クローディア・ラプラス、或いは運命の神子
クローディアの正体発覚回です。
突如響いた声に、役者たちは戸惑ったように辺りを見回し、進み出てきた人物に視線を向ける。
「とても馬鹿げた茶番劇でしたわ。観ていてとても退屈なくらいの」
白いドレスを纏った美しい女であった。
赤く、艶やかな三日月を描く唇。
女神が住まうとされるウルズの泉の水を汲んだような瞳。
青い薔薇を挿した白金の髪は動く度に星を流す。
それとは真逆の、刺々しい言葉。
「あぁ、それでも暇潰し程度にはなりましてよ? ここまで稚拙なもの、今までありませんでしたもの」
ふふふ、と手を当てて笑う。
しかし、彼らは目の前に立つ人物に恐怖を覚えこそすれ、見惚れることはなかった。
「あらあら、先刻まで姦しく拙い劇を観せてくれていたのにどうしたことでしょう」
「あ、なた、さまは……なんなの、ですか?」
乾いて震える声でアーノルドが問う。
何か、と表現したのはわざとではない。本能ともいうべきものが、目の前に立つ女は、人ではないと、人智の及ばぬ存在であると告げていた。
「私が何か、ですか?」
吊り上げられた唇の赤さの、何と艶やかなことか。しかし、悲しいかな。彼らにそれを感じる余裕などなかった。
「そうですね、私としたことがすっかり忘れていました」
そう言うとドレスの裾を摘み、淑女の礼を取る。一つ一つが洗練された動作であった。
「私、クローディア・ラプラスと申します」
たった一言。ただ名乗っただけ。
それだけで、彼らは戦慄に身を打たれ、心は絶望で塗り潰された。
しかし、それを理解しきれなかった者が二人。
「ラプラス、って、そんな家聞いたこと無いわ!」
「そうですわ。それに……」
パトリシアとグロリオサが叫ぶ。
ーーあぁ、何と憐れな。
クローディアは憐れみと、それを覆い尽くす嘲笑を浮かべて二人を見やる。
「"そんなキャラクターは存在していなかった"」
自分が続けようとした言葉を一言一句違わずに言ったクローディアを驚いたように見るグロリオサ。
「本来なら覚えておいて然るべきなのですけれど。特別に教えて差し上げましょう」
柔らかく微笑みながら、クローディアは告げる。
「私クローディア・ラプラスは、運命の神子。この世界を創造なされた女神ノーンの加護を得る存在」
運命の神子。
それはこの国、否、世界において非常に重い意味を持つ。
この世界を創造したという女神ノーンは、好き勝手な行動を取り、破滅へと自ら進む人間の姿を見て心を痛めた。そこで、女神は人間それぞれに運命を与えた。決して外れることのできない、自覚することのない定め。それが運命である。
そうすることで、人間は破滅から遠ざかった。
それでも心配だった女神は、自身の加護を与え、自分の代わりに運命を守る存在を作った。それが運命の神子。
運命を守り、破滅へと暲者が現れそうになれば忠告を与える。
人間が定められた運命の樹での自由を謳歌するために。
クローディア・ラプラスは、女神よりその役目を賜った存在である。
「我らが女神の懐で、運命を歩むはずだった者たち。しかし、それを壊そうとする者が現れました」
それが、あなた方です。
そう言ったクローディアの瞳は凍りつくような冷たさと焼け付くような怒りを持って二人を映していた。
「本来、あなた方はこの世界にあるはずのない存在。あなた方はこの世界に偶然転生したのではなく、自らの執着でノーン様が慈しみ、育んできたこの世界に無理やり入り込んだのです」
ふぅ、と一度息を吐き、再び上げられた顔には笑みが貼り付けられている。
「愚かで傲慢な子。あなたたちの身勝手でどれほどの運命が歪められたか」
クローディアは笑みを浮かべたままだ。しかし、その泉は冷たい怒りを湛えている。
パトリシアとグロリオサは気づく。
自分たちは、恐ろしいものの、逆らってはいけないものの逆鱗に触れたのだと。
尤も、その後悔は既に手遅れであった。
「我らが女神も万能では無い。ノーン様も父神によって創られた身。できることには限りがあり、限りの外に人間たちへの直接的な関与があるのです。
そのために、ノーン様より力を得た私が存在します」
目が細められる。
獲物を見定める獣のように爛々と輝く青。
「慈悲深きノーン様は、あなた方が……パトリシア・ロインとグロリオサ・テールが歩むべき運命の通りに生きることを願っていました。しかし、あなた方は破滅へと進んだ。それだけではなく、他者の運命をも歪ませた」
いつの間にかへたり込んでいた彼らを見下ろし、嗤う。
「未来は枝分かれしていました。定められた運命の樹の中で生きるだけなら構わないのです。しかし、あなた方は枝を、根を食い散らかす愚か者」
歌うように言葉を紡いでいく。
「この舞台が最後の枝だったのです。自身で最後の救いを手折った気分はいかがです?」
慈しむように、愛しいものを見るように、見下す。
「残った未来は一つだけ。
さあ、育つはずだった運命の樹の枝葉を自らの手で手折った愚か者たち、どうぞ、存分に満喫なさい」
クローディアの手が優雅に振られる。
祝賀パーティーの会場であったはずの景色が歪み、彼らは息を呑んだ。
そこにいたのは、国の重臣たちと国王夫妻であった。
罪人が裁かれる裁きの間。
そこに彼らは立っていたのだ。
罪人として。
彼らが繰り広げていた茶番劇の舞台は、祝賀パーティーではない。クローディアの術によってそう見せられていただけだった。
「アーノルド、エディ……。お前たちは、何ということを……!」
王の苦渋に満ちた声。
彼らは自身の親や国の重要人物がいることに驚き、戸惑ったように声を上げる。
しかし、それを咎めるように美しい声が割って入る。
「私はあなた方にも忠告しましたよ。
彼らを破滅へ向かわせないためには、あなた方の力も必要だ、と。
私は運命を決めるのではなく、運命を見守り、破滅を齎す者がいれば忠告を与えること。ですが、人間の可能性を信じるノーン様のご意志を尊重し、直接的に愚か者になるのを防ぐことはしません、ともね」
そう、王たちにも忠告していたのだ。
それにも関わらず、王たちは彼らを諌めることも咎めることもしなかった。クローディアは忠告をした。だからもし大変なことが起こっても彼女が助けてくれるだろう。彼女は心優しき女神の代行者なのだから。
実際に愚か者たちが齎す破滅を知らない者の甘さ。
それこそが、彼らを滅ぼすのだ。
彼らを運命の樹を手折った愚か者と言うならば、そんなことを考えていた王たちは愚か者を止めなかった怠け者と言うべきだろう。
クローディアは冷ややかに彼らを一瞥し、ドレスを翻して歩き出した。
「お待ちを、運命の神子様!
どうか、どうか我らに今一度ご慈悲を!」
王の悲痛な叫びに、首だけをそちらに向けたクローディアは冷笑で応えた。
「私はノーン様のように慈悲深くはありませんよ。それに、言ったでしょう? 私が運命を決めるわけではないのです。選び取ったのはあなた方自身。責は自らが背負いなさい」
そう言って今度こそ姿を消すクローディア。
クローディアが消えた瞬間、その場にいた者たちは絶望と共にガラガラと何かが崩れ去るような音を聞いた。
それは彼らの運命が動き出した音。
破滅は、近い。
次話は明日午後8時に投稿します。