047.たまには同僚とお出かけを2
「おまちどー」
渚凪さんと愛水さんが到着したのは、それからすぐあとのことだった。
二人とも同じ電車で来たらしく、なにか話しながら歩いてくる。こうやって遠目で見ると、やっぱり二人ともすごい美少女だ。
「やーん、音泉ちゃん珍しく、かわいーかっこーしてるー」
ちょっと離れたところでボクを発見した二人は、小走りで寄ってくるときゃーきゃー言いながらボクに抱きついた。ちょっ、そんなに近づかれると胸が……
まったくいくら女子同士のスキンシップといったって、これはちょっとオーバーすぎだ。
こういうとき、ボクはどういう顔をしていいのかよくわからなくなる。
「いっつもジーパンとかなんだもん。普段から今みたいにしてたらおねぃさんはヨダレをタラしてしまうのにー」
スカートサイコーと、かなりカジュアルな格好の愛水さんがボクの肩にすりよった。
まったく、そんなにサイコーなら自分ではけばいいのに。
「それなら愛水ちゃんも今度、スカートはかないとね」
そう思っていたら、渚凪さんが上品な笑顔を浮かべながらくすりと笑った。
愛水さんは少しだけ、うぅとバツの悪そうな顔をすると、それでもすぐにボクの全身を愛でて頬をゆるめた。
「人間、似合う似合わないというものがあるものでございますよ、おねぃさん」
「そうかなぁ。愛水ちゃんもスカート姿けっこう似合うのに」
「そ、そそ、それはその……」
うぅーと愛水さんは顔を伏せる。ホント、女の子っぽくするの苦手なんだね。
「でも、ボーイッシュなのも可愛いと思いますよ。愛水さんっぽいし」
「やーん。音泉ちゃんありがとー。そう言ってくれるのは君だけだ!」
すりすり。
近寄るとふわりと、愛水さんの香りが鼻孔をかすめた。
私服姿でもやっぱりいつものクセなのか、お店用の香水を付けているみたい。
まぁ、ボクもつけちゃってるんだけどさ。
「とりあえず、お店いこっか」
はいはい、と渚凪さんに肩を押されて、ボク達は歩き出した。
しばらく歩いて見えてきたのは、鉄板焼き屋『ぽてちゅ』だった。
黒い看板に、白い丸文字で、ぽてちゅ、と書かれているのは妙にミスマッチなんだけれど、鉄板焼き屋のかたいイメージを払拭するためには一役かっているようにも思える。
「いらっしゃい」
中にはいると、すばらしく香ばしいソースの香り。
鼻をひくひくさせると、もうそれだけでお腹が空いてくるから不思議。
「カウンターでいいよね?」
「もう食べられるならどこでも」
匂いだけで満足しているボクはこくこくと頷いて席に座った。すかさず店員さんがおしぼりを出してくれる。
席の順番は、ボクがなぜか真ん中で、左側に渚凪さん右側に愛水さんだ。
渚凪さんは慣れた手つきでメニューをボク達に配って、まず飲み物を決めるように指示をした。
「とりあえず……音泉ちゃんの恋路に乾杯」
「なんですかそれー」
飲み物が行き渡ったところで、渚凪さんがにやにやしながら乾杯の音頭をとった。
ボクはぷぅーと軽く膨れてみせると、しかたなくグラスをかちりと合わせた。
恋路もなにもボクも僕も恋なんてしてないよ。今はそんなものよりも借金の方が問題だもの。
「まーいわゆる一つの、音泉ちゃんの恋路を肴に話をもりあげましょーって魂胆なわけよ」
「恋路っていったって……」
うーん、と複雑そうな声を漏らす。
そりゃ、巧巳と良い雰囲気だったりしたことはある。
この前だって助けてもらったし、唇だって……成り行き上だけど奪われたよ。
でも、恋人のふりをしてもらってるだけで、付き合ってるわけではない。
「あんまり戸惑ってると、横からかっさらわれちゃうよ。なにげに巧巳くんはカッコイイしスマートだし、おまけにケーキの腕もぴかいち。性格こそちょっと押しが弱いけど、あんな優良物件滅多にないんだから」
けれどそんなことを言われたって、ボクは巧巳の事を別にどうと思ってるわけじゃない。
そりゃ仕事をしてるときの巧巳はすごいカッコイイ。それは認めるしフォルトゥーナに来るときの巧巳も、音泉に接するときの巧巳も普段学校で見せる姿とは違って、きりっとしてて優しくて、いいなって思うけど。
「そうよ。十代の恋路なんていうのは、もう早い者勝ちみたいなものなんだから。惹かれ合う二人はめくるめく……」
渚凪さんまでオヤジくさい視線をボクにむけて、ふっふっふと笑い声を上げる。
「あのですね、巧巳さんとはあくまでもお友達なんです。別にほんとに付き合ってるとか、そんなんじゃなくって」
「しらじらしいこと言わなくていいってば」
「どーみたって二人はできてるんだから」
ねー。
二人でそんなことを言い合って、相づちを打ち合っているのを見ていると、くらくらしてしまった。
そんなにボクは巧巳と仲がいいように見えてしまっているんだろうか。
巧巳は友達だ。大切な親友。それ以上でもそれ以下でもない。
それに。必要以上に仲良くならないようにボクだってセーブしてるつもりだよ。男同士と男と女だと全然接し方だって違う。好意が無い訳じゃないけど、これでもずいぶん気を使っているんだ。それなのに付き合ってるだの良い雰囲気だの言われたらちょっとたまらない。
「それよりも二人はどうなんです? その……恋愛事情みたいなのは」
「さっぱり無し……。時々お店関連で声を掛けられるけど、どうもそんな気になる相手はいないのよね……」
お客さんはお客さんだし、と渚凪さんはふぅと息を漏らす。
やっぱり、メイドの顔と普段の顔は違うのだと二人は何度もうなずいた。
「お客さん達は、優しくてほとんど絶対服従な相手をうちらに望んでるんだもんね。それが私生活にまで、それも無償でって妄想されたらたまんないよ」
愛水さんも嘆息して、からんとコップの氷を踊らせる。
「音泉ちゃんだってきっと、そういう風に思われてるんじゃないかな。掛け値なしに優しいし可愛いし。もうあんな笑顔なら毎日だって見てたいよ」
「ボクのお嫁さんになってくれないかい、かわいいお嬢さん」
愛水さんがあいた方の手を差し出しながら、わざとハスキーな声で語りかけてくる。
すっと差し出された手はほっそりしていて、むしろそちらのほうが十分お嬢様である。
「もう、何いってるんですか」
「はいよっ。野菜炒め完成。お嬢様」
じゅうじゅういう鉄板の向こうから店主の声が響いた。
こちらの話を聞いていたんだろうか、最後についたお嬢様の言葉にボク達さんにんはぷっと笑いを漏らす。
「じゃー、いただきましょー」
「鉄板焼きなんて、滅多にこれないからうれしー」
とりあえず話を中断して、ボクたちは出された野菜炒めに箸を付け始めた。
キャベツはつやつやに輝いていて、甘い香ばしい匂いがお腹を刺激する。
たしかに女の子同士で来るには少しハードルが高いかもしれない。でも。
もくもく。んくんく。こくん。
うん。美味しい。
「そんなに気に入って貰えると、嬉しいねぇ」
「じゃー、次は海鮮三点もりで!」
「はいよー」
じゅう。香ばしい音が鳴ると、一気に湯気が鉄板の上を覆った。
ホタテと海老とイカ。三種類の海の幸が鉄板の上を踊る。
「おまち。熱いから気を付けて食べてくれな」
にこにこしながら、店主のおっちゃんはご飯を出してくれる。
さっきの野菜炒めも香ばしい香りがしたけど、こっちもずいぶんいい潮の香りがする。
やっぱり、鉄板焼きって鼻で食べるものだと思う。
「いただきます」
ちょこっとだけ焦げたイカの足をお箸でつまむと、口に運んだ。
コリコリ。ちょうどいい歯ごたえで本当に美味しい。
焼き加減が絶妙なのと、やっぱりおっきい鉄板を使ってるからなのかな。なかなか家じゃこの味は出せない。
「はふはふっ」
「あふいけど……おいひい」
もくもくと三点もりを食べていると、ふと注がれている視線に気づいてボクは顔を上げた。
「あ、いや……その」
すると、店長のおっちゃんとばっちりしっかりと目があって、おっちゃんはしどろもどろに頭に手をやった。
「どうかしました?」
あまりに気の毒になるくらいおっちゃんがあわてふためいているので、ボクはにこりといつもの笑顔を向けてみる。お客さんのことをじっと見ていたくらいでそんなにおろおろしなくてもいいのにね。
「いや……その。お嬢さんがた、同じ学校の友達なのかなぁって思って」
「ああ……」
ははは、と笑いながらおっちゃんは首筋のあたりをぽりぽりとかいた。
なるほど。確かにボク達ってどういう集まりなのかいまいちよくわからないかもしれないよね。ボクは見ての通り小さいし渚凪さんは大人っぽいから。どうみたって同じクラスのお友達という感じには見えないし、へたすると同じ学校の子にも思えないかも知れない。
「アルバイト先の同僚なんです」
「なるほどねぇ。やっぱり最近の若い子はアルバイトとかするもんなのかぁ」
じゅう。おっちゃんは鉄板にお好み焼きの生地を流し込みながら、言った。
少しだけ、言葉に力がないようで、はぁと軽く吐息が漏れる。
「やっぱり、欲しいものがあったりとかかい?」
「欲しいもの……というか、私の場合は仕事が好きだから……ですね」
渚凪さんがさらりと、優雅な指使いでウーロン茶を飲みながら言った。
愛水さんもそれに便乗するように、私も私もーと声をあげる。
「ボクは……純粋にお金のためですけど……」
うーんとちょっとはずかしそうにボクは本当のコトを告げる。
「っていっても、音泉ちゃんの場合、家計のため、でしょ?」
事情を少しだけ知っている愛水さんが、少しだけ困った顔をして、ボクのおでこを軽くこつんと指先でつついた。
まぁたしかにその通りなんだけど……なんか人の口からそう言われると、すごいことをやっているように聞こえるから不思議だ。
「へぇ。そりゃまたすごいねぇ」
そうか。そういう子もいるもんなんだなぁ、とおじさんは感心したようにつぶやいた。
でも、そんな驚嘆もすぐに収まって。
「実を言えば、うちの娘もアルバイトやっててな……その……」
おじさんは疲れたようにそういうとはぁと息を漏らした。
「俺は、子供は学業だけしっかりやってればいいと思ってるんだよなぁ」
具でいっぱいになったお好み焼きを丁寧にひっくりかえしながら、おっちゃんは申し訳なさそうにこちらに視線を送った。
「娘さんがアルバイトを始めたのは、なにか目的があったんですか?」
「それがその……楽しそうだからって」
おっちゃんはしょんぼりと背中を丸めてつぶやいた。
今時みんなやっているし、お金だって手に入るんだからやらなきゃそんだと、娘さんに言われてしまったらしい。おまけに反対するようなら家を出て行くとまで言われたんだそうだ。
「でもアルバイトっていっても、いろいろな経験ができたりとか学校じゃできないこととかいっぱいできたりできますよ。なにより丁寧に話せるようになったりしますし」
あまりにおっちゃんがアルバイトに否定的なので、ボクはやんわりとメリットを語ってあげた。
ほんと。こうやって生活するようになって、話し口調ががらっと変わっちゃったんだよね。もちろん普段はそんな風には話さないけど、やろうと思えば丁寧な言葉遣いが自然とでてくるようになったんだからすごいと思う。
こういうのって経験がものをいうから、若いうちにやっておいたほうがいいような気がするんだ。
「それがいかがわしいと一目でわかるところでもかい?」
けれど、おっちゃんはかぱりとお好み焼きに蓋をして、むずかしく顔を歪めた。
いかがわしいところって……いったいどんなところで仕事をしているんだろう。
「それって……具体的にどういうお店か聞いてもいいですか?」
渚凪さんがおそるおそるといった調子で尋ねてくれた。
ボクはいかがわしいって言葉だけで絶句してしまっていたからだ。
「実は……メイド喫茶っていうの? 黒と白の衣装を着て給仕をする仕事なんだよ。あれがいかがわしくなくてなんだっていうんだ……」
カラン。ボクのウーロン茶の氷がかるくはぜる。
……そうだよね。普通の人のイメージからすればメイド喫茶はきわどいお店だ。
露出の激しいおねーちゃんが、おかえりなさいませっ、ご主人様っ、とかあまーい声でご奉仕してくれるのだ。それがいかがわしくないかといえば……難しいラインだと思う。
でも。
「……なら、一度娘さんが働いているお店に行ってみてはどうですか?」
ボクが言葉を作れないでいるわきで、渚凪さんが少しだけ不満そうな口調で言った。
メイド喫茶で働いている身としては、ご立腹というところなのだろう。
ボク達が提供しているのは、健全な癒し空間。
ゆったりと男性も女性もくつろげる、そんな空間なのだ。
メイド喫茶というだけで勝手にイメージを膨らませて、それを即いかがわしいといいきっちゃうなんて酷すぎる。そういうお店は他にもいっぱいあるし、なにもそんなにいかがわしいところばかりじゃない。
一回、ちゃんとその目で見て、判断しないとだめだ。
「でも……俺みたいな親父が行っていいところじゃないだろう? ああいうところは……」
「ぜんっぜん平気だと思いますよ。それにオタクばっかりがいるところだったとしても、娘さんのことが気になるなら、行けばいいだけのことってね」
愛水さんが気楽な口調で、ぱくりと海老を口に放り込みながら言った。
「それにおじさんが考えているほど怖いところじゃないですよ。若い子もお年を召された方も、男性も、女性だってけっこういらっしゃるんですから」
そんな仕草を見ながらボクも、にこりと笑って安心させようと試みる。
フォルトゥーナで培った技の一つだ。心を込めて微笑めば、それはだいたいみんなに届く。
「そ、そういうものなのかな……なら、今度行ってみるとするか」
かぱり。蓋をとったお好み焼きから強烈な湯気が一気に宙にちらばった。
一瞬目の前に真っ白な壁が出来上がったようだった。
「なんか悪いね、こんな話きかせちまって」
お好み焼きを切り分けながら、おやっさんは少しばつが悪そうな、それでいてなにかふっきれたような顔をこちらに向けた。
「俺からのサービスだ。じゃんじゃん、食べてってくれよ」
そして。
ボク達の前には、銀紙の上に乗せられたキノコづくしが姿を現した。
ひくひくひく。軽く鼻を動かすだけでかぐわしいキノコの香りが身体に入ってくる。
「いいんですかー? じゃあ、ありがたくいただいちゃいます」
ボクはにこりと必要以上に明るく笑ってみせながら、おおきなシメジの塊を口に放り込んだ。
まずは娘さんを知るところから。その覚悟が出来たんだったらきっと先に進める。
ジューシーなキノコの味を口いっぱいに味わいながら、ボクはおやっさんと娘さんが上手くいってくれることを願った。




