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八章 暗中の光輝

 

 園芸部に入ったという野原の様子を、音羅は毎日納月から聞いて過ごした。

 学年混合武術交流会からあっという間に三週間も経っている。音羅は、寮で話して以降野原と直接会って話していない。会いに行っていろいろと話したいが納月と此方翼が計画的に野原と関係を築いているということを聞いているので、余計なことはすまいと自制した。端から直感に任せて動くタイプなのでもやもやしないわけではなかったが、野原が退学せずに済むよう働きかける、と、納月が約束してくれたから音羅は任せることができた。

 本日は日曜日。相末学と父が雑談に興ずるのを背に型の反復練習をしていた音羅は、相末学が帰途についたあと部屋に入った。汗を流してダイニングに戻ると、父がテレビの報道をつまらなそうに眺めていた。

 潜水艦でのミサイル攻撃失敗以降、テラノアは攻撃的選択肢を採っていないとテレビが伝えている。潜水艦の乗組員はダゼダダが拘束しているが、テラノアはミサイル攻撃を認めて乗組員の身柄を預けたまま口を開かない。不気味な沈黙であった。ダゼダダ・テラノアの大陸間でミサイルによる攻防が行われることがなく、平穏といえなくもなかったのだが──。

 音羅は牛乳を飲んで、父を観ていた。父の頭の上ではプウがくるくる這い回っている。音羅ならにぎにぎして構ってあげるが、父は無反応だ。

 ……パパ、本当につまらなそうだな。

 母もいるのだから、たまには一緒に出掛けて愉しんでくればいいものを。

「オト様、少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか」

 エプロンを掛けたままキッチンから出てきた母が父にお願いする。

「食材が足りないのですが、買出しをお願いできませんか」

「自分で行くか、音羅に頼んだらいいんやない」

 物臭な父はさも当然のようにそう言った。

「アジの開きを焼いているので、長くは離れられません」

 と、母には母の意見。夕食の支度中だが、必要なものが足りないと。

 音羅は手を挙げて、

「行ってくるよ」

 と、言い、「パパも行こうよ。さっきからず〜っとプウちゃんをほったらかしているよ」

「これはこれで構っとるつもりよ。音羅、よろしく」

「むぅ。せっかくの日曜日なのにどこにも行かないなんてもったいないよ」

「唯一の外出が買出しって、ほとんどパシリやけどな」

「ああいえばこういうんだもの。(ろく)な大人になれないよ」

「ナイス指摘。親にいう台詞でもないが」

 父が溜息とともに立ち上がった。「とっとと終わらせて帰るぞ」

「っふふ、オト様、よろしくお願い致します」

 微笑む母が食材のメモと財布を父に渡した。

 夕暮れの商店街へ繰り出した音羅は、メモを見て歩く父の腕にくっついた。

「くっつきぼぼか」

「パパとママの種みたいなものだからね」

「その表現はちょっと嫌やな」

「事実だもの。で、何が足りないの」

「主に調味料やな。食材はネギ。すぐに火が通るから、最後に入れても問題ないような料理に使うんやないかな」

「パパでもママが何を作るか判らないんだね」「俺をエスパかなんかと勘違いしとらんか。夕食の献立なんか羅欄納の考え一つで変わるんやから判りゃせんよ」

「そういうものなんだね」

「そういうもんやよ」

 父はなんでもできるのでなんでも知っていると思っていたが、そうでもないよう。音羅は新たな発見をした心地だった。

 外出がとことん嫌いな父らしく足早。商店街での買物を二分で済ませると両手にレジ袋を提げて歩いたので、音羅は少し離れて横を歩いた。

「パパ、片方持とうか」

「くっつきぼぼしたいだけやろ」

 その通りだが。

「駄目かな。せっかく二人きりだし、いっぱいくっつきたいんだよ」

「そういうのは恋人とやれ」

「いないよ」

「冗談やろぉ」

「パパみたいに恋多き人生じゃないんだよ。わたし、モテないもの」

 結師・クム、それからいつも音羅の傍にいるプウだって、父がいると父に構われたがる。現在進行形で、プウは父の頭に垂れ下がって気持ちよさそうだ。店の中では人目を避けるためか消えていたが、行き帰りではこうして父に甘えているプウである。羨ましい。

「プウ達のこれは恋じゃないが」

「でも、モテるよね、モテているよ、絶対」

 納月や子欄だって父が大好きだ。子欄などははっきりと言わなくなったが時折父のことをじっと観ていることがあるし、納月は父の惰性っぷりをツッコみながらよく背中から抱きついている。音羅には観察スキルもツッコミスキルもないので羨ましい限りだ。

「それも恋とはいわん」

「ともかく。わたしはそういうこととは縁遠いからパパとしかくっつかないよ」

「火が消えるわけだ。かわいそうなことをしとるな」

 父が意味不明な反応をしたのも束の間、見覚えのある背中が路地裏に入ってゆくのを音羅は見た。

「知合いか」

「あ、うん──」

 野原だった。

 野原は仕事時間を昼に移して商店街の飲食店で働いているそうだ、と、納月が言っていた。あの路地は寮の方角とは真逆に向かっている。友人に会いに行くには少し遅い時間だろう。夜間の仕事をまた始めたのだろうか。

「気になるん」

「う、うん……」

(まき)を焼べるか」

「薪」

「こっちの話。食材が傷むから長くは無理やけど、追ってみるか」

「いいの。あ、いや」

 音羅は首を振った。「駄目でしょう。プライバシの侵害だよ。野原さんだって日曜くらい自由に動き回りたいはずだ」

「ああ、あれが例の野原花か」

 納月とのやり取りは食卓で行われているので、野原について音羅がどう考えているか父も承知している。

「無魔力としてはいい脚を持っとるな。しなやかで無駄がないように観えた」

「試合ではっきり解るよ、すごく鍛錬しているって。だから、ね」

「復帰を祈っとるわけやな。貧困のせいで努力が報われんのは理不尽やもんな」

 母との結婚で父は逆玉の輿状態であるが、一度は貧民として暮らしている。世の冷風を身をもって体感しているから、野原の気持を理解できるだろう。

 野原を追う案を却下して帰途を促すと、音羅は父に尋ねた。

「パパはお金がないとき、どんな気持だった。わたしはそういう気持を知らないから野原さんの心を根っこから知ることができていないんだ」

 これまでにも父に尋ねる機会はあったが、みんなの前では父も話しづらいことがあるかも知れないと思って控えていた。今は、二人きりである。

「パパ、苦労したこととか、つらかったこととか、あったんだよね。よかったら、詳しく教えてほしいんだ」

「そういうのは戦後復興に携わった羅欄納のほうが情報量が多いと思うんやけどね」

「ママは貧困の当事者じゃない。パパだから解ることがきっとあるはずなんだ」

「なるほど。音羅なりにしっかり考えとるなら、俺が話すことにも意義があるかもな」

 プウを両手でそっと包んで撫でる父。斜陽が横顔に濃い影を灯していた。

「全てが羨ましく思えたな」

「全て」

「そ、全て。食うにも困り、明日は家を追い出されるかも知れず、遊ぶ時間はなく、先を観れない不安が付き纏う。気晴しに外へ出ても、愉しそうにしている家族を観ようものなら食うにも困らず家もあり遊べる余裕もあって不安もなさそう、と、感じた」

「みんなとのあいだに、見えない壁を感じる」

「いい喩えやね。まあ、俺の場合は本家からの解放感もあったからごまかせたが、本家の傘下にある新家だからこそ守られていた部分もなくはなかった。『守られていた部分』がいかに貴重か思い知ったとも言い換えられる」

「守られていた部分って」

「まさしく金銭面。まず第一に、就職先の確保やな。離婚後のお母さんが就職先を見つけたのは結構早くて一箇月も掛からんかったが、貧民というだけで時給か日給かが変わったし、時給単価も安くなった。階級社会は三大国で大差ないようにも思うが、最低賃金はレフュラルが最も高い。それで、お母さんはレフュラルに出稼ぎに出た。清掃業で、労働内容や負担はダゼダダと変わらんようやったが、稼ぎはダゼダダより断然よかったよ。ダゼダダ国内なら、下流と上流の給金格差で似たようなことがいえる」

「同じ仕事をしても給料が違うなんてことがあるんだね……」

「守られていた、と、いうのはそういうことだ。言葉は悪いが、ダゼダダでは貧民を下僕のように遣うのが一般的だ」

 父がポーカーフェイスで述べた、厳然と存在する格差社会の一端に音羅は愕然とした。

「上流や中流のひとと同じだけ働いても野原さんは給料が安くなってしまうってことだよね」

「ああ。スキルがあれば貧民出身でも成り上がれるが、スキルを獲得できる貧民は少ない。疲れ果てるほど働いても給金格差があって生活に潤いが出んのやから心は荒むばかりだ。俺は引籠りやったから外側に発散してなかったが、ひとと接することが多かったら衝突することが増えたやろうな」

 音羅は、野原の言葉を思い出す。

 ──アンタら有魔力さえいなけりゃ、あたしがこんなに苦労することはなかった!

 野原の心は、有魔力に対して一際荒んでいる。有魔力に嫌悪感をいだく出来事があったからだろうが、しかし野原は試合で追いつめられない限り表情も動きも冷静さに満ちていた。有魔力の音羅が相手だから暴言を吐きやすくなるだけで、じつは常に心が荒んでいるのではないか。それが、有魔力の音羅に対して堰を切ったように溢れ出してしまうのではないか。

 蓮香が投票しないと言ったときに野原が怒り出したことについて音羅は捉え方が少し変化した。蓮香のいっていることを理解しつつも、綺麗事では将来が閉ざされてしまう野原は蓮香の動機を否定することしかできなかったのではないか。そうして否定することしかできない自分に嫌気が差して、叫んでいたのではないか。

「パパは、自分が嫌になることってある」

「んなもん、毎日やな」

 音羅は父の回答に意表を衝かれた。

「噓、どうして」

「どうしても何も。俺みたいなクズが生き残っとることが全く納得ゆかんからやよ。必死に生きている人間、石に齧りついても生きたい人間、生きたくても死に向かわざるを得ない人間、そういった生に前向きな人間はいくらでもおる。その中で、死に向かいたがっとる俺がのうのうとお金を得て生き存えとる。この現実がどういう事実を顕しとるのか──。やりきれんよ」

「わたし達がいても、やっぱり死にたいの。パパは、生きていたくない」

 父の死への歩みは止まっているものと、音羅は思っていた。が、そうではなかった。

「音羅。それが貧困の、一つの恐ろしさだ。お前は愚かだ。お前は価値がない。世間がひっきりなしに烙印を押し、小さな希望も次次潰える。それが続くと、自分が愚かに思えて、自分に価値がないと思えて、全てが眩しく見えて、より自分が汚らわしく思える。下流階級、俗にいう貧民ってのは元来大別の一つでしかないし、それだからといって味方がゼロになるわけでもない。が、さっきいったような意識を俺も未だ持っとるわけだ。根強いんよ、負の感情も」

「パパは、根っから死に向かっているわけじゃないってこと」

「そうともいえるし、そうじゃないともいえる。どちらも本音やよ。ただ、それが入れ替り立ち替りに意識を乗っ取る感じね。あの子も、俺とは別のジレンマを抱えとるんやないかな」

「ジレンマ、か……」

 野原に取ってのそれは、なんだろうか。己の価値を肯定する気持と、己の価値を否定する気持だろうか。それとも、将来の道を拓くためにどんな苦労も厭わないことと、それゆえに仕事に追われて稽古に打ちこみにくい環境になってしまっていることだろうか。

 音羅は思っていたことがある。〈野原花〉という少女は、じつはとてもまじめな人間なのではないか、と。それは、試合を通じて感じたことである。それ以前にもそう感ずるに充分な出来事があった。音羅を有魔力と知って、簡易試合を仕掛けた初見の日、野原は音羅に伝えたルールに則って戦った。それに勝利し、音羅を邪険にしつつも再戦を約束した。再戦した交流会の日も、野原はルールに則って音羅と全力で勝負した。音羅を煽るなどして、自身の緊張を高めつつ自分を追い込んでまで手抜きをしないようにしていた。音羅の重い一撃を受けて立っているのがやっとという勝負が半ば決した状況にあっても、最後まで諦めることもしなかった。

 野原は、自分を高めるためにストイックに稽古している。反面、仕事に追われて稽古の時間を削られたばかりか格闘部を退部、無断欠席を理由に授業参加禁止処分を受けるという状況に陥った。お金があれば何もかもうまくいっただろう。貧困ゆえの苦境だ。それを解っていても否応なく子世代は親の貧困を負わされる。理不尽だ。逃れられない現実が立ち塞がって、仕事をしないわけにはゆかない。世界が冷たく感ぜられて、己の価値を見失いそうになる中でお金も地位も得ている人間が目の前に現れたら、見えない壁を感ずるだろう。その壁が世の冷風を生まれながらに遮断するものとも感じたなら、敵視や羨望の目差で見ないほうが難しい。

 ……野原さんは、わたしがそんなふうに見えたのかな。

 有魔力として生まれ、働かずしてお金に不自由しておらず、三大新入生にも選ばれた音羅。その傍らで、野原は──。

「ひとの苦しみはそれぞれだ」

 父がプウをむにむにとマッサージしながら、音羅に目を向けた。「苦しみに強い耐性があるとなかなか吐き出せんこともある。野原という子がそうとは断言せんが、少なくとも自分の苦しみが他者に絶対的に伝わるとは考えとらんやろう。それだけ他者と自分に隔たりを感じとるって証拠でもある」

 ……見えない壁があるから。

「同時に、自分が他者の中で浮いてまっとるってことも感じとるやろうよ」

「わたしがしてあげられることはあるのかな……」

 音羅は考えが取り散らかって纏まらない。考え事がとことん苦手だ。

「母や、妹を見習いなさい」

 と、父が言う。「自分のできることを突きつめてやっとるいい手本が近くに何人もおるからね。考え事が苦手でもできることはあると、前向きにいきなさい」

「……うん」

 父の励ましは言葉同様に何より重く、音羅の心に響いた。

 ……今はただ、なっちゃんに任せるんだ。

 野原にしてあげられることがあるなら、全力でやる。考えが纏まらず、何も思いつきもしない今は、下手な手を出すより納月に任せるべきだ。逸る(はや  )気持が湧いてやまないが、野原のために一番よい選択をするには自分の気持を優先すべきではないはずだ。

 帰宅すると父の渡した食材と調味料を使って母が料理を完成、家族五人とプウ、クム、今日は結師も揃って夕食と相成った。いつものように賑やかで、笑顔が絶えない食卓だった──。

 

 

 翌日月曜日。

 夫オトに見送られて仕事に出たララナは一六時過ぎまで家庭教師を務め、帰途についた。家庭教師の仕事を始めてからこのスケジュールで固定されている。ほぼ毎日生徒が代わり、何を教えるかは依頼人の要望や生徒の学力・意欲・興味の対象などによってさまざまであるから考えることが尽きず愉しい仕事である。

 帰途、安アパート〈サンプルテ〉一〇三号室が見えると携帯端末に電話があった。受電すると、家庭教師の仕事の依頼であった。

「──、明日午前は空いてましたよね。第三田創魔法学園高等部の寮に依頼人がいるので、そちらへ出向いてもらえますか」

「(音羅ちゃん達の学園の。)問題ございません」

「竹神さんの指導は為になったと評判がいいんです。これからもよろしくね」

「はい」

 評判はともかく、生徒が学ぶ悦びを得たならよかったと思うララナである。電話を切って家に入ると、寝室で魔法の勉強をしている子欄と、ダイニングのテーブル席でテレビを観ているオト、オトの隣でクムと糸主がくてっと背中を合わせて休んでいるのを確認した。

「ただいま帰りました」

「おかえり」

「お母様、おかえりなさい」

「ようかえりなすったぁ」

「ララナ様、おかえりなさい」

 オトと子欄、糸主、クム、それぞれのお迎えの言を聞いて、ララナは仕事の予定を話す。

「明日は子欄ちゃん達の学園の生徒に勉強を教えることになりそうですよ」

「へぇ」

「お母様を指名してきたんですか」

「指名はできません。より多く勉強したい生徒がいるのでしょう」

「殊勝な若者がおったもんじゃ」

 感心する糸主をもふもふしながらオトが言うのは疑問である。

「お前さんみたいな高級家庭教師を頼む生徒があの学園におるん。無魔力が大多数の学園で生徒にお金はないやろうし、羅欄納の専門は普通科関連や魔法学で、武術系じゃないやろ」

 それはララナも気になった。

「納月ちゃんの話によれば魔法研究部や魔導研究部がございます。有魔力の、裕福な生徒がいるのでしょう。魔法学園では充実しているはずの魔法・魔導関連の授業が、第三田創では物足りないのかも知れません」

 第三田創には、数は少なくても将来有望な術者や導者がいる。付き合ってみれば存外気のいい生徒だとも、先月納月が言っていた。

「名前は訊いたん」

「依頼人と会って、こちらの身分証明をしてから名前を聞きます。今回もそうです。家庭教師派遣業者側で依頼人の個人情報を保存しないためだそうです」

「紙媒体やと火事や盗難が恐いし、デジタル媒体やとサーバ攻撃なんかが恐い。もとから控えがなければ情報が失われたり漏れることはないって考え方やな」

「その替り受講する側は都度依頼する必要があるので月謝制ではなく、一般的な家庭教師より高いです。依頼人の秘密保護上、学歴や経歴において信頼性が担保されている教員が登録可能なので、その点でも上乗せがございますね」

「お前さんの給金を観れば一目瞭然やな。八時間勤務でもないのに月三〇万以上を軽く稼ぐヤツなんか、ダゼダダじゃほとんどおらんわ」

「出費が嵩む時期ですから、稼ぐに越したことはございません」

「無職の夫に嫁いだ嫁の哀れな現実をせいぜい頑張れ」

「存分に愉しませていただきます」

「皮肉に笑って応答すんな」

 オトが呆れているが、ララナとしては当り前のことである。昔取った杵柄で〈魔術師〉の階級手当が入ってくるので、それだけでもじつは十分生活できるのだが。

「お母様、いつもありがとうございます」

 と、言ってくれる子欄達やオトの生活を金銭面で助ける。それが自分の当面の役目と思っているララナであるから、昔取った杵柄に頼りきるつもりはないのである。

 翌日の朝。いつものようにオトに見送られて家を出ると、娘が通う通学路を歩み、第三田創の東を抜ける。授業の時間帯で、別館から元気さが響いてくる。目的地は第三田創の生徒が使う寮。依頼人と待合せ(まちあわ  )しているが寮内か寮外かは判らない。

 ……ひょっとすると、不登園の子かも知れませんね。

 病気や怪我で動けない子という可能性もある。普通でない状況に立つ子であるなら、心が弱っていないか見極めて接してゆく必要があるだろう。

 ほとんどの生徒が登園して(もぬけ)(から)なので寮は静まり返っていた。そんな中でぽつんと制服がいるから目立たないはずはなく、一目で依頼人であると察せられた。

「初めまして。家庭教師として訪ねました。依頼をくれたのはあなたですか」

「は、初めまして、そうです、あた、じゃなかった、わたしが依頼人です」

「同級生に話すように気軽に話してください。私もそのように致します」

「そういいつつ、そっちはすごく丁寧なんですけど」

 と、戸惑う依頼人の少女。

「申し訳ございません。これが普通なのです」

「食えないおん……」

 ララナはくすりと笑って、

「構いませんよ。学園生活を思い出して懐かしいです」

「怒らない、の」

「私を評価するのは私ではないのです。就学時代、私を呼ぶ声は必ずしも耳に優しいものではございませんでした。食えない女ならぬ食えないガキという呼称はその一つです」

 苦学する二〇代の学生が大勢(たいぜい)の頂等部に、苦もなく入学した幼いララナ。邪険に扱う者が少なからずいた。

「その、あなたは、それを許容したの」

 と、少女が尋ねた。

 ララナは首を振った。

「受け入れたのではございません。反論の機会があれば致しました。それで認めてもらえないなら様子を観ました。人間関係は根気が要るもの。武術の稽古と同じです」

「……そう、かも。あ、中へ行きましょ。暑いでしょ」

 と、少女が寮内へ歩き出した。ララナはついてゆく。

「私は竹神羅欄納と申します。あなたの名前を教えてください」

「……、野原花」

 それまでと自己紹介後で、少女改め花の空気ががらりと変わった。ララナと同じような気づきを得たのだろう。

 花の気づきは、竹神音羅や竹神納月の関係者ではないか、と、いうこと。

 ララナの気づきは、音羅や納月の話していた子だ、と、いうこと。

 互いに顔を知らないが間接的に知っている。そんな予感と感覚が、花を先程までとは別の緊張感で支配しているようだ。

 一階南西の角部屋に入ると、少女の部屋とは思えない殺風景。勉強机に鉄アレイと鉢植え、閉めきられた青無地のカーテン、どれもミスマッチな印象を受ける。

 勉強机についた花を認めて、ララナはやる気を買った。

「さて、何を教えてほしいですか」

 勤務時間のちょうど五分前であるが、仕事を円滑に進めるには依頼人である花の要望を聞かねばならない。

 花が鉄アレイを握って、

「あたしのこと、知ってるでしょ」

「おや、いきなり質問で返されるとは思いませんでした。知っておりますが、何か問題がございますか」

「竹神音羅、それとも竹神納月、どっちから聞いたの」

「どちらもですね。二人は私の娘です」

「むすっ!」

 ばっと振り向いた花。「噓でしょ……」

「信ぜられないのも無理はございません」

 ララナは娘より身長が低く、顔を観ても幼い。子どもがいると言って信じてくれた人間は緑茶荘管理人日向像佳乃とオトの友人相末学くらいである。

「一緒に歩いていても妹に観られてしまうので困ったものです」

 ララナは隣空間から一枚の卒業証書を取り出して、花に見せた。これはララナが「レフュラル魔法学園頂等部卒業」の経歴を開示して家庭教師として信用してもらう一助となる。花に対しては、音羅達の親であることも表すことができる。

「だいぶ古びてる……、〔3011年卒業〕、か」

「ご覧の通り一〇年以上前です。話を戻しますが、娘から花さんのことを聞きました」

「内容は言わなくていい。あたしはあなたと違って他人の評価が嫌いだ」

「解りました。聞きたくなったらいつでも尋ねてください」

 花が聞きたくなったときにいつでも話すと示しておく。自分の考えは大切だが、それに縛られないゆとりも大切だ。

「本題です。何を教えてほしいですか」

「あなたも有魔力なんだよな」

 再びの質問返しだが、ララナはうなづいた。

「はい」

「あなたも隠さないんだ……」

「無魔力個体・有魔力個体という括りも差別を生んでいることは事実。ひとによっては隠そうとすることもございます。身を守る術であるなら必要に応じて行うべきでしょう。ですがあなたは無魔力個体で、私は一方的にあなたを無魔力個体と判った状況でした。隠すことより、開示することで得る利益が多いと考えました。すなわち、互いがフェアであるという利益です」

「……そう」

 花が何かを納得して、鉄アレイから手を離した。

「教えてほしいのは、魔法について、それや、魔術師についてだ。家庭教師の派遣をしてる業者に尋ねたら、一流の魔法学園を出た魔術師がいるって聞いたから、そのひとを呼んでもらった。そしたらあなたが来た。まさか、アイツらの母親が来るなんて思わなかったけど……、これも、ある意味、運命かも知れないし」

「奇遇なことです。私も少なからず驚いております」

「……で、教えてもらえる」

「勿論、ご依頼、承りました。魔法や魔術師について教えます。具体的にどんなことを聞きたいか、指定はございますか」

 花が、「う〜ん」と、考えて口を開いた。

「有魔力のことを知りたいと思った。あたしは……思い返してみれば、初等部でも中等部でも魔法学は関係ないって目を背けてたし、有魔力を知らなすぎる、って」

「要するに弱点を知りたいのですね」

「そ、そうじゃない。確かに、弱点があるなら知りたいけど、そうじゃないんだ」

 花が俯く。「たぶん、知ってる、よな。あたしが有魔力を怨んでるって」

「察するに足る話を聞いております」

 音羅や納月から聞いたことについて話さないと言ったばかりなので、ララナは直接的表現を控えた。

「ここだけの話にしてくれる」

 と、花が瞥た。複雑な心境を整理しきれていないよう。

「個別授業の時間です。他言は致しません」

 ララナが応えると、花が胸のうちを語る。

「無魔力ってことが一目で判るくらいで、有魔力は無魔力を解った気になってる。でも、そうじゃねーだろって話で……。あたしは、有魔力の生態がいまいち解ってない。有魔力が、無魔力の生態を知らないのと同じだと思う」

「なるほど。花さんは有魔力個体のことを理解しようと考え始めたのですね」

「そういうわけじゃ……」

 否定しかけて口を閉じる。葛藤があるのだろう。野原花という少女の心に、有魔力への怨みを上回りかけている感情が育っているのだ。ララナは彼女の気持を決めつけず話す。

「有魔力個体の生態でしたね」

「……うん、そう、お願いできる」

「ええ、勿論。そうですね、どこから話せばよいでしょう。例えば、有魔力で代表的な魔術師の起りに遡るなら数千年前または一万年前から歴史をなぞることになります」

「い。そ、その、簡潔にお願い、歴史とかはちょっと、……」

 得意ではない。そういわないのは、プライドもあるだろうが、個別授業の費用対効果を考慮してもいるだろう。花は、日頃から仕事して自分で学費を捻出している。対してララナの授業料は高い。短い時間に濃密な学習を、と、いう配慮がいつも以上に必要だ。

「それでしたら、魔法や魔導、魔術師や魔導師といった有魔力個体の現代社会における役割をお話することに致します」

「うん、それ。それをお願い」

 花が机に向かってノートを開き、カチカチとペンシルを鳴らして芯を調整した。いつでもメモできるその姿勢を確認して、ララナは授業を開始した。

「現代社会において有魔力個体の成す役割は無数。中でもあらゆる外敵との対峙にウェイトを置いています」

「魔物とか」

「はい。人間はもとより、先の悪神討伐戦争に観られるような神や悪魔といった他種族の攻撃を受けることもございます。そのような場合、有魔力個体はそれら他国兵や他種族の兵力に対して体を張る必要がございます」

「人間はいい、なんとなく解るから。神や悪魔って神話みたいな話だよ。本当に存在すんの。そのころ学園でいろいろ対策してるみたいな話をしてたけど、あまり実感がなかった」

「不幸中の幸いです。花さんの通っていた初等部は攻撃を受けなかったのでしょう。攻撃を受け、跡形もなくなった村や町がいくつもございます」

「……。神や悪魔って、そんなに強いの」

「はい。無魔力個体や低レベルの有魔力個体との比較で、悪魔は五倍、神は一〇倍の戦闘能力があるといわれています」

「そんなに差が……。でも、徹底抗戦すれば追い返せるレベルではあるんだろう。人間が絶滅しなかったのがその証拠だ」

「しかしながら、先の比較は飽くまで最低水準同士のもの。神の最高水準はかの一二英雄をも圧倒しました。その実力は計り知れぬ脅威といえます」

「作戦を立てたんだろうが、英雄達はよく勝てたな。実力差のある相手に体を張れなんて、むちゃというか、無謀だ……」

「その替りの社会保障が階級手当や就職優先度の高さといえますね。生まれながらに魔法・魔導技術の向上と常在戦場の意識を持つ責任を負っているのです」

 有魔力の人間にそれほど重い責任があるとは知らなかったのだろう。花が息を吞んで、しばらくしてメモを録った。

「勿論、能力を満たしていない有魔力個体は社会保障対象外です。学園の中でも少しずつ篩に掛けられ、留年や退学といった形で落ちてゆきます。社会の中では不適格と判定された者は職を追われます。これは無魔力個体でも同じことですね。懸命な労働者でも適材適所となっていない場合は配置換えがあり得ます。有魔力個体の場合は、自分から意見して融通が利きやすいというのが無魔力個体との違いでしょう」

「無魔力だと、融通が利かないってこと」

「必ずしもそうではございませんが、無魔力個体の扱いはぞんざいです。花さんもこれまでに幾度と感じてきたであろう理不尽が、その一端といえるでしょう」

「……」

「ぞんざいな扱いをしている親世代がいる。その世代の背中を観ている子世代がいる。子は親を選べませんから、幼い頃は特に、近くの親を観て育つしかないのです。すると子世代は無魔力個体に対してぞんざいになります」

「遺産……、負の連鎖、か」

「ええ」

「負債だよな、完全に。貧困と、ちょっと似てる気がする。金は目に見えるけど、有魔力には見えないものも受け継がれてる」

「はい。魔力は有魔力個体にしか見えないものですが、心の成長というのは有魔力個体にも見えないものです。それは、見るのではなく、感ずるもの。感じようとする心が育っていなければ、魔力の有無を問わず己の無配慮に気づくことができず正すこともできません」

「心があとに育つことはないなんてこと、いわないよな。そうだとしたら、バカに育てられたヤツは救いようがないじゃないか」

「心は何歳になっても育ちます。ただ、親世代あるいはその上の世代が育っている家庭とそうでない家庭で差が生ずることは否めません」

「有魔力や貧しい家庭では、そういうことがよく起こってるってことか……」

 そう。だからなおさら、貧民・富民や無魔力・有魔力で差別をしてはならないのだ。たださえ負の連鎖が起きている中で、差別という暴力が後天的な負の教育となってしまう。そうして心が潰れされて、荒んでしまう。

「ですから、私は誰を問わず教授することがございます。理解できないひとがいても拒絶するのではなく、まずそのひとの話を聞くようにと」

「……そう、それを誰もがしてくれるなら、あたしら無魔力だって有魔力を怨んだりしない。現実はそうじゃない」

 己の感情と同時に多くの無魔力の悲嘆を感ずる心が花には育っていた。

「有魔力に心があるなら、有魔力の横暴なヤツを止めてくれてもよかったはずじゃないか。でも、そんな有魔力、あたしが中等部ん頃は一人も……」

 静かな部屋。ペンシルの芯が弾けて飛んでいった。響いた音で花が我に返ったよう。ペンシルの芯を調整し、線を書いて尖らせ、消しゴムで無駄書きを消した。

「今のは忘れて。授業と関係ないし」

「はい」

 有魔力の誰かと中等部時代に何かあった。それが野原の心に傷をつけ、今の怨みに繫がっているのだろう。ララナはそうと感じたが花に「はい」と応じたので音羅達に伝えない。いつか音羅達が察して、または直接聞いて、初めて花との相互理解を深めることができるはずだ。

 寮は靴を脱いで上がっている。素足で床を踏むことも多いだろう。ララナは落ちた芯を拾って、机上に置いた。

「再び話を戻します。有魔力個体の驕りは重い責任から生じたものといえます。現在では、有魔力個体であるから優遇されてしかるべきと考える者まで派生した始末ですが、社会に出たらその者は現実を思い知ることになります」

「責任の重さに堪えられないってこと」

「はい。ほとんどの場合、要職には就けません。意欲がなくプライドばかり高い者を重用するとすればさらに上の人間が尻尾として利用するためと考えてよいでしょう。社会における自然淘汰といえますね」

「無魔力だったとしたら、どうなる」

 と、花が問う。「例えばさ、意欲があって懸命に働いてる無魔力がいて、結果が伴わないだけだとしてもやっぱり自然淘汰されるのか。努力が報われないなんてこと、あっていいのか」

 ララナは理想論を好むが、

「ございます」

 と、言った。いずれ判る噓を言っても花の為にはならない。「努力が報われないことは、有魔力個体にもございます。あらゆる社会を成り立たせる体制の中では、遍く存在が切捨ての対象と成り得ます。いかに賢くいかに強靭な心を持っていても、それは起こり得るのです」

「夢も希望もないね」

「ごく一部のこと、と、いいたいのですが、その限りでもないというほかございません。光の下に影が在るように残るでしょう」

「聞き飽きるほど報道されてるようなイタチごっこってヤツな、よく解んないけど」

「打ち砕くには多少興味を持つ必要に迫られます。そちらへの関心は、花さんの目指す未来に道が交わる前でよいでしょう。そうはならないことを祈ります」

 ララナは話を発展させる。

「さて、有魔力個体の役割と責任について軽く説明致しました。では、無魔力個体は社会でどうしているのか。先程も少し話しましたが、気になりませんか」

「あんまり聞きたくはないな……」

 将来は闇に覆われていると感じて生きてきたであろう花である。無魔力の歩む人生がどんなものか、知るのが恐いというのは自然な反応だ。けれども、

「興味は、ある」

 と、花が主張したので、ララナは話すことにした。

「これまで無魔力個体の職種はほんの一部に限られていました。第一次産業、第二次産業を始め、第三次産業である商業、運輸業、通信業、金融業、サービス業、公務などなど、数ある業種の細分化された業務の中でも極めて末端でしか雇われてこなかったというのが現実です。特別な技能が要らず誰でもその日から始められる日雇い労働者のほとんどが無魔力個体であるという統計もあるほどです。しかしながら、その現実が少しずつ変化していることを、私は感じております。第三田創のような学園ができたことが、それです」

「学園の……教師。公務に、無魔力が雇用されてるってこと」

「ご存じですね」

「うん。先生の中に、無魔力がたくさんいるって聞いてる。格闘部顧問のテーコフ先生とか宇田先生とかがそうだ」

「学園長の星川さんは有魔力個体ですが、無魔力個体の教員は子達に取って有益な教育ができると見込んだのですね。武術の技巧は勿論ですが、心の教育にこそ一役買ってくれると」

「もしかしてあなた、学園長と知合いだったりするの」

「いいえ。著書『異端奨励──』を読んだことがあるのみです」

 音羅達が第三田創で試験を受けたあと、ネットストアで買って読んだ。星川英の自叙伝であるが、無魔力に対するエールが込められた一冊でもある。

「著書によれば、星川さんは無魔力個体にも魔法的技巧が身につくと考えています」

「それって、無魔力でも魔法が使えるようになるってこと。あなたも、そう考えてる」

「現段階では無根拠的可能性を感ずるレベルです」

「どういう意味」

「前例がないことですから、『無いものは証明することが難しい』と、いえます。が、私は可能性がないと断定しておりません。──」

〔有魔力個体が魔法を発生させる際、魔力を操るために精神力を消耗しているのは誰しも知るところ。だが、魔力の操作を行っていないはずの一部武術においても精神力が消耗されることが魔法学会で公表されている。原因は不明。ただ、認識できない魔力集束が発生しており、武術も一種の魔法になっているのかも知れない、と、捉えることができる。〕

 と、星川英が著書に記している。

「──。可能性を突きつめるべきという星川さんの意見に、私は賛成です」

 最初から可能性を否定していたら、ララナはオトと結ばれていない。同じように、あらゆる可能性を信じて追究することは意義あることだとララナは思うのである。

「魔法や科学がいかに発展した現代でも、未知の出来事がまだまだあるのです。人間の可能性もしかり。そういった意味でも、差別をすることなどは無駄でしょう。違いがあるということは世界にそれだけの多様性が生まれているということの証。平均化による協調も理解できますが、平均化を目標化としたり協調しない個が排斥されるようなことがあってはならないと考えております」

「現実には、有魔力が優遇される、っていう世界規模の平均化が起きてる気がするけどな。第一、学園だって有魔力の学園長が仕切ってるから成り立ってんじゃないか。それとも無魔力でも創設できたと。たぶん無理だろ、創設の許可を出してるのは重用されてる有魔力達なんだろうから」

「現実を見定めることは必要ですが、一つの見方に過敏となれば偏見が生じます。偏見が差別に繫がる危険性を思えば聡くあるべきですが過敏になることはお奨めできません」

「無魔力からしたら当り前の意見で過敏ってわけでもないと思うけど。それに、無魔力側から観る差別とは別問題だ。有魔力が見下げてくるんだからどうしようもないって話じゃん」

 花との考えに相違があるのは解った上で、ララナは指摘する。

「花さんは、一つ間違っています」

「何が」

「花さんは有魔力個体が見下げていると考えていますが、その見方も一概にいえないのです」

「どういうこと」

「考えてみましょう。有魔力個体は魔力を感ぜられるのですよ。ならば、魔力で気配を探知できる有魔力個体より何も感ぜられない無魔力個体のほうが恐ろしい存在に思えることもある。そう思いませんか」

「そんなことあるのか。全然感じたことねぇけど……」

 花が心底意外そうに目を丸くした。理解が追いついていないのだろう。

 ララナは、第三田創魔法学園高等部の方針と経験談を結びつけることにした。

「私は悪神討伐戦争で戦ったことがございます。その中で一番脅威に感じたのはなんだと思いますか」

「人間より何倍も強い神や悪魔の攻撃とか、それが無抵抗の人間に振り翳されることとかか」

「いい線ですね。私の答は、無魔力個体の人間による狙撃」

「っ。それって、味方についてるほうってこと、だよな」

「左様。味方でも、相手の命を奪うのですよ」

「……」

 花が反論できなくなった。高等部一学年生の少女。それでいて命の重みを自分の体験から推し量ったことがあるのだ──。

「有魔力個体は強い力を有しています。それは魔法や魔導といった能力や機能に裏打ちされた確かなものです。一方で、力に頼りすぎていると無魔力個体の存在を無視してしまう。有魔力個体による魔法や魔導がメインウエポンと考え、対策が偏ります。そこに投入されたのが、無魔力個体の狙撃チームです。殊、この惑星アース上で悪魔や神を退けたのは、有魔力個体の影でスナイプしていた無魔力個体なのですよ」

「知らなかった……。そんなことが、あったの」

「当時最前線にいた者しか知らない作戦です。有魔力個体に取って、気配を感ぜられない無魔力個体との敵対は致命を招く恐ろしい状況なのです。それゆえに、第三田創は『狙撃科』を採用しています」

 今まで目にすることのなかった世界の側面を垣間見て、花がメモを録り、微苦笑した。

「なんか、ちょっとほっとしたかも。無魔力だからって劣等ってわけじゃないじゃん。無魔力がいなかったら今この世界に人間はいなかったかも知れないんだ」

「命のやり取りについては推奨できませんが、そうした事実があって有魔力個体が無魔力個体を恐れる理由があること、見下げているように見えて恐れている可能性、また、それ以外の気持を持ち得る可能性も──、心に留めておくとよいかと思います」

「うん……」

 花の個別授業を始めておよそ一時間が経過した。メモしたことを読み返しながら情報の肉づけをしている花を観て、ララナは質問する。

「ほかに何か聞きたいことはございますか」

「そうだな、有魔力の情報は思ってた以上に収穫があったから、ほかは特にない」

「そうですか。しかし時間が余りすぎていますね」

「あと二時間……」

「せっかく高い料金を支払うのですから、時間いっぱいいろいろ学びましょう。私でよろしければお相手致します」

「相手、か……、相手な……」

 録り終えたメモを見て、腕組をする花。しばしその恰好でいたが、唐突に立ち上がる。「そう、相手。あなた、武術はできる」

「一通りは学んでおります。徒手格闘ですか」

「その恰好じゃさすがに試合は無理か」

 花が眉を顰めて瞥た(み )のは、ララナの裾である。

「そうだな……、あたしの動きがどうだか、観てくれないか」

「試合はよろしいのですか」

「なんとなくだけど、結果を観た気がする」

 花が机上の折れた芯を見下ろした。「こんな小さいもんがどこに落ちたかなんて、よく観てたよな」

「矢であれ爆弾であれ人命に関わります。ペンシルの芯でも刺されば一大事です」

「その眼、信用できそうだ。ちなみに、何か実績は。格闘大会出場とか」

「いいえ、私はございません」

「竹神の格闘技術はあなたが教えたんじゃないのか」

「音羅ちゃんのことなら自宅で猛特訓していましたよ。私や夫は教えたことがございませんから、学園で教わったものの積み重ねでしょう」

「格闘のことは多少解るんだよな」

「はい。戦場仕込みでいささか物騒ですが」

「実戦的な眼のほうが信用に足る。観察、お願いしていい」

「勿論です」

「じゃあ、ちょっと道着に着替えるわ」

 時間が惜しいのだろう。その場で制服を脱ぎ捨てて道着に着替え、帯をキュッと結んだ花が早速部屋の中央に立って型を作る。

「その型、音羅ちゃんもやっていました。初等課程で教わるものに似ていますが、腰がやや浅いですね」

「そう、重心が高くなって安定しにくいが、狭所戦の簡易試合の中でも、第三田創のルールに微調整されてる。たぶん細くて狭い場所での戦闘なんかも想定に入れた型なんだろうことはほかの型からも推察できる、ってのは脱線だな。話を戻すが、これは第三田創で教わる基本型(きほんけい)の一つだ。あらゆる型はここから移れるし、ここに戻ることもできる。前に出るのが右脚右手か左脚左手か、左右手脚逆転してるか、ひとによって違いがあるけど、基本中の基本ってことは間違いない。観てほしいのはここから先だけど……、この基本型についてもなんかいうことあったりする」

「ございます」

「え」

 花が仰天したが、指導する側のララナはお構いなしである。

「まず、戦場において型を作っている暇などございませんから、私の場合は直立でも転倒後でもただちに行動できるように致します」

「え〜。んな型破りなこといわれたって」

「ダゼダダの武道における守破離(しゅはり)、これはその『()』に当たる、すなわち型破りです」

「うまいこといいやがる、いや、あたしがいったのか……。っと、でも、そういわれると、確かにそうなんだよな」

 花が型を解いて腕組。「戦場じゃ乱戦なんだろうし、一対一の試合ですら、体勢を崩されることがよくある。本当はそうならないのが一番だけどそうなったら対応するしかないじゃん」

「ええ、よく解ります」

「前線にいたあなたもやっぱりそういう体験があるんだな」

「生きて帰った者は皆、ですが」

「……だよな。体勢が崩れたあと対応しつつ復帰するのって結構しんどいだろ。相手の攻撃に合わせて無理な姿勢から対応するから筋を痛めるのなんてしょっちゅうだ。足裏以外をつけたら減点だから手をついては起き上がれない。だから脚の筋力で勝負が分れることも多多だ。あたしが思うに下半身の強化は必要で走り込みなんかは一種楽なんだけど試合向きの筋肉にならねぇのが厄介で、──」

 格闘の話になったら花が饒舌になった。その表情は真剣にして、綻んでもいる。

 ……心から打ち込んできたことなのでしょう。

 未来を切り拓くためでも、嫌いなら別の手段を採ったはずだ。好きだから続けられて、愉しそうに語ることができる。

「──、と、いうわけだ。どう考えても型が必要じゃん。で、質問だけどな、直立不動や転倒直後なんかからでも攻勢や守りなんかに出られるようにするのって、無魔力でも可能なのか」

「可能です」

「ホントか。あとで冗談とかいっても許さないぜ」

「物理的に不可能ではないかと。試しに何か攻撃を仕掛けてください。直立で対応致します」

「いろんな意味で危ないし、脚は狙わないほうがいいな」

 オトの言いつけで最低限着込んでいるが、花がもともと持っているであろう他者への心遣いがさらに育つことを願うララナである。

「ありがとうございます。では、上体のみと致しましょう。私は反撃致します」

「解った」

 花がララナの前に立って型を作り、「いくぜ」と、右肘打ちを繰り出した。

 ……これが例の。

 音羅から聞いていた通り、凄まじい初動速度と接近速度だ。コツは前進と腕の振りを同時に行い、相手の動体視力に掛からないようにすること。

 まともに受ければ大人でも骨が折れてしまうだろう。懐に入る速度といい、花の格闘センスは間違いなく抜群だ。(やわ)な悪魔なら気絶させられるレベルと観ることもできるが、

「ひっ──!」

 ララナは肘打ちの腕の下方に跳び込み、花が反射的に後退しようすると同時に彼女の胸を平手で()()()後ろに倒した。

 バタッ。

 背中と両手で受身を取った花が、横に立つララナを見上げた。

「な、速っ……」

「戦場なら敵兵の武器や魔法が刺さっていることでしょう」

「最初の回避、どうやったんだ。それに、いつの間に側面に……」

 起き上がった花が、上昇志向を覗かせた。ララナは花の視線を足許に促してから、

「こうです」

 と、ゆっくり実践した。最初は片足を出して屈み、

「っ、引いたほうの爪先で跳んで側面に回ったのか。間違いなくあたしの攻撃を観てからの動きだったし、すげぇ動体視力と反射……。そんなのやろうと思っても試合相手のレベルが足りねぇから体に落とし込めるほど経験できねぇよ……」

「よい観察と分析です。解説致します。最初の回避ですが、花さんの接近を加味して肘打ちの形を取った腕に隠れるように身を屈めます。これで、隠れた私に対して花さんの反射が遅れます。次に、花さんが私の反撃を警戒して後退を選択、爪先に力を込め始めます。ここで私が側面に回っていれば、効果的な後手を打つことができます」

「効果的な後手……」

 花が胸に手を当てる。「感触が残ってる。胸を押されてたのか。そういえば、体が浮いた感覚がかなり遅くて、爪先が長いことついてた感じが──。そうか、地面に足がついてて胸を押されてんだから、力の逃げ場が押された方向になる。想定以上の力が加わってるから必然的に後方にバランスが崩れる。あたしの力も利用して転倒させてたってことだな。正面からそれをしなかったのは、あたしの下半身が当たって転倒させられない可能性、脚で挟まれたりしたら一緒に倒れ込まされら危険性もある」

 理解が早い花。「打撃じゃないのに加点も取れる、あたし好みの小技だ。理屈を知ってりゃ応用が利く」

「はい、取り入れられる箇所は多いでしょう。お察しの通り、反射に促された相手の力を利用して自分が有利になるように押すだけです」

「けど、本当にそれだけか。いやに激しく倒れた気がする」

「種明しをするなら、側面に回ったときと同じです。爪先で跳ぶ力を平手に集中させました」

「屈んだ状態から側面に回り込むほどのパワ。あたし自身の力も加わったんなら、なるほど、納得だな」

 花が掌を擦り合わせてから背中を撫でる。「なんかまだピリピリする。転倒の衝撃がかなり強かった」

「フローリングということも影響しております」

 加減はしていた。「戦場では瓦礫や小さな石すら突起物として頭を割る小道具です」

「いっ。なるほど、額を押されて転倒させられてたら後頭部から、ってことだな……」

 花が戦場に立つことはないと思いたいが、そんな状況を切り抜ける学びも必要だ。

「額や首、致命を招くための一手を講ずる相手に遭遇したならその小指を手の甲のほうへ折り曲げてあげるといいでしょう。人体の構造上、力が入りにくくなりますから、逃げ延びたり逆転の手を打つ隙を生み出せる可能性がございます」

「護身術だよな。どっかで聞いた気がするよ。神とか悪魔にも効くのか、それ」

「人型種であれば概ね有効です。スライムや植物型のような魔物などにはそういった箇所がないものも多いので、ひたすら逃げてください」

「お、おう、解った、覚えておく。幸い、試合じゃ摑み合いはご法度だからやらないけど、大事だよな、護身術は」

「はい。力量差を感じたなら逃げることが最善とは重ねて伝えます。逃げることは恥ではありません。生きるためには、ときに逃げてください」

「──うん、憶えておくよ」

 うなづいた花が人差指を立てる。「質問。肘打ちが来るって判ってて対応を決めてなかったか。いくらなんでもできすぎてる」

「鋭いですね」

「そりゃ判るって。肘打ちを出した瞬間に決めてた対応なら全てがうまく回りすぎだ。さては娘から試合の内容を聞いてあたしの初手を読んでたな」

「はい。手加減しては為になりません。水面下で得た情報も活用して状況を有利に持ち込むことは、試合に限ったことではございません」

「そうだな。戦場ではそれこそ遠慮なしにあの手この手なんだろう」

「ええ。その上で、私は花さんを高く評価致します。背中だけで転倒しても不思議ではないほど一瞬のこと。花さんは肘打ちの構えを解き、両手で衝撃を受け流すための受身を取り、後頭部も浮かせて保護していました。初見の技に対して十二分な、転倒することも見極めた、素晴らしい対応力です」

 花がほわっと微笑した。

「細かいとこまで観てくれてたんだな──。ありがと、マジで為になった……。こんなこと、初めてだ。有魔力のヤツに、こんなに感謝したくなったのは……」

 自身の格闘に活かせる。花はそう強く感じたのだろう。

 花の成長に繫がればララナは満足である。

「私は家庭教師の仕事を全うしているに過ぎませんし、花さんならいつか自力で辿りついたであろう技術を伝えました。感謝ならば、自分のあらゆる努力にするとよいのですよ」

「そ、そう。ちょっと謙虚すぎじゃね」

 花が手をグーパーしながら。「自分の努力を信じてないわけじゃないけど、教わったこと、独りだったら何年掛かって思いついたか判んねーよ、チクショー……」

「有魔力個体は有利などとまた考えましたか」

「……いや、ちょっと(ちげ)くて、あなたが親で竹神は恵まれてんな……、と、思った」

「格闘は教えたことがないと伝えませんでしたか」

「そうじゃねーって」

 花が、額を押さえて苦笑する。「親に分別があって、金もあって、魔力もあって、格闘センスもあって、友達が多くなったり、先輩に可愛がられたりする下地がちゃんとあるじゃん。あたし、バカみてぇ、って思ってさ。無魔力だからか知らねぇけど親はバカだし、金もねぇし、格闘センスもねぇし、……(ひが)んでんの解ってるけど、僻まずにいられねぇっての。怨むなってほうが、無理だ……」

 込み上げた感情を押し込めるように両手で顔を覆って、花が一旦口を閉じた。

 哀れむことは、彼女のプライドが許さないだろう。

 ララナは、花に申し出る。

「一二時になったら個別授業はお終いです。お昼の予定はございますか」

「え、昼」

 手の甲で目許をぐしぐし、花が顔を上げた。少し赤い眼に、ララナは向き合った。

「一三時から別の個別授業の予定が控えているのですが、一二時から昼休みです。予定がなければ一緒に食べませんか」

「……ありがてぇけど、やめとく。金ないし、今はメモしたこととか、さっきの技術の復習とか、イメトレとかしたいから」

「勉強熱心なのですね」

 ララナは花の努力を称賛した。「ですが、観たところ栄養が足りていませんね」

「う……」

「お腹が減っていて、あまり力が入らないのではございませんか」

「バレてたのか」

「身近に栄養失調の方がいらっしゃいましたから。体を動かしたら、しっかり食事を摂る。健康のみならず、体作りのためにも必要なことですよ。お金は私が貸しましょう」

「借金はちょっと……」

「花さんが将来の道筋を見出し就職した暁に、出世払いということでいかがですか。その頃、私がダゼダダ在住かは怪しいですが、いなければ返済しなくて構いませんよ」

「あとで十一(といち)みたいな額を吹っかけられてもたまんねーんだけど」

 顔色同様、誰かにそっくりだ。押しの一手に限る。

「では、私が作りましょう。よろしいですか」

「なんでそうなんの」

「受け持った生徒が後に空腹で倒れたなどと知れたら私の評価に関わる、と、いうことにしてください。私にもちゃんと利があるのですよ」

「なるほど、小賢しいな。そういうことなら、いっかな……」

 花が納得ゆく取引になったようである。取引には苦い経験もあるが、花が有魔力とのあいだに隔たりを感じているなら取引という形がちょうどいい。

 ララナは仕切り直した。

「では、個別授業の続きを致しましょう」

「じゃあ、次は守りを重点的に──」

 そうして、密かに花との交流を得たララナは、音羅が花を気にしていたことや落ち込んだ理由を深く理解するに至った。

 ……この子は、本当はまっすぐに育てたはずの子だったのです。

 貧家に生まれなければ。

 無魔力でなければ。

 有魔力とのあいだにいざこざがなければ。

 そのうちのいずれかがなかっただけでもきっともっと明るく前向きに育っただろう。全てが降りかかってつらい思いをして、その中でも一所懸命に踠いている。それなのに報われず、他者を羨み、僻むしかなくなった。

 何かのきっかけがあれば、花は真摯さを取り戻すことができる。傷ついたからこそ他者を労り、他者を助けられるひとになる。そんな未来の光を、ララナは彼女から感じた。音羅や納月が花の更生を考えて懸命に働きかけているのは、その光が見えている。貧しくても無魔力でも関係なく、花が〈野原花〉として輝ける未来があると、信じている──。

 

 

 

──八章 終──

 

 

 

 

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