朝夕
方今夜は明けて暁に日が煌めける。しかし光は未だ天下あまねくを照らさざる頃であり、街が落とす陰の大いさは横たわる山のようである。街に昨日の混雑は見えず寂しき気配に満ちて、吹ける清々しい風によって夜の熱気はさめていた。しかし夜が訪えば、満ちるのはまた熱気である。今に目覚めた人も少しは居て、今の暗きハウグルを歩けるのはその類の人か夜すがら起きる人だ。トバルは眼覚めて外に居る人である。彼の起きるのが早いのは傭兵という仕事柄故の癖に因る。身について離れぬものであった。着る物を替えず、はねる髪をば帽子で隠し、復イーツァム教堂の門口、その傍らに立つ。
時経れば、日は昇りて街は照らされた。市場の賑わいも盛り返ったようである。横目に見ゆる向こうの山の、遠目には針のようなる山頂に重なる太陽は、教堂の頂点に飾られる宝玉とよく似通う有り様である。目をふと前に戻せば、坂を登り来る人が居た。その黄色の装いからズハーチェリかとトバルは考えた。彼も数歩寄れば往く方にトバルが居る事を知った。彼は掌を開いて上にあげる事を口挨拶の代わりと為し、トバルは頭を下げて挨拶に応えた。互いの間を狭めて、目を合わせられるくらいになるとズハーチェリは立ち止まった。
「や、君、今日も警備か。そういえば昨日の具合が悪かった人はもう大丈夫なのか」
「ええ、もう大丈夫なようです。ありがとうございます」
「いえいえ。じゃあ、頑張って」
「はい」
そして彼はトバルの傍らを過ぎた。
それから昼になり、今ほど道に迷った老女と話を終えたトバルは笑みを落として前を向けば、坂より一二三四人の怪しげなる男どもが来たるのを見た。一同揃って目つきは悪く、険難なけはいであった。トバルは彼らを眺めていると、一人が離れ教堂へと進み、トバルの前で立ち止まると、「お前がトバルか」とおどすような語調で言う。
「はい」と答うれば、彼はまた瞳をぎらつかせて低い声で「来い」と告げた。だがトバルが「嫌です」と断る。すると男は目をぴくとさせて、間詰め寄り、トバルの胸ぐらを掴んだ。
「いいから来いよ」
声荒げて言うが、彼はまたも断った。「何の用ですか」問うてもと男は答えずに、ちっ、と舌打ちして、「殴るぞ」と自らの顔の横に拳を寄せて静かに告げると、いよいよトバルはため息をついた。そして指ふたつで輪を為して口に入れて、鳥の声のように甲高い音を吹き鳴らした。そのようすに男は「何してやがる」と驚きてトバルの顔を睨む。すれば間も無く警備の者が教堂の陰から数人集い、辺りざわめきて、今集える人ふたりが「大丈夫ですか」と言いながら男とトバルの間に分け入った。
「どうしたんです?」とまた一人が問う。
トバルは「いや、わからん」とその人に答え、「まあ、とりあえず君ら、騒ぎたいだけなら今は帰ってくれ。ケンカなら夜に付き合ってやるから」と男へ話した。その内に三人の男がひとりのもとへ来たり。して男は周囲を見て、また、ちっ、と鳴らした後に仲間へと向き直り、「おい忘れんなよ」と残して身を返し去っていった。背後からトバルに「知り合いですか」と訊ねるのはユジフである。
「いや、全然。知らない人」
「そうなんですか。でも、大丈夫ですか? ケンカの約束なんか取り付けてしまって」
「まあ、何とかするさ。じゃあ皆もどっていいよ」
そう一言告げれば、皆はなんだなんだと言いつつ戻っていった。
斯くて漸う日は落ち、然れば空は燻り、青に茜が混じるころとなった。
丘に警備交代の者が来て、トバルは気軽な挨拶を交わして後を任せると、他の朝の番の人らも降りてきて、また彼らとも挨拶をして別れた。丘を下り、トバルは一つのことを思い出してはっとした。宝玉について何も聞いていなかったのである。だが今日に知るのは諦めて、明日に聞くことを心に決めた。
勾配のもとでしばし立ち止まっていると、昼頃の男どもが現れた。先に彼らを見つけたトバルは、呼びかけて己に気付かせると、男らはまっすぐにこちらへ向かってきた