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ロゼスタリリア  作者: 檸檬水晶
第1章
3/10

名前

 船は定刻通りに次の星の港へと辿り着く。岩ばかりの大地に人工の水路と僅かばかりの緑。それだけの小さな星。主に旅中の休憩地点として利用されているこの星は、異星人を受け入れる民宿業により栄えているらしい。この星に国という国は無く、星全体が一つの村として機能している。それほどまでにこの星は小さかったが、昨今意外とこのような星は多いものである。

 大昔、人間は皆地球に住むのが当然であった。水やら空気やら日光やら、人間が生命を維持するために必要な物が予め全て揃っていたという理由からだ。しかし、それらの物は無いのなら作ってしまえば良い話だ。条件さえ揃えば、どんな星にも生命は存在できる。水やら空気やら日光やら。それらを一度に錬成できる夢のような資源が発見されたのは、もう何世紀も前だ。それは人々の間で魔石と呼ばれた。魔石が採掘されるようになったことにより起きた第八次産業革命は人類の歴史に多大な影響を与えた。魔石。石英の一種であり、原石は透明で薄青く発光している。魔石自体の発する膨大なエネルギー値はそれまでのエネルギー生産に用いられてきた火力や風力などとは一線を画し、最も効率的なエネルギー源として広く人々に受け入れられた。一定量の魔石に水素を化合し微量の薬液を加えれば、人間の生命維持に必要な水と空気を大量に生成することができる。さらには太陽光の代替となる光を生み出す巨大な機械仕掛けの稼働に耐えうるエネルギー源にもなる。(この仕掛けは魔石の発見から数年後に発明された。その他にも長距離の異星間を行き来する手段や星自体を生み出す技術など、それまで膨大なエネルギーを消費するであろうことから実現不可能と言われていた諸々の事象がこともなげに実現した。まさに革命である。)

 こうして人間は地球という星のみに固執する必要が無くなった。全人類が地球で生きていた頃は、他国間での争いが常に絶えなかったと言う。限られた資源や領土の奪い合い、政治的な軋轢から血で血を洗う世界大戦が勃発した。しかし現在では戦争という概念自体が人々の間で希薄になるほどに、そのような事象は稀である。魔石は今ではさまざまな星で採掘されており尽きるところを未だ知らないし、少量で膨大な量のエネルギーを生み出すことから、不足するという事態に陥る国は皆無と言って良い。魔石は長く戦の火種となっていた人類の慢性的な資源不足を解消した。思想の違う民族同士が無理に同じ星に住む必要も今はもうない。民族達はそれぞれに別々の星に移り住んで行った。移り住んでしばらく経ってしまえば、遠く離れた他国と触れ合うこともなければ領土や信条の違いで揉めることも無い。物理的な距離が国家間にかつてない平穏を生んだ。「国家が違えば星が違う」状態というのは今ではさして珍しくもなく、平和な暮らしをする上で実に効率の良い形なのである。


 二人の下船は思っていたよりも簡単に済んだ。荷を積み下ろす作業員になりすまし、積荷を運ぶ振りをしながら港の人混みに紛れてしまえばなんのことはない。あまりの事の運びの良さに青年は拍子抜けしたくらいだった。元居た某国と地球の港を出る際の関門さえ突破すれば、案外ほかの規制は緩いようである。

 この国(この星、と呼んでも間違いではない)の名はイーリスと言った。イーリスというのは虹という意味だ。十人十色、まさしくさまざまな星から来た人々の宿泊を受け入れるという意向をよく示した名前である。

 青年は船からだいぶ離れた場所まで歩き、周囲になんら怪しい影のない事を確認してから、ようやく口を開いた。

「とりあえず宿とらねぇとな」

 背の低い鉦太郎が今にも人波に攫われそうなので手を取って歩くことにした。それにしても凄い人混みである。港には何隻もの船が異星から飛来しており、信じられない程の数の人間をこの小さな星に放つのであった。道の両脇には果物売りや布屋が軒を連ねている。喧騒に負けじと威勢のいい売り子の声が方々に飛び交う。道なりに歩いて行くと、徐々に人混みは薄れ、やがて両脇の店は石造りの家々に変わっていった。船から一時でも早く離れる事と人混みとに気を取られ今まで青年は気付かなかったが、この星の空は随分と変わった色をしている。乳白色に少しの桃色を足したような、不思議な色。雲はなく空の向こう側にうっすらと銀河が透けて見えた。

「なんだか暑いね」

 そう言って鉦太郎は軍服のコートを脱いだ。

「確かにな。こっちはもう夏なのか?」

 青年もコートを脱ぎながら、汗ばんだ胸元を手で扇いだ。某国を抜け出した際にちらついていた雪が二人の脳裏を掠める。同じ星の中でさえ気候は異なるものだ。星が違うともなれば、当然と言えば当然のことであった。

 一軒の小さな民宿を見つけ、二人はひとまずそこに泊まることにした。

 宿の扉を開けるとひんやりとした石造り特有の冷気が二人を迎え入れた。気の優しそうな細身の中年男性が来て、宿帳とインクの付いた羽根ペンを差し出す。青年は少し何事か考えると、ペンを走らせた。

「おや、どちらのお国からですかな」

 記帳を見た男性は興味深そうに青年に尋ねた。

「言ってもたぶん知らないと思うぜ」

「左様で。では読み方だけ恐縮ですがお聞かせ頂けますか?」

「俺が『ナキリ』、こっちの小さいほうが『イスズ』」

 慣れた調子で青年は答える。

「ナキリ様にイスズ様ですね。ありがとうございます。」

 男性は丁寧な手付きで青年の書いた字(に見せかけたただの出鱈目な記号の羅列)の横に公用文字で読み方を記した。


 通された部屋は狭かったがよく手入れが行き届いていて清潔な印象を青年に与えた。寝台は一つしかないが一晩泊まるには不自由が無さそうである。

 男性によく似た気の優しそうな少女が宿主に代わって部屋に案内してくれた。きっと宿主の娘であろう。

 寝台の脇に大きな窓がある。青年は、地球とは違う不思議な色をたたえた空を眺めていた。この乳白色とも桃色とも言えない空の向こう側に、生まれて此の方離れたこともなかった地球(ほし)があるのだと思うとおかしな気分だった。さほど地球から離れた星でもないため、天気の良い日には空に地球の輪郭が、ちょうど地球での昼間の月のような感じで見えることを先ほどの少女が教えてくれた。今日はそのようなものは見えない。ということは、今見えているこの空はこの星での晴れではどうやら無いらしい。では晴れたとき一体どんな空模様になるのだろうと青年が考えようとしたときー。

「アイちゃん!見て!ふかふか!!」

 見ると無邪気を体現したかのような少年がベッドの上で跳ね回っていた。

「おい、後で使うんだ。あんま乱すなよ。あと、」

「『その呼び方やめろ』?」

「わかってんじゃねぇか」

 青年は眉間に皺を増やす。

 ただでさえ無愛想な表情に輪がかかる。彼のこうした表情は生まれつきなのだろうか。それは鉦太郎にもわからなかった。道行く子女に時折怯えた態度を取られるのを少年は彼の隣でよく見ていた。

「アイちゃんはもっと笑いなよ。僕みたいにさ。」

 ともあれ、青年のこうした様子など意にも介さないのが鉦太郎である。そう言いながら、尚も楽しそうにベッドの上で転げ回っていた。「アイちゃん」はおもむろに寝台に腰掛けると、突然俊敏な速さで動き回る少年の両脇に腕を突っ込んだ。

「?!!」

 鉦太郎の反応は果たして遅かった。

 自分の倍近くある体格の者に胴体を固定された挙句指を脇腹の上でばらばらと動かされれば、少年としては抵抗の仕様も無かった。

「…っちょ、ぁはははは!くすぐったい!!ごめん!!ごめんなさい!!!もう、言いません!あははははははは…」

 少年は身をばたばたとよじらせた。ほつれた袖口から細い手首がのぞく。その左手首の内側には、青く不思議な紋様が刻まれていた。小さい円の外側にもう一つ大きな円があり、その二重の円を貫くように三本の翼のような線が走る。円の下、肘へ向かう方にポツポツと三つの点が道しるべのように続き、小さい円の中央とそれらの点を繋ぐ細い線が何かの星座のように見えた。鉦太郎が腕の中で暴れる力は案外と強い。少年のと同じ紋様の刻まれた右手首に青年は力を込めた。

 まるでバネみたいだな、と青年は思う。

「も、もう許して!許してください!!あはははは…」

 涙目になりながら懇願する様をもう少し眺めていようかとも思ったが、これ以上やるといよいよ寝台が乱れるので青年は手を止めた。

「はぁ…はぁ…ひどいよ!」

 乱れた息を整えながら鉦太郎が訴える。

「おい、あんま大きい声出すなよ。近所迷惑だ。」

「ちょっと!何笑ってるの?笑ってるよね?!」

 少年はややむくれた顔で青年を睨んだ。

「笑ってねぇよ」

「笑ってるもん!ほら、」

 青年は、寝台から起き上がった鉦太郎のシャツのボタンをかけ直してやる。

「なんかもっと他にあんだろ。まともな呼び方。」

「でもさアイちゃん、あ、ごめんまた言っちゃった。(そう言いつつ鉦太郎は青年のほうを慌てて確認したが、二度目の刑罰は来なかった。)いつもそう言うけど、なら、どう呼んだらいいの?」

「そんなの自分で考えるんだな。俺はとにかくそのちゃんとかいうのが気にいらねぇ」

「ええ〜〜っ。ぎちょう、いぎ申し立てます!」

「反論は認めん」

「だいあんを、用意すべきです!」

「それを考えるのもまた、貴殿の仕事であろう」

 どこかで聞きかじった単語を使い、何が楽しいのだか、こうしてままごとの様な会話を鉦太郎はよくしたがった。気づけばそれに毎回乗せられている自分も大概なものだと青年は薄々感じてはいるのだが。

 地球で出会ってからというもの、鉦太郎とは絶えず行動を共にしてきた。いや、正確には共にせざるを得なかったのであるが。細かい事情はさておき、二人は今もこうして一緒に居る訳だが、青年は鉦太郎と居ると元来の人嫌いな自分の性質を時折忘れた。あまりくだらない事ばかりいつも少年が言うので、ついそれに反応して逐一返事をしていると、気づいた時には取り止めもないやり取りで数刻経っているのだ。(変な奴だな)と青年は何度となくその胸に呟いてきた言葉を今日も繰り返した。


 夕刻になると、コンコン、と部屋をノックする音がした。

 鉦太郎は元気よく扉の向こう側へ返事をし、そしてまた声が大きいと青年に小突かれた。

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