最終回 最終
最終回は10回に分けて投稿します。
その後、特別編を投稿するのでお楽しみに!
翌日。
僕は先生に目の応急処置をしてもらって「これで大丈夫ですから!」と言い張ったが、あらゆる人から猛反対を受けて病院に押し込まれてしまった。
なので……うぅ、また病院にいるんです。でも、今回は入院ではないんですよ?先生の処置がうますぎたためなのか、手術の必要がないとかなんとか……。
……今日も姿を現さない師匠の代わりに、付き添いのため隣で見ていたエフィーさんがこっそりと教えてくれたのだけれど、強い魔力が傷を癒やそうとしているのだとか。それは師匠でもエフィーさんでもないというので薄ら寒くなる。
……でも、少し理由がわかるかもしれない。赤のノートの魔力が残されていたからかもしれないからだ。ノートがいなくなったとしても、魔力はまだ世界に残されている。僕は『ノート』ではなく『赤のノート』に願った。『赤のノート』は『赤のノート』として、僕に力を貸してくれたのだろう。「もっとお前の正義を見せてくれ」って。きっとそう囁かれている。
彼は悪い人ではなかった。起こしたことは悪いけれど、彼は彼なりの『正義』を見せていたから。それを知ったエフィーさんは『善と悪』について考えるようになった。誰のための善か、誰が悪と捉えるか。自分の立場を考えることが大事だ、って……。
「………………当然ですが、あまりいじらないようにしてください」
カルテに記入しながら気難しそうな医者が忠告する。
「あの、ガーゼの交換は……」
「ガーゼが汚れたり、不快に思ったりしたタイミングでも大丈夫ですよ。眼帯もつけて良いですが、あまり長く着けすぎると治りが遅くなるので徐々に外す期間を伸ばしてください」
「わかりました」
目の問題なので少し不安だったが、これなら何とかなりそうだ。よ、良かったぁ……!
「では、待合室でお待ちください」
「ありがとうございました」
「いえ。お大事に」
ガラガラ、と部屋を出る。
公共の場なので普通に歩いているエフィーさんが不満を漏らした。
「なんなの、あの素っ気ない医者は!それに着ける物も外せって、ヤブ医者じゃないの!?」
「あはは……。僕たちがキャラが濃すぎるからかもしれませんね。それに、徐々に外していくのは間違っていませんよ。逆にそうお墨付きをくださる医者は少ないのですよ?普通は通院回数を増やすためにわざと長く傷が続くようなアドバイスをするところもあると聞きますからね」
「むむ……医者が全部怪しく見えてきたわ。私も回復魔法を覚えようかしら?激ムズだって聞くけど」
「ふふ、無理だけはしないでくださいね」
「傷ができたらすぐに教えてね。モルモットになってもらうんだから」
「ええ……」
そういえばヘラも回復魔法を覚えたって言ってたなぁ。回復魔法とかを使えない人が使おうとすると消費する魔力が何倍にも跳ね上がって、結果回復どころか倒れる可能性があるって聞いたんだけど……。
「あ、帰りはあの運転が得意な人が来てくれてるはずよ」
「影中さんですか?」
「そんな名前だったわね。私まだ推攻課の人と飛向冰李しか覚えてないから」
「フルネームなんですね……」
「漢字って難しいから嫌い!」
「ふふっ、エフィーさんも先生に教わりますか?」
「何日かかる?」
「常用漢字で6年くらいですかね」
「長いわ!!」
漢字だけに絞ったらもっと短くなるんだけど……。まぁこれはエフィーさんの能力次第、かな。
「黒池皇希さん」
受け付けの看護師さんに呼ばれた。
「エフィーさんはここで待っていてくださいね」
「ふんっ」
僕は立ち上がり、受け付けへと向かう。やっぱり片目が塞がれて見えないので少し不便だ。もしかするとふらついているのかもしれない。
「代金はこちらです。……はい。…………では、お大事に」
僕は一礼してエフィーさんの元へと向かう。彼女は僕が到達する前に立ち上がり、出口の方へと走った。
「ふふん、『どうぞお通りください』」
自動ドアの前で仁王立ちし、僕が通るのを待っている。僕は思わず吹き出してしまった。
「なっ、何よ!せっかく人が親切に開けてあげてるのに!」
「いえ、ありがとうございます。……その、こうやって日常に戻ってこられたのが嬉しくて」
「ぅ……。そんなこと言われたら、恥ずかしくなるじゃない」
そんなやり取りをしながら駐車場へと向かう。
ちなみに僕の服装だが、今はコートが無いのでエフィーさんのベージュ色のコートを借りている。どうやらエフィーさんの体を少しでも離れると魔力の繋がりが切れるらしく、普通の見た目になるようだ。
男が女性の服を借りるなんて、と申し訳なさが僕の中で渦巻いている。
「…………おや。来ましたね」
影中さんはいつもの車のドアにもたれ、腕を組んで待っていた。
彼は僕の顔を見て悲しそうな顔をした。
「……本当に髪を切ってしまったんですね。あの長い髪の毛、結構気に入っていたのですが……」
僕は『赤のノート』の力で、あのスーツの男の手から抜け出すべく自ら髪を切った。あの場所にいた全員が、まさか髪を切るなんて!?と思ったのか、大きな隙ができて僕の作戦勝ちとなった。
……影中さんはよく僕の髪を梳いてくれた。
本当に綺麗な髪だ、と褒めてくれた。だから、この人に切ってしまった髪を見せたくなかった。でも、同じ職場ということもあって必ず目に入る。だから……ここで謝らなくてはならない。
「……ごめんなさい。あんなに好きだと言ってくださったのに……」
「良いんですよ。命の方が大切なんですから。……あーあ……毛先がバサバサだ。鏡を見ずにやったから斜めに切れているね。あとで揃えるかい?」
「いえ……教訓として残しておきたいです」
「わかった。じゃあ毛先だけケアしよう。まずは帰ろうか」
「はい」
影中さんは僕とエフィーさんを車に乗せ、発進させた。影中さんとはここに来たことがあるので本部までの道はわかっている。
……推攻課がまだ嫌われていた頃、影中さんは僕に会ってくれていた。もちろん髪を触るためなのだが、彼はそれを口実として僕の相談相手になってくれていた。周りにバレないように小声だったけど、話を聞いてくれる人がいるということが当時の僕の心の支えになっていた。
たまにイタズラでポニーテールや三つ編みにされたりしていたが、彼のお茶目なところは本当にレアだったし、いつもお世話になっていたから笑って許していた。
これは先輩にも秘密だった話。
僕も会っていないフリをしていた。
2人だけの、秘密だった。
今でもぎこちないけど、僕は影中さんといるときは安心している。
「…………」
助手席から外を見る。
幸い左目は無事だったので、普通に見ることができた。
横断歩道を待つ子どもたち。
歩いている家族。
元気に走る学生たち。
みんな、みんな僕たちが守っている命。
そして……同じ人たちを、たくさん、たくさん失った。
それでも僕は赤のノートを恨むことができない。彼は彼なりの正義を持っていたから。彼の目に、僕たち人間がどう映っていたのかはわからない。どうして手を貸してくれたのかわからない。
……彼を忘れ、彼を眠らせることが最適解なのかもしれない。
無理矢理動かされた命。
彼は彼で苦しんでいた。
だからこそ、寝かせてあげよう。
夢の中から、僕の正義を見ていてほしい。
それがあなたの願いなら……。
「………………」
「……泣いているのかい?」
「えっ?」
慌てて左目に触れる。
……涙が溢れていた。
「警察という職は残酷なものです。どんな理由で罪を犯そうと、犯人を捕まえ、人生を狂わせないといけないのですから。誰かが定めた正義のもと、この世界に生きる人間を守る。それが『警察官』です」
特徴的なエンジン音のなか、影中さんの凛とした声が聞こえた。
「……昨日捕まった指定組織『川崎組』。あなたの保護者だったんですってね」
「…………はい」
「念のため、上原さんが担当しましたが……心を読むまでもなかったみたいだ。あなたがどれだけ大切にされていて、守ろうとしていたか……。逆に何時間も語られて大変だったみたいだよ」
クスクスと笑う。僕は恥ずかしくなってもう一度外の景色を見た。
「みんな黒池さんを待っています。あなたのことが知りたくて、勤務時間を過ぎてもみんな事情聴取……いえ、過去話を聞いていたんです。最終的には『これだけ大事にしているから、今回の騒動を起こしてしまいました。』と自供していたけど……」
「お兄ちゃんは、いつ外に出られるんですか?」
「……それは、わからない。でもみんな感動の再会が見たいから刑期を短くするよう頼もうかなって言っていたよ。異例中の異例だよ、本当に」
嬉しそうに話す影中さんを見て僕も少しだけ笑顔になった。
「これも、努力の結果かもしれないね。……他の人からも言われているかもしれないが、無茶だけはやめてほしい。死なれたら元も子もないだろう」
「わかっています……」
「自制することも大事だ。許せなくて、体が動くのだろう。でもそんな君がもし死んでしまったら、残された人はどう思う?さらに許せなくて、殺されて、許せなくて……と負の連鎖が起こるかもしれない。だから、止まる時は止まる。他の人をもっと頼ってほしい。それができないならずっと本部にいた方が良い」
「………………はい」
影中さんの言うことはいつも正しい。さすが捜査一課の人だ。場数が違う。僕は事件が大きくとも数は少ない。影中さんから見れば毎回まぐれで生き残っているようにしか見えないだろう。
「……良い子ですね。昨日の彼が言っていた通りだ。本当に、正直な人間に育ったんですね」
赤信号だったので、頭を撫でられる。
一昨日から撫でられてばっかりだ。
「……今日はこのあと、一度本部に戻ってから別のところへ向かいます。大切な話があると連絡が入っているみたいですよ」
「どこに行くんですか?」
「それは秘密です。俺も本当は怖くて行きたくないんだけど……まぁ仕方ないよね」
「あ、あの、場所さえ教えていただければ一人で……」
「いや。俺が責任を持って連れて行く」
「よ、よろしくお願いします……?」
チラ、と後部座席を見る。エフィーさんが「なーに気圧されてるのよ」とため息をついていた。
「…………そろそろ着きますよ。入口で上原さんが待っているはずだから、荷物を貰って戻ってきてください」
「先輩が……ですか?」
「結局一人で一晩中話し相手になっていたようで、アドレスの交換もしたらしいですよ」
「仲良くなりすぎてません!?」
「そもそもゲーム友達だったみたいですから……互いに相手のことは知らなかったようですが」
「もしかすると後半からゲームの話をしていた可能性が出てきましたね……」
「否定はできませんね。今日は他のメンバーとの事情聴取みたいですが、体力がもつのか……少し心配ですね。上原さん、体力無いので」
「事情聴取……と言っても、いろいろ話は聞きました。半分は無理矢理だと。本当に聞くべきは、ごく少数だと思われますが……」
「それでも念のため全員に聞かなくてはならない。そこが少し面倒なところですね」
影中さんは苦笑いした。こんなやり手な人でもそう思うことがあるのかと驚いた。
「……あの、僕が頭突きしてしまった人は……」
「今は病院にいるはずだ。頭突きだけではならないような怪我をしていたらしいですが……あなた、一体何をしたんですか?」
「あ、あはは……。本当に頭突きだけですよ。ねっ、エフィーさん!」
「魔力がこもった変な頭突きだったわね」
「ほら!」
「……そこまで言うならそうなのでしょうね。あなた、脳震盪を起こしたんですからもうちょっと自分の頭を労ってください」
「は、はい……」
「あなたはこの世で一人しかいないのですから……。ね?さぁ、行ってらっしゃい」
影中さんに車のドアを開けてもらう。
僕は慎重に下車し、一人で建物に向かう。
グレーと黒を全面に出した、重苦しい建物。『警視庁』。その中には世界に一つだけの『特別能力推攻課』がある。
普通は一般人が立ち入ることはないが、たまにおかしな訪問者が現れる。
みんな、人間ではない。でも、彼らは人間と同じように感情があり、嬉しそうに笑う。彼らもそうだが、僕たち警察官はその笑顔が見たくて毎日街を守っている。
……ときには、悲しいこともあるけれど。それでも、前を向き続けることが僕たちや周りの人たちを安心させることに繋がるのだと僕は思っている。
「…………おかえり、黒池ちゃん」
扉の前に見慣れた顔があった。
いつもの黄色いパーカーを着た、一見一般人に見えるが警察官としてはかなりやり手の人物。そして、幼い僕を捕まえ、僕の目標となった人物。
上原英次。
喧嘩したり、呆れたり、怒ったりしたけど、僕の大切な人たちのうちの一人だ。
この人に出会わなければ、僕はとっくに破滅の道に進んでいただろう。
僕は今まで恥ずかしくて面と向かって言ったことがないけど、『あの日』のことを覚えている。ずっと感謝している。
まだ若い上原という男に、3歳だった僕が生まれて初めて抱き上げられ、まるで親バカのようにニヤニヤして「よしよし」とあやされたこと。
僕はよくわからないままそっぽを向いて指をしゃぶっていたけれど、本当はあんなことをされたことが無かったのでどういう反応をすればいいのかがわからなかった。
そのあと突然施設に入れられ、地獄のような日々が続いて、あの男の人の顔も忘れて。……本当にひどかったけど、あの家にいるよりかはマシだと感謝した。
……先生やヤスお兄ちゃんにも再会した今の僕は無敵だ。幸せ絶頂と言っても過言じゃない。目は少し痛いけど、先生とお揃いだもん。痛くない。痛くない。
今なら言える。
あの人に。
「ただいま。上原先輩」
「……随分ワイルドになったね」
先輩は僕の目のことを言っているのだろう。眼帯の上下には大きく縦に伸びた斬り傷が見えている。
「この先、髪を伸ばして傷を隠そうと思います。この傷を見て、みなさんを不安にさせたくありませんから」
「良いと思うよ。黒池ちゃんがやりたいことをやったらいいんだからね」
「はい。……その、先輩」
「ん?」
僕は背筋を伸ばし、頭を下げた。
「僕を導いてくださり、本当にありがとうございました!!初めて会った時から、ずっと、先輩に憧れていました。先輩はいつも楽しそうにしていますが、本当はずっと無理をしていたことを僕は知っています。でも、僕は大丈夫です。先輩があの時行動したから救われた人もいます。それが僕だった、って話なんです!」
「黒池ちゃん……!か、顔、上げて」
驚きを隠せない先輩。僕がやっぱり強く頭を打ったのではないかと思っているのだろうか。
「そ、その、上手く言えませんが……」
僕は顔を上げる。
「先輩は、僕のもう一人の親だと思っています。……僕は、先輩のことが大好きです。これからも、一緒にいてくれませんか?」
恥ずかしいという感情じゃない。
愛情という感情でもない。
どちらかといえば、すがるような感じだった。
先生と僕の住む世界は全く別のものだった。もう二度とあの日常は戻らないだろうと思っている。ならどうするか、と愚かな僕は上原先輩に頼ることにした。
助けて。怖い。心細い。
それが僕にこの言葉を口に出させたのだ。
僕は卑怯者だ。確実な方法を取って、相手を困らせる。もう僕は純粋な『正義』を名乗れないのかもしれない。
「………………」
先輩の答えを待つ。
1秒もない時間だとしても、僕の中では1分……いや、5分、10分の時間が流れている気がした。
「……何言っているんだ、黒池ちゃん」
「っ!」
内臓がヒュッと冷たくなる。
「これからじゃないか。大好きな『先生』に、大好きな『お兄ちゃん』。大好きな『師匠』もいて、もっと良くなろうっていうときにそんなことを。……一緒にいるよ。黒池ちゃんが満足するまで。俺も、満足するまで」
「先輩……」
「謝るべきなのは俺の方だ。黒池ちゃんの気も知らないで、施設に入れてしまった。ひどいことをしてしまったね」
「ううん……ううんっ」
僕は懸命に首を横に振る。
先輩は悪くない。先輩は僕のために頑張って最適解を考えてくれた。それだけで僕は嬉しかったんだ。
「許してくれとは言わないよ。川崎さんやヤスくんからたくさん黒池ちゃんへの愛を聞いた。俺が一番近くにいて、黒池ちゃんのことをよく知ってると思っていたのに、俺が一番理解していなかった……」
「そんなことないです。上原先輩、あなたのおかげで今の僕がいるんです。僕を信じて、僕の心を信じて送り出してくれたんでしょう?だから怒ったりしません」
「……ありがとう」
先輩は肩にかけていた鞄を僕に差し出した。その中には僕の刀が入っていた。
「これ……」
「驚いたかな。黒池ちゃんが学校に連れてこられたときは何も持っていなかったと報告を受けている。でも、刀はここにある」
「…………」
じーっと見てみる。どこをどう見ても僕の刀だ。
「これはね、黒池ちゃんが倒れたあとに隣に現れたんだ。見た感じ、『黒池ちゃんの体から分離した何かが刀の形になった』んだ」
「…………。では、この刀は……」
「急ぎで成分分析をやったところ、普通の刀だったよ。やったね!これで二刀流だ!」
「さすがに2本は振り回せませんが、壊れたときのピンチヒッターとさせていただきますね。ありがたく受け取らせていただきます」
僕は先輩から刀を受け取った。ちゃんと鞘まで再現されている……。
……おそらく『赤のノート』の『存在を1つにする』力が無くなり、分離した結果出現したものだろう。
僕と刀が融合していたとき、そこにはちゃんと刀が『存在して』いたから、離れたときも僕の近くに『現れ』て『そこにある』ということが当たり前になったのだろう。
「行っておいで。話は聞いてある。大丈夫、怖いところじゃないからね。……たぶん」
「あの……どこに行くか、知ってるんですか?」
「ふふん」
自慢げに笑う先輩。いや、そうじゃなくて……。
「さぁ、行ってらっしゃい!人を待たせてはいけないよ」
先輩が僕の後ろを指差す。僕もつられて見てみると、影中さんが車から出てきていた。
優しい眼差しだが、静かな圧力が怖い。“あの”日高さんと同じくらいの力を持っているのだから、相当な強さなのだろう。
「は、はいっ!」
僕は影中さんの方に駆け出した。
……数歩進んで振り返る。
先輩は不思議そうな顔をした。
「まだ何があるのかい?」
「…………。…………………………いえ」
僕はまた前を向いて走る。
今回はそのまま走った。
「…………たくさん話してきたみたいですね」
「えへへへ……ごめんなさい」
「良いんですよ。……髪を切ってイメチェンして。性格も明るくなったみたいですね」
意地悪な笑みを浮かべる。僕の髪を弄って遊んでいるときと同じ顔だ……。
「あっ、え、えっと、これはっ」
「冗談ですよ。さぁ、今度こそ行きましょう」
影中さんは長い髪を揺らして車へと乗り込む。僕はまた助手席の扉を開けた。
「遅かったじゃん」
エフィーさんが身を乗り出して話しかけてきた。
「すいません……」
「怒ってないわよ。だって、嬉しそうだもん」
「えっ!?か、顔に出てます?」
「出てる出てる!てか前から出やすかったわよ」
「う、ううう……!」
「はいはい。喧嘩しない。シートベルトを着ける。静かにする!いいですね?」
少し苛立ちが出ている影中さんの一言に、僕たちは一瞬で静かになった。
「……ふふ。よろしい。では、出しますよ」
ドドド……とエンジンが唸る。そのせいでシートベルトの先を刺そうとして狙いがズレる。刺すことができるまで時間がかかってしまった。
「………………」
「………………」
「………………」
エフィーさんは頬杖をついて外を見ている。
僕はチラチラと手のひらを見ながら下を向いている。
影中さんは無言で運転をしている。
……き、気まずい……。
「……影中さん」
「何ですか?」
「影中さんって、たくさん趣味があっていいですよね」
影中さんは衣服やアクセサリーの他にも、こういう車などアンティークなものが好きだと聞いている。僕のスマートフォンの着信メロディーのクラシック曲も、実は影中さんのオススメなのだ!
「ふふ……。一息ついたら、いろいろ教えてあげますよ」
「ありがとうございます!」
…………で、また無言になる。
この人からは独特のプレッシャーが感じられるので、普通の時でさえ誰かと話している姿を見かけない。
「…………ここだ」
人気のない屋敷。その駐車場と思われるスペースに車を止める。
結局、到着するまで話すことがなかったなぁ……。
「……このお屋敷……」
「記憶に残っていたりしますか?」
「…………」
残って……いない。
記憶に、ない。
「大きなお屋敷ですね」
塀の上に見える松の木。立派なものだ。
「入口はこっちだよ」
「わわっ、待ってくださいっ」
駆け足でついていく。
ぐるりと塀を回っていくと、木でできた門があった。誰のものかを記す名前の札はどこにも見当たらない。
「もう、上原ってば連れてってくれなかったんだもん!今日はめいっぱい見ていくんだから!」
スイッと先行するエフィーさん。門を飛び越え、内側から鍵を開けた。……良いのだろうか……?
「入っていいのでしょうか、これは……」
「何が起こっても動じることはないとのことです。行きますよ」
「は、はいっ」
スタスタと進んでいく影中さんの背中を追う。僕は足元の石をピョンと飛びながら古風なガラス戸を目指した。
「………………」
──『危ないから気をつけてね』
記憶の隅で、優しい声が蘇る。
──『怖くないよ。大丈夫』
跳ねる視界の外で。
決してはしゃぐ子供のようではなかったけれど。
それでも、待っていてくれたあの人たちが。
「……っ」
躓きそうになる。それでもいい。それでも……。
ガラス張りの戸をノックする影中さん。しばらくして出てきたのは……。
「…………よく来てくれたな」
毎日夢見ていた姿。家でだけ見せてくれた優しい瞳。傷の入った顔。しわがれた声。
僕は何を思うまでもなく、走って、抱きついた。
「先生っ!!」
「こらこら。昨日も会っただろう」
困らせてしまっているが、僕は離れない。
見せつけるかのように先生に抱きつき続けた。
「今までは毎日会うことが当たり前だったのに……。だから、僕はこのままなんです」
「…………」
チラ、と先生が影中さんを見る。先生は何を知ったのか、僕の体を引き剥がすことはしなかった。
「……ふふ。好きなだけ、いいよ」
「……親、かぁ……」
エフィーさんが呟く。
「妖精には親はいないのですか?」
「うん……。というか魔界の人たちはほぼ親がいないよ。人間を親だと思って近づくくらい、親が何なのかって知識がないから……。だから人懐っこい悪魔が多いの」
「それはマリフさんにも同じことが言えるのでしょうか?……あぁ、すいません。あの人しか知らないものでして」
「……さぁね。少なくとも、私たち妖精はもちろん、ルージの主であるヘラ・フルールには肉親がいないわ。あ、でも死神にはいるわよ。いないと死神が困るもの」
(さすがに死神が一人前になるには、親を殺さないといけないって決まりがあるだなんて言えないわよ……)
「…………ふふ。たまには実家に帰りましょうかね」
2人が話し終えたあと、僕は先生から離れた。
「目は痛くないか」
「はい。ちゃんと診てもらいましたから」
「そうか。なら良かった。……後ろの2人も入りなさい。中で話をしよう」
先生が影中さんとエフィーさんに話しかける。
「は、はい。お邪魔させていただきます」
「やったぁ!さっすが〜」
扉の横にある旅館のような靴箱に靴を置き、4人で建物の中を進む。エフィーさんは浮いているが……。
「わ、すごい。これが『日本』の建物なんだ」
「お嬢さんは確か『人間界』に来てあまり経っていなかったんだってね。今日は和食も食べていくといい」
「いいの!?やったぁ!」
嬉しそうなエフィーさんの声を背に、閉められた襖と襖の間を進む。左手側が外の方で、右手側が室内の方だ。何の変哲も無い襖の道だが、僕は頭に残されたかすかな思い出を引っ張り出す。
こんなに不思議な場所、忘れるはずがないのだが……。忘れているのなら、それはしょうがないことだ。
「……皇希くんは覚えていないだろうがね。引き取ったその日だけ、ここに来ていたのだよ」
僕の心を読んだのか、先生がポツリと呟く。
「ずっと下を向いていたから、外観と内装は覚えていないだろう。応急処置をして、食事が終わって、すぐに眠そうにしていたからな」
「それって小さい頃の話?」
「そうだ。ヤスが渡した『友達』を握りしめてな……。そのまま持ち上げて運んだものだ」
ずっと下を向いていた。だから石のことは覚えていたけど他のことは覚えていなかったんだ。
「せ、先生っ!昔のことっ……恥ずかしいです!」
「ははは。すまんな。今、この屋敷には私一人しかいなくてな。話し相手がいて少し気が大きくなったのやもしれぬ」
「も、もう……」
先生はとある扉を開き、中へと招く。中にはまた襖があった。襖、襖、襖……。360度、どこを見ても襖の部屋だ。襖以外何もない。ただ違うのは……。
「……前方の襖だけ、模様がありますね」
「この先だ」
先生が模様付きの襖を開けると、そこにはまた和な感じの部屋が広がっていた。
額縁に掛け軸に壺に刀を置く台、向かい合わせに置かれた座布団……。
「座れ」
先生は額縁に背中を向けて座った。先生が示したのは、その向かい側にある座布団だ。
「1つしかないわ。黒池、座っちゃいなさいよ。アンタの話でしょ」
「で、ですが女性を差し置いて僕が座るわけには……」
「俺とエフィーさんは立っているよ」
「立つというか浮くんだけど」
「……全員だ。そこの棚に座布団が入っている」
僕は先生の言うとおり、棚を調べる。本当だ、何枚も積み重なっている。
「よいしょ、っと……」
「ありがと!」
「申し訳ないですね……」
「いえ。さ、お話に戻りましょう」
僕が真ん中に、エフィーさんが右に、影中さんが左に座った。
「…………まず、今日はよく来てくれたな」
先生は目を細めて微笑んだ。
「頼まれただけですよ」
「来てみたかったし」
「先生にまた会えるなんて思っていませんでした」
それぞれ答える。
先生は満足そうに頷いた。
「私も、皇希くんにまた会うことができるとは思っていなかったよ。……あの壺、何が入っているかわかるかね?」
チラ、と僕から見て右斜め前に置いてあるベージュと茶色のツボを見やる。入口が広がっていて、そのすぐ下は狭まっており、そこから下は広い空間……と、『普通の壺!』という感じの壺だった。
「えっと………………わかりません」
「花瓶にしてはデカいわね」
「花瓶て……」
影中さんが呆れるのもわかる。花瓶にしてしまうと生けるどころか収納になってしまう。
「答えは……皇希くんと暮らした、あの部屋の鍵だ」
「えっ……?」
一瞬『あんなところでは取り出せないのでは?』、『いや、セキュリティからすると無敵なのか?』などいろんな考えが頭をよぎったが、そういうことではない。
ここはよく使う部屋なのだろう。そして、客と話すときの部屋なのだろう。そんな部屋に、ずっと、僕の部屋の鍵を置いていたのだ。
「常に共に過ごしていた。1日たりとも、忘れたことはなかった。……皇希くん」
先生の真剣な眼差しが僕に刺さる。
『あの日』のような。僕のワガママを通そうとした、『あの日』のような。
「警察官と、組の一員。どちらかを選びなさい」
「「「!?」」」
僕たちは驚いた。
『あの日』……学校で『将来の夢』について先生と話し合った。進路の話だ。
僕は当然先生たちが暴力団だなんて思っていなかったので、ずっと『上原英次』という男の背中を見て考えていた『警察官になりたい』という夢を紙に書いて提出した。
先生は何度も「本当にそれでいいのか?」と言っていたが、あの時の僕は『警察官は生きるか死ぬかの仕事だけど良いのか?』と言っていると思っていた。
でも、本当は違っていた。
本当は『警察官になるのなら、卒業次第離れ離れになるが、それでもいいか?』ということだった。
真実を言えば、僕は筋者の道を選んだだろう。当時は剣道部でかなり鍛えていたから人一人はねじ伏せることができただろうから。
でも、それでも先生は『警察官になりたいなら』と、言葉に逃げ道を用意してくれていた。真剣に『警察官になりたい』と思っていた僕は、それが逃げ道だと気づかずに話を通した。
……だから、今の僕がいる。
「…………」
左右の2人を見る。
影中さんは『もし暴力団を選ぶならこれから先のことを考えなければ』と、暗い顔。
エフィーさんは『我関せず』といった顔をしている。
……全ては僕次第だというのか。
「さぁ。時間はたくさんある……。この部屋を出て、歩きながら考えるのも良い。私も共に外に出よう」
「……少し……考えさせてください」
「うむ」
僕は立ち上がり、先生と外に出た。
木の床で心も暖かい。
「…………お前の師匠がここに来ていてね。ずっと資料庫に引きこもっているんだ。あまり出ようともしなくてね……」
「師匠が?」
「『面狐』という者について調べているそうだ」
「師匠、まだ……」
諦めきれてなかったんだ……。
「本当は皇希くんが警察官をやめるだなんて思っていないのだがね。一応……一応、聞いてみたかったのだよ」
先生が前に出て、襖を開ける。
中には積み重なった少し黄ばんだ紙たちと、半開きになっているタンスたち。低い焦げ茶色の木製の机にはメモとペンがあった。その奥でモゾモゾと動くものが……。
「師匠!」
「…………黒池……?」
疲れきった声が聞こえる。
僕は迷わず中に入り、後ろから小さな体を抱きしめた。
「もう……心配したんですから」
「……すまん」
「お目当ての資料は見つかったかね?」
先生が後ろに手を回してゆっくり入ってくる。僕だから何ともないが、普通の人はあまりのプレッシャーで動けなくなっていることだろう。
「……この先祖とか一族についての紙だけど」
師匠は机の上を指した。そこには書き写そうとしたのか、机と同じくらいの大きさの古い紙と、真新しいメモとペンが置いてあった。
「家系図か。……ふむ。室町時代から続いているものだな」
「僕も見たいです」
「良いぞ」
僕を挟んで右に師匠、左に先生という形になった。
「途中で『川崎』という名前になったようだな」
「…………あれ?」
「どうした?」
「この名前……どうして黒塗りなんでしょうか?」
一部だけ黒塗りの部分がある。それ以外は普通に名前が書かれていた。
「それは昔からなっていてね。残念ながら何が書かれていたのかは不明だ」
「そうですか……」
「……黒池」
「はい?」
ちょいちょいとつつかれる。
「これ」
「これは……!」
書かれていた言葉。
それは……
『火雨』と『桜花』の文字。
「先生っ」
「なんだ?」
「この人について、何かご存知ではないでしょうか?」
「『火雨桜花』……いや。わからないな」
「そうですか……」
桜花さんは、お尋ね者としての師匠を知っていた。そして、面狐さんの病院の場所も……。
時系列的に残念ながら面狐さんの葬式には行くことができなかったようだ。それに、目の前でドラゴンソウルが発動して……。桜花さんの安否さえわからない。だからだ。
視線を横にズラす。男の名前がある。おそらく『白鬼』に操られていたお兄さんの名前だろう。彼の下には名前がない。そりゃそうだ、僕たちの目の前で死んでしまったのだから。桜花さんに未来を託して……。
「火雨桜花はたまに面狐のところに来ていた、妖怪退治の一族の一人だった。昔は兄のために薬を買いに来ていたが、急に来なくなってな……」
「ドラゴンソウルが原因だったんですよね」
「そのようだ。処方箋が残っていたらいいんだが……」
「さすがにそんな紙は残っていないだろう。古い金庫があるが、あとで見てみるか」
「うん……」
師匠はまた家系図に目を落とす。
ここに桜花さんの名前があるのだとすれば、先生は桜花さんの遠い子孫……ってこと?
確かに彼女は武術には優れていたし、鬼とか幽霊とか悪魔を信じている。むしろ倒していた。
普通の人に悪魔の話をしても信じられないという顔をしていたのに、先生は当たり前かのように話を聞き入れていた。世間は『神秘などない』と言われていたが、先祖たちの話をしっかりと信じ、悪魔や幽霊などの存在を覚え、語り継いでいたのだろう。
だから……僕のヘラの話を信じてくれた。
桜花さんも分家がとか言っていたが、おそらくそっちの方が武術に長けていたのだと思う。反対側に書かれた名前はたくさんあるが、子孫を残しているのは少数だ。
よく武士だったりする一族が、戦いが不要な国になって働くところがなくなり、一族の存亡の危機に迫られたときに何を思ったのか、山賊まがいの存在になるという話がある。そのように、力に任せた振る舞いをした結果、現在の『暴力団』という形に落ち着いたのだろう。
「何かわかったようだね」
「はい」
「昔から深く考えるときにフリーズしていたからね。あとで聞かせておくれ」
「もちろんです!」
「それとリストくん。話がある」
「またか……」
「はは、今回は着付けではないよ」
「ならいい」
着付け?と思い、師匠の服装を見る。
お、帯が……ついている!!
「おっ、気づいたか!へへん、いいだろ!」
「はい!とてもお似合いですよ」
「では皇希くん、先に戻っていてくれるかな。飲み物とか、勝手に持っていってもいいからね。ここは第2の家だと思ってくれていい。探検でもしておいで」
「はいっ!」
__________
「……リストくん」
黒池が行ったあと、川崎のおじさんに真剣な顔で話しかけられた。オレは正座をしたままおじさんの方を見る。
「…………」
「質問するよ」
「……」
「皇希くんのこと、どう思っているんだい?」
親として当たり前のことを聞いてきた。
「……危なっかしくて、でも面白い奴だと思ってる」
「そうか……。リストくんは昔、お尋ね者だったそうだね。人斬りだったそうだが……皇希くんを殺したいとかは思ったりはしないか?」
目が怖い。質問の答えを間違ったら死ぬかもしれない、と一瞬思うくらいだ。怒ったときの面狐みたいなプレッシャーだな……。
「は、はぁ?あのな、オレが人を殺すのは生きるためであって、ただ殺したいってワケじゃないんだ!」
「そうか。それは失礼したね。では……」
「ちょっと待てよ!なんだよ、なんでこんなに質問責めされないといけないんだよ!」
「まぁまぁ。次で最後だ」
「うぐぐ……最後なら……しょうがないな……」
「…………では。どうして一緒にいるんだい?」
……どうして、か。
考えたことも、なかったな。
「それは……」
目の上をポリ、と掻いて、顔色をうかがう。
「……放っておけないんだよ。先生だの師匠だの何だの言われたりして、頼られちゃあ……。それに、あいつは運が悪すぎる。誰かが守らなきゃいけないだろ」
「運が悪い、か。そうだね。……わかった。これからもリストくんや警察たちに皇希くんを託すよ」
「……いいのか?」
「もちろん。私は老い先短い。まだ若いキミに任せるよ」
「……任された」
オレは薄く目を閉じ。託されたものの大きさを噛み締めた。
大切な『息子』を送り出す。あの死神がオレから離れたあの日、彼は同じ気持ちだったのだろうか。
「オレからも1ついいかな」
「もちろん」
「……面狐の資料があるかもしれないから、通わせてほしい」
警察ではないが、ここは警戒されている場所だ。だから聞いておきたかった。
ダメ、かな?と見上げてみる。
……彼の顔は優しいものだった。
「もちろんだとも。いつでもおいで」
「……!やったぁ!」
「はは。あの日見た『赤い悪魔』みたいな反応をするね、キミ」
「ヘラだろ。会ったってことはもう聞いたから、名前を伏せなくてもいいぞ。別に呪われもしない」
「そうか?では遠慮なくそうさせてもらう」
「おう!……話は終わりだろ?客室に戻ろうぜ」
「そうだな」
「先にお風呂行きたい」
「行ってらっしゃい」
オレはニコッと笑い、襖を開けて木の床の上をタタタッと走った。
……面狐の屋敷もそうだった。
木の床で、襖があって、縁側もあって。今みたいにエアコンとかは無いけど、あの頃が一番幸せだった。今、その幸せを超えられるかと言われればNOと言うかもしれないが、それでもいい。知ることが面狐への恩返しになるというなら、オレはとことんまで考えて、知り尽くしてやる。
オレは、トレジャーハンター。
オレにとっての宝は形があったとしても無かったとしても、それはダイヤモンドより光り輝くものかもしれないから。
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……あれからまた数ヶ月が経った。
昨日ヤスお兄ちゃんが釈放されたと聞いて、僕は上原先輩と一緒に先生の屋敷に向かった。
中に入ると、もうすでに師匠がいた。師匠はたくさんの資料に埋もれて大変そうだったが、どこか楽しそうで嬉しそうだった。
部下の人たちは自分から参加した人はまだ牢屋の中だけど、無理矢理参加させられた人はお兄ちゃんと一緒に出てきたらしい。
彼らはなかなか資料庫から出てこない師匠にどうにかして食事をしてもらおうとあたふたしていると聞いた。師匠はまるで動物のように食い溜めをしていることが多いので、毎食がとかはいらないのだ。そんなバカなと思うが、というか実際僕も驚いたが、彼は純粋な人間ではない。半分悪魔だ。そんな不思議なことができるヒトだと無理にでも理解するしかない。
この数ヶ月の間、僕を育ててくれていた人たちについて話を聞いた。残念ながら亡くなった方もいるそうだ。あの2人が作ってくれるご飯、美味しかったんだけどなぁ……。今度墓参りに行かなくちゃ。それと、たまに話しかけてくれた北島って人。あの人も亡くなったんだって。白神さんによると、彼は潜入捜査官だったらしい。しかも超優秀な。……ってことは、この建物の誰かに…………いやいや、考えすぎだろう。……うん……。
「よく来たね、皇希くん。上原」
先生はいつもの袴姿で出迎えてくれた。
「えへへ、会いに来ちゃいました」
「ヤスが戻ってきたと聞きまして」
「ゲーム友達だと言っていたね。どの部屋でもいいから好きに使って構わない。ゆっくりしていくといい」
「わあっ、ありがとうございます!」
「ヤスは仕事の整理をしている。あまり邪魔をするんじゃないぞ」
「はい!」
「わかりました」
警察官と暴力団。無関係の人が見れば『癒着』のように見えるだろう。
でも、これは違う。誰もが認める『ハッピーエンド』だ。上原先輩が上に話を通してくれたようだ。だからもう邪魔をする人はいない。
──僕は長い髪を切った。本当の親との別れは、もう済んだ。
──僕にはたくさんの友達ができた。修羅のような僕はもういない。ヘラも、いつかまた会えるといいな。
……1つだけ手放せないもの。変えられないもの。それは剣だ。たくさんの人との思い出が詰まった、大切なものだから。僕を表す、大事なものなんだ。
いつまでも、折れない心と、正義を追い求める瞳をここに。
どうか、見守っていて。
たとえ、どれだけ険しい道であろうとも。くじけず、先に進めるように。
【奇士刑事・完】




