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一九章 正しきは、細く長く

 

 扉を叩く音に叩き起こされるなら野原花はあまり驚かないし、この状況なら不愉快になっても気持の切換えが早くできるほうだが、寝掛けに話しすぎたか頭痛はどうしようもない。

「おはよ〜、虎押君のお見舞に行かない〜」

 ばんばんと扉を叩くのは知泉ココアだ。何度目かになる呼掛けをして、「いない〜」と、さらに呼びかけてくるのは施錠されていて野原花がいるか確認できない。が、いること前提で訪ねたならもとから引き下がる気はないだろう。

 何度目かの呼掛けに答える前に野原花は私服に着替え、鍵を開けて顔を出した。

「朝っぱらからうっせえ」

「おぉ、いた、いた」

「いるわ、休校期間の七時前だぞ」

「バイトとか行ってるかもと思って」

「朝仕事は鍛錬に差し支えっからやらねぇが、あたしはそんなバイトしてるイメージかよ」

「暇さえあればやってるイメージ」

「そんだけやってたら中流にくらいは上がってるかもな」

 問答無用のイバラ道を進む野原花は下流階級だ。「で。雛菊の見舞だって」

「そ〜、そ〜。どう、一緒に〜」

「あたしは別にどっちでも」

「あたしを口実にしていいんだ〜」

「なんのこったよ、そりゃ」

「ほら、あれだ〜。『恥ずかしいこというな、とっとと帰りやがれ』」

「いっ……お前!」

 昨夜の竹神音羅とのやり取りを知泉ココアが聞いていた。

「ほら、あたしの部屋って入口近いから結構聞こえる〜。だいぶ前には『っぜぇなぁ。三〇秒で帰れ』だった〜」

「んが──!(このアマ、いい趣味してやがんなぁ)」

 知泉ココアが意図して伝えていなかったような気がしてならない野原花であるが、

「よかったね」

「……、何がだよ」

「行こうよ、お見舞」

「……それでいいわけ、お前は」

「それであたし、なんかマイナス〜」

「そういうわけじゃないと思うけど、そういう『役』も疲れんだろ」

 盗み聞きした言葉を知泉ココアがなぜ覚えていたかなんて推測でしかないが、彼女が悪意をもってそれをしていたとは野原花は考えていない。悪意ではないから却ってつらそうだとは思う。ところが、知泉ココアは気にしていないのである。

「じゃあ先に行く〜」

「ああ、……気をつけて行けよ」

「またあとで〜」

 役目は果たしたと言わんばかりに去ってゆく知泉ココアを見送って、野原花は顔を洗いに共用スペースへ向かった。見舞に行くにも面会時間外というものがあったはずなので、あまり早く行ったところで会えないだろう。と、知泉ココアに伝えればよかったが、小癪にも、知泉ココアのそぶりが少し恰好よくてそのまま見送りたい気分だった。それに、しっかり朝食を食べたい。顔を洗って食堂にやってくると、部活に出る者は朝食を終えて学園に行っており人気がまばらだった。その中で朝食を終えた菱餅蓮香とばったり出会したので、野原花は改まった。

「おはようございます、部長」

「おはよう、花さん。元気」

「……ちょっと、頭痛いっす」

「寮の薬あげようか」

「いや、いいっす、それより──」

 野原花は、部活復帰後からこれまで、なんとなく気まずくて菱餅蓮香と目を合わせないようにしていた。追いつめるための噓をついた菱餅蓮香の姑息さを苦手に感じた部分もあれば、罵倒してしまった手前顔を合わせづらい気持もあった。竹神音羅やほかの部員の様子を観ていても、菱餅蓮香本人の様子を観ていても、菱餅蓮香が好き好んで噓を言うタイプではないことが判った。罵倒したのは野原花の弱さだった。

「──部長、すみませんでした」

 ひとがまばらとは言え、無人でもない。食堂で上級生に頭を下げる姿に、いっとき視線が集まる。野原花は、気にしない。これも含めていい経験だと今は思える。

「交流会んとき、あたしは部長が言った通り自分のことばっかでした。いや、今だって、そこはあまり変わってないと思う……。けど、部長がなんの蟠りもなくあたしを部に迎え入れてくれたことは感じてて、……嬉しかったです、素直に、助けてくれたんだ、って、思って」

 菱餅蓮香の姿勢がなければ、部で爪弾きにされていただろう。それくらい、野原花は周りのことを考えていなかった。

「花さん、それは少し違う」

 顔を上げさせて、菱餅蓮香が言った。「あなたが前と何も変化なく戻ってきたのなら、あたし達は迎え入れなかった。嬉しくないかも知れないけど、あたしと花さんってちょっと似てるから少しシンパシ感じるんだ」

「似てる。どこがすか」

「むちゃするところとか」

「部長ってそんなでしたっけ」

「そう観えない」

「……言われてみれば──」

 部長としての菱餅蓮香は常に気合に満ちていて、どこを取っても隙がないようだった。が、改めて試合のことを思い出してみれば、野原花が攻めそうなタイミングで守らずに攻めてきたりしていた。それが実際は完璧に決まって野原花の攻撃を潰してしまうのだから失敗にはならないのだが、守ったほうが確実な攻撃に繫げられるような流れでも危険な一手を仕掛ける節が菱餅蓮香にはあった。野原花も、堪えなければいいところを堪えたり、減点覚悟で相手を後退させるためだけの一手を放ったりしているから、やや性質は違うが似た部分もある。

「そんな花さんだからってことでもないけどね、いい変化があったんだって判ったから、あたしもみんなも受け入れたの。部活で花さんがほかの子と笑うことが増えてたから、あたしも嬉しかったんだよ。仲間と笑うっていろいろな気持を共有してるってことじゃない。前の花さんはそれが全くなかったから、半分恐かったんだ、このままじゃ一生苦しむことになるって」

「一生はさすがに、……」

 言いすぎでもないか。有魔力だけでなく無魔力にすら心を閉ざしていたのが野原花だった。それが劇的に変わったのは園芸部での活動があって、部や専攻で受け入れてもらえたからだった。園芸部で此方翼や竹神納月と仕事をしなかったら竹神音羅を含めた三人と二匹にネットカフェで迫られることがなく、弱い自分を受け入れてもらえることがあると学べなかった。そうして菱餅蓮香の束ねる部活動で漠然としかし確実に「みんなに受け入れられた」と感ずることがなければ、野原花は、謝ることもせずにまた独りで力や技術ばかりを磨く日日に逆戻りしていただろう。そうなっていたら一生の苦しみもあり得た。紙一重だ。

「──どっちが先なんすかね、あたしか、部長やみんなか……。あたしが変わってなくても、それが判る寸前まで、部長達は受け入れるつもりで待っててくれたってことですよね」

「まあね。でも、答はさっきもいった通り」

 菱餅蓮香がにっこりと。「あたし達は期待して待ってただけで、変わったのは花さん。胸を張ってね」

 菱餅蓮香が日差の似合う笑顔で去っていった。

「蓮香さ、ああ観えてすぐがっくりするタイプだからね」

 と、背中から声を掛けてきたのは菱餅蓮香の友人でもある三学年生瓶詰アキラである。「野原さんが休み始めた頃は溜息ばっかついてたんだよ」

「そうなんすか」

「いいすぎたかなぁとか、後悔も。馬鹿だからむちゃしちゃうのよね、自分で考えたことは多少間違ってても決行しちゃうし。あなたもそんな馬鹿になれるとわたしは思うよ」

「それ、褒めてんすか」

「以前の野原さんを観てたし、伝わるとも思ったからいったんだよ。じゃあね」

 瓶詰アキラが軽く手を振って菱餅蓮香のあとを追った。

 ……ここは、変なヤツばっかなんだな。

 あんなお人好しは無魔力でもそうそういない。

 朝食を摂って少し時間を潰したあと、現れたワタボウとともに野原花は寮を出た。日の出前から曇っていたのか、日差がなくやや涼しい。風に飛ばされるようなことがないとは知っているが、ワタボウを両手で包んで歩くとなんとなく気持が丸くなるようだった。

「なあ、お前はなんであたしのとこにまで現れるようになったんだ」

「ふぅふぅ」

「あたしまで迷子属性があるとかじゃねぇよな」

「ふぅふぅ」

「まあでも、ある意味、道に迷っちゃいたよな……」

 竹神音羅に対して、思うことが多くある。それは何も試合をしてから発生したものばかりではないだろう。無魔力として生きてきたから、その中で培ってきた竹神音羅への感情もある。

「……馬鹿なら、考える前に動いちまうのもありだよな」

「ふぅふぅ」

「へっ……何いってんのか判んねぇっての」

「ふぅふぅ」

 背中を押してくれている気配は感ずる。ワタボウの発するどことなく懐かしい香りに癒やされたか頭痛が治まっている。小さくて弱い後押しが、今の野原花には大きかった。

 

 

 慣れないセミフォーマルだがワンピース形状のお蔭で不快感は少なかった。帰宅して雇用契約書に父の署名・捺印をもらい、音羅もサインを書き込んだ。その流れで父に服を返すとクリーニングに出すよう言われて音羅は急遽お遣いをすることとなった。無断で借りた上で汚しっぱなしでは母に悪いので、父の指示通り商店街にあるクリーニング店に服を預け、ついでに雇用契約書をsugarsの店長に渡して契約内容の写しをもらって再びの帰途についた。

 ……話したいことがいろいろ増えちゃったな。

 昼に花がやってくる。目的は稽古なのだが雑談も愉しみの一つ。愉しい内容ばかりでもないだろうが、深夜と同じように弾む足取りで音羅は帰途を進んだ。

 正午にも早い時刻。自宅前に見慣れた後ろ姿を見つけて、音羅は思わず声を張った。

「花さんっ、もう来てくれたんだね!ワタボウさんもおはよう!」

「う、嬉しそうだな」

「ふぅふぅ」

「嬉しいよ、花さんも待ちきれなかったんだね。ワタボウさんは見学かな」

「見学て。綿毛に手脚が生えても弱そ」

 花が玄関前で呆れた。「見舞、行こうと思って来たんだよ」

「虎押さんのだね」

「あたしは別にどっちでもよかったんだけど、知泉が煩くてさ」

「知泉さんは先に行っているのかな」

「勝手なヤツだよ。危ない目に遭ったのもう忘れてんじゃねーだろうな、アイツ」

「そういいながらちゃんと心配しているんだ」

「別にそうじゃねーよ。お節介にもちょっと気ぃ配ってやるか、とか……」

「気を」

「あ、いや、それはこっちの話だからいい」

 と、花が両手で顔を押さえて、すぐに手を下ろす。「ところでどこ行ってたんだ」

「クリーニング屋さんとかにね。ほら、昨日話していたバイト先なんだけれど、さっき面接に行ったんだ」

「もうか。クリーニング屋にバイトを」

「バイト先はファミレスに決まったよ。面接で着ていったママの服をクリーニングに出してきたんだ」

「そういうことか。って、母親の服なんてサイズ合〜〜うか、お前んとこなら」

「うん」

 音羅の母は稽古途中に帰宅するので、花も見たことがある。

「それでどうする」

 花が改めて誘う。「話しがてら見舞行くか。用事があるならあたし一人で行くけど」

「わたしもお見舞に行きたいし、知泉さんの様子も気になるから一緒に行こう」

 花を捜して寮を回ったときも知泉は虎押の見舞に行っていた。拉致から日が経っていないので何かと心細いのではないか。

 音羅は父や妹に外出の一声を掛けた。呼び止めてきた父と二三やり取りしてから、花とともに田創総合病院へ歩を進めた。

「バイトの話だけどさ」

 花が勘鋭く切り出す。「ファミレスってもしかしてあたしが働いてたとこか」

「商店街北区、縦断道路東手のオレンジ色が目立つところだよ」

「やっぱし。先輩とかから聞いたのか」

「……迷惑だったかな」

「もう辞めたとこだし構やしねぇって。けど、お前上流だろ。シフト押し出されて辞めたヤツがいるかもな」

「……その可能性って高いのかな」

「あたしの場合だって飽くまで予想でしかねぇけど、それなりにあるんじゃねーかな」

 それが事実なら音羅は中流以下の働き手の労働意欲を削いでしまっただろう。

 ──俺は、働くことを勧めん。

 父の発言は都度頭の中で響いていた。

 ……パパは、そのことを考えていたのかな。

 時間が経つにつれて父の先見を思い知らされる。

「あんまり思いつめんなよ」

 花が音羅の背中を軽く叩いた。「お前が好きでそうするわけじゃねーし、どう考えたって社会のせいだぜ、これ」

「う、うん……」

 確証のない可能性にまでネガティブでいてはゆけない。

「あたしんときはすぐ採用されたけど、お前も似たようなもんか」

「うん、休憩室に入ってすぐ『採用』って」

「あそこ、なんも変わってねえのな。まあ、それはともかくとりあえず、おめでとさん。これで音羅も立派な社会人、の卵、だな」

「ありがとう。働いてみないとちゃんとできるか判らないけれど、一所懸命頑張るよ」

 音羅は両手を握って気合を示したのだが、その横で花が気まずそうだ。

「お前もあの制服を着るわけだな」

「身長が足りない。それともどこか変かな」

「身長は問題ないと思うけど、あたしにゃ似合わなかったからずっと嫌だったんだよ」

「そうなの」

 花の服装は今日も至ってラフで男の子っぽい。

「花さんはスカートやフリルが嫌いなんだね」

「ミニスカは動きやすくて悪かねぇけど、フリルなんかあってもなんの役にも立たねーしな」

「可愛いからいいと思うんだけれどね」

「可愛さじゃ食えねぇんだよ」

「食べられる可愛いものは好きってことでいいかな」

「なんじゃそりゃ」

「ママが作るお菓子は可愛くておいしいよ。例えば、そんなおいしくて可愛い服があったとして、隣に雑巾みたいなおいしいものがあるとしようかな。さあ、花さんはどっちを取る」

 意味の判らない二者択一を迫ったのであるが、

「う〜〜〜──」

 花が長考、「──〜〜〜〜〜ん、そりゃ、服のほうを食うよな、普通」

「だよね。可愛いのがいいよね」

「いや、いや、可愛いとか関係なくね。うまい雑巾が対戦相手って想定もおかしいし」

「一緒だよ、食べられるって想定なんだから。やっぱり可愛いほうがいいんだよ」

「だったら可愛いよりカッコよくてうまいヤツのほうがあたし好みだって」

「スカートは大丈夫なんだよね」

「そこを掘り下げるのか」

「大丈夫なんだよね」

「え。まあ、な」

「じゃあ恰好いいスカートならいいわけだよ、フリルがついていても」

「カッコいいもんにフリルはつかねぇっ」

 ボケとツッコミを交わしながら稲香る農道を抜けて並木道を行く。

 音羅は()()ベンチを視た。

 ……鷹押さんも来ているのかな。

 虎押の見舞に。

 顔を合わせにくくないと言えば噓だ。

「あのベンチがどうかしたか」

「あ、ううん、なんでもないよ」

 ベンチはまだ遠い。一点を見つめていたので花に感づかれたようである。

 本人がおらず告白の件を口外できない。話を中断すると不自然なので事実だけを話す。

「昨日、昼に花さんと別れたあと、鷹押さんとあそこで話したんだよ」

「あの不器用な副部長とね。さては告白でもされたな」

「ふにょっ!」

「ふにょって。……、え」

「あ……」

「え、おま、マジか」

 花は当てずっぽうだったようだが、音羅が思わず反応したものだから。「そうとは思ってたが。副部長、(こく)ってたんだな……」

「鷹押さんの気持、花さんは気づいていたの」

「あたしってーか、周りのほとんどはお察しって感じじゃね」

「そ、そんなに知れ渡っているとは想像していなかった……」

 妹の見方すら疑っていた音羅である。

「鈍いヤツ。まあ、その調子だと遅かれ早かれふられたな」

「そうだね」

 鷹押の名誉のため言わないほうがいい経緯もあるだろう。鎌や当てずっぽうに対してそこだけは口外しないよう音羅は心に誓った。

 ベンチの横を通り抜け、馬車の行き交う間道脇を進み、本道を南に下れば昨日まで列車祭のメイン会場があった役場前。露店・来場客・警備やボランティア、すっかりいなくなって、田舎町らしい静かな空間に戻っている。

「何もなくなっちゃったね」

「型抜きの露店はいい鍛錬場だったな」

「……あはは」

「ごまかしたな」

 野原曰く自滅の音羅は、「一回一回騒いでたからな、お前」

 そりゃバレるわけである。

「力加減が、ね。でも、もう一回やったら抜ける自信があるよ」

「一年後かあ。その頃には感覚忘れてんじゃねーの」

「否めない……」

「っはは、あんなん遊びの一環だって。愉しめたんならなんでもいいだろ。なんならあたしがまた抜いて稼いでやらせてやっからよ」

 花が快活に笑った。

 音羅は、ふと思った。

 ……これが、きっと本当の花さんなんだな。

 なんの気負いもなく他者との関わりを大切にし、笑い合うことのできるひと。野原花という少女は、さまざまな不遇からその素顔を封じ込めてきたのかも知れない。

「ん。なんだよ、ひとの顔じろじろと」

「嬉しいんだ、こうして話せていることが」

「感傷的だな」

 役場横に建つ田創総合病院へ足を向けて、花が綻ぶ。「まあ、あたしもそう思う」

「花さんも」

「ああ。お前と、と、いうか、有魔力とこうやって話すの、中等部ん頃は想像もしてなかったぜ」

「中等部の頃」

 昨夜、花から初等部の頃の話はちょこちょこ出ていたのだが、中等部時代の話はこれっぽっちも出ていなかった。

 音羅を感傷的と言った花だが、彼女もセンチメンタルに語るのである。

「中等部んとき、あたしはサイテーだった。友達が有魔力に苛められて、……楯突くのが恐くて見て見ぬふりをした。友達はあたしを嫌ってギクシャクして、それっきり。友達を大事にできなかった……。その報いか、あたしは有魔力との格闘試合でコテンパンにされた。その上、『その程度じゃ将来ニート確定だね』なんて鼻で笑われて、マジで有魔力を怨んだ。自分自身が屈服させられたこともそうだけど、友達を苛められたこともあってだ……。けど、本当に怨んでたのは、自分自身だったって判った」

「花さん自身を……」

 田創総合病院のエントランスホールに入る。広い空間が、外の空気を遮断している。

「涼しいな、ここ」

「そうだね」

「なんでもさ、感じ方ひとつなんだよな」

「……」

「汗かいてて寒く感じるだろ、ここ」

「うん」

「しばらくしたら汗が乾いて体が慣れる。そしたらちょうどいい涼しさになる。……あたしが抱えてる怨みも、有魔力や金持に対するもんだっていえばそうなんだけど、じつのとこ、自分のドンくささとか臍曲りなとことか無能さに対する怨みのほうがずっと大きくて、それを他人に被せて当たり散らしてただけなんだ、ってさ」

 音羅を横目に花が不敵に笑う。「音羅を観てたら、マジでそう思うぜ」

「わたしを観て。どうして」

「お前って飾らないじゃん、口調ヘンだけど」

「変かな」

「今のもヘンだぜ」

「えぇっ」

 いつもの口調なので困った音羅だが、そんな音羅に花が言うのである。

「音羅はさ、思えばずっとあたしの怨みを気にせず接してくれてたよな。まっさらなあたしと向き合おうとしてくれてたとも、思う。だから却ってあたしは自分の怨みの正体に気づかされたっつーか、それで苛立ってたっつーか……」

 音羅を振り向いて急に頭を下げる花。「すまん、昨日、完全に八つ当りだった……!」

 ソフトクリームを食べたあとのことだ。

 音羅は、もう気にしていない。

「顔を上げて、花さん。わたし、花さんの気持を考えずになんでも聞き出そうとしているよ。いつだってそうだし、これからもたぶん、変えられない。だからわたし、自分が悪いことをしたって解って()()し、解って()()んだ」

「……そうか。でも、音羅がそうしてくれなかったら、ここまで話すこともなかったぜ」

 顔を上げた花が目を逸らし、「ずっとそのままでいろよ。あたしは、今の音羅が好きだぜ」

「……花さん──」

 告白とは違う。比較するのもおかしい。でも、鷹押の言葉と花の言葉、どちらがほしかったかといえば音羅は花の言葉がずっとほしかったのだと、今このとき知った。

 ……胸が、熱い。

 手を当てると、じんじんと伝わってくるようだ。

「ふぅふぅ」

 冷やかしではないだろうが、ワタボウの鳴声がからかうように聞こえたのか、花が顔を両手で叩いて、

「あーーっ、恥っずっ……、先いくわ、二〇六号室らしいからっ」

「あ……」

 引き止める間もなく花が立ち去った。その心情を示すようにワタボウが綿毛を散らして消えてしまったが、音羅は一つ学んだ心地だ。

 ……、うん、そうだ。わたしはこのままでいい……。

 花の言葉で音羅は自信が湧いた。……きっと、もっと近づける。

 音羅は頰を緩ませ、幸福感を瞼に馴染ませた。そのときになって、花が感じたであろう恥ずかしさを感じた気がして、顔を両手で覆った。

 ……なんだろう、涼しいはずなのに、ものすごく暑いな。

 強い脈を落ちつかせるように一呼吸置いた音羅は、院内マップを頼って二階へ上がった。大きな窓が仕切った見通しのいい廊下が多いなか数少ない死角がある曲り角で、

「あ……」

「……来てくれたか」

「はい。こんにちは」

 鷹押と鉢合せ。

 わずかの沈黙に空気の循環を感じた。

「虎押を撫でてやった」

「え」

「少し鬱陶しそうにされた。気は、充分に伝わったようだ。ありがとう」

 ……あ。

 昨日音羅が言ったこと。忘れていたのではないが、鷹押の口下手は相変らずである。

 虎押は温厚で学園では兄鷹押に対しても敬遠したり喧嘩したりということがなかった。けれども、心配があまり伝わっていなかったというようなことを鷹押が言ったので、音羅は兄弟仲が気になった。

「鷹押さん、虎押さんと仲が悪かったりしたんですか」

「オレが言葉足らずなせいで行き違うことはあったかも知れない。虎押が忖度してくれたからだろう、仲が悪いということはない。一方でオレは気持を伝えきれていなかった。虎押は撫でられた意味が一瞬解らなかったようだ」

「わたしのときのように無言で撫でちゃったりしたんですね」

「失敗だった」

「一言添えることが大事ですね」

 音羅はどんよりと落ち込んでいたときだったからそれでもよかったが、容態が安定してきたであろうときにいきなり無言で撫でられてもなんのスキンシップか判断に困るだろう。

 虎押は、鷹押の手を心配の気持だと受け取った。

「虎押さんは鷹押さんの愛情をちゃんと感じていたんでしょう。じゃないと、心配とは思わなかったと思います。普段の行いの積み重ねですね」

「そうだと、嬉しい。次は言葉を添えよう」

「はい。気持がさらに伝わりやすくなると思います」

 廊下の脇に移動して話していた音羅と鷹押のもとに、

「音羅さんも来てたんだね」

 と、蓮香が駆け寄る。衛も一緒だ。「今日はプウさんはいないんだね」

「はい、留守番です。蓮香さんと衛さんもお見舞ですか」

「うん。部長としては筋肉の落ちとか気になるし」

「ぼくは蓮香の付添い(つきそ  )だね」

 蓮香達は病室のほうからやってきた。

「帰りますか」

「うん。これからちょっと地元へ行こうと思って」

 と、蓮香が衛を一瞥。目に見えない独特の距離感が見えた。

 ……デートかな。って、これじゃなっちゃん達みたいだな。

「ってことで、音羅さん、鷹押、またね」

「またね、二人とも」

 蓮香と衛が立ち去ると、音羅は鷹押とともに虎押の病室に入った。ベッドが左右二列になっている六人部屋。入口左手角のベッドで虎押が上体を起こして、知泉と雑談していた。

 列車祭で別れて以降初めて会った虎押の顔は少しだけ窶れたように観えたが、知泉と話す表情は以前と変りなく穏やかで元気そうだ。

「虎押さん、こんにちは」

「来たか。……プウはいないな」

「うん、安心してね」

 虎押の見舞と判っているから嫌がらせのように連れてきたりはしない。

「なんかそっちはそっちで大変だったみたいだな」

「え」

 知泉の横に座っていた花が軽く手を挙げて合図。

「花さんのこと」

「寮を捜し回っていたんだってな」

「あたしも今朝寮母から聞いたんだけどな」

 と、花が肩を竦めた。

「お騒がせしました……」

 と、お辞儀した音羅に虎押が笑いかける。

「いいんじゃないか、お前らしいし。実際に野原は拉致られていて、音羅が助けたんだってことも聞いたよ」

「さすがは我らが三大」

 と、知泉が満足そうに笑っている。「あたしが連れ去られたときも同じように捜してくれてたんだよね〜」

「みんなで捜したから見つかったんだと思うよ。知泉さんを見つけたのはパパだったから」

 と、音羅は改めて伝えた。

「花さんを連れ去ったのが有魔力だったってのもびっくり」

 と、知泉が言うので、音羅はどきりとした。

 ……花さん、どこまで話しちゃったんだろう。

 いかがわしい生放送をしていたことまではさすがに口にしておるまいが。

「花さんに欲情して襲いかかった有魔力を音羅さんがとっちめた!もう勇者だね、勇者」

「あはは……、(そんな話になっちゃっているんだ。)そんなに恰好のいいものじゃなかったと思うよ。プウちゃんやワタボウさんがいなかったら見つけられなかったと思うし、見つけたら見つけたで花さんを連れて逃げることで頭がいっぱいだったもの」

「犯人はそんなに強い奴だったのか」

 虎押が難しい顔で。「一学年で一二を争う野原が伸された上、有魔力の音羅すらそんな状況ってあまり想像できないんだが」

「世の中にはいくらでも強い奴がいる」

 とは、鷹押が音羅の後ろから言った。「辛くも無事で済んだが、二度同じ無事を得られるとは限らない。みんな、日頃の行動に用心しろ」

 格闘部副部長の言葉である。それに、日頃の行動──、花に取って昨日の出来事はまさしく己の行動が(もと)である。

 格闘部の全員が確とうなづくと、鷹押が虎押を向く。

「いい仲間を持った。虎押は、もっと強くなる」

「兄貴……。観ていてくれよ、兄貴より強くなってみせるからな」

「ああ」

 兄弟が阿吽の呼吸で手仕草を合わせた。

 鷹押が退室すると、しばらくは知泉を中心に取留めのない話が続いたが、ふと訪れた沈黙に虎押の表情が陰った。

「あ、ごめん、疲れちゃった」

 知泉が慌てて寝かそうとするが、その手をそっと離した虎押が、音羅を見た。

「なあ、音羅。一つ、お前に訊きたかったことがあるんだ。正しくはお前にというよりお前の父親に、って、ことだけど」

「パパに。何かな」

「知泉が連れ去られそうになったとき、どうして音羅の父親は知泉をオレに預けていかなかったんだ。兄貴や知泉、それに部長から聞いた話を総合すると、知泉をオレに預けていくのが一番効率的だ。拉致未遂犯を追うことができたはずだからな」

「そう、だね……」

 思わぬ質問、また疑問であった。言われてみれば、と、いう話だが、音羅も疑問が擡げたのである。知泉が連れ去られそうになったときトイレに入っていた虎押だが、拉致未遂の犯人が逃げたのなら虎押に一声掛けて知泉を預けることができたはず。知泉や虎押と稽古した話を音羅は毎日のように父に話しているので、二人の顔を見たことがない父でも見分けがついただろう。トイレに入っていた無魔力の虎押を見逃した可能性もあるが、女子一人がトイレ脇で待っているわけがなく、連れがいることを推測して声を掛けるくらいはしそうなものだ。が、虎押は声を掛けられていない様子である。

 ……もしかして──。

 家を出る間際、何やら不機嫌な父から預かったものがある。ワンピースのポケットにしまった四つ折の紙切れで、「雛菊虎押に何かいわれたらこれを」と、渡された。渡されたときはなんのことかと思ったが、開いてみると、

 ……やっぱり。

 まるで千里眼だ。虎押の疑問を解消する答が、紙切れに書かれている。虎押へのメッセージを読むか否か、選択権は虎押にある。

「虎押さん、ここに答がある。虎押さんには少し厳しいことが書かれているかも知れないけれど、読む」

 音羅の問に、虎押がうなづかないはずがなかった。

 メッセージを一読した虎押が首を垂れた。

「……キッツイこと書くなあ、音羅の父親は」

「なんて書いてあるー」

 知泉の催促で、虎押が顔を上げて読む。

「〔雛菊虎押を襲う害意を除去。

 知泉ココアの安全確保と同時

 雛菊虎押と害意の非接触確保。〕

 つまり、犯人と接触していた知泉と距離を置かないとオレも危なかったってことだ……」

「そういう意味なんだ。小難しい書き方だからよく解んなかったー」

 と、知泉が唇を尖らせた。

「竹神父は要するに最善手を打ってたわけだろ」

 と、花が虎押を横目に、「あとでぶっ倒れたのはさておきお前は無事だったし、知泉は広警で保護されてたんだから」

 虎押が悔しげに拳を握る。

「野原のいう通りなんだけどな、……毎日稽古して強くなっている実感もあったのに、少し上の世代に子どもってこと突きつけられたみたいで、なんか、本当に強くなれているのか疑問に思ってしまう。そういうの、変なのか」

「挫けんの早いって。ぶっ倒れて気ぃ弱ってんのかも知んねーけど」

「気が弱っているのを否定はしないけど、それ以前の問題だ。オレは有魔力でもないし、音羅の父親のように知泉を取り返したりする力も、注意力も、判断力もない」

「ネガティブだ〜」

「知泉、ちゃかすなよ……」

「ちゃかしてるわけじゃなく〜」

 知泉が膝に手を置いて座り直し、虎押を見つめる。

「倒れるくらい必死に捜してくれたから。あたしはそれだけで嬉しかったよ」

「……、……うん」

 虎押が知泉から目を逸らして、小さくうなづいた。

 肩をつついて向き直らせた虎押に、にんまりと笑う知泉。

 微苦笑を浮かべた虎押が、にんまり顔を崩さない知泉にくすぐられて大笑いし、知泉が手を止めても緩んだ頰はそのままだった。

 ……みんな、少しずつ通じ合える。力があっても、なくても、通じ合えるんだ。

 力があるに越したことはない。そう考えるのは、力がなくて後悔することがあるからだ。虎押もそう。しかしながら力がなくても思いは届く。虎押が必死になって捜していたことが知泉の悦びに繫がったように、ひとはひとの必死な思いを感じ、受け取ることで幸せになれる。

 ひととひとの繫がり。

 ……これは、力ばかり求めていては得られないものだ。

 虎押と知泉のやり取りを見聞きして、音羅はそんなことを考えていた。

 花がそっと立ち上がり、音羅に耳打ち。

「行こうぜ」

「うん」

 小声でやり取り。

 虎押の手を取っていた知泉と視線を交わして、音羅と花は病室をあとにした。

「大部屋だからあとで冷やかされるだろうな」

「知泉さんと虎押さん、なんとなくいい雰囲気だったものね」

 虎押には知泉が、知泉には虎押が、ついていれば心強そうだ。

「恋愛関係が全てってことじゃないけど、それが力になるならアイツらに取ってよかったな」

 階段へ向かいつつ、音羅は花の心を問う。

「花さんも、力がほしいの」

「あたしらには魔力って絶対の力がないんだ。持ち得る力を求めねぇではいられねぇよ」

「そっか……」

「残念そうな顔だな」

 力ばかり求めていては、と、考えた直後である。

 花が音羅の背中をぺちっと叩いた。

「安心しろよ、力が腕力ばかりとも思ってねえ。それとも、お前はあたしがそんな力馬鹿に観えんのか」

「頼もしくて綺麗だって思う」

「美化しすぎ。でもまあ、内面への評価ってことならいい。まあ、改めて観とけよ。あたしは情も力だと思ってる。腕力や魔力のあるヤツ相手でも怯まない思いの力ってヤツをさ、ドーンと押し出して生きてやるよ。……うん」

 花が言った傍から両手で顔を叩いて、「ああもクソ、お前のせいで青春クセェことばっか言ってんな、あたし。責任取ってくれ、もう」

「それは無理だ。花さんの本心だってわたしは受け取ったよ」

「ちぇー」

 不貞腐れる花に、

「病院でその顔はよせ」

 と、鷹押が横から言った。

「ふ、副部長、いたんすか」

「水を替えた」

 花瓶を掲げる鷹押。「二人は帰るか」

「副部長も邪魔しないよう早早に帰ったほうがいいですよ」

「どういうことだ」

「知泉と虎押、いい雰囲気なんで」

「そうか」

 鷹押が少し驚いた様子。音羅や花もずっと前から察していたのではない。

「ってことで、あたし達は先に失礼しますんで」

「気をつけて帰れ。くれぐれもさっきのような顔をして歩くな。要らぬ喧嘩を招く」

「そんなにガン飛ばしてます」

「さっきの顔はな」

「音羅ぁ、どう思うよ」

「あの顔は恰好よくなかったよ」

「ちぇー」

 再び不貞腐れる花。

「ついていってやるか」

 と、鷹押が呟くと、

「いえっ、平気でーす」

 と、真顔になって歩き始める花であった。

「鷹押さん、わたしも失礼します」

「ああ」

 花を追って階段を降りようとしたところ、二階から鷹押が顔を出し、

「竹神音羅、お前も気をつけて帰れ」

「はい、ありがとうございます」

 音羅は鷹押を仰ぎ見て答え、花を追った。ここ数日で物騒さを体感したからみんなに心配を掛けないようにしなくては。

 

 

 駆けてゆく竹神音羅と野原花。

 二人が仲良さそうにしていると、雛菊鷹押は胸が温かくなった。

 ……よかったな、二人とも。

 竹神音羅は野原花をずっと気に懸けていたので、念願が叶ったというところか。

 花瓶に挿した花がいい香りを漂わせている。病室へは看護師に届けてもらうことにして、雛菊鷹押も病院をあとにした。

 

 

 竹神家に戻ると、音羅と花は道着に着替えて稽古に掛かろうとしたのだが、父の観ていたテレビに花が反応、立ち止まった。

「コイツ──」

「このひと……」

 音羅は花の視線に誘われるようにテレビを観て驚き、花とともに食い入るように観た。テロップには〔中級魔術師冬木(ふゆき)敦也(あつや)謝罪会見〕とある。その魔術師の顔は、花を拉致した青年に間違いない。

〔──財産を全て寄付なさる、その理由はなんでしょう〕

〔ボクは先日、重い傷を、とある女性に負わせてしまいました。その償いとして、社会奉仕に邁進したいと考えています〕

〔その女性への償いは既に社会的に済まされているのでしょうか〕

〔……、ボクの心が決まるまではできません〕

〔女性本人に損害賠償したということでしょうか〕

〔……。ボクが、社会的信用たる金銭の全てを手放すことで、これまでの、愚かな自分と決別します。新たに出発、また財を築くことができたとき、初めて彼女に詫びることができるように思うんです──〕

「……。勝手なこといってやんの」

 花の呟きに、

「知合いか」

 と、いう父の問。

「パパのことだから魔力反応で知っていると思うよ」

「昨日の碌でもないヤツか」

 道着の帯をギュッと締めて、花が父を見やる。

「アンタは、この男のいうこと信じられるか」

「言葉と行動は別物だ。噓はいくらでも言えるが、行動すれば取返しがつかん」

「財産を手放したってのが本当なら、ちったぁ信用できるってことだな」

「償いの行動を積み重ねられるかどうかが重要やな。毎月の手当で生活が保証されとるから、資格返納さえせんければ死ぬほど追いつめられることはないのが魔術師やし」

「保険はあるわけだ」

 呆れた吐息の花に、父の肩からひょこっと現れた結師が言う。

「まあでも魔術師の財産ってかなりのものよ。このひと二二歳のときから今の魔術師の地位にあったんでしょう。今二四歳みたいだから三年は魔術師やってんのよね。音、計算よぉ」

「単純計算やけど、三年で一〇〇〇万近い手当が出とるな」

「……かなりの大金だな」

「実際はもっとあったと推測できるけどねぇ」

 結師がどさくさ紛れに父の髪に櫛を入れようとするので、父が結師の腰を抓んで離した。お転婆な結師に花が目をやる。

「もっとあるって、どういうことだ」

「魔術師っていうのは、いくつかの階級に分かれているの。このひとは下級魔術師だった頃も手当をもらっていたわけよ。蓄えていた前提で『持っている』っていっているわけだけれど、中級魔術師ともなればテレビなんかにも出てギャラもガッポガッポなわけだからぁ」

「二四歳で、一〇〇〇万あるいはそれ以上の財産は間違いなくあったわけか……」

 花への償いとして実行されたであろう財産の寄付。その行動でもって父は冬木敦也を信用できるとしたが、肝心なのは花の気持である。

「花さんは、どう思う」

「ロクでもないタコヤローが先輩に通報されたのに無罪放免っぽくなってんのは解せねぇ。警察だか検察だかに金を積んだか、それとも別の抜け穴を使ったか。とはいえ、財産を擲つってのはパフォーマンスにしちゃやりすぎだ。だから信用はできる。……今後のヤツ次第だな」

 花がテレビから目を離し、大窓から庭に出て言った。本当なら見たくもない顔を見つめて、なおかつ寛容な意見を口にした花は、なんと度量の大きい人間だろう。

 音羅は父を窺う。

「パパ、そのテレビ、わざと点けておいたりした」

「なんのこと」

 父のことだから、花を襲った青年と魔術師冬木敦也が同一人物と知っていてテレビを点けておいたのかと音羅は思った。

「虎押さんへのメッセージのこともそうだけれど、用意がよすぎる気がして」

「そういうこと。メッセージは単純に先読みして書いた。雛菊虎押の立場なら少しは考えたであろう仮定の状況になぜならなかったか、竹神音という人物がそれをしなかったのはなぜか、っていう疑問に答を用意して、お前さんが見舞に行くっていうから渡しただけ。お前さんらが日日いろいろ話してくれとるからできたことやよ」

 そのくらい、父ならば簡単なこと。「雛菊虎押が疑問をいだかず俺がしたことになんも思わんようならお前さんから答が渡ることもなかったから、回収して破棄する予定やったよ。音羅には難しいかな、こういうのは」

「そっか。疑うようなことを言ってごめんなさい」

 音羅は社会勉強が足りない。「テレビのことは、変に考えすぎたかな」

「あの子の意見を引き出すには恰好の材料ではあったかもな」

 やはり判っていたのか、と、思いかけた音羅にテレビを観て父があっけらかんと言うのは、「なんせ俺は未来に何が起こるか知っとるからな。知りたいことがあるなら訊いてみぃ」

「もうちょっと上手な噓を言おうよ」

「すごーい、音羅が噓と見抜いたー」

「馬鹿にしすぎだよっ」

「しかしあの子は強い。完全に立ち直ったわけじゃないやろうけど、もう未来を見据えとる」

「花さんのことだよね。うん、とても強いよ」

「けど、どんなに強くても人知れず泣くことはある」

「……そうだね」

「お前さんもあの子のように幾度起き上がる強さを身につけやぁよ。俺には無理やけど」

 現時点でテーブルに倒れ伏している父である。櫛を避けるべく結師を抓んではいるが。

「花さんの強さ、大事だと思う。学び取らないとね」

「その意気やね。じゃ、頑張って」

「ああぅ、目が回る〜ぅ」

 父が結師ごと掌をひらひら。少しいいことを言ったと思ったらこれだ。

 ……パパってば相変らずなんだから。

 そんな父の肩を二三揉んで、伸びた結師を救出してから、庭に出た音羅であった。

 ところがワタボウが消えて、程なくして警察官が二人、花を捜して訪れ、稽古はお預けとなった。警察官がやってきた理由は無論、昨夜の略取事件。

 広域警察が翼の報告を受けて略取監禁場所を鑑識していたところ、犯人である宅配便の青年冬木敦也が出頭・自首した。だが、事件内容から親告罪と判断されるため、花の告発がなければ立件できないとのことであった。

「訴えても得るもんがない」

 と、話を聞き終えた花が言った。

 玄関先に屈んだ二人の警察官に、テレビを観て言ったことと同じことを花は伝えもした。

「財産を擲ったのは信用に値するだろうし、様子を観ようと思う」

「それで君はいいのか」

 若い警察官が念を押すように。「また同じ目に遭ってしまうかも知れない。君のような被害者が新たに出ないとも限らないんだ」

 警察官としては悪を野放しにできない。それは一つの正義で、お金を積まれて折れるようなものでもなさそうだった。だが、花は警察官の正義を否定した。

「それならあたしみたいな被害者が出ないようにもっと警戒してくれ。尤もらしいこといってっけどあたしは町ん中で拉致られたんだぜ。アンタ達の怠慢、その皺寄せで襲われたんだ。それで誰が助けてくれたと思ってる。この、警察官でもない一般人、あたしの、友達(ダチ)だよ……。あたしが訴えて逆怨みでもされてみろ。責任取れんのかよ、なあ!」

 ……花さん……。

 隣に座っていた音羅は、花の背を撫でていたからよく解った。警察官を睨んで気丈に告げた花が震えている。

 壁に凭れていた父が、花の後ろから警察官へ言葉を投げる。

「この子のいうことが尤もやないかね。本部の長にも伝えておけ。自分達の無能を町人の傷で補おうとなんてすんな、ってな」

「竹神音……」

 中年の警察官が、父を睨む。「この少女を、洗脳でもしたか」

「なんでそんな──」

「いわせとけ」

 反論しようとした音羅を制して、父が無表情のもと警察官を見下ろした。

「お前さん達が有能になる魔法でも掛けてやろうか」

「っ……」

「安心しろ。使ったところで期待に応える下地がない。魔法が泣くから使わんわ」

「……失礼する」

 中年警察官が立ち去ると、若い警察官が立ち上がって父を睨んだ。

「アンタはまだ監視対象だ。いつか捕まえてやる……、首を洗って待ってろ!」

「頑張ってー」

 バタンッ!

 警察官が扉を乱暴に閉めていった。

 扉の音が反響する沈黙。

 ぽふっとワタボウが現れて花の頰に擦り寄ると、音羅は父を見上げた。

「花さんのことも考えて。煽る必要はなかったよ」

「俺はいつも通りやろ」

「アンタはそれでいい」

 と、花が父を肯定し、ワタボウを頭に載せた。「正直、すかっとしたぜ」

 花の言葉を、音羅は意外に思った。

「花さん、でも、すごく震えて──、あ、あれ」

 ぴたりと震えが止まった花が、にやりと笑った。

「ま、まさか、演技、だったのかな」

「貧民舐めんな」

「も、もうっ」

 音羅は花の肩を小突いた。「心配しているのに!」

「な、泣きそうな顔すんな、悪かったよ。でも恐かったのは本当だし文句くらい言わせろ。それに噓も言ってねぇぜ」

 花が立ち上がって音羅の手を引いた。「監禁場所に運ばれるまで、結構距離があったんだ。商店街には交番が四つもあるし、そこがしっかりしてたら救出されてたと思わねぇか」

「言われてみると……」

「竹神父の言うことも一〇〇(パー)同意なんだよ。広警のヤツら、自分達の不手際をあたしの訴えでなかったことにしようとしてる感じだった。その証拠に、期待に応じなかったあたしへの態度が雑になってたろ」

「パパへの当てつけで扉を閉めたりもしたものね。あれは、花さんが貧民なのも関係しているのかな」

「あり得なくもねぇかもな。けどそれ以前に、アンタを引っ張る目論見だったんじゃね」

 と、花が父を見て。「監視対象とかいってたし、アンタ実際犯罪者なんだろ。ちょうどここにいたあたしをダシに、アンタを探りに来た、とかな」

「引っ張るとか探りとかは憶測やし、俺は興味ないな」

 父が飄飄と。「ともあれ、花さん略取事件よ。犯人の今後を観察ってことで保留かね」

「ああ、それで決り。終わったことより、やるべきことだ」

 帯を結び直して、花が音羅の手を引っ張った。「稽古だ、稽古!時間が惜しいぜ」

「げ、元気だ……!」

「お前がいなかったらこうはいかなかっただろうけどな」

「あの警察官達には何も言えなかったよ」

「いただけでも充分だったよ」

 と、花がお茶目にウィンクした。花のこれはどこまでが演技か。父の無表情と同じように見定めるのが難しいが、

 ……わたしへの言葉に、噓は感じないな。

 音羅が花の支えになっている。それだけは確かだった。

「怪我せんようにね」

 と、父がもっさりとテーブル席に突っ伏したのを合図に、音羅と花は稽古を開始した。

 

 

 砂漠が広大なダゼダダ大陸。長良山脈から起こった清流は大地の血管。水を送り、息づく生を支えている。

「ここでよく溺れたね」

 星川衛が橋の上から大河の支流を見つめた。

 懐かしい山林の香り。強い風に煽られながらも、菱餅蓮香は自然と深呼吸した。

「溺れたのは主に衛だったけどね」

 中等部の頃はできなかった名前での呼掛け。何気なくやったら星川衛がなんの反応も示さず聞き流したものだから菱餅蓮香はそれから名前で呼ぶようにした。

「蓮香がどんどん急流のほうに行っちゃうからね。ぼくはついていくのが精一杯で、泳げないことも忘れて深いところまで行って流された」

「むちゃだったわね、あたしも、衛も」

「今だったら絶対にやらない」

「そうね。……愉しかったわね、むちゃできるって」

「恐い思いもそれなりにしたけどね」

 くすくす笑って、どちらからともなく歩き出す。

 菱餅蓮香の取り壊された実家はもう少し下流にあった。星川衛の実家は階級のように上流域だ。二人が向かうのは、毎年催される地区レベルの祭の会場の一つであり、子どもの頃、雛菊兄弟とも遊んだ思い出の神社である。

「あの辺りの茂み、まだ禿げてるんだね」

「ホントね。虎押が転んで松明投げ込んじゃったのよね」

 祭の日の夕方、麓の神社の祭壇まで松明を持って数人でリレする、と、いう行事がある。雛菊虎押が転んであわや山火事という事態に見舞われて子どもの参加は取りやめとなった。

「焼け跡はさすがにないけど、……長いこと、この辺りには来てなかったね」

「初等部も中等部も下のほうで、神社と上とを最短で結んだ道じゃないからよ。リレ用ね、ここ」

 上とは、ここより上流のこと。リレは上流から出発して麓の神社までの道をわざと遠回りして行くのが慣例だ。

「あれってなんで遠回りしてたのか、衛は知ってる」

「父さんがいってたかな。松明の火は生命の力強さ。広い土地と長良川の源泉を祀る神社に生命の力を運ぶのがリレの目的だね。昔は川魚なんかを運んだらしいけど腐っちゃったりして大変だからって松明に置き換えたらしい」

「へぇ、生命の力を土地と源泉に、か。なんか意味解んないことしてたのね、あたし達って」

「風習なんてそんなものだよ。いろいろな神話や伝承に擬えて、多少ヘンテコになっていても後世の人間が土地を想って行うこと……。すごく大事なことだと思うよ」

「それには同意するわ」

 生命の力。

 砂漠の多いダゼダダにおいて、生命への貢献度で水に優るものはなかなかないだろう。

「けど、生命の力の代替とはいえ、水源に対して火って変よね」

「それは、うん、科学的見地では砂や石とかのほうがそれらしい気がする」

「濾過よね」

「そう、そう。まあ、深く考える必要はないよ。想いが大事なわけだから」

 それを言うと、全てがこじつけでどうにでもなりそうだ。

 やがて現れた黒ずんだ鳥居を会釈してくぐって、石の階段を数十踏み上がれば、古くて小さな社と向かい合う。目的はお参りではない。二人は参道を外れて砂利敷を歩き、社の裏へ回った。

「『龍神の御使(みつかい)だー』っていわれた鷹押をここで匿ったんだったね」

「大人が追ってくるから社の周りをぐるぐるしたわね」

 雛菊虎押が松明で山火事を起こしかけたあとのこと。覆い被さるようにして火を消して山火事を食い止めたのは雛菊鷹押だった。勇気さえあれば大人にもできそうなことだが雛菊鷹押が無傷で、水源を司る神社の本尊〈龍神(りゅうじん)〉の御使だと大人が祭り上げようとしたのだった。

「鷹押、希しく慌てた様子で助けを求めてきたよね。あの頃は社が山のように大きく観えて、大人も恐かったなぁ」

「必死になって鷹押と逃げ回ったわよね。恐かったけど愉しかったわ」

「って、昔話ばかりだね」

「しかも鷹押と虎押絡み」

 含み笑いをした二人は、互いの思い出に触れる。

「あのあとの祭で、君の浴衣姿を初めて観た。うちわを扇いで涼しそうにしてる横顔とか、すごく……。ぼくは動揺して、目を向けられなかった……」

「嫌われたのかと思ったわ。引っ張り回したあとだったし」

 星川衛が菱餅蓮香の手を取り、

「嫌うわけないよ。ぼくは君とともに歩む力がまだ足りないからいわないけど、──」

「そうね、あたしもまだ道半ばともいえない半端者だからいわないけど、──」

 両手をそっと握り合うだけで、互いの気持がひしひしと伝わった。

「──久しぶりに、ここから登ろうか」

「えっ、今から山に」

 山間部は日が落ちるのが早い。

「一緒に月を観よう」

「ロマンチストね……。ま、むちゃもたまにはいっか」

「ありがとう。ではお手を」

 紳士のように手を引く星川衛だったが、菱餅蓮香はその手を離してさっさと歩き出した。

「あ、ちょっと蓮香」

「道なき道を手を繫いでとか舐めてるでしょ。ほら、行くわよ!」

「っはは……、ああ、ついていくよ!」

「できるかしら」

「できるとも」

 二人は競争するようにして山肌を駆け抜け、山頂に着いた頃、ちょうど月が懸かっていた。

「って、うっす〜い!」

「っはは、三日月にもなってないかもね」

「満月を期待してたわ」

 開けた山頂。テラスのような造りの一角、ウッドベンチに腰を下ろして二人で大笑いしたあと、情緒に浸る。

「観てると、悪くはないわね、こういう月も」

「そうだね。……蓮香」

「何」

「ぼくは、レフュラルへ行こうと思ってる」

「……進学先、決めてたのね」

「レフュラル魔法学園頂等部、名門中の名門、曾祖父も出てるとこだ」

「あなたなら行けるわね、たぶん」

「たぶん、なんて不確定にはしないつもりだ。……蓮香、応援してくれる」

「当然でしょう。あたしはあなたがどこにいても応援するわ」

「蓮香は。進路、決まってるよね」

「国内にするわ。自分の稼ぎでどうにかしたい」

 自立する力を身につけなくては。そのために、まず自立せねば。前後逆転だが、菱餅蓮香はそうせねば気が済まない。星川衛に頼りきりになるのは望まぬことであるし、星川家の支援に救われ続けるのは最も避けたいこと。星川衛と対等たるため、支えは心だけがいいのだ。

 月と星が降り注ぐ山頂。

 虫や木木の催促するような囁きに、菱餅蓮香は堪えかねた。

「手紙書くわね」

「じゃあ、住所教えるね。ぼくからは電話もするよ」

「そのときには一人暮ししてると思うから、電話番号、できたら教えるわ」

「うん」

「ええ……」

「うん……」

 風が吹く。

 ……冷えるわね。

 標高はそれほどでもないが山頂だ。

 震えていると、彼がそっと寄り添って上着を掛けてくれた。

 ……腕が、逞しくなったわ。

 幼い頃と比べたら、中等部の頃には立派な男になっていたか。上着越しに感じた星川衛の成長、道の交わる未来、菱餅蓮香はそれらを感じた。

 相応しい女になりたい。

 ……あたしも、もっと逞しくならないとね。

 夜空仰ぐ山頂は、未来を映すように明るい。

「そろそろ降りようか」

「そうね。下手したら雪が降りそう」

「あと半年ちょい、第三田創でよろしくね」

「このタイミングで。相変らず空気読めないんだから。……いうまでもないわよ」

 下流の町に下りた二人は山頂の冷気をとっくに振り払っていたが、手を繫いだまま、田創町へと戻っていったのだった。

 

 

 

──一九章 終──

 

 

 

 

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