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044.痴話げんかではありません。

「なぁ、となー」

「……なに?」

 教室の一角で、巧巳が情けなさそうな声をあげていた。

 あれから三日。僕が巧巳を徹底的に無視しているせいだ。

 朝だって挨拶はしないし、終始むすっとした態度を取っている。


 もちろん僕だって覚悟は決めた。クラスの総意で決まったことに僕がぶつくさ文句を言うべきではないと思うし、こうやって人から必要とされるのも悪い気はしない。

 あとはどれだけ秘密が漏れるのを防げるかを考えれば済むだけの話だもん。

 でもね、それの元凶になった巧巳には、ちゃんとした意思表示が必要だと思ったんだ。


「おまえ……まだ根にもってるのかよ……」

 巧巳の不満げな声が僕の背後にかかった。

 けれど僕は不満げに頬杖をつくと、数学の教科書を開いてみせた。

 巧巳にはちゃんと反省して貰いたい。そうじゃないとまた巧巳は僕にメイド服を着せたがるにきまっているのだ。

 今回は仕方がないけど、次回はない。そういうスタンスをとっておかないと泥沼にはまる可能性だってある。


「いいかげんにしろよ……たかがメイドくらいで……」

 ぴくり。巧巳の一言に僕の眉毛が不満そうに動いた。

「たかが? ふざけないでよ。僕にとってはメイド服を着るのは冒険なの。そんなにメイド服が好きなら、フォルトゥーナで思う存分ご奉仕してもらえばいいじゃないか」

 巧巳にとってはたかがでも、僕にとっては違う。

 それにメイド服が見たいなら、僕が言うとおりにお店に行けばいいのだ。

 僕なんかよりも可愛いメイドさんはいっぱいいるし、おまけに音泉だって働いている。その姿を毎日見ている癖になんでわざわざいまさら僕のメイド姿を見たいのかがわからない。


「それは……」

 彼は口ごもった。

 軽くちらりと視線をそちらにやると、本当に困ったように彼は頭に手をあてているようだった。

 まったく。後ろ暗いところでもあるんだろうか。

 そんなに言い淀まれてしまうと、どんどん不安感が膨らんでくる。


「それは、俺だってだな……」

「じゃあ、やめればいいじゃない。お化け屋敷とか射的屋とか他にもいろいろあるでしょ」

 巧巳があからさまに答えをすり替えたのに気づいて、僕はさらに暗い声をあげながら、巧巳の方に顔を向けた。

 そう。巧巳が身を削るのはしょせん自業自得なのだ。

 みんなだって負担になるのが目に見えてわかっているから、わざわざ案としては最初から却下していた部分があるんだから。それを自分から言い出したんだから、俺も苦労するんだから、お前もメイドをやれ、という論法は成り立たない。


「それに巧巳は自分はすごい苦労してるぞーみたいなこと言ってるけど、学園祭の20日はフォルトゥーナもお休みでしょ? だったらまだマシじゃない」

 きつめにそう言ってやると、巧巳はもう本当に困った顔をして、僕から視線をそらした。臨時休業のお知らせはすでに出ているので僕が知っていてもいい情報だ。

 巧巳が視線をそらしたのは、僕の言が正しい事をよーくわかっているからなんだろうね。

 フォルトゥーナの仕事がなければ、巧巳だって仕事がかなり減るはず。お店を休みにしなきゃいけないのは確かに大変かもしれないけど、この前巧巳が言っていたのはさすがに誇大広告だ。


「俺はただ……さ」

 巧巳が、視線をそらしたまま、ぽつりとつぶやいた。

「ただ?」

「そういう思い出作りもいいなって思っただけなんだよ」

「ふぅん。巧巳の思い出作りには僕の女装が必要不可欠なんだ」

 僕は、心底嫌そうに間延びした声を漏らして、あーあと脱力してみせる。


「どーせね、巧巳は僕の女装姿みて笑うつもりなんだ」

「そんなことっ!」

 あるわけがないだろう、と背後からもごもごした声が聞こえた。

 でも僕はもう、巧巳の言葉には耳はかさずに、数学の教科書を開き始めた。

 巧巳は僕に女装させたがっている。

 きっと、それはメイドが見たいとかということよりも、女装の方なんだろう。

 思えば夏の浴衣の時だって、僕の事をちらちら見ていたような気がするし。

 口では変じゃないって言ってたけど、実際どう思っていたかなんてわからない。


「ちょっと、トナ。おいっ!」

「しらない」

 思い出していると、だんだんムカムカしてきて、僕は思いきりノートを開いて、鉛筆を走らせ始めた。

 カリカリカリ。いつもよりも雑に書かれていく数式は、頭の中にはなかなか入ってはくれない。

 その音がしばらく鳴って……ようやく巧巳はこちらに話しかけるのを諦めたようだった。





「ってわけなんだよ……」

 あーあ、と目の前の巧巳は参ったように、肩を落とした。

 フォルトゥーナの一角、すみっこの席で、巧巳は出された紅茶に手もつけないで、本当にがっくりと肩を落としていた。表情も暗くて、本当にどうしていいのかわからないっていう感じだ。

 それを見てボクは困ったような視線を巧巳に向けた。


 今のボクは音泉だ。メイド服を着込んで巧巳の前に座っている。

 試験前といっても、やっぱりローテーションは崩せないからね。やっぱりいつもみたいに急いで帰ってきて、お店の準備を始めてたってわけで。

 そしたら、どんよりした雰囲気を纏わせて巧巳がケーキの追加分を持ってきたのだった。

「つまり、学校でメイド喫茶やるのを友達が嫌がってると……」

 ふむ……ボクはわざと考え込むような物言いをする。

 ちらりと時計をみたら、開店まではあと三十分。

 本当は巧巳と喋ってる余裕なんてまったくないんだけれど、ボクをここに座らせた張本人の渚凪さんは、こちらをにこにこ見つめながらテーブルを拭いていた。


 確かにボクもここまで巧巳が落ち込むとは思っていなかったので心配だった。僕と喧嘩しただけでこんなにしょんぼりするとは、想像もしていなかったのだ。ちゃんと反省しなさいってくらいのことだった。

 だって、ついこの前に音泉と喧嘩した時は、そんなに落ち込んでいなかったじゃない。灯南との喧嘩の方がダメージ少ないはずなのになぜかものすごく落ち込んでいる。


「でも巧巳さんも、酷いことなさるんですね」

 でも。巧巳に同情はしてやらない。ボクはちょっとだけ灯南の肩を持って軽く顔をしかめてみせた。

 前に喧嘩した時はボクが折れて、こっちから謝ってそれでもメイドを続けなきゃいけないって説明した。でも灯南と巧巳の喧嘩はこっちが折れる気はまったくなかった。

 メイドをやめるとかやめないとかそういう次元の問題ではないのだ、あれは。

 こういうのは卑怯だってわかってるけど、でもやっぱり巧巳にはいろいろ反省してもらわなきゃいけない。


「え?」

「男性にメイド服を着ろっていったら、だいたい嫌がるんじゃありませんか?」

「いや、でも、まじで可愛いんだって。仕事帰りとかに、おかえりなさいませ、ご主人様とか言って出迎えてくれたら俺はもうダメだ。ダメになりそうだ」

 すでにもうダメになってしまっている巧巳を見ながら、はぁ、と内心でため息をついた。いちおーそのメイド服を着た僕ってのがここにいる音泉なんだけど、彼はぜんぜんそれに気がついていない。


「出迎えっていっても巧巳さん、自宅でカスターニャやってるんじゃありませんでしたっけ?」

 その事はとりあえず心の奥底にしまって、音泉としてボクは巧巳に聞く。

「それは言葉の綾ってやつ。でも、うん。本当にあいつ……家庭的っていうかさ。炊事洗濯掃除ってなんでもできるし、この前の夏なんて家に遊びに行ったら部屋とか超片づいてて凄かった」

「へ、へぇ、珍しいですね……」

 最近の一般的高校生と違う理由は、単に父子家庭だからなんだけど、それを音泉は知らないから素直に驚いて見せた。

 けれどそんなボクの様子も巧巳の目にはあまり映っていないようで。

 彼は紅茶を少しだけ口に入れてから、ぽーと遠くを見つめていた。


「もー俺にはわからないんだよ。なんであいつがあんなに嫌がるのかって。だってたかが女装だろ? 江戸時代じゃあるまいし、あんなの学園祭のお遊びじゃん」

 心底わかんねーって感じで、巧巳は頭を抱えた。

 そりゃ普通の男の子なら、ただのお遊びで済んじゃうかもしれないんだけどさ。

「なにか、理由があったんじゃないですか?」

「どんな?」

 どんな、と聞かれてちょっと答えに困った。男の子が女装を断る理由。あれやこれや考えてみる。

「例えば……そうですね。なにかしらのトラウマがあった、とかは?」

「トラウマ……ねぇ。小さい頃に、無理矢理女装させられて……って?」

「そうそう。それで嫌な目に遭ったとか……」

 実際そんなことあるはずもないんなんだけど、とりあえずそうだそうだとボクは彼の推論にうなずいた。

 あの親父がボクにそんな無体な真似するわけないもんね。中学の頃にさんざん女顔だとかいじめられたけど、そっちはあんまりトラウマって感じじゃないもん。

 そりゃ、情けないとか、切ないとかいろいろ思うところはあるけど、生活の為ならそういうのだって我慢できる。


「だったら、俺……とんでもないことしたか……」

 そうそう。巧巳くん。君はとんでもないことをしてしまったのだよ。

 なんて言ってやりたかったけど、今は音泉なんで、そんなことは言えない。

「だったら、なにかしらお詫びしないと、ですね」

 すっかりしょげかえっている巧巳を見ていると、気の毒になってボクは音泉としてアドバイスをする。


「お詫び……か。わかった、そうしてみる」

 よしよし、と一人でなにやら納得してうなずくと、巧巳の表情から少しだけ落ち込みが取れたようだった。お詫びの中身については教えてもらえなかったけど、きっと後になればわかるから、その時を楽しみにしておこう。

 元気になった巧巳を見ながら、ほっとしてボクは紅茶を口に含んだ。

 温かい紅茶が舌の上をおどると、鼻腔にすっとした香りが入り込んでくる。

 でも。


「ああ、そうだ。音泉ちゃんにも、その相手に会ってもらいたいんだけど、学園祭来てくれないかな」

「っげふっ」

 巧巳の一言に思わず噴き出しそうになって、でもなんとか寸ででそれを止めると、今度はそれが気管に入って、ボクは思い切りむせてしまった。


「っけふっ。うぅ……」

「だっ、だいじょうぶ?」

 ひぃ。巧巳ぃ……頼むから、突然そういうこと言わないでよ……

 もう、あまりの出来事でもうもう、首のあたりに激痛が奔って、うっすら涙まで出てきた。

「はっはい。だいじょ……ぶ。うん」

 まだ咳がでるけど、なんとか落ち着いてきた。むせるのってやっぱりかなりしんどい。ほんと。


「それで……なんでしたっけ?」

 まだ、涙目で、ボクは巧巳に聞いた。

「その……学園祭にもしよかったら……」

「確か、今度の二十日と二十一日ですよね?」

 巧巳はボクの質問に頷いた。当たり前だ。ボクだってその日が学園祭なのはよーくしってる。

「その日はボクもちょっと用事があって……」

 思わせぶりに手帳をぱらぱらめくってから、ボクは赤い二重丸と本番!と可愛らしく書かれた日付を確認してから、申し訳なさそうにいった。

 本番ってのは、もちろん学園祭の本番の事。

 手帳には、他にも出勤日のデータが全部ずらりと並んでいるんだけど、その日は両方とも印がいれられていない。


 実をいうと学園祭の話をオーナーに相談したら、じゃあその日はお休みにしちゃいましょ、と言われてしまったのだった。ボクだけが休みなのではなく、お店そのものが休みって意味ね。

 たぶん巧巳への配慮もあるんだろうけど、ちょっとびっくりしてしまった。

 今まであんまりこういう休暇って無かったからね。

「そっか……残念。でも、今度良かったら一回うちの学校に遊びに来ない? 紹介したいからさ」

「女装の似合う男の子を……ですか?」

 ボクの問いに巧巳はこくりとうなずいた。

 えと……あのー、絶対無理ですから……

「じゃあ、そうですね。機会があったらってことで」

 でもそれが巧巳に言えるはずもなく、ボクは曖昧に言葉を濁して、いつもと変わらない笑みを浮かべてみせた。


ちょっと罪悪感な音泉ちゃんですが、相手がしゃべってくるんだからしゃーないですよね。

しかし、痴話げんかは可愛いモノです。はい。

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