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最後の人  作者: しらこ
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[4]:真実

「お前が死んで私と一緒になることはありえない。他の誰とであっても、永遠を共に過ごすことはないだろう。」

あの人はそう言った。あろうことか、その呪いをかけた張本人が、私をそう侮辱したのである。

私はただ、寂しさのために人と交わったのではない。その言葉を否定するため、あの人を見返すために…私は多くを失い、ただ、彼の言葉が真実であると知ったのである。



「何か探してるんですか。」

家を出て数歩のところで、少年は私にそう尋ねた。自分でも気がついていなかったが、私はいつの間にか、前の恋人——工藤さんの居場所を探していた。

彼の言った「その体で外に出れば発見があるかもしれない」という言葉を聞いた時は、中々に的を射ていると思った。この1週間一度たりとも会えなかったあの人に、お互い幽霊である今なら会えるかもしれない。そういう期待は確かにあったのだが…少なくとも家に帰ってきているということはないらしい。他に探すべき場所があるとしたら、彼の墓か。もしかすると、もう先に遠くへ行っているのかもしれない。

「ええ。でも大したものじゃないから、今はあなたの用を優先しましょう。」

大したものじゃない、とは大嘘なのだが、今は優先順が下であることに間違いない。

「そうですか。じゃあ、色々終わったら一緒に探しましょうか。」

少年はきっと嘘に気づいた上で、私を気遣っている。初め彼に抱いていた、どこか抜けていて頼りないというイメージは払拭されつつあった。



軽食を済ませてカフェを後にした。食べ物を口に運べないというのは寂しいものだが、少年の食事風景を見るだけで、何かが満たされたような気分になった。これが孫に際限なく物を食べさせる老婆の気分、なのだろうか。手料理でないのは残念だが…子を持つことのなかった私にとっては、新鮮な経験である。

「あの、財布にものすごい額のお金が入ってたんですけど。」

支払いを済ませた少年がそんな事を言ってきた。

「ああ、生前は工藤さんにお小遣いを貰っていてね。あまり使わなかったから、貯まっちゃったの。家にはもっとあるわよ。」

「もっと。」

少年は何やら、私の下着を履いていた頃よりもドギマギした様子である。実際大した額ではないのだが、高校生の金銭感覚では、持ち歩くのに落ち着かないのであろう。

「私にはもうお金なんて使えなくなっちゃったから、気にしなくていいのよ。」

「はあ…。」

微妙な反応。彼はきっと倹約家なのだろうと私は思った。

ところで、私の姿はやはりカフェの中の(少年を除いた)誰にも見えていなかったようである。

世の中には「霊感」という言葉があるが、あれは全ての霊魂に対する普遍的な感受性を意味しているのだろうか。もしかするとそうではなくて、霊感は、ラジオの周波数が合うようなものなのかもしれない。今の私は、今の彼だから——私の体だからこそ——観測できているのではないか。何やら不吉な予感がして、その思考を終わらせた。工藤さんだけでなく、私と同じ幽霊らしき人物が1人も現れないことが気がかりだった。



彼の家に着くと、部屋の明かりは付いておらず、中には誰も居ないようだった。葬儀の関係で出払っているのだろう。死亡翌日というのは一番忙しくなるタイミングだから、無理もない。

「鍵は持ってないの?」

「鞄の中に。」

「じゃあ、入ってみない?今は使ってる斎場も分からないわけだし、何か手がかりがあるかも。」

「僕の死体が持ってた鞄の中に、です。」

ああ、それでは仕方がない。この近くの斎場には心当たりがあるから、とりあえずそこに向かってみるのも手だろうか。そう考えたところで、彼が私にこう言った。

「ちょっと家の中に入って、様子を見てきてくれませんか。」

なるほど、今の私なら、家の壁をすり抜けて中に入り、彼の両親の行方について手がかりを探すことが出来るだろう。彼は今朝話し合って目的をはっきりさせた後から、積極的な提案をしてくれるようになった。文殊の知恵とはいかないが、2人でも簡単な見落としならフォローし合える。1人で解決しなければと気負っていた私にとっては正直頼もしい。

「じゃあ、なるべく早めに戻ってくるからね。」

「はい。家の前で待ってます。」

「もしその間にご両親が帰ってきても、軽率に話しかけたりしないこと。私も気がついたらそっちに行くから。」

「…そうですね。わかりました。」

歯切れの悪い返事が気になったが、彼が嘘をついたことはない。門番を少年に任せ、玄関から屋内へ侵入した。



家の中は薄暗く、捜索は難航しそうだった。入ってから気がついたが、タンスの引き出しも開けられないこの体では、大した働きはできないのではないだろうか。さっそく作戦の穴に直面しつつも、できるだけのことをするのが私の役目であると考え直して、奥へ進んだ。

廊下を進むと、襖で仕切られた客間らしき部屋から、何かの気配を感じた。人がいるのかもしれない。

その正体を確かめるべく、恐る恐る中へ入る。厚めの砂壁をすり抜けて私が最初に目にしたのは、2人分の脚が床から浮いている奇妙な光景であった。

最初は、それは私と同じ幽霊だと、やっと仲間に出会えたのだと安堵した。2人の顔を見ようとして、すぐにそれは事実誤認だと気がついた。これは、首吊り自殺である。中年の男女を見て、それが少年の両親であることが理解できた。

思わず悲鳴を上げそうになったが、その一瞬前に、男の方はまだ微妙に痙攣していることに気がついた。彼は助かる可能性がある。ならば取り乱している場合ではない。今私がするべきことをしなくては。

少年を呼ぶべく最短ルートで玄関へ向かったが、なんと彼はそこから忽然と姿を消していた。今度ばかりは思考が停止した。彼がどこへ向かったのか全く見当もつかない。このままでは、私はまた人を——それも、少年にとって大切な人を死なせてしまう!

「安倍くん!安倍くん!」

なりふり構っていられず、私はできる限りの大声で叫んだ。

「どうしたんですか!?」

意外にも、彼はすぐ近くの物陰から現れた。鳥を驚かせなければ木の葉も揺らさない私の声が、彼には確かに届いた。

「すみません、玄関前に立ってたら警察の人が通りかかって、慌てて隠れたんですけど…」

「来て!あなたのお父さんが!!」

少年の言葉を遮ってそう言った。ここでのんびりと話している暇はないということを彼も理解したらしく、私の後を走って付いてくる。

庭にあったスコップでガラス窓を破壊し、内側の障子を乱暴に開けて客間へ侵入した。彼も必死だった。

「父さん!母さん!」

その惨状を見た少年は、すぐに両親の下へ駆け寄った。父親の身につけたベルトを掴んで体を持ち上げようとし、それが無意味だと分かると、震える脚で部屋の外へと駆けて行った。

私は、それをただ見ていることしかできなかった。父親はもうピクリとも動かなくなっていた。

脚立を抱え、ハサミを手に持った少年が、息を切らして部屋へ戻って来た。脚立を足元に置き、まず母親の首の縄を切る。彼女の体は鈍い音と共に床に叩きつけられ、その腕は力なく広がった。

「ああ…。」

彼が悲痛な声を漏らす。その顔は、とても見ていられるものではなかった。



「はい、場所は———です。お願いします。」

彼は自宅の固定電話から、名前を隠して119に通報していた。2人が明らかに亡くなっていると分かっても、死体をその場に放置していくわけにはいかないということだ。

「安倍くん…。」

「工藤さん、すぐに救急車が来ますから、早めにここを出ましょう。」

私は無言で頷いた。彼の行動は至って冷静だ。冷静すぎるほどに。無理をしているのは、青ざめた顔を見てすぐに分かった。しかし、私には彼にかける言葉がない。彼を少しでも慰めることさえできないのである。歯がゆさに、必要ないはずの呼吸が浅く、早くなった。



私たちは、最初の拠点、工藤さんの家に戻ってきていた。時刻はもう夕方の6時を過ぎている。彼の遺体探しについては全く手がかりがないというわけでは無かったが、彼の精神状態を鑑みて今日は続行不可能だと判断した。先の出来事で彼の葬儀の予定がどうズレるか分からないが、時間がないことに変わりはない。しかし、彼の目からはもう、気力というものが全く感じられなくなっていた。

「あなたのせいじゃないですよ。」

少年は不意にそう言った。

そんなはずがあるものか。私のせいであなたが死んで、そのせいで両親まで死んだ。みんな私が殺したのだ。怒りか悲しみか、正体のわからない感情が私を埋め尽くした。

「身内が死んだくらいで絶望して自殺なんかしてしまう、うちの親が弱かったんです。」

「…!」

私は少年の言葉に一切反論できなかった。ただ、頼むから、そんな悲しいことを言うのはやめて欲しいと思って。

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…」

そうやって、益もなく謝り続けた。



「少し、1人にさせてください。」

彼はそう行って、昨日割り当てた寝室のある2階へと階段を上って行った。

もうおしまいだと思った。このままではきっと少年を蘇生することは叶わない。仮にできたとしても、彼にはもう帰る場所が無くなってしまったのである。八方塞がりの状況で、その発端の私は、もうこの世から消えてしまいたいと切実に願っていた。

しばらく経ってから、階段を下りる音が聞こえてきた。

「工藤さん、少し聞きたいことがあるんですけど。」

少年がやや息を切らした様子でそう言った。

「僕の家で、僕の両親を見ましたか。」

それはあなたも確かに見たではないか、と私が言う前に、彼はこう付け加えた。

「両親の幽霊を。」

「!」

そうだ、あまりの出来事に、私は自分の探し物を忘れていた。工藤さんはついに見つからなかったが、彼の両親は私たちが立ち会ったその時に絶命したのだから、もし人が死んで幽霊になるとすれば、あの場にそれが存在したはずである。

「……居なかった。どこにも見当たらなかったわ。」

それを聴くと、彼は大きなため息を吐いてその場にドサっと座り込んだ。

私はその行動の、あの場に幽霊が居なかったことの意味について必死に思考を巡らせた。彼は下を向いたまま、おもむろに口を開いた。

「…考えていたんです。人に見えない幽霊を、幽霊が見つけられる道理も無いんじゃないかって。」

彼が話そうとしているのは、私が以前抱いた「嫌な予感」の正体であった。

「人の魂は、その持ち主にしか感じることができないんです。専用のチャンネルが1つだけ用意されたTVのように、普通は自分だけしか受信できない。魂同士は、その体を通して——物理現象を通じてのみ、干渉し合える。」

少年は、推理というには断定的な口調で話を進める。私はただその言葉に聞き入っていた。

「『霊感』や『入れ替わり』は、きっとその混線です。似た波長の電波を体が間違えて受け取ってしまう。それがひどい場合で、相手の波長を自分のものとして扱ってしまっているのが、僕たちなんだと思います。」

つまり、それは。

「幽霊は幽霊と出会えない、ということになります。あの世も…もしかしたら無いかもしれません。触れ合えず、見ることもできないなら、幽霊がこの世に無数に存在することに何ら問題はないわけですし。」

私の頭に浮かんだ受け入れがたい結論を、少年が追って肯定した。それでは、この世に居ながら1人1人が別々の世界に住んでいるのと同じことではないか。

「…もちろんこれは、今までの情報から得た推測ですけどね。もっと楽観的になれたら良いんですけど、もう僕は…。父や母にも二度と会えないなんて…」

少年の目から涙が落ちるのが見えた。



気がつくと私は、少年の制止を振り切って家の外へ飛び出していた。彼の言葉は推測ではなく真実であると、私には確信がついていた。もしそうならば、“あの人”が私にしたことの意味を説明できるのだ。

あの時私があの人と共に死んだところで、孤独な2人が生ずるだけだった。それが今であっても、昔交わった人の誰1人とも一緒になることはできないだろう。

そう、あの人がくれた“呪いの体”は、死後に訪れる永遠の孤独から、私を遠ざけていたのである。それは私が思っていたような身勝手で一方的な感情でなく、確かな愛によるものだった。

私は、どうすればいい。誰かから与えられてばかりで、誰にも与えることのなかった私は。

夜の町を飛行しながら、ただひたすらに考えた。少年に、あの人に、私の関わった全ての人に、私ができることを。

次回、最終回です。

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