高貴な夜を越えて
彼と最後に会ったのは、もう十年も前になる。高校卒業の前日、あの時期にしては珍しい降雪を横目に、僕らは底冷えする夜から逃げるように酒を煽った。
「ブレーコーだヨ。神も仏も見ちゃいないサ」なんて訳の分からないことを言っていたあたり、既に飲んできていたのだろう。
僕は何を言うでもなく彼を家へ招き入れた。小学校から数えて十二年学舎を共にしてきた僕らにとって、この程度のことは日常茶飯事だったのだ。開かれたドアから吹き込む風は、まだ大した寒さじゃなかった。
それから僕らは思い出話に花を咲かせた。高校生から始まり、中学生、小学校の頃と、ひどく懐かしく語り合った。「誰々は丸々と付き合ってたんだゼ、知ってたカ」と、何故だか腹を抱えている彼を見ると、酔いが回ってきたのか僕まで陽気な心持になって、テーブルをバンバン叩きながら大笑いした。あれから十年、この時ほど笑ったことはない。
そうして話が幼稚園にまで遡ろうとしたところで、とても腹が減ってきた。夜食でも拵えようと冷蔵庫を覗くもスッカラカン。仕方なく、買い物に出る旨を彼に伝えると「俺も行くサ。まさかお前ン家に俺一人置いてこうってんじゃないだろうナ」とか何とか言い出した。外は寒いだろうから待っておけと言おうと思ったが、めんどくさかったので、やめた。
結局、僕ら二人で夜に踏み出した。耳が痛むほどの静寂。心臓を荒々しく脈動させる寒気。目隠しのように降り続ける雪。そのどれもが意志を持った生命のように感じられた。知らず、背筋が伸びる。この夜に対して敬意を払わなければならない気がした。
「俺、大学には行かないよ」
彼の言葉だった。僕は、その日初めての、彼自身の言葉を聞いた。
「海外にね、行くんだ。式が終わったら、すぐ、ね。酒でも飲まないと言い出せなかった。けど、大事なことだから、酔っ払ったまま言いたくなかった。だから、覚まそうと思ったんだよ」
彼らしい、そう思った。いつも回りくどく、妙なところで真面目で、少しだけロマンチストだった。「ボランティアに行くんだ。もう決めたんだよ。うん、そう決めた。明日、俺は日本を発つよ。次に会えるのはいつか分からない。だから思い出作りに来たんだ。もういらないくらい沢山有ったけど、やっぱり多いに越したことはないからね。お前との思い出があれば、俺は頑張れるよ」
ちらり、と彼の横顔を窺った。清々しさに寂しさが滲んでいた。
その後僕らは何も買わずに帰って、何も言わずに寝た。その後の事はよく覚えていないけど、見送りに行ってないことだけははっきりと覚えている。彼が強く拒んだからだ。今僕のテレビでは、ナンタラ軍の兵士が彼を射殺したというニュースを報道している。彼以上の友人にはそののち出会わなかったし、今後出会うこともないだろう。僕の瞼の裏からは、彼の横顔と、あの高貴な夜が焼き付いて離れない。