050.喫茶店ってお茶がメインだよね?
さて、メイド長はお仕事をしなければ。
けれど帰れないのがこの世の定め。
とりあえず試着が終わった僕らは、当日の仕事内容を把握するために調理室に向かった。
当日の仕事といっても、どうせオーダーを取ったり紅茶とケーキの切り分けや盛りつけといった簡単なやつなので、ぶつけ本番でもいけるんじゃないかという意見も出たのだけど、もともと家事をろくにやらないような子達がやるメイドなので、一度はちゃんとチェックしようという形になったのである。
はっきりいってカスターニャのケーキの名前だけでお客さんはくるだろうし、ぶつけ本番なんて怖いことは絶対できないもんね。僕はともかくみんなはてんぱるに決まっている。
そんなわけで。
顔を洗ってさっぱりした姿で僕たちは調理室の前に立っていた。すでにみんな元の学生服姿だ。
メイクを落とすなんていうのは当然みんな初めてなわけで。
みんな恐る恐るメイク落としシートを手にとって、すでにさっさと使っている伊藤くんの真似をしながら、メイクを落としていった。
僕も普段はクレンジングオイル派だから、やっぱり伊藤くんの真似をしながらメイクを落としていく。頬の上を軽く這わせると、肌色の粉がシートにべっとりとくっついた。
その後は順番で男子トイレの洗面所を使ってしっかりと洗顔だ。シートでお化粧が落ちると言っても、やっぱりちゃんと顔を洗わないと気持ち悪いからね。
そして。
僕だけはお腹が痛いふりをして、個室の中でスキンケアと日焼け止めを塗った。まだお日様は出ているし、サボるわけにはいかない。
それらを終えて洗面所にいくと……まだ何人かがメイクを落としていたわけなんだけれど……男子トイレでメイクを落とす男子生徒の集団というのは、ある意味かなりのインパクトだった。
それから数分して……みんながすっぴんに戻ってから。
調理室に向かうと、ほんわりと甘い香りが僕達を迎えてくれる。
「もしかして、丁度良いところにきた感じ?」
鼻をひくひくさせながら尋ねると、カマを見ていた巧巳が顔を上げた。
そして、一瞬。ほんの一瞬だけ僕をみて、がくっと肩を落とす。
「いま三つほど焼き上がったところだ。残りを焼き上げる間に飾り付けとかして、三十分もすれば五つ完成ってとこだな」
それでも目の前でやりかけになっているデコレーション用のホイップに手を伸ばしながら、巧巳は僕の質問に答えてくれた。
「そんなことより、おまえらもう着替えちまったのか?」
ホイップが完成したところで改めて僕の方を見ると、巧巳ははぁ……とあらためて深いため息を漏らした。
確かに巧巳が脳みそとろけそうになるくらい僕のメイド姿を見たがってるのはわかっているけれどさ。そこまでがっかりしなくてもいいと思う。
「衣装は本番のお楽しみだ。今から汚しちゃしかたないしな」
「灯南ちゃんのメイド姿みれなくて、残念だねー」
伊藤くんがまじめに答えるわきで、秋田くんが女の子テンションのままはやしたてた。
まったくもう、秋田くんまでそんなこと言わないでもいいのに。
「まぁあれだ。お前らお茶の練習だろ? だったらケーキがじきに完成するから、一緒にみんなで試食ってのはどうだ? 紅茶つきで」
巧巳は軽く咳払いをしてから、そんな事をいった。
その提案にメイド長の僕は思いきり笑顔でうなずいた。
だって巧巳のケーキが食べられるんだもん。もうそれだけでサイコーだ。
僕はるんるん気分のまま、ティーセットの方に向かった。
これはクラスメイトが安めに借り出してくれたもので、潰れちゃった紅茶屋さんから買い取られた品なんだって。全部でだいたい五十セットそろってて、潰れちゃった喫茶店ってどれくらいの広さがあったんだろうなんて思ってしまう。それとも絵柄が五種類に分かれてるから別のお店からそれぞれ回収された品なのかもしれない。なかなかきれいなティーセットで、見るだけで頬のあたりが緩んでるのがわかる。
いままでなるべく仕事しないでみんなに任せて来たけど、ちゃんといい仕事してるじゃん。
あとは、茶葉の状態を確認して……
「って、お茶っ葉ないじゃない」
なんだかすごい頭痛がしてきた。ティーセットの一式は準備されていたけれど、肝心なお茶の事は何一つ考えられていなかったって訳だ。
そりゃ気配りを全然してなかった僕もいけなかったのかもしれないけど……だれも茶葉を気にしないっていうのはありえない。
お金が絡むことだから、会計さんあたりがそろえておいてくれるのかと思ったのに……
「あれ? お前が管理してたんじゃないの?」
伊藤くんはしれっとそんなことを言ってのけた。確かに僕は長だけれど、そんなのただのおかざりだ。
「購入物なんかは、全部、経理係の役目じゃないの?」
「って、俺、ケーキの材料の購入から搬入まで全部やってるぞ?」
「それは巧巳がプロだから、でしょ。僕は別にメイド長好きでやってるわけじゃないんだよ」
巧巳と和解はしたけれど、まだ全面的にメイド長を引き受けているわけじゃないことをアピールしたくって、僕はぷぃっとそっぽを向いた。
「まぁ、どっちみち考えるっきゃないしょ。今更誰の責任っていってても仕方ないんだし」
むしろ今判明してよかった、という伊藤くんの意見は的を射ていた。
でも今の段階になっても、やっぱり僕は口を挟まないで放任だ。ここでへたに口を挟んじゃうと、どんな失敗をするかわからない。そう。デキすぎる、という失敗をね。
でも……
「テキトーでいいんじゃないか?」
「うちは、リプトンだよ。50パックいり」
「紅茶なんて滅多に飲まないしなぁ……」
「お茶なんて、いれればいいだけだろう? 色がつけば紅茶だべ?」
「だよなぁ。砂糖とミルクいれて飲めば、大して変わらないよな」
……ひとつひとつの言葉が耳に入るたびに、だんだん身体の奥の方が冷たくなっていくのを感じた。
まった。みんな……なんでそんなに紅茶を……
まずい。これはまずいよ。おまけに巧巳の後ろからは香ばしいケーキの甘い香りがしてくるんだもん。
動け。動け。でも、動いちゃだめだ。
頭の中を葛藤が駆けめぐった。
別に紅茶なんて……そう思いこもうとして、瑠璃さんが入れてくれた紅茶の香りがふわりと鼻先に蘇った。テキトーにやって紅茶の真の力は出しきれない。
「そんなことはありませんよ、ケーキと紅茶は相性がすべて。それぞれの紅茶には個性というものがあります」
なるべく口出ししないようにしないようにと思っていたんだけれど、いい加減もう限界だった。僕はメイド長のきりりとした口調に切り替えて、宣言した。今まで適当な事を喋っていたみんなは、一瞬シンと静まりかえる。
「巧巳さん、ちょっとよろしいですか?」
つんけんしたまま巧巳に話しかけると、なぜか巧巳は、うっとなって一歩身体を引いた。
普段は呼び捨てだけど、メイド長様としては、きっとさん付けが一番適当だろう。
「当日お出しするケーキの内容を教えて下さい。もしくは少し試食しても構わなければ、いただきますが」
「あ、ああ。当日出すケーキは五種類だ、いま焼き上がってるのが三つ」
試食してもよろしい? と尋ねると、巧巳は恐る恐る、ケーキの切れ端を僕に渡してくれた。
うんうん。いつも通りに巧巳のケーキは美味しい。頬がふにゃんとしそうになるのをなんとか、きりりと戻しながらこくりと頷いた。
「なるほど理解しました。それでは何種類か見本を買ってきますので、みなさん試してみて下さい。あとケーキの切り方なんかは、調理班がやってくれるということでよろしいですか?」
巧巳に尋ねると、やっぱりちょっとびくつきながら、ああ、と答えてくれた。
となると、メイドは切り分けられたものをとればいいということになる。それの指導は帰ってきた後かな。力を入れすぎるとつぶれてしまうし。
「とりあえず、帰ってくるまではティーセットを十くらいだして水洗いしていてください。あと、お湯は沸かさないでいいですから」
てきぱきと指示を出すと、みんなは少し困惑しながらも動き始めてくれた。
「これで納得してもらえたら当日用の茶葉の買い出しに参ります」
ついで断言すると、調理実習の見学にきていた金銭管理の子は、勢いに押されてうんと肯いた。
茶葉は比較的安くはないけれど、ちゃんと売り切ればきっちり利益は取れる。ケーキ2ピースに対してだいたい一ポット分の茶葉があればいいだろう。
巧巳のケーキに合うのは、セイロンとダージリンとアッサムティーだろうか。銘柄はお店に行ってから考えよう。前から入ろうと思っていた紅茶専門店は、実は学校からそれほど離れていない所にあったりするのだ。
「それでは、みなさまはケーキづくりのほうの見学でもなさっていて下さい」
僕はそういうと、あっけにとられている群衆を残して優雅な所作で調理室を出た。
お仕事としてやっているとつい、口を出してしまいたくなるもの。
これが職業病というやつでしょうか。
さて、次話は近くのCHABA専門店に行きますよ!




