朝
方今、日は中天にかかった。陽光は燦とした輝きを絶えずして、今日も天の下をば照らして在る。鶏もはや声を収めて、民衆はことごと目が覚めたろう。市場はたいへんな雑踏で、食物のにおいを立ち上げて、あたかも争いの如き有り様である。
ハウグルの北西には家並みの尽きよう所へ傾斜の緩い丘があり、その上に、灰色めいた石によって築きおこされた巨大な教堂がある。今トバルはその教堂の入口の傍に立てるが、街の賑わいはここ居てもわかり易い。彼は雲を眺めて、風にちぎれて聞こえてくる喧騒をばわずかに楽しんで居りし際に、郵便業の人間たれる証の赤い襟巻きをした中背な黒茶色の髪の少年が、近く寄って「あの、ユーステムルさんは居ますか」と尋ねてきた。トバルはその名前を小さく唱えたあと、「ああ中に居るよ」と教えてやると、彼は軽く頭を傾け「ありがとうございます」と言って教堂へと進んでいった。彼が中へ入るまでその背中を見送ると、そしてまた晴天を見上げた。すると、視界の隅に優しい白雲がひとりぽっちでいたり、大小の塊が隣合い家族のようになって漂っている。さらりと風が髪を梳いて、目の前を鳥が四羽横切った。しばらくぼんやりとそうしていたら、先ほどの少年が出て来て、こちらを見るや復頭を下げて去っていった。トバルはまた見送っていると、彼と行き違い、タツギという黒い髪の女性が坂をのぼってきた。トバルの視線が彼女へと移り変わる。彼女は木箱を抱えていた。
やがて教堂入口まで到ると、彼はタツギに対し「おお」と低く片手をあげて呼び掛くる。すると彼女の三白眼である故に鋭く見える顔が和やかに変わって、歩きながらも頭を下げて通り過ぎた。
「相変わらず美人だぁ」
長い暇を堪えかねて思わず嘆いた。されど、どうにもならず、景色や身の回りに何や変化の訪なう気配もない。と、その時だった。思いきや、自身の上空が渦巻くとは。
「うん」
耳鳴りが響きだして悪寒も感じ、訳もなくついと顔を上げると、近い空のねじれるような異常をまざまざと見せつけられて、彼は大いに驚き、思わず声さえ出した。
いかなる事か、螺旋の筋を描く部分は徐々に空色から藍の色へ、藍から夜の色と移り変わっていった。中心はねじれてねじれて、遂には空の青さは針のように甚だ細くなるまで圧し詰むされると、やがて、唐突に化け物の口のようにぽっかりと開かれた。そこから、小さく声が聞こえてくる。反響したようになってこちらへ届いてくるものだから、得体の知れぬ何かが現れるかと思い、恐れず腰に帯びた剣の柄に触れる。トバルは大胆な男で、恐れはしなかった。やがて穴から聞こえる声は近づき大きくなっているのが判る。異変を目にした、ないしはこの声を聞きつけたのか、壮年の男が寄ってきて、トバルに不審な様子で「これは何でしょうか」と訊ねた。勿論、正体が判っている訳もない。
「さぁ……」
首を傾げて、そう答えることしかできなかった。
「一応、私のような警備の人を呼んできてもらえませんか」
「わ、わかりました」
男は頷いて小走りで教堂の裏へと回っていった。その逆の方から、トバルと同じ身なりの男が歩いてきた。彼の男はトバルの部下であるのだが、しかし名を失念していた。彼は最初こそ呑気な、口笛こそ吹いていそうな面だったが、近くなるにつれて、表情がみるみる変わってしまった。急いでこちらへ走り寄ってきたから、トバルは半ば笑ったようなって「見ろよこれ」と、顎で穴を指し示した。彼は従ってその通りにした。
「わあ」
と嘆息する。
「何でしょうこれ」
「知っていたら俺はもっと偉い立場に居るはずだな」
「知らないんですね」
「うん。君は」
「知っていたら僕は今頃もっと偉い立場に居るはずです」
「ふぅん」
トバルもまた嘆息した。そこで、一つ思いついたことを言った。
「なあ、おい。ちょっと跳んで上から見てくれよ」
「は、はい」
彼は縮んで、地を蹴って跳ねあがった。と同時の事である。穴からいきなり黄色い塊が、先程から聞こえていた声を伴って現れ、地に落ちた。トバルは突然の事で目を見開いていしまっていた。目の前の縦長い黄色の大塊には、自らの顔と同じ位置にまた人らしい色の顔があるのを解し、それに次いで顔の下も人間と同じき身体の形であるから、いよいよ当惑した。黄色い彼は、先程出でてきた穴を見上げて、驚いたようにあっと言うと、その場から飛び退いた。すると、その場に大きな袋が落ちてきて、地に着くや金属質な鋭いを音を辺りに響かせた。彼は「お騒がせしました」と言い、荷物を引き揚げた。片手に袋を提げて穴の下を通ると、黄色い布が舞い降りて、彼の肩に引っかかった。