062.さぁ本番ですよ! 渚凪さんと散策2
「さて、最後はどうしますか」
もう一緒に回るのが当たり前、といった風で僕は渚凪さんに声を掛けた。
お茶会が終わって、時間は一時半を過ぎた頃。
巧巳との待ち合わせの時間が二時だから、もうちょっと自由に回ることができる。
「もし、よければ榊原くんのクラスに行ってもいいかな?」
「うーん、そうですね……一応私は二時で待ち合わせになってるから、それまでだったら一緒にいれますけど」
残念ながら、今のメイド喫茶の混みようはとんでもない状態に違いない。
だからそんなところに一人ぽつんと置き去りにするのは心苦しくて、ぎりぎりまでは一緒にいるつもりだ。
「おぉ、メイド長。どこでそんな美人さんひっつかまえたんだよ」
「一階の昇降口のわきで」
人員整理の子につっこまれても、僕は慌てることなく事実をしれっと言った。
「それよりも……結構すいてる? これもしかして三十分待ちくらいで入れるのかな?」
「ああ。お前らがいない時は、少しだけ客足が引くっていうわけだ」
「今、伊藤くん達のところだっけ?」
なるほど。列の少なさの理由が少しわかったような気がする。
伊藤くん達のチームもけして悪いわけじゃないんだけど、やっぱりどうしても、男のメイドというのはいまいち人気に欠けるのだ。特に男性受けが悪いのである。
入り口の所に時間事のメイド一覧なんてのも載せているから、それを見て今の時間をさけている人もいるのかもしれない。
「まぁ、それでもこれだけの列なわけだけどな」
彼はそういうと肩をすくめて新しく列に加わった人に待ち時間の説明なんかを始めていた。
「大盛況ねぇ。伊藤くん達っていうの……は?」
「えと……」
もう整理券はもらってあるから、ある程度動くことならできる。
僕は入り口の所に貼ってある写真の所につれていくと、今給仕についてるメンバーを差した。
「うわー、けっこう……普通に男の子なのねー。あ、でも、この子可愛い」
渚凪さんはそれらを見渡して、りっちゃんの所で目を留めた。
「ええ。二時からの仕事なんですけどね。普通に女の子に見えますから」
「あ、じゃあ、あれかなぁ。ちょうど今のやってる子達とその子達両方みれちゃったりするのかな?」
「うまいこと二時までに入れればそういうことになりますね」
「私としては榊原くんのメイド姿、生で見たかったけどなー」
写真だってこーんなにかわいいのに、と彼女は恨めしそうに僕を見ていた。
「って、それ後ろ姿じゃないですか……」
はぁと深い息をついて、きらきら目を輝かせる渚凪さんにあきれた声をかける。
そうなのだ。メイド紹介の写真はどうしても貼りたいって言われたんだけれど、もちろん写真なんて撮られるわけにはいかないので、ごねてごねて折り合いをつけたのがこの後ろ姿ってわけで。
「後ろ姿だけでこれだけ華奢ならもー正面だって期待大じゃない?」
普通に女の子の後ろ姿ですよ、お嬢さんと渚凪さんは芝居がかった口調で、きらきらした視線をこちらに向けてくる。
「そんな目で見られたってもう僕はメイド服着ませんよ。駄目ですってば」
さすがにメイド服姿で渚凪さんに逢うのは危険だった。髪型が違うとしても、この人とは仕事先でしょっちゅう会っているのだ。何かの拍子で感づかれるかもしれない。
そうこうして待っていると、入り口のドアが開いた。
ケーキだけを買う人というのがやっぱり結構な数に上って、そこから出てくるというわけで。
「ああ、春花さんっ」
その人影の中に見知った顔を発見して、僕は声を掛けた。
彼女はこちらを見つけて、それから思い切り顔を引きつらせる。
「げっ」
「げ?」
僕ははてな顔で彼女の反応に小首を傾げた。
「い、いえ、その、なんでも。ない。よ。あはは。やだな」
もーなにいってんのよう、と春花さんは慌てた様子で前髪を揺らした。
目が髪で隠れていてもけっこう表情はわかるもので、慌てているのがわかる。
「それでとなちん、その方は?」
それでも彼女は息を整えて、僕の隣にいる人のことを尋ねた。
「ああ、えと、ちょっといろいろあって知り合いになった人で。こちら森宮渚凪さん」
紹介すると、春花さんは明らかに挙動不審でどーもーと言った。
「それで、春花さんはケーキ買いですか?」
「うんー。ちょっとお使い頼まれちゃってね」
だからもういかないと、と言って春花さんは自分の教室の方に歩いていった。
「やっぱり巧巳くんのケーキって大人気なのね……」
「ええ。テイクアウトもありますし。かなり必死に作ってるはずですよ」
それを見送りながら、渚凪さんはぽつりとつぶやいた。
実際、巧巳のケーキの売り上げは昨日よりも上がっていた。お店の回転率はあまり変わらないけど、その分テイクアウトで買っていくお客さんが増えたのだ。
「っとぉ、どいてくれっ」
そんな話をしているまさに真っ最中。
最後のケーキを持ちながら、巧巳は慌ただしく僕の前を通過した。
「って、とな、もうちょい待っててくれ。これで終わるから」
「んー、いいよ。慌てないでも」
慌てながらも僕の姿を確認して巧巳は一言だけそう告げて教室へと入ろうとする。でもその隣にある顔を見とがめて、足を止めた。
「森宮さん。来てくれてたんですか?」
「ええ。お邪魔させてもらってるわ」
「仕事仲間、なんだって?」
「ああ。お得意先ってやつだな。っと、ごめん。仕事あるんでこれでっ」
とりあえず挨拶だけして、巧巳は教室に入っていった。
「忙しそうねぇ。相変わらず」
「仕方ないですよー。あいつが言い出しっぺなんだから、馬車馬みたいに働かないとダメです」
僕がぷぃと言ってやると、渚凪さんは複雑な微笑を浮かべて僕を見た。
「みなさま長らくお待たせ致して申し訳ございません。もしよろしければ、紅茶をご用意させていただきましたので、お飲みになってお待ち下さいませ」
ちょうどその時、定期的に振る舞われているお茶の時間になった。
ぎこちなく口上を述べるのが少しだけ大変そうで、見ていて気の毒になりそうだった。
でも紅茶の方は問題なく出されていているようで、お客さん達はありがとうといってそれを受け取っていた。
「メイド長。どうですか? ちゃんと出てます?」
「ええ。ちゃんとできていますよ」
熱いカップを受け取って、湯気の香りを楽しむと少しだけ口に含んで味をみる。
僕が出すのとほとんど同じ感じで出ていて、身体が暖まってほっとする感じが味わえた。
渚凪さんもそれを飲んで、ふぅと身体の力を思い切り抜いていた。
「やっぱり、和洋どっちのお茶もいいわぁ」
満足満足、とお茶を飲みながら渚凪さんは言葉を漏らした。
「渚凪さんは今でも、抹茶煎れたりとかするんですか?」
そんな姿を見ながら、僕はさきほどの光景を思い出して尋ねる。
「時々……かなぁ。いまは紅茶の方が圧倒的に多いけどね」
仕事だから、というと渚凪さんは柔らかく微笑んだ。
渚凪さんのいれた紅茶って、柔らかい味がして僕は好きだ。
練習っていう名目でのみっこしてるんだけどね。
「それよりも私は、なでしこちゃんが髪の毛のばさないのかなぁってのが気になる」
「のばしませんのばしません」
紅茶を飲み終わった彼女は、カップを弄びながら空いた手で僕の髪を軽く撫でた。
茜さんにもさんざん伸ばせ伸ばせ言われたんだけど、それは却下だ。
僕には男としての生活があるのだから、こればっかりはどうしようもないのだ。
「でも確かに僕が女子だったら城島さんの事、羨ましいって思ってたんだと思う」
長い髪の毛はやっぱり憧れるものがある。
それを維持するのはすごい大変だって話だけど、でも綺麗な黒髪はいい。
「でも、なでしこちゃんには、そんな立派な身体があるじゃない」
「立派すぎて、重くてどーしょもないんですけどね……」
もー肩こりがーと言うと、渚凪さんは苦笑を浮かべた。
その時、従業員用の扉がガラガラと開いた。
「灯南っ、ちょっとこい」
「はい?」
現れたのは、慌てた感じの巧巳だった。
渚凪さんに挨拶をしたものの、それでも巧巳は僕の手首を掴んでお店の中に引っ張った。
「ちょ、ちょっとまってよ。うわ、渚凪さんごめんなさい」
僕の制止もほとんど意味をなさなくて、ひきずられるまま教室の中にいれられる。
「お前に紹介したい人がいるんだ」
「だ、だれ?」
あまりの状況に僕まで慌ててそう尋ねると、巧巳はちょうど客席からは見えない物陰で止まった。
「俺がお世話になってるフォルトゥーナのオーナー。千絵里さんだ」
「……いやだよ、そんなの」
いきなり巧巳の口からそんな名前が出たものだから、僕は驚いてそれでも驚きを表に出さないように必死に声を殺して小声で言った。お客様に聞こえる声なんて出すわけにはいかない。
「でも、お前をご指名だぞ。ここのメイド長と会って話がしてみたいってさ」
「えぇー、そんなの、いないとか適当に言い訳してなんとかしてよ……」
「だーめ。千絵里オーナーはイイヒトだから、そんなに怖がらなくても平気だぞ。そりゃちょっと……アレ、だが」
巧巳は頬のあたりをぽりぽりかきながら、視線をそらして言った。
アレ、ね。ようはちょーっとくねくねしたりして、アレってことだ。そんなんもう何回も会っているんだから知っている。でも。
「怖いとかそう言うのじゃないんだってば……」
そうなのだ。
オーナーは、僕の髪の毛が短い姿も見て知っている。
当然、茜さんにカットされたあとの姿だって知ってるわけで。
いくら制服を着てたって、眼鏡をつけてたって、バレル可能性は非常に高い。
「おわっ」
でも、そんな事情をまるっきりしらない巧巳は、もうほとんど力任せで僕の手を引いた。
力だけを比べれば華奢な僕が巧巳にかなうはずもなくって。
バランスを崩して、客席の見える場所にまで出されてしまうと、もう後戻りはできなかった。
「この子が、メイド長の榊原灯南です」
紹介されて、僕は仕方なくぺこりと頭を下げる。
もう内心はハラハラ冷や冷やしている。だって、こうやって紹介されちゃったら絶対千絵里オーナーは僕だってわかっちゃうんだもん。
問題なのは、それ以上のこと。千絵里オーナーに僕が男であることがばれることと、千絵里オーナーから僕がフォルトゥーナで働いていることがばれること。これがやばい。
一応、学校はアルバイト禁止ってことはオーナーに伝えてあるけど、もし、その事をまったく忘れてたら大変な事になる。
そう。
あら、音泉ちゃん、こんなところで、奇遇ね。
その一言だけで、僕の人生はジ・エンドだ。
どうすればいいんだろう。
どうすれば、この状況を乗り切れる。
「本日はお楽しみ頂けているでしょうか?」
少し間をおいて、僕は少しだけ高飛車なきりっとした女のイメージで挨拶をする。
それを見て、千絵里オーナーがおやっ、とわずかに目を開いた。オーナーの目には明らかに演技していることがわかるように、どぎつくやったのは効いたらしい。
「ええ、こういう空間でできる限りのお持てなしをしようとしているのを感じるわ」
平然とオーナーはそうやって褒めてくれた。まるっきり他人のふりだ。
「ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、千絵里オーナーは、小声でんふっとだけ笑った。
「最初は巧巳くんのケーキ狙いで来たんだけど、リーフの選択が甘いのと、出し方にムラがあるのと、ウェイトレスの動きが少し硬いのを除けばなかなか良いわよ」
そしてオーナーはこのお店の至らない点を列挙していった。
明らかに僕が音泉なのをわかってて、いじめている感じだ。
そう言われても、僕だって必死に勉強してるんだよ……
「あ、あと、あれかしら。ウェイトレスさんは男の子もやっているみたいだけど、これはなにか意図があるのかしら?」
意図……そんなんは簡単だ。よくある学園祭ならではの女装喫茶。でも、女でなければならない僕もウェイトレスをやっているので、返答はかなりこまった。
ううぅ、まるでテスト受けてるみたいだよ……
「そ、それはですね……こういう機会がないと、メイド服も着れないといいますので、是非ともメイドをやりたいと、こう、手があがったわけなんです」
「なるほど。じゃあ、あなたはどうなのかしら?」
そう尋ねられて思わず、メイド服なんてきたくねーよ、と言いいそうになった。
あれは無理矢理着させられただけなのだ。
でも、言えない。もう必死に頑張って瑠璃さんぽく綺麗にこなさないと。
「わたくし……でございますか。わたくしはこの二日間、メイド服を着ている限り、ご主人様方へご奉仕させて頂くのが仕事です。服への興味、というものが無いとも申しませんが、こうやってご主人様方と接することこそが何よりも肝要だと思っております」
難しい口調がこの状態ならすらすらと言える。
瑠璃さんと一緒に仕事をして、時折見せる雅やかな空気を感じていたから、なんとか真似ができる。一人称まで、かえればなんとかばっちりだ。
「いい心がけね。やっぱり、学園祭といっても物を売る者はそれでなければいけないわ」
ティーポットに残ったお茶をカップに注ぐと、オーナーは軽く香りを楽しんでから、口を付けた。
「さて、じゃあ追加オーダーお願いしようかしら。あなたは……今はお休みだからだめよね。ちょっとそこのおねーさん」
手近にいたメイドを呼びつけると、ケーキを二つ持ってくるように頼んだ。
彼女はオーダーを書き込むと、少々お待ち下さいませ、とやっぱり野太い声で言って厨房に戻っていった。
「男の子も割と頑張ってるわよね……こういう企画だと、素のままってケースの方が多いのに、良くやっているわ」
めずらしいわよね、と言って千絵里オーナーはカップをテーブルに置いた。
僕もまさかこうまでみんなが女らしく必死に振る舞ってくれるとは思っていなかった。
もちろん、こういう路線を目指したって言うのはある。お笑い系の女装喫茶にするつもりなんてさらさらなかった。でも、やっぱり女装をするっていうのは、ほかのクラスみたいにお笑いの方向に行ってしまうのが普通なのだ。
こちらの意図がどうであれ、たったの二日間でここまでわざとらしさを削ることができたのはすごすぎる。
服装に関しては伊藤くんのコスプレ美学が自然体の女装というものを作り出しているし、所作に関しては僕のが伝染しているみたいな感じ。はっちゃけるよりも、女らしくしようっていう感覚がみんなにあるみたいなのだ。
「お待たせ致しました」
「ありがと」
ほどなくして、メイドが注文の品を運んできた。あの時指示したとおりに、左側からなるべく音を立てないように注意して配膳をしている。
「しっかし、ここまでお値段安いとなると、商品の価値すら落としかねないわよ……もう少し、高い設定でも十分いけると思うわ」
ケーキを受け取りながら、オーナーは巧巳に向かってそう苦言した。
確かにカスターニャのお店の値段よりも低いのだから、そう言われてしまっても仕方がない。紅茶もだけど収益度外視の値段設定だ。
「俺ももう少し高くっておもってたんすけど、会計の方と折り合いがつかなくって。なかなか集団でモノを売るのって大変なんだなって感じましたよ」
値段を決めるのはあくまでも巧巳ではなく、お金を管理する方だ。彼女らは巧巳のケーキのすばらしさを知っているものの、それでも薄利多売路線を選んだ。すべて売り切れば、洋服代など込みでも収益が一割くらい出る計算になる。普通の喫茶店の利益率よりも遙かに少ない額なのだ。
「うふふっ。そういうもんよ。今はそういうのはすべて和人さんが引き受けてくれてるけれど、いつかはあなたもそういうのができるようにならないといけないわ」
「俺は集団でやるよりも、自分のつくりたいものをつくってたいんすけど」
ぽりぽりと少し嫌そうな顔をして巧巳が頭を掻くと、千絵里オーナーは、んまっ、といってからケーキをつつき始めた。
「まぁ、いいわ。忙しい中、つき合わせちゃってごめんなさいね」
もう、戻って良いわよ、と言われて、僕達はようやく解放された。
まったく、心臓ばくばくものだ。
厨房に下がっても、まだ冷や冷やしている。
「アレ、だけどいい人だろ?」
でも、そんな様子にまったく気付かずに巧巳は、のほほんとそんなことをいった。
確かに千絵里オーナーはいい人だ。というか、すごいと僕も思える大人。
でも、そんなことを再確認する余裕なんて僕にはなかった。
「アレ、だけどね」
それでも僕は。そういって巧巳に微笑んでやることくらいはできたのだった。




