[3]:作戦会議
不老不死があったなら、時間の浪費だの人生の意味だの気にせずに、好きなことに好きなだけ打ち込めるだろう。働かなくても死ぬことはないし、為したい事があるなら、有り余る時間を使って程々の努力を続ければいつか何でもできるようになる。…でも実際はそんな簡単なことではないのかな、と思いながら、僕は彼女の話を聞いていた。
「工藤さんは、私の恋人だったの。50年以上連れ添って…1週間前に死んだ。」
あまりいい話ではないと聴かされてはいたが、朝っぱらからこれほど重い話をされると胃に響く。なんと、この人には恋人が居たのだ。いや、重要なのはそこではなくて、彼女はその大切な人をつい最近失くしたということである。ソファに腰掛ける僕の目の前で文字通り浮遊しながら、彼女は続けて語る。
「だから、工藤は私の最後の名前。今更呼び方を変えるのも大変だから、そのままにして。」
「じゃあ、この家は…」
「ここは彼の家。親もとっくに死んでるし、兄弟も居ないみたいだから、相続人を探すのに手間取ってるみたい。」
「あなたが相続するわけにはいかないんですか。」
「私は戸籍もないただの居候だったから。」
工藤という男は、身寄りのない彼女を、不老不死という事実と共に受け入れて、世間体など気にせず家に住まわせてくれるほどの器量がある人だったのだろう。ならば、彼が死んだというショックで自殺に走ってしまう気持ちも、分からなくはない。この世に2人と居ないような人を失ってしまったのだから。
「恋人を失くしたのはこれで9回目だった。」
「え?」
世の中には案外器の大きい人が沢山いたらしい。というかこの人、相当な昔から生きているのではないか。
「その度に、もう人と関わるのはやめようと思うんだけど…私には、1人になる覚悟がなかった。」
彼女の言葉の意味がようやく分かってきた。普通の人間なら恋人など居なくても学友や職場の同僚が居るわけで、普通に生活している限り完全な孤独を味わうことはないだろう。しかし彼女は、その変化しない容姿のせいで、同じ場所に留まることができない。長い時間を一緒に過ごせるのは、それこそ配偶者並みの理解者のみであろう。それも、1人分の寿命だけ…。自分の片割れを失って悲嘆に暮れ、1人になって、しばらくしてまた人の温かみが恋しくなる。この先には不幸しか待っていないと知って、それでも、また出会ってしまう。そんなサイクルを、彼女は何度も繰り返してきた。それは確かに、彼女にとっては呪いと言えるものである。
「だから、今度こそ終わらせようと思って、自殺した。でも、それで死ねないことは分かってたの。何度も飛び降りたのはただの自暴自棄で…。本当は、大切な人が死んで、どうすればいいか分からなかっただけ。」
やはり彼女の声は、不思議な響きを持っている。というよりは、僕がそれを特別強く受信してしまっているようだ。彼女の経験した孤独が、悲しみが、持ち主はこの体だと言わんばかりに流れ込んでくる。
「どうしてあなたが泣くの。」
「だって、それじゃ工藤さんがあんまりにも…。」
「…私の方が年上なんだから、心配しなくていいの。」
そう言った少女の声は、少し震えているような気がした。
「このままだとあなたも私と同じ道を歩んでしまうかもしれない。そうはなって欲しくないから、元に戻る方法を探さないと。」
僕が落ち着くまで待った後、彼女はここからが本題だと言わんばかりに話を切り出した。
「元に戻るって言ったって、それじゃあ工藤さんがまた不死の体になるってことじゃないですか。」
「そうかもしれないわね。でも、死ねてしまったことの方が間違いだったのよ。」
彼女は、自分の願いが偶然叶った幸運に目をくらませることなく、当然のようにそれを手放そうとしている。人と入れ替わって死ぬのに匹敵するような奇跡がこれから先訪れるとは限らない。戻ったら最後、永遠にこの体のままかもしれないのに。しかし、「僕はこの体でも良いですよ」なんて、さっきの話を聴いたら言えなくなってしまった。
「問題はそこじゃなくて、死んだ人間は——安倍君は生き返るのか、ってこと。」
それは、無理だと思う。昨日から幽霊だとか不老不死だとか色々な物を目にして「無理」のラインが分からなくなってきてはいるが、この場合、単にあの死体が蘇るイメージが湧かない。あれほどの損傷ではどうやったって元の機能を再現できないだろう。
「蘇生できるならそれがベストなんだろうけど、できないなら、あなたをその体から追い出してあの世に行かせることが目標になると思う。」
「えっ。」
とんでもない言葉が聴こえた。それは、僕が今度こそ本当に死んでしまうということである。
「さっき話したでしょう。その体の中に居る限り、あなたは孤独から逃れられない。死んだ方がマシなんて思うようになる前に、早く死んでしまった方がいい。」
言っていることは分かる。今しがた僕がひしひしと受け取った感情のことを彼女は言っている。しかし——あの世がどのような場所かは知らないが、僕はどんな形であれまだ生きていたい。それに、本当に死を望んでいるのは彼女の方なのに、それを求めてもいない僕が奪うなんて、馬鹿げている。
「それに、私がその体に戻らなきゃいけないとは限らないわ。要はあなたがあの世に行ければ良いんだから…」
「ちょっと待ってください、さっきから言ってるその、あの世って何なんですか。」
彼女の表情が固まった。こういうのを何と言うのだったか。鳩がなんとか…?とにかく初めて見る顔だ。これはどういう意味だろう。
「ごめんなさい、ちゃんと考えたことなかった。」
それは、困った時の表情だった。
「工藤さんもそういうことあるんですね。」
僕の知らないことを沢山知っていて、僕よりずっと思慮深い。そういう人だと思っていた。
「…ずっと夢だったの。死んだ後、今までに別れた人たちと再会できる場所。でも具体的には考えたことなくて……あれ、もしかして、存在しない、かも?」
昨夜ほどではないが、彼女は結構取り乱している。長年夢見てきたことが嘘だなんて、確かに酷な話だ。正直言うと、成仏とか浄土みたいな宗教用語なんて胡散臭いと思ってはいるが、言えることが1つだけある。
「あの世は有りますよ。多分。」
「…どうして?」
「もし無かったら、この世は工藤さんみたいな浮遊霊だらけでしょう。きっと、移住する場所があるんですよ。」
彼女がクスリと笑った。
「面白い考え方するのね。そうね。その通りだと思う。ありがとう。」
僕としては大真面目だったのだが、結果として彼女が笑ってくれたのだから良しとしよう。授業中の妄想が初めて役に立った瞬間だった。
「それはともかく、できれば僕が生き返る方針でお願いしますね。」
「自信は無いけど、やるだけやってみましょう。」
彼女の優しい顔を視ながら、僕達はなかなかに良い関係を築けてきているのではないかと思った。
「ちょっと外に出てみませんか。」
ああでもない、こうでもないと、僕が生き返る方法を話し合って30分。ちょっとお互い1人で考えてみましょうと言われてから、我慢できなくなってこの言葉を発するまでに10分が経過した。
「外?」
「ここでただ考えてたって、手がかりが少なすぎますよ。工藤さんも昨日死んでからあまり経ってないでしょう。その体で辺りをうろついてみたら、何か分かることがあるかもしれないかと。それに、行きたい場所もありますし。」
「あなた、まだ自分の家に帰るつもりなの?」
「ちょっと見に行くだけです。」
「自分のお通夜なんて見たくないでしょう。」
確かに。自分の遺影を見るのは気持ちが悪いし、参列者の顔ぶれも…気にならないでもないが、やはり両親の悲しむ顔は見たくない。
「でも、目的はそれでもあるんです。僕の死体が火葬なんてされたら、それこそ蘇生なんて不可能になっちゃいますから。」
蘇生に体が必要なら、それを燃やされるのは絶対に阻止しなければならない。もう既に手遅れかもしれないが、何もしないよりはマシだろう。
「…そうね。行ってみましょうか。」
彼女の同意を得て、僕は外出の準備に取り掛かった。女物の服にはまだ慣れないが、彼女も自分の服の中から当たり障りないものを見繕ってくれている。贅沢は言えない身だ。
さあ出かけよう、という所で、どこからか地鳴りのような音が聞こえてきた。これは…僕の腹の音だ。
「お腹が空いたの?」
「…空きました。」
「何か食べて行きましょうか。料理はしてあげられないけど、お金はあるからね。」
腹が減っては戦はできぬ。第一目的地を近所のカフェに設定し直して、僕達は家の外へ歩み出た。
当初の予定より細かく分割して投稿していきます。段々終わりまでの目処が立ってきました。
ちょっと主人公が逞しすぎるかもしれない。