004.取り戻せた日常
真っ白な光が、地面をさんさんと照らしていた。
さんさん、っていうから太陽はサンなんだなぁなんて思いつつ、僕は学校への通学路を歩いていた。
空に浮かぶ緑の木の葉がふぁさふぁさ動くと、日の光もちらちらとまぶたを照らして少しだけまぶしい。
そんな日差しを受けていると、久しぶりに気持ちが軽くなっているのがよくわかった。
やっぱり、こうやっていつもみたいに黒の学生服を着ていると気分が楽。
あれから三回ほど、フォルトゥーナにおもむいて衣装あわせだったり、研修だったりをしてきたんだけど、いくらなんでもメイド服姿は気が気じゃなかった。
スカートのスースーする感じっていうのもあるけれど、服の着方一つとってみてもかなり男物とは違う。もちろん服だけじゃなくて、動作だって緊張の連続だった。
スカートをはいているってことは、座り方だってそうとう気を遣わなければいけないってことだ。仕事中はそれほど座る機会はないだろうけど、研修の今はお客さん役なんかもやっているから結構そういう場面にも出くわした。
そういう生活よりは、慣れ親しんでいるこういう姿の方が断然気楽でいい。
僕が通っている三葉高校は、最寄りの駅から徒歩二十分もかかるそこそこ遠い学校。
他のみんなはかなりの割合で駅から自転車通学なのだけれど、僕はその道のりをせこせこ歩いていた。
というのも、冬にあるマラソン大会の為に少しでも体力を付けるためだ。
うちの学校は私立の中でも珍しく、寒中マラソンとか称して十キロの道のりを走らされる酷い所だ。噂では三時間経っても帰ってこない人もいるんだとか。女子は半分の五キロ。周りの学校を見渡してもここまで過酷な所はそうそうない。
女子ってだけで距離が半分になるっていうのは、なんだかズルいなぁなんてこういうときは思ってしまう。
とはいってもやっぱり僕は男でしかないわけで。
ほとんど女子並みな体力しかなくたって、男子の距離を走るのはしかたないことだ。
そんなわけで。僕は数少ない徒歩組になった。今にしてみると、駐輪場代だってバカにならないしちょうどよかった。
「んーっ」
思い切り伸びをして息を吐き出すと、木漏れ日がちらちらと顔を照らした。
歩くのは結構好きだ。ゆったりと動いていく景色を眺めながら、軽く息を弾ませて歩くのが好き。十キロともなるとさすがに嫌だけれど。
今朝は、昨晩降った雨が葉っぱからこぼれ落ちてきらきら輝くのが見れたり、水たまりで遊ぶ小学生なんかの姿もちらほら見える。僕が通う学校のそばには公立の小学校があって、みんなはそこの児童だ。
そんな姿を見てると、自然と笑顔がこぼれてしまうから不思議だった。
学校でも、時々地域交流とかで小学校に遊びに行くときがあるけど、やっぱり子供はカワイイと思う。
「よぅ、トナー。おはよ」
そうして歩いていると、いつものように後ろから自転車のベルの音が鳴った。
振り向くと、そこにいたのはクラスメイトの池波巧巳だ。彼は今日も気さくに挨拶をすると、自転車を降りて僕の隣を歩き始めた。
本当なら彼はもっと遅く来てもいいはずなのに、ときどき僕と一緒に学校に行くために早く来ることがある。道は同じだからだいたい彼が追いつくといった感じだ。時々、といっても二日に一遍くらいがそうなのだから大したものだと思う。
彼が言うには、トナーは学校に行くの早すぎだ、とのことだけど、学校にぎりぎりに着くというのはどうにも性に合わなかった。なぜって? それじゃ満員電車にもみくちゃにされるから。
大きい人間にはわからないかもしれないけど、僕みたいなスモールサイズだとあの圧迫感はかなりきついのだ。それに同じクラスで、秋田っていう小柄な男の子がいるんだけど、彼はついぞ先日、痴漢にあったそうだ。うちの学校はご存じの通り、黒いガクランなので、ブレザーの学校みたいに、男女の区別が付かなかった、とかではなくて、どうにもかわいい男の子を狙った痴漢なのだとか。最近はそういう人もちらほら現れているらしい。
彼が痴漢されるのなら、僕だってされる可能性があるかもしれない。そういった事を考えると、やっぱりみんなより三十分は早く学校に着いてしまったとしてもこの時間で来るのがベストなのだ。
ちなみに、トナーというのは僕の愛称。どうにもプリンターのトナーから来ているらしく、彼が最初に会ったあの日に命名してくれた。あだ名なんてものをもらったことがなかったので、少し新鮮ですごく嬉しかったのを今でも覚えている。
「あれ? お前、顔……いつもより白くないか?」
「へ? ああ、気のせいだよ気のせいっ」
彼は歩き始めるとすぐに、僕の顔をのぞき込んできた。
いつもより顔が白く見えるのはたぶん、日焼け止めのクリームを塗っているからだろう。
僕は千絵里さんの言葉を忠実に守って、徹底的なスキンケアをやっていた。
それの効果が徐々に現れてきてるってわけ。
男で日焼け止めをするのはどうかっていう意見もあるけど、背に腹は代えられない。
フォルトゥーナでの僕のお給料というのは、労働に対するものだけじゃないのは目に見えてわかっている。
労働力にプラスして、僕、という商品価値を付加させた金額があれなんだ。
だから、自分の身体のケアをしっかりしなければ、商品価値が落ちてしまう。
「それよりもさっ、髪切ってみたんだけど、どう?」
そんな事も考えつつ、僕は前々から考えていたように、苦笑しながら一回転してみせる。
ここ数日この髪型なんだけど、どうにも巧巳は気付かないようで、まったく無視を決め込んでいる。茜さんに切って貰った髪は前までの髪型よりも僕にはフィットしていて、なんかすごい似合っていて可愛いんだけど、こいつはまったく指摘をしてこないんだ。
「お前、もう切ってから一週間も経ってんだろう?」
「あれ? 気付いてたんだ?」
今までずっと、巧巳は僕の事を見ていないんだって思っていたのに、どうやらその考えは間違いだったみたい。気付いたのなら、なにか一言でも言ってくれればいいのに。
「それで……どうだろ? 僕としては結構気に入ってるんだけど」
恐る恐る、上目づかいの視線でそう尋ねると、こちらを凝視している視線と鉢合わせになって僕は視線をそらした。目と目で見つめ合うのがどうも苦手なのだ。
けれど、巧巳の視線がこちらに注がれていることだけはわかって、ちょっとだけドキドキしてしまう。人から見られる、ということにあまり慣れていないせいだ。
「いいんじゃねぇの?」
でも、それもわずかなことで、巧巳はぷぃとそっぽを向くと、自転車を押し始めた。
まったく、なにをそんなに不機嫌そうにしているんだろう。
「さて、それはともかく、ちゃんと宿題やってきた?」
ギスギスした空気をなんとか宥めたくて、僕は軽い口調で巧巳のそばに寄った。
巧巳も、そんな様子の僕を邪険には思わなかったようで、話が始められる。
それからはいつもと同じ日常会話。何気ない授業の話や、学校の話。
いつもと変わらない日常。
そんな普段と変わらない生活をしていると、ふと思ってしまう。
僕が選んだことはたぶん、どう考えてもおかしい事なんだろう。
男がメイドなんて働く前から務まるのか不安だし、今思い出してみても無理なような気がしてきた。
そりゃ……ね。我ながら、メイド姿は可愛かった。
音泉としての僕は、まったく別人みたいな感じで。
髪が伸ばされただけで印象がガラリとかわって、そうとうな美人さんだ。ホントに女の子の褒め言葉で、お人形さんみたいな可愛さっていうのがあるけど、まさにそんな感じ。
これはうぬぼれでもなんでもなく、客観的に見てそうなのだ。それはフォルトゥーナの他の従業員を見ればよくわかる。数は少ないもののみんな美人ぞろいなのだ。その中に入っているのだから彼女達と同列ということでたぶんいいのだ。
でも、それが自分だって思うと、これがたちまち自信がなくなる。
客観的に見たら可愛いけれど、主観的になると、いきなりがくんと不安感が心に広がってしまうんだ。
だって、男なんだよ? あれよあれよという間に働くことになっちゃったけど、男がメイドをやれるのかどうかっていう不安がある。
けれどやらなければならない。
それを選んだからこそ今がある。こうやってちゃんと学校に通って、おまけに家計だって支えていられるんだ。
「実はまだやってない。後で見せてくれ」
巧巳は、いつもみたいに確信犯的に笑った。
こいつの笑顔をこうやって安心して見ていられるのは、ありがたいことだと思う。
「まったく、もしかしてわざと忘れてきてる?」
「まあまあ、今度新作ケーキをお前にだけ、食わせてやるから」
「もう新作つくるの?」
僕もケーキにつられて笑った。
ホントに今更言う必要もないけど、彼が持ってくるケーキは身体がとろけるくらいにおいしい。あれだけ美味しくて、まだまだ新しいのを出そうとするとは、ほんと巧巳は研究熱心だ。
「まっ、うちはまだ商品少ないしな。連日ほとんど徹夜だよ」
そう言いながら、彼はあくびをかみ殺した。
それでも、彼はこうやって朝早く来たのだ。まぁ、それが宿題を教えてもらうためなのは知っているけれど。
「偉いお子様だなぁ。親の手伝いとは」
「しかたねぇって。うちは親二人子二人で、おまけに兄貴は修行中だし」
「修行って、やっぱりケーキ屋さんなの?」
「いや、あいつは別だ」
巧巳は少し不機嫌そうに早口で言うと、言葉を切った。
お兄さんとあまり上手く行ってないんだろうか。
「うちは一人だからね。少し兄弟がいるのは、羨ましい」
「おまえんちに兄さんがいたら、大変な事になってたかもしれないな」
「大変って、どういうこと?」
彼の言葉に僕はわずかに小首をかしげた。
いまいち言っている意味がわからない。大変もなにも、むしろ一人っ子の方が大変な騒ぎだ。頼れる兄貴の一人もいれば、いまの困窮だってもうちょっとマシになってたかもしれないし、そもそももうちょっと親父に無茶をさせないくらいの諫言ができたかもしれない。
けれど彼はそれを、さあな、の一言ではぐらかした。
「それはそうと、今度この町にメイド喫茶が開店するらしいな」
「え……あ、うん。そうみたいだね」
そして話題は変わる。
彼が言うには、新聞の折り込み広告に入っていたというのだ。うちはもう新聞をとっていないからわからないけれど。
「来週オープンか……」
「池波くんも、そういうの、好きなの?」
「好き……っていうか、興味がある」
少しうっとりしながら言う巧巳を見ていて、僕はつっこみをいれた。
彼までもが、ああいう格好の女の子に惹かれているというのは少し驚きだ。
前に千絵里さんが言ってたけど、フォルトゥーナの対象年齢は二十代から三十代なんだそうだ。それに照らすと、彼の年齢は若いとしか言いようがない。それに巧巳は、そういった世界とは少し違う人だと思っていたのだ。
うん。正直ケーキにのめり込んでいて、女の子に興味ないんじゃないかとすら思ってた。女性客は欲しいけど一般的に男の人が女子と付き合いたいというような感覚はもってないのではと思っていたのである。
「だってメイドさんって言ったら、ひらひらのエプロンドレス着た人だろう? それが給仕してくれるなんて、なんかワクワクしねぇ?」
「って、配膳してくれるだけでしょ?」
「でも、ほら、注ぎサービスとかあるって書いてあったし、もしかしたら、食べさせてくれたり……」
「ないないないっ!」
うっとりしかけている巧巳の前で、僕は力一杯それを否定してみせた。
紅茶の注ぎサービスはあるけど、さすがに食べさせるサービスはない。千絵里さんいわく、客も子供じゃないんだから、メイドがそんな仕事するはずないじゃないの、だそうだ。
都内のメイド喫茶ならばそういうところもあるという話だけど、フォルトゥーナのサービスにそういうたぐいのものは含まれていない。
「なんでだよ~」
「そんなの、彼女にしてもらえばいいじゃない」
「それができれば、苦労はしねぇっての」
巧巳は情けない声を上げた。
確かにこいつはケーキを持ってきたりで女子に人気はあるけど、いまいち押しが弱くて良い人で終わってしまう。特定の彼女がいるっていう話も聞いたことはなかった。
「じゃあさ、ボクがやってあげよっか? あ~んって」
千絵里さんみたいに、身体をくねくねさせて、気持ち悪く笑ってみせる。
彼は嫌そうな顔をするかと思ってやったんだけれど、どうにもお気に召さなかったようで、ぷぃとそっぽを向いて一人先に進んでしまった。
カラカラカラという自転車のチェーンが回る音が、早くなる。
「ま、まってよ~」
早足で後を追い掛けてもなかなか追いつけなくて、結局軽く小走りをして追いついた。
「悪かったってば」
はぁはぁと息が弾む。ちょっと走るだけですぐに息切れ。もうちょっと体力がないとほんとにまずいと思う。
「怒ってる訳じゃない……ただ……」
「ただ?」
軽く息を弾ませながらそれでも彼の顔をのぞき込むと、彼は顔を背けたまま口ごもった。
いつもとなんか、ちょっと様子が違う。
「なんでもねぇよ」
でも、結局彼はそう言って、学校に着くまでだんまりを続けたのである。
まったく、へんなヤツだ。
まったりいこうか! とか思ったんですが、メイドデビューまでは焦っていってもいいんじゃないの? と。
いうわけで、ちょいちょい更新をしていこうかなぁとなりました。
無理はしませんけどね!
うん。メイドさんはじめてからがこっちのお話の本編ですので。まだまだ男装の方がいいとか、灯南ちゃんったら、ご冗談を。。ふふふ。