060.さぁ本番ですよ! 一人で散策
学園祭当日、午前中の巧巳んは、ケーキを焼く作業のため身動きが……
からからから。
調理室の扉をあけると、そこは戦場さながらの状態だった。
ご飯ものの店は少ないものの、たこやきだったりちょっとした食べ物の店というのはそこそこあって、それの下ごしらえの場としてここは機能しているのだ。
いろいろなクラスの人間がいろいろなものを作っている。
その端には、当然うちのクラスの人達の姿もあった。
「やっほーみんな、忙しそうだね!」
「おぉ~なでしこちゃん! 陣中見舞いありがとーー!!」
同じクラスの男子からそんな言葉が漏れる。
それを聞いて周囲のクラスの視線がこちらに突き刺さるようだった。
男子がやってる女装喫茶で、なんだかよくわからないけどべらぼうに可愛い子が二人いる、という噂が流れてて、なでしこの名前がやたらと有名になってしまっているのだ。
「よぅ、とな。仕事終わったのか?」
「まあね~今日のお仕事はこれで終了。それで昨日約束してたの持ってきたんだけど」
「約束?」
きょとんと、厨房係の女の子から不思議そうな声が漏れた。
「あ、うん。ちょっと、差し入れっていうか……ね」
はい、これ、といって巧巳に弁当箱を渡すと、彼はサンキューと気楽に受け取った。
今日のメニューは、食べやすいようにおにぎりと、おかずは卵焼きとウインナーと昨日の残りのほうれん草のおひたしだ。
「え……それ、榊原くんが作ったの?」
「うん。そうだけど?」
なに当たり前な事を、というようなトーンで言うと、女子を中心にきゃーきゃーはしゃぎ声が生まれた。
「だって忙しくてご飯食べられないっていうから、可哀想でしょ?」
「いや、でも、だって……」
男の子が男の子にお弁当を作ってくるなんて……あぁ、もう堪らない展開じゃない! と一人の少女が言った。
「うわ、中も滅茶苦茶きれい……」
早速中を開けて、おにぎりを食べ始めるマイペースな巧巳のわきで、それをのぞき込んだ子が驚いた声をあげていた。
「たこさんウインナーかわいー」
それは……クセです。クセ。
実は親父はたこさんウインナーが大好きで、たこさんにするとすごい喜ぶんだよ。
「弁当箱は後で返してくれればいいから」
あまりにも周りの視線が痛すぎたので、僕はそうそうに逃げる決意をした。
このままここにいたらやばい気がしたのだ。
「じゃあ、二時くらいに教室の方にいくね」
それまでみなさん頑張ってくださいねっ、とむやみに冷たく整った笑顔を周りに振りまくと、僕は逃げるようにして調理室を後にした。
「しかし、榊原くんって……」
「なんていうか、立ち姿とかすごい自然よね……」
「本当に男の子だったのかな……って思う」
そんな台詞が調理室であったことを、僕は知らない。
「さて……どうしよっかなぁ」
十二時から二時までは、自由時間。
朝一番の労働を終えた僕は、んーと身体を伸ばしながら、開放感に浸っていた。
伸びをすると胸のあたりがぷるんと震えるのが、なんだか変な感じ。
今日は春花さんがクラスの出し物の方に行っているから僕一人。巧巳に差し入れはしたけれど、あいつは焼成やらなんやらでまだまだ忙しいからあそこからは離れられない。
残るはりっちゃん達の所に混ぜてもらうことなんだろうけど……特に待ち合わせもしていないので、校内でばったり会えば混ぜてもらおうというくらいな感じだ。
そんなこんなで一人で歩いていると、やっぱりわかる人にはわかるらしくって、時々男子生徒が僕に、なでしこさ~~んって呼びかけをしていくんだよね。ほら今の男子だってそう。上級生までそういうことしてくるんだから、かなり困りものだ。
僕はというと少し困ったようにそれでいて厳しくそちらを見る。そうするとだいたいみんな、ふにゃふにゃしながら、その場で立ち止まってへたりこむのだ。
まったく。
嘆息をしながら歩いていると、ちらほら学外の人の姿も見えた。
私服姿で学校内を歩いている姿を見るとやっぱりちょっと新鮮な感じがする。
そんな中で、昇降口の前を通った時の事だ。
ちらりと視界に入った人影。
それを見て僕は、やば、って思って自動販売機の影に隠れた。
そう。そこにいたのは、渚凪さんなのだ。
このまま通り過ぎてくれればとりあえず安泰、とか思って息を潜めていると、渚凪さんは僕がいる所と反対方向に向かっていってくれた。
けれど。
「うそ……」
その時、ちょうどハンカチが地面に落ちた。
白いレースの上品そうなハンカチは、渚凪さんっぽい優しい感じがする。
さすがに……これを放置しておくわけにはいかないよね。でもここで話しかけてしまったら、僕が音泉だということがばれてしまうかもしれない。
どうするどうする。
「あの、これ」
けれど、心底悩んで悩んで悩み抜いて、僕は渚凪さんに声をかけた。
「あ……落としちゃったのかな。ありがとう」
渚凪さんは営業用じゃない笑顔で軽くお礼を言ってくれた。
その視線が僕に向くと、ん? と不思議そうな顔をして首を傾げた。もう心臓どきどきものだ。
「あの、二年B組の出し物ってどこでやっているか、知ってます?」
「……ああ、確かセミナーハウスの方ですね」
でも渚凪さんの戸惑いは、僕が想像してたことじゃなかったらしい。
「私もお昼ご飯を食べにいくつもりですけど」
「じゃー、ご一緒、してもらっていいかな?」
それとも誰かと一緒に回ったりする? と聞かれて首を振った。
今日はもう巧巳にもお弁当を渡してしまったし、しばらく一人だ。
すると渚凪さんはすばらしいとだけ言って、歩き出した。
「実は二年B組に弟がいるの」
自己紹介を適当に終えて、渚凪さんはいつもの感じで言った。
え、そうだったんですか、と驚いた言葉をなんとかのど元に押し込めて、僕は適当に相づちをうつ。
「もしかして森宮さんもここの卒業生だったりするんですか?」
「いちおう、そうね。卒業したのは一昨年なんだけど、やっぱりちょっと離れるだけで懐かしく感じるものね」
なでこなでこと渚凪さんは壁をなで回しながら、遠い目をして言った。
「灯南ちゃんは、いま一年生なんだっけ?」
文化祭何やってるの? と聞かれて、僕はメイド喫茶をやっていることを白状した。
「へぇメイド喫茶やってるんだ。面白そう。実はね私もメイド喫茶で働いてるの」
ほらフォルトゥーナってお店、知らないかな? と聞かれたらもちろん知っていると答える以外に道はない。
「本場のメイド喫茶に比べれば、うちなんてそんな大層なもんじゃないですよ」
「ご飯食べて終わったら、そっち行ってもいい?」
いいかどうか、と聞かれたらいいと答える以外にない。
「でも、今だとたぶん一時間待ちとかになっちゃいますよ?」
「それはまた、すごい人気ね……」
「昨日は三十分待ちだったんですけどね……」
噂が噂を呼ぶ感じで、もう収集つかなくなる直前です、といったら何でだろうと渚凪さんははてな顔だ。高校の学園祭でそんな爆発的人気がでるというのが想像つかないのだろう。
そんなおり、別の高校の制服を着た女の子達とすれ違った。
「一時間待ちかー」
「えーでも、ケーキだけでも買えるって言うし、いってみようよ」
「みきって、確かダイエット中じゃなかったっけ?」
「そんなの、明日から頑張ればいいっていいって」
きゃいきゃいそんな声が漏れ聞こえた。アレは絶対うちの店の話だ。
「やっぱりメインはケーキなの?」
「ええ。なんといってもあのカスターニャのケーキですから」
なるべくなら出したくない名前だったけれど、ここまできてしまったらもう、出さない方がおかしいだろう。ここ数ヶ月でもうカスターニャの名前もかなり有名になった。もう名前の前に「あの」がついてしまうくらいの勢いだ。
「え、じゃあ、巧巳くんってこの学校だったんだ……」
「え? 巧巳がどうかしました?」
とぼけて聞いてみると、渚凪さんが少しだけ眉を上げた。
失敗か。
「ううん。なんでもないの。そっかー巧巳くんがねぇ……」
意味深な笑顔を浮かべながら言う渚凪さんにおろおろしながらも、僕達は目的地に到着した。




