058.さぁ本番ですよ! 旦那様の時間
「いらっしゃいませ、ご主人様っ」
ふんわりとした感じの声が前方から聞こえてきた。
その声に誘われるようにして部屋に入ると、満面の笑みを浮かべたりっちゃんが出迎えてくれる。作った笑みじゃなくて、本当に心の底からの笑顔を彼女は振りまいていた。
予想通りというか、メイド服は動きやすそうで、名札には「りつか」という名前が書かれている。
彼女は僕達の姿を見つけると、あっ、と軽く口を開けて、それでも微笑を浮かべて僕達を席に連れて行ってくれた。
わざわざ金払って自分のケーキ喰うのもどうなのよ、といった不満も当然巧巳からでたんだけど、とりあえず無視した。やっぱりりっちゃんのメイド姿を見たかったのである。例え三十分待ち時間があっても、それでもこれだけは見ておかないといけない。
待ち時間は、パンフレットを見て行き先を決めるって言う、巧巳との作戦タイムに使われたので、それほど苦にはならなかった。おかげでこの後の予定はばっちりだ。
「ありがと、りつか」
椅子を引いてもらうと女主人のように言ってみせる。そして進められるまま椅子に腰を下ろした。
「なんつーか、座り方が……」
「ちょっとでも気を抜くとスカートの中身が見えちゃうでしょ?」
その座り方がお気に召さなかったようで、巧巳はなぜか口をぱくぱくとした。
こんなの、普通の女の子だったら気にしないでやってる。でも、まだスカート歴三ヶ月の身ではなかなか自分の意志で大げさにやらないとどうしようもない。
「今日は何になさいましょうか、奥様」
「そうね。じゃあ、オレンジのムースと苺ショコラで。飲み物はアッサムにしようかしら」
「かしこまりました。それで旦那様は……」
巧巳は、紅茶だけを頼んだ。やっぱり自分のケーキを頼みたくないらしい。
それを聞くとりっちゃんは、少々お待ち下さいませ、といってぺこりと可愛らしく頭をさげて簡易厨房に戻っていった。
「あれだな……旦那様って呼ばれると……」
その後ろ姿を目で追っていると、巧巳がなぜか照れたようにつぶやいた。
「俺達夫婦みたいだよな……」
「ちょ……」
うわーうわー。メイドと女主人っていう構図にちょっと酔っぱらっていたのに、まさかこんな風に切り替えされるとは思わなかった。りっちゃん……もしかしてわかっててやったんだろうか。いや、そもそもご主人様呼びがデフォルトなのにアレンジをいれている辺りで確信犯である。
そんな風に言われると、ちょっと思い出しちゃうよ。夏のあの……でき事を。
「……なに、いってるの……」
ちょっと俯きながら、小声で言った。
巧巳の顔を正面から見れなかった。
あのでき事は音泉のイベントだったのに。切り離さなきゃいけないのに。そんな事を言われると思い出してしまう。荒々しい唇の感触を。ボクを包み込んでくれるようなあの腕の感触を。
そして同時に思い出してしまう。巧巳があの後、無遠慮にいじわるを言ったのを。
そう思うとやっぱりまだまだいらっともしてしまう。和解はしたけどまだまだ感情がついていってるわけではない。
「お待たせ致しました、ご主人様っ」
そんな微妙なところに、りっちゃんが戻ってくる。
最初に伝えてあったように、左側からお皿をだしてくれているし、仕事内容はほとんどばっちりだ。
でも、顔に浮かんでいるのは、営業用の笑顔ではなくて含み笑いだった。
「りつか……なにを笑っているの?」
「いえ……あの、お二方の仲が大変よろしかったのでつい」
そう答えながら、そそくさとミルクをどうするか聞いてくるのだから、りっちゃんもなかなかかわすのが上手い。僕はもちろんそれは断って、ケーキの甘みでお茶をいただくことにする。巧巳はミルクを入れてもらっているようだった。
「では、ごゆっくりおくつろぎ下さいませ」
ぺこりと頭を下げると、彼女はそのままにやにやと裏方のほうに戻っていった。
「しっかし、あれで男とは……」
世の中よくわからないと、巧巳は紅茶を口に入れた。
「おっ、美味い」
それを満足そうに見ると僕も一口紅茶に口を付ける。時間で計ってるだけあって、濃さはだいたい良いくらいだ。最初の一杯はやや薄目に、二杯目は、やや渋めに。
「まぁ、曲がりなりにもリーフティーだからね。うちで出したのより遙かに美味しいってば」
続いて、ケーキをひとかけら口に入れる。
いつもと変わらない味がふんわり口に広がっていった。もう、さっきも運んでてずっと食べたいと思っていた一品。これだけでもうすごい幸せ。
「トナのうちは、紅茶セットとか無かったよな?」
そうだね、と答えると、巧巳はわずかに 眉をひそめた。
「じゃあ、なんで紅茶の知識あるんだ?」
問われて、ドクンと心臓が飛び立つのを感じた。そうだ。確かに家にセットがないのに知識があるのは不自然。
「……夢と希望ってやつ?」
「え?」
「いつか、堂々と紅茶を飲む日が来るといいなってことで、知識だけは入れてるってわけ。一回外で飲んだ紅茶がすごい美味しくてさ。それからもーずっと研究研究ってね」
本当はフォルトゥーナに行っているから紅茶の知識が嫌でもつくんだけど、もちろんそんなことは言えない。頭をフル回転させて、なんとか理由をこねくり回していいわけをして見せた。でもあながち嘘ではなくて。フォルトゥーナで紅茶を一度飲んでから好きになったっていうのはある。
ほら、千絵里オーナーって本格派指向だから、自分で出してる紅茶の味を知らなきゃ、ご主人様にご奉仕できないって言うんだよね。飲んだことのない茶葉は必ず試飲させて、それの特徴を僕達はノートにまとめるってわけ。ご主人様方はもちろん、紅茶に通じている方ばかりではないので、どんな味なの? って聞かれたときに答えられなきゃメイド失格なのだそうだ。
「おまえ……そんなに……」
「まぁ、なんとかやれてるから、平気平気」
無理に笑顔を作って言うと、巧巳は不憫そうに僕を見つめた。
巧巳に僕の今の状態を知られてしまっている以上、音泉が借金を抱えているなんていう話は死んでもできなさそうだ。
「それよりも、ほら、店内の様子、ちゃんと見ようよ」
「そりゃひどいよーメイド長ー!」
りっちゃん以外のメイドさんの働き具合もちゃんとみないと、と取って付けたようにいうと、近くにいたメイドの「ほのか」ちゃんがうわずった声で文句を言った。彼なりに必死に頑張って声を出しているらしい。
その声が周囲にも聞こえたのか、周りのお客から笑いが漏れた。もしかしてみんな、僕がメイドやってたの……知ってたりするのかな。
「今の私は女主人ですよ。口調は丁寧に、楚々と歩くように心がけて下さいね」
「はいはい、ご主人様」
あーあ、とため息を漏らしながら、ほのかちゃんは厨房に戻っていった。言ったとおり、楚々と歩いていってくれているようだ。
「なんかお前、いつもより生き生きしてないか?」
彼女が去った後、巧巳は不審そうに聞いてきた。
ちょっとハイテンション過ぎただろうか。確かに普段の僕よりも、今日の自分はビックリするくらい元気だ。フォルトゥーナで働いている時並に充実している感じがする。
「学園祭だからテンションあがってるんじゃない?」
だから素直にそう言って、おまけに巧巳のケーキも目の前にあるしね、って付け加えてあげると、なぜか巧巳は無言になって紅茶を吸った。褒めたのが恥ずかしかったんだろうか。
「それよりもさ、巧巳はお腹空いてない? お昼ご飯食べたのかなって」
「いや、一応、焼成の待ち時間とかで、おにぎり食べたよ」
「うわー、それ悲惨」
僕がいうと、巧巳はしかたねぇよとため息をついた。
でも自業自得だもんね。忙しくなることわかってて僕のメイド服姿を見るためだけに喫茶店をやろうといった巧巳が悪い。
「まーでも、メイド長様の姿も見れたし、俺的には満足だ」
うんうん、となにやら肯いて、巧巳は紅茶を飲んだ。
「変じゃ……なかったかな?」
そんな事を言われると、急に恥ずかしくなってくる。
メイド長モードの時は、きりりとした感じを維持するのでいっぱいいっぱいで、それほど周囲の反応って気にならなかったんだけど、今になってみるとすごい気になるのだ。
「……可愛かった」
本当はその後に、ダメになりそうなくらい、と付けたかったのだろうけど、巧巳は一言だけぽつりとだけ言って、言葉を切った。
「って、それ、褒め言葉なの!?」
ちょっとその言葉は嬉しくて胸の奥の方がぽかぽかしてるんだけど、僕は内心とは裏腹に男としてまっとうな言葉を返した。だって、これで、ありがと、なんていったら変じゃない、あきらかに。
「あたりまえだろ」
「じゃ、ありがとって言っておくね」
だから。可愛いっていうのは別にどうでもいいんだぞーって言うのを出さざるを得なかった。
巧巳は、なんだとーと抗議したものの、やれやれと言いながら、紅茶を飲み干していた。
僕の方も早々にポットの紅茶も含めて飲み終えている。
「そろそろ、いくか?」
巧巳がそう言うので、僕も無言で肯いて席を立った。時間はまだもうちょっとあったけど、せっかくだから他の所に回るほうに時間を費やしたかった。
「では、みなさん、あと一時間ちょっと、頑張って下さいね」
働いているメイドさん達に一声をかけると、わかっていますよ、と元気の良い声が聞こえてきた。
僕はその声を満足そうに聞きながら、カスったなーから『おでかけ』した。
あまったるーい!
ケーキもお話もあまったるーい。
なんか、こうむず痒いと言いますかー。
ああこれで1日目終了です。




