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009.雨の日の残り物

 カタカタカタ。厨房の奥に唯一ある時計が静かに鳴っていた。

 時間は九時半。あと三十分でお店が閉まる。その時間になってボク達は外で降っている雨を見ながら軽く息を吐いていた。


 店内に残っているご主人様達はすでにおらず、もう店の中は閑散としてしまっている。

 どうしたってうちのお店は、喫茶店がメインな所なわけで、レストランという意味合いは非常に低い。夜遅くまでゆっくりとディナーを楽しむ、といった感じではないわけで、おまけにいえば居酒屋という感じでも当然ない。

 うちのお店ではアルコール類をお出ししていないのだ。というのも千絵里オーナーが、アルコールの力なんて使わなくても、お客様を酔っぱらわせるくらいのご奉仕をあなた方がすればいいのっ、という方針だから。ボク達はあくまでも、メイド力とご飯の味で勝負するしかないってわけ。


 そうなるとさすがにこんな時間までご主人様をつなぎ止めておくことなんて、なかなかできない。

 そりゃまぁ、戸月くん達の料理は美味しいから、口コミで話が広がっていけば夜までゆったりご飯をいただくということもあるかもしれないけど、今はまだこんなもんだ。


「今日もそろそろおわりかなー」

 渚凪(なな)さんがテーブルを拭きながら、あくびを浮かべてるボクに言った。

 本職のメイドさんなら、あくびなんて怒られてしまいそうだけど、渚凪さんは特別何も言ってこない。

「平日はまだまだ仕方ないですよね。かといって都内のこういうお店とかだと十時くらいまですごいお客さんぎゅうぎゅう詰めだとかって話ですけど」

「オーナーの考えだから仕方ない。地方のお店の寂しさよ……ってね」

 よよよ、と彼女は泣きマネをしてみせた。

 まぁでも地方だからこそ、ボクは働けるという部分もある。

 この土地にこのお店ができてくれていなかったら、今頃ボクは、せっせと遠い町で時間ぎりぎりまで働いていたに違いない。


「まぁ良いお店だから、きっとみんな気に入ってくれるよ。私の友達にも紹介しちゃったくらいだしね」

「良いお店ってのは保証できますよね。みんな可愛いし。むしろボクが来たいくらいです」

 ボクの本音を冗談だと思ったのか、渚凪さんは優雅に笑ってくれた。


 正直な話、三組の松田が羨ましかった。

 だってここにお客としてきて、り~なちゃんや愛水さんや瑠璃さんのご奉仕を受けるんだよ? そんなのもうたまらないじゃない。みんな可愛いし綺麗だし、おまけにケーキも食べ物だってとんでもなく美味しいんだから。

 実は初日は男性客が多かったうちのお店は最近は女性客の比率がうわっと増えた。ケーキがおいしい隠れた名店みたいな感じで誰かがつぶやいてそれから女性を中心に近くの人達に話題が広まったみたいなのだ。


「私だったら音泉ちゃん指名するかもねー。さぁ我がメイドよ、ご奉仕してくれ……なんちゃって」

 そんな風にして話をしていると、すぐに三十分なんて経ってしまう。

 ご主人様がいらっしゃらないのにお給料をもらうのは心苦しいんだけど、お客さんが来ないのは別にボク達に責任があるわけでもないのでしかたない。


「さて、本日の業務はこれにて終了。掃除もあらかた終わってるし、あがりましょー」

 外に置いてある看板を中にいれて、OPENの札を裏返してCLOSEにする。

 これにて終わりだからあとはもう帰るだけ。明日は久しぶりに休みだから、また家でゆっくりできる。


「その前に、やらないといけないことが一つ……」

「え? 何かありましたっけ?」

 渚凪さんが、ショーケースの裏側に立ちながら、にやりと笑っている。

 その手に持っているものを見て、ボクは彼女が何を言いたいのかを悟った。


「ケーキ残ったんですか!?」

「今日は雨だったからかな。珍しく残ったよ」

 彼女の手に持たれたお皿の上には苺のロールケーキがちょこんと乗っていた。

 その日のケーキは即日売り切らないといけないから、余った分は、その日の従業員が消費するのが鉄則だ。カスターニャのケーキは人気が高いから、余ったのは最初の二、三日で、それからはいつだって九時くらいに完売だ。渚凪さんが言うように、雨で人の入りが少なかったから、そのおかげで残っていてくれたのかもしれない。


「うわーそれ、どうしましょう」

「戸月くんは権利を放棄してたから、後は私達で奪い合いよ」

「むー」

 残ったケーキを見ながら、ボクは軽くお腹を鳴らしていた。

 夜の部の開店前にご飯は食べてるけど、それでもやっぱり成長期のボクとしてはこの時間になればお腹も空くわけで。え、成長の跡が見られないって? うう。その通りですよ。ええ、ボクはそりゃもうちっこいですよ。クラスでも身長順だと二番目ですよ。それでもお腹はすくんだから仕方ないじゃない。


「ほんと音泉ちゃんって、カスターニャのケーキ好きだよね」

 やれやれと、言いながら渚凪さんはお皿をボクの前に置いた。

 さっきのお腹の音が聞こえてしまったんだろうか。


「じゃー、いただきます」

「どーぞどーぞ。召し上がって下さいな」

 そう言われればもうありがたくいただくだけ。フォークで小さい破片にしてから口の中に入れる。あまり甘すぎないロールケーキの味が口に広がった。やっぱりカスターニャのケーキはおいしい。


「おいしい? って聞くまでもないか」

 もぐもぐ食べながら、こくこくと首を縦にふった。

 だってこのケーキは好きなんだもの。もともと甘いものは好きだけど、このお店のは別格。もう、一口食べただけで虜になった。それこそ、次のお給料がでたらすぐさま大量に買い込みたいくらい。


「まー私も結構好きだしね。ダイエットなんてもーやめちゃおうか、ってまともに思うもん。どんな人が作ってるのか、すごい気になるわー」

 渚凪さんはダイエットなんて必要ないじゃないですか、と言いたかったけれど、口の中はケーキを味わうのに精一杯で、ボクは的確なつっこみを入れられなかった。

 ほんと渚凪さんは、ボクが思うに痩せる必要がないと思う。そりゃ、ボクよりは多少ふくよかだけど、でもそのふくよかさってのがたぶん女の子らしさなんだろう。もちろん、どこまでいってもあたりまえなことなんだけど、胸だってボクより断然ある。それこそが女の子のよさだとボクは思う。


「やっぱり池波さんの息子さんって、二十代中盤くらいで、こースマートな感じなのかなぁ」

 けれど渚凪さんはまるっきりボクの思考になんてついてきてくれるはずもなくて、淡い妄想をひたすら繰り広げていた。

 やっぱしケーキ職人というと、美形でちょっとおとなしめな感じで、指とかすらっとしてて髪の毛さらさらで長身だったりするんだろう。いわゆるひとつの優しい感じのイケメンさんだ。

「だとしたら、ちょっとねらい目かもー」

「ねらい目って……」

 隣で目をキラキラさせている渚凪さんに、ケーキを咀嚼してようやく飲み込み終えたボクは軽くつっこみを入れた。


「今のところ寂しい彼氏募集中の身だからね。いつもこーやってセンサーをびしばし飛ばしておかないとネー」

「渚凪さんなら、いくらでも男の人寄ってきそうだけどなぁ……」

 あーんと、最後のひとかけらを口に入れて咀嚼しながら、ボクは素直な気持ちを告白してみせた。フォルトゥーナにいるメイドさんは誰だって可愛いし、美人さんばっかりだ。性格だって悪くないし、まわりの男の人が放っておかないと思うのに。


「そういう音泉ちゃんだって、学校とかじゃもてまくりでしょ?」

 言われてボクは少し困ったようにあいまいに言葉を濁した。

 『音泉』がそのまま学校にいたら、そりゃ確かにもてるかもしれない。

 けっこうメイド喫茶でも人気だし、鏡に映った自分の姿を見ても、かわいいなーって思う。でも。ボクと音泉は、同一人物であっても別人でしかないってことだ。

 音泉はあくまでも架空の人物であって、自分自身ではあり得ない。ウィッグを付けて長髪にすれば可愛さが倍増するのだけど、通常の状態で可愛いと思うかというと疑問だと思う。そもそも可愛いだけでは女の子にはもてないのだ。


「でも、恋人なんていたら、こんな仕事できないんじゃないですか?」

「一昔前のアイドルみたいにって? まーそりゃそうだけど、オーナーだったら多分、こう言うと思うよ。メイドがどこで恋をしたって、ご主人様には関係ないじゃない。契約をして働いているのがメイドであって、メイドはけして愛の奴隷じゃないのよって」

 オーナーのくねくねした口調を真似て、渚凪さんは言った。

 彼女があの口調を使うと、妙に色っぽくなるから不思議だ。


「どうもオーナーの思考って、いわゆる萌え文化とはちょっと違いますよね」

「なんかこーメイドフェチっていうのかなー。そういうものなんだと思う。あ、でも、オーナーが他の町で手がけてるお店とかは、結構すごいって話だから、もしかしたらうちだけが実験場みたいな感じなのかもしれないね」

 渚凪さんの言葉を聞いていると、この前の千絵里オーナーの載っていた特集記事を思い出す。確かに有名なスポットの方はもう少し砕けたサービスをするところもあるようなことが書かれていた。


「女同士で、ずいぶんと楽しそうな話してるじゃねーか」

 そんなところへ、厨房の掃除を終えたのか戸月くんが口をはさんできた。

 彼はこのお店の厨房を任されている料理人のうちの一人。

 二十歳くらいの青年で、すっきりとした細身の男の子。一応年上なんだけど、なんとなく男の子って感じで、大人って感じではない。


「よければ食べてってくれ。こっちも余った食材多少あったからな」

 ことりと、ボクの前にだけお皿が置かれた。置かれているのはいつもと変わらないサンドイッチだ。ただし中に見えてるのが残り物の材料だから、いつも開店前に作ってもらってるヤツとちょっと違う。


「私のは?」

「お前はダイエット中、なんだろ?」

 にやりと、彼は人が悪そうな笑みを浮かべて渚凪さんをからかった。

「ひどーい。そういうの揚げ足取りっていうんだよ」

「うそ、うそだって。ちゃんとお前の分もあるって。だからそー睨まないでくれよ」

 けれど渚凪さんにひと睨みされると、あわてて厨房に戻って彼女の分も持ってきた。


「イヤなら食わなくていいぞ」

「いやーいただくよーもう、戸月くんの料理もすんごい美味しいしねー」

「そ、そうか」

 彼は、それだけを口早に言うと、厨房に戻っていった。

 戸月くんってぶっきらぼうな所があるけど料理の腕は抜群だ。うちの店は若い女性客が比較的多いから、どうしたってケーキの味の方に注目されがちだけど、ランチとディナーの時間の彼の食事だって、まるっきりケーキに負けていない。どんな経歴なのかはわからないけど、彼もそうとうすごい人だ。


「ま、ありがたくいただきましょう」

 そう言われて、ボクはそのサンドイッチを口の中に入れた。

 その味はあまりに美味しくて、意味ありげに微笑んでいる渚凪さんの表情なんて目には入らなかった。

さぁケーキ争奪戦であります。美味しいケーキをいただいてる女の子は可愛くていいものだと思います。じゅるり。

そして戸月くんが本格的に参加な今回。恋する男の子を端から見ているのはとても楽しいなと思う作者なのでありました。

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