
制服姿の三姉妹は目立った。
小さいながら飛び抜けて明るい雰囲気の音羅。サイズ通りの制服なのに苦しそうな胸を揺らす納月。微風に靡く長い黒髪とお淑やかな立ち姿の子欄。
髪色や髪型、体格の幅広さでも目立ったが、彩雲も霞むような美しい姿の三人が並んで歩いていることが、目立つ最たる理由だろう。
「──『可愛いですよ』と、お母様が褒めてくれたのは嬉しかったですが……」
「お父しゃまがゆってたことの意味が少し解った気がしましゅね……」
子欄と納月がそれとなく周囲を示して音羅を振り返った。
「『お前さんらはいろいろ目立つから対応には気をつけろ』って言葉のことだよね」
細かいことを気にしない音羅も、見知らぬひとから向けられる目差の数数は何事かと警戒しないでもなかった。
……敵意はないから大丈夫かな。
第三田創魔法学園高等部、略して第三田創に向かう道すがら、同じ制服を着た生徒が前後や向いの歩道にちらほら見えており、多くが音羅達をちらちらと、あるいはじっと見ている。歩く距離が長くなり、学園が近づくにつれて生徒の数が増えると目差も増えた。
「お母様の贔屓目がじつは正しくて、わたし達は容姿で目立っているということなんでしょうか」
「お母しゃまは親バカなので、その考えは間違ってましゅよ、たぶん」
「後ろ向きに考えたらもったいないよ。なっちゃんもしーちゃんもすっごく可愛いもの」
音羅は納月と子欄の手を握ってにこにこと笑った。対して苦笑ぎみなのが納月である。
「わたし達の入学は試験後、公に知られてると思うんでしゅ。だとすると、『竹神』の名前だけで顔が出回ってるんじゃないでしゅかね」
「電子世界の情報ネットワーク、インターネット略してネット。そこでわたし達の情報が出回っていて、お父様の悪い噂と関連づけた憶測が飛び交い、この数の目差に繫がっている。そう考えると辻褄が合いますね」
頭のいい二人の言葉を切り捨てることが音羅にはできなかったが、
……そうかな。
と、首を傾げた。
目差は興味を示しているようで、どちらかといえば好意的なのである。音羅達は父の悪評を詳しく知らないが──、悪評とは忌み嫌われるようなものだろう。悪評と関連づけた好奇の目であるならもっと批判的で敵意を孕んだ目になるのではないか。
「なっちゃんとしーちゃん、二人とも可愛いと思うけどなぁ」
「それをゆうなら──」
「──同意見です」
納月と子欄が目配せし、音羅のツインテールを撫でた。
「えっ、何、何。なんで二人して撫でるの」
「お姉しゃまはいつも明るく元気で可愛いと思うからでしゅ」
「闊達で思慮も利きます。それでいてこんなに小さくて可愛いんですから、羨ましいです」
「なんだか子ども扱いしていないかなっ、って、いうか、可愛いってそういう意味」
「しょれも含みましゅ」
「それも音羅お姉様のよさです」
「なんかヒドイっ」
音羅は二人の手をそっと下ろして、「一番小さいのは事実だから仕方ないけれど、本当は二人より大きくなりたいんだよ、お姉さんらしく」
「お姉しゃま、牛乳をたくさん飲んで跳びはねるような運動も無駄なくらいしているのになんで大きくならないんでしょうね」
「対してやや運動不足の納月お姉様は胸も大きくなりましたし、まだ成長するようなら卒業までに何回か制服を買い替えないといけなさそうですね、既にそんなですし──」
「しーちゃん、胸に手を当てて考え事。やっぱり学園生活で不安なことがある」
「あ、いいえ、わたしもちゃんと牛乳を飲んでいるのにこの差は、と……」
「そこなんだ」
子欄は納月との成長差を感ぜざるを得ないようであった。身長差を毎日のように感じている音羅であるから、自分を納得させる言葉の一つや二つは簡単に浮かぶ。
「ひとはみんな完璧じゃないよ」
納月と子欄が耳を傾けた。
「欠けていることのほうが多いし、それは自分で思っている以上に多いと思う。ひとと比べて劣ると感じるところより、ひとと仲良くなれるようなところに目を向けたほうがいいね」
「音羅お姉様、」
「さすがでしゅ」
「たぶんパパ達の記憶の受け売りだよ」
自分の言葉は浅い人生経験から紡がれたのではなく、父や母の記憶から導き出したものだと音羅は思っている。ただ、継承記憶は薄れつつあってそのまま口にしようと思ってもできないし、自分が正しいと思うことしか言わない。
目差がやまないまま。歩道を北へと歩むこと十数分、第三田創の校舎が一般家屋の陰から姿を現し、同時に、
「『──』」
三姉妹は思わず脚を止めた。継承記憶の奥底に眠る郷愁。それのみではない。観る者に新たな生活を思わせる春色は、多くの生徒の目に確と留まって溜息を誘う。
サクラジュ。桜色綻ぶ艶美なる樹木。歩を進めると、学園の正門から本館校舎へ続く歩道両脇を伸びる見事な満開。脚を止めそうになるのを怺えて仰ぎ観ると、風に舞った彩りと香りに包まれた。
「……綺麗だね、すごく」
「はい、お父しゃま達の記憶にある光景が鮮明に蘇りしょうなほど」
「こんなに鮮やかだったんですね……。足下も、花畑のようです」
集まった目線が気にならないほどに、サクラジュのアーチは三姉妹の胸を高鳴らせた。
「と、お姉様方、わたし達が向かうべきはあっちのようです。案内している先生がいます」
「サンドイッチマンだね」
手書きの案内板を正面と背面に下げて歩いている、教員であろう。案内板には、〔新入生は体育館北の『別館』へ〕と、書かれている。
「体育館の北。アレでしゅね」
試験のときに一度来ているので、大まかに場所が判っている。納月や子欄の言葉も頼りにして音羅は先頭を行く。
サクラジュのアーチを抜けて体育館を右手に歩くと、渡り廊下で体育館と繫がっている別館が見えた。正面奥に本館校舎、本館校舎の手前にグラウンド、グラウンドの西奥には五〇メートルプールがある。ところどころに置かれた鉢植えやプランタにも花花が咲き揃っており、彩りや香りに満ちた学園である。
花弁の絨緞がまばらになると、別の案内板を下げた教員が佇んでおり、別館に新入生を誘導していた。誘導に従って西口から別館に入ると上履きに履き替え、仄暗くも仄明るい廊下を、ほかの生徒の流れに乗るようにして歩いた。下駄箱脇の踊り場前に掲示板。掲示板前には廊下が伸び、新入生と思しき制服姿の少年少女が体育館方面である南から順に列を作っている。来るのが遅かったか、音羅達はかなり北のほうだ。
列前方から大きな声が響いてくる。
「繰返しになりますが、入学式のため体育館に入ります。次の指示があるまでここで待機。私語はほどほどにして、静かに待つように」
……大きな声だなぁ。
姿は見えないが教員の指示だろう。武術を教える学園だけあって声が力強く反響していた。
音羅達の後ろにも生徒が列を成してゆく。
「なんだか窮屈になってきたね」
「新入生は毎年一五〇人前後ということでしゅから、もっと増えしょうでしゅね……」
「なっちゃんは人込みが苦手だよね。大丈夫」
「まだなんとか。お姉しゃま達と離れたら倒れるかもでしゅが……」
頭が揺れている納月を音羅は子欄と支えた。
新しい制服とたくさんのひとのにおいが入り混じった廊下は、テレビで観た満員列車に少し似ている。朝から姿を消しているプウがいま現れたら火の粉で大騒ぎになりそうだ。
「うぅ……、もうダメかも……」
と、首を垂れる納月を観る傍ら、音羅はふと刺さるよう視線を感じて振り返った。
……なんだろう。気のせい、かな。
列の後ろへ向かう生徒が横切るが、音羅に目を向けているのは最寄の女子生徒くらい。
「ねぇ、ねぇ、君も新入生〜」
目が合った拍子にその女子生徒が気さくに声を掛けてきたので、音羅は笑顔で応えた。
「そうだよ。あなたは」
「もっちろん新入生〜。ここの制服、田創の高等部じゃかなり可愛いから憧れてた〜」
「そうなんだ。わたしより身長が高くて恰好よく着こなしているね」
「ありがと。君もツインテとかと合ってて可愛い。でも君ってなんか初等部の子みたいにちっちゃい〜」
「よくいわれるよ」
「体も細いし、脚もすっごく細くて、ちょっと羨ましいかも」
女子生徒は音羅より頭一つ分ほど身長が高い。特別太ったふうでもないが納月をよりグラマにした体型といえる。スカートの腰を折っているのか裾が少し短く、脚が長く観えた。
「あなたはテレビのひとみたいにスタイルがいいよ。運動したりしているんだよね」
「うーん、あんまり続かなくて、あはは、じつはリバウンド中……」
肩を落として言った女子生徒は入学式当日とは思えないほど落ち込んでいる。
「無理は精神的によくないから我慢せずに食べたいものを食べて、その分、動き回ったり頭を使うのがいい、って、聞いたことがあるよ。わたしも大体そんな感じだから間違っていないと思う。替りに身長が伸びないような気もするけれどね」
「それありそうっ。でもそっか、そうなんだ、ちょっと気が楽になった〜」
などと、初見の相手と雑談することになるとは思ってもみなかったから、音羅は学園生活で早速の初体験である。
次いで音羅に声を掛けたのは、女子生徒の横に並んでいた男子生徒である。
「お前、飛級してきたのか?」
と、いう質問だ。
……さっきの先生の声に似ているなぁ。
廊下に入ってから聞こえた教員の声だが、男性だからだろうか。引籠りの父とは異なる、日頃鍛えていそうな力強い、低い声である。
「話が聞こえていたんだけど、小さいだけで満一六歳ってことか?」
「ううん、まだ一歳にもなっていないよ」
と、音羅は正直に言った。三姉妹はやや日を跨いで生まれたが、生後数箇月という括りならば同じである。
男子生徒がまともには受けない。
「っはは、冗談にしても零歳ってことはないだろう。で、何歳なんだ。利発そうだけど顔立ちとか幼いし、一二歳くらいか」
「ううん、本当に零歳だよ」
「いや、いや、そんなわけ──」
男子生徒がはっとした。「もしかして、お前が噂の大型新入生か?」
女子生徒が目を丸くした横で目をきらきらさせた男子生徒の言葉に、音羅は引っかかった。
「大型。わたし、小さいよ」
「身長のことじゃなくて、噂になっていたんだ。試験を受けて先月入学を許された三姉妹がいるって。ここって武術がメインの変な魔法学園だからさ、面接だけで入れるってのが売りなんだよ。わざわざ試験なんか受けて入る生徒はいないから、どんな実力者が入ってくるのかって在校生の中でちょっとした騒ぎだって、うちの兄貴がいっていたんだ」
どこからか情報が漏れたか。携帯端末を一人一台所持しているのは当り前、インターネットの発達した現代でひとの口に戸は立てられない。三姉妹の存在を知っている教員が在校生や家族に伝わるような場所で口を開いたということだろう。一番疑わしいのはやはりインターネットでの書込みだ。
「わたし達のことって、お兄さんからどんなふうに聞いているの」
「将来有望な武芸者じゃないかってのが第一だけど、『頭もいいんだろうな』って兄貴はいっていたよ」
「そうなんだ。わたしはアレだけど、こっちのなっちゃんとしーちゃんはすごいよ」
「えっ、その……二人が残りの姉妹ってことか」
男子生徒がどぎまぎしている。
「可愛いでしょう。自慢の妹なんだよ」
「──へー、妹なんだ」
とは、先程の女子生徒が言った。「同学年ってことは三つ子なんだよね。一卵性じゃないのか、見た目似てないー」
「わたし達、三つ子じゃないよ」
と、音羅はやっぱり素直に言った。「生まれたのが一箇月間隔くらいなんだ」
「も、もしかしてすごく複雑な家庭なのか。すまない」
男子生徒が目を逸らしながら。女子生徒も、
「不躾なこと訊いてごめん」
と、申し訳なさそうに謝った。
それが恐らく普通の対応であろうことは音羅にも判ったが、二人が想像するような複雑な家庭ではないので気にしなかった。
「謝らなくていいよ。わたしも妹も幸せだからね」
ぐったりしている納月と納月を支える子欄がそれぞれうなづいたので、二人の同級生が明るさを取り戻した。
「このご時世だし、普通の家だっていろいろある〜。君達が幸せなら、その形がなるべくしてなった自然の形だった〜」
「外見は似てないけど、ちゃんと仲がいいって判るもんな。両親の巡り合せとか、お前達のソリとかも合っていたんだと思う」
同級生の笑顔と言葉が、音羅を誇らしい気持にさせた。
「二人がいってくれたみたいに、いい巡り合せで自然な形になったのはきっと間違いないよ」
父と母の出逢いがあって生まれた。それが三姉妹共通の認識であり、幸せの源である。誤認が発生しているようだが多少なりとも理解してもらえて誇らしく思わないはずがなかった。
「そうだ、まだ名前訊いてなかった〜。あたしは泉を知ると書いて知泉ココア。ココアは好きだけど苗字のほうがカッコいいから苗字で呼んでくれると嬉しー。好きなことは食べ歩き、好きなものは甘塩っぱい食べ物やデザート。ちなみに格闘科専攻だから、そっちで一緒ならよろしく〜」
と、女子生徒改め知泉が挨拶すると、「オレも名乗る」と、男子生徒も続いた。
「オレは虎押、雛菊虎押だ。呼び方は任せるよ。そっちの、知泉だっけ?」
「そうっ、知泉、知泉〜」
「知泉と同じ格闘科専攻。好き嫌いは特にないけど、そう、米が好きだな、特にダゼダダ産のは格別だと思うぜ」
「あはは〜、農家のひとみたい〜」
「いっ、そうかな。と、とにかく、よろしく」
同級生二人の自己紹介が済んだので、音羅達も自己紹介する。
「わたしは竹神音羅。好きなものは家族と食べ物全般っ。知泉さんと虎押さんと同じ格闘科専攻だよ、よろしくね。次、なっちゃん行けるかな」
「う、み、右に同じく納月でしゅ……。今はこれだけで勘弁……」
「酔っているのか」
と、虎押が納月を覗き込む。
「なっちゃん、人込みが苦手だからね」
「オレ、隣町から列車で来たから乗物用の酔い止めならあるけど飲むか。効くか判らないけど水なしでも飲めるタイプだぜ」
「やっさし〜。君って気が利く」
「たまたまだよ。『持ってけ〜』って、母さんに押しつけられた。オレは使わなかったんだけど、役に立ちそうだな」
知泉が煽てると、照れ笑いを浮かべた虎押が通学鞄から酔い止めを取り出して音羅に差し出した。
「はい。用法によれば一錠で効くみたいだ」
「虎押さん、ありがとう」
酔い止めを受け取った音羅は、納月の口に入れてあげる。「なっちゃん、飲んで」
「んむっ……」
「しばらくしたらよくなるよね」
「乗物用だけどな」
と、虎押が念を押した。「効かなかったら悪い」
「薬をもらえただけで嬉しいよ。ね、なっちゃん」
「はいぃ。ありがとうごじゃいましゅ……」
「どういたしまして。と、自己紹介が途中だっけ。そっちの子は」
促された子欄が会釈した。
「音羅、納月の妹で、子欄といいます。専攻は弓術科です。よろしくお願いします。……」
「……。おぉ、それだけっ」
と、知泉がツッコんだ。「好きなものとかはある〜」
「好きなものは……特にないですね」
「なるほど、なけりゃ話しようがないな」
と、虎押が微笑した。「じゃあ逆に苦手なものとかは。知泉はココアだったよな」
「飲物のほうは好きだけど名前はちょっとー。子欄さん苦手なものある〜」
「それも特には。ただ、一般的な術者は好きになれませんね」
子欄が言う「一般的な術者」とは、魔法を使うだけ使って自然の魔力環境を顧みない者のことであるが、知泉と虎押はそれぞれ別の捉え方をしたようである。
「魔術士って魔力があるだけで威張り散らしてる印象強いから好きになれないの解るー」
「それだけならまだいいさ。オレみたいな無魔力の人間を下に観てる感じが一番腹立つぜ。同じ人間なのにな」
「それいえてるー。まあ、魔術師の仕事のほうが社会の役に立つことは多いし、魔術師の卵たり得る有魔力のひと達が優遇されてるのも解らないじゃない、個人の感情はさておきー」
「だからこそ、この学園に来たんだけどな」
「だね──。親も全面的に賛成してくれてよかった〜」
「ここでなら無魔力でも力をつけることができるだろうし、差別もないらしいから、親としても安心だったんだろうな」
知泉と虎押は無魔力個体。魔力を宿していない人間なので魔法を使えない。対するは魔力を宿して生まれた人間、有魔力個体である。それらは有魔力・無魔力と略するのが一般的だ。
世界に蔓延る魔物への対抗のみならず、あらゆる仕事において無魔力以上の能力を発揮する有魔力は有益で重要視される。従って、無魔力より有魔力を求める動きが世界で長年に亘って続いている。と、音羅は父から聞いた。
……この学園は無魔力のひと達を多く募っている、とは、ママがいっていたな。
世界的にぽつぽつと現れる無魔力。就職難以前に進学難すら起きている現状、無魔力の教育を打ち出した第三田創は無魔力の生徒に取って希望であるとさえいえる。何せ、「魔法学園」と名のつく学園でそんな風変りな生徒募集をしているのは第三田創だけだという。
……進学先としては、パパらしい選出だ。
父は有魔力だが他者と掛け離れた思考や才能を有したために孤立した謂わばマイノリティ。それゆえ世界的マイノリティである無魔力に対して関心や思慮が働いた。無魔力に対する教育を主とした学園には父の求める教育があると考えて音羅達を入学させたのだろう。とは、子欄が言っていたことであるが、音羅もこうは思った。
……魔力があることを隠すのは、なんか嫌だな。
三姉妹は無魔力だと噓をついているわけではないが、魔法を使っているところを目の当りにしなければ無魔力が有魔力を認識することはできない。一方で有魔力は魔力の有無を感じ取れるため無魔力を見抜ける。社会的優位性だけでなく一方的に相手の身体的情報を得ることができる優位性はどうなのだ。などと、難しく考えることのない音羅であるが、漠然と罪悪感を感じた。
知泉と虎押は、気さくである。が、無魔力であることに何かしらの不遇を感じて生きてきたことが窺えた。そんな二人に有魔力であることを隠したくなく、
「早めにいっちゃうね」
と、音羅は切り出した。「わたし達、みんな有魔力なんだ」
指先で炎を渦巻かせて消すことで、知泉と虎押に判る形で有魔力だと示した。
目の前の魔法に息を吞んだ二人が、しばらくして音羅を向き直った。
「どうしてこの学園を選んだ」
とは、知泉が訊いた。「いっちゃなんだけど、ここの魔法科って過疎ってるって聞いた」
「わたし達、魔法科じゃないから大丈夫。なっちゃんも狙撃科だよ」
「じゃあ、」
と、今度は虎押が真剣な眼で問う。「冷やかしとか?有魔力は魔力の恩恵で身体能力が高まる。だから白兵職でもなんでも就職難にならないっていわれている」
白兵職というのは魔物に物理戦闘で対抗する職業全般のこと。その多くが無魔力で構成されているが、身体能力に優れる有魔力がなることもある。
「無魔力を募っているこの学園に乗り込んできて、いったい、何をしたいんだ?」
「入学先を選んだのはわたし達じゃなくてパパとママ、有魔力の両親なんだ。理由は聞いていないけれど、断じて、冷やかしに行けなんていうひと達じゃない。それに、わたし達にも冷やかしの気持はないよ」
納月や子欄も同じ思いであろう。
「お父しゃまは何を考えてるか判らないひとで、お母しゃまは少し親バカでしゅが、二人とも無魔力を理由にひとを差別したことはないでしゅよ」
「仮に差別主義・差別推進派であるならこちらから絶縁です。そうでない両親を持ってますから、自己分析にはなりますが、わたし達はたぶんフラットな眼を持っています」
納月と子欄に続いて、音羅は知泉と虎押に話す。
「一般的な有魔力のひと達とわたし達、違うとは思っているけれど同じ部分もあるかも知れない。だから、今後のわたし達を観て判断してくれればいいんだ。まだ会ったばかりでお互いを深く知り合っているわけじゃないもの。わたし達も無魔力のひと達がどんな思いをして生きてきたのか知らないから、いま結論しても変に溝ができて終わっちゃいそうで、もったいない、って、思うよ」
知泉と虎押を見上げて音羅は問いかける。「そういう考え方は、駄目かな」
知泉と虎押が顔を見合わせて、しばし、うん、うん、唸っていた。
「──なんか違う」
とは、知泉が言った。次いで虎押も、
「違うな、なんか」
と、言った。
腕を組んだ知泉が、窺っていた音羅の頭を撫でた。
「いやー、な〜んか、違うー。あたしが知ってる魔術士と違って上から目線じゃないしっ」
「そうかな。小さくても同級生だよ」
「一歳にもなっていないっていっていたよな」
虎押が口をへの字にして、「納月の髪色を観ていて有魔力か?とは思っていたんだけどいったいどういうことなんだ?」
「パパの魔法で成長したんだ。詳しくは知らないけれど、『子どもは無抵抗だから』ってことらしいよ」
知泉や虎押には、納月の水色の髪は有魔力の特徴として認めやすいものだったらしい。
知泉も口をへの字にして、
「納月さんや子欄さんも魔法で成長したの。生まれた間隔が狭いっていってた」
「そうでしよ」
と、酔いから少し回復した納月が言った。
「納月さんが舌っ足らずなのは赤ちゃんだからか〜」
知泉の問に、子欄が反応する。
「それは単なる癖です」
「そんなことないでしよっ。舌が回りゃにゃっ、嚙んじゃったじゃないしゅかっ」
納月が少し怒っているがまったく恐くなく、知泉が笑った。
「納月さんのソレはりょーかい。精神年齢はあたし達とそんなに差がない感じなんだ〜」
「と、考えていいと思います」
子欄が応えた。「見えないものですから比べようもありませんが」
「魔術士でも心を見せ合うとかは無理なのか。まあ、喋り方とかで頭がいいことは判った」
とは、虎押が言って、わずかな沈黙を挟んで口を開く。「オレは、お前達が今までに会ってきた魔術士と同じとは思わないから、とりあえず普通に接することにするよ」
「できるならそうしてほしい」
と、音羅はうなづいた。
知泉が音羅の頭からやっと手を下ろして、「あたしも虎押君と同じで」と、言った。
「正直いえば君達に疑いとかあんましないんだけど、こういう、差別云云とかって結論を出しにくい」
「うん、急がないよ」
音羅は再びうなづいた。「わたし達、無魔力のひと達、と、いうか家族以外のひとと話すことがほとんどなかったんだ。こうして耳を傾けてくれる同級生と出逢えたことは幸運なんだと思う。わたし達が有魔力の基準というと違う気もするんだけれど、知泉さんや虎押さんに『有魔力にも仲良くなれるひとがいるんだなぁ』って思ってもらえるように頑張るからね」
話し始めのように快くとはいかないが、知泉と虎押が応じた。
「同じ格闘科、よく観させてもらうー」
「ああ、オレも。新生活は始まったばかりでいろいろ大変だろうけど」
「まー、頑張ろー。と、めちゃくちゃ喋ってたけど……、まーだー」
爪先立ちした知泉が列の前を眺める。
入学式のため体育館へ向かうはずの列が、動かない。最後尾に回る流れがなくなっているので、新入生全員がこの廊下に集まっているはずである。
列のそこかしこから雑談の声が聞こえている。初見の者も多い中、多くの新入生がリラックスできているのはいいことだろうが。
知泉が折畳式携帯端末の画面を見た。
「八時三〇分。登園制限時刻だから、よっぽどの大物以外は集まってるはずー」
「八時五〇分に一時限目が始まるって兄貴がいっていた。在校生は始業式があるし、オレ達も入学式があるから時間割が違うかも知れないけど、時間に余裕ありってことなのか……」
音羅は体育館方面を振り向き、
「観てこようか」
「様子を観るならわたしが行きます」
子欄が納月を音羅に預けた。「少し待っててください」
「お願いね、しーちゃん」
「はい、お任せを」
緊張感がなくなって乱れている列を子欄が縫うように抜き去っていった。
「なんで『しーちゃん』」
唐突な疑問を向けたのは知泉である。
「しーちゃんの名前は子欄だからね」
「お姉しゃま、しょれでは伝わりにくいでしゅよ。知泉しゃん、要するに、子欄しゃんの名前には子どもの『子』が使われているんでしよ」
「ああっ、子の字って『し』とも読むもんね〜。それでしーちゃん」
と、知泉が納得した。
「子欄ってちょっとミステリアスだよな。口数は少ないけど、頭がよさそうで、足運びとか軽快で武術の心得がありそうだ」
と、虎押が観察。「音羅や納月の妹なんだよな」
「うん、そうだよ」
「子欄しゃんはずっとああでしゅよ。と、ゆうよりわたし達はみんな多少そうゆうところがあるかもでしゅ」
「有魔力だからか」
「ううん、パパやママの記憶を少し持っているからだよ。わたしはそうでもないんだけれど、しーちゃんは頭がいいから記憶を自分の経験として活かせているのかも」
「それはマジか」
虎押が腕組。「なんか、有魔力とかいう以前にお前らめっちゃ不思議人間なんじゃ……?」
「世の中不思議だらけでしゅよ。わたしからしゅればみんながしゅらしゅら言葉を話しぇてるのが不思議でしょうがないでしからね」
「それは訓練次第だろう」
苦笑の虎押が納月の学習を促す。「早口言葉をゆっくりやってみるとか、どうだ。アメンボ青いなあいうえお、生麦生米生卵、青巻紙赤巻紙黄巻紙、蛙ピョコピョコ三ピョコピョコ合わせてピョコピョコ六ピョコピョコ、とかでさ、練習すればいいんだ」
「虎押さんすごい、すらすらだ!」
「まあなっ、これだけは兄貴にも負けないぞ。と、納月、やってみろよ」
酔いが治まって話に集中しているからか、納月が迷わず虎押の提案を受けた。
「では行きましゅ。アメンボ青いなあいうえお、生麦生米生卵、青巻紙赤巻紙黄巻紙──」
「なんだ、結構いい感じじゃないか」
「──蛙ピョコピョコ三ピョコピョコ合わしぇてミュコポ、ぽこぽ……、ダメでしゅ、シャ行が入ると途端に無理でしゅ」
「サ行な。そこが苦手なのは間違いなさそうだけど、こういうのってどうやって直すんだ。知泉は思いつくか」
「うーん、小さいときって滑舌悪い〜。いつか自然と直る〜」
知泉が楽観的な意見を出したところで子欄が戻ってきた。「どうだった〜」
「在校生らしき生徒や教員が既に集まっています」
と、子欄が言うので、納月が驚いた。
「虎押しゃんがいってた始業式ってことでしゅか」
「いいえ。入学式の横断幕が壇上にありました」
「入学式兼始業式か?」
と、虎押が尋ねると、子欄が首を横に振った。
「入学式です。異様に静まり返ってました。一分ほど観てましたが変化がありませんでした」
「なんかの連絡ミスか。それか……」
虎押が腕組して考え込む。「試されている、とか?誰にいわれずとも自らの足で体育館に入れ、とか」
「考えすぎ〜。先生が待ってろっていってたんだから待ってればよくない〜。それに、入学式で試験みたいな真似する、普通」
「そもそも普通じゃないだろう、ここ。有魔力より無魔力を優先して集めるような学園だぞ。学園長だか理事長だかの頭のできが違うんだよ、たぶん」
「デキが違うんじゃなくて頭のネジが飛んでるんだと思う〜」
毒のある言回しはともかく、知泉の意見が一般的だろう。
虎押の見方は曖昧であるが、子欄が虎押に同意を示す。
「普通でないのは間違いないです。観てください。教員がいません」
「どれどれ〜。……確かに制服姿しか見えない。サンドイッチマンもスーツもいない〜」
知泉が跳びはねながら言った。「みんな雑談に夢中で気にしてない〜」
「音羅お姉様、どうしましょう」
と、子欄が窺った。
……どうする、か。
どうすべきなのだろう。教員が言ったことを守って待っているのは、目上の指示に従うということで大事なことだ。音羅達も父や母の言うことを守っているから普通に生活できている。社会は指揮系統が活きて円滑に営まれる。指揮系統がなくなればたちまち混乱、瓦解することもある。今回の場合、勝手に動けば入学式ひいては始業式に支障が出るだろう。脈絡もなく噓をつくことがある父の言葉は必ずしも守らなければならないものではないが──。
待っていることで状況が変わるか(?)
知泉が携帯端末を見て「八時四〇分」と言った。
……虎押さんの話が確かで一〇分後に一時限目が始まるとしたら。
入学式や始業式もそれまでに始めるか終えるかする予定ではないか。猶予は一〇分と観ていい。
緊張感の欠片もなくなっている廊下。雑談の声ばかりが聞こえて列は乱れる一方だ。
「お姉しゃま、先生を捜してみてはどうでしゅか。指示を仰ぐのがベシュトでしよ」
「そうだね、それが一番とは思う」
が、果してそうか。音羅の疑問は、何かが原因で膨らんでいる。
「先生、なんて言っていたっけ」
と、音羅は子欄に尋ねた。「待っているようにってこと以外、何か言っていた気がするんだけれど、大したことじゃなかったかな」
「はい、大したことでは。至極当り前のことを伝えていたように思います」
「内容を覚えている」
「覚えてます。『繰返しになりますが、入学式のため体育館に入ります。次の指示があるまでここで待機。私語はほどほどにして、静かに待つように。』お姉様のいうのは、私語をほどほどにして静かに待つよう、の、部分でしょう」
「ははっ、当り前すぎて忘れちゃう、そういうの〜」
と、知泉が微笑。「学園じゃよくある注意。けど先生がいないと自然と喋る〜」
そう。管理者がいないと、自然と気が緩む。音羅達に取っては父のような存在がいるか・いないかで緊張感がまるで違うのと同じである。緊張状態で居続けることが最高であるとは言わないが、──この状況だ。
「みんなが雑談しているね」
「愉しいから〜」
と、知泉が感想を述べた。「有魔力のひととこんなに話したの、いつぶりだろ。そういうの気にしないで君達とは話せてるのが不思議かも」
「それって、なんでだろう」
音羅は知泉の無意識の理由を尋ねた。「さっきもいっていたように愉しいからかな」
「そう、それも大きいけど……、仲良くなれそうだったらどんどん話題が湧くし、相手のことが気になって話さずにはいられないから、かな。うまく言葉にできてない気がするけど、そういう感じだと思う〜」
「──ありがとう」
「いやぁ、こっちこそ〜。有魔力のひとへの固定観念が覆りそうな予感がもうしてる〜」
「そうなんだ。あ、けれど、さっきのありがとうはそっちじゃなくて、」
音羅は、疑問の答を摑んだのである。「このあとどうすべきか判ったから、その感謝だよ」
「先生を捜すんだ」
「ううん。時間がないから早く行動しないと」
「行動って」
知泉の問に、音羅は有言実行。
「虎押さん、お兄さんがこの学園にいるんだよね」
「ああ、いるよ。それがどうかしたか」
「──なんとなく思い出して。ところで、虎押さんの声って結構低くて大人っぽいよね」
「また藪から棒に。中等部んときに声変りしてからこんなだけど、耳障りだったか」
虎押にやや不愉快な顔をされてしまったのでフォロを入れておく。
「ううん、『先生役』になってもらえないかな、と、思って」
「……え?」
理解できていない虎押の手を引いて音羅は別館二階に上がり、一階の同級生には聞こえないように説明する。
「先生はたぶん来ない。だから、虎押さんの声でみんなを誘導しよう」
「そんなことして始業式の邪魔になったりしないか?そもそも先生が来ないって?」
「しーちゃんの話を聞く限り邪魔にはならないから安心していいよ。『入学式の真只中』だから」
「どういうことだ」
「私語をほどほどにって指示があったでしょう。あれって不安を抱えながら学園にやってきた新入生に雑談をさせるためのキーワードだったんじゃないかな」
「普通に注意喚起だろう、学園じゃよくある──」
「そう、よくあるんだよね」
初めて学園に通う音羅達はまだしも、新入生は初・中等部で耳馴染のある注意喚起だ。音羅個人のことで言うなら、「ちゃんと嚙んで食べてください」と、母に注意されるようなもの。耳に馴染んでいる言葉ほど聞く気持が薄れてしまう。
虎押がはっとした顔。
「そういうことか。授業に穴が空いたときなんか、『静かに自習してください』って、いわれても話したり遊んだりするもんなぁ」
「そこに同じような不安を抱えた同級生が集まっているから、気を紛らわせることに集中して話し込んでしまうんだよ」
「みんなまさにそんな感じだしな。けど、先生、ってか、学園側の利益ってなんだ?」
「利益かは解らないけれど、生徒の行動とか意欲とかを試しているんじゃないかな」
「じゃあ、やっぱり入学式で団体期首テストってわけか。無魔力を集めている奇想天外な学園なだけに荒技で生徒の成長を促そうって考えなわけだ」
「予想でしかないけれど、先生の言葉や状況を観るとそんな感じかなって。そう思ったのは、試されているのかもって虎押さんがいっていたからっていうのもあるんだけれどね」
虎押が親指を立てた。
「解った。とりあえず誘導してみるよ。けど、もしこの考えが間違っていて先生に叱られるようならお前もちゃんと責任を取れよ」
「勿論だよ、主謀者だもの」
「主謀者って。悪者に使う表現じゃないか、ソレ」
「あ、ごめんなさい。考えたひと、とかでいいかな」
「素直だな。細かいことだし、まっ、どっちでもいいぜ。どの道、待っていてもつまらないし仮にこれが正解なら──、伝説っぽくなりそうでカッコいいじゃん」
やや私欲が湧いているようだが虎押に誘導を任せて段取りを簡単に決め、音羅は一階の納月達のもとに戻った。間もなく、
「先生が静かにしてくださいっていっているよ〜」
と、音羅は大きな声で言った。廊下が少し静まると、段取り通り二階の虎押が声を張る。
「荷物を置いて南を向けッ!乱れた列を二列に整えッ!体育館へ行進〜、──始めッ!」
……虎押さんの声、やっぱり「先生」の声に似ているなぁ。
と、のんきに思っていた音羅と対照的に一瞬ざわっとした廊下だが、虎押の声が反響すると新入生が反射的に荷物を置き、列を正して行進を始めた。無魔力の生徒を募り武術を重点的に教える第三田創において、体育会系の指示は効果覿面であった。
どさくさに紛れて虎押が列に戻ると、音羅は虎押を一瞥、
……お疲れさまです。
と、指で丸を作った。虎押がサムズアップで応えて、いざ行進。
先頭が体育館へ──。歩行速度に従って次次に新入生が消えてゆく。
……体育館、眩しいな。
別館の廊下は存外暗かったのだろう。体育館の明るさに新入生が次次食われてゆくと、音羅の番はすぐだった。
ザッ、ザッ──。
眼の利かない光の世界。
木霊する新入生の足音。
……この感じ、知っている気がする。
父か母の記憶に、似た感覚があったような気がした音羅である。
明るさに慣れると、正面壇上の壁際上方にある〔入学式〕の字が目に飛び込んだ。子欄の言っていた横断幕だ。
在校生の前方、体育館の中央を少し空けて空席のパイプ椅子が並んでいる。二列になった新入生は左右に分かれて、壇上寄壁際の席から詰めていき、脚を止める。
空席は新入生のもの。自然、全て埋まった。体育館への行進が正しいか不安もあったが、席が埋まったことを確認して音羅のどきどきは少しずつ治まった。
足音が最後の一つまで鳴りやむと、壇上脇のスタンドマイク前に佇んでいたスーツ姿の男性が口を開いた。
「新入生諸君、着席ッ!」
スピーカ越しの声は威厳がある。新入生は見事なシンクロ率で清清しく着席した。
スーツ姿の男性が落ちついた声で話す。
「新入生の諸君、入学おめでとうございます。本日は初登園日。新入生は勿論、在校生の諸君も期待や不安を抱えて通学路を歩みここに至ったことでしょう」
入学式の挨拶に全校生徒が耳を傾けた。
「学園長の系譜に連なる者としてわたしはまず、当学園を選んで足を運んでくれた諸君に感謝します。ありがとう。──続いて、学園長の挨拶を始めます」
トンッ。
スピーカ越しの小さな雑音。
……壇上だ。
先程まで無人だった演壇に目をやると、白髪の男性が立っており、マイクに手を添えていた。
「ごきげんよう、皆さん」
穏やかな声は、自然と耳に融け込むようだ。
「学園長星川英です。今年もよき出逢いができ、幸せに思います。それぞれに大切なものをいだき、探し、あるいは作るために生きていくことでしょう。この学園での生活で、己の生の源を、是非手にしていただきたい。愉しいこと、つらいこと、つまらないことに至るまで、たくさんあるでしょうが、誰もが経験豊かに存ることを願って、わたしからの挨拶を終わります」
簡潔だった。誰もが拍手するタイミングを逸したが、
パチパチパチパチ──。
音羅が真先に右掌を打った。ほかの生徒や教員が拍手を重ねてゆく。
二礼して演壇を去る学園長と、音羅はわずか目が合った。学園長は微笑して壇上から降り、壁際の教員席に座った。
……解った気がするよ。
父が、第三田創を進学先に決めた理由。……学園長、どこかパパやママに似ている。
虎押がいうには奇想天外な魔法学園であるが、その実は学園長星川英の優しい目と言葉が物語っている。
「よしゃげなところでしゅね」
と、左隣の納月が小声で。
「思ったより愉しくなりそうです」
とは、右隣の子欄。
音羅は、二人の妹にうなづいて応えた。
「頑張ろうね」
期首テストと予想して臨んだ入学式が終わると、横断幕が外された。始業式をかねており、新任教師の紹介が行われると式が終了、本館へ向かうことになり、音羅達新入生は別館に置いた鞄を取りに行く。
「あれは結局期首テストだったのか?」
とは、虎押が言った。新入生に対して解説がされていないので、教員の誘導がなかった理由が判らなかった。
「教室で説明があるんじゃない〜」
知泉が鞄を肩に掛けて、「もし説明がなかったら先生の段取りミスだったってこと〜」
「それだとしたらオレは寿命を縮めた意味がないな。完全に勇気の出し損だ」
叱られることを覚悟して行動したのだからぼやきたくもなるだろう。
三姉妹が鞄を取ったのを確認して、知泉が提案する。
「玄関前にクラス分けが張り出されてる〜。せっかくだし、五人で一緒に見に行かない〜」
「そうだな」
と、虎押が壁を向いて、「同じクラスだったらそのまま行けるし、いいかも。音羅達は」
「わたしもいいよ。なっちゃん、しーちゃん、いいかな」
「また人込みでしゅし、はぐれたら卒倒しましゅ」
「だそうです。わたしは納月お姉様が心配なので一緒に行きます」
「じゃあ、決りだね。五人で行こう」
初等部児童でもないので手を取り合ってということはないが、三姉妹と同級生二人は固まって別館を出た。多くの新入生が似たような小グループを形成して、本館東寄にある玄関前へと向かった。
陽光と東風が示すいくつかの掲示板を見てゆく。三〇人前後で組まれたクラスが五つある。
子欄が一番に名前を見つけた。
「わたしは一組ですね。どうやらこの中で同じクラスのひとはいないようです」
「あたしは〜……、五組〜」
と、知泉が言った。「納月さんと虎押君が一緒みたい」
「音羅は何組だったんだ」
虎押が訊くと、納月が応えた。
「お姉しゃまは三組みたいでしゅ。なんか、ばらばら……、気が遠くなりまっふぅ……」
酔い止めが切れたか、納月が目を回し始めたので音羅と子欄は再び支えた。が、知泉が後ろから奪うようにして納月を抱え込む。
「これはあたしの役目かも〜。同じクラスだし、別のクラスになっちゃったんだから姉妹でもずっと面倒みてられないでしょ〜」
「だったらオレもだな」
と、虎押が手を貸そうとすると、知泉が距離を取る。
「だーめ。納月さんキレイだから、男にさわらせるの抵抗あるー」
「えっ?別に他意はないぞっ」
「慌ててなーい〜。怪しー」
「怒るぞ」
「あっはは〜、冗談〜。でもさ〜、実際問題女同士のほうがいろいろいいんだよ〜、っと」
知泉が納月に肩を貸した。「虎押君は鞄持ってくれたらイイ〜」
「えー。パシリみたいでカッコ悪いな」
「できることをそつなくこなすのがカッコいい男子でしょー」
虎押が苦笑いで諦めた。
「解った、持つよ。納月を落っことすなよ」
「解ってるって〜」
知泉がにーっと笑った。
音羅は二人に納月を任せた。
「二人とも、ありがとう。なっちゃんのこと、お願いします」
「いいって、いいって〜。あたし達もう友達じゃん、こういうのフツ〜、フツ〜」
「友達──、そっか、これが、普通なんだね」
いつか母が論じていたか。
……ネット上ではこんなふうに支え合えない。
擬似現実または現実延長線上の間接的世界と、生身で触れ合う現実の世界。本心か上辺だけの態度かどちらの世界でも区別しにくいが、いま音羅が明確に感じた違いは、物理的な行動ですぐさま支えることができるか否かだ。
「じゃ、またあとで」
と、鞄を三つ提げた虎押が言った。
「うん、またね」
と、音羅は自然に応答して納月、知泉、虎押を見送ったが、「あれ、またってどこで」
「納月お姉様を連れて会いに来るという意味ですよ」
と、子欄が解説。「お姉様、相変らず変なところで鈍いんですから」
「えへへ、ごめんなさい。しーちゃんも会いに来てくれるかな」
「今日はみんな、午前中に降園予定のはずですからね。一緒に帰りましょう」
「うん、そうしよう」
玄関を入って上履きに履き替えると、先に到着した一組の教室前で音羅は子欄と別れた。
初めての風景・ひとびと・道。この道がどこに続くか音羅はまだ判らないが、先先に舞う彩りが祝福するようであった。
──二章 終──




