昼から夜
男を取り巻く諸人のさざめきにズハーチェリという声を聞いた。おそらくはそれが、へんてこな黄色い装束の男の名前であろう。主に彼と懇ろに相語らいて、今ほど彼をズハーチェリと呼んだは僅かな老人たちであった。彼等はいたく親しげである。語調は久しく同年の友と会えたかの如きはねるようなさまで、口を止めず、思い思い語る。ズハーチェリも、四方から暇なく声を掛けられるのを厭わず、話しかける一人ひとりに言葉を返していた。彼もまた同じく、老い人の顔を懐かしんでいた。
トバルは傍らに視線をおろし、「なあ、君。そういえば」と蹲っている部下君の肩を揺さぶった。すると、いやに苦しそうな声が返ってくるものだから、わずかに驚きて後、少し心配になって「大丈夫か」と訊ねた。すると、おっくうそうな感じでゆっくり押し上げられた顔は緑色で、これを目の当たりにしてまた驚いた。平生活気ある顔は見る影もなく、今にも地に伏せりそうなようすであった。そんな様子で「ごめんなさい、少し休んでもいいですか」というものだから、断る気持ちは沸とも起こらずこれを許した。彼は弱々しく立ち上がって、歩き出すと一歩からふらふらと危な気である。なめくじのように緩やかに進み、あわや転びそうになったところで、彼処に居たタツギと髭を蓄えた老人が部下君を倒れぬよう支えた。その老人はこの教堂の法主であるゼムラスという男だった。トバルは部下君の様子から、一人で歩かせるのは危険が伴わんことを覚え、三人の近くに走った。寄りて、先ず彼を受け止めてくれたゼムラスに礼を言うと、彼を受け取った。すると彼が部下君に何があったのかを訊ねてきた。
「いえ、さっぱり。かなり具合が悪そうなので休むのを許したらそちらの方へ行って、そして転びそうになったところをあなたに支えてもらったんです」
その受け答えている間にズハーチェリが来て言った。
「では、ささと寝させようか」
そうだなとゼムラスが答え、次いでトバルに病人を休ませる部屋があるからそこへいきましょうと言った。そしてゼムラスがみなを伴えて教堂に入り、かの部屋へと着くと、部下君を背負っていたトバルがベッドに彼を寝かせた。顔色は変わらず緑色である。部屋への道中、何度か語りかけるが彼は呻くばかりであった。トバルは彼のあまりの変貌に疫病か何かに罹ったかとさえ考えたのであった。
しばし時が経ち、医者がやってきた。彼を診ると言うのだから、後を医者に頼み、トバルは部屋を後にすると、タツギも部屋から出てきた。トバルは彼女が隣に来た頃、寝込んだ彼の名前はなんだったかと聞くと、ユジフ君だと答えた。
二人は来た道を辿り、外に出でるや彼女は仕事があるのでと言い、丘を下っていった。すると、先程のユジフが倒れるのを見ていた老人たちがあの人は大丈夫かとか何があったとか言うので、説明すると更にユジフを心配して、お大事にと言いそれぞれ去っていった。
トバルは上を見たが穴はもうそこには無く、遠い空が見えるのみであった。以降、トバルの身近に異常は起こることも無く、ゆるやかに日は傾いていき、青空に漂う雲の端々に火がついたが如きさまになった。夕焼けというものがトバルにあの夢を思い出させて嫌な気分にさせた。
やがて夜は来たり。道のあちこちに据えられる篝は灯された。市場の盛りは今朝ほどにはあらざれど猶絶えはせで、しかし変化の程度は僅かなものであった。そも夜にしか開かれぬ見せもあるから、寧ろ賑わいは広がったのである。
トバルは既に黄昏亭の中にて席をとり皆を待っていた。まずはアパテムが来た。まだ周囲に空席が見られた頃である。トバルの対面に来て、「まだ来てないのか」と呟くと腰を下ろした。
「どうせまた遅れるんだろあいつら」
トバルがそう言うとアパテムは鼻で笑った。
しばし経ちて、はや座は酣である。窓はことごとく開け放たれ、そこから風が幽霊のように這入りこみ、熱る身体には心地よかった。座の諸人は声をたてて思い思い言い騒ぎ、杯を打ち鳴らす音があちこちから響いている。トバルにアパテム、互いに皿を一つ二つ空けた頃に、ようやく二人は現れた。こちらへ来るや先ず遅れた事を謝ると、最初から席に着ける二人で何故遅れたかを問いかけた。すると曰く仕事、曰く喧嘩ということだった。仕事故遅れたデオはアパテムに許されたが、しかしロフはその理由から「バカじゃね」と罵られた。
「あ?」
言い返せないでいるロフにトバルが「まあ早く座れよ」と言い掛けた。そして、二人とも座すと、アパテムが「じゃあ今朝の話しの続きだ」と言った。ハウグルに隠される宝玉についての仔細、これを探し出すための計画のことである。しかしロフが口を挟んだのだった。
「今朝も言ったけどさ、国が隠していそうなものを見つけたら俺ら掴まらね?」
「その時はその時?」とアパテムは答えた。
「は? もし捕まって極刑にでもなったら一生夢に出てやるぞお前」
「やめてね。ええじゃあ、隠されてる場所次第にするか。取りに行くのは」
するとデオが言いあいに加わった。
「今朝の話だと歴史に詳し人にハウグルなんちゃらを聞けば良いんじゃあ」
アパテムがこれにも答えた。
「そうだ。だからトバル、お前、今は教堂に雇われてるんだろ。だからちょっと聞いて来いよ」
「なんで知ってんの」
「見たから」
「あそう。聞くのは別にいいけど、仕事は周囲警備だから中に入って教堂のモンに聞けるかは分からないよ」
「あぁいいさいいさ。どうにか聞いてくれればそれで」
「じゃあ期待しないで待っておけ」
と、トバルは酒を呷った。
「というか、教堂に警備とか必要あるのかな」
そう言うのはデオであった。アパテムが口を開こうとしたが、
「近い脅威に備えるってわけで俺らが雇われたんだよ。朝夜の当番制で俺は朝の警備」
と先んじてトバルが答えたので語を言い消つ。
「何を警戒すればいいのかわからないけどな」
「あれ、俺はそんなこと聞いてないな」
デオが言った。彼は街を守護にあてられた戦士隊の一員であるから、街で危険な事態が起これば、彼等は先ず動かなければならないのだが、戦士隊は聞き及んでいないとの言であった。
「ええ、そうなの? なんだろうな。まあ金が貰えるならいいさ。すっごい暇だぜ? あそこの警備。ああでも、今日は凄いことが起きたんだ」
ロフがおう聞かせろ聞かせろとせがんだ。
「いやね、今日も教堂の警備だったのさ。で、暇だったから空でも見ていたら、なんか空に穴が開いてんのね」
なんだそれとアパテムが言うのを、耳にしながら続けた。
「それで見てたら、なんか人が落ちてきたんだよ」
アパテムが再び口を開き、「その穴から?」と聞くのに、「そうそう」とトバルは頷いた。デオがため息交じりにへえと口に出した。
「え、で何。その人はどうなったの」とデオが問う。
「何事もなく立ち上がって、その後、集まってたじいちゃんばあちゃんらと話してたよ」
へえほおふんと三人は口々に呟いた。すると、ロフが「そういえばさ」と話を切り出して、それからは長く今日起こったことをわいわいと酒を酌み交わしなどして語り合った。




