セイレーン編
奇士刑事最終回直前ということで、タブー編まで連続投稿させていただきます。
なお、イラストやオマケは省かせていただきます。
違法スパイ、マリフ・ハルビレン。彼女を捕えよと政府からお達しが来た。いわゆる『極秘任務』。なんでも、人間界の情報を奪う代わりに人間を魔界に送るとか……。
ただの捕えろという話は聞こえがいいが、よくよく考えると『利用するだけ利用して、証拠隠滅のために捕える』という都合のいいことを言っているだけだ。
……結局捕らえたが、彼女は飄々としている。まぁそれがいいなら自由にさせてあげよう。彼女は悪魔なのだから……。
政府に直談判をした結果、マリフは日本の刑務所に入れるだけ入れて、自由にさせることになった。政府も人間だ。悪魔のマリフの力は怖いのだろう。あの人はホログラムや光線銃など、現代の日本にはない技術を持っている。防弾チョッキなんて屁でもない。だからこそだ。だから人間は悪魔を自分の監視下に置こうとした。
……はは。彼女はパラレルワールドが見えるだけの悪魔なのに。
魔界に行って全てが変わった。
現に魔界には3週間ほどいたので、6年の時が経っている。こことあそこでは100倍ほど時間の流れが違うからだ。それでも相変わらず優しく迎えてくれた仲間たちには頭が上がらない。
そして僕にパートナーができた。名前はリスト・ウルム・ラーン。本名は『獅子ヶ鬼剣一』だそうだ。江戸時代から生きている人魔だ。江戸時代の人間なので身長は低いが、僕は師匠と呼んでいる。彼は魔法を使うが、鞭も使う。警察署に来る前はトレジャーハンターだった。今もたまに魔界に大暴れしに行っている。
……そう。今、目の前でせんべいを食べている人物がそうだ。
一方、ヘラはどうだったかというと、僕は敗北した。僕の剣がヘラの力に負けて折れてしまったのだ。紆余曲折あり、僕の剣は元に戻り、ヘラたちとは連絡をする間柄になった。
死神王の奮闘のおかげで、魔界から人間界に戻ってくる人が増えてきた。僕は最後の方まで残っていたが、ヘラにいつでも会えるからと呆れられ、戻ってきた。
ちなみに一人戻ってきていないのがいる……。
「……」
僕は忘れないようにノートに記している。あの魔界侵略チーム『怪奇討伐部』の活動は、これまた極秘任務だ。だが、目の前にその『極秘任務で連れ帰ってきた男』がのんきにせんべいをバリバリ食べているあたり、もう極秘ではないだろう。
「…………」
……今、僕がイライラしているのがわかるだろうか?
ノートに書く文字が荒れてきている。それもそのはず、キレる一秒前なのだ!
「セイレーンかわいいこっち見て!うおおおおお!!!」
「うるさあああああいっ!!!!!」
思わずペンを机に投げつけて怒鳴った。その声にビビった師匠はせんべいを喉に詰まらせる。急いでお茶を流し込んだ。
って、そうじゃない。僕は扉の奥から聞こえる爆音に怒っているのだ。
「上原先輩!うるさいですよ!!」
僕はその扉を勢いよく開き、怒る。そこには、上原先輩の他に山野くんまでいた。
上原先輩は運動不足のゲーム好き。しかもほぼこの部屋から出てこない。そのくせ人の心が読める、かなり面倒な人物だ。
一方、山野くんはやる気に満ち溢れた好青年で、爆発の能力を持つ。実家がケーキ屋なのでいつもお見舞いには大体どこか変な形の手作りケーキを持ってくる。稀に売り物を買って持ってくる。気持ちだけでも嬉しいが。
そんな山野くんまでいるなんて……。姿が見えないと思ったら……。
「あっ、黒池先輩!一緒に見ませんか?」
「何を!?」
「セイレーンのライブビデオですよ!そんなカリカリしないで、ほら!」
ほら!じゃない。なんでこんな電子機器ばっかの薄暗くて狭い部屋でペンライト振ってるんだ。休み時間くらい静かにしてほしいのに。
「セイレーン……?」
「え!?もしかして、黒池先輩ってセイレーンをご存知ないのですか!?」
「マジで!?黒池ちゃん、セイレーンを知らないとか、人生損してるよ!」
「そこまで言いますか!?ほら、師匠も静かな方がいいですよね!?」
バッ!と黒いソファーの方を見る。温かいお茶を飲んで落ち着いた師匠は、次のせんべいを手に振り向いた。
「……すまん、黒池……。昨日ずっとそのセイレーンのビデオを見せられて、知らないとは言えなくなった」
「師匠ぉー!!」
師匠まで僕の敵に(?)回るなんて!
まず僕はアイドルを見るキャラではない。「アイドル好きです!」とか言ったら笑われそうだ。
「いつも楽しそうでいいですね、推攻課は」
騒いでいると、刺すような、というか本人は本当に刺すように言っているのだろうが、部屋の入口からそんな声が聞こえた。
僕は一難去ってまた一難という言葉とはこのことかと痛感した。
……入口には白黒兄弟の兄……冷たい方が立っていたのだ。師匠なら寛大な心でこの兄弟とも対等に話せるのではと期待したが、彼らと接触し、一瞬で「あっこいつら無理」となったらしい。もし男限定で白黒兄弟と仲良くできる人物が現れれば崇めてあげよう。そのレベルだ。
「何しに来たんですか」
「ああっちゃんと閉めて!」
僕は扉を開けたまま兄の方に向かった。
「何って、推攻課指名のヤマを持ってきたんです」
「そうなんですか?これはわざわざありがとうございます」
「せんべいいるか?」
「いりません。では、戻ります」
師匠の好意を蹴って、彼はプリントの束を押し付けて帰っていった。ピシャリ、という効果音がお似合いだ……。
「……。だそうです、先輩」
先輩にプリントを渡す。
パラパラと読んだ先輩の顔色が変わった。
「今すぐ出るぞ、黒池ちゃん」
「え?先輩?」
「行くぞ!黒池ちゃん!緊急事態だ!全員出動!」
「引っ張らないでください!電気消さないとっ」
「オレが消す」
「やったー!久しぶりの出動だー!」
それぞれがそれぞれの思惑を胸に、僕たちは今回の仕事へと向かった。
場所は海辺。冬の、砂浜だ。
__________
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「……警察の方ですか。この度は引き受けて下さり、ありがとうございます」
深々と頭を下げたのは、今回の依頼人である人物だ。……みんながわかるように言えば、そう。さっき話していた「セイレーン」のマネージャーさんだ。
ここは東京から離れた場所にある砂浜に近いホテルの部屋の中。さすがにセイレーンとは同じ部屋にせず、わざわざ僕たちの部屋を用意してくれたのである。太っ腹だ。
なぜアイドル事務所ではないのかというと、なんと明日、ここでライブがあるからだそうだ。正確には窓の外に見えるステージで歌って踊る。僕たちが来る前はリハーサルをしていたが、到着してマネージャーさんが話をするということでリハーサルも終了した。当然リハーサルは耳に入ってきたが、推攻課の部屋で聴いたものと同じだった。代表曲なのだろう。
「しかし、なぜ推攻課の私達なのでしょうか?」
「それが……ただの機動部隊では何ともならないようで……」
「それで武装せずに動き回れる我々を、ということですか」
「はい」
二人が話している間、僕と師匠、山野くんはコソコソと話していた。
「ぷ、くく……私ってwいつも俺なのにw」
「上原先輩、見るからによく見せようとしてますね……」
「ここでカバンを開いてペンライト見せてやろうか」
「やめなさいw……ん、ふふw」
思わずみんなでこらえきれずにクスクスと笑っていると、上原先輩に「しっかりしろ!」と怒られた。僕たちは「は、はいっ!」と返事をしたが、やはり違和感がありすぎてすぐに笑いがこぼれた。
「内容は護衛でよろしいでしょうか?」
「はい。よろしくお願いします」
「……あの。つかぬことをお聞きしますが」
「何でしょうか?」
「やはり……『あの事件』ですか?」
先輩がそう言うと、部屋の入口の方からドサッ!と荷物が落ちる音がした。
そしてズカズカとまだ二十歳くらいの女の子が入ってきて、先輩の前に立った。彼女は怒っていた。
「その話はしないで!!マネージャー、こんなのを呼んできたの!?」
彼女は先輩を指差した。
「この人たちは警察官よ。しかも特殊な」
「オレは警察じゃないけどな」
「師匠、今は……」
師匠を止めている間、彼女は話を続ける。
「警察でも何でもいいわ。私は認めないから。私はたくさんの人間を虜にする歌姫よ。誰かに殺されたりなんてこと、あるはずがないんだから。いい?誰もこの話をしないで!わかった?!」
僕たち全員、静かに首を縦に振った。
彼女は満足したのか、マネージャーに向き直った。どうやらマネージャーを捜していたらここに着いたようだ。
「……山野くん、この高圧的な女の子って、まさか……」
「……セイレーンです……」
「この子が!?」
「聞こえてるわよ、アンタ」
「わぁっ!?」
文字通りジト目のセイレーンが僕の前に立つ。ヒソヒソ話まで聞こえるなんて……。
「あまり騒がないでちょうだい。耳が痛いわ」
「すいません……」
「それよりアンタ、私のことを知らないって、モグリ?」
「実は先程知りました……」
「はぁ〜あ……」
やめて。やめてため息。悲しくなるから。お願いだから!
……これから世間のことも調べないといけないかな……と憂鬱になっていると、次は僕の顔をまじまじと見始めた。
「アンタ、結構イケてるじゃない。マネージャー、メイクさんを呼んできて。警察の人たち、この人ちょっと借りてくから」
「え゛!?ちょ、せ、先輩っ!師匠ぉ!!」
「今日は休みだ。本番は明日だからそれまで英気を養うように」
「魚料理、魚料理〜っと♪」
「ご無体なぁ〜〜〜っ!!!!」
どことなく悔しそうな先輩と、料理が楽しみな師匠は結局僕を助けてくれなかった。
……ズルズルと部屋の外に連れて行かれる。一体どこに連れて行かれるのだろうか……。
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「……っ」
ピクッ、と体が動く。その度、セイレーンから「動かないで」と囁かれる。
……何をされているかって、僕は着せ替え人形になっています……。なんでも、どんな服でも似合うのではないかというセイレーンの勘に付き合わされています。果ては女装もいけるのでは?と……。
実は、僕の髪が長いのは昔女の子用の服を着せられていて、そのために髪を伸ばさせられた。
今は自由に男物の服を着ているが……。だから似合うのだろうと言ってきた。その見抜く才能は素晴らしいと思う。行動に移さなければの話だが。
……コルセットでグッ!!と締められる。
口から空気が漏れるがセイレーンは真剣にやっているので何も言えなかった。
「やっぱり横幅がデカいわ。女物は無理そうね…………」
「なんで心底悔しそうなんですか……」
「面白いじゃない。余興で女装で出てもらおうと思ったのに」
「今サラッとひどいこと言いませんでしたか?!」
「冗談よ。……アンタ……ううん。あなた、傷だらけなのね」
「……職業柄、そうなりますから」
「違う。普通はこんな傷できないわ。……そんな人がなんで私の護衛をするの……」
セイレーンは先程の元気の良さとは一転、悲しそうな声で呟いた。
「……マネージャーさんと話していた人……いえ、あそこにいた人たちがあなたのファンなんです」
「それはわかるわ。一人だけ目が輝いてなかったもの」
「ゔっ……」
「あなたは私をセイレーンとは扱わずに、ただの女の子として見ているでしょ。私にはわかるの。いろんな人間を見てきたから」
セイレーンは次の服を用意し始めた。
「最後はこれよ。どうか……これを着て、ライブのMCになってよ」
「ぼ、僕がですか!?……わぁ、船乗りさんみたいですけど、キラキラしてますね」
男性アイドルグループの服みたいだ。
「マーメイドみたいに王子様とはいかないけど……私はセイレーンだもん。船乗りを惑わすセイレーン。だから、あなたは私に惑わされるの。それで、惑わされてMCをやって……完璧だわ!」
「僕がMCですか……」
「MCとして喋ってるときに、ステージ上から怪しい人でも探せばいいじゃない」
「なるほど、その手がありましたか……!」
「(チョロいわね……)で、これが台本」
待ってましたかのように後ろのテーブルから手に取った。
「もう用意してるんですか!」
「台本というかプログラムね。あとでちゃんとした台本をマネージャーから受け取りなさい」
「わ、わかりました」
ペラ、と見てみる。
と、そこに書かれていた曲名に思わずギョッとした。
「なんて目をしてるのよ」
「い、いや……あはは……」
「そういえばアンタ、今日まで知らなかったのよね?これ、明日売るCD。明日までに聴くこと。サインも付けてあげるから光栄に思いなさい!」
僕が止める間もなく、キュッキュと書き終えた。新幹線での疲れが祟っているのか、それともさっきのお着替えコーナーで疲れたのかわからないが、僕は止める元気すらもなかった。
……というか、曲名がすごすぎる……「インターネットキャンプファイヤー」って。一番最初にあったのだから、盛り上げるためのかなり人気曲なのだと思う。インターネット……キャンプファイヤー……ねぇ……。
僕はCDを持ったままお辞儀をして、部屋を出ようとした。
「そういえばアンタの名前、聞いてなかったわね。なんていうの?」
「黒池皇希です」
「黒池……か。いい名前ね。じゃ、また明日ね」
彼女はネイルの準備をしながら手を振ってくれた。ファンに見られたら殺されそうだ……。
__________
「先輩、セイレーンの曲を聴きたいのですが……」
部屋に戻ると、先輩たちは晩ごはんを食べながらテレビを見ていた。
師匠はホテルなので和食が少ないと駄々をこね、なんとか出してもらったらしい……。師匠は江戸時代の人間なので、洋食には馴染みがない。なので署ではせんべいや和菓子などしか食べない。やっと先週にあったバレンタインのチョコレートを食べていたが、微妙な顔をしていた。慣れてくれるといいのだが。
だってムジナくんだってシチューを食べられるし、レインくんだってオムライスがお気に入りになっていたし……。僕が行くまであまり料理に縁がなかったらしい魔界の人たちでも食べられるのだから、師匠でもいけるはずだ。
「おお!おかえり!どうだった?セイレーンは!」
「セイレーンと一緒にいたんですよね!?どうでしたか!?」
「もご、もごご……」
「ちょ、一斉に話さないでくださいよっ」
たじろぐ。師匠にはお茶を飲んでもらい、テーブルにCDを置いた。
「CDをいただきました。まず聴くしかないそうなんで……」
「おっ!?これって明日発売のやつじゃないか!それに、サイン入りだなんて……やるじゃないか、黒池ちゃん!」
このこのー!と小突かれる。
「せ、先輩……酔ってます?」
「酔ってない酔ってない」
「酔ってる人がそう言うんですっ」
僕は先輩を押し退け、セイレーンとの会話の内容を共有した。
「……ほーん、MCねぇ」
「あの……セイレーンが止めた話って何なのですか?」
「……」
先輩と山野くん、師匠は顔を合わせた。結構シリアスな話なのだろう……。
「……実はね、セイレーンは一度殺人未遂に遭ったんだよ」
「…………」
「前回のライブの時だったかな……」
先輩の話をまとめると、こうだ。
前回のライブのときに階段を降りていたら後ろから誰かに背中を押され、転落したそうだ。幸い打撲と擦り傷、目眩で済んだらしいがその犯人は捕まえられなかったそうだ。
セイレーンは痛いながらも精一杯犯人の方を見た。全身真っ黒で、マスクと目深に被ったキャップ、そしてフード。……全くわからなかったそうだ。だが、彼女は確信していた。
彼女はずっと「あの女のせいよ!絶対そうだわ!」と喚いていたそうだ。だが証拠がない限りその女を捕まえることはできない。なので様子見ということになってしまった。
しかしこの件は殺人未遂ということでテレビには載らなかったものの、ファンの中では大事件になっていたそうだ。
……余談だが、僕の部屋にはたまに遊びに来る上原先輩の他に、レギュラーメンバーとして師匠が居候している。江戸は東京と名前を変えても江戸なので、居心地がいいのだとか。いやいや、そういうことじゃなくてなんで僕の部屋なんだ。
師匠がバラエティー番組やアニメなどを見るのでニュースはあまり見なくなった。もちろん師匠がいないときにこっそり見たりはするが。どうせ警察署にいるのだから嫌でも情報は耳に入る。
そんな師匠がどうしてこの事件を知っているのかというと、先程僕が連れて行かれたときに教えてもらったらしい。面狐さんのこともあり、死には敏感な師匠だが、「……この時代になってもそんな奴はいるのだな」と静かに怒りをあらわにしていたらしい。
「……それで……『あの女』というのは?」
「ああ……チャンネル変えて」
「はい」
山野くんがニュースから歌番組に変える。ちょうど着飾った女性がインタビューを受けていたところだった。
「この人だよ。……何歳だと思う?」
「え?えっと……20歳後半ですかね」
「50後半」
「え?……え゛?!」
もう少し近づいて見ても、どう見ても20代だった。これが……美魔女ってやつか……。
「この人は『マーメイド』ってグループの一人。他の人たちも年齢とは違って見えるけど、この人が一番綺麗でしょ。マーメイドなんだし、人魚の肉でも食べて不老不死にでもなったんじゃないかって冗談が飛び交ってるよ」
あははと笑い飛ばすが、僕は笑えなかった。この人ならもしカメラに映っても年齢詐称できそうだし、指紋くらいしか証拠は取れないだろう。
『それでは、マーメイドのみなさんで『蒼の世界』!どうぞ!』
アナウンサーが言うと、マーメイドの曲が始まった。最初は一人、二人と増えていき、三人全員が歌って心地よい音色が響いた。これがイントロ部分だというなら、この曲はどんなにすごい曲なのだろうか……。
「……さっきのインタビューの人。彼女が容疑者だ」
こんな綺麗な声を出せる人が?
「動機は……まぁ新しく出てきたセイレーンにファンが流れたから……ということらしい」
この人はそんな嫉妬をするような人間なのだろうか?
「……っとここまでだ。山野くん、アニメにでもしてくれ」
「わかりました」
山野くんがリモコンに手を伸ばす。
僕は、無意識にその手を弾いた。
「っ!?」
「……っ」
びっくりしてこっちを見る山野くんを僕は睨みつける。そしてリモコンをひったくった。
「リスト。止めなさい」
「しょうがねぇな」
僕に向けて師匠が幻影の魔法をかける。
師匠の魔法は桜の魔法で、名前を幻影桜花と呼ぶ。大量の桜が出てくるが、全て幻なので掃除をする必要がない。
ただ、師匠は悪魔でも魔人でもなく、人魔なので魔力の消費が激しい。
そこで、お菓子だ。
なんと師匠の魔力を大量のお菓子で補おうという馬鹿げた作戦なのだが、それは上手くいっているようで、いつでも魔法が撃てる状態になっている。おかげで僕の部屋のゴミ箱には個包装のゴミが詰まっている。頼りにはなるが、その……なんとかならなかったのだろうか。
まぁ食費は『悪魔の存在を隠すためなら努力を惜しまない』という政府が出してくれているのだからありがたいが、ゴミの量で早々にバレそうだ。
まず普通じゃあり得ないほど特別な待遇をされている、悪魔のマリフが一般の刑務所にいるんだ。隠す気はあるのだろうか。
……そんな魔法を前にして、人間の僕はなすすべもなく行動不能となってしまった。
頭の中でマーメイドの歌が響く。あまりの音量にリモコンを落としてしまった。それを先輩は拾う。僕は部屋の隅に立て掛けている剣へと手を伸ばした。が、いち早く察知した師匠は締め付けを強くする。
「変え……るなァ……ッ!」
「……みんな初めてマーメイドを見たときはそうなるんだ。彼女らは本当に『マーメイド』なのかもしれないな……?むしろ、セイレーンはあっちなのかもしれない。……セイレーン枠は埋まってるから、ローレライか?ま、いいや」
ブツブツと呟きながらチャンネルを変えた。途端に僕の頭痛と『マーメイド』への執着は消え失せた。
「……っは!?僕は今まで何を……」
「なーんにも。ちょっと怖い顔をしてただけ」
「ええ……」
……と言ったが、なんとなく察した。
消えていく師匠の桜。そして剣の方へと伸ばした手。
……魔界に行ったとき、ヘラとの戦いで、僕の剣はポッキリと折れてしまった。どうやったら戻せるのかと悩んでいると、魔界に住む一人の悪魔……カリビアという人が元に戻してくれることになった。彼は鍛冶屋だったからである。
彼は鉱物を集めるのが趣味で、いつも服がボロボロになって帰ってくるとのこと。その鉱物を使って、ただ戻すだけではなく強化までしてくれた。しかもマジックアイテムを作るのに秀でており、魔法系の強化もしてもらった。普通の人間が扱うものでは折れず、魔法も断ち切れるスグレモノらしい。……もし人間ではない悪魔などを相手にしたときは普通に折れるらしいが。
彼は僕が一目惚れしたムジナくんの兄であり、死神王のヘッジさんの親友だそうだ。
そんなカリビアさんだが、彼の師匠は僕のターゲットであるマリフだった。カリビアさんの家の窓ガラスを割ったのは申し訳ないが(戻した)、無事にマリフを逮捕することができたのである。
……ということで、僕が剣を取ろうとしたのは、カリビアさんの強化により魔法にも勝てるようになってしまった剣で幻影桜花をぶった切るためだった。
「それより戻ってこれたみたいで安心したよ。黒池ちゃん、もうマーメイドは聴かないことだ」
「聴かせたのはどこの誰ですか……。ところで、セイレーンはマーメイドに何か恨まれるようなことでもしたんですか。そうでもしないといい大人が一方的にファンがどうとかの攻撃をしないですよね?」
「……それがね、セイレーンはネット弁慶なのよ」
と言ってスマホを見せられた。SNSが表示されていた。もちろんフォロー済みだ。
「なになに……?『今日の番組のアナウンサー、喋り方やばいんだけどwww』……『握手会に来たTシャツのオッサンさ、嬉しいんだけど近いんだよねw』……うーん」
「あ、そのTシャツ、俺ね」
「いや知らないですよ……」
その後も口の悪い発言が続いている。ここまでこんなだと、よくアイドルとして活動できているな……とさえ思った。
「まさかそのネットが原因で事件になったんですか?」
「そうだ。その日、いつものように悪口を書いていた……」
「いつものように……」
「突然脅迫のDMが届いた」
DMとはダイレクトメールのこと。周りには公表されない自分と相手だけが見られるメッセージのことである。
……だが、どうして届いたことが先輩たちファンの耳にまで届いたのだろうか。
「どうして俺たちの耳にまで届いたのかって、そりゃスクショを載せて叩いてたからね」
他人の心が読める能力を持つ先輩にいつものように心を読まれ、僕の質問に答えた。ちなみにここの心の声も全てダダ漏れである。ちなみにスクショとはスクリーンショットの略で、端末の画面に表示された情報を丸々画像として残す機能である。PCでは欲しい部分だけ切り取ることもできる。
……そんなプライバシーもデリカシーも微塵もない先輩はその能力を使って尋問などで成果を上げている。まさに尋問向きの能力だ。
「スクショに載せますか、普通……」
「セイレーンの悪口はもはやファンへの愛情表現になってるからね。ファンもノリノリさ。で、DMの内容だけど……『お前を殺す』…………だったそうだ」
「何なんですか、この人……。急に耳元で言って……気持ち悪いですよ。というか、どっかで聞いたことのあるようなセリフですね……」
「セイレーンは叩きながら『こんなのやるわけないじゃんwまずアイツにはそんな勇気無いっしょwww』とか言ってたけど、内心ガクブルだったんじゃないかな?」
そう言って、その投稿を見せる。残ってるんだ……。こういうのってすぐ消すと思うのに、さすがセイレーン。この神経はさっきまでの行動も納得できそうだ。
「……それで、決行はされたのですよね……」
「されたよ。階段でドーン。ホントにやった!?とセイレーンは投稿で騒いでいたけど、生きていたんだし良いじゃないかという人たちと、本当に犯人はマーメイドなのか?という人たち、マーメイド許さんの人たちで分かれた」
「……犯人はマーメイドなんですよね?」
「そうだ。わかりきったことなんだけど、マーメイドの姿を見たものは軒並み狂ってしまうからね。さっきの黒池ちゃんみたいに。だから手出しできないんだよ」
「おかしくなって悪かったですね!」
僕は突っ込む。それを見て残りの二人は「いつもの黒池が戻った!」とばかりにご飯を頬張った。いつものって……そんなに僕、突っ込んでます?
「ま、とにかく今日はセイレーンの曲でも聞きながらお風呂に入ったり寝たりしなよ。アレだよアレ。睡眠学習」
「それができたらどれほど楽か……」
「黒池ちゃん、心の声が漏れてる漏れてる」
「はっ!?……って、言っても言わなくてもわかるじゃないですか、先輩」
「ははは、まぁそうなんだけどね」
先輩の能力は「さとり」。江戸時代に作られた本では「覚」と書かれている。相手の心を読む能力で、この能力を使って尋問を行っている。
推攻課には特殊な事件しか回ってこないので、なかなか口を割らない容疑者が多い。そこで先輩の出番だ。嫌でも「ま、嘘だけどな」とか「本当はこうなんだけどな」という心の声が聞こえるのでやりやすいそうだ。一度魔界に連れて行って悪魔たちが何を考えているか見てもらいたいものだ。
「今日はスマホ貸すから。イヤホン持ってるでしょ、聴いててよ。別にここにいるみんなはセイレーンの曲に慣れてるから流しっぱでもいいけど」
「寝ている間のイヤホンは体に悪いので流しっぱなしにさせていただきます」
「あ~眠れるかな〜」
「じゃあ何でわざわざ言ったんですか!?」
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翌朝。外がざわめきはじめた。
敏感な僕はその音で目覚め、カーテンの隙間から覗く。寝起きの目には海辺の朝の光がキツかったが、セイレーンのファンたちがジワジワと集まってきていたのが見えた。
「さすがセイレーンだな」
後ろから聞こえた声に振り向くと、師匠が壁にもたれていた。帽子とマントは身につけていないが、浴衣から着物に着替えていた。
「おはようございます、師匠。ライブまで時間があるのにもう人がいるなんて思いませんでした」
「ライブの席も宝も、早いもの勝ちだからな。黒池、お前はとりあえず台本を用意しろ。さっきマネージャーが来たんだが、朝食のあとに服の合わせだとさ。フリーサイズとか何とか言っていたぞ」
「わかりました。師匠、まずは二人を起こしましょう」
背中を窓に向けて寝ている山野くんと、金縛りにでも遭ってるんじゃないかと思うほどピンと固まった上原先輩を起こした。
「おはようございます、朝ですよ」
「うぅーん……はっ、今日はセイレーンのライブだった!」
「先輩、ライブじゃなかったら起きないつもりだったんですか!?」
「ん〜まぁリゾート地だし?」
「し、ご、と、で、す!!」
おりゃあ!と布団を引っぺがす。
魔界に行ってさらに6年の差ができた僕と先輩。さすが6年。体が少し衰えている。僕の部屋に無断で上がり込んできたときはもっとしっかりしていたのに……。
「おい山野。朝だぞ」
「ん……リストくん……早いね……」
「これでも食ってろ」
「むぐ!?」
師匠はどこから取り出したのかわからない野菜スティックの束を山野くんの口に突っ込んだ!
山野くんはそれをポリポリ食べながら体を起こした。
「おいひい」
「師匠、無茶してはいけませんよ」
「新鮮な野菜だぞ」
「新鮮とかは関係ありません!」
「新鮮じゃないと美味しくないだろ!」
ギャーギャー騒いでいると、バン!と部屋の扉が開いた。嫌な予感がする。
「おはよう、警察の人たち!」
今日のライブの衣装を身にまとったセイレーンが左手を腰に当て、右手で扉を開けたポーズのままキンキン声で叫んだ。朝からやめてほしい。
「うわっ、出た!!」
「うおおお!生セイレーンだ!」
「警察やっててよかった!」
「最近の服はこんなのなんだな」
それぞれの反応にさすがのセイレーンも苦笑いした。が、すぐにスマイルを取り戻した。
「黒池!今日はよろしくね!」
「望むところです」
彼女はズカズカと部屋に入ってきた。
よくよく見ると、セーラー服のようでかわいい。セーラー服と怪盗を足して2で割ったような服のようだ。
「ん?ふふーん、かわいいでしょ?生意気なアンタもちょっとは見直した?」
僕の視線に気づいたセイレーンはクルッとターンし、ポーズを取った。白いマントが翻り、少しカッコいい。
「えぇ、かわいいですね」
「む……。なに、その保護者みたいな生温かい目は。他の3人みたいにもっと嬉しそうにしなさいよ!こうなったら、絶対絶対ぜぇーーーったい!ライブを見せて見返してやるんだから!心の底からかわいいって言わせてやるんだから!覚えてなさい!」
セイレーンは捨て台詞を吐いて部屋を飛び出していった。頭が寝起きの微妙な回転だったとはいえ、怒らせすぎてしまったようだ……。
「黒池……お前女の子にそんな棒読みの褒め言葉はどうかと思うぞ」
師匠に言われるなんて。
「う……師匠ならなんて答えるんですか」
「和歌で返す」
「もはや江戸時代ですらないですよね!?昔の時代ならいつでもいいんですか!?」
「あはは、今日のツッコミもキレッキレだねぇ、黒池ちゃん」
僕と師匠の言い合いに先輩は着替えながら笑った。僕の気苦労も知らずによくそんな笑えるものだ。
「黒池先輩〜!先輩が着替えるの最後ですよ〜!早くしないと朝ごはん置いていきますよ〜?」
山野くんはズボンを穿きながら声をかけてきた。僕も、と急いで白のモコモコセーターとズボンを穿いた。
「あれっ?先輩、私服ですか?あったかそうですね」
「また着替えるしと思って……」
「それもそうですね!」
僕以外はスーツやコートなど、いつもの仕事着だ。師匠はいつもの着物にソフト帽にマント姿だが。
僕たちはスリッパで食事処に向かい、マネージャーさんたちも交えながら朝食を済ませた。セイレーンは私服になっていた。もしかするとさっきは朝イチに見せるためだけに着てきたのかもしれない。そう考えると少し嬉しい。
マネージャーさんによると、昨日のうちにライブ会場のセッティングは終わらせたのであとはお客さんの誘導と不審者見回りくらいだそうだ。まぁ僕にはMCという大役が待っているわけなのだが。
「うんうん、うまーい♪」
「何食べてるの?」
「ん?これだぞ」
あまりにも美味しそうに食べる師匠にセイレーンは興味津々のようだ。師匠はセイレーンに混ぜご飯が入った器を見せている。
「混ぜご飯?」
「江戸でも五目飯はあったんだぞ。古くから伝わる味だ。感謝して食べろよ」
「そこまで言うなら……」
タタタと混ぜご飯が入っている器を取りに行き、師匠の隣……僕の斜め前に座った。
「おっ、負けねーぞ!」
二人は競争するかのように混ぜご飯を口に放り込んでいく。
「二人とも、急いで食べたらお腹を壊しますよ!特にセイレーン、これからライブなんですから……」
「んんぅ……ごく。黒池、心配してくれてるの?」
「当たり前です!僕もあなたのライブ、楽しみにしているのですから」
「ん……。わかった。勝負はお預けね」
「そうか?じゃ、オレは魚取ってくる〜」
「すごい食欲ね……」
セイレーンが言うのだからそれほどすごい食欲なのだろう。師匠はこの件が終わったらまた魔界でトレジャーハントすると言っていた。もしかすると食い溜めかもしれない。
「ふふふ、もしかすると食べ盛りなのかもしれませんね」
とりあえず苦しい言い訳をしておいた。何も言わないよりかはマシだろう。
「あの子、中学生にも高校生にも見えないわよ?むしろ小学生くらい……。でも精神年齢は結構なものみたいね。ロリババアならぬショタジジイ?」
「僕にはわかりませんね……」
彼の実年齢はおじいさんでもおばあさんでもないのだが。むしろ仙人かもしれない。
「セイレーン、黒池さん。10分後に本番の話をしますから、朝食は早めに終わらせてください」
後ろからマネージャーさんが話しかけてきた。その手には水が入ったコップがあった。食後に飲むためのものだろう。
「はぁーい!」
「急ぎますっ」
僕はフランスパンを歯で引きちぎる。
昨日師匠が「和食が少ない!!」と騒ぎ立てるため、和食を無理に用意してもらったのだ。師匠のために用意されたものを僕が食べるのは気が引けると思ったので、洋食の代名詞でもあるフランスパンを席に持ってきたのだ。
硬い。硬いよぉ……。スピード勝負の真逆じゃないか……。僕のバカぁ……。
「味噌汁に付けたらどうだ?」
師匠が焼き魚を食べるために使っていた箸でちょいちょいと指す。
どうしてそんな考えに至るのだろうか。
「バターいるー?」
セイレーンが手を後ろで組んで覗いてきた。
柔らかくするのとはほど遠い提案をありがとう。
「黒池ちゃん、ソーセージでも食うか?」
上原先輩がニヤニヤしながらフォークに突き刺したソーセージを振る。
フランスパンはホットドッグではありません。
「先輩……」
哀れみの目でこっちを見ないで、山野くん。
ダメだ。ここにいる人たちをアテにはできない。さっさと食べてしまおう。
僕は「いいえ、結構です……」と呟き、夢中で食べた。
__________
「最初はセイレーンは舞台上にいませんので、黒池さんが最初に喋ってください」
マネージャーさんがノートを見ながら話す。
「わかりました」
「歌いだしたら上手でも下手でもいいのではけてください」
「はい」
上手下手とは、舞台袖の右か左かのことである。観客から見て左側が下手で、右側が上手だ。
セイレーンが上手から来るそうなので、下手に行こうと思う。
「大丈夫なの?なんかお芝居ヘタそうだけど。ってか、ヘタって聞いたんだけどホント?ププッ」
「ど、どこ情報ですか!?」
僕の突っかかるような質問に、セイレーンは半笑いで答えた。
「ヘェ?んふふっ、リストっ」
「……あとでしめとかないといけませんね……」
「黒池、顔、顔!そんな顔で舞台に上がられちゃたまらないわ」
おそらく魔界でのことだろう。僕は自分を偽ろうとしてとんでもない行動に出たのだ。あれ、スクーレさんから師匠に知れ渡ったのか……。それともヘラから師匠……?
どちらにせよ、師匠……許さない。
「冗談ですよ。セイレーン、マネージャーさん。本日はよろしくお願いします」
「お願いしたのはこちら側です。刑事さん、セイレーンの命を守ってください」
「もちろんです」
そして僕が着替えたあと、そのまま舞台裏に移動した。
ちゃんとしたところではなく、即席の屋外ステージのようになっているので鉄骨が丸見えだ。むしろ鉄パイプをくっつけたような見た目をしている。
体育館のステージのようにやけに高い台。あれ、周りの友達はぴょんぴょん飛び降りていたのに、僕は怖くてステージで座って足をブラブラさせるだけだったんだよね。師匠の身長ならなおさら飛び降りれないだろう。……って、そうじゃなくて!
ファンが押し寄せないために柵も用意している。その柵とステージの間で先輩と山野くんが待機するらしい。ライブに夢中で仕事が疎かにならなければいいのだが。
師匠は遊撃隊らしい。何かあれば幻術で何とかなるし、師匠の出番は本当の本当にピンチで、切り札が必要な場合のみだ。
あの大量のお菓子は魔力を回復するためのもので、一日にゴミ箱が個包装のゴミだらけになるほど食べないといけない。燃費がガチのマジで悪い。
費用は政府が出してくれているが、それは師匠が「半分悪魔」というある意味恐ろしい存在であり、「神秘」の隠蔽のためならと手を尽くしているそうだ。まぁ僕が毎日のようにスーパーで大量のお菓子を買っていたら怪しまれるのでは?とのことで署のお偉いさんが話を通してくれたからなのだが。
なぜそこまで隠蔽を優先するのかはわからないが、それは放置しておこう。僕たち「特別能力推攻課」も同じ立場なのだから。考え出したら止まらない。この話題はやめておこう。
「いけますか?黒池さん」
「ひあっ?!あ、は、はいっ」
舞台袖から観客を見ていた僕の後ろからマネージャーさんに声をかけられた。僕は驚いて変な声が出た。
「緊張しているようですね。大丈夫です、堂々としていればなんとかなります。カボチャやイモと思えばいいんです」
「授業の発表じゃないんですから……」
この女、観客を何だと思っていやがる。
と、まぁそんなことは置いといて、参考にさせてもらおう。今はその対処法が一番適しているように思えるからだ。
「でも、少し元気が出ました!……すー……はぁー……」
深呼吸をし、息を整える。
その間、今までのことが頭を駆け巡った。
僕が初めて『上原さん』に出会ったこと。その仕事ぶりに感激して警察官を目指したこと。悪魔に拉致られ、ヘラに出会ったこと。ヘラを追いかけていた自分に訪れたサニーくんからのチャンスのこと。最後に、師匠に出会ったこと……。
全ての運命が、全ての出会いが一つにまとまって生まれたのが今の僕だ。
セイレーンに出会ったことも何かしらの運命なのだろう。なら、今まで通りやるしかない。僕は運命に振り回されるだけの人間じゃない。
僕の人生の主人公は、僕なのだから……!
「……よし」
マイクを握り、一歩前に出る。
少し下を向いたので、衣装の白が目に入った。
セイレーンコールが響く舞台へと向かう。歩きながら親指でマイクの電源を入れ、「誰だ?」と疑問の声が上がる舞台で、言われた通りの言葉を口にした。
「『あぁ、どうしよう!船は迷い、僕たちの道がわからなくなってしまった!このままでは全員死んでしまう!』」
…………顔が熱い!はっっっずかしいなぁ、これ!?というかなんでお芝居!?
「『エンジンが止まり、霧は立ち込め、羅針盤は己を忘れ、グルグルと回り続ける!僕たちはここで終わってしまうのだろうか……?』」
チラッと客席を見てみる。ブーイングの嵐かと思ったら、案外ちゃんと聞いてくれている。もしかして毎回お芝居やってる……?
「〜♪」
「『何だろう?この音……歌声?』」
アカペラで『インターネットキャンプファイヤー』が聴こえる。その声はどんどん大きくなり……!
パーン!プシュゥウウウ!
「『うわっ!?あれは、まさか……!』」
スモークとともに、セイレーンが上手から来たので僕は下手に向かおうとした。このスモーク、もしかして水しぶきをイメージしてる?
不意にセイレーンが僕の目を見る。ウインクをされた。あとは任せて、ってことか。
僕は微笑み、舞台袖にはけていった。
「いっくよー!」
「うおおおおお!!」
ぴょーん!とジャンプしたセイレーンの声にライブ会場のボルテージが上がる。僕はそれを尻目にマネージャーさんの方へと向かった。
「お疲れ様です。すいません、付き合わせてしまって」
「いえ。新鮮だったので楽しかったです」
「そう言っていただけるなら、セイレーンも喜ぶでしょう」
「僕……ライブなんて初めてで。いつもお芝居やってるんですか?」
「いえ。ですが、セイレーンのことなのでファンの方たちも『今回はこれか』みたいな感じで受け入れてくださっているのですよ」
「あー……ははは」
だから『誰だ?』と疑問の声が聞こえたんだ。毎回やっているのなら、毎回知らない人が出てくるわけで、誰だ?なんて疑問が出ないはずだからだ。
「黒池さんはライブの最後にもう一度出番があります。それまで客席でライブを楽しんではいかがでしょうか?ライブは初めてなんですよね?それに、情報収集もできるでしょう」
「お気遣いありがとうございます。そうですね、僕も楽しみにしていたので見てきます」
僕はそのまま舞台裏から脱出し、「すいません」と言いながら観客の間に割って入った。衣装が汚れないようにしないと。
「今日の司会者、お兄さんなんだ?」
「えっ?」
入ったところの隣の男性が話しかけてきた。太り気味の、いわゆる「オタク」というものだろう。セイレーンのかつてのライブで販売していただろうシャツを着ている。
「は、はいっ」
「今回は物騒だから、ゲストを呼ばないと思ってたんだけど……。そうだ、お兄さん、警察でしょ」
「へ?!は、はい!よくわかりましたね」
「あーいや、いつもの『神』が「今日は後輩がゲストやるから!」って自慢してたからさ、どんな人かと思えば優しそうないい子じゃないか」
「か、かみ?」
「知らない?お兄さんの先輩、いつもセイレーンのライブで『神』って呼ばれてんだよ」
いや知るか。
「そ、そうなんですかぁ〜……」
「そうそう!さ、お兄さんも楽しもう!」
「わ、わっ」
急にジャンプし始めた男性に驚いたが、周りも飛んでいる。ライブってこんなのなんだ……と思いながら、周りに合わせることにした。
インターネットキャンプファイヤー、BREAKING MARINE、融解回路……いろんな曲が流れた。どれもいい曲だ。あのセイレーンが歌っているなんて信じられないが、それも含めて『セイレーン』なのだろう。
「次は、『ワ」
「〜♪〜♪」
「えっ?」
どこからか別の歌声が聞こえた。
この声……どこかで……。
「聞くな!!!」
誰かが叫んだ。そしてすぐに起こる混乱。人の波に飲まれ、僕は左右から潰されそうになった。
「な、に……!?」
「『深海のように』〜♪」
「!!」
別の歌だ。セイレーンのような若い声ではないが、上手いのは間違いない。
普通なら聞き惚れてしまうだろう。その歌声に拍手をするだろう。だが、状況が悪い。なぜなら、今目の前ではセイレーンのライブが行われているのだから。飛び入り参加も甚だしい。狙ってやったことでも、その相手が……悪かったのである。
「マーメイド……!」
「『奥へ、奥へ』〜♪」
「お兄さん、耳を塞いで!」
「!」
隣の男性に耳を塞がれた。
「『溶けていくような日常を』〜♪」
「う、うぅ……!」
僕は怖かった。
マーメイドの曲を聴いたらしきお客さんたちが自分の衝動と戦って苦しそうな顔をしているのが。
耳を塞いでくれている男性の手が震えているのがわかる。この人も怖いんだ。自分の意識を手放すのが。大好きなセイレーンに背を向けるのが。それが、『ファン』としてどれほど苦しいものなのか。
声の発生源の方向を見てみる。そこでは冬なのでモコモコの白や黒のコートを着た3人組が歌っていた。プライベートなのだろうが、こんなピンポイントで訪れるわけがない。邪魔をしに来たのだ。
「ぁ……あ……」
叫んだり、取っ組み合いをしたり、マーメイドの方へ向かおうとする人たちがいたりと大混乱の客席を見て、セイレーンは涙目になっていた。50歳後半の人たちがこんな若い女の子の邪魔をするなんて、ひどいにもほどがある。
セイレーンの曲、『ワードランサー』は歌い手がいないまま、BGMだけが虚しく流れ続けていた。
ワードランサーは昨日のアルバムにも入っていた曲なのだが、内容的には「内向的な女の子が『言葉』の強さを知って、立ち上がる」という励ましの曲だ。曲名は大体ネット弁慶のセイレーンらしい攻撃的なものばかりだが、内容はセイレーンらしい元気が出るポップな曲がほとんどだ。対してマーメイドはしっとりとした曲だそうだ。
陽と陰。正反対でありながらも近い、まるでヘラとムジナくんのような……。近くて遠い、遠くて近いものだと考えられる。
「セイレーン……!」
僕は異変に気づいた先輩が気を利かせて発生させたインカムのノイズに助けられ、マーメイドの襲撃から逃れることができたが、周りの人はもうめちゃくちゃだ。さっきの男性も消えてしまった。僕もさっきの場所から離れてしまっている。
このままではセイレーンのライブどころか、混乱に乗じてセイレーンの命が狙われるかもしれない!僕がなんとかしなくては……。でも、どうやって?
『セイレーンの命を守ってください』
マネージャーさんの言葉が浮かんだ。
そうだ。命を守るのが警察の仕事だもん。ここでビビってどうする……!
「……セイレーン!歌ってください!」
「黒池……」
声が震えている。今すぐにでもステージに戻って、励ましてやりたい。でも、僕はアイドルでもない。ただのイチ刑事だ。
セイレーンは昨日の今日知った人物だ。だから誰を応援するかなんて、決められない。……それでも……!
僕はまだ持っていたマイクのスイッチをオンにした!
「僕を見返すんじゃなかったんですか!あれだけ楽しみにしていたのに、ここで止まってどうするんですか!ここにいる人たちはみんな、セイレーンの歌を楽しみにしてきた人たちでしょう!?マーメイドに奪われて悲しくないんですか!?あの人たちに一泡吹かせてやりましょうよ!」
「黒池……。でも……」
まだセイレーンは声を震わせていた。
「僕も楽しみにしているんですから!歌えないなら、僕が先導します!だから前を向いて、昨日みたいに元気なセイレーンの姿を、そのステージで見せてください!」
セイレーンの表情がハッとしたものに変わった。後ろの大スクリーンにもその様子がしっかりと映っていた。
「……そこまで言うなら……わかった。わかったわよ!やってやる!マーメイドなんかに負けない!私は、セイレーン!惑わし返してやる!見てなさい、聴きなさい、驚きなさい!これが、セイレーンの底力なのよ!!!」
セイレーンの叫びとともに、ステージの左右からパーン!と紙吹雪が勢いよく飛び出た。マーメイドの歌声をもかき消すその音量に、皆が驚いて振り向く。
まさに、この騒動も『劇』の一部分だというかのように。
「『私の言葉に気づいて届いてお願い』〜♪」
「セイレーン……!」
「『振り向いてほしいの、だって私は』」
「「『ワードランサーだから』〜♪!!!!!」」
「わあああああっ!!」
「セイレーン!!!セイレーン!!!」
この寒い冬の海辺に広がるファンたちとセイレーンの大合唱!
すぐにセイレーンコールも再開された。皆、目に涙を浮かべている。皆が口々に言う言葉は同じ……
「ごめんね」
だった。
セイレーンは目を丸くして、そのまま子供っぽくニッと笑った。
「私のライブを、全力で楽しんだら……許してあげる!!!」
「うおおおおおお!!!!!」
僕はマイクをオフにして、元気を取り戻したセイレーンを見て微笑んだ。
チラ、とマーメイドの方を見る。3人ともポカーンとしている。だが、その目には明らかな恨みの光が映っていた。僕と同じだ。僕がヘラのことを考えていたときの光と。今は彼に負けて協力しているが、もしそんな関係にならなければ……と思うと、少しゾットする。師匠にも出会えなかったかもしれないし。
僕は師匠にスマホで連絡し、幻影桜花で捕まえてもらうことにした。師匠本体が行くと危険なので、分身に行ってもらったほうが安全だからである。
とにかく、これでなんとかなった。あとは僕の出番を待つだけだ。そう思うと安心して膝の力が無くなって、へなへなと座り込みそうになった。
「じゃあ、今日のMVPをステージに呼ぶわよ!ほら、上がってきなさい、黒池!」
「っへぇ!?」
足がガクガクなのに!?ってうわ!!周りの人たちがノリノリで僕を運ん……っ!
「わわわっ!?僕はもう疲れて……助けて!先輩、師匠〜!!!」
「観念して最後まで行くのよ!せーのっ!!」
「「イェエエエエエエイッ!!!」」
__________
数日後。
「黒池ちゃん、黒池ちゃん」
先輩が滅多に出てこない部屋から顔を出した。
まったく……僕は書類の整理で忙しいというのに……。
「どうしたんですか、先輩。また新しいゲームでもやっているんですか?」
僕は持っていた資料を机に置き、先輩の聖域へと向かう。その間、師匠がバリボリとせんべいを食べる音が響いていた。
「この前のセイレーンのライブ、覚えてる?」
「忘れたくても忘れられないインパクト……」
そう、あの日。結局最後までステージ上でデュエットさせられ続けて喉が潰れて2日は声が出なかった。さすがにセイレーンも反省していた様子で、特製ドリンクをくれたり、お見舞い……どころか、家まで突撃してきた。
普通は怒るところだが、今までの経験で麻痺してきたのだろう。僕は「まぁそういうこともあるよね」程度の気持ちで応対していた。
普通は、怒って、警察を呼んで、然るべき対処をしてもらうのだ。普通は。
「そうそう!あの時のさ、マーメイドの行動なんだけど……世間からも問題視されるようになって、しばらく活動休止になったんだって」
「そうなんですか」
僕的にはあんな人間の精神を脅かすテロじみた歌声はもう二度と聴きたくないのだが……。む、こうするとオンチとも読み取れるか。なら、これはどうだろう?「うますぎてこの世の歌声とは思えなくて脳が惑わされる」。これなら完璧だ。
「そうなんですかって、冷たいなぁ。ま、これにはセイレーンもどう反応すればいいのかわからず静観…………ってこともなかったみたい!あはは、いつものセイレーンだよねぇ」
先輩はSNSの画面をパソコンに表示した。
なになに?『マーメイド、活動休止とか超ウケるwwwwwこの前のライブに来てくれた人ならわかると思うけど、やっぱ若い娘のやることを妨害したら叩かれるに決まってるっしょwwwww』…………。
えぇ……。反応に困る……。
「でもこれにはみんなが同意してたよ。当日ライブにいた人たちが証人になってくれてるし、何よりファンの中の中心メンバーだったからね」
先輩は飲み物を手に取って、ゲーミングチェアを回してこっちを見ながら飲んだ。
そういえば一つ気になることがある。
「先輩……ライブ会場では『神』って呼ばれてるそうですね」
「ぶふぉあっ!?」
「ちょ、吹き出さないでください!ティッシュ、ティッシュ!!」
「うぅ、ありがと……」
僕は先輩にティッシュを渡し、何とかなった。それより……。
「誰に聞いた?」
「プライバシーの問題なのでお話しすることができません」
「あー、こういうときだけ警察ぶってー!」
「あはは……」
「…………黒池ちゃん、ライブは楽しかったかな?」
「……?はい!」
僕はにっこり笑った。
「黒池ちゃんはこういうの経験したことがなさそうだったから、よかったよ。これからも楽しいことに触れていかなきゃ。ね?……ついでにゲームでもやってく?」
「仕事してください」
「もー!つれないなぁ」
「話は以上ですか?僕は資料整理の途中だったんですから」
「待って待って!これが最後だから」
先輩は行きそうになった僕を引き止め、パソコンを操作した。出てきたのは一通の音声メッセージだった。流さなくてもわかる。セイレーンからだ。
『ハロー、黒池!元気してる?喉の調子は良くなった?すごく心配したんだからね!……その……ライブでは励ましてくれてありがとう。まさか黒池の口からあんな言葉が飛び出るとは思わなかった。私、みんなを元気付けないといけないのに、逆に元気をもらっちゃったね。……黒池、落ち着いたら遊びに行くわよ!まだリストくんとの戦いに決着はついてないし!まだ可愛かったか感想を聞いてないし!だから……待っててよね。じゃ、また今度!』
プツ……と音声は途切れた。これが妹キャラってやつなのか。それとも地で行ってるのか。わからないが、これだけは言える。
『とても楽しみだ。』
「黒池ちゃん、嬉しそうだね。アイドルからの秘密のコメント、そんなによかった?」
「そっ、そんなわけないじゃないですかっ!僕はアイドルなんてっ」
「はいはい。黒池ちゃん、これも貰ってるから次も行こうねー」
そう言って渡してきたのは次のライブのチケット。しかも特等席。
いやいや、僕はまだアイドルの良さに気づいたとかそんな……ああっ!笑わないでください!
「じゃ、仕事の続きをよろしくね〜」
……扉を閉められた。入れ替わりに山野くんが部屋に入った。
「黒池先輩、どうでしたか?」
「黒池ちゃん、セイレーンに気に入られたようだねぇ。嬉しそうにしてたよ。だって家にも来られたんだからねぇ」
二人の笑い声が聞こえた。
何で僕は災難が増えてしまうのだろうか……そう思いながらせんべいをバリボリ食べる師匠を見る。
平和だ。たまにムジナくんやイリアくんたちも遊びに来ることになったし、そこにセイレーンも加わった。なぜかたまに家にやってくる「ボス」もいるし、師匠もいる。いつまでもこんな日々が続けばいいな。
僕は、そう思ったんだ。